その7『“エンド・ロール”』
「ひ、ひどすぎますっ!!」
その日の夜ふけ、まだ事件の余韻も冷めないオルファネール邸に響いたのは、どこかすねたような少女の声だった。
場所はもちろん、ファントムの面々が集合したアクアの部屋。
その発端はというと、屋敷の人々がすべての事情を大体把握して、怪我人の治療を終え、そして犠牲となった少女の冥福を祈り終わった、午後9時頃のこと。
ドロシーがポツリと発した一言だった。
「そういや、フィリスの姿が見えないような……ん、気のせいか……?」
「「「あ」」」
もちろん気のせいではなかった。
そして、口を塞がれ縄で縛られたフィリスが、塔の内部にあった物置から発見されたのは、それから1時間も後のことである。
「そ、そりゃアクア様たちが大変だったのもわかりますけど、で、でも、私だってすごく怖かったんですよ! そ、それなのに、みなさん揃って『忘れてた』だなんて、ひどすぎますぅっ!!」
「ま、落ち着けよ、フィリス。いいじゃねえか、怪我らしい怪我もなかったんだからよ」
「ダ、ダリアさぁん……!」
なぐさめなのかそうでないのか微妙すぎるダリアの言葉に、フィリスは今にも泣き出しそうだった。
「よしよし、泣かない泣かない。……でも不思議ねぇ。一体、誰がフィリスちゃんを気絶させて縛ってったのかしら」
「そりゃ、やっぱコンラッドじゃないのか?」
「コンラッドさんが? どうして?」
「塔に不法侵入した輩……とでも思われたんだろ……昨日、ダリアがヤツの鍵をスったことも、後で気付いただろうし、オレたちのことを不審に思っててもおかしくはない……」
ドロシーの言葉に、アクアはポンと手を叩いて、
「あ、なるほどねぇ」
「わ、私、ちゃんとアクア様からいただいた鍵を使って……使ってぇぇぇ……」
「ああ、ほらほら、フィリスちゃん。泣かない泣かない」
手を伸ばしかけたアクアだったが、ふと思い直したような顔をして、
「……でも、泣いてるフィリスちゃんも可愛いっ!!」
「むぎゅっ!? ア、アクア様っ、くるしぃぃっ……!」
「……ったく」
呆れ顔のダリア。
そこへ、ティースがようやく抱いていた疑問を口に出す。
「ところで……アクアさん。あの、そろそろ色々と説明して欲しいんですけど……」
「ん?」
アクアの腕の中では、フィリスがぐったりとしていた。
そういえば彼女は晩飯も食べていない。その上にこの仕打ちでは、グロッキーになるのも致し方ないところであろう。
「俺、てっきりアクアさんが死んだものだと思って――」
アクアはおかしそうに笑って、
「まさか。あたしがそう簡単に死ぬわけないでしょ」
「そりゃ、一度も結婚せずに死ねないわな」
「……イヤミねぇ」
「で、でも」
早くも脱線しそうな会話を、なんとか方向修正しつつ、
「アクアさん、完全に不意を突かれてたし、まさか演技をする余裕があるようには思えなかったし……」
「ああ、ティースくん。まず、そこからして間違ってるわね」
「え?」
「あたしが不意を突かれたなんてこと、絶対にありえないのよ」
「?」
怪訝そうな顔のティース。
アクアは人差し指を立てて、得意そうに答えた。
「だってあの時点で、あたしはザヴィアが犯人だって確信してたもの。敵の目前で油断するはずがないでしょ?」
「で……でも、あのときアクアさん、犯人はコンラッドさんだ、って――」
「それは、ノエルちゃんが彼と一緒にいたから。芝居を打ってでも、まずあの子を引き離さなきゃならなかったのよ。……ま、それは見破られたのか、見事に失敗したわけだけど」
ダリアが頭の後ろに手を回して、
「つーか、あたしだって最初は、アクア姉が素でやられたもんだと思って焦ったけどな」
「だ・か・ら。よく言うでしょ。敵を知り――」
「敵を欺くにはまず味方から……」
言い終わる前から突っ込んだドロシーに、アクアは少し口を尖らせて、
「わかってるってば! 今そう言おうとしてたでしょ!」
「……」
「コホン。そういうわけで」
全員の冷たい視線に耐えきれず、アクアは咳払いをして続けた。
「あたしが死んだことにすれば油断してノエルちゃんを離すかもしれないと思ったの。幸いダリアも血糊に気付いて、すぐにあたしの意図を察してくれたしね」
「……」
