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デビルバスター日記  作者: 黒雨みつき
第4話『慟哭・縁・訣別』
32/132

幕間『エリートたちの晩餐』


 サンタニア学園。

 広大な敷地と優秀な設備を擁するこの学園は、そこに開かれた10以上の学科から各分野のスペシャリストを年に何人も輩出しており、卒業生のリストには他領の重鎮が幾人も顔を並べている、この学園都市ネービスの中でも3本の指に入る名門学園だ。

 それもいわゆる坊ちゃん嬢ちゃん御用達の学園ではない。その門戸は広く一般にも開放されており、いわば夢を持つ一般市民にとっての登竜門的な場所でもあった。

 さて、その広い敷地を持つサンタニア学園のとある一角。

 そこに、薬師を目指す人々の集まる薬草学科の建物があった。薬草に関する知識やその調合法、毒草の見極め方やその利用法までを教えているところだ。

 この日の放課後、その薬草学科の学舎から出てきたひとりの少女がいる。

 輝くばかりの綺麗なブロンドの髪を持ち、ひときわ目立つ端正に整った顔立ち。隙のない凛とした姿勢で正門のほうに歩いていくと、周りにいる幾人もの生徒が男女問わず彼女に視線を奪われていた。

 彼女の存在をすでに認知済みであり、その顔をそれなりに見慣れているはずの人々が、である。

 と、そんな、ある意味異様な雰囲気の中、

「おぉーい。シーラぁ」

「?」

 彼女の後ろを追いかけるように、学舎から出てきたもうひとつの影があった。

 ポニーテールを揺らして振り返り、追いかけてきた人物の顔を確認すると、人形のようだった顔立ちがほんの少し緩んでそこに笑顔が浮かぶ。

「ディアナ」

 どうやら少女――シーラにとって、かなり親しい間柄のようだ。

「聞・い・た・わ・よぉー」

 ディアナと呼ばれたこの人物は、シーラと同じ薬草学科の同級生であり、1年と1ヶ月ほど年上の少女だった。

 学園内の女性比率がそれほど高くない中で、特別相性の悪くなかった彼女らがこうして親しくなったのは当然の流れだといえるだろう。

「なに?」

 ディアナが追いつくのを待ってから、シーラはそう聞き返した。

 肩を並べると若干シーラの方が背が高く、ディアナの人なつっこそうな丸い顔立ちも手伝ってか、2人の年齢は実際よりも逆転して見える。

 そのまま、2人は並んで歩き出した。

「あんた、法務学科のお坊ちゃんと最近仲がいいらしいじゃなぁい?」

「誰のこと? あそこはそういう感じのが多すぎて区別つかないわ」

 そっけなくそう返したシーラは、とぼけているというよりは本当に興味がなさそうな態度だった。

 その返答に、ディアナは特に意外そうでもなく、ただ少しつまらなさそうにして、

「なんだぁ。また玉砕しただけの話かぁ」

「ここを社交クラブかなにかと勘違いしてる連中のことなんか、いちいち覚えてられないわよ」

「うわ、相変わらず言うねぇ。うまくいけば玉の輿なのに。アレでも将来はきっとエリートよ?」

「興味ないわ」

 学園の敷地を出ると、半数以上の生徒がそのまま南の方角に向かっていく。それはつまり、一般住宅地から通っている人間が多い証拠だ。

「相変わらず真面目ねぇ。ていうか、やっぱりオーウェンひとすじなんだ?」

「どうかしらね」

 やはりそっけない様子でシーラはそう答えた。

 オーウェン=トレビック。その名を持つ少年はやはり薬草学科の同級生で、ディアナと同い年の16歳だ。

 背が高くそれなりにハンサムながら、性格的にはやや地味でそれほど目立つ存在ではなかった。ただ、学園一の美少女とうわさされるシーラとの関係が表に出てからは、逆に薬草学科で一番有名な男子学徒になってしまったという、運がいいのか悪いのかよくわからない人物である。

「相変わらずお熱いこって」

 おちゃらけてそう言ったディアナは、それからわざとらしく周りをキョロキョロ見回して言った。

「で、そのオーウェンくんの姿が今日は見えないみたいだけど、どしたの? 倦怠期?」

「まさか。あり得ないわ」

 シーラはあきれ顔で反論する。

 1日程度顔を合わせなかっただけで倦怠期なのであれば、世界中の恋人は大半が倦怠期なんじゃないだろうか、と、シーラはそんなことを考えながら、

「彼には彼の生活があるでしょう。毎日毎日付き合わせるわけにもいかないわよ」

「あらら、いいのかなぁ。あんたのことだから、たった1日離れただけでも変な虫がいっぱい寄ってきちゃうんじゃないのぉ?」

「そうね。でも仕方ないわ、こういう顔だから」

 しれっと返ってきた言葉に、ディアナは苦笑して、

「あんた、そういうことばっか言ってるといつか友達なくすよ? まあ、そこまでストレートだと逆に嫌味にすら聞こえないけど」

「……」

 一瞬だけ空白があって、シーラは答えた。

「顔の善し悪しなんて、きっと取るに足らないことよ。それで望みが叶うわけでもないわ」

「なに言ってんのよ。金持ちのいい男が見つかるじゃない」

「どんな顔をしていたって、世界中の人間が振り返るわけではないでしょう?」

 大通りを南に下っていくと、人の波が徐々に小さくなっていく。

「そんなもんかなぁ。あんたの場合は全員振り返りそうに思えちゃうけど」

 2人の足はいつも通りの道をたどり、やがてパン屋の角に差し掛かると、

「あ、それじゃ、あたしはここで」

 ディアナはそこで向きを変えた。

「ええ。また……あさって」

 翌日は休校日だ。

「ん。じゃね。……あ、それと」

 別れぎわ、ディアナはちょっとだけ眉をひそめて、

「言おうかどうか迷ったんだけど、あんた、今日はちょっと顔色悪いよ。明日はちょうどお休みだけど、調子悪いならちゃんと休んだ方がいいからね?」

「……」

 指摘されたことが意外だったのか、シーラはやや意表を突かれた顔をしたが、やがて目を閉じ、ゆっくりと首を横に振る。

「いいえ。大丈夫よ」

「……そう。じゃ、また」

 諦め顔で、ディアナはそれ以上はなにも言わずに路地に消えていった。

 シーラはそれを――いつもより心なしか優しい視線で見送ると、やがてきびすを返して歩みを再開する。

 大通りの喧噪は、いつも通り。

「……」

 そのうちに、彼女の顔は再び冷たい表情を形作っていく。

 すれ違う人々から受ける好奇の視線も、たまに声をかけてくる好色そうな男への対応も、彼女はとうの昔に慣れてしまっていた。

 できる限りひとりにはならないようにしているし、ひとりのときは人気のない道を極力避けている。

 それに、万が一襲われたときの対応も万全だ。ある程度の護身術も心得ているし、普通には手に入らない特殊で危険な薬も常に服の下に忍ばせてあるから、いつかのように相手が『魔』だったりしない限りめったなことはない。

