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デビルバスター日記  作者: 黒雨みつき
第6話『ペルソナ・プリンセス』
46/132

その5『不治の病』


 宿に異変があったのは、その日の夜のことである。


「……ふぅ」

 本を閉じて。開いて。また閉じて。

 雨は止んでいた。それどころか、あんなにも広く空を覆っていた厚い雲はいつしか途切れて、そこから月の光さえ射し込んできている。

「……」

 長いまつ毛がかすかに震え、宝石を思わせる瞳は数分おきに宙をさまよって、それはいつしか一点に止まった。

 この部屋と隣の部屋を区切る1枚の壁。

 首を振って、頭のもやを振り払う。

 すっきりしない気持ちのまま、シーラはこの日の夜を迎えることになっていた。

(……いまさら嫌われたところで)

 左手の指が黒い本の背表紙を撫でる。右手は髪に触れ、髪飾りの装飾に触れていた。どちらも意味のない行動。ただ、彼女はそうすることで自分の気持ちを落ち着けようとしていたのだ。

 しかし、それは彼女が望むほどの効果をもたらしてくれることはなく――

(なにも変わらないんだから……だったら、別に――)

 ため息が口をつく。

 彼女はそれを望んでいたことさえある。わざと彼を遠ざけて、嫌われるような態度を取ったことも数え切れない。

 嫌われたかった、というと少し語弊があるだろうか。ただ、彼に構われたくない、構って欲しくないと思って、そうなるように仕向けたことは確かにあった。

 だが――しかし。

 こんな状況になってみて、思うのだ。

(……なんて。嫌われるのは、やっぱり辛いものね……)

 それが彼女の偽らざる素直な気持ちだった。

 ゆっくりと視線を上に向ける。

 天井にはかすかに揺らめく光源。特殊な振動に反応して発光する、こちらの世界でも割と普及している魔界由来の照明器具だ。

 まるで宝石のように澄んだ彼女の瞳の中で、その光源がユラユラと揺らめいた。

(……素直に謝ろう。それで許してもらえるかしら)

 彼女の心のそれは疑問形だったが、その点については無用な心配だろう。事実を言ってしまえば、ティースの方こそどうやって彼女に謝ろうかと悩んでいたぐらいだ。

 シーラには自分が選択を誤ったのだという自覚があり、謝罪することにそれほどの抵抗はなかった。

「ふぅ……」

 心を決めると、ようやく気持ちが落ち着いた。髪飾りの上にあった指がゆっくり離れ、それが口元へと移動する。

(リィナのためとはいえ……本当にどうかしてたわ)

 口の中の痛みはとっくに消えていた。

(あんなことしてしまうなんて。あんなこと――)

 ため息がもれる。熱い息が指の隙間を抜けていった。

 そのまま首を横に振って本を閉じる。すでに集中力は切れていたし、その状況ではその本を開いている意味はなかった。

 椅子を引き、ゆっくりと立ち上がる。足を向けた先は、部屋の隅にまとめてある荷物の前。

(もう着る機会はなさそうね……)

 先ほど暗い気持ちのままに脱ぎ捨てたお気に入りの服を手にとって広げ、綺麗に畳んで片づける。

 ……と、そのときだ。

 遠くで、誰かの声が聞こえたような気がした。

(……なにかしら?)

 動きを止めて耳を澄ます。

 ただ、その声は一瞬で、しばらくは静かなままだった。

 気のせいか、と思ったその矢先。

「……!」

 もう一度、誰かの声が聞こえた。――叫び声だ。

 同時に、近くで勢い良くドアの開く音。

 すぐに、

「シーラッ!」

 ドンドンッ! と、外からドアが叩かれる。

 その声の主は、先ほどまで彼女の悩みの種になっていた男のものだった。

「ティース? どうしたの?」

 ドアへ向かおうとしたシーラだったが、それよりも先にティースが叫んだ。

「出なくていい! 部屋の中でじっとしててくれ! いいか! そこでじっとして、なにか異常があったらすぐに助けを呼んでくれッ!」

 それだけを言い残し、足音は急速に去っていく。

(……まさか)

 もちろんシーラはすぐに状況を察した。

(魔が出たのかしら……? じゃあ、さっきの叫び声は誰かが襲われて……?)

 少し思案した後、彼女はすぐに行動した。

 荷物をあさり、その中からビンに入ったいくつかの薬品を取り出す。

 どれも彼女自身が調合したものだった。

 さらに取り出したのは包帯などの治療具一式。それらを手早く小さな鞄に詰めて肩に掛ける。さらには――治療に使うものとは別の、いくつかの特殊な薬品もふところに忍ばせて、シーラは部屋から飛び出した。

 ……ざわざわという喧騒。それは間違いなくこの宿の中、おそらくは露天風呂のある方から聞こえてくる。

 辺りの状況を素早く確認。

 騒ぎが大きくなっていたり、場所を移しているといった様子はなく、むしろ最初の叫び声以降は沈静の方向に向かっていると感じられた。

 それだけを確認して、シーラは移動を開始する。向かう先はもちろん、最初の叫び声が聞こえた方向だ。

 すると、宿の中は思ったほどの混乱もなく、すれ違った従業員の言葉が耳に入ってきた。

「……ああ、そうそう。だけどなんか知らんけど、もうやっつけちまったらしいぜ――」

「……」

(……いい手際ね。ディバーナ・ロウ、か)

