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デビルバスター日記  作者: 黒雨みつき
第6話『ペルソナ・プリンセス』
48/132

その7『責任』


「ん……うぅん……」

 朝を告げるスズメの声がすがすがしいと思うかやかましいと思うかは、人それぞれ、あるいは状況次第でもあろう。

 明日に大きな希望を抱く少年にとっては輝かしい未来の象徴であるのかもしれないし、昼日中を棺桶の中で過ごす吸血鬼が仮に実在したとすれば、それはやはり歓迎すべきものではない。

 そして、ここミューティレイク家の一室。

「んん……」

 休日の朝はベッドの中でまどろむことが密かな楽しみという、平々凡々、なんの変哲もないこのティースという男にとってのそれは、まさにささやかな幸福の象徴であり、心地よいまどろみを演出してくれる素晴らしきアーティストでもあった。

 ディバーナ・ロウにおける完全休暇日は、通常、任務から帰還した次の日しかない。それ以外の通常日も基本的に拘束規定はないものの、実際のところは遊んでなんていられないのが現実だ。

 つまり、昨日ロマニーから帰還したばかりのこの日は、ティースにとって誰にも気兼ねせず堂々とゴロゴロしていられる貴重な朝だったのである。

「ふはぁ……むにゅむにゅ……」

 よだれを垂らし、布団を抱き締め、まるで無防備にまどろむその姿は、とても死地に身を置く者の姿とは思えない。

 さて、それはともかく。

 こんな姿を見せておいてなんだが、誤解のないように言っておくと、このティースという男、朝のまどろみが趣味とは言っても特別に寝起きが悪いということではない。過酷な訓練や任務から帰還した翌日などはたまに寝坊をすることはあるが、しょせんはその程度だった。

 そういうときに彼を起こすのは、パメラという、彼の部屋の掃除等を担当するハウス・メイドの少女である。

 カチャ。

「ティース様……?」

 このとき時計が示していたのは、午前7時を少し過ぎた辺り。この時期、使用人たちはだいたい日が昇る直前の5時過ぎから動き出すし、それ以外の人々も朝食が用意される7時前ぐらいには起きてくる。

 だから今日の彼は、ややお寝坊さんといったところだった。

「……今日はお休みですから。ゆっくりなさるおつもりのようですね」

 ひそめた声。

 足音が少しずつベッドに近付いていくが、ティースは小さく寝返りを打つだけで目を醒ます気配がない。

「あ、あの……どうなさるおつもりですか?」

 よくよく聞いてみると、どうやら部屋に侵入してきた足音は2つのようだった。

「う……んん……」

 ほんの少しだけティースの意識が覚醒する。まぶたの裏に突き刺さる陽光に、思わず顔を背けた。

「パメラ……? もう少し寝かせて……んん……」

 半分夢の中。言葉も頼りない。

 こういう場合、パメラは大抵そっとしておくことにしている。まして今日は休日。彼女もそのことは承知済みであり、無理に起こす必要などどこにもない。

 だが、この日は少し違った。

 ベッドに射し込む太陽の光が何者かの影にさえぎられると、ティースの眉間の辺りに柔らかいなにかが触れる。

「ん……?」

 ひんやりとしていて、粘着質。

「な……んん……?」

 そして流れてきたのは、鼻をつく刺激臭。

 と、次の瞬間!

「い……ぎぃやぁぁっぁあっぁぁッ!!!!!」

 網膜に流れ込んだ激痛に、ティースは跳ね起きた。いや、飛び起きた上にベッドから転げ落ち、あまつさえ床をのたうち回った。

「ひぎぃぃっ!! ……目が! 目がぁぁッ!!!」

 ゴロゴロと床を転がった挙げ句、はうようにして洗面所に飛び込んでいく。

 バシャバシャバシャバシャ!!!

