その6『そして“フィナーレ”へ』
その部屋の中は窓ガラスが内側から派手に吹き飛び、部屋の中はまるでミキサーでかき回したかのようなひどい惨状だった。
「……っ」
部屋に入ったアクアは嫌悪感に眉をひそめる。
――ベッドの上。そこには、まさにミキサーに巻き込まれたかのようにボロボロになった少女の遺体があった。
血がペンキを撒き散らしたかのように壁まで飛び散っている。その手にかすかに見えるのは赤く染まったシーツの切れ端だろうか。
「どうやら、部屋の掃除をしていたらしいな……」
いくらか冷静に、ドロシーは部屋の状態を把握し始めていた。
ギリッと、歯ぎしりの音がする。
アクアの拳は、怒りでかすかに震えていた。
「風の『トラップ』だわ……ドロシー……」
「時限式だな……最初からこの子を狙ったものか、あるいはノエルを狙ったものか……おそらく後者だろうが、敵は『デビルサイダー』なんかじゃないな……」
彼女たちが話している間にも、そばでは屋敷の人々が大騒ぎしている。屋敷の中で人が死んだのは初めてのことだったから無理もない。
「どうする、姐さん……詳しく調べるなら、いい加減正体を明かす必要があると思うが……」
「……その必要はないわ」
騒ぎがどんどん大きくなる中、アクアはきっぱりとそう言い切った。
「姐さん……?」
「犯人の目星はついているのよ。もう間違いない」
きびすを返し、もう一度歯ぎしりする。
「あとはあいつを……捕まえるだけだわ!」
「……アクア姉! ドロシー!!」
そこへ駆けつけたのは、息を切らせたダリアだった。
「どうなってやがんだ! 魔は!? 誰か犠牲になったってのは本当かっ!?」
「こっちはトラップよ。使用人の子がひとり亡くなったわ」
「使用人の子が……? そ、そうか……」
ダリアは複雑な表情をした。
そしてすぐに思い出したように叫ぶ。
「だったらこっちは後回しにしてくれ! 裏口の方に獣魔が現れたらしくて、今、ティースの野郎が向かってる! ザヴィアとノエルも一緒らしい! とにかく、急いでくれ!」
「……なんですって?」
「姐さん……」
ドロシーの言葉に、アクアは深くうなずいた。
「……ええ! とにかく行きましょう!!」
「ザヴィアさん!!」
ティースが駆けつけたとき、場の状況は変わらないままだった。
「……ティースさん!」
相変わらず2匹の獣魔とにらみ合うザヴィアは、ノエルが後ろにいるためか、そこから動かずにいた。
対する獣魔の方も、相変わらずのザヴィアの威圧感に動くに動けない。
だが、ティースが来たことで状況は変化した。
「片方は、俺に任せてくれ!」
「ええ、わかりました!」
「さぁ、こい!」
ティースの鞘から剣が抜き放たれる。
正眼に構えた美しい細波の剣身が、太陽の光に照らされて輝いた。
「ケェェェェェッ!!」
それに反応したかのように、片方の獣魔がティースに向かってくる。
その動きは体躯に似合わず、素早い。
「くっ……!」
羽ばたきとともに巻き起こった風圧が、わずかにティースの視界を奪う。だが、襲いかかる足爪の動きはかろうじてとらえることができた。
剣と爪が交錯する。
「っ……!」
両腕が痺れた。
ティースを襲った衝撃は想像以上だ。人よりも大きい体で、ほぼ全身の体重を乗せた攻撃。いくら見た目ほどひ弱ではないとはいえ、ティースには少々酷な圧力だった。
ぐらりと体勢を崩したところへ、手爪が斜め上から襲いかかる。
(まずいっ!)
とっさの判断で、足の力を抜いた。尻もちをついたところへ、頭上を鋭い爪が通り過ぎる。
「ケェェッ!?」
そのまま横に転がり、なんとか体勢を立て直すと、すぐさま獣魔の巨体と足爪が襲いかかってくる。
(まともに受けたら、さっきの二の舞だ……どうする!?)
そのとき、ティースの背中に堅い幹の感触が触れた。
そしてとっさに思いつく。
(……いちかばちか!)
背筋を緊張が駆け上った。
(……今だっ!!)
紙一重のところで、思いっきり右に飛ぶ。
「っぅ!!」
爪が左腕をかすめてかすかに肉をえぐった。激痛が走ったが、その後に響いたミシッという音は、ティースの思惑がうまくいったことを示していた。
体勢を立て直し振り返ると、獣魔の足爪は見事に木の幹に突き刺さり、身動きが取れなくなっている。
ティースの視界にあったのは、まるで無防備な獣魔の背中。
(……いまだっ!)
剣を握り直し、ティースは地面を蹴った。
気合が思わず口をつく。
「やぁぁぁぁぁっ!!」
「……ケェェェェェッ!!」
ミシッ……メキメキメキメキ。
(……え?)
だが、ティースの剣が届く前に、木の方があっけなく悲鳴をあげた。太い幹に亀裂が入り、枝葉がガサガサと音を立てて揺れる。
(な……なんて馬鹿力……でも!)