 実際、誰にも明かしていないものの、それを使用する機会はこれまでにも何度かあった。

 ふと足を止め、道端に並ぶ建物のガラスに自らの姿を映してみる。

 そこに映ったのは、いかにも愛嬌のない、どこか不機嫌そうにも見える見慣れた顔。

「……」

 鏡を見たことはもちろんある。風聞だって耳に入ってくる。自身の容姿について周りがどんな評価をしているのか、当然のように知っている。

 彼女自身としては、目元がちょっときつすぎるとか、もう少し丸みのある輪郭が良かったとか、色々注文がある。

 だが、周りの人々に言わせれば彼女は『完璧な』美少女らしかった。

(……見慣れてしまえば、全部同じじゃないの)

 馬鹿馬鹿しくなってガラスから離れる。

 実を言うと、彼女は自分の顔があまり好きではない。

 ……昔は好きだった。周りにちやほやされるのは嫌いじゃなかったし、可愛い可愛いと誉められるのも悪い気分じゃなかった。

 だが、年を経るに連れ――特にこのネービスに来てからというもの、それが逆に厄介事を産み出す原因になってしまっている。

 将来有望で優秀なエリートコースの学徒だとか、貴族のひとり息子だとか、大商人の跡取り候補だとか、彼女はそんなものにいっさい興味はないのだ。

(……ホント、くだらない)

 思考がマイナス方面へばかり転がり続け、イライラが募ってくる。

 本来ならばとっくに割り切ってしまっているはずのこと。なのに必要以上に気分が沈むのは、そこにまったく別の要因――別の心配事があったからだった。

 通い慣れた道を曲がって路地へ入っていく。少しデコボコして足を取られそうになる道だが、歩き慣れている彼女にとってはさほど苦でもなかった。

「……」

 そこはあまりいい記憶のない路地だったが、今はまだ人通りがある。それに他のルートはさらに人も少ないし、それ以外を通るならぐるっと大きく遠回りをしなくてはならなかった。

 3分ほどで路地を抜けると、やや広めの道に出る。中央大通りほどではないが、馬車が2台は楽に通過できる道で、そこに沿って歩けばやがてミューティレイクの屋敷が見えてくるはずだった。

(……あら?)

 ガラガラガラガラ。

 彼女の横を1台の馬車が追い越していく。装飾を施されたそれは、どう見ても貴族の馬車だった。

(珍しい。この道を向こうに行くってことは、ファナのお客かしらね)

 ミューティレイクの屋敷は、有力貴族としては少々変わった場所――高級住宅地と一般住宅地のちょうど境目辺りに位置している。

 だから、貴族風の馬車がこっちの方角に向かっているのであれば、ミューティレイクの客だと思ってほぼ間違いなかった。

「……」

 赤味を帯び始めた夕日をその視界にとらえながら、そのあとは立ち止まることもなく淡々と帰路をたどっていく。

 ――その背後、およそ10数メートルの位置。

「ふふ。ふふふふふ……」

 どこか気味の悪い笑みを浮かべながら同じ方向に歩く、やや常軌を逸した雰囲気の男の存在に、結局彼女は気付かなかった。






 太陽が徐々にオレンジ色を帯び始めていたころ、カレル=ストレンジは、だだっ広い建物の通路をやや早足で歩いていた。

 まるでその性格を表すかのように、冷徹に同じリズムを刻む足音。

「……」

 軍服のようなきっちりした黒い服に身を包み、腰にはひと振りの剣を携えている。

 身長は180センチ弱、真っ黒な髪は長くもなく短くもない長さで、やや後ろに自然に流してある。かなりのハンサムだが目つきは異様に鋭く、優しいとか穏やかとかいうものとはまるで無縁の印象だった。

 年齢は……20代前半だろうか。窓から射し込む夕日が、両袖に刻まれた『肆』の字をオレンジ色に染め上げていた。

 と。

「……ん?」

 ピタリと足を止め、カレルはその鋭い視線を横に移動させた。

 視線の先にあったのは、とある部屋の入り口。……いや、部屋というには少し広すぎるだろうか。

 そこはだだっ広い鍛錬場の入り口だった。

「……」

 聞こえた歓声にカレルは眉をひそめ、そしてちょうど鍛錬場から出てきたひとりの男を呼び止める。

「おい。なんの騒ぎだ」

「ん? ……あっ、カ、カレルさん!」

 出てきた男は、まるで厳しい教師に見つかった生徒のような顔をした。……いや、どうやら彼らにとって、カレルというのは実際それに類する存在のようだ。

 だが、カレルはそんな男の態度など意に介することなく、

「自主訓練にしちゃずいぶんと騒がしいな。お前ら、なにをやってる?」

「あ、はあ、それが――」

 おそらくカレルより2、3歳は年下だと思われる男は少し言いにくそうにしながら、それでも自らに向けられた視線の威圧感に耐えられず答えた。

「先ほど他流試合の申し込みがありまして。今、キャシアスがその相手をしていたんです」

 それを聞いたカレルの視線がますます鋭くなる。

「他流試合だと? 誰が許可した?」

「そ、それは私にはちょっとわかりま――あ、た、ただ。もちろん許可はいただいているはずですよ」

「……」

 眉間にしわを寄せ、カレルは鍛錬場の中に目を向けた。

(……あれか)

 鍛錬場の中央、野次馬が集まっているためによく見えなかったが、そこには確かにカレルの知っているキャシアスという青年がいて、それと向き合うように見知らぬ男が立っている。

 そして周りの野次馬たちはニヤニヤと試合を眺めていた。

(キャシアスが受けたってことは、許可を出したのは『ヤツら』の方か……)

 歓声。

 どうやらキャシアスの太刀が、相手の太刀を弾き飛ばしたようだ。

 笑い声。――冷笑。

(……ふん、くだらん)

 試合というよりは一方的に嬲っているのだろう。キャシアスと対峙している男は遠目にも動きが鈍っていたし、半分戦意を喪失しているようにも見えた。

「あ、あの、カレルさん……」

「……」

 カレルは目の前の男を一瞥すると、なにも言わずに背を向けた。

 許可を得ているのであれば口を挟むことはできなかったし、それに彼は今そんなことに構っているヒマはなかったのだ。

「……ああ、そうだ、お前」

 途中で思い直したように足を止め、振り返って問いかける。

「どこかで、ラドフォードを見なかったか?」

「え、ラドフォードさん、ですか? 見てませんが……」

「そうか。ならいい」

 すぐに早足に立ち去ると、背中に、笑い声がもう一度聞こえてきた。

 他の場所へ足を向ける。

(ふん……)

