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デビルバスター日記  作者: 黒雨みつき
第3話『北の街の“ラブ・ストーリー”』
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その4『“キューピッド”はアレルギー』


 昼間に起こった騒ぎがようやく落ち着いたころ、オルファネール家には夜が訪れていた。

「どうも、あの獣魔は山の方から飛んできているみたいね。もう少し長居してくれれば、あたしも間に合ったんだけど」

 ティースを含むファントムの面々は、前日と同じようにアクアの部屋で本日の成果について報告し合っている。

 そして今日その焦点になっていたのはもちろん、昼間にノエルの部屋に現れた2匹の獣魔について、であった。

「風の五十四族。あたしも飛び去っていくとこを見たけど、おそらくティースくんの言うとおりだわ」

 アクアは昨日と同じようにベッドにうつ伏せに転がっていた。が、昨日のように足をブラブラさせたりはせず、組んだ両手の上にあごを乗せて、その表情は真剣そのものだ。

「五十四族ねぇ。それじゃあ」

 他の面々も陣取っている位置は昨日とまったく同じ。そしてソファに座った片方、双子の妹のダリアが少し首をひねりながら言った。

「本当にデビルサイダーが紛れ込んでるとしたら、そいつは結構な大物かもしんねーな」

「どういうことだ?」

 疑問を向けたティースに、

「お前、本当になんにも知らねー……って、ま。まだ2ヶ月ぐらいじゃそんなもんか」

 ダリアは言い直して、それから丁寧に教えてくれた。

「五十番台の獣魔ともなると、主に上位族か将族の使い魔だ。言い換えりゃ、下位族じゃちょっと制御が難しいぐらいのクラスってことさ。わかんだろ?」

 もちろんティースは理解した。そして今日現れた2匹の獣魔の姿をもう一度思い出す。

「ってことは、あの鳥みたいなの、やっぱ手ごわい相手なのか」

 ダリアはうなずいて、

「お前ぐらいだと2匹を相手にするのはちょっとしんどいんじゃないか? あたしだってできれば遠慮したいさ。ヘタすりゃ命を落とすからな」

 そこへ、その隣で相変わらず体を丸めた体勢のドロシーが鼻を鳴らす。

「本当に恐ろしいのは風の五十四族なんかじゃない……」

「? どういうことだ?」

 疑問を向けると、ドロシーはなにも答えずにアクアを見た。それにつられて、ティースの視線も自然と彼女の方へ移動する。

 アクアは答えた。

「簡単なことよ、ティースくん。ノエルちゃんを襲った魔はそれなりの力を持つ獣魔だったわけ。それじゃあ」

 一瞬、アクアの目が鋭い光を放った……ように、ティースには思えた。

「その風の五十四族を眼光だけで追い払ったザヴィアって子は、いったい何者なのかしら、ってこと」

「……まさか」

 その言葉が意味するところは、ティースにも理解できた。そしてそれは、彼としては少々受けいれがたいものだった。

 思わず声が大きくなる。

「アクアさん! 彼が……その、敵だって――!」

「声がデカい。何度言わせるつもりだ……」

「ご、ごめん……」

 ドロシーににらまれて、ティースはとっさに手で口を塞ぐ。

 そして改めて声を潜め問いかけた。

「アクアさん。彼が……その、デビルサイダーだって言うんですか?」

 だが、アクアはすぐに否定の意を示す。

「別にそうだと決めつけてるわけじゃなくて。ただ、彼は少なくとも『ごく普通の旅人』なんかじゃない。それだけは間違いないと思わない?」

「……そりゃあ」

 いくらティースでもそのぐらいはわかる。

 威圧だけで魔を……それも、そこそこ強い獣魔を追い払ったのだ。とんでもない腕利きらしいということは感じていた。

「でも、あの人は騒ぎが起こってすぐにノエルさんを助けに行って、それで実際に魔を追い払ってるし……」

 納得できずにそう言ったティースに、思わぬところから援護が入った。

「ま、確かにそいつの言うことにも一理あるぜ、アクア姉」

「ダリア?」

 ティースにとって彼女の援護は少々意外だった。

 ダリアはチラッと彼を見てからソファに背中を預け、頭の後ろで手を組むと、

「あたしが聞いた話だけどな。朝食後、ノエルはそのザヴィアの部屋に行ってしばらく一緒にいたらしいんだ。で、別れて部屋に戻ったのが11時ごろ。……ティース。お前確か、ザヴィアが部屋に来たのはやっぱり11時ぐらいだって言ってたよな?」

「あ、ああ……」

「ってことは、ザヴィアはノエルと別れてすぐ、お前の部屋に行ったってことになるだろ?」

「つまり? ザヴィアくんには獣魔と接触する時間がなかったってこと?」

「そう考えられないか?」

 アクアは少し思案する顔になって、

「でも、たとえば最初から無差別に屋敷の人を襲うように指示してあったかもしれないじゃない?」

「いや、だって考えてみろよ、アクア姉。昨日の事件、それに今日の騒ぎ。どっちも今までにはなかったパターンじゃないか? ザヴィアはあたしたちが屋敷に来てから一歩も外に出ていないんだぜ?」

「……ああ、そっか。獣魔が屋敷の中にまで押し入ったのは今回が初めてかぁ」

 アクアは納得してうなずくと、

「今までと違う行動を取っている以上、そこにはやっぱりなんらかの指示が必要で、そのための時間がザヴィアって子にはなかったってわけね。……ドロシー? どう思う?」

「オレもそれについては間違っちゃいないと思う……」

「そっか。ドロシーもそう思うのねぇ」

 ティースはホッとする。

 どうやら場の意見は、彼の心配を否定する方向へ向かっているようだった。

「うーん……あ」

 そこへ、アクアがふと思いついたようにティースを見て、

「そういやティースくん? 剣については、なにも追求されなかった?」

「……え? あ」

 剣――ティースが騒ぎのときに持ち出した『細波』のことである。もちろん騒ぎの後、彼が剣を持つ姿は何人もの人に目撃されていたのだ。

「いや。もちろんザヴィアさんとか、その後に駆けつけたコンラッドさんとかに聞かれましたけど、その、旅の危険から身を守るために持っているって説明したら納得してくれました」