ティースとしてもここは最大のチャンスだった。止まるわけにはいかない。
「ぁぁぁぁぁっ!!」
「ケェェェェェッ!!」
ティースの気合の叫びと、獣魔の鳴き声が交錯する。
メキメキメキメキ……バキッ!!
「!?」
紙一重の差。
ティースの剣が届く前に木の幹は真っ二つに裂け、そしてティースの剣は強い衝撃とともに、獣魔の足爪に押さえつけられていた。
グラリと、体が前につんのめる。
(……しまった――っ!!)
直後、手爪が迫った。
もう体勢を立て直す余裕はない。避けるには一か八か剣を手放すしかなかったが、剣を手放すことはすなわち、戦う手段を手放すことでもある。
「くっ――!!」
「ケェェェェェッ!!」
それはまるで勝利を確信した雄叫びのようだった。
――だが、その直後、
「えっ……?」
「……ケェェェェェッ!!」
黒い影が獣魔の背後を横切ると、同時にその鳴き声は、驚きと、そして痛みの悲鳴へと変わった。
「だらしねぇぞ、ティース!」
「……ダリア!!」
魔の背中を裂いたナイフの持ち主はダリアだった。宙からティースの隣へ降り立つと、2本のナイフを構える。
「さぁ! あの鳥の化け物にトドメを刺してやんな!!」
「……ああっ!!」
ティースは両手で剣を構えた。
迷うことはない。あとはただ、痛みに我を忘れた獣魔に、その剣をまっすぐに撃ち込むだけだった。
「やぁぁぁぁぁっ!!」
今度こそ、邪魔するものはなく。
ドスッ……という肉を貫く確かな感触が、かすかに汗ばんだティースの両手に伝わってくる。
「ゲェッ!! ケェェェェッ……!!!」
それは間違えようもない、致命的な一撃の感触だった。
剣を抜くと、そこから血が吹き出してティースの体を汚す。そのまま獣魔の巨体は地面に崩れ落ちて痙攣を始め――そして、やがて動かなくなった。
「はぁっ……!」
確実に動かなくなったのを確認し、そしてティースの視線はすぐさま移動する。
(ザヴィアさんは――!)
だが、そちらもまるで心配する必要はなかった。
「パワー全開っ!!」
宙に踊るのは、トレードマークのお団子頭。その周囲はキラキラと、細かい氷の粒がまるでダイアモンドダストのように輝いていた。
「ケェェェェッ!!」
獣魔の爪がそれを捕らえようと宙を裂く。だが、それは彼女に命中するどころか、かすることさえも叶わなかった。
残像を残し、それほど大柄でもないアクアの体はあっけなく獣魔の懐へと侵入していく。
「あなたには、氷の柩をプレゼントしてあげるわっ!」
「ケェッ!!?」
最初の一撃が撃ち込まれると、あとは一瞬だった。
体の制御を失った獣魔に対し、目にも止まらない速さでアクアの拳が叩き込まれていく。『氷雨』の力によって、見る見るうちにその全身が凍り付いた。
「はぁぁぁっ!!」
そして最後の一撃が、完全に凍り付いた獣魔の体を破壊して、勝負は決した。……いや、勝負ということであれば、戦う前からすでに決していたといってもいいだろう。
それほどに圧倒的だった。
(さすがアクアさん……あの化け物が、まるで相手になってない)
「……ふぅっ」
まるで軽いジョギングを終えた後のように短い息を吐いて、アクアはチラッとザヴィアとノエルを見る。
そしてすぐにティースの方に振り返った。
「ご苦労様、ティースくん。よくやってくれたわ」
「あ……」
その誉め言葉を素直に喜んだティースだったが、状況を思い出して、
「そ、そうだアクアさん! 屋敷の方は――!?」
アクアはすぐに厳しい表情をして、
「ひとり、使用人の子が犠牲になったわ。でも、それも今回が最後よ」
「え……それじゃあ……!?」
「ええ、敵の見当はついたわ。あとは捕まえるだけ」
うなずいたアクアに、その向こうで疑問の声が上がった。
「あなたたちは、一体……」
ザヴィアだ。
アクアは振り返り、そして笑顔を浮かべて、
「その話はひとまず後よ、ザヴィアくん。ノエルちゃん?」
「は……はい」
ノエルは昨日、出掛け先でアクアが獣魔を撃退するところを見ているはずだ。が、それでもやはり戸惑いは隠せないようだった。
そんな彼女に、アクアはすぐに表情を引き締めて答える。
「今回の件、犯人はコンラッドさんよ」
「……え!?」
ノエルが驚きに目を見開く。
それはティースも同じだった。
「コ、コンラッドさんが……? アクアさん、それは――」
「ええ、間違いないわ。色々な状況を照らし合わせても、それしか考えられない」
「……」
ザヴィアもまた信じられないのか、怪訝そうな顔だった。
「ノエルちゃん。あなたがまた襲われる可能性は高いわ。あたしたちと一緒に来て。安全は必ず保障するから」
「で、でも……まさか、コンが……」
だが、アクアは厳しい表情を崩さずに言った。
「急いでノエルちゃん。急がないと、次の犠牲者が出るかもしれない」
「は……はい」
ノエルはまだ信じられない様子だったが、この状況ではアクアの言葉に従うしかなかったのだろう。ザヴィアの後ろから一歩、彼女の方へ向かって踏み出す。
だが、
「待って、ノエルさん」
「え?」
ザヴィアがそれを制した。
怪訝そうに振り返るノエル。
「あなたはここにいてください。私がこの手で守って――」
「いいえ、それはダメよ」
アクアは厳しい表情でその提案を却下した。
「まだ、敵がどれだけの力を持っているかわからない。ザヴィアくん。あなたの腕が立つのは認めるけど、でもあたしたちはそれに関してはプロよ。あなたよりもずっと確実だわ」
「あ、でもアクアさん……」
そこへ、ティースが口を挟む。
「それなら、ザヴィアさんにも協力してもらったらどうかな? そりゃアクアさんほどじゃないかもしれないけど、彼だって俺なんかよりはずっと役に立つだろうし」
「……それもいいかもしれないけど」
アクアは腰に手を当て、ティースを振り返る。
(……え?)
