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デビルバスター日記  作者: 黒雨みつき
第4話『慟哭・縁・訣別』
30/132

その6『無情の剣』


 その2日後の昼すぎ、ラムステッド邸の周囲は騒然とした空気に包まれていた。

 怒号と悲鳴。

 屋敷の周りは100人以上にも及ぶ警邏隊によって取り囲まれ、そのさらに外側を取り囲むように野次馬らしきものが集まっている。

 怒号は主に、野次馬たちの中から聞こえていた。中には泣き声のような叫びも入り交じっている。

 そして屋敷の内側……その入り口に近い場所には、この騒ぎの原因を作ったと言っても過言ではないだろう、ディバーナ・ナイトの隊長、レインハルト=シュナイダーの姿。

 腕を組み、開け放たれた玄関を見つめるその視線の先では、ひとりの女性が複数の警邏隊に連れ出されるところだった。

 獣魔を操り、人々を大量に殺害した罪で捕らわれた屋敷の主人、パトリシア=ラムステッドである。

 その姿が衆目にさらされるなり、人々の怒声がひときわ大きくなった。

 パトリシアは無言と無表情でそれに応えると、一瞬その視線がレイの方へと向けられたが、すぐに興味なさそうに正面を向く。

「……たいした人っすね」

 それを見つめながら、レイの隣で感心したような声をあげたのはパーシヴァルだった。

「誰の協力もなしに、地下にあれだけの獣魔を隠していたなんて」

 パトリシアの後ろ姿は、人々の罵声にさらされながら徐々に遠ざかっていく。

「ま、よほどの執着があったんだろうな。あの規模からするとここ数年って話でもなさそうだが」

 そう答えるレイの口調はひどくそっけなかった。

 事実、パトリシアがどうしてその道に走ったかなどは、彼にとってはなんの興味もないことで、それを究明するのも彼の仕事ではない。

「にしても、ずいぶんとあっさり捕りましたね。もしかしたら結構抵抗するかも、なんて思ってましたけど」

「俺たちを呼んだ時点で覚悟はしてたんだろ。ある意味玉砕に近い心境だったのかもしれんな」

 そう言うと、レイはパーシヴァルに背を向けて屋敷の奥へと戻っていった。

 パトリシアが抵抗しなかった以上、彼がこれ以上それを眺めている必要はなかったのだ。

 その途中。

 彼を呼び止める人物がいた。

「レイさん。どういう……ことですか?」

 足を止め、レイは振り返る。

 口元にはいつもの笑みを浮かべて。

「見ての通りさ、ルネッタ。俺たちの依頼主は、どうやら自ら獣魔を操っていたデビルサイダーだったようだ」

「そんな馬鹿な!」

 ルネッタがその話を聞かされたのは、つい数十分前のことだった。

「私たちはこの目で人魔の存在を確認しているではないですか! それはどうなるのです!」

 いつもの穏やかな口調はそこにはなく、飛び出した言葉は苛烈に彼を問い詰めた。

 だが、レイはいつも通りに軽く流して、

「さあな。なんにしても、屋敷の地下には多くの獣魔が飼育されていた。パトリシアはそこに頻繁に出入りしていた。そして本人もそれを認めた。これらが事実である以上、あの人魔はただの観光客かなんかだったんじゃないか?」

「ふざけないでください!」

「けど、少なくとも事件の黒幕じゃない。それは確かだ」

「それは……そうかもしれませんが」

 それは認めざるを得なかったのだろう。ルネッタは少し声のトーンを落として、

「それでも、街に人魔が現れ、その力を行使したことも事実です。私たちの仕事はまだこれからではないのですか?」

「悪いが」

 レイは彼女に背を向けながら言った。

「俺が受けた依頼は、この街に出没する獣魔の退治と、それを操っている存在の発見及び排除でな。その人魔とやらを探す理由は、こっち側にはない」

「な――」

「そいつがいま目の前にいるってんなら話は別だが、わざわざ探すつもりはないな。どうしてもやりたいなら、君だけで勝手にやるといいさ」

「あなたは……あなたは、それでもデビルバスターなのですかッ!?」

 感情を露わにするルネッタ。

 レイは肩越しに振り返って、やはりそこに皮肉な笑みを浮かべた。

「そういう文句なら、俺じゃなくてデビルバスター試験の試験官にでも言ってやってくれ」

「……」

 ルネッタは唇を噛んだ。

 そんな彼女の胸に渦巻いていたのは、途方もない腹立たしさだ。

 パトリシアが捕まったこと自体は、別に親しかったわけでもない彼女にとって特に感じることはない。だが、このレイという――女である自分をどこか小馬鹿にしている態度の男に出し抜かれたことが、悔しくて仕方なかったのだ。