「そっか。上出来上出来」

 アクアはまるで子供を誉めるような笑顔だったが、そこへ、ダリアが意地の悪い笑みで口を挟む。

「ま、お前は芸の方じゃ役立たずだったし、あたしたちの護衛役ってことにしたほうがかえって自然だよな」

「……」

 笑いながら言ったダリアの言い様に、ティースは少々納得できないながらも、結局なにも言い返すことができなかったのだった。




 その翌日も晴天で、オルファネールの屋敷には朝から鳥の鳴き声が聞こえていた。

 そんな中、

「あれ……ノエルさん?」

 昨日、獣魔と相対した興奮が残っていたのか、いつもより早めに目が覚めたティースは、部屋を出たところでノエルとばったり出くわしていた。

「おはようございます、ティースさん」

 ノエルはにこやかにそう言うと、貴族の娘らしく上品な仕草で挨拶した。

 その様子を見る限り、彼女は昨日の出来事を引きずっていないようだ。襲われたのが初めてではないということもあったし、おそらくはザヴィアが必ず助けてくれると信じているからだろう。

 だが、ティースが怪訝に思ったのはそのことではない。

「あの。ノエルさんって部屋、こっちの方でしたっけ?」

 そう。彼女はたった今、ティースたちのいる客室と同じ並びの部屋から出てきたのである。

 ノエルは笑って、

「いえ。私の部屋は昨日、窓が壊れてしまったものですから、仮の部屋をこちらに」

「あ、そういやそっか」

「昨日はどうもありがとうございました」

「え?」

 ペコリと頭を下げたノエルに、ティースは慌てて、

「い、いや、やめてくださいよ。僕はまったくなにも……ほら。ザヴィアさんが追い払うのを見てただけで……」

 だが、ノエルはゆっくりと顔を上げると、

「いいえ。恐ろしい魔が相手ですから。駆けつけてくださっただけでも大変なことではないですか」

「あ、いや……」

 ニッコリと微笑まれて、ティースは少し赤面してしまった。

 そして、

(い、いい子なんだなあ、ノエルさんって……)

 単純と言おうかお人好しと言おうか。彼はその言葉だけでノエルの印象を一気に良くしてしまった。

(貴族のお嬢さんってわがままな子が多いと思ってたんだけど、違うみたいだ)

 などと思ってしまう。

 ティースの周りにはファナという例外もいるのだが、それでもなお、彼の中では『お嬢様=わがまま』というイメージが定着していたのであった。

「で、でも」

 赤くなった顔を隠すように、ティースは話題を変える。

「ザヴィアさんってすごいですね。あんな恐ろしい魔を相手に……その、丸腰で」

「ええ」

 ノエルは嬉しそうに目を細め、そして少し頬を染めて答えた。

「ザヴィア様は素晴らしい方です。確かに見た目は少々変わっているかもしれませんけど、とても優しい目を持っておられます」

「……」

 ティースの誉めた内容とはまったく別の話になっていたが、あまりに嬉しそうに語るノエルに、そのことを突っ込む気にもなれなかった。

「それなのに……」

 と、弾んでいたその声がほんの少し影を帯びる。

「みんなわかってくれません。得体が知れないとか、なにを考えてるのかわからないとか」

「……」

 その声色が徐々に憤りを帯びてくるのがわかった。

 そして直後、強い視線がティースの方へ向けられる。

「コンなんかはひどいんですよ! ザヴィア様がなにか企んで来たのかもしれないって、そんなことを言うんです!」

「……あ、いや」

 その剣幕に、ティースは少々たじろぎながらも、

「コン、って?」

「あ……す、すみません」

 ノエルは我に返った様子で口をおさえ、それから少し恥ずかしそうにうつむくと、

「えっと、コンというのは執事補佐のコンラッドのことです。私、小さいころから世話になってきたものですから、つい」

「あ」

 ティースは思い出す。

(そういやフィリスがそんなことを言ってたっけ)

 もちろんティースは最初から疑ってなかったが、その情報が正しかったことがどうやら立証されたようである。

(コンラッドさんはそれでノエルさんのことを心配してるのかな……?)

「だから私、コンが謝ってくるまでは絶対に口を利かないことにしたんです。……ティースさんもひどいとは思いませんか?」

「そ、そうですね」

 なんとも答えにくい問いかけだったが、ここで否定することなどできるはずもなく。

 もちろんティース自身もどちらかといえばノエルの意見に賛成だったわけだが。

「前はあんなこと言う人じゃなかったんですけど、ザヴィアさんに対してだけは、本当にひどいんです」

 ノエルが最後に少し淋しそうな顔をしたのが、ティースには印象的だった。

(コンラッドさん……か。ノエルさん怒ってるように見えるけど、それなりに信頼もしているって感じだなぁ。本当にノエルさんを心配するあまり、なのかな)

 それはわからなかったが、それとは別にティースの中ではっきりしたこともある。

「……あの、こういうこと聞いたら失礼なのかもしれませんけど」

「はい?」

 少しためらったのちに、切り出す。

「ノエルさんって、ザヴィアさんのことを……その、つまりは……」

「あ」

 聞きづらくてしどろもどろになったティースに、ノエルは逆に恥ずかしがる様子もなくきっぱりと答えた。

「ええ、お慕いしてます。別に隠すつもりはないですから、気になさらないでください」

 そして満面の笑顔を見せる。

「そ、そうですか」

 そんな彼女の態度に、ティースはドロシーの言葉を思い出していた。

(こういう子は一度沸騰すると見境なし……か)

 しかしまあ、ティースとしてはドロシーのように否定的にもなれない。それどころか、この身分違いの恋を応援してあげたいとも思った。

「それってやっぱり、何度も助けてもらったからですか?」

「それもありますけれど、少しお恥ずかしい話なのですが」

 ノエルは言葉通りに少し恥ずかしそうな表情をすると、

「ごらんになってわかると思いますけど、私、あまり世間のこととか知らなくて。なにもしなければずっとこのまま、なにも知らないままで終わってしまいそうで、それは嫌だなって以前からずっと思っていたんです」

