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デビルバスター日記  作者: 黒雨みつき
第3話『北の街の“ラブ・ストーリー”』
18/132

その3『恋に“障害”は付き物で』


 ティーサイト=アマルナがディバーナ・ファントムに配属されてから初めての任務は、配属から3週間ほど経ったころ、うだるような暑さにようやくかすかなかげりが見え始めた時期に訪れた。

「クレイドウルの街って……どんなところなんだろ?」

 ネービスを発ってから2日目の朝。

 宿を出発した馬車はガタガタと揺れながら、ティースを含めたファントムの面々を乗せ、目的地である北の街クレイドウルへ向かっていた。

 彼らを乗せた馬車はサイズこそ大きめだったが、見た目はミューティレイクの持ち物であることが信じられないほどに質素だ。しっかりとした座席があるわけでもなく、ティースたちは積まれた荷物とともに揺られている状態である。

 そんな中、ティースの疑問に答えたのは、頭の後ろで手を組み、あお向けに寝転がったダリア=キャロルだった。

「どんなって、冬にはたくさん雪が降ることで知られてるけどな。あと、お偉いさん方の避暑地としても結構有名……ってかお前、クレイドウルを知らないってことは、元々ネービスの人間じゃないのか?」

「あ……まあね」

「ふーん」

 ダリアは特に追求してくることはなかった。

 その隣では、隊長のアクア=ルビナートが手鏡を見て化粧を直しながら、

「でも、この時期に行くには一番いいところよねぇ。仕事じゃなければもっといいんだけど」

「姐さん、今日はいつもより化粧厚いな……」

 片膝を立ててそこに頬を乗せたダルそうな体勢で、ダリアの双子の姉ドロシー=キャロルがボソッとつぶやいた。

「そ、そんなことないってば」

 たじろいだアクアに、ドロシーはさらに突っ込む。

「あわよくば、オルファネールの御曹司をオトして玉の輿とか……」

「ぎくっ」

 どうやら図星だったようだ。

(……この人は)

「あの、それ以前に……」

 そこにいたもうひとり。

 このファントムの医事担当であり、同時にイジられ役でもあるフィリス=ディクターだった。

 隅っこにちょこんと正座したフィリスはおずおずと、

「オルファネール家のご子息様は、確かすでにご結婚なさっていたと思うんですけど……」

「ええっ、ホントにぃ!?」

 ガックリと肩を落としたアクアは放っておいて、ティースたちの話は続いた。

「ところで、詳しい事情がわからなかったんだけど、どうして俺たちは正体を隠して、その……オルファネールとかいう家に行かなきゃならないんだ?」

「ん? アクア姉。ほら、こういうときこそ隊長の出番だろ?」

 ダリアが水を向けると、

「はぁぁ……急にやる気なくなっちゃったなぁ……」

「ちょっとちょっと、アクアさん……」

 苦笑するティースに、アクアは子供のように口を尖らせながらも答えた。

「なんかねー。クレイドウルに現れた獣魔が、なぜかオルファネール家の関係者ばかり襲うんだって」

「それで?」

「獣魔がそんな器用な真似をするわけがないでしょ? 何者かの意図がそこにあるということ。それと敵がなぜか、オルファネール関係者たちの行動をあらかじめ知っているらしいということ。でなきゃ、大型の獣魔にピンポイントで襲わせることは難しいもの。それに大型の魔の割に、最初の事件以外は死人がほとんど出てないっていうのも意図的なものを感じない?」

「……ってことは、つまり?」

 理解してない様子のティースに代わり、ダリアが推測を口にした。

「要するに、今回の敵は『デビルサイダー』かもしれないってことだろ?」

「その可能性があるらしいんだけど」

 その言葉にティースは驚いて、

「魔に通じている人間がいるってことか?」

 デビルサイダー――『魔の側の人間』という意味のそれは、人でありながら魔に通じ、人魔と意志を交わしたり獣魔を意のままに操ったりする者をいう。

 魔は基本的に人間を自分たちより格下に見ているため、その数は決して多くないが、存在そのものは何度か確認されていた。

 ドロシーもうなずいて、

「しかもオルファネールの内部にいる可能性がある、ということだな……」

「……」

 ガタガタと揺れながら、彼らを乗せた馬車は――途中、ティースが酔ってひと休みするというアクシデントに見舞われながらも、ほぼ予定どおりの時刻にクレイドウルの街へと到着したのだった。




 オルファネール家は傾斜のついたクレイドウルの街でも高台の方にある。

 基本的には2階建ての屋敷だが、その西側には屋敷と一体化したかなりの高さの塔が備わっており、表側からは街並みが広く見渡せて、山を背にした裏側にはすぐに背の高い木々が生い茂っていた。