 もちろん、レイが小馬鹿にしたような態度を取るのは性別問わず、単に相手次第というところなのだが、ルネッタはもともと自分の性に対するコンプレックスがあり、男性への対抗意識を強く抱いている人物だった。

 だからこそレイの態度をそのように受け取ったし、このままで終わることもできなかったのである。

「……わかりました」

 ルネッタは虚勢の笑みを浮かべ、去っていくレイの背中に向けて言い放った。

「私は……ひとりでも、あの王魔を見つけ出してみせますよ。手がかりになりそうな情報も手に入れましたから」

「……」

 レイはなにも答えず、彼女の前を去った。

 ……屋敷に足を踏み入れて、天井を見上げる。

 そして、ひとりごと。

「ティースのやつは、また出掛けたか。……浮かれるのはわかるが、もっと慎重にやってほしいもんだ」

 窓から外に目を向けると、昨日までとは打って変わって空は晴れ渡り、11月にしては暖かな陽気。はるか遠くまで見渡せそうな、まばゆいばかりの陽光が外を支配している。

「とはいえ、どんな強大な力を持つ王魔も、なにも食わずには生きていけない、か」

 ぼそりとつぶやいて小さくため息をつく。

 そしてこの後に起こるであろう『もうひとつの騒動』を予感しながら再び足を前に進めたのだった。




 夕方。

「……リィナ」

「ティース様?」

 振り返ったリィナは本日3度目の訪問にも関わらず、相変わらずの弾んだ笑顔でティースを出迎えた。

 小さな窓から射し込む光はすでにオレンジ色に変わっており、さすがに風も冷たくなっている。この屋根裏も少し冷え込んでいたが、まだ耐えられないほどではない。

「ほら、夕食分のパン。本当はもっとバリエーションのあるものを持ってきたいんだけど……」

「あ、いえ。私はこれで充分です」

 2つのパンを受け取って、リィナは胸の前で手を組んだ。

 食事の前にこうして祈るのは彼女のクセ――というか習慣だ。ティースの古い記憶の中の彼女も、確かに同じことをしていた。

 その変わらない行動にも、なつかしさと同時に不思議な喜びを感じながら、

「でも、まだそんなにお腹空いてないだろ? あまり夜遅いとさすがに怪しまれるかと思って、今日は少し早めにきたんだ。まあ、さっきも言った通り、パトリシアさんが捕まって解決ムードだから、俺の動きなんかに注目してる人はいないと思うんだけど」

「私のことを捜している方は、もういないんですか?」

 問いかけに、ティースは少し考えて、

「まったく捜してないってことはないと思う。でも、少なくとも俺たちの部隊はもう動いていないし……それどころかレイさんはきっと、俺がこうして君と会っていることにも気付いていると思う」

「レイさん……あの人ですか」

 おととい、彼と戦ったときのことを思い出したのだろう。目が少しだけ真剣になる。

「あの圧迫感、とても人間とは思えませんでした。恐ろしい人ですね」

「恐ろしい、か。そうかもしれないけど、いい人だよ」

「……」

 それでもリィナは床に落としたままだった。

(リィナにしてみれば、殺意をまともにぶつけられたわけだから、仕方ないか……)

 ただ、今ならレイは決して彼女を殺そうとしたりはしないだろう、と、ティースはそう信じている。

 もしそのつもりであれば、もっと早くに自分を問い詰め、この場所を探り当てているはずだったから。

 そして、

「リィナ」

 ティースは話題を変えることにした。

「君は、これからどうするつもりなんだ?」

 そう尋ねる。

 こうして無事に再会を果たし、事件も解決に向かっているとはいえ、もろ手を挙げて喜んでばかりいられない。

 彼女は魔である。昔は子供だったからこういった場所に長期間隠れ住むことも可能だったが、今はそういうわけにもいかないだろうし、なによりそれではあまりに不便だろう。

 それにそもそも、なんのために再びこっちの世界に来たのかということも、まだ聞いていなかった。

「もしすぐに向こうに帰るつもりなら、せめてシーラにひと目だけでも会って――」

 だが、リィナは顔を上げて答えた。

「いいえ、ティース様。私は、こっちの世界で暮らすつもりで来たのです」

「え?」

 当然ティースは驚いて、

「こっちの世界で暮らすって……でもリィナ。君は向こうの世界に家族もいるんじゃ」

「ティース様」

 リィナは再び視線を落とした。

「ティース様はもちろん知らないことでしょうけれど、向こうの世界の私たちの生活は、こちらの世界に比べて、とても寂しいものなんです」

「寂しい?」

 怪訝な問いにリィナはうなずいて、視線を横に泳がせた。

 言葉通りの寂しい色が、その横顔を染める。

「人から『王魔』と呼ばれる私たちの種族は、生まれつき強大な魔力を持っています。大昔から魔界における富の大半を保有し、なんの不自由もないから、争う必要もない。黙っているだけで、死ぬまでを平穏に暮らすことができるんです」