 そこでいったん言葉を切って、ノエルはなにかを思い出すように少し視線を上に向けた。

「でもザヴィア様は私と違って、色々なことを知っていて、色々なことができて、それでいてとても優しい。それが、私みたいな人間にはとても素敵に思えて……」

「……そうですか」

 ティースは彼女のような立場になったことがないので、その気持ちが理解できるとは言いがたい。だが、言いたいことはなんとなくわかる気がした。

(これだけ素直に想っていて……たぶん、ザヴィアさんの方も……それなら、なんとかしてあげたいよなぁ)

「ティースさん?」

「あ、いえ……」

 ノエルの不思議そうな声に、ティースは視線を泳がせて反射的にごまかそうとしたが、

(……そうだよな。味方がいないんじゃ可哀想だよ)

 思い直し、視線を戻して言ったのだった。

「僕は応援してますから。おふたりのこと。だから……その、頑張ってください」

「……」

 驚いたようなノエルの顔。

「……ティースさん」

 だが、その困惑はやがて、素直な喜びの感情となって表れた。

「……ありがとうございます」

 それは心からの言葉のようだった。

 やはり心細かったのだろう。なにしろ彼女は大貴族の娘。相手はどこの誰とも知れない旅人の男。

 それは想像以上に高い壁だ。たとえ相思相愛であっても、その恋が成就するにはたくさんの障害を乗り越えなければならない。

 世間知らずな彼女でも、そのぐらいのことは理解していたのだろう。

 だから、彼女は喜んだのだ。

 少しだけ泣き出しそうな顔で。

「え? あ、あの、ノエルさん……」

 なにが悪かったのかとオロオロするティースに、ノエルは微笑みを浮かべて、

「ご、ごめんなさい。そう言ってくれる人なんて、今までいなかったものですから……」

「……」

「本当に、ありがとうございます」

 そして自然な流れの中、感謝の意を示すために、呆然としたティースの手を取って。

 手を取って。

 ――手を。

(……あ)

 そう。

 油断してすっかり忘れていたようだが――

「え……ティ、ティースさんっ!?」

 彼は、『女性アレルギー』なのである。


 ――全治、1時間。




(変だな……どう考えても、獣魔とコンタクトを取ってそうなヤツが浮かばねぇ)

 ティースがノエルに触れられて気絶している間、朝食を終えたファントムの面々はいつも通り、それぞれに情報を集めていた。

 その中のひとり、ダリア=キャロルは、ミューティレイクにいるころよりはずっとおとなしい服装――着慣れない長袖のワンピース姿でオルファネールの屋敷を歩いている。

 アクアなどはそんな彼女を見るたびに笑ったりするが、ダリア自身、それが自分に似合っているとはこれっぽっちも思っていないので気にはならなかった。

 と、そんなことより。

 今の彼女の頭は、今回の件に対する疑問でいっぱいなのである。

(あれだけ大型の獣魔だ。街の方に下りてくりゃ目撃者がいないはずはねえ。けど、事件のとき以外で獣魔を目撃したヤツは皆無。ってことは、やっぱ犯人がコンタクトを取りに山の方に行ってるはずなんだけどな)

 玄関から外へ出る。外は今日も夏の日差しに照らされていた。

(屋敷の外に共犯者がいて、そいつが獣魔に命令を下している可能性もあるか? ……にしても、そいつと連絡を取るのだって屋敷の中からじゃ難しいはずだ)

 少し歩いて視線を右に向けると、そこには屋敷と繋がった高い塔があり、さらに視線を斜めに移動させるとそこには街の背後にそびえ立つ山、山脈『ヴァルキュリス』の一部が見える。

(塔か。……ん?)

 そのときダリアの目には、一瞬、なにかが光ったように見えた。

 塔の最上階、その窓から。

(……なんだ?)

 もう一度。

(塔? 光? ……まさか)

 彼女の思考が、その可能性にたどり着くまでそれほど時間はかからなかった。

(そうか……接触しなくても意思を伝える方法はある……)

 急いで屋敷に引き返す。

 塔は屋敷の中からつながっており、そこ以外からは入れないようだった。

 ダリアは頭に叩き込んだ屋敷の断面図を思い浮かべながら、塔の入り口へと向かう。

(光……なにかの信号を送っているのだとしたら――)

 だが、

「当然、鍵、か」

 塔へ続く入り口には鍵がかかっていた。

「……」

 ダリアは辺りを見回した。幸い、近くに人の気配はない。

(鍵がかかっている場所への進入はご遠慮下さい、か)

 コンラッドの言葉を思い出したダリアは、もう一度辺りを見回し、そしてポケットを探った。

(鍵がかかってる部屋なんてほとんどない……ってことは、ここにはどうしても入って欲しくないってことだよな)

 彼女がポケットから取り出したのは、細い針金のような工具だ。

(結構頑丈な鍵を使ってやがるな……まさか罠はないと思うが)

 それでも慎重に、何度も辺りの様子をうかがいながら鍵の構造を調べる。

(罠はねえな……けど、ちょっと時間がかかりそうだ)

 塔への入り口は当然屋敷の端っこにある。だから人通りもそれほど多くはない。が、もしこじ開けているところを見られたら一大事だった。

(……どうする? アクア姉に相談してからにするか?)

 と、そのとき。

「!」

 ダリアは素早く扉から離れた。そして一番近い――といっても10メートルほど離れた曲がり角に隠れる。

(誰か塔から下りてきたな……誰だ……?)