 さて、そんなオルファネールの屋敷に客人という名目で迎えられたファントムの面々だったが、その正体を知っているのはオルファネール家の主人、オーダス=オルファネールだけである。

 そうなるともちろん、ファントムの面々には客人として迎えられるだけの理由がなければならないわけだが――

(な、なるほど……)

 ティースはそのときになってようやく、一輪車の練習をさせられていたわけを理解したのだった。


 テンポのよいアコーディオンのリズムに合わせて、ドロシーがクルクルと器用にナイフを回している。

 言葉で書くと簡単に聞こえてしまうが、ドロシーが手にしているのは合計6本ものナイフだ。それを宙に投げたり手の中で回転させたりと、それぞれに別の動きをさせながら、自らも小さくゆっくりとした動きで踊っているのである。

 当然、それだけで観客――と言っても数人――から拍手が聞こえていた。

 だが、本番はこれからである。

(だ、大丈夫かな……)

 それを、数メートル離れた場所で見つめているティースは、正直生きた心地がしていない。

『ティースくんはまだ実用には耐えられないだろうから、大道具係を任せるわね』

 そんなアクアの言葉に快くうなずいたティースは、もちろん大道具を作ったり運んだりする役のことを思い浮かべていたのである。

(けど、まさか――)

 ティースはその考えが甘かったことを悟っていた。

(『俺自身が大道具』だったなんて!)

 両肩の上にはキャベツがヒモで軽く固定され、広げた両腕にリンゴ、そして頭の上にはレモン。

 ドロシーが狙う順番は容易に想像できた。

(でも……なんかナイフの数の割に、的が1個足りないような……)

 ティースの体は動かないように背後の板にしっかりと固定されている。

 ちなみにこの直前には、嫌がるティースをダリア以外のみんなで無理やり板に張り付けるというコメディタッチの演出――いや、彼は本気で嫌がっていたのだが――が行われており、今回のナイフ投げはその流れで行われるものだ。

 フィリスが顔を紅潮させ、演奏のリズムが速くなった。

 ゆっくりとした動きで踊っていたドロシーの視線が徐々にティースの方に向けられる。踊り子のような衣装の彼女はうっすらと化粧を施しており、いつもとは少し違う印象になっていた。

 ――と、その刹那。

「ひっ!」

 なんの前触れもなく、2本のナイフが踊っているドロシーの手から飛んだ。それはティースが声を挙げるより先に、両肩のキャベツを射抜いていた。

 どうやら観客たちもそのタイミングは予想してなかったらしく、複数の息を呑む音が聞こえる。

(……う、打ち合わせもなければ、目配せもしてくれないんだもんな……)

 ティースはナイフを投げるタイミングについて、まったく聞かされていない。だから当然彼も驚いた。ちょっと心臓が止まりそうなほどに。

 ピタ。

 ドロシーの動きが止まる。と同時に、演奏も止んだ。

 右手には2本のナイフ。左手にも2本のナイフ。

 一瞬、その場にいる誰もが呼吸を止めた。

 そして。

 ヒュッ、ヒュッ!!

 立て続けに2つの風切り音。ティースの手の平にかすかな衝撃を残し、ナイフはリンゴをさらって背後の板に突き刺さった。

 拍手は起こらない。誰もがまだ、最後のひとつ……頭の上のレモンが残っていることを知っている。

 クルッ……と、とてつもなく緩慢な動作で、ドロシーがその場で回転した。

(え……)

 同時に、その左手からナイフが離れる。それは今までのような直線的な動きではなく、山なりに放物線を描きながら、ティースの頭に乗せられたレモンに向かって飛んでいった。

(お、おい……それって――)

 ティースが焦ったのは当然である。

 山なりに放物線を描きながらレモンに命中するということはつまり、レモンの真下にあるティースの頭にも――レモンがとてつもない強度を持っていない限り、突き刺さるということであるから。

「な――」

 だが、ティースが叫びを発しようとしたその刹那。

 ドロシーの目が瞬時に細められ、そしてその手から最後のナイフが飛んだ。

「――」

 その場にいる観客――ティースも含む――は、おそらくその全員が驚愕に息を呑んだだろう。

 5本目のナイフが放物線の動きでレモンに突き刺さるその瞬間、6本目のナイフが凄まじい速さで先にレモンをさらい、さらに5本目のナイフを弾き飛ばして背後の板に突き刺さったのだ。