その表情に、ティースは少し違和感を覚えた。
(なんだ……? アクアさん、なにを――)
訴えかけるような視線。
だが、それが一体なにを意味するのか、ティースにはすぐにわからなかった。
そのままで、アクアが続ける。
「だけどティースくん。あたしたちにとっては、ザヴィアくんもまた一般の人と同じよ。危険な目に遭わせるのは――」
言いかけた、そのとき。
――悪意は、突然に牙を向いた。
「えっ……?」
一陣の風。
風――いや、突風だった。
なんの前触れもなく発生したそれは、地面の土を舞い上げ――いや、土の表面を抉るようにしながら――
「アクア姉っ!!」
「!?」
ダリアが叫び、そしてアクアも驚愕の表情を浮かべたが、彼女が反応したときにはすでに遅かった。
「っ!!!」
鈍い衝撃音を残し、まるで木枯らしが落ち葉を舞い上げるように、アクアの体が宙に舞う。
「アクア姉ぇぇぇ――っ!!!」
「え……?」
ティースがその事態をようやく把握したのは、ダリアの2度目の叫びが聞こえてからだった。
アクアの体は山なりに弧を描き、そしてティースの背後、2メートルの辺りに落下する。
「な……アクア……さん……?」
振り返ると、うつ伏せに倒れたアクアはピクリとも動かなかった。
じわり、と、赤いものが地面に流れ出す。
――あまりにも、あっけなく。
(一体、なにが――)
「……てめぇっ!」
ティースのすぐ隣で、ダリアが地面を蹴る気配。
その声が向かった先は――
「動かないでください」
「……!」
視線を戻したティース。
その視界に映ったのは、足を止めたダリアと、驚きの表情を浮かべるノエルと、そして――
「……ザヴィアさん」
ノエルの体を拘束し、彼女ののどに刃を当てたザヴィアの姿だった。
その口元には、見慣れた微笑みが浮かんでいる。
――信じがたい、光景。
「どうして……」
「どうして?」
ザヴィアは小さく首を振った。
「どういう意味ですか? なぜ彼女を攻撃したのかと? それとも、どうして裏切ったのかと聞きたいのですか?」
「……」
あまりのことに、ティースは言葉を返すことができなかった。それほど、今の状況は彼にとって信じがたいことだったのだ。
そんな彼に、ザヴィアは淡々と答える。
「前者の質問に対しては、最初からそのつもりだったとお答えしましょう。後者については言うまでもないことですよね……ティースさん?」
そしてもう一度、笑みが口元を支配した。
今度は今までに見たことのない、本当に嬉しそうな『愉悦』の笑み。
「私は最初から最後まで、あなたたちの味方になったつもりはありませんよ。だって、私は――」
そしてザヴィアはゆっくりとターバンを外す。
そこから現れたのは、彼が人ならざる者であることを示す、尖った耳――
「魔の者、なのですから」
「そんな……」
目の前が一瞬真っ暗になって、膝が震えた。
――常識や、周りの意見に反発してまで彼を信じようとした、その結果。それは、想像を絶するほどの衝撃だった。
そしてもちろんもうひとり。
その魔を信じようとした人物にとっても同様である。
「ザヴィア様……なぜ……」
刃を当てられたまま弱々しく問いかけたノエルに、ザヴィアはチラッと彼女を見下ろして、
「楽しかったのは事実ですよ、ノエルさん。色々とおもしろい体験をさせてもらいましたからね。まさか、正体を明かしてなお、だまされてくれるとは思いませんでした。お人好しと言おうか世間知らずと言おうか、表現に困るところです」
「――」
ノエルの瞳は、まるで光を失ったように見えた。
それは『絶望』だ。
もう、どう好意的に解釈しても疑いようがない。
彼は――2人を欺いていたのだ。
それは、どうやっても動かしようのない事実だった。
「……アクア姉。おい、しっかりしろよ……」
いつもからは信じられないほどに弱々しいダリアの声が、ティースの耳に届いてくる。
アクアのもとへ移動したダリアが、軽く肩を揺すりその脈を取っていた。
「っ……!」
途端、ハッとした顔で、そしてダリアはゆっくりと自分の両手を見つめる。
――真っ赤だった。
「ダリア……アクアさんは……」
「……」
ダリアは唇を噛みしめて――そして、首を横に振る。
「!」
ドクン、と、ティースの心臓の鼓動が跳ね上がった。
「そんな……アクアさん――!」
「ふふ、あっけないものですね」
その様子を見て、ザヴィアは相変わらず楽しそうだった。
「少し不意を突かれただけで、こうもあっさり死んでしまうとは。ここまでの芝居を打つ必要もなかったですかね」
「貴様……!」
ティースはザヴィアをにらみ付け、剣を握る手に力を込めた。
ショックがのど元を通り過ぎて、あとに残ったのは煮えたぎる怒り――