「ティ、ティース様……だ、大丈夫ですか?」

 そんなパメラの声もまるで耳に入らず、洗う。

 ただひたすらに洗う。

 完膚無きまでに洗う。

 そして――

「……」

 ポタ……ッ。

 約5分後、ようやく水音が停止。周りには水が飛び散っていた。

「……」

 まるで死人のような形相のまま振り返り、目をパチクリさせたティース。

 2度、3度。

「……目、真っ赤です」

 心配そうなパメラの顔が視界に入る。

 幸い、失明はしていないようだ。

 額に手を当て、そしてティースは問いかけた。

「……パ、パメラ? い、いったい俺の身になにが……?」

「え、あ、それは――」

 だが、答えようとしたパメラの言葉をさえぎるように、

「どうやら効果抜群みたいね」

「え……?」

 声はベッドのある方向。視線を向けると、先ほどまでティースが横たわっていたベッドの上に、なにごともなかったかのような顔で腰を下ろす少女がいた。

 学園用の普段着の着こなしも、綺麗に整えまとめ上げた飴色の髪も、相変わらず少しの隙もない。

 その少女の正体については、改めて言う必要もないだろう。

「シ、シーラ?」

 その姿を確認し、そして次に彼の視線が向かった先は、少女の手に握られた見慣れないビン。

 中には薄緑色の、粘着質の液体が入っていた。

「目が覚めたのならさっさと着替えなさいな。いつまでその見苦しい格好をさらしておくつもり?」

「……」

 確かに今の彼は大きな寝癖がついたまま、寝巻姿、しかも急に飛び起きたものだからズボンは半分脱げた状態と、とにかくひどい格好だった。

 だが、ティースはそんなことを気にするよりも、シーラが手にしているビンの中身――嫌な想像の方が先にあって、

「……シーラ。も、もしかして今の、その毒々しい――」

「ああ、これ?」

 シーラはそのビンを目線の高さで小さく振って見せて、

「私が作った目覚まし薬よ。眉間に塗るだけでスッキリ目が覚めるの。どう? なかなかの効き目だったでしょ?」

「ばっ……」

 当然、ティースは猛烈に抗議した。

「……あのなぁッ! 目が覚めるどころか、目が潰れるかと思ったじゃないかッ!!」

「あら、大丈夫よ」

 だが、シーラは涼しげな顔で、

「目が覚める上に、目にも優しい薬なの」

「絶対嘘だッ!!」

 これはさすがのティースもだまされなかった。

 そんな彼の態度に、シーラは少し思案する顔をして、

「そんなに痛かったの? だったら改良の余地はあるわね。……ま、そんなことはどうでもいいのだけど」

「ど、どうでもいい!? お前なぁ、人に痛い思いさせておいてどうでもいいって――」

 シーラはため息とともに肩をすくめて、

「いちいち細かい男ね。そんなんだからその歳まで恋人もできないのよ」

「な……!」

 片手を広げながら立ち上がり、その手を腰に当ててシーラはさらに続ける。

「顔も平凡だし、気も利かないし、話がおもしろいわけでもないのだから、せめて寛容な心ぐらい持つようになさい。そうすれば、あるいはどこかの奇特な女の子が目に留めてくれるかもしれないわよ」

「な、な……」

 言葉を返すいとまもない。

 その挙げ句、

「ともかく。さっさと着替えて食堂にいらっしゃい。二度寝なんかしたら、こんなものじゃ済まないわよ」

 そう言って、シーラはなにごともなかったかのように部屋を去っていった。

(な……)

 呆然。

 ただ呆然。

(……なんだったんだ……?)