「?」

 理解できずに、ティースは首をかしげた。

「争う必要がなくて平和なら……どこが不満なんだ?」

「ティース様」

 リィナは首を横に振って、力無く答える。

「なにもしなくていいということは、とても楽なことです。……でも、それは同時に、生きている実感すらも無くしてしまうということなんです。なにもしなくていいから、努力する必要もない。協力する必要がないから、仲間も必要ない。友達も恋人も必要ない。ただ種族を絶やさないために結婚はしますけど、本当の意味で誰かを必要とすることもなければ、誰かを愛することもないんです」

「……」

 そこまで言われれば、彼女の言葉の意味がティースにも少し理解できた。

 それは確かに寂しいことかもしれない、と。

 リィナは続けた。

「私は偶然この世界に流されて、世界に敵がいることを初めて知りました。空腹を抱え、寒い森の中を歩いていて、獣に襲われて……なにもしなければ、傷つき死んでしまうことを知りました。そして――」

 そしてまっすぐにティースを見る。

「あなたとシーラ様に救われて、初めて他人を必要とし、必要とされることを教わりました。だから、今度は私が2人の役に立ちたい。そして2人から必要とされたい……そう思ったんです」

「……」

 子供のころ、彼女と一緒に過ごした2年間。

 彼女にとっても、それはティースと同じ――いや、おそらくそれ以上に大事な時間だったのだろう。

「……そっか」

 胸が詰まる思いだった。

 ごまかすように、ティースは笑う。

「でも、そこまで言われると逆に気が引けるなぁ。そんなにたいしたことをしたつもりはなかったから……」

 リィナは微笑んで、

「もちろん一番の理由は、ただ2人にもう一度会いたかったということです。でも、そういう気持ちすらも、2人に出会わなければ知らなかったことなんですよ?」

「そ、そっか」

 ティースはますます照れてしまった。

 だが、すぐに重要な問題を思い出して、

「でも、リィナ。そりゃ俺だって君が近くにいてくれれば嬉しいとは思うけど、でも君は――」

 その視線が彼女の耳へと向けられる。

 尖った耳。

 それがある以上、この世界で普通に生活するのは困難だ。もちろんそれは、彼女だってわかっているはずだった。

「ええ。ですから、ティース様とシーラ様にお願いが――」

 リィナがそう言いかけた、そのときだった。

 ……キィ。

「!」

 耳に届いた、なにかのきしむ音。

(……誰か蔵に入ってきた!?)

 とっさに口をつぐむティース。反射的にリィナを見ると、彼女も察したらしく、同じように口を閉ざしていた。

 静かな足音が階下を歩いている。

 何者かが蔵の中に入ってきたのは間違いないようだった。

 心臓の鼓動が速まる。

(……まさか。誰だ?)

 隠し扉は閉めてきた。だが、そのスイッチはそれほど巧妙に隠されているわけではない。もし入ってきた人物が、最初からなにかを捜しに入ってきたのだとしたら、見つかるのは時間の問題だろう。

「……」

 呼吸音さえも押し殺し、2人は足音が立ち去るのを待った。

 そして数秒――ふと、足音が消える。

(行った、か?)

 だが、その直後。

 ……カコン。

「!」

 ティースはリィナに目配せすると、階段の方へゆっくりと移動した。

 手の平が汗を掻いている。

 そして、階下からの声。

「ティースさん」

「!」

 聞き覚えがあった。

(ルネッタさん、か……)

「降りてきなさい。あなたがそこにいることはわかっています」

「……」

 その声は確信を秘めていた。

 おそらくは後を付けていたのだろう。彼女が相手なら、ティースが尾行に気付かなかったのも無理はなかった。

(なんとか……ごまかすしかない)

 リィナと視線が合う。

 そこには不安が過ぎっていた。

 そんな彼女に右手を向けて、じっとしているように指示すると、ティースは階段を下りていく。

「ルネッタさん」

「……」

 階下から彼を見上げるルネッタの視線は、まるで突き刺すような色を帯びていた。その手はすでに腰のレイピアにかかっている。

 それに気圧されながらも、ティースは狭い階段を下りながら言葉を続けた。

「どうしたんですか? こんな街はずれまで――」

 ルネッタの言葉が冷たくそれをさえぎる。

「芝居は必要ありません。そこに、もうひとりいますね?」

 ティースは足を止めて、

「なにを言ってるんです? ここには俺しか――」

「……」

 視線が外れ、ため息とともに下を向く。

 そして再び顔が上がって――

「出てきなさい」

「――!」

 心臓の鼓動が跳ね上がる。

 ――いつの間にか、ティースののど元にレイピアの切っ先が突きつけられていた。

 背筋が震えて、背中にドッと汗が噴き出す。

(モーションが……ない……!)