やや納得できない顔のティース。つまりは、彼女たちの演技にすっかりだまされていたということになる。
(そ、そりゃ、あの状況じゃ仕方なかったかもしれないけどさ……)
演技だなどとは夢にも思わず、しかも涙まで流しそうだった彼としては、非常に複雑な気分であった。
そして、次の疑問を口にする。
「でも……どうしてあいつが犯人だって? だって――」
言いかけて、ティースは口をつぐんだ。
あのザヴィアが魔だと知っていたのは、彼だけのはずだった。直前にノエルも告げられていたが、アクアたちがそれを知る時間はなかったはずである。
「どうしてって? ……ふふ、それじゃあ」
アクアは少し悪戯っぽい笑みを浮かべて、
「逆にクイズよ。どうしてあたしたちがそれに気付いたか当ててみて?」
「え……」
わかるはずがなかった。
もちろんアクアもそれは承知済みだったようで、
「ヒントは、『笛』と『犬』よ」
「笛と犬……?」
笛と言われて、ティースの頭に浮かんだのはザヴィアの持っていた楽器だ。確かに去り際、彼はあの笛で魔を操っていたようだった。
が、それがおそらくあり得ないことにすぐ気付く。
「だ、だって、あんな小さな音だと、屋敷の中からじゃ、とても――」
「だから、犬、なのよ」
「?」
「……じゃあ、はい。一番最初に気付いたドロシー先生から説明してもらいましょ」
アクアが水を向けると、ドロシーはあからさまに迷惑そうな顔をしたが、やがて仕方なく答えた。
「『犬笛』ってのは知ってるだろ……」
「あ……ああ。人間には聞こえないけど、犬には聞こえる音を出す笛……だっけ? でも、あいつの笛は普通に俺たちにも聞こえて――」
「だから……あの笛は2つの音を同時に出す代物だったのさ。表はオレたちにも聞こえる、ごく普通で物静かなメロディ。その裏で、オレたちには聞こえない、山まで届くような別の音……」
「……あ」
それでようやくティースにも理解できた。
「屋敷の犬が吠えていたのは、その『裏の音』が聞こえていたからよ。そっちは彼らにとって不快な音だったのね、きっと」
ダリアがふうっとため息をついて、
「犬どもの様子がいつもと違うってわかってりゃ、もっと早く気付けたのにな」
「そうね。あたしたちは最初からうるさいものだと思いこんじゃってたから。……それさえなければ、もっと早く――少なくとも今日の女の子は助けられたかもしれないわね」
「……」
ティースは視線を逸らした。
――罪悪感。
(俺は……わかってたんだ。あいつが魔だって……)
昨日の時点でそのことを打ち明けていたなら、その少女を助けられたかもしれない。そう考えて、ティースは胸が締め付けられる思いだった。
(俺の勝手な思いこみで――)
「いや、でもすごかったわ、ティースくん!」
「……?」
自己嫌悪を中断して顔を上げると、
「魔力の壁よ。……あたしも死んだフリしながら、どうなることかとハラハラしてたけど、まさか本当に破っちゃうなんて!」
「あ……ああ……」
ティースはどこか上の空で、視線を逸らしたまま答えた。
「それは……アクアさんが何度も『集中』の話をしてくれたから――」
「それでも、あの土壇場で思い出してくれるなんて思わなかったもの!」
「……」
明るい気持ちにはなれなかった。
(だって、俺は……)
「ティースくんがあたしの言葉を叫んだときなんて、おねーさん、思わず――!」
そのときのアクアの目はキラキラと輝いていて。
……上の空だったティースは、そんな彼女の変化に気付くことができなかった。
「思わずこうやって――!」
「あっ……アクア姉っ! ……待てぇっ!!」
「……」
「……え?」
ダリアの叫びとドロシーの無言の視線に、ティースが気付いたときはすでに遅かった。
「ティースくんっ!」
「――!!」
そのときティースが感じたのは。
一瞬だけ、暖かいものに包まれた感触と、そして直後、その温もりがアッという間に消え失せていく感覚――
次にティースの目が覚めたとき、時計はすでに夜中の1時を回っていた。
薄暗い中を見渡すと、どうやらアクアの部屋のベッド。気絶する前には明かりが灯っていたこの部屋もすでに真っ暗で、もちろんダリアもドロシーも、フィリスの姿もなく。
「……アクアさん」