 パメラの同情の視線が痛かった。

「あ、あの。シーラ様……なにかあったのでしょうか。その、なんだか以前より……なんというか……その、ティース様への当たりがさらに強くなったというか……」

「……お、俺にもわからん……」

 本当にわからなかった。

 そんな、ちょっとだけいつもと違う、完全休暇日の朝である。




「不思議に、思ったことはありませんか?」

 ミューティレイク別館の午前はなかなかに騒がしい。

 もちろん使用人たちが忙しなく動いているからというのもあるが、この屋敷の使用人というのがこれまた個性派揃いであり、とにかくなにごともすんなり終わることがなかった。

 ただ、この別館内ではその状況がある程度許容されているらしく、一定の規律の範囲内ではあるものの、とにかくにぎやかなのだ。

 今日も1階ホールには、度を外しすぎたのか、ハウス・キーパーであるアマベル=ウィンスターに叱られる使用人の姿があった。

 ……ちなみに、それはたったいまアオイがティースに尋ねたこととはまったく関係がなく。

「ティースさんは、レアスくんの身長がいくつあるか知っていますか?」

 現在、ティースはデビルバスター試験に向けての勉強真っ最中である。

 彼にとっては完全休暇日の本日であるが、この勉強会はアオイの時間が空いていることを耳にした彼自身から申し出たものだった。

「え? そうだなぁ」

 アマベルに叱られる使用人の少女からアオイへと視線を戻し、ティースはディバーナ・カノン隊長である赤毛少年――レアス=ヴォルクスの姿を頭に思い浮かべてみた。

「……150センチなかばぐらいかな? 最近ちょっと伸びたようにも見えるけど」

「ええ、だいたい正解です。……ではもうひとつ。ティースさんはレアスくんに腕相撲で勝つ自信がおありですか?」

「え? そりゃ――」

 言いかけて、思いとどまる。

「普通に考えれば勝てると思うけど……どうなんだろ。少なくともレアスくんは普通じゃないからなぁ」

 いくらデビルバスターとはいえ、相手は少年だ。身長だって30センチ近く違う。技術では勝てなくとも、単純な腕力なら勝てると思うのが普通だろう。

 だが不思議とティースには、自分の勝つ姿というのが想像できなかった。

「ええ、正解です」

「へ? 正解って……俺、まだどっちとも答えてないけど」

 不思議そうなティースに、アオイはニッコリと微笑んで、

「実際がどうであるかはこのさい問題ではないのです。今、ティースさんは『普通に考えれば』と言いましたね? その『普通』というのが筋力のことで、そして『普通じゃない』と感じた部分が、今日お話する『心力』のことです」

「心力?」

 初めて聞く単語だ。

 少なくとも一般に浸透しているような言葉ではない。

「不思議に思ったことはありませんか?」

 アオイはもう一度そう言った。

「レアスくんの小さな体のどこに、あのような……まるで消えたかと錯覚するほどの瞬発力が隠されているのか。アクアさんやアルファさんの華奢な体のどこに、獣魔のパワーを押さえつけるほどの力が隠されているのか、と」

「……そりゃ」

 言われて、ティースは初めて気付く。

 それは確かに不思議なことだった。

 隊長だから。

 デビルバスターだから。

 しかしよく考えてみれば、それはあくまで強さの証明であって、強さの根拠にはなっていないのだ。

 それでもティースはどうにか答えて、

「人にはその筋力だけで計れない不思議な力がある、っていうか……」

 あいまいだった。

 だが、その返答こそがアオイの意を得たもので、

「そのとおりです。多くの人はティースさんと同じように、漠然とではありますが、その力の存在を知っています。そしてある程度の基礎鍛錬を積んだ者は、意識するしないに関わらずその力を行使している可能性があります。……ティースさんにも覚えがありませんか? たとえば攻撃を受けたのに思ったよりも傷が浅い、普段では考えられないほどの怪力が発揮された、など」

「……」

 記憶によみがえる、いくつかの光景。

「……ある、かも」

 充分に覚えがあった。

 彼がこの屋敷に招かれる原因となった事件のときのこと。あるいはリガビュールの街において、タナトス幹部であるネイル=メドラ=クルティウスと戦ったときのこと。

 確かに彼自身の実力をはるかに上回る力が発揮されたことがこれまでにも何度かあった。

「でしたら、あるいはそれが『心力』によるものだったのかもしれません。……通常では引き出すことのできない潜在的な能力、という言い方が一番しっくり来るかもしれませんね。ただ、それらは実を言うと、訓練によってある程度は自由に引き出すことが可能になるのです」

 そう言って、アオイは手元にあった紙とペンを取る。

「さて、その心力についてですが……心力は全部で9つの要素から構成されています」

 そう言いながら、アオイは紙の中心に小さな丸を書き、その中に『発気』と記すと、さらにそこから8方向に引いた矢印の先にそれぞれ、

 『自愛』。

 『鋼身』。

 『瞬歩』。

 『神足』。

 『流星』。

 『剛力』。

 『息吹』。

 『刻眼』。

 と、文字を記していく。

「ええっと……?」

「ひとつずつ、順に説明しますね」

 困惑顔のティースに、アオイはニッコリとそう言った。


 ――と、そんな彼の説明では少々長くなってしまうことが予想されるので、ここでは要点だけを簡潔に説明することにしよう。

 『心力』。

 それはすべての人間が等しく持つ、神秘的なパワーのことだ。『気功』とか『オーラ』とかいえば少しはわかりやすいだろうか。

 つまり人間の持つ肉体能力を高める力のことだが、この世界におけるその力――『心力』はそれほどあいまいなものではなく、その影響が及ぼす範囲というのはある程度明確に解析されている。

 それがアオイの言う9つの要素だ。

 まず、紙の中心に書かれた『発気』は『八気』とも言われ、他の8つの力すべてに影響を及ぼす、いわば心力の基礎的な力のことである。その他8つの能力の強さはだいたいこの発気の大きさに比例する、ということだ。