 冷や汗が、ティースの背中を流れた。

 彼の頭は幸い無事だ。

「……」

 クルリ、ともう一度優雅に回転して、そしてドロシーは観客に向かってうやうやしく一礼する。

 ……一瞬の静寂。

 直後、数は少ないながらも盛大な拍手が彼女に向かって送られたのであった。




「いや、素晴らしい!」

 催し物が終わった後、ティースたちファントムの面々は夕食の席に招待され、オルファネール家の当主オーダスからねぎらいの言葉をかけられていた。

 口ひげとかなり太めの眉毛がなかなかたくましいオーダスは、ティースたちが事前に調べた情報によると51歳。低音の聞いた声でなかなかに魅力的なナイスミドルだ。

 もちろん彼はファントムの正体を知っているはずであったが、それでもその賞賛の言葉はまるで嘘偽りのない言葉のようだった。

「おそれ入ります」

 うやうやしく礼を述べたのは、この『大道芸の一団』の団長、アクアだ。

「お気に召していただけたようで、なによりです」

 アクアはさすが、敬語の方もなかなか自然だった。

 それに比べて、ここに来てから屋敷の住人の前ではほとんど口を開こうとしないのがダリア。彼女はおそらく――勝手な想像だが、敬語そのものが苦手なのだろう。

「いや、でも確かにすごかったね」

 横から口を挟んだのは、20代前半、ややスリムでスラッとした体型ながら、少々太めの眉が父親の印象を色濃く残しているオルファネール家の長男、いかにも好青年といった印象のエルトン=オルファネールだ。

「僕も長いこと大道芸やサーカスを見てるけど、技術だけならその中でも一番かもしれないよ」

「そ、そう? ……ですか?」

 一瞬、敬語が崩れかけたアクアに、テーブルの下でダリアの肘打ちが炸裂するのを、ティースはしっかりと目撃した。

 さて、他の一同。

 縦に長いテーブルの上座に当主のオーダスが座っている。その右手の長い辺にファントムの面々、オーダスに近い方からアクア、ダリア、フィリス、ティースの順。

 ドロシーの姿が見えないのは、アクアいわく『仕様』らしい。先ほどの出し物の中には双子であることを生かしたトリックも使用していたため、彼女の存在自体がネタバレになってしまうようだ。

 そう言われてみると、ドロシーの見世物のときにダリアの姿が見えなかったことも納得である。

 お腹は空かないのかとか、一体どこに隠れているんだろうとか、ティースは余計な心配をしてしまうのだが、どうやらいつもなんとかなっているらしいので口は挟まなかった。

 と、それはともかく。

 ファントムの面々が座る席の正面側、オーダスから見て左手の長い辺には屋敷の人々が座っていた。

 オーダスに一番近いのが長男のエルトン、その隣にいるのが彼女の妻、資料によると、カティナ=オルファネール、年齢は夫より3つ年下の20歳。

 それほど良い家の出ではないが、こうしてオルファネール家長男の嫁に収まっているということは、家同士ではなく恋愛結婚だったのだろうか。もちろんなかなかの美人だ。どちらかといえばおとなしめの印象か。

 そしてカティナの隣にいるのがオーダスの娘、長女のノエル=オルファネール。少々ウェーブがかった長い髪でこちらもおとなしい印象はあるが、表情を見ると意外に勝ち気そうな部分ものぞいている。

 ファントムの演技に一番はしゃいでいたのもどうやら彼女だったようだった。年齢は16歳。

 最後に――そのノエルの隣に、少々違和感のある青年がいた。

 食事中にも関わらず頭には深くターバンを巻き、先ほどから一言も発しようとはしない。温厚そうな印象から察するに、無口なのではなく遠慮しているというところだろうか。

「ところで……」

 アクアもその人物についての情報は持っておらず、失礼にならないようにと注意しながら、オーダスに問いかけようとする。

 だが、それを先に察したのか、オーダスの方から答えた。

「ああ、彼はザヴィアくんだ。以前、魔に襲われた娘を助けてくれた恩人でね。それ以来、この屋敷の客として居てもらっているんだよ」

「ザヴィアさん?」

 アクアの声に反応したのか、ザヴィアが初めて口を開く。

「ザヴィア=レスターです。このターバンが気になっているのでしょうが、どうかご容赦ください」

 異様な格好の割に口調は丁寧で穏やかだった。そこに隣のノエルが、まるで彼を援護するかのように口を開く。

「ザヴィア様は昔、頭にひどい怪我をなさってその傷跡が大きく残ってらっしゃるのです。ですから――」

「あ、いや、私たちは別に気にしません」

 アクアは慌ててそう答え、それからニッコリと笑顔で冗談交じりに言った。

「私たちも元々、それほど上品な家の出ではありませんから。……ねえ、みんな?」

 その言葉にうなずいた一同。

 それはおそらく、誰もが嘘偽りのない本心からの同意だったに違いなかった。




「この並びがみなさまのお部屋になります」

 夕食を終え、ファントムの面々はそれぞれの部屋へ案内されていた。

 割り当てられた部屋は1階の奥にある客室4部屋。

 ダリアとドロシーが同室で、他はひとりにひと部屋という計算だが、予想に違わずひとりで過ごすには少々広すぎる個室だった。

「私は執事補佐のコンラッド=フランシスと申します。皆様のお世話も言い遣ってますので、なにか不都合がございましたら遠慮なく」

 20代後半と思われるその人物はなかなかに体格の良い男だった。背は長身のティースよりは少し低いが、正装の上からでも鍛えられた筋肉質の体がうかがえる。顔は少々角張った感じで眉毛も太く、見るからに実直で頑固そうだ。