「貴様は――ッ!!」
「ああ、そうそう。でもティースさん。信じる心ってのも、捨てたものじゃないんですよ」
ザヴィアは彼を牽制するように、ノエルに突き付けたのど元の刃を小さく動かして見せながら、
「ノエルさんが私を信じて追いかけてこなければ、今ごろ私の仕掛けたトラップでボロ雑巾になっていたでしょうから。その点でいえば、あなたたちの信じる心がノエルさんの命を救ったことになる。……もっとも」
笑う。
「代わりに、少々運の悪い子が犠牲になったみたいですけどね。ははは」
直後、押さえきれない怒りの声がティースの口をついた。
「貴様は……許さないっ! 絶対に、許せない――ッ!!」
「では、どうするつもりです?」
ティースはギリッと歯を鳴らして、
「……ノエルさんを離すんだ!」
「なぜ? ……ああ、確かに。私は人質など取らなくとも、あなたたちを楽に倒すぐらいの力は持ってますね。怖い怖い隊長さんは、あの世へ旅立たれてしまわれたようですし」
怒りの声を発したのはダリアだった。
アクアの手を離し、ゆっくりと立ち上がってザヴィアをにらみ付ける。
「……だったら、とっととその子を離しやがれっ! あたしが、この手でてめえをぶっ殺してやるっ!!」
だが、ザヴィアは平然と、まるでからかうような笑みを浮かべて、
「なるほど。では、どうやら私にとっては特に必要もないみたいだし、この子にはとっとと死んでもらうことにしましょうか」
剣を握る左手に力がこもり、刃がノエルののど元に近付いていく。
ティースの顔が青ざめた。
「――っ!! やめろぉっ!!」
捕らえられたままのノエルは、それほど反応を示さなかった。……あまりのショックに、状況を把握できていないのかもしれない。
「……冗談ですよ」
ザヴィアはおかしそうにクスクスと笑って、剣をノエルから少し遠ざけた。
「どうやらノエルさんはショックのあまり放心しておられるようですし……私にはあまり、無抵抗のものを痛めつける趣味はないのです。私が好きなのは、誰かの大切なものとか、誰かが信じてるものとか、愛とか絆とか友情とか……それが壊れたときの、壊されたときの、顔。悶え苦しむ、顔――」
そして、人差し指をティースの方に向ける。
「ほら。ちょうど今のあなたがしている、その顔です」
「貴……様……!」
ティースはあまりの怒りに全身が震え、煮えくり返って頭の中がどうにかなりそうだった。
――彼が少なからず親しみを感じ、そして信じようとしたその男は単なる悪人ですらなかった。どうしようもない、これ以上救いようのない、他に表現しようのない、紛れもない『悪そのもの』だった。
「さて。では、ティースさんの怒りが頂点に達したところでゲームでもしましょうか。……ちょうど、観客も集まってきたようですし」
涼しい顔で、ザヴィアが裏口に視線を向ける。
「お嬢様!」
ちょうどそこから姿を見せたのは、屋敷の執事補佐、コンラッドだった。
ザヴィアはうやうやしく礼をして、
「どうも、コンラッドさん。あなたの大事なお嬢様はお預かりしていますよ」
「貴様は……やはり――!」
「ふふ、あなたは最初から私のことを疑っていましたね。なかなか良い判断でしたよ」
「コン……」
そこで初めて、ノエルがかすかな反応を見せる。
ゆっくりと顔を上げ、涙が浮かんだままの視界に、その、幼いころから面倒を見てくれた男の姿を映すと、そこから涙の筋がこぼれ落ちた。
そんなノエルの姿を見て、コンラッドは普段無愛想なその顔に、明らかな怒りを浮かべて叫んだ。
「貴様……お嬢様を離すんだ! さもなくば――!!」
「ああ、そうそう」
ザヴィアはまるでそれが聞こえていないように、ふと思いついたような顔をすると、まるでひとりごとのようにつぶやいた。
「ちょうどよかった。ゲームは商品が多い方が盛り上がりますね」
剣を握ってない方――右手の甲に口づける。
――途端、突風が吹いた。
「っ!!」
一瞬、誰もが視界を奪われる。
そして直後。
耳に届いたのは、『なにか』が『なにか』に叩きつけられる鈍い音――
「……やぁぁぁぁぁっ!!」
真っ先に叫んだのは、ザヴィアの腕の中のノエルだった。
そしてティースも気付く。
「コンラッドさんっ!!」
コンラッドの体は、屋敷の壁に叩きつけられていた。ガックリとうなだれ、やがれその首筋に赤いものが伝い始める。
ノエルが狂ったように叫んだ。
「コン! コンッ! しっかりしてぇぇぇ――ッ!!」
「ノエルさん。動いてはいけませんよ」
悲痛な叫びの満ちる中、ザヴィアの声だけがまるで浮いたように落ち着き払っていた。
「ほら。あなたが動くと、私の手元が狂って――」
パン、パァンッ!!