 さて、その他の8つの力だが、こちらもごく簡潔に記そう。

 『自愛』は自然治癒能力を高める。

 『鋼身』は肉体の防御力を高める。

 『瞬歩』は超高速の瞬発力を得る。

 『神足』は持続的な高速移動能力を高める。

 『剛力』は瞬間的な超怪力を得る。

 『流星』は高速での打撃能力を高める。

 『息吹』はスタミナ能力を高める。

 『刻眼』は五感能力を飛躍的に高める。

 さらにこれら8つの力は個人個人によって得手不得手があり、大抵はひとつかふたつ、多い場合は3つの得意分野、あるいは苦手分野を持つ。

 ディバーナ・ロウの3人の隊長たちを例にあげるなら、アクア=ルビナートは『神足』と『流星』を得意とし、レアス=ヴォルクスは『瞬歩』に特化している。

 そしてレインハルト=シュナイダーは『剛力』『神足』『刻眼』が比較的得意、という具合だ。

 ただ、その得手不得手はあくまでバランスの問題であり、もっとも大事なのはやはり基礎能力である『発気』ということになる。得手不得手はそこに100をかけるか、あるいは80や60をかけるか、という違いでしかない。

 そしてこの力があるからこそ、この世界ではひとりの人間が10人や20人を相手に立ち回ることも可能だし、子供や女性が魔と戦うことも不可能ではないのである。


「――少し、休憩なさいませんか?」

「え?」

 心力に関する説明が終わって2人がひと息ついたとき、その間に割って入る声があった。

 ティースは振り返り、そしてそこにいた人物の姿を目にすると少し驚いて、

「ファナさん? 珍しいね」

 白い陶器のティーセットを手にしたファナは、相変わらずの穏やかな笑顔で立っていた。

 だが、そんな外見からは想像できないほど忙しくしている彼女のこと、こうして昼間から姿を見せることはそうあることではない。

「……姫?」

 そしてティースと同じく驚きの声を上げたアオイ。

 だが、こちらはティースのものとはだいぶ意味合いが異なっていた。それはつまり、ここに『いるはずのない』彼女がここにいることへの驚きである。

「いったいどうなされたのですか? 今日はロベルト様に招待されて、ミリィさんと一緒に出かけられたはずでは?」

 ファナは小首をかしげて、

「あらあら。そうでしたの?」

「ええッ!?」

 そんな彼女の不思議そうな反応に、アオイはさらに慌てて、

「わ、私ならともかく、ミリィさんがそんな伝え忘れなんてポカをするはずが――」

「それではきっとアオイさんの勘違いですわ。夢の中のお話と混同なさっているのではありませんか?」

「え? は……そ、そう言われてみればそんな気も……」

「……」

 ティースは先ほど、外出用の馬車が本館の前に用意されているのを偶然目撃していたが、ここはあえて口を挟まないことにした。

 ロベルトという人物がファナに求婚する男のひとりであり、決して表には出さないものの、ファナがその人物のことを多少なりとも面倒に思っている――というのは、ティースの耳にも届いてくる使用人たちのうわさ話である。

(……色々、あるんだろうなぁ)

 ミューティレイク家当主という、18歳の少女にはやや重すぎるはずの肩書き。その責任を見事に果たしている彼女がすっぽかしてしまう約束なのであれば、それはおそらくたいして重要なものでもないのだろう。

(ホント、色々あるんだろうなぁ……)