「お屋敷の中は自由に歩かれて結構ですが、あまり夜遅くに出歩くのはお控えください。それと鍵がかかった場所への進入もご遠慮ください」

 その他にも色々と細かい注意事項を事務的に述べて、そしてコンラッドという使用人は去っていった。

 そしてアクアがすぐさま号令を下す。

「じゃ、みんなさっそく情報収集お願いね」

 勝手を知る面々はすぐさま、それぞれに行動を取り始めたのだが――

「あの……俺は?」

 唯一勝手のわからないティースはそこに立ちつくしたままだった。

 それを見たアクアは、初めて気付いたと言わんばかりの顔で、

「ん、ティースくん? ……そうねぇ」

 考えて、そして少し意味ありげな微笑を浮かべた。

 その表情に、ティースの背中に一瞬痺れのようなものが走る。魅了されたのか、あるいは単なる怯えだったのか微妙なラインだ。

 そしてアクアは言った。

「それじゃティースくんは私と一緒に、楽しいひとときを過ごしましょっか?」

「え?」

 意味のわからなかったティースだが、アクアが向けた視線の先――廊下の向こうを見て納得した。

 そこに見えたのは、こちらに向かって歩いてくるオルファネール家の長女ノエル=オルファネールと、それに手を引かれて遠慮がちについてくる青年、ザヴィア=レスターの姿だったのである。




 約2時間後。

 外はすっかり日も落ちて暗くなっていた。

「ふーん。魔から助け出して、それでってのはおもしろいぐらい出来過ぎた話だなぁ」

 ノエルとザヴィアの関係について、2人掛けソファで身を逸らしていたダリアが真っ先に述べたのはそんな感想である。

「でもどうなんだ、そういうのって? うまく行くもんなのか?」

 ダリアの疑問に、机に備え付けられた椅子の上でフィリスがうーん、と考えながら、

「それってファナお嬢様とティース様が恋愛関係になるようなものですよね?」

 そう言った。

 ちょこんと椅子に腰掛けた様は、まるでお人形さんのようである。

 引き合いに出されたティースは、ベッドの端に腰かけていた。

「楽じゃないと思うよ」

 ちなみに彼らが現在話題にしているのは当然、ノエル=オルファネールとザヴィア=レスターがどうやら恋仲らしいということについて、である。

 彼らが集合しているのは隊長であるアクアの部屋だ。窓の外はすでに真っ暗。屋敷の中も必要最低限の場所を除いてすでに暗闇に包まれている。

「でも俺が見た限りだと、どっちかというとノエルさんの方が積極的だったし、エルトンさんとカティナさんの前例もあるだろうから、もしかしたら……どうかな、アクアさん?」

 振り返ってティースが尋ねる。

「それは確かねぇ」

 答えたアクアはベッドの上にうつ伏せになって話に参加していた。膝を曲げて足をブラブラさせて落ち着かないところが、まるで子供のようである。

「あたしやティースくんと話しているときも、ノエルちゃんの方からずっと手を握ってたし」

「へぇ。ああいうお嬢様ってのはそういうことに消極的なもんだと思ってたけどな」

「ダリア。それはお前の偏見だ……」

 中庭での出し物が終わってから今まで一体どこに隠れていたのか。数時間ぶりに一同の前に姿を現したドロシーは、ダリアの隣で膝を曲げ、その膝を両手で抱えるようにして座っている。