 彼女がその働きぶりを直接見るのは初めてのことだった。タイミング的に考えると、ティースがやったというよりは、おそらくアルファの仕事だろうと思われたが――

(あいつは下っ端とはいえ、そんなところで頑張っているのね……)

 そんなことを感じながら温泉に通じる廊下に達すると、人の数もにわかに多くなってきた。もちろんそのほとんどが宿の関係者だ。

「……いやぁ。にしても、助かったなぁ。ネービスのデビルバスターがここに滞在してたなんて」

「いや。どうやら、街の方で雇って来てもらってたらしい。とにかく怪我人も出なくて良かった」

 会話が耳に入ってくる。

(怪我人がいない……? あの叫び声の人も無事だったのかしら……ずいぶんと手際いいわね)

 そのことにシーラは少しだけ違和感を覚えた。

 いくらディバーナ・ロウが、アルファが優秀だと言っても、あの叫び声を聞いてからまだ3分も経っていない。

(セシルのお兄さん、かなり優秀なデビルバスターだと聞くけれど……)

 なんにしてもひとまず安心して、シーラはさらに先へと進んだ。

 辺りの状況を見ても、すでに危険が去っていることは間違いない。騒動もとっくに収まって――いや。

 そう思った、直後だった。

「……マーセルさん! しっかり!」

(え――?)

 悲痛な叫び声が聞こえたのは、進行方向の先。

(……ティース?)

 聞き間違えることなどありえない。間違いなくティースの声だった。

 シーラはためらうことなく、廊下を駆ける。

 ……なにかあった。

 おそらくはマーセルという女性の身に重大ななにかが。

 彼女が日に何回も温泉に入っていたことをシーラは知っていたし、獣魔の襲撃の場にいたとしても不思議はない。

(でも怪我人はなかったって……じゃあ……?)

 速度を早めた。

 少し集まり始めた野次馬の脇を抜け、向かった先は女性用の露天風呂だ。入り口付近に宿の従業員らしき女性が立っていて、駆けてきたシーラを驚いたように見つめたが、制止される前に強引に中へと飛び込んでいく。

 もう一度、声が聞こえた。

「マーセルさん、しっかりして!」

「ティース!」

「!」

 まずシーラの視界に飛び込んできたのは、脱衣所の床にかがみこむティースだった。その後ろでは、やはり宿の従業員らしき中年の女性が不安そうな顔でオロオロしている。

 そして――

「シーラ……」

「!」

 ティースの眼前にあお向けに倒れていたのは、やはりマーセルだった。おそらくは露天風呂に入っていたのだろう。裸に大きめのタオルをかけられただけの状態だ。

 どうやら意識がない。

「マ、マーセルさんが入浴中に獣魔に襲われたみたいで――それはアルファさんがすぐに退治してくれたんだけど、マーセルさんが急に苦しみだして……」

「怪我は、してないわね」

 動揺した様子のティースとは対照的に、ひとつ深呼吸をしたシーラはマーセルのそばにかがみ込んですぐに脈を取った。

「シーラ――」

「続けなさい。お前が知っていることを話して。……マーセル。聞こえる?」

 シーラは視線を動かさずにそう言いながら、軽くマーセルの頬を叩いた。……反応はない。腕を軽くつねってみても、やはり同じ。

「……完全に意識がないわ」

「マーセルさんは心臓が悪いんだ。そ、それで――」

 シーラは眉間に皺を寄せてティースを振り返った。

「心臓が悪い?」

「アルファさんがすぐに駆けつけて、ぜ、ぜんぜん怪我はなかったんだけど、急に様子が――」

 ティースが言いかけた瞬間、シーラの声が脱衣所に響き渡った。

「だったらどうして、温泉なんか入ってたのッ!」

「え……っ!」

 ティースは目を見開いて、それからまるで子供のように泣きそうな顔になる。

「な、なんでって……だって医者が、ここの温泉が心臓の病に効くって言ったらしくて――」

「っ……」

 シーラは少し冷静になる。――もちろん彼が悪いわけではない。医療がそれほど発達していない田舎だと、それは当然のように語られる療養法だ。

 知識のないマーセルがそれを信じたことも、ティースがなんの疑問を抱かなかったことも、それは仕方がない。

 シーラはすぐにマーセルの気道を確保した。自発呼吸はない。もう一度、首筋に手を当てて脈を取る。

「……まずいわね」

「ま、まずいって……」

 ティースが泣きそうな顔のまま、青ざめる。

「まさかマーセルさん、このまま死――」

 言いかけた彼を、シーラはキッとにらみ付けて、

「黙りなさい」

「!」

 鋭い言葉に、ティースは口を閉ざした。

 シーラは、マーセルの体を覆っていたタオルをズラして上半身を露出させると、その胸の下に手を当てる。

「心配なら後になさい、ティース。……ここに手を当てて。両手を重ねて……そう。腕を伸ばして、まっすぐに、小刻みに圧迫するの。私がいいと言ったら、1分に100回の速さで、まず15回数えて」