「なぁに?」
隣には、当たり前のようにアクアがいて、広いベッドの上、触れないように少し離れた場所から彼を見つめていた。
「俺は……あいつが『魔』だって、知ってたんだ」
「……」
その告白にも、アクアは黙ったまま。時を刻む時計の音が、まるで小さな楔を打ち込むように静かな空間に響く。
「昨日、本人から聞かされてた。……あいつ、俺の反応を見て楽しんでたんだ。きっと、俺のことを馬鹿にして見てたんだろうな……」
「……」
アクアはまだ、なにも言わない。
ティースはさらに続けた。
「俺……信じたかったんだ。魔だからって、全部が悪いヤツじゃないって。……みんながそうやって言うから、なおさら信じたかった……!」
今になって、彼の胸の中に悔しさがあふれていた。
部屋を照らすのは月の光。どこか寂しさを触発するその雰囲気が、なおさら彼を惨めな気持ちにさせる。
情けなくて、目に涙が浮かんだ。
「俺が昨日みんなに打ち明けていれば……そうしたらきっと今日みたいなことには――!」
「ティースくん」
薄暗闇の中、ようやく口を開いたアクアの表情は、いつもの明るいものではなく、かといってティースを責めるものでもなかった。
「あたしも、だいたいわかっていたわ」
「……え?」
「あたしも彼が魔じゃないかって、そう思っていた。ターバンで耳を隠していたこともそうだし……そう。彼が眼光だけで獣魔を追い払ったって話を聞いたときにね。だから、キミが話そうと話すまいと、結果はそれほど変わらなかったと思う」
「……」
最初はかばってくれているのかと思った。だが、彼女の表情を見ると、どうやらそうではないらしいことがすぐにわかった。
そしてわき上がるのは当然の疑問。
「じゃあ、どうしてアクアさんは、すぐにあいつを捕まえようとしなかったんですか……?」
アクアは答える。
「それはティースくんと同じよ。魔の者だからって、悪いとは限らない。実際、彼はそれ以外に疑わしい行動を取っていなかったから。だからティースくんにも言ったでしょ? 怪しすぎるけど、行動がまともなんだ、って」
「……」
「今回の事件はデビルサイダー……つまり『人』の仕業である可能性が高いと言われていたわ。だから、私にはあの時点で、彼を捕まえる理由がなかったの。もちろん、ある程度行動を注意して見てはいたんだけれど」
「で、でも、アクアさんはデビルバスターなのに……」
布団の中からそっとアクアの手が伸びて、ティースは緊張する。だが、意外なほどにほっそりとした人差し指は、彼の言葉を制止するように口のすぐそばで止まった。
「デビルバスターだからこそ、よ、ティースくん。色々な魔と関わるから、彼らが本当はどんな存在なのかも見えてくる。……まあ、これはあたしの師匠の受け売りなんだけどね」
「……」
意外な言葉だった。
(デビルバスター、だから……?)
ティースにとって、デビルバスターというのはあくまで『魔を退治する者』というイメージしかなかった。
当然、彼らにとって魔は敵であり、敵でしかない。そういうものだと勝手に思いこんでいた。
「でもアクアさん……俺、そのせいでノエルさんを深く傷付けて――」
「それは結果論だわ。それに、仮に結果論で話したとしても、キミはノエルちゃんの命を救っているじゃないの」
「だけど……代わりに使用人の子が犠牲になったじゃないですか……」
沈んでいく言葉に、アクアは初めて厳しい表情を見せた。
「代わり? どうして『代わり』なの? ノエルちゃんがいてもいなくても、あの子は部屋に行ったわ。だってそれが彼女の仕事だったんだもの」
「え……あ、そ、それはそうかもしれないですけど……」
アクアはますます厳しい目をして、
「あの男の言ったことなんて気にしちゃダメよ。あいつは紛れもなく人が苦しむのを見て楽しんでるわ。口車に乗せられてあいつを楽しませる必要なんてこれっぽっちもない。でしょ?」
「……」
ティースの中のやり切れない気持ちが、ほんのわずかにではあるが緩和されていく。
……そして、ふと胸に湧き上がったのは、押さえきれない感情。
前触れもなく涙があふれて、ティースは少し目を伏せた。
「アクアさん」
「ん?」
「……アクアさんが生きていて、本当に良かった」
心からそう感じていた。