 どうも彼女は、こうして縮こまる体勢が好きらしい。

「ああいう箱入りってのは、一度沸騰すると見境なしにどこまでもいっちまうもんだ……」

「ドロシーはずいぶんと否定的だなぁ」

 ティースが笑うと、ドロシーはチラッと彼を見て、

「別に。オレには関係ないからな……」

「そ、そうか」

 そこへダリアがうなずいて、

「でもま、それが原因なのか知らんけど、お嬢さん以外、屋敷の住人たちのウケは良くないな、そのザヴィアって男」

 どうやらさっそく仕入れてきた情報らしい。

「ウケが良くないって、どういうことだ?」

「ああ。得体が知れないとか、不気味で気持ち悪いとか」

 ティースは首をかしげる。

「そっかなぁ。言葉遣いとか物腰とか意外と丁寧だし、俺なんかは結構好印象だったけど……」

「ま、やっかみ半分かもしれないけどな。あたしらを案内したコンラッドって男とか、使用人を束ねるアーバンって男とか、露骨に嫌ってるみたいだけど」

「アーバン?」

 初めて聞く名前にティースが怪訝そうな顔をすると、それにドロシーが答えた。

「アーバン=マクブライド……屋敷の執事で、話によるとあのオーダスって当主の腹違いの弟らしいな……」

「は、腹違いの弟!?」

「別に珍しくない話だろうよ……」

 そのドロシーの言葉にダリアが補足する。

「それは当主さんも半分認めていて、それでいながら重用しているみたいだな。その仲が悪いって話はまったく聞かない」

 そこへフィリスが口を挟んだ。

「あ、あの、それと私が聞いた話だと、執事補佐のコンラッド=フランシスさんは元々ノエルさんのボディガードだったらしいです。ノエルさんは小さいころから彼を愛称で呼ぶほど慕っていたんですけど、最近はザヴィアさんのことがあって少々疎遠だとか」

「なんか混乱してくるなぁ……」

「そうねぇ」

 アクアはベッドの上に肘を立てて手を組み、その上にあごを乗せて考えるようなポーズを取った。

「オルファネールの人ばかり襲われることになんらかの理由があるとすれば、その理由を持ってる人がデビルサイダーってことなんだけど、きっとそう単純でもないだろうし、頭が痛いわねぇ」

 その言葉にダリアは笑いながら、

「いっそ、魔がとっとと現れてくれりゃ楽だよな」

 冗談交じりにそう言った。

 もちろん彼女を含め、そこにいる誰もがまだ知らなかったのだ。

 まさにそのときちょうど、クレイドウルの街にその獣魔が出没していたことなど――。






 オルファネール家の一室からは、聞き慣れないメロディが聞こえている。

 その発生源は明らかに管楽器、その形状や音色からするとフルートのようなものだったが、そのものとは微妙に異なり、音がかなりこもっていて音量自体も小さめの不思議な音色だった。

 それを発する人物は、オルファネール家の客室――ティースたちのものとは少し離れた部屋にいる。

 薄暗い部屋の中、窓を開け、枠に腰掛けてその楽器を演奏するのはザヴィア=レスターだ。目を閉じ、まるで遠い場所に想いを馳せるように、彼はゆっくりとそのメロディを奏でていた。ターバンからかすかにはみ出た髪がそよ風に揺れる。外からは犬の吠える声が聞こえていた。

 その部屋にはもうひとりいる。

 言わずと知れたオルファネール家の長女、ノエル=オルファネールである。部屋のひとり掛けソファに腰を下ろし、やはり目を閉じてその音色に聞き入っていた。

「……ノエルさん」

「ザヴィア様?」

 メロディが止み、そして楽器を離したザヴィアの口からもれたのは、少々憂いを帯びた言葉だった。

「私は……あなたにふさわしい人間ではありませんよ」

「……」

 そっと楽器を脇に置くザヴィア。月明かりの下、その手の甲に3つの涙型のアザが浮かび上がる。

「あなたが私に好意を寄せてくれるのは嬉しい。でも私はすでに業を背負ってしまっている男だ。まして……あなたはこのオルファネールという高貴な家の方。私と釣り合うとはとてもじゃないが思えない」

 その言葉にノエルは少し視線を落として、

「その、ザヴィア様の背負った『業』については、やはり話してくださらないのですね」

「それは……」

 ザヴィアの視線が泳ぐ。……それが辿り着いた先は窓の外。そこにある見えないなにかを見ようとするかのように、彼はほんのわずかに目を細めた。

 そんな彼に、ノエルは顔を上げて答える。

「私は確かに、世間のことをそれほど知っているわけではありません。ですが、私なりに考えることぐらいはできます。私には、ザヴィア様が自分で卑下なさるほどの方だとはどうしても思えません」