 レアスやアクア、それにレイと稽古をしたときと同じ――いや、それ以上の威圧感。

 もちろん稽古とは状況が違うにしろ、それでも彼女の実力はティースがとても太刀打ちできるものではないようだった。

「出てこなければ、彼が痛い目に遭いますよ」

 ルネッタの言葉は完全に確信を秘めて、階上に向けられていた。

 それでもなお、ティースは言葉を続ける。

「ルネッタ、さん。なんの、つもり――」

「……」

 ルネッタの視線が細くなってティースをにらむ。

 と。

「待ってください」

 背後から、決意を秘めた声が聞こえた。

(……リィナ、ダメだ)

 振り返ることすらできない状況で、ティースは絶望に身を震わせる。

 ルネッタがリィナを捜していた理由。それは考えるまでもない。おそらくは決着をつけるためだろう。

「いま降ります。その前に剣を収めてください」

「……来なさい。話をするには、ここは狭すぎます。逃げようとしても無駄ですよ」

 ルネッタは剣を収め、そして階下を離れた。

「ティース様。……ご無事ですか?」

「あ、ああ……でも――あ」

 振り返ったティースはそんなリィナの姿に驚き、目を見開いた。

「リィナ、きみ……」

「はい」

 うなずいたリィナは尖った耳も形を変え、その姿は人間と同じものになっていた。

(……そうか。短い時間なら人に姿を変えることもできるんだっけ。でも――)

 一瞬だけ安堵したティースだったが、すぐにその胸を暗いものが覆い尽くす。

(ルネッタさんも当然そのぐらいは知ってる。あの剣幕を見ると……)

 それでも今はその方法でごまかすしか手がないだろう。

 2人が蔵から出ると、ルネッタが夕日を背負うように立っていた。薄暗いところから出たせいで少しまぶしい。

 街はずれだけあって、辺りは閑散としていて人影のひとつもなかった。ただでさえ、今はパトリシアの件で街の中心に人が集まっている。こんなへんぴなところにわざわざやってくる人間がそうそういるはずもない。

 そして開口一番、ルネッタは言った。

「元の姿を見せなさい。ごまかそうとしても無駄ですよ。あなたたちが短い間、魔力によって人に姿を変えられることぐらい知っています」

 リィナは答えた。

「いいえ。これが、私の本当の姿です」

「ふざけたことを……」

「ルネッタさん」

 ティースは口を挟んだ。

「なにを言ってるんですか。彼女は普通の――」

「……どうやら、話しても無駄のようですね」

 ルネッタがため息を吐いて、視線を落とす。

(……!)

 その仕草を見て、ティースの頭を電流のようなものが駆け抜けた。

 ――ほとばしった、一筋のきらめき。

「っ――!」

 響き渡る、甲高い金属音。

「……」

 ルネッタの視線が、明らかな怒りを込めてティースに向けられた。

「ティースさん。なんの、つもりですか?」

「ルネッタさん……こそ」

 リィナに向かって伸びたルネッタのレイピアの切っ先は、ティースの剣によって阻まれていた。

 とっさに反応できたのは、彼女のその行動を予測し、ひと足早く動き始めていたおかげである。

「ティースさん、そこをどきなさい。だまされているだけなら、ただの愚か者で済みます」

「……」

 ギギッ……と、金属同士がこすれ合う。

「しかし、すべてを知っていてかばうのであれば、あなたはパトリシア=ラムステッドと同様の罪に問われますよ」

「……」

 確かにそうかもしれない。

 いくらティースがリィナをかばったところで、魔である彼女を信用してくれる――彼女が黒幕でないと信じてくれる人間は多くはいないだろう。

 だが、ティースは揺らぐことなく答えた。

「俺には、あなたがなにを言っているのかわからない」

「……」

 ため息がもれる。

「わからない男ですね」

 ふっ……と、ルネッタの体から力が抜けた。

 刹那。

「?」

 風が通り過ぎた。

 そう、思った。

 ――だが、直後、

「……ぁっ!!!」

 無数の痛みがティースの全身を襲った。

 頬、肩、腕、脇腹、太股、足首……そのあらゆるところの皮膚が薄く裂け、そこから少量の血があふれ出る。

「ティース様!」

 リィナが悲鳴を上げた。

「……すべて浅い傷です。あなたの将来を奪う傷はひとつもない。数日で完治するでしょう」

 ピッ……と、血が地面に跳ねた。

 ルネッタの握るレイピアの切っ先は、かすかに血に汚れている。

「でも次の一撃は、あなたの利き腕の自由を奪います。その次の一撃は、あなたから自由に駆け回る能力を奪うでしょう。……ティースさん。今のうちに退いた方があなたのためです」