もしこの人が死んでいたなら、自分は二度と立ち直れなかったかもしれない、と、そう思ったのだ。
「ありがと、ティースくん」
そんな彼の言葉に、アクアは少しだけ嬉しそうに目を細め、そして、
「それってもしかして、プロポーズの言葉だと思ってよかったりする?」
「ダ……ダメに決まってるじゃないですか!」
慌てて答え、ごまかしながら涙を拭ったティースに、アクアは本気で残念そうな顔をして、
「なぁんだ、つまんない。ようやくあたしの魅力に気付いてくれたかと思ったのにぃ」
口を尖らせるアクアは、先ほどまでとは違ってまるで子供のような反応だった。
(……本当に捕らえどころのない人だな、この人……)
ただ、魅力に気付いた、という点ではまさにその通りで、もしもティースがもっと恋愛に積極的で、もっと色々と自由に動ける身分で、そしてこんな体質でなければ、あるいは彼女の言うとおりになっていたかもしれない。
もっとも、それは意味のない仮定である。
(デビルバスターって言っても……本当に色々な人がいるんだな……)
ホッと息を吐いて、ティースは天井を見上げる。そしてふと、もう一度アクアの方に視線を向けると、
「……あ、ところで、さっきから疑問だったんですけど」
そう言ってようやく疑問をぶつけた。
目覚めたときからずっと抱えていた疑問を。
「アクアさん……なんでベッドに縛り付けられてるんですか?」
途端、アクアはハッと気付いた顔をする。
「そうでしょ!? これってやっぱり変よね、絶対!」
ティースの言葉通り、彼女の体は腕以外の部分が動けないようにしっかりとベッドに固定されていたのである。
当然、結び目は手の届かないところにあった。
「その……俺自身、どうしてここに寝かされているかという経過もわからないので、なんとも言えませんけど……」
「ああ、それはね。あたしが、どうしてもティースくんとふたりっきりで話がしたいって主張したからなんだけど」
「はぁ」
「でも逆じゃない、これ! ティースくんが縛られるならともかく、なんであたしが縛られなきゃならないの!?」
ティースはなんともいえない表情で、ひとまずフォローすることにした。
「はぁ……でも、その、俺はたぶん、なにがあっても自分からアクアさんに触れることはないので――」
「それにしたって、ちょっとひどすぎない!? これじゃあ、ティースくんを抱っこして寝られないじゃないのぉっ!」
そんな風に本心をもらした彼女の言葉に――ティースは視線を泳がせ、そして咳払いして答えたのだった。
「……そのままで、お願いします」
1週間後。
その間、ザヴィアの屋敷での行動を辿ることによって、彼の目的――正体までがほぼ判明することになった。
そして、ネービスへと向かう帰りの馬車の中で、ティースはアクアに質問する。
「アクアさん。『例のヤツら』っていうのは、なんのことなんです?」
「ティースくんは知らなかったわね」
ガタガタと揺れる馬車の中、ファントムの面々は来たときと同じように、荷物の山の中で思い思いの体勢を取り、今日の宿へ到着するのを待っている。
まだ日は高かった。
「正式には『タナトス』と呼ばれていてね。大陸にいくつも存在する、魔を中心とした犯罪集団のひとつよ」
「タナトス……?」
ティースには聞き覚えのない名前だった。
そこへ、ダリアが寝転がった格好で目を閉じたまま続ける。
「ウチらの間じゃ、大抵『例のヤツら』で通じる。そういうヤツらさ」
「ええ。タナトスは、あたしたちにとって宿敵と言ってもいい存在なのよ」
そしてアクアの視線がティースに向けられた。
そこに妙に感情のない――いや、感情を抑えたような光を宿して。
「ティースくんも知っているでしょ? だいたい3年ぐらい前、ファナちゃんのお父さん……前のミューティレイク公が暗殺された事件」
「あ、ああ。それはネービス以外でも結構騒がれてたから」
アクアはうなずいて、
「あれは、実際は暗殺じゃなくて襲撃だったの。タナトスが、ミューティレイクの屋敷を襲ったのよ」
「え!?」
ティースはビックリして、
「そ、そんな話、初耳――」
「一般にはあまり知られていないもの。……だって、ネービスの街の中心近くまで魔が大勢入り込んで、しかもネービスにとって重要な人が殺されたなんて、知られるわけにはいかないじゃない?」