 鍵の外れる音、続いてドアの開く音。

 ダリアがそっとのぞいてみると、ちょうど出てきた人物がそこに鍵をかけているところだった。

(ありゃ……コンラッドか)

 ティースに迫るぐらいの長身、がっしりとした体格に正装。遠目でも間違えるはずはない。

「……」

 ダリアは少し考えてからひとつうなずくと、曲がり角から出ていった。

「……あなたは」

「や、あんた。コンラッドさんだっけ?」

「こんなところでなにをなさっているのですか?」

 怪訝そうなコンラッドに、ダリアは笑いながら、

「いや、あたしってこういうお偉いさんの住むとこってどうも馴染めなくてな。じっとしてると息苦しいから散歩してたんだよ」

 まるで男のようなダリアの言葉遣いにコンラッドは少し困惑したようだったが、すぐにいつもの仏頂面に戻る。

「この先は鍵のかかった部屋があるだけです。散歩なさるのでしたら別の場所へ行かれるべきでしょう」

「ああ、そうなのか。そりゃ悪かった。なんせこんな広い屋敷、めったに来ないんでね」

「では、私が仕事がありますので」

 コンラッドはそう言ってダリアの横を通り過ぎていった。

(……動揺してたのかどうかもわかんないな、あれじゃ)

 それでもダリアは満足そうな顔でそれを見送ると、そしてもう一度ポケットを探る。

(ま、でも……おかげでこじ開ける必要もなくなったわけだ)

 そっと笑みを浮かべた。

(……さて、鬼が出るか蛇が出るか)

 その手にコンラッドがポケットにしまったはずの鍵を握り、辺りの様子をもう一度うかがってから、ダリアは塔の入り口へと向かったのだった。




(うう、油断していた……)

 ティースが目を覚ましたとき、そばにはノエルとザヴィアがいた。

 その話によると、彼が気絶したところにザヴィアがやってきて、そのまま部屋に運んだとのことだ。屋敷の医師も来ていたようだが、すでにその姿はなかった。

「ちょっと貧血気味なもので……たまにああいうことがあるんです。体は全然大丈夫なので、その、ご心配なく」

「びっくりしました」

 ホッとした様子で、ノエルは答えた。

「急にお倒れになられたものですから……てっきり、心臓の病でも抱えておられたのかと……」

 そこへザヴィアが続ける。

「私も驚きましたよ。廊下を歩いていたら急にノエルさんの叫びが聞こえたもので、またヤツらが現れたのかと」

「騒がせてしまったみたいで、本当にすみません……」

 2人の言葉にも、ティースは恐縮するばかりだった。

(ホント、情けないよな、俺……)

 自身ではどうにもできないとはいえ、気絶するたびにティースはそう思うのだ。もちろん本当の事情など恥ずかしすぎて目の前に2人に話すわけにもいかなかった。

 だが、ノエルは逆に頭を下げると、

「こちらこそ。お加減がすぐれないことにも気付かず、舞い上がってしまって」

「あ、いや、そんなこと……」

 そんな2人の会話に、ザヴィアは怪訝そうな顔をして、

「なんの話ですか?」

 ノエルがようやく少しだけ微笑みを浮かべて、そして正直に答える。

「ティースさんが私たちのことを応援すると、そう言ってくださったのです。それで」

「え?」

 一瞬、わからない顔をしたザヴィアだったが、やがてその意味を悟ったのか、

「……ノエルさん。私は――」

 少しだけ眉をひそめた。

 だが、そんなザヴィアに構わず、ノエルは急に何事か思いついた顔をすると、

「そうだ、ザヴィア様。せっかくの機会です。この場ではっきりさせましょう」

「え?」

「ノエルさん?」

 戸惑うティースとザヴィアをよそに、ノエルは視線をまっすぐにザヴィアへと向けた。

「私はザヴィア様のことをお慕いしております。ザヴィア様は、私のことがお嫌いですか?」

「……」

 ザヴィアがチラッとティースを見た。

 ティースもあまりに大胆な彼女の言動に、少しあっけにとられて、

(この子、俺の目があるのに……これが若さってやつなのかなぁ)

 せいぜい2つぐらいしか違わないはずだが、シーラいわく、『精神的に枯れている』ティースとしては、そんな彼女の態度が信じられなくもあり、また感心でもあった。

 だが、当事者であるザヴィアとしてはそうも言ってられないようで、

「ノエルさん。そんなこと、ここで――」

「いいえ」

 だがノエルはかたくなだった。

「ザヴィア様は2人きりだと必ずはぐらかしてしまいますから。ティースさん。証人になってもらえませんか?」

「え、証人……ですか?」

 ノエルはうなずいて、そして再びザヴィアを見る。

「嫌いなら嫌いとはっきりおっしゃってください。それなら私は諦めますから。ただし、へたな言いわけはなしにしてください」

 それに対しては、ザヴィアははっきりと答えた。

「いえ。嫌いなどということは決してありません」

「では、どうして私の気持ちに応えてくれないのです?」

「それは――」

 たじろぐザヴィアに、詰め寄るノエル。

 それを間近で見ているティースは、少々息の詰まる思いだった。

(しゅ、修羅場、っていうのかな、こういうのも……)

 しかし、ティースは気絶する前にも言ったように、ノエルのことを応援したい気持ちだ。

 もちろんザヴィアがためらう理由はわかるし、もしもそういう関係になったなら彼の方がよほど苦労するに違いないが、それでも。

(ノエルさん、真剣だもんな……)

 純粋と言おうか一途と言おうか。応援すると言ったときの嬉しそうな顔といい、そのすべてが、ティースにとっては思わず応援したくなるようなものだったのである。

 だが、それに答えるザヴィアは、やはり煮え切らない態度だった。

「ノエルさん。あなたは高貴な家の方です。私は――」

「そんな言葉は聞き飽きました!」

 ノエルはまるで彼の言葉を振り払うように首を振って、そしてキッと彼を見つめる。

「もしそれが理由だと言うのなら、わかりました! 私、この家を出ます!」

「無茶を言わないでください。そんなこと、できるはずがない」

「無茶なんかじゃありません! ザヴィア様が、どうしてもそれが気になるというのでしたら、私――!」

「……待って下さい。それだけが理由ではありません。私は決して、あなたと結ばれることのない男なのです」

「だったら、その理由をおっしゃってください!」

「それは――」

 再びザヴィアは言葉に詰まった。視線を泳がせ、言葉を探しているようだ。

 ノエルはそれを厳しい目で見つめている。空白が続くほどに、その視線は険しさを増していくようだった。

「……」

 ティースももちろん口を挟む余地などなく、ただ黙ってそれを眺めている。

 そして……1分近くも沈黙が続いただろうか。

 ようやくザヴィアが答えた。

 その視線は、部屋の時計を捕らえて、

「……ノエルさん。そろそろお出かけの時間ではありませんか?」

「っ……!」

「今日はお父様方と一緒に街へ行かれるとか。遅れてはまずいのではないですか?」

「……」

 ノエルは顔を赤くして立ち上がった。少し唇が震えているように見える。

(……ノエルさん)