「くっ……!」

「退かないつもりですか?」

 それでも剣を構える彼を見て、ルネッタは理解できない表情をする。

「なぜです? どうしてその魔をかばうのですか?」

「なぜ……だって?」

 頬から血を流し、衣服の一部を血に染めながらも、ティースは強い視線でルネッタをにらみ付け、声を張り上げた。

「この子は俺の友達だ! 友達に向けられた剣を、黙って見過ごすわけにいくかッ!」

「その魔が、友達?」

 ルネッタは理解できないという顔で首を横に振る。

「どうやら、あなたは危険な思想を持っているようです。ここで将来を奪っておいた方がよさそうですね」

「――!」

 くる、くる、と、レイピアの先が小さな円を描く。

(来る――!)

 全身を襲う痛みは無視できなかったが、幸い体の自由はまだ充分に利く。

 風を切って、レイピアが空を裂いた。

 ――見えない。

(でも、次は利き腕を狙ってくるはず……なら!!)

 狙いさえわかっていれば、防ぐことは可能なはずだった。

 右腕を狙ってくるレイピアの軌道を読み、そこに向かって細波を叩きつける。

 ――だが。

(え……っ!?)

 レイピアの軌道をかろうじて認識はできた。

 だが、動きにはついていけない。

 ルネッタの攻撃はティースの右腕ではなく、左腕に向かって伸びてきていた。

(だまされた……っ!?)

 気付いたときにはもう遅かった。

 正確無比なルネッタの一撃は、ティースの左腕……その要となる部分を切断するべく、伸びてくる。

「――っ!!」

 だが、その瞬間。

「!」

 ルネッタがなにかに気づいたように動きを止めると、その場から飛び退った。

 直後――空気が震える。

「!!」

 大きな質量を持つなにかが、ルネッタとティースの間に着弾していた。

「くっ……!!」

 その衝撃は彼女だけではなくティースにも及んだ。衝撃にあおられ、バランスを崩して尻もちをつく。腰から突き抜けるような痛みが走ったが、幸いそれほどのダメージではなかった。

 だが――

「……正体を、現しましたね」

 素早く体勢を立て直したルネッタが視線を横に滑らせる。

 その先では――

「リィナ……」

 振り返ったティースの視線の先で、リィナは片手を広げていた。

 その視線はルネッタをとらえ。

 その体からは見紛うことなき魔力がほとばしり。

 耳は……尖っている。

 正体を、さらしてしまったのだ。

「リィナ、どうして――」

「……」

 彼の問いかけに、リィナの目元がかすかに震えた。

「もう、ごまかしきれるとは思えませんから」

「で、でも――」

「もう、いいのです」

 その言葉は不思議なほどに淡々としていた。まるで感情のこもっていない口調。

 ――違和感。

「リィナ……?」

 不思議な感覚が、ティースを襲う。

「残念です」

 そこに立つよく知っているはずの少女は、いま明らかな『違和感』をその身にまとっていた。

「もう少しで、あのレイという男にうまく近付けたのに」

「……え?」

 彼女のその言葉が理解できず、ティースは眉をひそめる。

「リィナ? なにを言って――」

 その言葉をさえぎったのは、ルネッタだった。

「だから、言ったでしょう」

 レイピアを構え、それをゆっくりとリィナの方へと向ける。

「ティースさん。あなたはだまされているのです。その娘はきっと、あなたを利用して我々を殺すつもりだったのです」

「……だまされている?」

 ティースはルネッタに怪訝な顔を向け、すぐにそれをリィナの元へと戻した。

「リィナ? ……なんの冗談だ?」

 乾いた笑みを浮かべるティース。

「……」

 だが彼女はなにも答えず、彼に視線を向けようともせず、ただじっとルネッタの一挙一動を見つめていた。

 警戒を強めたその目に、先ほどまでの暖かな色――ティースが安堵を感じたその面影は残っていない。

 そして不機嫌そうな目元が少しだけ震える。

(リィナ……?)