 言うや否や、気道を確保した状態のままマーセルの鼻をつまみ、ゆっくりとかがみ込んで口付け息を吹き込む。

「……」

「いいわ、ティース。……強めに、1、2、3、4――」

「こ、こうか……1、2、3――」

 有無を言わさぬシーラの指示に、ティースは動揺することさえも忘れて、必死に心臓マッサージに取り組んでいった。

 すぐさま額に汗が浮かぶ。

「ええ、そう。お前に余裕があるなら、マーセルに声をかけてあげなさい」

「声……?」

 15回終えて、シーラが再び呼吸を吹き込む。

「……」

 その必死な姿を、ティースはどこかあぜんとした表情で見つめていた。

 ……少しずつ、胸に満ちていた絶望感が薄れていく。

「マーセルさん」

 震える口からようやく声が出た。

「頑張って、マーセルさん――」






 いったん途切れた雨が、再び降り出していた。

 重苦しい沈黙。本来ならばとっくに消灯しているはずの宿。その一室には、今も明かりが灯ったままだった。

 ユラユラと揺れる照明に、そこにいる2人の影が同じように揺れる。

「なんで……こんなことに」

 ポツリとそうつぶやいたのは、ティースの方だった。

「マーセルさん、1年ぐらい前に心臓が悪いって、いつ命を落とすかわからないって、そう言われてたらしいんだ。たぶん、あと2、3年ぐらいしか生きられないんじゃないかって」

「……」

 その正面。

 椅子に腰掛けたシーラは目を細めて宙を見つめていた。

 そこに浮かんでいたのは、まぎれもない後悔の色。

「いつ発作が起きて、いつ死ぬかわからないって……それってさ、ものすごく怖いことだろ? だけどさ。いくら病気で医者にそう言われたからって、生きることを諦めちゃったら……そうしたら、人生って本当にそこで終わっちゃうと思うんだ」

「ええ……そうね」

「だから、少しでもその力になれればと思って、旅の話をしてあげてたんだ。マーセルさんもそれを喜んでくれて、なのに――」

 手を組み、うなだれた声が少し震えた。

「……」

 シーラは視線を泳がせ、暗闇に降りしきる雨を見つめながらゆっくりと目を閉じる。

(……馬鹿)

 彼がそういう男だということを、彼女は嫌というほど知っていたのに。

(本当にどうしようもない馬鹿だ……)

 自分の愚かさが身に染みる。

 そして自然と、言いにくい言葉がその口をついていた。

「ごめんなさい」

「え……?」

 きぃっ、と、彼女の腰掛ける椅子がかすかにきしんだ。

 視線はそらしたまま。

「今日は本当にどうかしてた。自分でもよくわからなくて」

「……」

 顔を上げ、ティースは驚いた顔で彼女を見つめていた。

 だが、その視線はすぐに落ちる。

「……いや、いいんだ。マーセルさんも、気にしてないって言ってたし……それに、お前ってやっぱりすごいよ。俺は武器なんて手にして、そういう場所で過ごしてるつもりでも、やっぱりああいう場面になると頭が真っ白になって……」

「それは当然よ。だって私は、そのための勉強をしているんだから」

 そう答えるシーラの声は、少しだけ強さを増していた。

「……そっか」

 ティースは少し笑みを浮かべて、

「きっとマーセルさんも喜んでるよ。……もしかしたらさ。お前とマーセルさんは、案外仲良くなれたのかも――」

「なにを言っているの?」

 その言葉に目を細めたシーラは、まっすぐにティースを見つめて、そして言った。

「なれたかも? 違うわ。なれるかどうかは、これから判明するのよ」

「え……?」

 ティースの顔に戸惑いが生まれる。

「で、でも、マーセルさんは、もう――」

「まだ生きてるわ」

 答えた声は、本来の彼女らしく凛としたものだった。

「……シーラ?」

 ティースは目を見開いて彼女を見つめる。

 ……マーセルは小康状態にあり、駆けつけた医者は一両日中が峠だろうと言った。

 それはどちらかといえば、その間に再び発作が起きて命を落とすだろうというニュアンスで、誰もが――ティースでさえもそう受け取っていたのだ。

 だが――

「お前はもう、自分の部屋へ戻りなさい」

 シーラは椅子を回して机に向かうと、足元にある鍵付きの箱に手を伸ばした。

「ゆっくり休むのよ。後でマーセルに元気な顔を見せられるように」

 その言葉に、ティースはあっけに取られた顔で、

「でもシーラ。お医者さんだって、ああやって言って……」

 きぃ、と、もう一度椅子がきしむ。

 美しい髪が薄暗い照明の中で小さく踊った。

 怖いほどに整った輪郭。

 そして――

「ティース」

「え……」

 彼に向けられたのは宝石のような瞳だった。

 その奥に宿る、炎のようにまばゆい意志だった。

「同じことを何度も言わせないで。私は『そのために』ここにいるのよ」

「シーラ……」

 そこにあったのは、普段の冷徹な彼女からはとても考えられない、強い情熱――いや。

 ティースはここに来て、ようやくわかったのだ。

 冷たくクールなその表情が、彼女の素顔などではないということ。それはここ1、2年の間に身につけたばかりの、ただの仮面でしかなかったことを。

「……」

 無言のままゆっくりと、ティースは立ち上がった。

(……シーラ)