前触れもなく屋敷の窓ガラスが破裂し、それが意識を失ったコンラッドのすぐそばに降り注いだ。
「……せっかく、まだ生きているコンラッドさんが、今度こそ命を落としてしまうかもしれませんから」
「――あなたはっ!!」
ノエルは逆上して、すでに冷静な判断ができないようだった。剣を突きつけられていることも忘れ、ザヴィアをにらみ付ける。
「あなたは悪魔ですっ! あなたは――っ!!」
「そうですか……」
ザヴィアはわざとらしい――今となってはわざとらしいと確信できる――悲しい表情をそこに浮かべて、そして答えた。
「悲しいことですね。女心と秋の空、とはよく言ったものです」
「っ――!!」
その場にいる誰もが、押さえきれない怒りをそのひとりの男に向けていた。
だが……誰も動けない。
今は、誰にもどうすることもできなかった。
「さて、ティースさん」
ノエルを捕らえ、そして同時に強大な力を所有しているその『悪』が、その場の支配権を完全に握っていた。
ティースたちは今、ただひとりで楽しそうにおどける彼の言いなりになるしかなかったのだ。
「私を信じてくれたあなたに、チャンスを上げることにしましょう。なに、簡単なゲームです。あなたが勝てばノエルさんを解放します。コンラッドさんもおそらく、すぐに治療すれば助かるはずですよ」
「ゲーム……?」
「簡単なことです。……ほら、ティースさん」
ゆっくりと、ザヴィアは足下にあった長い木の枝を拾い上げた。右腕を伸ばし、その先をティースの方へ向ける。
「あなたのその自慢の武器で、この木の枝を叩き折ってください。チャンスは3回。折れたらあなたの勝ち。3回で折れなければ私の勝ちです」
「……?」
ティースにはその言葉の意味が理解できなかった。
ザヴィアが手にしたのは、なんの変哲もないただの木の枝だ。先ほどの突風で折れたばかりのもので、もちろん中に金属の棒が仕込まれてるなんてこともない。
(なにを……言っているんだ……?)
鋼鉄製の剣で折れないはずがなかった。太さも直径にしてせいぜい2、3センチ。素手でだって簡単に折れるに違いない……と、ティースはそう考えた。
だが、
「待て、ティース!!」
「……ダリア?」
「お前じゃたぶん無理だ! あたしが代わりに――!!」
ザヴィアはすぐにそれを拒絶した。
「それはダメです。ティースさんだからこそ、チャンスを与えるのですよ。……ほら、ティースさん。私の気が変わらないうちに、早くチャレンジしてみてはどうですか?」
「……」
ダリアの言葉は気になったが、ティースにはもとより選択肢などない。なにより彼の中には、折れないはずがないという気持ちがあった。
「……本当に、ノエルさんを解放するんだな?」
「ええ。信じてもらえないとは思いますが、せっかくのゲームをつまらなくするような無粋な真似はしないつもりですよ」
「……」
ティースが近付いても、ザヴィアはなにも妨害しようとしなかった。右腕も伸ばしたまま、ピクリとも動かさない。
(ただの木の枝……邪魔する気配もない……なら――)
剣を振りかぶる。
(折れないはずが――っ!!)