 すれ違う人々から向けられるのは、その大半が尊敬と畏怖の視線だ。その中を、カレルはいかにも近寄りがたい鋭い雰囲気をまとったまま、やはり淀みのない足取りで進んでいく。

 ――しかし。

「ちっ……」

 自室、鍛錬場、中庭、武器庫……いくら建物自体が広いとはいえ、ひとりの人物が訪れる可能性のある場所などたかが知れているはずだったが、どこへ行っても、彼の探すラドフォードという人物の姿は見えなかった。

 探し始めてから30分以上は経っただろうか。

「どこ行きやがった」

 ラドフォードの私室を出たところで舌打ちしたカレル。クールな表情の中にもほんのわずかにイライラの色が見え隠れしていた。

 と――突然、

「……どうしたんだい、子猫ちゃん」

「うぉおっ!?」

 妖しげな中高音のささやきが響いたかと思うと、耳元に生暖かい息が吹き付けられた。

 反射的に身をひるがえす。

 すると、そこに立っていたのは、

「ふふっ……水くさいじゃないか、カレル。ひとりでなにを悩んでいるんだい?」

 女性――いや、美青年だろうか? カレルとまったく同じ、きっちりとした軍服風の制服に身を包み、胸の前で左手に右肘を乗せ、右手は口元に当てて妖艶に微笑んでいる。

 身長はカレルよりは少し低く、170センチなかばといったところだろうか。金髪だったが、カレルとお揃いのような髪型で、その両袖には『捌』の字が刻まれていた。

「……リゼット、テメー」

 鳥肌の立つ首筋を押さえたカレルに、リゼットと呼ばれた人物はウインクとともに右手の人差し指と中指で軽く投げキッスをして、

「さぁ、カレル。遠慮することはないよ。君の抱えている悩みをすべて、隠すことなく、赤裸々に告白してくれ。僕がそのすべてを受け止めてあげよう」

 カレルは眉間にしわを寄せながら、やや抑え気味の口調でそれに答える。

「……失せろ。オメーの存在自体が悩みの種だ」

「ええっ、そんな!」

 リゼットは目を見開いて、

「そんな、急にプロポーズされても困っちゃう――」

「……どんだけ無理やりな解釈なんだよッ!」

 思わず声を荒らげたカレル。だが、そんなごく真っ当な突っ込みも通じることはなく、リゼットは憂いを帯びた表情で深いため息を吐くと、

「ごめんね、カレル。君は素敵な子猫ちゃんだけど、僕はまだひとりのものにはなりたくないんだ。こんな罪な僕を許しておくれ」

 ピキ。

「おい。気色ワリィ冗談もたいがいにしねぇと……殺るぞ、コラ」

「え、冗談なんかじゃ――うわ」

 首から数十ミリの距離まで接近した白銀の刃に、リゼットはようやく両手を挙げて、

「ま、待ってよ、カレル。早まっちゃダメだ。よく考えて」

「オメーこそ人生やり直すことでも考えてろやッ!」

 マジ殺意のこもった強烈な突っ込みに、リゼットは降参してため息を吐く。

「もう、しょうがないなぁ。照れ屋さんなんだから。……ごめん。もうしないから。今日のところは」

「……」

 カレルは疑わしげな視線を向けていたが、これ以上は無駄だと悟ったのか、無言のまま剣を鞘に収めて背を向けた。

「探しているのは、ラドフォードさん?」

 ピタリと足を止め振り返る。

「お前、行き先を知ってんのか?」

「僕は知らないよ。でも、ルーベンが知ってるんじゃないかな? 1時間ぐらい前に2人でなにか話してたから」

「……ちっ、ルーベン、か。また厄介なヤツに――」

「え、呼びました?」

「……」

 注目した視線の先。

 あまりにもタイミング良く通路の向こうに姿を現したのは、やはり彼らと同じ黒い制服を着た青年だった。

 色白で童顔、いかにも病弱そうな外見は青年というよりは少年っぽく見えるが、年齢はおそらく20歳前後だろう。天然のものか髪の色は白髪に近く、この大陸でも比較的珍しい髪の色だった。その両袖には『陸』の字が刻まれている。

 そして開口一番、

「カレルさん。リゼットさんも、こんにちは。今日も夫婦で仲睦まじいですね」

「ルーベン。てめぇも初っぱなからケンカ売ってやがんのか」

「嫌よ嫌よも好きのうちといいますし」

「……。立ち聞きしてたんなら話は早ぇ」

 眉の辺りにややイライラが見え隠れしながらも、カレルはなんとかこらえて流した。

 このルーベンに関しては、リゼット以上に突っ込みが通じない相手だということを、彼は身をもって知らされているのだ。

「ラドフォードの野郎はどこだ? 知ってんだろ?」

「あー」

 その問いに、ルーベンは少しだけ首をかたむけて、

「ラドフォードさんなら色々用事があるって出掛けましたよ。学園群の元締めさんやディバーナ・ロウの総帥さん、あ、あと、ミューティレイクの当主さんにも用事があるんだそうで。なので、遅くなるそうです」