 根拠など、あるわけではない。

 いくら優秀とはいえ、彼女はしょせん学生の身だ。マーセルを診た医者は、このロマニーの街で長い経験を積んだ人物で、おそらくその診断に大きな誤りはないだろう。

 彼女にそれをくつがえすことができるなんて、普通は考えられないことだった。

 だが――

「……頼む」

 グッと目を閉じ、そして思わず力の入った拳を握りしめ、そしてティースは彼女の部屋を出た。

 普通に考えれば芽生えるはずもない希望。

 そのかすかな光を、確かに胸の中に感じながら――。




 ――指輪を外し、それを特殊な鍵穴に差し込む。

 カチャリと音がして、鍵が外れた。

「……」

 取り出したのは1冊の本。

 異様なほど重厚感のある黒表紙は、明らかに古い書物であるにも関わらず、汚れも劣化も見られなかった。

 タイトルは――ない。飾りもなにもない。本を開いたところで、すべてのページは白紙だ。

 ――そのはずだった。

 が、しかし。

「胸の病……もしかしたら――」

 それを見つめるシーラの、まるで宝石のように輝く瞳には、その本のタイトルが確かに映っていたのだ。

 黒表紙に刻まれた、古代文字。

 『アズラエル』――と。




 一方。

 シーラの部屋を出たその足で、ティースはまっすぐアルファの部屋へと向かっていた。

(……アルファさん、さっきはすごかったな)

 さすがはサン・サラスと言うべきだろうか。

 悲鳴を聞いてティースが温泉に駆けつけたとき、彼はすでにその場に現れた3匹の獣魔を退治した後だった。

 怪我人が出なかったのはその尋常ならざる素早い行動のおかげで、もちろん発作を起こしたマーセルを獣魔の爪から守ったのも彼ということになる。

 だからティースは任務の状況確認のついでに、その礼を言うつもりで部屋を訪れたのだった。

 コン、コン。

 部屋の前に立ち、控えめにノックする。

「……」

 相変わらず返事はない。部屋の明かりもどうやら消えているようだった。

(寝てるのかな……?)

 だが、彼の場合はそうとも断言できない。一応、声をかけてみることにした。

「アルファさん? 起きて――」

「起きてる」

 すると案の定、短い返事が部屋の中から返ってくる。そんな彼の変わった態度にも、ティースは少しだけ慣れてきていた。

「入りますよ」

 ドアを開けると、廊下の明かりが真っ暗な部屋の中に射し込んでいく。

 そんな中、アルファは相変わらずベッドの端に腰掛けて、窓際に飾られた花をじっと見つめていた。

 その視線は動かないまま、

「なにか用か?」

「あ、いえ。少し今日のことについてお話ししたいと思って」

 後ろ手にドアを閉める。……別に閉める必要はなかったが、開けっ放しにしているとなにか言われそうで、なんとなく閉じてしまった。

 部屋は再び真っ暗闇になる。

「明かり、点けないんですか?」

「……ああ」

 問いかけに、アルファは思い出したように答えて、

「点けたことがない。必要だったことがないから」

「そ、そうですか」

 確かに。特に動き回るわけでもない彼にとって、明かりを点けるほどの理由はなにもないのかもしれない。

 ティースは手探りで部屋を歩き、少しずつ慣れてきた視界の中、ようやく椅子を探り当ててそこに腰を下ろした。

 アルファはピクリとも動かない。おそらくティースが黙っていれば、いつまででも無言が続くことだろう。

「アルファさん、今日はホント早かったですね。おかげで、怪我人も出ずに済んだみたいです」

「……」

 アルファはなにも答えない。誉め言葉にはあまり興味がなさそうだった。

(……そういえばアルファさん、宿の人にお礼を言われても素知らぬ顔だったなぁ)

 感謝されることに、特別なことを感じないのだろう。見た目の印象通り無感動というか、任務だけをこなすロボットのようにも思えた。

 ただ、それでも彼の素早さが事態を収拾したのは確かである。ティースは素直にそのことに感謝しながら、

「俺なんか、急いで駆け付けたつもりだったんですけど、ぜんぜん気付くの遅かったみたいで――」

「明かりを、点けた」

「え?」

「明かりを点けたんだ。来るのはわかっていたから、待ち伏せしていただけだ」

「?」

 ティースにはその言葉の意味が理解できなかった。

 だが、アルファはそれを気にした様子もなく、

「誘蛾灯」

「誘蛾灯?」

 かすかに、部屋が明るくなる。

「え――」

 光源は、アルファの左手のすぐそばにあった。ベッドに立てかけてあった槍の穂先がわずかに光を放っていたのだ。

 ユラ、ユラ、ユラ、と。

「誘蛾灯……?」

「地の六十一族は爬虫類型の保護色を持つ獣魔だ。薄暗く視界の悪い洞窟内で戦おうとすれば、討ちもらす可能性が高い。入り口付近で待ち伏せするにも、あの辺りは雨のせいで足場も視界も悪すぎた」