 なにも言わずに部屋を出ていくノエルを見送って、ティースは少し胸が痛んだ。

「……」

 ザヴィアもまたそれを無言で見送っていた。

 ……部屋の中に、なんとなく気まずい雰囲気が流れる。

 言葉を探し、結局なにも思いつかず、それでもティースは言葉を整理できないままに呼びかけることにした。

「あの……ザヴィアさん」

「……」

 ザヴィアの口からひとつ、息がもれる。

 そして言葉が続いた。

「どうも、エルトンさんやカティナさんが先日見に行った歌劇を見に行くそうですね」

「……歌劇? この状況で?」

 もちろんティースも眉をひそめた。

(な、なにを考えてるんだ……襲ってくれって言ってるようなものじゃ――)

 だが、ザヴィアは怪訝そうな顔をして、

「ティースさんはご存じなかったのですか? 団長さんがそれに同行すると聞きましたけれど」

「え? あ……」

(……なるほど、そういうことか)

 それならティースにも納得できる。

(アクアさんが一緒に行くなら大丈夫か。オーダスさんもその辺はちゃんと考えてのことなんだろうな)

 安心したところで、ティースの頭には再び先ほどのノエルの顔が思い浮かんでくる。

(ノエルさん、歌劇どころじゃないだろうな、きっと……)

「とはいえ、昨日のようなこともありましたし、屋敷の中でも絶対に安全とは言えませんが――」

「……ザヴィアさん」

 どうやら彼は、さっきの話題から離れたがっている……と、そう感じ、ティースは無理やり言葉を割り込ませた。

 そして、思ったままに口を開く。

「ノエルさん、あのままじゃかわいそうじゃないかな……」

「……」

 ティースの言葉に、ザヴィアは急に口をつぐんだ。

「僕が口を挟むことじゃないのかもしれないけど……」

「……」

 ザヴィアは無言でゆっくりと立ち上がった。そして窓際へと歩いていく。

 気を悪くしたのかとも思ったが、それでもティースは続けた。

「でも、少なくともノエルさんは真剣なんだろうし――」

「ティースさん」

 窓を開け、そしてザヴィアはいつかのようにそこに腰を下ろして振り返った。

 その表情から察するに、どうやら気分を害したわけではないらしい。

 そしてザヴィアは言った。

「わかっています。ノエルさんが真剣であることも、私がそれにどう応えなければならないのかも」

「それじゃあ……」

 ザヴィアは首を横に振って、

「ただ、それでもできることとできないことがあります。ノエルさんがいくら慕ってくれても、たとえば私がいくら彼女を愛していたとしても……」

「それはわかるよ。相手があんなお金持ちじゃ腰が引けるだろうけど――」

「それだけではないのですよ」

「え?」

 窓の枠の上で外に目を向け、ザヴィアは何事か迷っているようだった。その視線の先で、屋敷の馬車が敷地の外へと出ていく。

 そっと、ザヴィアは手にした楽器に口をつけた。

 ――流れ出したのは、ティースにも聞き覚えのある、別れを題材にした曲。

(それだけじゃない? じゃあ一体……)

 どこか物悲しいメロディは、5分ほどで終わりを告げた。

「これも……ノエルさんと出会ってから覚えた曲です」

「……ザヴィアさん」

 ゆっくりとザヴィアの視線がティースの方を向く。

 微笑んでいた。

「ティースさん。あなたはノエルさんに親切にしてくれたし、私のことも気に掛けてくれる。だから、あなたを信用してお話しします」

「……?」

「覚えていますか? 私が昨日、あなたに尋ねたことを」

「え?」

「魔が人を愛し、その愛のために生きることがあると。魔が、人と同じような感情を持っていると」

「……」

「ティースさんはそれを肯定してくれましたね」

 その瞬間、ティースの頭に過ぎったのは、

(……――まさか)

 とある可能性。

 それは容易には信じがたい、だが、昨日の魔を追い払った異常なまでの威圧感、そしてアクアの言った『ただ者じゃない』という言葉。そして今、彼が口にした言葉。

 そこから導き出されるものは、自然と『そこ』に収束していくしかなかった。

「まさかザヴィアさん、あなたは……」

 ザヴィアは外から見えない角度でターバンをズラした。

「たぶん今、あなたが思った通りです」

 その下から現れたもの……最初に目についたのは、右の額辺りから後頭部にかけての大きな傷跡。どうやら刃物傷のようだった。

 そしてもうひとつ。

「その耳は……」

 実際にティース自身も見たことがある、長く尖った耳。

 それは、彼が魔であることを示すもの――

「ティースさん、もしあなたが私の本当の姿を受け入れてくれるなら、という前提ですが――」

 ザヴィアはすぐにそれを隠し、いつも通りにターバンを深くかぶった。

「このことは誰にも秘密にしてもらえませんか? もちろん、あなたのお仲間にも」

「……」

 あまりのことに、ティースは返す言葉が出なかった。

(ザヴィアさんが、魔だって……?)