「……全部同じ人間じゃねーか」

 そこへリゼットが口を挟む。

「要約すると、この前の警備についての議論を煮詰めて、あとはデンジャラスでアバンチュールなアフターファイブを楽しもう、ってことじゃないかな」

「どこが要約だ、余計にわかんねぇよ。……とにかく。あいつがミューティレイクに行ったのは間違いないんだな?」

「至極つまらない言い方をすればそういうことだね」

 リゼットがそう言うと、カレルはただでさえ鋭い目をさらに細めて、

「で、テメーも実は最初から知ってたわけか」

「ち、違うよ。ルーベンの話を聞いてピンときたんだヨ」

「……」

 怒る気すらも失せ、カレルは2人に背を向けた。

「ミューティレイクへ行く。ルーベン、お前もついてこい。リゼット。お前は絶対についてくんな」

「ええ!? 僕だけ仲間外れなんてひどいじゃないか! どうして!?」

「てめーの胸に手を当てて考えてみろ」

「胸?」

 リゼットはきょとんとした顔をして胸に手を当てると、その直後、少しだけ頬を染めて微笑んだ。

「もしかして僕の胸に興味があるのかい? ふふっ、カレルってば、見掛けによらずスケベさんなんだか――」

 白刃がきらめく。

「死・ん・で・み・る・か?」

「あ、ああ危ないよ、カレル。け、剣は仲間に向けるものじゃないだろう?」

 刃の向こうにあるカレルの視線がさらに鋭くなる。

「ワリィな、リゼット。俺にとっての仲間ってのは、俺に不利益を与えない人間のことを言うんだ」

「は、はは……」

 突きつけられた切っ先を前に、リゼットは笑顔を引きつらせながら後ずさった。

 と、そこへ、ルーベンが急に歌い出す。

「愛し合う~ふたりは~いつもすれ違い~」

「……」

「すれ違ったまま~ジジイになって~ポックリポックリ死んでゆく~」

「どんな歌だ!」

 カレルの突っ込みに、ルーベンはさも心外だといわんばかりの表情を作って、

「え、知らないんですか、カレルさん。巷では大流行ですよ。ベストヒットですよ」

「嘘つけよ! 絶対に今即興で作った歌だろッ!!」 

「いやいや。1年後にはきっと大ヒットです。間違いないです」

「んなもんが大ヒットするなら、俺なんかとっくにどっかの国の領主にでもなってるわ!」

「いやぁ、そりゃムリだろ」

 ピクッとカレルのこめかみが動く。

「いきなりタメ口か、コラ」

「だって、ムリですから」

 そこへリゼットも2度うなずいて口を挟む。

「うん、カレルにはムリ。領主っていうよりは犯罪組織のエージェントみたいだし」

「く……!」

 こうして2人におちょくられる様は、とても部下たちから尊敬され恐れられるカレル=ストレンジとは思えない姿だった。

「……ともかく」

 こめかみをピクピクさせながらも深呼吸で自制し、カレルは剣を鞘に収めた。

「ミューティレイクへ行くぞ。ルーベン、ついてこい」

「はい、カレルさん」

 素直にうなずくルーベン。

「ねえ、カレル。僕は?」

「だから、お前は――」

「もしダメだって言われたら、君が帰ってくるまで延々と受付嬢を口説いてることにするよ? 隊内の風紀が乱れてもいいのかい?」

 脅しなのかなんなのかよくわからなかったが、それでもカレルはこめかみを押さえながら小さくため息を吐いて、

「……勝手についてこい」

「ふふ、ありがと、カレル。愛してるよ」

 チュッと音を立てたリゼットの投げキッスに、カレルのこみかみが再びピクリと動いたが、それ以上はなにを言うこともなく。

 3人はそうして建物を出ると、道行く人々の注目を集めながら南へ向かって移動を始めたのだった。






 その人物の第一印象をたったひとことで表すすべを、シーラは知っていた。


「嬢ちゃんはミューティレイクの関係者か? だったら悪いが、ファナさんへ取り次いでもらえないだろうか?」

「……」

 ミューティレイク家の正門まで約100メートル。

 その場所で突然声をかけてきた人物。振り返った視界に立っていたひとりの男。

 まず目についたのはフサフサとした、まるでライオンのような髪。背の高さは180センチ以上、彼女の昔馴染みの青年――ティースと同じぐらいはあるだろうか。ただし、童顔で頼りなさげな彼とは違い、いかにも男くさい、ゴツイ印象の人物だ。

 歳は彼女よりもずっと上、20代なかばから後半といったところだろうか。

 ただ、彼女の脳裏に浮かんだ第一印象は、そういう容姿的なものとはちょっと関係がなかった。

(……変態?)

 そのひとことである。

 右手には花束。男の印象からするとミスマッチだったが、それは問題ではない。

 問題は――そう。服装である。

 下半身は至極まともだ。いや、そこがまともでなかったら、彼女は立ち止まることなく一目散に逃げ出すか、あるいはあらゆる危険な手段を用いてでも男の意識を奪う作戦を実行に移していただろう。

 上半身。

 上着はあまり飾り気のない、それでも比較的生地の良い下とお揃いの黒服だ。袖は肘の上までまくってあり、すそは長くて太股の辺りまである。前をボタンで止めるタイプの服だったが、男はそのボタンを止めていなかった。

 そこまではいい。

 問題はその上着の中に着ている服だ。

 ……いや、そう言うと語弊があるだろうか。

 着ているものが問題なのではない。『着ていないこと』が問題なのだ。

 つまり……ボタンを止めていない上着からは、筋肉隆々の素肌と、そこをほんの少しだけ黒く染める胸毛がそのままのぞいていたのである。

「……」

 シーラは無言のまま空を見た。

 まだ夕日が出ているとはいえ、季節柄、風は冷たい。

 今が夏であるならば、まだいい。外で働く男たちの中には上半身裸という者も珍しくはない。

 だが、今は11月。大陸でも北に位置するこのネービスは、すでに冬支度も始まっているという季節だ。

 そんな時期に上着1枚、わざわざその袖をまくり、前のボタンを止めないままで歩いていれば、それは充分に変人だった。貧乏で服が買えないというのならばともかく、服の質自体が良いことから考えても、それはないだろう。

「ん? どうした、嬢ちゃん。俺の顔になんかついてんのか?」

「……」

 顔じゃなくて体の方だ、と突っ込みたかったが、そこはグッとこらえた。

 そして、ミューティレイクの門を指さして、

「……直接あっちに掛け合ったら?」

「いや、それがな」

 男は左手でわずかに無精ひげの生えたあごを撫でて、

「不思議なことに、まったく取り合ってもらえんので途方に暮れていたところだ」

「……当たり前じゃないの」

「ん? なんだ?」

「いいえ」

 表面上は涼しげな顔のまま答え、それから少しだけ考えた後、答えた。

「ファナは確か外出中よ。今日は戻ってこないわ」

 もちろん口からでまかせだった。

 だが、男はあっさりと信じたらしく、

「な、なにぃぃぃっ!? そ、それは本当かっ!?」

「本当よ。残念ね」

 結論――関わり合いにならない方が良い。

 シーラは男に背を向けて歩き出した。

 だが、

「ま、待ってくれ!」

「!?」

 男はびっくりするような早足で、立ち去るシーラの真横に並ぶと、

「や、約束していたんだぞ!? 今日のこの時間に訪ねていくと言ったら、ファナさんはあの女神様の微笑みで『お待ちしております』なんて……ぐおぉぉぉっ、あの笑顔を思い出しただけで胸の奥が焼け焦げるようだぁぁぁぁっ!!」

「……」

「おっ、な、なんで急に早足に……」

「……」

「ま、待ってくれ! ちょっと待つんだ、お嬢――」

「シーラ様、お帰りなさいませ」

「ええ。……警備、ご苦労様」

 ガシャン!