 それは彼女の普段のんびりとした笑顔からはとても想像できないものではあるが。

「お勉強は、はかどっておられますか?」

 ティースが考え事をしているうちに、ファナは彼らと同じテーブルに腰を下ろした。その手から紅茶が注がれ、ティーカップからは湯気と芳ばしい香りが漂い始めている。

「あ、えっと……まあ、俺にできる限りは。でも、あんま頭のいい方じゃないから、アオイさんには苦労かけちゃってるかも」

「大丈夫ですわ。ティースさんはたいへんな努力なさってますもの。……どうぞ」

「あ、どうも」

 受け取ってさっそくティーカップを口に近づけたティースは、その香りに手を止め、そして首をかしげた。

「あれ。なんかいつもと違う……?」

「おわかりになります?」

 ファナは静かに微笑んで、

「今年の茶葉が届いたばかりですの。この屋敷ではティースさんが一番乗りということになりますわ」

「へぇぇ、それってなんか嬉しいなあ」

 そんなささやかな幸せをかみしめながら、紅茶に口を付けるティース。

 ふと気付いたように顔を上げて苦笑すると、

「でも、それって俺みたいな味オンチにはちょっともったいないかも」

「そんなことありませんわ。香りですぐに気付かれたのですから、ティースさんは繊細な感覚をお持ちです」

「……」

 そんなファナの隣では、アオイが何度も首をひねりながら懸命に紅茶の匂いを確かめていた。

「ところで、ティースさん」

「ん?」

 昼が近付いているせいか、今度は厨房の方がにわかに騒がしくなっている。

 そんな、大貴族の屋敷としては不自然なほどにぎやかな雰囲気の中、ファナはなごやかな笑顔でティースに問いかけた。

「アルファさんとは、うまくやっておられますか?」

「え? ……あ、うん」

 反射的にうなずいてはみたものの、もちろんそれは真っ赤な嘘だった。あのロマニーでの一件で怒りをぶつけて以来、ティースは彼と一度も口を利いていなかったのだから。

 とっさに嘘をついたのは、そんな個人的な感情で生じたあつれきを、ファナやアオイに告げていいものかどうか迷ったからである。

 だが、

「いや、実は――」

 考え直し、ティースは相談してみることにした。

 ロマニーの温泉宿で起きた出来事。そしてその後、アルファに対して疑問と怒りをぶつけたことまで。

 そしてだいたいの事情を話し終えた後、ティースは感情を素直に吐露した。

「後で冷静に考えて、確かにアルファさんの言うことにも一理あるとは思ったんだ。結果的に最小のリスクで任務を果たすには、潜んでいる敵をおびき寄せて一網打尽……ってのが一番間違いないやり方だったのかもって。……でも、俺にはあのやり方がどうしても受け入れられなくて」

「……なるほど」

 アオイは真剣な表情で何度かうなずいた。その反応は、どちらかといえばティースの意見に賛同しているかのように見えた。

 そのまま、ティースはファナを見る。

 すると彼女はほんの少しだけ悩ましそうな顔をした後で、小さくうなずいてから言った。

「ティースさん。その状況でアルファさんが、そのマーセルさんという方の病気を察知するのは不可能だったと思います」

「……ファナさんはあいつのやり方が正しかったと思う?」

 ファナは小さく首を横に振って、

「いいえ。確かに力を持たない一般の方々を危険にさらすことは極力避けるべきと考えます。ですが、どうかアルファさんのことを誤解なさらないようにしていただきたいのです」

「誤解?」

 ファナはティーカップを置いた。

 それから視線をゆっくりと横へ。……その視線の先、おそらく誰かが飾ったのであろう鉢の中には、見覚えのある紫色の花のつぼみがあった。

「あの方は決して心が冷たいわけではありませんわ。まだ、途上なのです」

「……途上?」

「はい。……ティースさんは『イスラフェル』という民族をご存じですか?」

「え? あ……」

 偶然にも、彼はつい最近その名を聞いたことがあった。

「えっと、銀髪で青い瞳の……その、アルファさんの――」

 ファナは視線を戻しながらうなずいて、

「イスラフェルは西のブリュリーズ領の山奥に住む少数民族です。古くから世界の秩序を護ると伝えられており、地元では神格化されるほどの民族でした。……ですが、15年ほど前、彼らの集落はひとつ残らず滅ぼされてしまったのです」

「……え?」

 それは初めて聞く話だった。

「生き残られた方がおられないため、いくつかの有力な魔の組織がその容疑をかけられていますが、今のところ断定には至っておりません」

「アルファさんが……その生き残りだってこと?」

 その問いかけに対し、ファナは肯定も否定もせず、

「すべては憶測で、あの方がどのような人生を歩んできたのかなど私たちには知る由もないこと。ですが、私はあの方のことを信じているのです」

「……」

「今回のように常識の枠を外れた行動を取られることもありますが、それはあの方なりに最善を選ぼうとしただけです。周りの人々のことを気にしていないとか、目的のために手段を選ばないとか、そういうつもりだったわけでないことは、どうかわかってあげてください」

「で、でも……」

 ファナの言いたいことはティースにも理解できた。

 だが、それを受け入れられるかということはやはり別の問題である。

「俺はそれでも、あの人のやり方にはついていけないかもしれなくて――」

 そんなティースの反論に、ファナは彼をまっすぐに見つめて言った。

「それを、ティースさんにお願いしてはいけませんでしょうか?」

「……へ?」

 意味がわからずに問いかけるティース。

 ファナは続けた。

「私どもがこの場で語るだけの言葉ではどうしても限界があります。ですが、ともに現場で動く方々の行動は必ずアルファさんの心にも響くものがあると思いますわ。……その任に、ティースさんはピッタリです」