 淡々と、アルファは言葉を続けていった。

「地の六十一族は雨を嫌う。知性は極めて低い。だから雨が降り止んだ後、残してきた『誘蛾灯』の光と人の気配に引かれて、この宿に姿を見せることはわかっていた」

 ユラ、ユラ、ユラ――。

「……わかって、いた?」

 つぶやいて、そしてティースの脳裏に今朝の出来事がよみがえる。

 ――かすかに光を発していた槍。帰り道、それでまるで目印を残すように、ところどころの石を打っていたこと。

 それが、おそらくは彼の持つ『誘蛾灯』という名の槍に秘められた特殊能力なのだろう。

 つまりは、知性の低い敵を、ある程度おびき寄せることができる能力――。

「それって……」

 それに気づいた瞬間、ティースの心臓は一度大きく跳ね、それから泥水のような感情が胸に湧いてきた。

「まさか……アルファさん。確実に敵を討つために、わざとヤツらをこの宿におびき寄せたってこと……?」

「そう」

「!」

 アルファは短く、そしてあっけなく肯定した。

 ……あっけなく? それはそうだろう。

 彼は合理的な考えに基づいて、任務を達成するために最善と思う行動を取った。その答えをためらう理由など、彼にはあるはずもなかったのだ。

 だが、ティースにとっては違っていた。

「そんな……だったら、マーセルさんはそのせいで――」

「?」

 そのとき初めて、ティースの言葉に怒気が含まれていることに気づいたのか、アルファは視線を動かし、その切れ長の目を彼のほうへと向けた。

 暗闇に浮かんだ青色の瞳は、そこに不思議そうな色を宿している。

 だが、ティースは押さえきれずに怒りを吐き出した。

「……いったいなにを考えてるんですか! そんなことをして、宿の人たちに被害が及んだらどうするつもり――!」

「及ばない」

「!」

 アルファは変わらぬ調子で淡々と続けた。

「ファナと約束した。任務は、出来る限り周りに被害を及ぼさないように達成すると。だから私は、被害が及ぶ前に敵を排除した」

「なにを言ってるんだ!」

 そんな彼の言葉は、さらにティースの怒りに火を付けた。

「あなただって見てたでしょう! マーセルさんは獣魔の襲撃に驚いて、それで発作を起こしたんだ! ……いや、そうでなくたって、なんの抵抗手段も持たない人たちをおとりに使うようなこと、許されるわけないじゃないかッ!」

「……」

 アルファは動かない。

 彼はどうやら、ティースがなぜ怒っているのかを理解していないらしく、しばらくは答えを探しているようだった。

 だが、やがて――諦めたように視線があらぬほうを向く。

「アルファさんッ!」

「……」

 返事はない。

 怒りを込めたティースの視線は、ベッド上のアルファを貫き、震える拳は今にも殴りかかってしまいそうに見えたが、それでもアルファは動かなかった。

 まるで傀儡師を失った人形のように。

 実際に、なにも感じてさえいないようだ。

「……!」

 ダン、と、床を踏み鳴らして。

 ティースは怒りのままに、アルファの部屋を退室したのだった。






 翌日の朝もまだ雨が降っていた。

 宿の一室には今も街の医師が待機している。彼が手にしているのは、ラダコーン草から作られた心臓の病に効くとされる塗り薬だった。

「気休め程度、ですが……」

 部屋を訪れた宿の管理人、アーカーソン夫妻の問いかけに、医師はそう答えた。

 一般的に普及しているその薬は、心臓の裏――つまり背中に塗布することによって、心臓の負担を和らげると言われている。

 だが、塗り薬であるがゆえに劇的な効果はなく、そもそもこの大陸において、心臓の病といえばほとんどが不治の病だ。もともとわずかな延命の効果しか望めず、ここまで悪化した状態においては、確かに気休めにしかならないだろう。

「ご家族には連絡しましたか?」

 医師の問いかけに夫妻はうなずいた。だが、それに妻の方が付け加えて、

「ただ、こちらに到着するのはおそらく1週間近く後になるのではないかと……」

 そう言った。

 どうやら妻の方は、マーセルの家の事情を少なからず聞いているようだった。……それもそのはず。なにしろ彼女はもう1年近くもこの宿に滞在し続けているのだ。

「それでは、おそらく間に合いませんな」

 初老の医師はやや冷たいとも思える口調で言った。

 もちろん彼にとってこの状況は真新しいものではない。ラダコーン草の群生地でもあるこの街には、心臓に病を抱えた者がよく療養にやってくる。当然、この街の医師である彼は、その死に目にあう機会が数え切れないほどあったのだ。