それでも渾身の力を込めて振り下ろした。
そして振り下ろした剣は、木の枝を真っ二つに――いや。
「な……っ!」
木の枝は、折れていなかった。
ティースの手に残ったのは、まるで柔らかい壁に剣を叩きつけたような奇妙な感触。
『折れなかった』という表現は、あるいは正しくないかもしれない。
「なんだ……これ――!!」
刃は、木の枝まで到達していなかった。まるで、木の枝に透明な膜――剣ですら切り裂くことのできない特殊な膜をかぶせているかのように。
「ほら、ティースさん。あと2回です」
ザヴィアは笑みを浮かべたまま、余裕の表情だ。
「生半な気合では破れませんよ。私の『魔力の壁』は」
「魔力の……壁――!」
ハッと気付いた。
(これが……魔力の壁……)
それはティースにとって初めての体験だった。
彼がこれまで魔と相対したのは、ほんの数度のこと。そしてその中で、たとえば能力的に歯が立たない相手はいくつもいたが、『魔力の壁』というものに阻まれたことは一度もなかった。
それは彼が元々高い聖力を持っていたのと、彼の持っている神剣『細波』が、圧倒的に高度な増幅力を備えていたからである。
だが、今度ばかりは明らかに勝手が違っていた。
「ティース! そいつは!」
ダリアが絶望的な叫びを発する。
「そいつは並の魔じゃねえっ! そいつはおそらく――!」
その言葉に、ザヴィアが続けた。
「では、改めて自己紹介でもしましょうか? ……私は風の将、フェレイラ族のザヴィア=フェレイラ=レスターといいます。年齢は21歳。趣味は……先ほども言ったので省略させていただきますよ」
「風の……将――?」
アオイから教わったものがティースの脳裏によみがえった。
神族、王族、将族、上位族、下位族。
神族と王族は滅多に姿を見せることはない。つまり将族とは実質、この世界における人魔でもっとも手強い存在のことだ――と。
「じゃあ、こいつは……」
「お前じゃ……どうあがいたって勝てっこねぇっ! あたしでも……っ!」
「っ――」
「では、あがくのをやめますか?」
ザヴィアはつまらなさそうに言った。
「なら私は、この場にいるあなたたちを皆殺しにして帰るだけですが」
「ふざけるなっ!! 誰が――っ!!」
ティースは再び両腕に力を込めた。
(こんなヤツに……こんなヤツに負けるわけには……!!)
全身全霊の力を両腕に集める。
怒りが全身に炎を灯す。
「……」
ザヴィアは黙ってティースの様子を見つめていた。
「負けて……たまるかぁぁぁぁぁ――っ!!!」
そして、細波が振り下ろされる――!
「あと1回です」
「っ! ……どうして……っ!!」
切っ先はやはり枝に届く前に止まっていた。力を込めすぎたせいか、肩の関節がズキズキと痛む。
「ティースさん……」
ノエルが絶望的な表情でティースを見つめていた。
(どうして……どうして破れないっ!!)
「日が暮れるまでなら、悩んでも構いませんよ。……ただし、あまり時間をかけすぎるとコンラッドさんが死んでしまうかもしれませんね」
「っ!!」
「……ああ、そこの方々。外には出てこないでくださいね。出てきた瞬間、頭と胴体が永遠にお別れすることになりますよ」
ザヴィアは屋敷の裏口に視線を向け、冷たく言い放った。ただ、言われずとも、そこから身を乗り出そうとする者はいない。
「く……っ!」
「ほら。ティースさん。どうします?」
ティースは今の一撃に渾身の力を込めていた。今、再び最後の一撃を放ったとしても、結果は間違いなく同じだろう。
(なら……どうすれば……)
ティースの視線が虚ろに周囲を彷徨う。
ザヴィア、ノエル、ダリア、コンラッド――
(……アクアさん)
そして最後に行き着いたのは、血を流して倒れたままのアクアだった。
(……どうしたらいい? ダリアの言うように、俺には……無理なのか……っ!?)
ティースの心の中での問いかけに、もちろん答えが返ってくることはない。たとえ声に出していたとしても、すでに事切れた彼女がそれに答えることができるはずもなかった。
(こんなときにも、なにもできないなんて……!)
手が、いや、全身が震える。
(どうにかできないのかっ!? 俺はやっぱり役立たずなのかっ!? 俺になにかできることは――っ!!)
だが、その瞬間――
(……あ)
手の震えが止まった。
暗く、沈みかけていたティースの胸に、かすかに言葉が聞こえてくる。
(俺に……できること……?)
それは、記憶の中に沈んでいた言葉。
こういう状況がなければ、特に思い出すこともなかったであろう、言葉たち。
それが、彼の胸の中に広がっていく。
「決心はつきましたか?」
「……」
その問いかけに、ティースはゆっくりと顔を上げた。
「……?」
ザヴィアが怪訝な顔をする。
――先ほどまでティースを支配していた弱気の色は、完全に姿を隠していた。
(俺にできること……それは……)
アクアの言葉が、ティースの中によみがえる。
(……アクアさん……俺、やってみる――!)