「……え?」

 その言葉で、ようやく少し理解する。

 それはつまり――彼に教育係をやってくれ、ということなのだ。

 だが、もちろんティースは戸惑いを隠せずに、

「ちょ、ちょっと待ってよ。そういうことならもっと付き合いの長いレイさんとかアクアさんとか――だ、大体、俺はあくまでアルファさんの部下で、結局アルファさんの命令に従うしかできないんだし――」

「?」

 そんなティースの言葉に、ファナは不思議そうな顔をする。

「ティースさんはアルファさんの部下でしたの?」

「え? いやだって、アルファさんは隊長で、俺は――」

「……」

 ファナは少し視線をめぐらせた。

 それからなにごとか閃いたらしく、ポンと両手を合わせる。

「ティースさん。おそらく誤解なさっておられますわ」

「え?」

 口元で両手を合わせたまま、ファナはその奥で再び静かな微笑みを浮かべて、

「そもそも第四隊に隊長はおられません。ティースさんを第四隊に配属したのはアルファさんの部下としてではなく、同士、協力者として、ですの」

「協力者……?」

「はい。もともとティースさんには、協力して任務を遂行する義務はあっても、アルファさんの言葉に従う義務はないのです。おそらくリディアさんがお伝えになった配属の指令書にも、アルファさんの部下として、とは書かれていなかったと思いますわ」

「……う」

 そんなところまでティースは確認していなかった。今までの流れのとおり、部下として配置されたとしか認識していなかったのである。

「で、でもさ。そうはいっても俺は未熟だし、経験だって浅いし、結局はアルファさんの判断に従わざるを得ないっていうか……」

「はぁ、それもそうですわね」

 再び視線を巡らせるファナ。

 だが、やはりすぐになにごとか閃いたらしく、もう一度ポンと手を打った。

「では、こういたしましょう」

「え?」

 その後、ファナの口から出たのは、あまりにも突拍子もない提案で。

「本日付けで、ティースさんを第四隊の臨時隊長に任命し、アルファさんをその部下といたします。そうすればすべて解決しますでしょう?」

 ニッコリと。

「……へ? い、いやちょっと待っ――」

「責任重大ですわ。頑張ってくださいね、ティースさん」

「え……えぇっ、本気!?」

 恐る恐る聞き返したティースの視線の先で、ファナはニコニコと満面の笑顔のまま。

 ……どうやら本気のようだった。

「俺が、隊長……?」

 呆然とつぶやくティースの胸に広がったのは、突然背負わされた重い責任に対するとてつもない不安の波であった。






 1人目は、ネービス領の南東ベルンの街付近。


「~、~~~~~」

 迫り来る恐怖。近付いてくる死の予感。産まれたばかりの赤子が雰囲気を察して泣き出し、母親が慌ててその口を塞いだ。

 今さら騒ごうと静まろうと、結果はなにも変わりはしないというのに。

 通常、馬車で長い距離を移動する場合は、目的地を同じくする者たちとキャラバンを作ることが多い。それは街道に現れる盗賊対策であり、あるいはときおり現れる獣魔対策でもあった。

 だが今回、そこに見えるのはあろうことか馬車1台。乗っているのもたったの4人。夫婦であろう男女、産まれたばかりだと思われる赤子がひとり、そして一家が雇った護衛がひとりである。

 馬車を襲ったのは猫のような形の獣魔、炎の六十八族。口から吐く熱い吐息は殺傷力という点ではそれほどでもないが、その鋭い爪と牙は充分に生命を奪いうる。

 その数は7匹。

 普通の獣ならばともかく、獣魔が7匹ともなればその一家と雇われの護衛ひとりを皆殺しにして充分過ぎるほどのお釣りが来る。

 そのはずだった。

 ……だが、しかし。

「お~れは電光石火~、お~まえのハートに~火ぃをつけるぜ~」

 センスのない歌詞に、音程の怪しい歌声。

 恐怖に震える一家とは裏腹に、彼らに雇われた護衛の男は上機嫌で地面に降り立った。

 見たところ20歳前後。テンガロンハットのような背の高い帽子をかぶり、ジーンズと白のシャツに袖のない茶色のジャケット。身長は170センチあるかないかで、目は細く、唇には小さなピアス。

 見た目からして、ややアウトローな印象の青年だった。

「セ、セレナスさん……」

 馬車の中から震える声を発した一家の長は、まだ若い30歳ぐらいの男だ。服装を見るにそれほど貧しくはなかったが、おそらくはなんらかの事情があって、やむなく1台での移動を試みたのだろう。