「そ、それは確かに……」
それは、治安の良さをひとつのウリにしているネービスとしては、致命的な汚点だろう。
「その事件で、当時のディバーナ・ロウは壊滅状態になったわ。所属していたデビルバスターたちはほぼ全員、使用人もかなりの数が命を落としたの。あたしの師匠もその中のひとり」
淡々と説明するアクアから少し視線を逸らして、ダリアがその先を続ける。
「あたしたちは、ちょうどデビルバスター試験を受けるアクア姉に付き合って帝都まで行っていたから、なんとか無事だったんだよ」
「……そうだったのか」
そしてティースは同時に悟った。
ディバーナ・ロウの隊長である彼らが、そして使用人たちの大半が、どうしてあんなに若い者たちばかりなのかということを。
それは古くからの名家としては、あまりにも不自然すぎることで。
(つまり、古くからいた人たちは、ほとんどそれで――)
だが、ティースはふと疑問に思う。
「でも、そのタナトスはどうしてディバーナ・ロウを? ネービスにはネスティアスだってあるし、むしろそっちの方がそいつらにとっちゃ邪魔なんじゃ――」
「ゲームなのさ……」
「ゲーム?」
ティースが視線を向けると、ドロシーが相変わらず膝を抱えた格好でつぶやくように答えた。
「別に邪魔だからとかそんなんじゃない……ヤツらはただ、オレたちを挑発して戦うことを楽しんでいるだけだ……」
「そんな……」
「タナトスはそういう集団なのよ」
愕然としたティースに、アクアはきっぱりとそう言い切った。
「手段とか行動に深い理由なんてない。……あのザヴィアという男を見ればわかるでしょ? 基本的に、ああいうヤツらなの」
「じゃあ、ザヴィアが今回あんなことをしたのは――」
「おそらくは、あたしたち新しいディバーナ・ロウの力を確かめるため。あとはあいつの言うように、自分の趣味よ」
「……」
ティースはグッと拳に力を込めた。
(そんなことのために……ノエルさんをだまして、何人もの人を殺したのか……!)
「とにかく覚えておいて。あたしたちの当面の敵といえば、間違いなくヤツらのことだから」
アクアの言葉に、ティースはゆっくりとうなずく。
言われずとも、彼には忘れることの方が難しかった。
――重苦しい沈黙が馬車の中を包む。
「でも、ま」
やがて、沈み込んだ空気を吹き飛ばすように、無理に明るい口調でダリアが口を開いた。
「なんにしろ、あのコンラッドってのが助かったのは不幸中の幸いだったな」
「そうね」
アクアも同意して、そして少し柔らかい表情を見せる。
途端に、場の空気がほんのわずかに緩んだ。
「……」
ティースにとっても、それだけが今回の事件で唯一の救いだった。そして、彼同様に深いショックを受けたノエルにとってもそれは同じだっただろう。
(本当に……良かったよな)
コンラッドが目覚めたとき、ノエルが泣きながら抱き付いた光景は今もティースの網膜に焼き付いている。そのときはあまりの安堵感に彼まで涙がこみ上げてきた。
ティースは希望を込めてポツリとつぶやく。
「ノエルさん……きっと大丈夫ですよね」
「そうね」
アクアはその気持ちをすぐに察したようで、即答した。
「コンラッドさんもいるんだし、大丈夫よ、絶対」
少し笑みを浮かべて、
「もしかしたら案外、あの2人でくっついちゃったり――」
「それはないだろうな……」
「……ドロシー?」
振り返ったアクアに、ドロシーは小さく息を吐いて答える。
「ノエルがどうであれ、コンラッドは承知しないさ……」
「え……どうしてだい?」
今度はティースの質問だ。
確かに、これであの2人がくっついたら出来過ぎだと彼も思ったが、それを完全否定するほどの理由が思い浮かばなかったのである。
同様に、ダリアとフィリスも怪訝そうにドロシーの言葉を待っている。
「……」
そんな一同の姿を見て、ドロシーは少し面倒そうな顔をしたが、結局答えた。
「ノエルが小さいころはノエルのそばで護衛……そして今はオーダスの隠し子、ロゼッタの世話……不自然だと思わないのか……?」
「え?」
ティースはもちろんその意味を理解できなかったが、同様に不思議な顔をしたフィリスとは対照的に、残りの2人は何事か思いついた顔をした。