熱いものが胸を満たす。
決意が、折れかけた心に炎を灯す。
そして、ティースは叫んだ。
「……俺の役目はっ!」
まるで自らに言い聞かせるかのように、声を振り絞って叫んだ。
「この先起こりうる、俺に阻止できるはずの悲劇を! それを阻止するために最善の努力を尽くすことだ!」
「……?」
ザヴィアは怪訝そうな顔をした。だが、遠くでそれを聞いたダリアは、彼の言葉の意味を理解していた。
「ティース、お前――」
「大事なことは……!」
両腕に力がこもる。
「なにかを為すとき、なにかを為さなければならないとき。……そういうときにこそ『集中』すること――!」
全身の力が集中していく。
ティースの視界は狭まり、その色を濃くする。その視界に映るのはただひとつ。
彼が打ち砕くべき、悪――
そして『細波』は彼の決意に応えた。
「集中――為すべき事を、為すために――ッ!!」
剣身は瑞々しさを増し、刃先は触れただけで大気を切り裂き、そこに圧倒的な破壊力を備える。
――魔力を打ち破る、圧倒的な質量の聖力を。
あとはなにも考える必要はなかった。ただ、決意のこもった刃を振り下ろす――それだけでよかったのだ。
「ぁぁぁぁぁ――っ!!!」
空気が、悲鳴を上げる。
「っ!?」
その瞬間、正体を現してから初めて、ザヴィアの顔が驚きの色に染まった。
「まさか……!」
空を引き裂いた『細波』の一撃は、いともたやすく木の枝を――いや、ザヴィアの魔力の壁を断ち切っていたのだ。
「さぁ……ザヴィア!」
そして、その切っ先がまっすぐに向けられた。
「約束だ! ノエルさんを離せっ!」
「……」
ザヴィアは目を見開いて、ティースを見つめていた。
折れた枝の先が地面に落ちても、一瞬だけ強く吹いた風が彼のそばを吹き抜けても、まだ、驚きは消えない。
ティースはさらに言葉を強める。
「もし離さないというのなら――!」
「……ええ」
だが直後、ようやく我を取り戻したザヴィアは、いともたやすくノエルから手を離した。
「約束です、ティースさん。ノエルさんは解放しましょう」
そうして一歩、後ろに下がる。
「……」
「……」
ティースも、そしてノエル自身も、最初は半信半疑の表情だったが、やがてザヴィアがなにもしないのを見て、
「……さぁ、ノエルさん」
「は……はい」
ノエルは足を進め……途中、よろけながらもまっすぐにコンラッドの元へ向かっていった。
「……」
そんな彼女の後ろ姿を興味をなくした目で見送って、そしてザヴィアはティースに視線を戻しながら言った。
「……正直、驚きましたよ、ティースさん。まさかこの土壇場でよもやのレベルアップを果たすとは、ね」
「ザヴィア、お前は……」
細波の切っ先を向けたまま、ティースは吐き捨てるように答えた。
「お前は決して許されないことをした! 俺は、お前を絶対に許さない!」
ザヴィアは口元を歪める。
「だったらどうします? その剣で、私を斬りますか?」
「当然――!」
「どうやって?」
「!?」
突如、背筋を悪寒が襲う。
「なっ……!」
その瞬間、視界からザヴィアの姿は消えていた。
「どうやって、あなたが私を切るのですか?」
首筋に、冷たい手の平の感触。
「っ!!」
すぐさま振り返って剣を振るうと、そこにもザヴィアの姿はない。
「魔力の壁を打ち破るということは――」
「!?」
声がしたのは頭上。
とっさに見上げると、ザヴィアは木の枝からティースを見下ろしながら、
「それは私たちと戦うにおいて、最低限の条件。いわば、あなたは私と戦う権利をようやく得たに過ぎない。――まして」
手の甲に口づけた。
風が巻く。
「くっ……!!」
押されて後ずさると、ザヴィアは木の枝からふわりと飛び降りて、
「あなたはおそらく、極限にまで集中しなければ私の壁を破れない。そして私の動きについてくる技術も経験もない。逆に」
少しだけ視線を鋭くし、手にしていた剣を背中の鞘に収めた。
一見戦う気がないようにも見えるが、それは違う。彼にとって手にした剣などオモチャのようなものだ。それ以上の殺傷力を、彼はその体から作り出す事ができるのだから。
「私にはあなたを容易に殺すことができる。……そして私は考える。あなたは危険だと。その未熟な状態で私の壁を破るのは、おそらく常人離れした聖力と、そして驚異的な成長力を備えている証だと」
右手が、そっと口元に移動した。
「……っ」
ティースは正眼に構える。
……かつて風の五十四族たちが味わったであろう威圧感を、今ティースはその身に感じていた。
それは本能の部分で感じる、生命の危機――
「そして私が達する結論は、今あなたをこの場で殺してしまうべきだということ。ですが……さて、どうしましょうかね。すぐに殺してしまうのも惜しい気がします」
「っ……」
圧力はたやすくティースを押しつぶそうとしていた。
それは、先ほどティースが克服したものとはまるで次元が違う。決意や気持ちではどうにもできない、圧倒的なまでの力量差――
(くそ……っ)
だが、後ずさろうとしたティースを、背後の声がすんでのところで押しとどめた。
「そんなことさせるかよ」
「……ダリア」
いつの間にかティースの背後まで近付いていたダリアは、その一瞬だけ微笑みを浮かべると、
「ティース。お前、さっきはちょっとカッコ良かったぜ」
「……」
だが、ティースは表情を歪ませた。
「あれは、アクアさんが俺に何度も話してくれたから……」
「ああ。アクア姉が今のお前の姿を見ていたら、きっと感激して抱きついていただろうな」
「――」
一瞬、目の奥に熱いものがこみ上げるところだったが、それをティースはグッとこらえた。
今はまだ、そのときではなかった。
そして再び、決意に炎を灯す。
(アクアさん……俺が仇を――っ!)