 ルネッタは半身に構え、そんなリィナをまっすぐに見つめると、

「レイさんのことばかり気にしているようですが、昨日のことで私が彼より格下に見られているのだとしたら、少々不愉快ですね」

 リィナはティースを一瞥もすることなく、ルネッタに向かって答えた。

「私の壁を破れるのは、あのレイという男だけです。あなたでは相手になりません。素直に引き下がった方が良いのではないですか?」

「……言ってくれる」

 その言葉に自尊心を傷つけられたのか、ルネッタは声を低くした。

 小刻みに動いていたレイピアが、ピタリと動きを止める。

「だったら……試してみるといい!」

 ルネッタの足が動いた。

「っ……」

 挑発していた言葉とは裏腹に、リィナの表情が緊張に染まる。

 ――そのレイピア自体が以前と違うことに、彼女も気付いていたのだろう。ルネッタの力は決して侮れるものではなく、武器の相性次第では、彼女の魔力の壁を破る可能性は充分に残されていた。

 ルネッタももちろんそれを考え、おそらく通用すると判断して挑むのだろう。

 風が、裂ける。

 まるで重力を無視したような軽く素早い動きで、ルネッタのレイピアはリィナの心臓を目掛けた。

 対するリィナも万が一を考えたのだろう。右腕に魔力を集め、それを真っ向から迎え撃つ構えだ。

 そして――直後。

「!?」

 辺りに響いたのは、レイピアがリィナの体を貫く音でもなければ、魔力のほとばしる轟音でもなく――

「なっ……!?」

 またもや、甲高い金属音だった。

 驚きの声を上げたのはルネッタ。

 いや。

「えっ……?」

 それはリィナも同じだった。

「何度言ったら……わかるんだ」

 その口からは、荒い息がもれている。全身の傷は、浅いとはいえ彼の体力を少なからず奪っていたのだろう。

 だが、それでもなお。

 ティースの剣は先ほどと同じようにリィナをかばっていた。彼女に襲いかかろうとするレイピアの切っ先を受け止めていたのだ。

「ティース様――」

「馬鹿な、どうして……」

 リィナの驚きの声と、真意を問いただすルネッタの言葉に、ティースは剣を合わせたままギリッと奥歯を噛みしめる。

 そこに迷いは一切ない。くもりのない瞳で、ルネッタをにらみ付けて言った。

「彼女は俺の友達だ。傷つけるのは許さないと言った」

「……馬鹿な!」

 理解できない、という顔でルネッタは叫んだ。

「あなたはさっきの言葉を聞いていなかったの!? 利用されているのよ! だまされているのだと、いい加減に理解しなさいッ!!」

「……」

 ティースは眉間にしわを寄せる。

 ギギッ……と、金属が再び強くこすれ合った。

「だまされてなんかいない」

「なにを……!」

「……リィナ」

 ティースは視線をルネッタから動かさないまま言った。

「君が仕方なく嘘をつくときのクセ、俺はちゃんと覚えてるよ。やっぱり君はちっとも変わってない」

「嘘? 嘘なんかじゃ――!」

 リィナが反論しようとしたその瞬間、不機嫌そうに歪めたその目元がかすかに痙攣する。

「……あ――」

 ハッとする彼女に、ティースの口元にはこの場にそぐわない笑みが浮かんだ。

「だから聞いたんだ。なんの冗談だ、って」

 そして再び表情を引き締める。

「ルネッタさん」

「っ……!」

 ティースは視線を戻し、レイピアを弾いてゆっくりと細波を構えた。

「リィナは人間ですよ」

 眉をひそめるルネッタ。

「なにを……?」

「リィナは仮装するのが大好きなんです。あの耳は、作り物です」

「……ふざけたことを」

 ふざけた言い訳だというのは、ティースにも良くわかっている。だが、それでもなおティースは言い張った。

「本当のことです。おとといあなたが戦った人魔は、もうどこかに行ってしまったんです」

「……」

「それでも、リィナに危害を加えようとするなら――」

 グッと、細波を持つ手に力が入る。

「俺が、あなたを止めます」

 決意の瞳には一点のくもりもなく、その口調には決して揺らぐことのない強い意志が込められている。

 それほどに、彼はこのリィナという少女を信じていた。

 たった今、彼女がとっさに自ら汚名をかぶろうとしたのを見て、信じる気持ちをさらに強めていた。

 彼女を疑う理由など、もはや彼の心のどこを探したとしても見つかりはしないだろう。

「……」

 ルネッタは目を細めた。

 彼が本気だということが、彼女にも理解できたのだ。

「ティースさん。あなたは――」

 言いかけて、止める。

 彼女にしてみれば、目の前にいるのはしょせんデビルバスター候補生。はるかに格下の相手だ。

 だが、だからといって、彼を完全に無視して後ろのリィナと戦うのは難しいだろう。

 そこまで考えて、

「……わかりました」

 ルネッタは諦めたように大きなため息を吐いた。

 と同時に、全身から発していた闘気が、まるで風船がしぼむように消え失せる。

 気配すら、消えてしまったかのように。

「ルネッタさん……」

 ティースの顔に、少しだけ安堵の色が浮かぶ。

 ――だが直後、ルネッタは小さくつぶやいた。

「愚かな男。あなたは、死んでしまいなさい」

「え――」

「ティース様ッ!」

 右手に軽い衝撃が走るとともに、そこにあったはずの重みが消えた。

「……え?」

 宙を舞う、細波。

 先ほどまでのほとばしる威圧感はない。その代わりにあったのは、静かな、研ぎ澄まされた針のように鋭い殺意。

「っ――」

 彼女は本気だった。そして本気であれば、ティースなど彼女の敵ではあり得なかった。

 リィナの援護が入り込む隙もなく、無重力の動きで、正確な一撃がティースの心臓を狙い打つ。

(――っ!)