「次に発作が起きれば、おそらくもう」

「……そうですか」

 夫妻は暗い表情でうなずいた。

 ……故郷は遠く、見舞いに訪れる人間もいない。そんな彼女の境遇に、長く接してきた夫妻は少なからず同情していたし、単なる客として以上には彼女に対して親身な気持ちでもいた。

 だが、どうしようもない。

 医者でもない彼らには――いや、医者でもどうしようもない病を前にしては、ただ奇跡が起きることを祈るしかなかったのである。




 そして昼。

「ヤニス、カラッサ、アルセフィ、ラダコーン……」

 雨が窓を流れていく。太陽の光は厚い雲にさえぎられ、昼間だというのに部屋の中は薄暗い。カタカタと窓が音を立て、ときおり稲光のようなものが周囲を照らしていた。

「それと……黄昏の一葉」

 ひとりごとをつぶやくシーラの手元には、机の上に開かれた重厚な黒表紙の本、そして古代語の辞典。

 その足元には何種類もの薬草らしきものが並べられ、周囲はまるで荷物をひっくり返したように足の踏み場もないほどに散らかっている。

 細めた目の下は、彼女の疲労を表して薄く黒ずんでいた。いつも綺麗に整えられているはずの髪はわずかに乱れている。

「黄昏の、葉……」

 視線が宙を泳ぐ。

 黒表紙の本に記された『その薬』の材料は11種類。そのうちの3種類は彼女の手持ちの中にあり、7種類は街の薬屋で手にすることができていた。

 だが、最後の1ピース。

 それがどうしても埋まらないのだ。

 その本に記されている材料は、ほとんどがキーワードのようなもので表現されている。11種類のうちの10種類については、これまで彼女が長い月日をかけて解読してきた結果や、あるいは単純な連想で突き止めることができていた。

 ただ、最後のひとつ。

 本の中で『黄昏の一葉』と表現された材料については、これまでの解読の中でも登場したことはなく、そして彼女の記憶の中にあるどの薬草も連想させなかったのだ。

「黄昏……夕暮れ……西の方角……西国……?」

 あまりにあいまいすぎたし、無理にひねりすぎると今度はかけ離れてしまう。

「……ダメ。イチから考え直してみないと」

 この本を解読するにあたって、今回のような状況は珍しいことではない。いや、すんなり解読できることの方が珍しいぐらいだ。

 そして彼女の経験上、こういう場合の答えはたったの2パターンしかなかった。

 それがすでにこの地上に存在していない植物か。

 あるいは現在、薬草として用いられることがまったく認知されていない植物か。

「……」

 シーラは無意識に下唇をかんでいた。

 前者であれば絶望的。後者であったとしても、途方もない話だろう。

 常識の枠を外してしまえば、植物の種類などそれこそ無限に近い。その中から『黄昏の一葉』などというキーワードに収まる植物を探すのは、なんらかの偶然でも起こらない限り不可能に近かった。

「……!」

 机に叩きつけそうになる拳をグッとこらえる。

(よく考えるのよ……なにか、思い当たることがあるのではない……?)

 目を閉じ、深呼吸をして思考を巡らせる。だが、いったん熱を帯びた思考は同じところを行ったり来たりするだけで、しまいには自分がなにを考えていたのかすらわからなくなってしまう。

(どうしてこんな大事なときに……)

 イライラでさらに頭が熱くなる。思考が鈍る。

 悪循環だった。

(最初から、基本から順に……落ち着いて、焦らずに……よく考えて――)

 コン、コン。

 ノックの音に、思考が途切れる。

「……誰?」

「あ……」

 シーラの声はいらだちを隠し切れていなかった。ドアの向こうでもそれを察したのか、その声はいつも以上に遠慮がちで、

「入っても、いいか?」

「ティース? 今、忙しいの。邪魔しないで」

 イライラをぶつけるつもりはなかった。だが、声が思わず険を帯びてしまったのは、人の子である以上、仕方のないことだろう。

 だが、

「……シーラ」

 ドアは開いた。どうやら余裕がなくて鍵を掛けるのも忘れていたようだ。

 眉をひそめて振り返るシーラ。

「時間がなくて焦ってるのはわかるけど……少しだけ、休憩しないか?」

 そう言いながら部屋に入ってきたティースは、ティーカップを乗せたトレイを手にしていた。

「なにを言ってるの?」

 シーラは眉間に皺を寄せ、すぐに語尾が荒くなる。

「人の命がかかってるのよ? 休憩なんて――」

「わ、わかってるよ。でも……」

 ティースはその剣幕にたじろぎながらも静かに反論して、

「何度か様子を見に来てたんだけど……お前、なにか行き詰まってるみたいじゃないか。そういうのって、あまり根を詰めすぎるとかえって悪いしさ。ほら、いったん気を落ち着けて。そうすると、案外簡単に答えが見つかったりするもんなんじゃないか?」

「……」

 一瞬、反論しかけたシーラだったが、やがて考え直したのか少しだけ視線を泳がせると、小さく息を吐いて、

「……そうね」

 結局素直にうなずいて本を閉じた。

 確かに思考は袋小路だった。時間をかければ抜け出せるという類のものでもない。それに、彼が様子を見に来たことにすら気付いていなかったのだとすれば、いったん休憩することも必要かもしれない、と、そう思った。