 そしてだからこそ、護衛には腕の立つ者を選んだ。

「ま、オイラにまかせとき」

 鼻歌混じりに腰にぶら下げた武器を手にする青年。

 奇妙な形の武器だ。一見レイピアのようだが、先端5センチほどが小さく三つ又に分かれている。

「さ~て、と。いっちばん御機嫌なヤツはどいつかな~?」

 獣魔たちが一斉に動いた。

 だが、青年のもとに向かってきたのはたったの2匹。残りの5匹は馬車を目標に定めたようだった。

「獣の分際で、えげつないねぇ~」

 青年は慌てない。だが、馬車を守る気配も見せない。ただ、もともと細い目をさらに細め、自分に向かってきた2匹の片方に照準をセットする。

「んじゃ、おまえにき~めたっと!」

 一閃。

 甲高い悲鳴が響き、1匹の獣魔が青年の武器に貫かれる。

 ……バチンッ!!

 同時に響いたのは、放電の音。

「ごろうじろ~ごろうじろ~」

 バチ……バチバチバチ……ッ!!

 一瞬で息絶えた獣魔の体が、まるで充電するかのように急速に電流をまとっていく。

「最大~7~連鎖~うまくいったら~拍手御喝采を~」

 バチンッ!!

 許容範囲を超え、獣魔の体が弾けた。

「『雷針』ライトニングイリュージョンでござ~い~」

 バチバチバチバチッ!!

 弾けた獣魔の体から飛び出た2本の稲妻が、馬車を襲おうとした5匹のうちの先頭の2匹に命中する。

「1~2~3~……さぁさぁ皆さん、拍手のご用意を~」

 バチバチバチバチバチバチッ!!!

 稲妻にさらされた2匹から、さらに2本ずつ。計4本の稲妻が、まるで自分の意志を持っているかのように、ちょうど残っていた4匹の獣魔に向かって伸びた。

「4~5~6~……アラ?」

 だが1匹だけ、稲妻の直撃を受けたにも関わらず、ただ弾かれただけで無傷の獣魔が残っていた。

「……残念。目測ミスったか」

 舌打ち。

 だが、すぐに青年は陽気な調子を取り戻して、

「世~の中~思い通りに行かないからこそ~おもしろい~」

 たった1匹残った獣魔ごときが、そんな彼の敵であろうはずがなかった。




 2人目は、ネービス領から南に領地2つ分離れたヴィスカイン領。


 ちりん、ちりん……


 幾筋もの鈴の音。

 長く伸びる影。

 それは夢か幻か。

 3月の夕日の中に舞い散るは、白く儚い雪の結晶。

 そして――

「逃げるの?」

 なんの変哲もない問いかけ。

 だが、その声は、ただそれだけで支配すら許してしまいそうになる、あまりにも美しい響きの旋律だった。

「逃げるのならそうしてみるといい。でも無理。たとえこの場では逃げ出せても、あなたはきっとその『衝動』からは逃れられない」

 琴を奏でるように、言葉を紡いでいく。

 ちりん、ちりん……

 女性は腰の辺りまで伸びた髪を9つに分け、その先端付近を鈴付きの紐で縛っていた。なにかのおまじないなのか、その中にはひとつだけ真っ白の鈴が混じっている。

「戦う必要なんてないのに。楽しく暮らしていければそれでいいのに。なのに、戦うことをやめない。みんな、みんな」

 ひときわ強い風が吹き、言葉の旋律に、鈴の音が伴奏をつけていく。

 そして、まるで神に仕える巫女のように神秘的な女性は、悲しげな瞳で目の前の人間――いや、人魔を見つめた。

「ねえ。あなたも、私もそう――」

 その手に握られていたのは、長さ2メートル近くもある棒状の杖。

 ……杖?