 声を上げることもできずに、ティースはただ、妙にスローモーションな切っ先を見つめていた。

 体は動かない。

 ドクン、と、心臓が鼓動を打つ。

 風が吹く。

 回避不可能の死。

 それを予感した、オレンジ色の光の中。

 ――巨大な『なにか』がティースの背後を襲ったのは、そのときだった。

「っ!!!」

 爆発音、と言っても過言ではない衝撃。

 巻き上がる砂埃。

「なっ――!」

 止まっていた世界が突然に動き出した。

 ルネッタの驚きの声が聞こえ、レイピアが再び間一髪のところでティースの体から離れていく。心臓はどうやら無事のようだったが、それを安心しているヒマはなかった。

「なんだ……うわっ!!」

 彼の背後で轟いた爆音は、地面の土を大量に舞い上げてその場にいた全員の視界を奪っていた。

「っ……仲間か……っ!?」

 ルネッタはどうやら、別の魔の襲撃だと思ったようだ。

 だが、それは違った。

「……え?」

 煙が晴れたとき、振り返ったティースの視界にいたのは知っている人物だった。

 その地面には直径4メートルほどの巨大なクレーター。

 そして、

「ちっ……」

 舌打ちをしたのは、そのクレーターの中心に剣を振り下ろした男。

 レイだった。

 ……一体どうすれば、剣でこれほどのクレーターができるというのだろうか。

 いや、それよりも――

「レイ、さん……」

 ティースの言葉は震えていた。

 その胸にあったのは、喜びでも感謝でもない。

 確かに、レイの発生させた爆風は間一髪のところでティースの命を救っていた。だが、もし彼の命を救うのだけが目的なら他にもやりようはあっただろう。

 もちろんレイの目的は、別のところにあったのだ。

「……リィナ!!」

 レイが振り下ろした剣の先……その近くにはリィナがいたはずだった。その一撃の威力に、ティースが最悪の結果を想像したのは無理もない。

 だが、

「っ……ティース様……」

 砂埃が晴れて、リィナの姿が視界に映る。

 左腕を押さえていたが斬られた様子はなく、見たところ、それほど大きなダメージは見当たらなかった。

「リィナ……」

 ひとまず安堵する。だが、状況が好転したわけではない。

「やれやれ、勘のいいやつだ」

 レイは不本意そうな顔でゆっくりと立ち上がった。そして『夜叉』の切っ先を険しい表情のリィナに向けると、

「まあいい。今度こそ、逃がさないぜ」

「ま……待ってくれ、レイさん!」

 ティースは慌てて口を挟む。

 どうやら最悪の事態に陥ってしまったようだった。

「……」

 レイの視線が動く。

 それに対し、ティースは必死に訴えた。

「彼女は……リィナは違うんだ! 彼女は――!」

「こいつは魔だ」

 だが、レイはまるで取り合わず、すぐに視線をリィナへと戻した。

「で、俺はデビルバスターだ。デビルバスターってのは、魔を退治するもんだ。わかるか、ティース?」

「そ、そんな! だって、彼女はなにも悪いことは――!」

「わかってないな」

 リィナに切っ先を向けたまま、レイは呆れたように首を横に振った。

「他がどうだかは知らんが、俺は魔を殺すためにデビルバスターになったんだ。家族の仇を討つためにな。デビルバスターってのは大体がそういうもんさ」

「家族の……仇……?」

「アクア辺りからいい話でも聞かされてたか? 残念だが、俺にそいつは当てはまらない。むしろ、ああいうヤツの方が稀少だ」

 レイは剣を構え、

「だから、俺は今度こそ、こいつの息の根を止める」

「っ……!」

 レイが地面を蹴ると同時に、ティースもまた細波を拾い上げて地面を蹴った。

 剣が、交錯する。

「おい、ティース」

「っ……!」

 真横に構えた細波に、2本の夜叉が強い圧力をかけてくる。

「これ以上は、冗談じゃ済まなくなるぞ」

「くっ……」

 近距離からレイの眼光に見据えられて思わず怯む。

 無数の傷を負った全身から、徐々に力が抜けていくのを感じていた。

 そんな2人の横を、ひとつの影――ルネッタが走り抜けていく。

「っ……リィナっ!!」

 ティースの背後で魔力がほとばしった。