 そう認識した瞬間、普通の人間ならパニックになったかもしれない。

 あるいは人を呼び、彼を捕らえようとしたかもしれない。

 だが、ティースはそういう点で言えば普通ではなかった。

 おそらく彼は、大陸中でも珍しい、魔と意思を交わしたことのある人間だったから。彼がもし悪い思想を持っていたなら、人々から『デビルサイダー』と呼ばれていてもおかしくないような、そんな人間だったから。

 だからティースは、ほんのわずかに深呼吸して気持ちを落ち着かせただけで、すぐに言葉を返した。

「でも……ザヴィアさん。ノエルさんたちは頭の傷のこと知っていて――ってことは、そのターバンを外してみせたんでしょう?」

「……」

 ティースが比較的落ち着いていることが意外だったのか、ザヴィアは少しの間、疑問の目を彼に向けていたが、やがて答えた。

「……ええ。ティースさんはご存じないようですね。デビルバスターなど、魔に詳しい方なら知っているはずだと思いますが、それなりの力を持つ魔は、いくつかの方法で人に姿を変えることができるのです」

「人に姿を変える? ……魔が?」

「とてつもない制約を課して半永久的に人の姿でいる方法、あるいはリスクは伴わないものの、ほんの短時間しか人の姿でいられないもの。ノエルさんたちに見せたときは、その方法で一瞬だけ人の姿になったのです」

「……そんな方法があるのか」

 やはりティースには初耳だった。

「ええ。といっても、私たちが人と違うのは耳と、あとは魔力を行使するときに若干見た目が変わる程度。幸い――と言っていいかわかりませんが、私にはターバンを深くかぶる理由が他にもあった。だから、今まで気付かれずにいられました」

 ザヴィアはもう一度窓の外に視線を移した。

 そして少しの無言。開いた窓から流れ込む風が、カーテンをかすかに揺らす。

 再び視線がティースの方を向いたとき、そこには先ほどまでよりも真剣な光が宿っていた。

「ティースさん。私を捕らえ、そして引き渡しますか?」

「……」

 だが、その問いに対しては、ティースは少しも迷うことなく答えた。

「いいや。だって……あなたはなにも悪いことはしてない」

「そうですか?」

 ティースの言葉にザヴィアは微笑んで、

「最近の事件、私が引き起こしたものだとは考えないのですか?」

「……あ」

 それは確かに、真っ先に考えてしかるべきことだった。

 ティース以外の誰かなら――たとえば昨日、彼の犯行に否定的な意見を口にしたダリアであっても、この状況ではおそらくそう考えたことだろう。

 だが、ティースは首を振って、

「でも……そんなの、証拠がない」

 ザヴィアはおかしそうに笑った。

「おもしろい人ですね。私が魔であることは、証拠にならないと?」

 ティースはそれに真正面から答えて、

「だって、それはさっきも言ったじゃないか。魔だから悪だとは限らない。そりゃ、そういうのが圧倒的に多いのも確かだけど、でも……そう。魔だって人を愛したり、人と友達になったりするはずだから」

「……」

 ザヴィアから笑みが消えた。

 一瞬、なんとも言えない表情がそこに浮かぶ。

「変わっていますね」

 そして再び、そこには笑みが戻った。

「本当に変わった人だ、あなたは」

 ザヴィアは言いながら口元に楽器を運ぶ。

 そこから流れたのは、昨日も聞いた彼の故郷の曲――昨日のものとは若干違うメロディ。

 そこにどんな意味があったのか。ティースにはもちろんわかるはずもなく。

(……大変な話、聞いちゃったな)

 演奏に身を委ねながら、ティースは考えていた。

(でも……そう。この人が獣魔を動かしていたなんて証拠、ひとつもない……でも)

 そしてそっとため息を吐く。

(確かに……これって、身分差以上に高い壁だよなぁ……)

 応援すると決めた矢先の出来事で、ティースの落胆はかなりのものであり――

 ――ちなみにこの日は、彼が聞いた告白以外にも、事件の進展を促す出来事が2つほど同時に起こっていたようだった。




「みんな、今日は色々と大変だったみたいね。じゃ、まとめるとしましょうか」

 夜、ファントムの面々がいつも通りに集まったのは、昨日や一昨日までよりも少々遅い時間だった。

「まずはあたしだけど……みんなもすでに聞いた通り、オーダスさんやノエルさんと一緒に歌劇に向かう途中、獣魔に襲われたわ」

 その場にいたファントムの面々は全員が同時にうなずいた。

 そう。ティースがザヴィアとちょうど話していたそのころ、ノエルたちに同行したアクアは獣魔の襲撃を受けていたのである。

「何度も目撃されているのと同じ、風の五十四族。幸い相手は1匹で、もちろんあたしが始末したけれど」

 アクアは事も無げに言った。いや、デビルバスターである彼女にしてみれば、この程度は実際それほど苦でもなかったのだろう。

 そこへダリアが質問を投げる。

「それって、オーダス氏はともかく、一緒にいた他の連中には怪しまれなかったのか?」

「そりゃ怪しまれたけど、まさかあの状況で黙っているわけにもいかないじゃない? ちゃんと口止めしておいたわ。ノエルさんにしろ御者にしろ、護衛についていた2人にしろ、最初から容疑者の枠から外れてる人たちを選んでもらったの。だから、おそらく大丈夫よ」

「それで? なにか収穫はあったのか?」

「ええ。もしかしたらあるかもしれないわね」

「?」

 そこへ、ドロシーが続ける。

「今回の外出の件、行き先をあらかじめ知っていたのは2人だけだ……」

「2人だけ?」

 怪訝そうなダリアにアクアはうなずいて、

「そうよ。オーダスさんの計らいで、屋敷の人たちの行動については極力もらさないようにしてもらったの。今回の外出、あらかじめ知っていたのはオーダスさんとノエルちゃんの2人だけ。ノエルちゃんにしても聞かされたのは昨晩のことで、それ以外の人は外出直前まで知らなかったわ」

 そこでティースは初めて、今日の外出の本当の意図を悟るのだった。

(つまり……今回の外出自体、アクアさんのしかけた罠だったのか)