「おっ!? な、なにをする! は、離せっ! 離さないかっ!」

「さっさと去れ! 去らんと警邏隊を呼ぶぞ!」

「な、なぜだぁっ! 俺はファナさんとちゃんと約束を、約束をぉっ!! ……ファナさぁぁぁぁぁぁぁんッ!!!」

 遠くなっていく叫びを背中に聞きながら、シーラはホッと安堵の息を吐いていた。

(なんなの、いったい……ファナにもストーカーってのがいるのかしらね)

 決して他人事ではないものの、ああいうある意味開き直っているようなのは、彼女も初めて見るタイプだった。

(そんな悪い虫がつく機会、あの子にはそう多くないはずだけれど……)

 そんなことを考えながら、いつものように使用人たちと挨拶を交わしながら別館へ向かう。

 ……と、その途中。

(あれは……)

 本館の入り口に視線が止まった。

 見覚えのある馬車がそこにたたずんでいる。

(さっきの馬車はやっぱりここだったのね。……あら?)

 かすかに耳に届いたのは、聞き覚えのある声。

「申し訳ありませんが……」

 聞こえてきた穏やかそうな声色は、屋敷の執事、イングヴェイ=イグレシウス――通称アオイの声だった。

 その少し困ったような声色に、不審に思って近付いてみる。

 すると、

「なぜだ。用事の合間を縫ってようやく訪ねたんだ。少しぐらい――」

「ですから、ファナ様はこれからお客様との面会があるのです。せっかく訪ねていただいたのに申し訳ありませんが、どうかお引き取りください」

 どうやら何事か揉めているようだった。

(誰かしら……?)

 ようやく視界に入ってきたアオイと、もう片方は見覚えのない男だった。ただ、着ているものから察するにネービスの若い貴族……おそらくは馬車の持ち主だろう。

「せっかく来たというのに、門前払いしようというのか?」

「ですから、ファナ様にはこれから大事なお客様があるのです」

 そこにファナの姿はない。アオイは丁寧に対応していたが、対する若い男の方は、どことなく尊大な態度だ。

「では、それが終わるまで待たせてもらおう。それから夕食でも――」

「ですから」

 何度も似たような問答を繰り返しているのだろう。アオイは今にもため息をつきそうな口調で答える。

「そのお客様との夕食の席もすでに用意してあるのです。お待ちいただいても、今日中に面会することは叶いません」

「なんだ、それは!」

 相手の男は完全に気分を害したようだった。

「その客というのはどこのどいつだ!? 私が直接会って、遠慮するように言ってやる!」

(……なにかしら、あれ)

 そんな男の態度に、シーラの視線は完全に侮蔑を帯びていた。もし対応していたのが彼女なら、とっくに罵倒の言葉が口をついていたことだろう。

「……」

 そしてアオイの方も、あまりに物わかりの悪い相手に呆れたような顔をして、気付かれない程度のため息を落とし……そして、仕方なさそうに答えた。

「……お客様は、ディグリーズのラドフォード=マティス様です」

「ディ――!」

 その途端、男の態度が豹変する。

 驚いたように息を呑み込み、むせた。

「ゲホッ! ゲホゲホッ! ディ、ディグリーズだと!?」

(……ディグリーズ?)

 それを遠くで眺めているシーラには聞き覚えのない単語だった。だが、貴族の男はどうやら理解したようで、

「どうなさいます? 直接お会いになりますか?」

「――」

 そのときばかりは、いつもは温厚なアオイの態度が少々意地悪く映った。ただ、男の方はどうやらそれを気にする余裕もないようで、

「……そ、そうだな。いや、考えてみたら先約は向こうなのだから、ここは私が引き下がるべきなのかもしれんな」

「そうですか。助かります」

 急に態度を軟化させた男に、アオイはニッコリと微笑んで、

「では、少しこちらで休んでいかれます? それとも、すぐお引き取りになられますか?」

「い、いや。私も忙しい身だからな。残念だが、帰らせてもらうことにしよう」

 男はびっくりするぐらい素直になると、身をひるがえし馬車に乗り込んでいった。

 慌ただしい音を立てて、まるで逃げるように馬車が去っていく。

「……」

 それを無言で見送った後、

「ふぅ……っ」

「アオイさん」

 シーラはさっそく近付いて声をかけた。

「え?」

 アオイはハッとしたように振り返って、

「え? あ、シーラさん。いまお帰りですか? ……ああ、ティースさんでしたら、今は出掛けられてますよ」

「いえ、それはいいわ。それより今の、なんだったの?」

 馬車の去った方向を眺めてシーラが問いかけると、アオイは少し照れたように、

「あ、はは。見られてましたか。いえ、そんなたいしたことでは――」

「……」

「……あの、他言はしないでくださいよ」

「ええ」

 満足そうにうなずいたシーラに、アオイは声をひそめて答えた。

「スナークウェザー家のご子息、ウィンスロー様です。彼は……その、姫の――」

「ああ」

 その説明だけで、シーラにはどういう事情か理解できた。

「ファナに求婚している男のひとり、ってところね?」

 別に詳しい事情を知っているわけではないが、彼女の立場、年齢、独身であるということを考えれば、そういう話がいくつも持ち上がっていて不思議はない。

「そういうことですね」

 肯定した眼鏡の奥の表情が、少しだけ疲労の色を浮かべて、

「中でもあのウィンスロー様は……その、少々――」

「わがままで物わかりの悪い、典型的なボンボンなのね」

「……」

 アオイはその立場ゆえかなにも言わなかったが、苦笑するその表情は明らかにシーラの発言を肯定したものだった。

 どうやら彼も色々苦労しているらしい。

(でも、あの子も大変ね……)

 ファナにも同情しつつ、シーラは続けて質問した。

「ところでアオイさん。ファナのお客のディグリーズというのはいったい誰のこと? 聞いたことのない家名だけれど」

「あ、ディグリーズは家名ではないですよ。……さあ、中に入りましょう。風も冷たいですから」

 そう言って本館のドアを開くアオイ。

 本館の方はシーラにもあまり縁のない場所だったが、中の通路を使って別館に移動することができる。

 玄関ホールの作り自体は別館と似ていたが、もちろん質素な丸テーブル群は存在しなかったし、別館で見られるような憩いの風景も見られず、やや閑散とした雰囲気だった。

 その途中でアオイは説明を始める。

「ネスティアスはご存じですよね?」

「ええ」

 それはもちろんシーラも知っている。

 ネービス公直属のデビルバスター部隊『ネスティアス』。

 その規模はディバーナ・ロウの何倍にも及び、抱えるデビルバスターの数は30人近く、傭兵やデビルバスター候補生など、直接戦闘に関与する主要構成員だけでもその数は軽く3桁を越える。