そんな2人を見て、ザヴィアは小さく首を振ると、
「後ろのあなたも、まるで問題外ですね。たぶん、私の壁を破ることすらできない」
「ああ、そうかもな」
ダリアはあっさりとそれを認めた。
「けど、てめえにはもう、ティースを殺すことはできないぜ」
「なぜ――?」
言いかけたザヴィアの表情が、一瞬だけ固まった。
――風を切る音。
飛び退いたザヴィアの腕を浅く切り裂いて、『それ』は地面に突き刺さった。
「な……」
ザヴィアはかすかに血の流れ出した腕を押さえ、そして視線を移動させる。
その、ナイフの持ち主へと。
「……ドロシー!?」
屋敷の屋根の上……そこに、ドロシーの姿があった。相変わらず無表情にクルクルとナイフを回している。
どうやら彼女のナイフは、ザヴィアの魔力の壁を破ったようだ。
「同じ顔がもうひとり……?」
ザヴィアは信じられない顔をしながら、だが、それでも余裕の表情を崩さないままに笑みを浮かべた。
「なるほど、双子だったとは……私としたことが――でも、今の一撃で決められなかったのは致命的――」
「てめぇが見落としたのはそれだけじゃねぇ」
ダリアは静かにそう宣告すると、ゆっくりと彼に指を突きつけて、吐き捨てる。
「……覚悟しな。この変態サド野郎っ!」
「――っ!?」
その瞬間、今度こそ確かに、ザヴィアの表情から余裕が消えた。
――背中に影が走る。
それはあたかも、ファントム――幻影のように、誰にもとらえきれない速度で。
「な――っ!」
「あなたには……極上の棺を用意してあげるわッ!!」
「……まさか――っ!?」
身をひるがえし、ザヴィアは地面を蹴った。
砂ぼこりが舞い、そして風が巻く。
……それは、ティースにとっても信じられない光景だった。
「ア……アクアさんっ!?」
全員がドロシーに気を取られたその一瞬。
死んだはずのアクアが、いつの間にかザヴィアの背後に接近していたのだ。
「ちっ……!」
アクアの一撃がザヴィアの胸を浅く抉る。だが、ザヴィアはすぐに体勢を立て直すと、離れながら右手を口元に移動させた。
「生きていたのなら……それなら、今度こそ……!!」
途端に突風が吹き荒れて、アクアを襲った。
「あたしを、甘く見ないことねっ!!」
だが、アクアは意に介することなく、『重たい風』をすべて両手でうち払う。そのたびに『氷雨』が氷の粒を撒き散らして輝いた。
「風の将――ザヴィア=フェレイラ=レスター! ここがあなたの墓場よ! このあたしが、あなたに引導を渡してあげるわっ!!」
「く……っ!」
ザヴィアの表情には、見紛うことなき焦りが浮かんでいる。疾風のように迫るアクアの攻撃は、確実に彼を追いつめていた。
「っ――」
そして――響いたのは、笛の音。
ザヴィアが懐から取り出したのは、彼がいつも吹いていたフルートのような楽器だった。
「っ……!?」
途端、辺りの木々がざわめく。
……いや。
「っ!? こいつら――っ!!」
枝葉を揺らしそこから現れたのは、風の五十四族たちだった。
その数は6匹。
「ちっ……待機させてやがったかっ! アクア姉! そっちにも行ったぞっ!!」
そのうちの2匹が屋敷の方へ。2匹はアクアの元へ。
「くっ……」
アクアもさすがに追撃の手を緩めざるを得ない。
そして残りの2匹は――
「ザヴィア……逃げるつもりっ!?」
アクアが空を見上げる。
2匹の獣魔はその足にザヴィアをぶら下げ、そして飛び立とうとしていた。
「ええ、ここは少し分が悪そうなのでね……それより、急がないと屋敷の方が大変なことになりますよ。……ティースさん。機会があったら、またお会い――」
その瞬間、空気を裂いて閃光が飛ぶ。
だが、ザヴィアはそれを左手の剣で弾いた。
「……訂正します。他のみなさんも、機会があれば、また」
もう一撃、屋根にいるドロシーの手からナイフが飛んだ。だが、結果は同じだった。そのまま、ザヴィアの体はとても届かない高さにまで上っていく。
「くっ……ザヴィア……!」
「ティース! 仕方ねえ、屋敷に戻るぞっ!! ……アクア姉っ!!」
「ええっ! そっちは任せたわ! ドロシー! あなたもそっちをお願いっ!!」
「……」
屋根の上のドロシーは何事かつぶやいたが、少し遠かったので言葉は届いてこなかった。
そして、ザヴィアの姿は空の向こうへ消えていく。
「っ……!」
(ザヴィア……レスター……っ!!)
ティースは唇を噛みしめた。
今はただ、それを見送ることしかできない。
だが、その名は間違いなく、彼の胸の中に刻まれた。
(いつか……俺自身の手で……今日のことを後悔させてやる! 必ず……必ず――っ!!)
そしてティースたちはザヴィアとの決着を諦め、事態の収拾へそれぞれ動き始めたのだった。