「そりゃまあ、アクア姉はあたしらにも言わなかったぐらいだからな」

 ダリアは少し憮然とした顔だったが、アクアは笑って、

「ほら、敵を知り己を知れば百戦危うからずって言うじゃない」

「それを言うなら、敵を騙すにはまず味方から……」

「わ、わかってるってば!」

「……」

 どうしてわざわざ難しい方の言葉と取り違えてしまうのか、ティースにはとんと理解できなかった。

「と、とにかく。今回に関して言えば、外出前からオーダスさんの行き先を知るのは一部を除いて完全に不可能だったわけ。にも関わらず襲われたってことは……」

「外出後に指示を出したか、あるいはその前に知り得た誰かが犯人か……の2通りしかない。かなり絞り込める、ってことか」

「そういうことよ、ダリア」

 アクアはそう言ってお茶目にウインクしてみせた。

「へえ……」

 その説明に聴き入っていたティースが感心の声を挙げると、アクアは苦笑して、

「と言っても、考えたのはドロシーなんだけど」

「……あ、なるほど」

 妙に納得したティースに、アクアは不満そうに口を尖らせた。

「ちょっと、なぁにその反応。それってつまり、ドロシーは頭よさそうだけど、あたしはお馬鹿に見えるってことぉ?」

「え? あ、い、いや、そんなことは全然……」

 ティースは慌てて否定したが、言ったも同然である。

 そこへ、ダリアもニヤニヤしながら付け加えた。

「ま、アクア姉は昔っから細かいことを考えるのが得意じゃなかったからな。なにかっつーとすぐに『乙女の勘』だし」

「う、うるさいわねぇ」

 だが、どうやら反論はできないようである。

「あたしの勘はよく当たるんだからいいじゃない。で、フィリスちゃん。資料はもらってきたんでしょ?」

 と、視線をフィリスに向けた。

 フィリスは相変わらずお人形さんのようにちょこんと椅子に腰かけていたが、その手にはアクアが言ったように数枚の紙が握られていた。

 ただ。

「はい……でもその、アクア様たちが出発なさってから魔に襲われるまでの間、屋敷の敷地から出た方は全部で6名なのですけど……」

 フィリスのトーンは低めだった。

 それで悟ったのか、ダリアが尋ねる。

「それほど長時間外出したヤツはいない、か?」

「少なくとも、山へ向かって戻ってくるほどの時間は……」

「そっか」

 アクアは特に意外な様子もなかった。

「つまり?」

 ティースは自身の頭の中で整理しながら、アクアに向かって尋ねる。

「犯人は『あらかじめ知っていた人』に限られるってこと? あれ? でもそれってオーダスさんとノエルさんだけ……」

「もうひとりいるだろ……」

 ドロシーは答えて、そして膝を抱えた腕から鋭い視線をティースの方へ向けた。

「たったひとりだけ、ノエルが今日の外出のことを話した相手が……」

「……あ」

 もちろんティースにもすぐに思い当たる。

 そう。確かにその人物は今日、ティースの目の前でそれを口にしていたのだ。

「ザヴィアさん……?」

「ああ……」

「まさか――」

「ただ、ねぇ」

 ティースが反論する前に、アクアが首を横に振ってため息をついた。

「そのザヴィアくんは、最近ずっと外に出ていないわけ。だから少なくとも、そういう意味での容疑者の枠からは外れるのよ」

「……あ、そっか」

 ホッと息を吐いて、ティースは納得する。

 ダリアもうなずくと、

「いくら事前に知っていても、その事前に魔とコンタクトを取っていなきゃなんの意味もない、ってわけか」

「……つまり?」

 尋ねたティースに、アクアはちょっとだけ疲れた笑みを浮かべて答える。

「どうやら骨折り損……ってことかな? ま、魔を1匹退治できたのは収穫だけど」

「……そうなのか」

 ティースはアクアよりもよっぽど落胆してしまった。

 そんな彼にアクアは笑って、

「ま、そううまく行くとは思ってなかったけどねぇ……最近の状況を見ても、犯人がわざわざ山まで魔とコンタクトを取りに行っているとは思えなかったし」

 と、そこへダリアが手を挙げる。

「もしかしたらそれと関わることかもしんないんだけど、ちょっといいか?」

「ええ、ダリア。そっちもなんか変わったことがあったみたいね?」

「ああ。実は――」

 そしてダリアは自分が見た塔の光のことを話した。

「……光? それって何時ごろのこと?」

「外にいたから、残念ながら正確な時間はわからねーんだ。けどたぶん、アクア姉が出掛ける直前か直後か、そんなもんだよ」

「……なるほど」

 アクアは興味津々だった。

「それで? 塔の中には行ってみたの?」

 その言葉にドロシーが補足して、

「確か、塔は鍵がかかってたはずだな……」

「ま、そこんところはてきとーにな」

 ダリアが笑いながらあいまいに濁すと、アクアはわざとらしいため息と吐いて、

「……またやったのねぇ」

「いいだろ。任務のためなんだからよ」

「小さいころのクセってのはなかなか抜けないもんだ……」

「?」

 3人の会話の意味はティースにはわからなかったが、とにかくダリアの話は続いた。

「まず、あたしが入る前に塔から出てきたヤツがいる。コンラッドさ」

 アクアはうなずいて、

「コンラッドさん、ね。じゃあその光は彼が?」

「いや、どーもはっきりしねーんだ」

 首を振って、ダリアは続ける。

「塔のてっぺんには部屋があってな。つっても立派な部屋さ。ベッドがあって、子供が遊ぶオモチャがあって」

「オモチャ?」

「ああ。ベッドの上には女の子がいた。7つか8つぐらいだろうな」

「……それって、どういうこと?」

「わかんねーけど、たぶん……」

 ダリアの言葉に、ドロシーが鼻を鳴らして続けた。

「オレも少しうわさを耳にした……どうやらここの一族には、少々クセの悪い血が流れてるようだな……」

「あ……ああ、なるほどね」

 アクアはそれで納得したようだったが、

「クセの悪い血?」

 まるで理解できなかったティースが怪訝な顔で問いかけると、ダリアは少し呆れた感じで両手を広げてみせた。

「アーバンって執事がオーダス氏の腹違いの弟だって話はしただろ? つまり、そういうことさ」

「え? どういうことだ?」

 それでも理解できないティースに対し、ダリアは呆れ顔をそのまま彼に向けて、

「お前、ほんっとに鈍いな。要するに、塔の女の子は誰かの隠し子じゃないかってことさ」

「かっ、隠し――!?」

 ティースは思わず叫びそうになって、ドロシーの視線に気付きすぐにそのトーンを落とす。

「か、隠し子って、それは……」

「ま、年齢からするとあの長男じゃなくてオーダス氏の子供だろうな。親が親なら子も子、ってことだろ」

「で、でもそれって、邪魔だから塔に閉じこめ――」

 そんなティースの意見をダリアはすぐに否定する。

「いや、違うと思うぜ。見た感じ、病気っぽかった。環境も悪くはなかったし……このクレイドウルでは『ヴァルキュリス』のことを『神の山』って呼んでてな。山に近付くほどにその加護が得られるって言い伝えがあるんだよ。だから、この屋敷もこうやって高台にあるだろ?」