 ネービス領ではもちろん最大規模、大陸全土を合わせても、これほどの規模を持つデビルバスター部隊はそうそう存在しないだろう。

「では、彼らの深緑色の制服はご覧になったことありますか?」

 話しながら、2人は玄関ホールの右手から別館へ続く通路へと移動する。

「ええ。軍隊みたいなあのきっちりした服よね」

「そうです。では、その中で、深緑ではなく黒い制服の方を見たことはありませんか?」

「黒? ……いいえ、ないわね」

「そうですか」

 特に意外そうでもなくアオイはうなずいて、

「ディグリーズというのは、そのネスティアスの中でもトップを占める10人の総称です。彼らは他とは違う漆黒の制服を身につけ、袖にはそれぞれの階級を示す文字が刻まれているのです」

「ネスティアスのトップ? ……ああ。それであの馬鹿男の態度がコロリと変わったのね」

 シーラは納得してうなずいた。

 実質は単なる雇われデビルバスターだとはいえ、ネスティアスのトップクラスともなれば、話は少々違ってくる。

 デビルバスターとしてもエリート中のエリート。そこらの貴族のボンボン程度では恐れるのも当然の話であった。

「ディグリーズといえば、泣く子も黙る存在ですから」

 辛辣なシーラの言葉にやはり苦笑したアオイだったが、あの若い貴族を『泣く子』扱いした彼もまた、あの人物については腹に据えかねているものがあるのだろう。

 通路を抜け、別館へ。

 大階段の前に着くと、アオイは一礼し、

「では、私は姫の元へ向かいます。準備がありますので……にしても、遅いですね」

 別れぎわ、ひとりごとをつぶやく。

「とっくに約束の時間は過ぎているのですが――」

「……」

 特に気にせず、シーラは階段を上る……いや、上ろうとして足を止めた。

 ふと脳裏を過ぎったのは、少し前の記憶と、アオイの言葉。

(……ネスティアスの制服……?)

 引っかかったのは『黒』。

(そういえば――)

 思い返してみれば『あの男』は確かに上下とも黒で、しかもそのデザインは――中になにも着ていないということを除けば――彼女の記憶の中にあるネスティアスの制服に酷似していた。

「……」

 まさか、とは思った。

 泣く子も黙る、である。……いや、ある意味泣く子も黙るかもしれないが、それにしても――しかし、偶然にしてはあまりにも不自然すぎる。

 しばし迷った後、シーラは口を開いた。

「……アオイさん」

「え?」

 振り返ったアオイに、シーラは神妙な顔のまま問いかける。

「その人って、もしかして――」




「な、なにをする! 離せ! 離さないかっ! 俺はちゃんとファナさんと約束したんだぞぉぉぉぉっ!!」

「うるさいうるさい! とっとと帰らんと、本当に警邏隊に突き出すぞ!!」

 ミューティレイクの正門まで、約200メートル。

 なにやら派手な言い争いが、カレルたち3人の耳にも聞こえてきた。

「うぉぉぉぉぉっ! まさかっ! まさかお前らは、俺とファナさんの恋路を邪魔する障害物なのか!? そーなのかっ!?」

「ええい、なにをわけのわからんことをっ!!」

 その片方は、聞き覚えのある声だ。

「相変わらずお盛んなようですね」

 大きめのひさしがついた白い帽子に手を当て、黒い制服とはかなりミスマッチな格好のルーベンが、いつものとぼけた調子でそうつぶやいた。

「……」

 カレルはこめかみを押さえる。

 ――その声は間違いなく、彼が探していた人物のものだった。

「だがな、覚えておけよ! 俺と彼女の赤い糸はどんな障害に邪魔されようとも決して切れたりはしない! なぜなら、俺と彼女の愛こそが『奇跡』だからだっ! そう、永遠という名の奇跡だ! 愛こそすべて! ラブフォーエバー!!」

「……あれでまだ警邏隊に突き出されてないことこそが奇跡だと思うな、僕は」

 リゼットのつぶやきに、今度は眉間に指を当てたカレルが絞り出すような声で、

「……誰か、あの馬鹿を止めてこい」

「カレルさんがそう言うなら、仕方ありません」

 言葉とは裏腹に、待ってましたと言わんばかりの素早さで承知したルーベン。

 歩みを早めると、黒い制服の裾と白い帽子がかすかに揺れて、直後、風を巻くようにその姿が高速移動する。

 白と黒のコントラストが宙に舞った。

「さぁ! わかったならさっさとそこを通さないか! いくら邪魔しようとも、俺とファナさんの仲を裂くことが不可能だとこれでわか――ごふぅっ!!」

 ごぃん! と、鈍い音がして、門番にまくし立てていた男の体がゆっくりと崩れ落ちる。

 ちゃきっ……パチン。

 ルーベンは地面に着地するなり、幅の広い両刃の剣を鞘に収めて、

「ご安心ください。峰打ちです」

「……お前の剣のどこに峰があんだよ」

 あとから追いついてきたカレルはとりあえずそう突っ込んで、唖然とした顔の門番に対し、懐からプレートのようなものを取り出す。

「怪しいもんじゃない。ネスティアス所属、ディグリーズの『肆』カレル=ストレンジだ」

 門番の表情が変わる。

「ディ、ディグリ――」

 ついてきたリゼットもやはり同じものをチラッと見せて、

「同じく、ディグリーズの『捌』リゼット=ガントレット。以後お見知り置きを、可愛らしいお兄さん方」

 うやうやしく一礼する。

「か、かわいらしい……?」

 リゼットのウインクに、2人の門番は顔を見合わせた。

 どう見ても可愛いとは言いがたい、30代の男2人である。

「そして私がディグリーズの『陸』、通称『あまりにも優れた素質を持っているため嫉妬深い上司の不興を買い、出る杭は打たねばといわんばかりに不遇の扱いを受けている不世出の天才』ルーベン=バンクロフトです」

「おいコラ。なげぇし、まったくの事実無根じゃねぇか」

「あ、あの……」

 突如現れたディグリーズを名乗る3人組に、2人の門番は当然のように困惑した様子だ。

 だが、彼らが提示したプレートと、そしてそれぞれの制服に刻まれた文字は、確かに3人がネスティアスのディグリーズであることを示している。

「今日来られる方はおひとりだと聞いてましたが……」

「ああ」

 カレルはチラッと地面に倒れ伏した男を見やって、

「この馬鹿が、おそらくこういう騒ぎを起こしてるんじゃないかと思ってな」

「……は?」

「言いにくいことだが」

 そう言ってカレルはこめかみを押さえ、心底嫌そうな顔で首を振りながらルーベンを促す。

 ルーベンは倒れている男のまくれている袖を元に戻した。

 そこに刻まれていた文字は『壱』――

「この馬鹿は俺たちの仲間でな。ディグリーズの『壱』ラドフォード=マティス。ここの当主さんとの約束ってのも本当の話だ」

「は……?」

 固まった。

 ムリもない。

 カレルは小さく笑って、

「冗談だと思うか? ……いや、むしろ冗談にしてしまって、今からでもその事実をこの世から抹消してしまうべきか?」

「カレル。目が笑ってないよ」

「ああ。なにしろ真剣だ。というか、切実だ」

「……」

「……」

 すぐ近くでそんな会話が交わされているとも知らず。

 地面に突っ伏した男――ラドフォード=マティスは、なぜか幸せそうな笑みを浮かべていたのだった。




「先ほどは申し訳ありません。こちらの不手際で」

「いやははははははは! そんな、ぜんっぜん気にすることないですって!」

「……」

「……」

 夜のミューティレイク邸。普段は滅多に使われることのない本館の食堂には、いま5つの人影があった。

 上座に位置し、謝罪の言葉を述べたのは屋敷の主人、ファナ=ミューティレイク。その後ろに寄り添うように立つのが、執事兼ボディガードのイングヴェイ=イグレシウスである。