「……」

 そんな彼女に、ティースもホッと安堵の息を吐いて、空いていたソファに腰掛ける。そしてテーブルの上にトレイを乗せると、

「紅茶、もらってきたんだ。あ、お菓子はないんだけど」

「いいわ。ありがとう」

 シーラもまた彼の向かいのソファへ移動し、乱れた髪を手で整えながら目の前に出されたティーカップを手に取る。

 口を付けると、あたたかな液体がのどを通って、体中に広がっていくようだった。

 ……少し気分が落ち着く。

 視線は窓の外へ。

 相変わらずの雨。

「……ごめんな。考えごとの邪魔しちまって」

「ん」

 紅茶に口をつけたまま、シーラはあいまいな言葉を返した。

「マーセルさんのことはもちろん心配だよ。でも、ホント言うと、お前のことも心配でさ。お前、昔っから結構無茶するタイプだったから……」

「……」

 無言で窓の外から視線を戻すシーラ。

 見つめられたティースは少し気を遣った様子で、

「あ、いや、昔の話だよ。今は……今のお前はそうでもないのかも」

 ごまかすように自分の分の紅茶に口をつけたが、すぐ思い直したように続けて、

「でもさ。あまり責任とか、そういうものを背負いすぎないでくれっていうか。今回のことはお前が悪いわけじゃないし……お前ってこういうとき昔から……あ、ああ、いや。今はそうじゃないのかも――」

「……思い出した」

「え?」

 怪訝な様子で顔を上げるティース。

 そんな彼に、シーラはほんの少しだけ笑みを見せた。それから視線を手の中のティーカップへと移す。

 揺れる琥珀色の液体からは、まだ湯気がたっていた。

「お前の名の由来よ。ティーサイト」

「……へ? 俺の名前?」

 すぐにはその意味を理解できなかったようだ。……いや、それも仕方あるまい。確かにシーラの言葉は、それまでの会話の流れをまったくと言っていいほど無視していたのだから。

「ふぅ……」

 落ち着いた吐息をもらし、無言のまま紅茶を口にするシーラ。

 しばらく続く沈黙の時間。

 ただ、流れる空気はいつになく穏やかだった。

 ……ややあって。

「助かったわ」

 空になったティーカップが、ティースの目の前にあるトレイに戻された。

「本当はお前の言うとおり行き詰まってた。これでまた冷静に考え直せそうよ」

 ティースはポカン、とした顔で、

「……え?」

「なに?」

「あ……あ、いや! えっと……はは、いや。役に立てたなら本当によかったよ、うん」

 頭をかきながら、手持ちぶさたな様子でトレイの上のティーカップを手に取る。

 ……どうやら素直に礼を言われたことが意外で、思わず挙動不審になってしまったようだ。

 ティースは手にしたカップに口をつけて中身を飲み干した――飲み干そうとしたが、中身はすでに空だった。

 ……いや。

「ティース。……それ、私のティーカップだけど」

「え? うわぁっ!!」

 ガシャン!!

「ちょっとティース。落ち着きなさ――」

 だが、シーラが言い終わる前に、ティースは口を押さえながらブンッと頭を下げて、

「す、すすすすすまん! お、俺、いまなんかボーっとしてたみたいで!」

「……見ればわかるわよ」

 慌てるティースとは対照的に、シーラの突っ込みは冷静だった。彼が落としたティーカップを拾い、その縁を確かめながら、

「割れてないみたいね。……なに? 今度はカップにでも歯をぶつけたの?」

「っ!」

 その言葉で、ただでさえ赤くなっていたティースの顔がさらに真っ赤に染まった。

「そっ……そそそそそんなことッ! べ、別にっ……!」

 どうやら昨日のことを思い出してしまったらしい。口を押さえたまま、呼吸するのも忘れているようだ。

「……」

 それを見たシーラは少しだけ困ったように視線を泳がせると、やがて小さく息を吐いて言った。

「もう、忘れなさい。昨日はどうかしてた。でも私は気にしないのだから、お前が忘れてしまいさえすれば、すべてなかったのと同じことよ」

「う……ああ……そ、そうは言うけどさ。でも……」

 もちろんティースにも言い分はあった。なにしろそれは彼にとって初めての体験であり、そして相手が相手でもある。それをすぐに忘れろなんてのは、彼にしてみればあまりにも無茶な要求だったのだ。