「……」

 ザヴィアはなにも答えなかった。

 ただ黙って、もう一度手元の楽器を口にする。

 再び流れ出したメロディに、ノエルは心地よさそうに目を閉じて身を委ねた。

「私……ザヴィア様の故郷の曲、優しくてとても好きです」

 ゆっくりと窓の外へと流れ出していく不思議な音色。

 ……そして、部屋の外でその様子をうかがっていた長身の男は、苦々しい表情を隠そうともせずに、じっとそこにたたずんでいた――






 翌日。

「……えっ!? 魔が現れたって!?」

 まだ太陽が昇り始めて間もない早朝、ティースを襲ったのは、ダリアがもたらした驚きの情報だった。

「そ、そんな馬鹿な! いくら眠りこけてたからって気付かないはずが――」

 ちなみに彼は寝巻から普段着に着替えているところで当然半裸だったが、ダリアはそんなこと気にした様子もなく苦い表情で答えた。

「それが、この辺りじゃなくて街の方に現れたらしい。詳しいことはアクア姉が話すだろうから、とにかく急いで来てくれ」

「あ、ああ」

 急かされ、ズボンを踏みつけて転びそうになりながらも、ティースは着替えも半端にアクアの部屋へと向かった。

 途中、屋敷がどことなく忙しない様子にも気付く。

「襲われたのはカティナさんの実家よ」

 フィリス以外の全員がそこに集まるなり、ベッドの上に腰掛けたアクアは眉間に皺を寄せて口を開いた。

「今までは襲われるのが屋敷の人間だけに限定されていたんだけど。今回も関係者ではあるけど、厳密にいえば屋敷の人間じゃない。これまででは初めてのケースだわ」

「それで……襲われた家の人は!?」

「もう少し静かにしゃべれ……」

 昨日と同じソファの上で、昨日とまったく同じ体勢のドロシーがティースをたしなめる。

「オレたちが表向きは芸人の一団だってのを忘れるな……」

「す、すまない、ドロシー。それで。アクアさん……」

 素直に謝って質問を続けたティースに、アクアは小さく首を振って答えた。

「両親と弟、3人とも亡くなったそうよ。今までの被害に比べてはるかに容赦なく、徹底的にやられたらしいわ」

「……」

 グッと拳を握りしめたティースを横目で見て、ダリアが重い息を吐きながら、

「どうなってんだ、アクア姉? 今までと違う、が2つも並んだんじゃ、たまたまじゃ片づけられねーぞ」

 アクアは厳しい顔でうなずく。

「そうね……あたしたちが来たから、という可能性もなくはないわね」

 ティースはその言葉に否定的な表情を浮かべて、

「まさか。だってバレるようなことなんて……」

「ええ、だからどっちとも取れるんじゃない? 私たちの正体を疑っていて挑発しているのか、あるいはまったく気付いていないからこそ、大胆な行動が取れたのか」

「後者だとしたら、今までと違うのは単なる偶然ってことになるけどな」

 ダリアはどうやら前者の意見に傾いているようだったが、アクアは彼女を見て言った。

「その可能性も決して否定できないでしょう? 敵の目的だってわからないんだから、予断は控えましょう」

「それで姐さん。これからどうする……?」

 ドロシーの問いに、アクアは今までにない厳しい表情で、

「昨日の夕方から夜にかけて、屋敷から外に出た人間について調べてもらっているわ。いくら魔と言っても、手下を思い通りに動かすにはなんらかの形で彼らと意思を交わす必要があるはずよ。屋敷のすぐ近くに魔が潜んでいた痕跡はないし、それである程度は絞り込めるかもしれないわ」

 そこへティースが口を挟む。

「もともと外部の人間って可能性は? それならいくら屋敷の人間を調べても……」

「まあ、ないとは言わないけど。ただ、前にも言ったように犯人はオルファネールの人たちの行動をある程度把握しているフシがあるのよ。だからおそらく――」

 コンコン、とドアがノックされ、外からフィリスの声がした。

「アクア様。フィリスです」

「ああ、フィリスちゃん。ご苦労様」

 入ってきたフィリスは数枚の紙切れを手にしていた。ドアの外を確認し、後ろ手にしっかりと閉じてから、部屋の中に入ってくる。

「外、どう? あたしたちの部屋をうかがってたりする人はいなかった?」

「はい、いないと思います。屋敷の中はそれどころじゃないって感じです……」

「そりゃま、長男の嫁の実家が皆殺しの目に遭ったんだからさ。当然だろ」

 ダリアの遠慮のない物言いに、フィリスの顔が少しだけ嫌悪感に歪む。それはもちろん彼女のセリフ自体にではなく、その言葉が示した事実に対しての嫌悪だ。

「それでフィリスちゃん?」

「あ、はい。これが昨晩、夕食後に外出した使用人の方々のリストです。一応、その方々については雇った時期や役職などの細かい資料も戴いてきました。それと、エルトン様とカティナ様も昨晩は歌劇を見にお出かけになっているようです。ノエル様は昨日は一歩も御屋敷から出ておられません」

 紙を受け取って、それに目を通しながらアクアはさらに尋ねた。

「あの子は? ほら……あれよ。あの……なんていったっけ、あのターバンの子」

「ザヴィア、だろ」

 ダリアの言葉に、アクアはポンと手を叩いて、

「あ、そうそう。そのザヴィアって子」

(……アクアさん。昨日あれだけ話したのに、名前も覚えてなかったのか)