 そして客は3人。

 ディグリーズの『壱』ラドフォード=マティス。

 同じくディグリーズの『肆』カレル=ストレンジ。

 そしてディグリーズの『捌』リゼット=ガントレットである。

 今はすでに会合と夕食を終え、それぞれの目の前に食後の紅茶が振る舞われたところだった。

「でも、お怪我なさったと聞き及びましたわ」

 ファナの心配そうな顔に、ラドフォードは明らかに『ぽっこり』と盛り上がった後頭部を撫で、

「あ、これ? これのことですか?」

 やはり豪快に笑い声をあげながら、

「こいつはちょっとはっちゃけた部下がやっちまったものですから! ぜんぜん、これっぽっちもファナさんのせいじゃないっすよ!」

「……はっちゃけてたのはお前だ」

 そんなカレルの突っ込みは当然届いていない。

 隣のリゼットが声をひそめて補足する。

「ま、ルーベンも確かにいきいきした顔で剣を振り下ろしてたけどね」

「いやあ、それにしても!」

 ラドフォードの演説は続いた。

「図々しい部下が2人もごちそうになっちゃって、ホント申し訳ない! もう、こいつらと来たらなんつーか、俺がいないとなにもできないっつーか! ……あ、いや、頼られるのは望むところなんですがね! やっぱ男ってのは頼られてナンボですから!!」

「く……!」

「カレル。ここは場所が悪いよ」

「……わかってる」

 懸命に怒りをこらえたカレルの背中がまとっていたのは、いわば『中間管理職』的なオーラだろうか。

「ふふっ」

 そんなラドフォードのハイテンションな演説に、カレルとリゼットのみならず、アオイまでもが少々微妙な表情を見せていたのだが――言葉を向けられている当のファナはといえば、やはりいつも通りに穏やかなまま。

 クスクスと笑って、

「いつお会いしてもおもしろい方ですわ。ラドフォードさんとお話ししていると、時間が経つのも忘れてしまいます」

「そ、そうですか!? いやぁ、参ったなぁ、あはははははっ!!」

 嬉しそうに頭をかくラドフォード。

「……」

 カレルはときおり、そんなミューティレイク家当主の精神構造がうらやましくもなる。

 と、そんなこんなで、時間はアッという間に過ぎ去り――

「……そのとき俺は言ってやったわけですわ! お前ら、その子の代わりに、この俺を――!」

「話の途中、ですが」

 永遠に続くかと思われたラドフォードのひとり舞台に、カレルはいい加減ピリオドを打つことにした。

「そろそろ、おいとまさせていただくことにします」

 わざとらしく大きな音を立てて椅子から立ち上がると、素早く身支度を整え始める。

「まぁ。もうそんなお時間ですの?」

 話を中断されたラドフォードは抗議して、

「お……おいおい、ちょっと待ってくれよ、カレル。これからが一番盛り上がるところで――」

「では、ミューティレイク公。お騒がせしました。……あと、失礼を承知の上で言わせていただきますが――」

 完全無視の後、カレルはテーブルの上に右手を置き、鋭い視線(意図したわけではなく、元来のものだ)をファナに向けて、

「あまりこの馬鹿を甘やかさないでもらえませんかね。色々とつけ上がりますんで」

「? どういうことですの?」

「……」

 本当に不思議そうなファナに、カレルは閉口する。

 その隣ではラドフォードが笑いながら手を振って、

「いやいや、ファナさん、どうかお気になさらずに。こいつ、俺とファナさんが楽しく話してるものだから、きっと嫉妬してるんですよ。……いや、名残惜しいですが、仕方ないですね。モテない部下の可愛いわがままを聞いてやるのも、良識ある上司の役目ですから!」