 どうやらリィナとルネッタが戦闘状態に突入したようだ。

 ――それを確認する余裕すらない。

「っ……レイさん! 頼む! やめてくれっ!!」

 少しずつ押されていくのを感じながら、ティースは訴えた。

「俺にはあなたの事情はわからない! でも、あなたが今やろうとしていることは……それは絶対に間違ったことだ!」

「よく言うな」

 ティースの必死の説得にも、レイは眉ひとつ動かさずに答える。

「お前だってつい最近まで同じだっただろ? どんな心境の変化だか知らないが、今さらそれは都合が良すぎるんじゃないのか?」

「それは――でも! でも!!」

 歯を食いしばり、圧力に負けまいと両ひざと腹の中心に力を込める。

「違う、違うんだ! 彼女は違う! 彼女は――!」

「諦めろ、ティース」

「!」

 カチカチ、と、細波が小刻みに震え始めた。と同時に、彼の両腕にかかる圧力が徐々に大きくなっていく。

(な……なんだ、これ――!?)

 交錯した夜叉と細波の間に、少しずつ隙間が出来てくる。

 そこに『見えないなにか』が生まれつつあった。

(これが、まさか……!)

 そしてティースは気付く。

 夜叉が今、その刀身にまといつつある『なにか』――それこそが、先ほど地面にクレーターを作ったものの正体である、と。

「拳を、振るえ――」

 圧力が増す。

 そこにあったのは、圧縮された空気のようなもの。

(まずい……っ!)

 そう思ったときにはすでに遅かった。

 衝撃が、眼前で破裂する。

「っ……!!」

 思ったほどの威力ではなかった。おそらく手加減していたのだろう。だが、それでもティースの体は圧力に耐えきれず、弾かれて宙を舞う。

「……がはっ!!」

 背中から地面に叩きつけられ、息が詰まった。

 全身から力が抜けていく。

 ルネッタから受けた無数の傷。強者と闘うことによる精神的な疲労。そこに加えられたこの一撃によって、ティースの体はボロボロになっていた。

「お前はそこで眠ってろ。あっちは、ひとりじゃやっぱ分が悪いらしい」

「っ……!」

「……ティース。いい加減にしとけ」

 レイが足を止めた。

 ため息を吐きながら振り返って、

「まっすぐで強情なヤツってのは、長生きできないぞ」

「っ……はぁっ……レイ、さん……」

 それでもティースはフラフラと立ち上がり、細波を正眼に構えてレイの背中をにらみ付けていた。

「リィナに危害を加えるつもりなら――っ」

「……」

 それを見て、レイは仕方なさそうに首を振ると、

「走れるか?」

「……え?」

 レイの体が動く。

 ティースではなく、戦いを繰り広げるリィナの方へ向かって。

「まっ……レイさんっ!!」

 慌てて、ティースもその後を追う。

 走るのに致命的なまでの支障はない。だが、それでも、とっさの動きについていくことはできなかった。

「ルネッタ! ……そこにいたら巻き添え喰らうぜっ!」

「っ!」

「――!」

 ルネッタとリィナがその動きに気付く。

 レイの構える2本の剣は、大きな渦をその身に宿していた。

 先ほどティースに見せたそれをはるかに上回る、強大な質量。

「二体の夜叉よ、暴悪の拳を振るえ――!!」

 ルネッタがとっさに飛び退く。

 対するリィナは――反応が遅れたのか、その場から動かなかった。

「リィナ! ……リィナぁぁぁッ!!」

 見開いたリィナの目がレイを見つめ……一瞬、その後ろから追いかけるティースにも向けられる。

 そして、ふっと、少しだけ表情が緩んだ。

 その姿はまるで、自らに訪れるその運命を受け入れようとするかのよう――。

 ティースの目には、そう映った。

「やめっ……やめてくれ――ッ!!!」

 その叫びもむなしく。

 彼の視界をさえぎるように土埃が舞い上がった。

 それが、唯一の情けであったかのように。

「……やめてくれぇぇぇぇ――ッ!!!」

 ティースの絶叫が空気を裂いて。

 そして無情の一撃は、確実に振り下ろされた――


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