 が、それはどうやら日常茶飯事のようで、ティース以外の面々は特にツッコミを入れることもなかった。

 フィリスが答える。

「ザヴィアさんも外には出てないようです」

「そう」

 そうしてアクアが目を通す間、しばらく無言が続いた。

「……こないだ名前の出た2人の使用人さんはどっちも夜に外出してるじゃない?」

「あ、はい。ただ、アーバンさんとコンラッドさんはオーダス様の言いつけで一緒に外出してるんです」

「一緒にってことは、可能性は低いかな。でも、その他はどうも、関係者の動向を把握できるほど高い地位にないわねぇ。自分で調べたにしても……」

「で、でも普通に働いていたらなかなかそんな余裕はないと思いますよ。ある程度そういう情報が入りやすい立場でないと」

「よねぇ。……そこの2人みたいなエセメイドじゃない限りは」

 アクアの言葉に、その2人が反論する。

「間違っちゃいないけどよ。エセって言い方はなんか納得いかねーな。これでも職務は忠実にまっとうしてんだからさ」

「姐さんみたいなエセ乙女よりはよっぽどいい……」

「エセじゃないってば!」

 いつもの調子で脱線しかけたところを、ティースが方向修正する。

「そ、それはともかく、そのコンラッドさんかアーバンさんが犯人――デビルサイダーである可能性が高いのかな?」

 だが、アクアは首をかしげたままだった。

「どうかなぁ。それ以外でもオルファネール家の一員ならそういう情報は簡単にわかるだろうし、それはノエルちゃんと懇意にしてるザヴィアくんだって同様なわけでしょ。ま、昨晩外出してないとか色々材料はあるけど、断定できるほどのものじゃないわ。なんにしろまだまだ情報も足りないし、今の段階じゃなんとも言えないわね」

「そ、そんな悠長な……」

 その言葉に食ってかかろうとしたティースだったが、アクアの指で制止される。

「焦ってもいいことはないわよ、ティースくん。犠牲者が出て気がはやるのはわかるけど、今回のことはあたしたちにはどうやっても阻止できなかったわ。それはわかるでしょ?」

「でも……」

 確かに、今回に関しては今までの傾向からは絶対に予測できないことだった。

 しかし、それでも納得できない顔のティースに、アクアは目を細め、表情を引き締めて続ける。

「この先起こりうる、あたしたちに阻止できるはずの悲劇。それを阻止するために最善の努力をすることが、あたしと、あたしたちと、そしてキミの役目よ」

「……」

 まっすぐ見つめるアクアの視線に、ティースは思わずゴクリと息を呑んで……そして力強くうなずいた。

(阻止できるはずの悲劇、か)

 その彼の頭を過ぎったのは、過去、彼に助けることができたはずの人と、そして助けることができなかった人、その両方の顔だ。

 グッと、その拳にもう一度力がこもった。

「……ふぅん」

 そんなティースをちょっと感心したような表情で見ていたダリアだったが、やがて視線をアクアへと戻しつつ、

「それで、どうするアクア姉? 今回みたいなパターンも想定して――っても、それだと、とんでもない数の人間を守らなきゃならなくなるぜ」

「それはひとまず考えないことにしましょ」

 あっさりとアクアは答えた。

「たぶん、屋敷以外の人が襲われるのは今回だけよ」

「え。アクアさん、それは……」

 尋ねたティースに答えるアクアの言葉は、ほぼ大半の想像通りだった。

「お・と・め、の勘よ」

「そんな無茶苦茶な……」

 うろたえるティースにアクアは小さく微笑んで、

「どっちにしろ、あたしたちの人数じゃ今以上のことは不可能でしょ? ピンポイントで目星がついてるなら別だけどさ。……なんにしても今は、ここで犯人の尻尾をつかむことが先決。わかるわよね?」

「あ、なるほど……」

 納得したティースに、ダリアが意地の悪い笑みを浮かべて言った。

「アクア姉はなにも考えてないようで、少しは考えてるんだぜ?」

「なんでよ! あたしってば、見た目からして思慮深いでしょ!?」

「姐さん。――辞書、引いてきた方がいい……出来ればわかりやすい子供用の……」

「ちょっ……もう! そこまで言わなくてもいいじゃないの!」

 相変わらずドロシーの突っ込みは今日も苛烈を極めていた。




 朝食の席にエルトンとカティナの姿はなかった。

 昨日あったはずのザヴィアの姿もなく、そこにいたのはオーダスとノエルの2人だけ。

 その場において、ティースたちがすでに知っている事件についてオーダスから改めて説明があり、そしてファントムの面々(ドロシーは相変わらずいなかったが)は表面上驚いた反応を示して、そして心から犠牲者の冥福を祈った。