 とはいえ。

「いいから。忘れなさい」

「……わ、わかったよ」

 有無を言わせぬ調子でそう言われてしまえば、可能か不可能かは別として、そう答えるしかなかったのだった。

「それで……マーセルの様子は、まだ変わりない?」

 ソファを立ち、再び机の方へと戻っていくシーラ。

 ティースは2つのティーカップをトレイに乗せながら答えた。

「あ、ああ……今のところは。大丈夫ってことはないけど、大きな変化はないみたいだ。けど先生が言うには、いつ発作が起こってもおかしくないって……」

「そう」

 その口調に、ほんの少し焦りが混じった。だが、すぐにそれを振り払うように小さく首を振る。

「じゃあ、私はまた作業に戻るから。なにか異常があったら知らせてちょうだい。それ以外は、もう来ないで」

「わかった」

 言い方こそ冷たかったが、そこに感謝の意がこもっているらしいことは鈍感なティースにもわかった。

「じゃあシーラ。最後に……ちょっとだけいいか?」

「?」

 不思議そうに振り返ったシーラは、ティースが手にしているものを見てさらに怪訝な顔になる。

「なに?」

「なんだと思う?」

 彼にしては珍しくもったいぶった言い方だった。

「なにって……花のつぼみね」

 見たままを答えるシーラ。

 植木鉢に植えられたそれは、根本付近に赤味を帯びた葉をたくさんつけた一輪の花だった。

「なんの花か知ってるか?」

「……」

 シーラは視線を泳がせた。

 彼女は薬草についてはもちろん詳しいが、それ以外の植物については特別に詳しい方でもなかった。花を愛でる感情はあるが、それに執着するほどでもない。

 考えた末、

「……わからないわね。せめて花が開いた状態でないと」

「そっか」

 ティースはちょっとだけ嬉しそうにうなずいて、得意げに答えた。

「これはレティオーレっていう花なんだ。ほんの一瞬しか開かないけどとても綺麗な花で、花が開く直前にはこの葉っぱが緑から赤っぽい色に――」

 だが、ティースがすべて言い終わる前に、

「レティオーレ? ……レツィアーレじゃなかった? 私もちょっと聞いたことがある程度だけど」

「……え」

 得意げだったティースの顔が、アッという間に赤くなった。

「そ、そう。レツィアーレだ……」

 一気に勢いを失った彼の姿に、シーラは苦笑して、

「誰に教わったのか知らないけど、中途半端な知識はひけらかさない方がいいわね」

「いや……実はちょっと前、たまたまセシルに教わったばかりでさ」

 ティースは赤い顔のまま素直に詳細を暴露して、照れ隠しに頭をかいて笑う。

「で、ほら。ちょうど葉っぱが赤くなってるだろ? これが花が開くサインらしくて……あと2時間ぐらいで開くはずなんだ。セシルが言うには、戦争が中断したって伝説があるぐらい綺麗な花らしいし、気分を落ち着けるには丁度いいんじゃないかなと思って」

「そうね。じゃあ……そこに置いといて」

 うなずいて、シーラは窓の縁を指さした。

 チラッと時計を見る。

(2時間……か。それまでにはどうにか解決の糸口ぐらい見つけたいけど……)

「ここでいいか?」

「いいわ」

 そちらを見ずに答えて、シーラは机に向かう。もう無駄な時間を使うつもりはないようだった。

 ティースも、あとは無言で部屋を出ていくだけ。


 ――いや。


「……ティース?」

「え?」

 出ていこうとしたティースだったが、部屋の入り口まで行ったところで、呼び止める声に再び振り返っていた。

 呼び止めたのは、もちろんシーラだ。

 だが、

「どうした?」

 ティースが振り返った視線の先で、彼女は机に向かったまま宙を見つめていた。

 まるで惚けたように。

 ゆっくりと……驚いた表情で彼を振り返る。

 そして目を見開いたまま、言った。

「お前……さっき、なんて言った?」

「え?」

 なんのことかわからずに戸惑うティース。だが、そんなことを気にした様子もなく、シーラはハッとした表情で窓際に視線を移した。

 その視線の先にあったのは、ティースが先ほど設置したレツィアーレの花。

「2時間ぐらいと言った? 2時間? そう……レツィアーレは確か、夕方の少しの時間だけ花を咲かせる――」

「シーラ?」

「夕方に咲く花……夕方の花――」

 そのつぶやきは、急激に熱を帯びた。

 そして、

「――まさか、黄昏の花ッ!?」

 ガタンッ!!

 椅子が派手な音を立てて倒れ、そのままシーラは窓際に駆け寄っていった。

「お、おい、シーラ。なにを言って――」

「ティースッ!」

「え!?」

 レツィアーレの植木鉢を手にしたシーラは、鬼気迫る表情でティースを振り返ると、

「お前は今すぐマーセルの様子を見に行って! あと3時間……いえ、2時間でいいわ! なんとしてでも、彼女の命を保たせなさいッ!」

「えぇっ!? も、保たせるったって、どうやって……!」

「なんでもいい! とっとと行きなさいッ!」

「は、はいぃッ!!」

 反射的に返事をして、ティースは弾かれたように部屋を飛び出していった。

 それを見送ったシーラは、レツィアーレの鉢植えを抱えたままドアを閉め、鍵をかけるとすぐに机に向かった。

 そして、黒い背表紙の本を開く。

「黄昏の花……黄昏の葉……」

 そして根本に蓄えられたたくさんのレツィアーレの葉を一枚ちぎると、それを窓から射し込む薄暗い光にかざした。

「ぜんぜん聞いたことがないし、違うかもしれない……でも、試してみるぐらいの価値はあるはずよ――」


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