「あ……」
「もしかして……」
ドロシーは続けた。
「護衛って名目だった昔ならともかく……今は執事補佐って立派な役職もあるのに、だ。自ら申し出たとはいえ、なんの理由もなくそんなことが通るはずないだろ……」
「つまり……そういうことなのね、ドロシー?」
アクアは完全にわかったようだった。それはダリアも同様で、
「あー、そっか。そう考えりゃ、色々とつじつま合っちまうもんなぁ」
「? どういうことだ?」
「……ほんっとに鈍いなぁ、お前」
まだ全然理解できていない様子のティースに、ダリアはため息をついて、
「アクア姉が言ってただろ。あの一族にはクセの悪い血が流れてるみたいだって」
「……え? あ……つ、つまり?」
そこでようやくティースも気付く。彼にしてはなかなか察しのいいことだった。
「コンラッドさんは……もしかして、その……ノエルさんのお兄さん!?」
「確証はないが、な……」
ドロシーの言葉に、アクアは視線を少し上に向けて、
「言われてみれば、あの太い眉毛とかオーダス氏にそっくりなのよねぇ――って、フィリスちゃん? どうしたの、口を尖らせちゃって?」
「……なんでもありません」
ダリアも少し怪訝そうにフィリスを見る。
「なんだよ。なに怒ってんだ、フィリス」
「別に、怒ってなんかないです」
「変なヤツだなぁ」
その言葉に、フィリスはますます機嫌を悪くした様子で、
「変なのは……変なのは、そんなことを平気な顔で話してるみなさんの方です!」
「??」
結局、ファントムの面々は誰ひとりとして、彼女の怒りの理由を察することはできず。
最後の最後にどうでもいい謎を残して、馬車は北の街――クレイドウルを離れていったのだった。
夜のミューティレイク邸。
薄手のシャツとゆったりとした形のズボン。寝巻に近い格好で1階の玄関ホールに姿を現したのは、つい先日12歳になったばかりの屋敷の執事リディア=シュナイダーである。
「あらら?」
手にはいつもの分厚い本を抱え、そしてその目はわずかな驚きと好奇心に開かれていた。
その視線の先。
そこにいたのは――
「ティースさん。珍しいね、ここでお酒呑んでるなんて。しかもひとり?」
「ん? ……あ、リディアか」
ワインの入ったグラスを片手に振り返ったティースは、どうやらほろ酔い気分といったところか。
彼は今日クレイドウルの任務から帰ってきたばかりのところで、いつもなら疲れてベッドに入っているはずの時間だった。
「君こそ、こんな時間にどうしたんだ?」
わずかに赤くなった顔で、ティースは逆に質問した。
時計は夜の11時を回っている。普通なら、彼女ぐらいの年齢の子供は眠っている時間だった。
ただ、もちろんそんな常識など、最初から常識外れのこの少女に通用するはずはなく。
「ホールにいる人たちに、12歳になったあたしのセクシーな寝巻姿を見てもらおうかと思って」
「……」
「うわ。鼻で笑ったね、今」
「いや、笑ってないよ。そっか。こないだ12歳になったんだっけ?」
言いながらも、ティースの頬は緩んだままだった。
「あーあ、馬鹿にしちゃって。知らないよ。あたし、将来は絶対に美人になるって言われてるんだからね」
「誰に?」
「街角のうさん臭い占い師に」
「わざわざ見てもらったのかい?」
リアリストっぽい彼女のイメージからかけ離れた言葉だな――と疑問を向けると、リディアは首を横に振って、
「まさか。お金もったいないし」
「じゃあ――」
「あの人、いっつも見かけるんだけど、誰に対してもだいたい同じことしか言わないんだ。だから、あたしにもきっと同じこと言うんだろうなと思って」
「はは……」
相変わらずの少女に、ティースは苦笑いした。
「考えてみたら、将来美人になるとかって、占いとあまり関係ないじゃんねぇ」
そう言いながら、リディアは向かいの席にストンと腰を下ろす。
ティースはそれを見て、少し不思議そうに、
「俺みたいな酔っぱらいに付き合って楽しいかい?」
「自分のこと酔っぱらいって言うのは、まだそれほど酔ってない証拠」
「相変わらず、子供らしくない発言だなぁ」
笑ったティースに、リディアは真面目な顔をすると、