 いや、違う。

 それは――

「っ……!!」

 ついに人魔の男が背を向けた。

 下位魔。

 人より優れた戦闘能力を持つとはいえ、今回ばかりは相手が悪かったのだ。

「……目覚めよ『雪姫』」

 雪の結晶が杖の先端に集まり、徐々に形を成す。

「そして、歌い、舞い、踊れ――永久に、儚く……」

 幻想のように美しい音色。

 幻想のように美しい結晶。

 幻想のように美しい彼女。

 ――すべての極が表裏一体であるように、美しすぎるそれは凶気をまとうことによって、凍て付く恐怖と化した。

 死者を誘う大鎌――氷のデスサイズ。

 神秘的な彼女にはあまりにも不似合いで、それが逆に凄まじいまでの戦慄を呼び覚ます。

 ちりん、ちりん……

 風が吹いた。

 ちりん、ちりん……

 ちりん、ちりん……


 ……ちりん――――


「――次の世では、どうか楽しく安らかな一生を送れますように……」


 赤黒いしぶきが、夕日の中に舞い散った。





 3人目は、ネービス領の西側リガビュールの南にあるグランドウッドの街から東に20数キロ離れた森の中。


 駆ける、駆ける、駆ける。

 風を切る、黒い影。

 夜の森は闇に生きる獣たちにとって絶好の猟場だ。

 かすかに見えたオレンジ色の光は、おそらくたき火の明かりだろう。

 だが、彼らは火を恐れない。恐れるはずがない。

 炎の六十二族と呼ばれる彼らは、一見馬のような大きさと形をしているが、一般的に知られるそれよりもはるかに毛深く、また口には鋭い牙が生えており、肉食で獰猛な種族だった。

 それが3頭、たき火を目指して走る。

 たき火と人。

 彼らは幾度もの狩猟の結果、その2つを結びつけることを覚えていた。

 そして人は彼らにとって、もっとも闘争本能を掻き立てられる獲物だ。どういった事情かはわからないが、彼らが等しく併せ持つ本能は人型の獲物を見たときに一番興奮するように作られているようだった。

 たき火の前で野宿をするのはひとり。

 旅の男だろうか。比較的軽装、鉄製の額当てを巻き、黒いマスク。短髪で輪郭は病的に思えるほどに細いが貧弱な印象はなく、体は無駄のない肉付きでしなやかさを秘めている。

 右手にのみ黒い手袋を填めており、年齢は20代なかばぐらいだろう。

「……現れたか」

 マスクの下のくぐもったひとりごとは、もちろん獣たちには理解できない言葉だった。そして彼らは、自分たちが、あえて誘き出されたのだということにも気付いていない。

 彼らの中にあった衝動はただひとつ。

 目の前の獲物を、喰らい尽くせ――

「ガァァァァァァァァッ!!!」

 まるで争うかのように、同時に襲いかかる3つの巨大な体躯。3つの牙。

 たき火が揺れた。

 風を切ったのは、宙を舞う男の体と、3つの苦無。

 勢い余ってたき火に突っ込んだ3匹の獣の体に、それぞれ苦無が突き刺さる。

 ――だが。

「ガァァァァァッ!!」

 深く堅い体毛に覆われた獣にはまったく効いていなかった。かろうじて刺さりはしたものの、刺さっているのか体毛に埋もれただけなのかわからない程度だ。

 獣たちは気に留めた様子もなく方向転換し、地上に降り立った男に向かって突進していく。

 しかしそれもすべて、男の予想の範囲内。

「強者の匂いすら嗅ぎ分けられない、愚かな獣どもよ」

 黒い手袋をはめた右手を3匹の獣に向け、そしてまるで引き金を絞るように指を折り畳む。

 途端、獣たちの体の一部――苦無を打ち込まれた部分がまるで風船のように破裂した。

「ギャォォォォォンッ!!!!」

「『惨響』とともに、砕け散れ」

 つぶやく男の右手には、再び3本の苦無。

 最初の一撃で体の4分の1を失った獣たちに、その次の攻撃を避ける術など存在しようはずもなかった。




 『雷針』セレナス=カンファイス。

 『雪姫』マリアヴェル=ソーヴレー。

 『惨響』ジン=ファウスト。


 それぞれに特徴的な武器を持つ彼らは、しかし決して意図的に選ばれたわけではない。

 それは単なる偶然。

 事実、彼ら3人の間にはただ1点を除きほとんど共通点らしきものはなく、出身も生い立ちも性格も様々。彼らを結びつけるものはほとんどない。

 彼らが持っていた明らかな共通点は、ただひとつだけ。

 しかし、それでよかったのだ。

 それを計画した者にとっては、彼ら3人であることが重要だったのではなく、彼ら3人が『それ』であったことが重要だったのだから。

 共通点。

 それはつまり――彼らがデビルバスターであったこと。

 ……この時点では誰も想像していなかった。

 主役である彼ら3人も、もうひとりの主役であるアルファ=クールラントも。そしてティーサイト=アマルナをはじめとする、その他少なからず関わることになる人々も。

 時期はこのときより約1ヶ月の後。

 主催は『ネアンスフィア』。

 その、大陸でも名高い魔の組織のことを、一部の人々はおそれを込めてこう呼ぶのだ。


 魔物狩りを狩る者たち。

 『デビルバスター・ハンターズ』――と。


-了-

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