「く……ぐぐ……!」

「カレル。落ち着いて」

 今にも殴りかかりそうなカレルを、リゼットが必死になだめる。

 いつもは冷静(?)な彼も、このラドフォードに対してはそれを保つのに苦労しているようだった。

「……では、ファナさん。また会う日までお元気で!」

「はい。ラドフォードさんも、どうかお体にお気をつけて」

 自ら見送るファナの言葉に、ラドフォードは玄関でビシッと敬礼する。

「それは大丈夫! この、ラドフォード=マティス、いつでもネービス公とファナさんのお役に立てるよう、早朝の寒風摩擦を欠かさずやっておりますので!!」

「まぁ」

 ファナは微笑んで、

「それなら安心ですね」

「ははは! 当然ですよ、当然!!」

「……」

 ひと足先に外へ出たカレルは、やや諦め気味にため息を吐きながら、片手を腰に当ててリゼットを見やると、

「なにが大丈夫でなにが安心なのかさっぱりわからんのだが、これは俺の理解力が乏しいのか?」

「どうだろう? ルーベンにでも聞いてみるかい?」

 お手上げ、と言わんばかりに両手を広げるリゼット。

「え、呼びました?」

「……」

 そこへどこから現れたのか、ひとり別行動を取っていたルーベンがトコトコとやってくる。

 どうやら、別館の方からひと足先に外に来ていたらしい。

「知り合いへの挨拶は済んだのか?」

 カレルの問いにルーベンはちょっとだけ眉をひそめ、

「……アレを、あの行為を挨拶というのであれば」

「なんだ、アレって」

「フッ。男は秘密を抱えるほど魅力的になるものです」

「……ならいい。別に無理に聞きたかねぇ」

 そう言って再び玄関の方を見やったカレル。

 ラドフォードとファナの会話――というより一方的な演説は、まだ続いている。

 どうやら、また強制終了が必要なようだ。

 ……と、カレルが思った、そのときだった。

「あ」

「……」

 カレルの視線を追ったルーベンの目線と、ラドフォードの広い背中の向こうにあったファナの視線がぶつかった。

 一瞬だけ、時が止まる。

 驚いたような顔のファナだったが、やがてその表情は柔らかい笑みを伴った。

「ルゥさんも、いらしていたのですね」

「……」

 ルーベンは無言のまま大きなひさしの帽子を脱ぐと、普段の彼からは考えられないほど真摯な表情になる。

 そして、帽子を持った右手を胸に当てると、そのまま一礼した。

「お久しぶりです、ファナさん。お元気そうで、なによりです」

「ルゥさん」

 ファナはニッコリと微笑んで、

「らしくないですわ。もっと気軽になさってください」

「いえ」

 だが、ルーベンは姿勢を崩さないまま答えた。

「私は、あなたの期待を裏切った人間ですから」

「……」

 ファナは少しだけ目を見開いて、それから困ったように視線を泳がせた。その後ろにいるアオイも口を挟みこそしなかったが、どことなく気まずそうな表情だ。

 そして――微妙な沈黙。

 ディグリーズのメンバーも事情を察しているのか、カレルは我関せずといった顔で薄暗くなった庭を眺めていたし、ラドフォードでさえも頭をかきながら、

「あ、あー、コホン。では、ファナさん。我々は……」

 そう言うのがやっとだった。

「はい。……ルゥさん」

 うなずいて、ファナは少し目を細めた。

 いつもと違うその視線は、少しの厳しさと強い意志を伴っていた。そこには少なからず、相手に対する愛情が見え隠れしている。

「どのような事情にしろ、ルゥさん自身が選ばれた道です。それを否定することなど、誰にもできることではありませんわ」

「……」

 それに対しルーベンはなにも答えず、ただもう一度だけ頭を下げたのだった。




 ディグリーズの4人が屋敷を去ったあと。

 ファナとアオイの2人が別館のホールへ移動すると、そこには丸テーブルで麦酒を口にするレイの姿があった。

「よぅ、ファナ」

 彼女の姿を視界にとらえるなり、手にした大きめのコップを軽く向けて、

「いま時間あるのか? なら、少し付き合わないか?」

 そう言った。

 まるで親しい友人を誘うかのような気軽さで、その相手を考えると、普通ならばなにを血迷ったことを言っているのかと思うところだが、

「あいにくお酒はお付き合いできませんけれど、それでもよろしいのですか?」

 その申し出はこの場において、特別非常識なことではなかったらしい。

「あんたは茶でも飲みながら、話だけ付き合ってくれりゃいいさ。ああ、俺のベッドの中にまで付き合ってくれるってんなら、それに越したことはないがな」

「……レイさん」

 これにはさすがに後ろのアオイが眉をひそめた。

「いくら冗談でも、姫に対してそういうことは……」

 だが、当のファナはというと、やはりおかしそうにクスクスと笑いながら自分の胸に左手を置いて、

「この娘にはレイさんの大嫌いな『しがらみ』がたくさん付いてきますけれど、それでも構いませんの?」

「あぁ……」

 レイは楽しそうに口元を歪めてコップを傾けると、

「そいつはゴメンだ。なら残念だが、まとめて後ろの堅物君にでも譲るとしよう」

「な!」

 その言葉に、アオイはわずかに青ざめて、

「じょ、冗談でも、そんな恐れ多いことを――!」

「アオイさん」

 ファナがフォローするように口を挟んだ。

「紅茶を、お頼みしてもよろしいでしょうか?」

「は……! は、はい! ただいま!」

 弾かれたように敬礼し、アオイはまるで逃げるように走り去っていった。

 直後。

「うわぁっ! ア、アオイさん、気を付け――!」

「すっ、すみませぇん!!」

 通路から聞こえたやり取りにレイは苦笑して、

「冗談のわからないヤツだ。ま、おかげでからかい甲斐があるけどな」

 焚き付けた張本人だというのに、あまりにひどい言い様ではあった。

「あら?」

 その向かいに腰を下ろしたファナは、ちょっと不思議そうな顔をして、

「冗談でしたの?」

「俺としちゃ、どっちでも一向に構わんけどな。お偉いさん方の『社交界』とやらはぶったまげると思うが」

 そんなレイに、ファナはなにを考えているのかいまいちわからない表情のまま、目を細めて視線を斜め上に滑らせた。

 レイもなにげなくその視線を追う。

 視線の先――大階段の上、2階の奥へ続く通路、その入り口に刻まれた『六剣』の紋章。

 それはこのミューティレイク家の紋章だった。

 その視線を戻し、レイは話題を変えた。

「ルーベンのヤツには会ったみたいだな?」

 ファナもまた、彼の元へと視線を戻しながら、

「はい。お元気そうでしたわ」

 テーブルの上にもうひとつあった空のコップ。誰かが先ほどまでそこに座っていたらしいことはすぐにわかる。

「来年にはもうひとつ階級が上がることがほぼ確実らしい。たいしたもんだな」

「まあ」

 ファナは嬉しそうに微笑んでうなずいた。

「入隊後、わずか2年半でナンバー5か。惜しいな」

 わずかに反応をうかがうような目をしたレイに対し、ファナは変わらず微笑んだままだ。

 そのおだやかな笑顔は、見る者を和ませると同時に、こうして探りを入れる者に対しては、彼女の内面を見事に覆い隠す役割も果たしているようだった。

 そのままで、ファナは口を開く。

「ティースさんの御様子はいかがですの?」

「……?」

 脈絡のない流れに、さすがにレイの返答にもワンテンポ空白があって、

「ティースか? ……まだ引きずってるようだな。ギレットのおっさんがカツを入れたみたいだが、効果があるかどうかは――ああ、そうか。そういう連想か」

 ようやく悟った顔をして、少し考えると、

「そういやアクアのヤツも前に言ってたな。そのときはたいしてそうは思わなかったが、この状況に陥ってみると、確かに不思議なほど酷似してる。性格以外は」

 なにも言わず見つめるファナに、レイは軽く手を広げてみせて、

「だが、どうかな。状況は似ていても、性格も歴史も違う。どう転ぶかなんて予想できんな」

「ええ。ですが、たとえどうなったとしても――」

 どうやらアオイが戻ってきたようだ。

 食堂へ通じる通路へ視線を向け、ファナはつぶやくように言った。

「それが御自身の選んだ道であるなら、私にそれを否定することはできませんわ。私の期待は他人に押しつけられるものではありませんもの」

「ま、そうかもな」

 相変わらず探るような目をしていたレイだったが、やがて諦めたように視線をテーブル上に落とし、空のコップを指先で軽く小突くと、

「できる限りはサポートするさ。少なくとも、あいつが後に悔いを残さない程度には、な」

「はい。私は、レイさんを信じております」

「……」

 決して嫌とは言い返せない極上の微笑みに、レイはやれやれと言わんばかりに肩をすくめ、コップにわずかに残っていた麦酒を飲み干したのだった。


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