 アクアもそれに同意した。

「実際、オーダスさんは腹違いの弟であるアーバンさんを重用しているしね。まして自分の子供なら公にすることはなくても、邪魔者扱いして閉じこめるなんてことはないはずよ」

「そ、そっか……」

 とりあえずティースはホッとした。

 ダリアはうなずいて、

「で、話が少しズレたな。別に隠し子だとかそんなのはどうでもいいんだ」

「その光、結局なんだったわけ?」

 アクアの問いに、ダリアは再び首をかしげた。

「わかんねーんだ。たぶん、その女の子の手鏡が太陽に反射したんだろう、と思った。けど、確信はない」

「……」

 考え込んだアクアにティースは質問する。

「その光って、そんなに重要なことなんですか?」

「ええ、かなり重要ね」

 アクアは答えた。

「つまり、犯人はここを出なくても指示を出せたかもしれないってことでしょ?」

「……あ」

 ティースにもようやく理解できた。

「信号か……」

 アクアはうなずいた。

「その光がたとえ違っていたとしても、そういう方法を使って指示を出している可能性は確かに考えられるわ。風の五十四族は決して知能が高くはないけど、しっかりしつけられているとすれば、ありえない話じゃない」

「ああ、あたしもそう思う。今日のドロシーの計画で犯人の影が浮かび上がらなかっただけに、なおさらな」

 ダリアがそう言って、ドロシーもそれに相づちを打つ。

 ――どうやら、ようやく手がかりらしきものがつかめたようだった。

「その塔については、明日、直接オーダスさんに聞いてみるわ。塔に出入りしている人のことも。もちろん、ダリアの『おいた』については秘密でね」

「おい、アクア姉。あたしはあくまで任務のためにやったんだからな」

 アクアは笑って、

「わかってるわよ。……さてと。他に報告は?」

 と、その言葉に、それまでなぜか仏頂面で話を聞いていたフィリスが、

「あ、えっと、たいしたことではないんですけど……」

 ふと我に返った様子でおずおずと手を挙げた。

「なに、フィリスちゃん?」

「アクア様たちがお出かけになった後、昼過ぎなんですけど、アーバンさんとコンラッドさんが執事室の前でちょっと気になるお話をしていたんです」

「気になる話?」

「はい。その、どうやらノエル様とザヴィアさんのお話をしていたみたいでした」

「ああ、あの執事さんと執事補佐さん、あまり快く思ってないみたいだったものねぇ。それで、どんな話だったかわかるの?」

 フィリスはうなずいて、

「そばで聞いていたわけではないので、はっきりとはしないんですけど……その、ザヴィアさんがどうこう――きちんと聞こえなくて――でも、あの方を早く屋敷から追い出したいとか、そういう話だったみたいです」

「ああ、そういうこと話してそうだもんねぇ、あの2人」

 ダリアは少し首をひねって、

「あたしは別に、そんなに嫌なヤツだとも思わねーけどな。ま、貴族だとかその周りの連中だとかの考えることはあたしにゃわかんねーけどさ」

 アクアも考え込みながら、

「ザヴィアくん、か。確かに彼がここに来たのと、獣魔がオルファネールの人を襲うようになったのはほぼ同時期なのよねぇ」

「で、でも!」

 なにげなくつぶやいたアクアの言葉に、ティースはすぐさま反論した。

「それって逆じゃないんですか? 魔がオルファネールの人を襲うようになったからこそ、ザヴィアさんがたまたまノエルさんを助けることになって、それで屋敷に招かれたんでしょう?」

 アクアはそれについては反論せずに、

「まあね。実際ザヴィアくんは何度もノエルちゃんを助けているわけだし……彼が犯人だとするとその辺の説明が難しくなるわけだけど。まさか、ノエルちゃんと仲良くなるために恩を売りたかったってことはないでしょうし」

「だな。あのザヴィアってヤツ、疑わしいっちゃ疑わしいけど、そうだとしたら目的がいまいちわかんねーんだよな」

「理由……理由、ねぇ……」

 アクアは口元に手を当てて考えていたが、やがて思い出したように視線がティースへと向けられる。

「そういやティースくんはどう? 今日はなにもなかった?」

「あ……いえ。特になにも」

 一瞬だけ、ザヴィアの『正体』が脳裏に過ぎったが、もちろんそのことは口に出さなかった。

 ザヴィアが明らかに疑わしい行動を取っているのならともかく、行動自体にはどこにも怪しいところはなく、彼が疑われているのはただ、この屋敷に現れたタイミングと、そして姿や格好が妙だというだけなのである。

(でも……それでも、話したらきっと犯人扱いされる)

 ティースはそれを絶対に避けたかったのだ。

「じゃあ――」

 そんな彼を疑った様子もなくアクアはうなずくと、会合の終了を宣言した。

「みんなご苦労様。また明日、頑張りましょ」

「ああ」

「了解……」

「はい、アクア様」

「……」

 一瞬だけほんのわずかな後ろめたさを感じたが、それでも自分の判断に間違いはないことを信じて、ティースは他の面々とともに部屋を出たのだった。






「さすがに潮時かな……」

 ザヴィア=レスターは自室のベッドにあお向けで寝転がり、ひとりそうつぶやいていた。

 左手には肌身離さずに持っているフルートのような管楽器を握り、右手は顔の前にかざす。

 その甲には3つのアザ。

「なにも言わずにいくか……いや――」

 視線が泳ぐ。

 しばし考えて、そしてザヴィアはつぶやいた。

「出ていく前に、すべて話してみるのもいいか。受け入れられなければ、そのときは仕方ない――」


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