「子供じゃないってば。もう赤ちゃんも産める体になってるし、胸だって少しはあるよ。見てみる?」
「……あ、あのね」
アルコールとは別の理由で赤面したティースに、リディアはおかしそうに笑う。
「あはは。やっぱりおもしろいなぁ、ティースさん。そんなことで赤面する男の人って珍しいよ」
「そ、そんなもんかな?」
「少なくとも、ここにいる18歳以上の男の人ではティースさんぐらい。でも、あたしは好きだな」
「……ありがとう。素直に喜んでおくよ」
彼女相手だと、さすがのティースもそれほど照れることなく返すことができた。
グラスの中のワインを飲み干すと、リディアがワインの瓶を手につぎ足してくれる。周りはいつの間にか無人になっていて、ホールにいるのは彼ら2人のみだった。
……そしてしばらく。話題もなく沈黙が続いていたところへ、リディアがまるで不意を突くようなタイミングでポツリと言った。
「辛かった?」
「え?」
リディアは少し上目遣いにティースを見て、
「ティースさん、前に言ってたもんね。他の人の恋愛は、ついつい応援したくなるって」
「……」
思わぬ指摘に驚き、無言で見つめ返す。
もちろん彼女は今回の件の大まかな経過を聞いてはいる。だが、ティースがどんなことを考えて、そしてどんなことを感じたかなどということまで知っているはずはなかった。
だからもちろん、それは彼女の単なる想像で、しかしきちんと的を射ていたのだ。
「なんとなくね。ティースさんって、そういう無茶な恋愛とかすごく応援しそうな感じだったから」
「はは……君はホント、俺なんかよりよっぽど鋭いな……」
リディアは小さくため息を吐いて、
「人が良すぎるのも考えものだね。そういうのいちいち抱え込んでたら、潰れちゃうよ」
「そういうんじゃないよ。ただ、許せないと思っただけだから」
「許せないって?」
その言葉に、リディアはほんの少しだけ目を細める。
「『魔』が?」
ティースは一瞬、言葉に詰まった。
そして少し声を落とし、答える。
「……違うよ。俺が許せないのは、人の心や命をもてあそぶヤツらだけだ」
「そっか。……なら、大丈夫かな」
「? なにがだい?」
「ティースさんが、魔への復讐だけに燃える人になったら、なんかヤだな、って」
「……ならないよ。俺、今でも、魔が悪いヤツばかりじゃないって信じてるから」
「あれ? 今回、だまされたのに?」
「それはあるけど、でも、それ以上に俺は――」
「なに?」
「……ごめん。なんでもない」
軽々しく口にすることではないと思い直し、ティースは口をつぐんだ。
リディアは少し探るような目で見ていた。
(う……)
ティースには、どうにも心の奥が見透かされているような気がして落ち着かない。ただでさえ彼は考えていることが顔に出やすく、かつ、目の前の少女はそういうことに鋭い人物でもあったから。
「……ま、いっか」
あっさりと、リディアの視線が離れた。そして立ち上がる。
「あ……リディア。そのワイン――」
「呑みすぎはよくないよ。それにお酒は本性をさらけ出すものだからね」
それから振り返って、真面目な顔で言った。
「フツーの女の人に触れないストレスで、あたしみたいな微妙な年ごろの娘に襲いかかってくる可能性もあるし」
「……そ、それは絶対にないっ!」
即座に否定したティースに、リディアは笑いながら目を細めて、
「慌ててるところが怪しいなぁ。セシルさんにも気を付けるように言っておこーっと」
「ちょっ、ちょっと、リディア! ……ったく」
屋敷の奥へ消えていく少女を見送りながら、ティースは仕方なさそうに息を吐く。
グラスに半分ほど残ったワインにちびちびと口をつけながら、ひとり自嘲気味に笑って、
(……あんな年下の女の子に心配されているようじゃ、ダメだなぁ)
それでも、彼女の心遣いに深く感謝するのだった。
――その翌日。
「あの、ティースさん」
「うん?」
「リディアちゃんが、ティースさんと一緒にいると、私の貞操が危ないって言うんですけれど……」
「あ、あのね、セシル。それはとんでもない誤解――」
「『貞操』って、なんですか?」
「……なんでもないよ」
「……」
妙に冷たいシーラの視線を背中に感じながら、ティースは深いため息をついたのだった。
(やっぱ、遊ばれただけなのかも――)