 朝食後、ファントムの面々は思い思いの場所へ。

 表面上は散歩だったり屋敷の見物だったりだが、その実は昨日に引き続いての情報収集だ。

 そんな中、そういった任務についてのノウハウをまったく持っていないティースはといえば。

「ふぅ……」

 アクアの指示によって自室にこもった状態で、荷物の中にカムフラージュして持ってきた剣を密かに磨きながら、深いため息をつく。

(……なんか俺、役立たずだよなぁ)

 とはいえ彼自身、自分が基本的に単純でうかつな人間であることを知っており、もちろんこういった活動に不向きであることは自覚している。

 だからこそ、極力足を引っ張らないようにとおとなしく指示に従ったわけであるが――

(でも、なにか出来ることがないかなぁ……)

 昨晩起きた事件に憤りを感じていたティースに、ずっとおとなしくしていろというのが、どだい無理な話だったのだろう。

 磨き終えた剣を同じように荷物の中に隠すと、ティースはさっそく居ても立ってもいられなくなって、ウロウロと部屋の中を歩き始めるのだった。

(コンラッドさんとかアーバンさんとかの話を聞けたりすればいいんだろうけど、それを自然にやるのって難しいだろうしなぁ)

 ウロウロ、ウロウロ。

(……あー、くそ! 俺にもうちょっと機転ってのがあったらなぁ!)

 落ち着かない様子で部屋を歩き回るティースは、さながら出産を間近に控えた父親のようであった。

 と、そんな彼の元へ、ノックの音が聞こえてくる。

「? アクアさん?」

 反射的にそう返してしまったティースだったが、そこから返ってきたのはそれとまったく違う男の声だった。

「ティースさん。よろしいですか?」

「え?」

 一瞬、声だけでは判断できなかったティースだったが、

「えっと……ザヴィアさん?」

「ええ」

「……どうぞ」

 予期しなかった来訪者に戸惑ってしまったティースだが、一応、彼も容疑者のひとりであることを思い出し、そして思わず訪れた機会に感謝しつつも緊張した。

「昨日はどうも。色々と楽しい話を聞かせてもらいました」

 入ってきたザヴィアは相変わらずのターバン姿で、片手には見慣れないフルートのような楽器を持っていた。

 ティースはできるだけ自然にするよう心がけつつ――その実、内心は焦りと緊張に強ばっていたが、とにかくひとり掛けのソファをザヴィアに勧める。

「いや、まあ話したのは僕じゃなくてアクアさ――団長だし」

 そして自身はクッションの利いたベッドの上に腰を下ろした。

 ザヴィアはティースの言葉に苦笑して、

「昨日はその団長さんとノエルさんばかり話してましたからね。私もどちらかといえば話し下手ですが、この屋敷にいると同性と話すことがほとんどないもので、この機会に色々ティースさんとお話したいと思ったんです」

 そう言った。

 確かに、ザヴィアは使用人たちには避けられているという話だったし、オーダスやエルトンとは直接話す機会などほとんどないのだろう。

 だが、

「どうして?」

 もちろん知らないフリでティースは尋ねていた。

「結構男の人とか多いでしょう? ほら……えっと、昨日僕らを案内してくれたコンラッドさんとか」

 これはティースにしてはなかなか気の利いた返答だ。言葉も決して不自然ではない。

 それに対するザヴィアの反応は、かすかに寂しそうな笑みを伴っていた。

「コンラッドさんですか。私はどうも、あの人には特別に嫌われてるらしいんですよ」

 それは自嘲的と言おうか、諦観していると言おうか、そんな笑みだ。

「嫌われている? それはどうして?」

「実際のところは私にもわかりませんが、私がノエルさんと親しくするのが気に入らないのでしょう。ただ、当然といえば当然でしょうね。だって私は、あの人たちにとってはどこの誰とも知れない男でしょう?」

 それから冗談っぽく苦笑して、

「笑えることに、私は屋敷の番犬にまで嫌われてしまっているようで。なぜか執拗に威嚇されるのですよ」

「でも、ザヴィアさんはノエルさんの命の恩人じゃ……」

「ですから、あの人たちにしてみれば、お金でも受け取ってさっさといなくなって欲しいのだと思います。もちろん、私はお金が欲しくて彼女を助けたわけではないので、そうするぐらいなら黙ってここから去りますけどね」

「……」

 ティースは少し慎重にザヴィアの表情を観察しながら、質問した。

「確か、あなたはもともと旅を?」

「ええ。この街にも私の探し求めているものがなかったので、これ以上長居する理由はなくなったのですが……」

 ザヴィアは膝の上で手を組んで視線を下に向けた。手の甲の奇妙なアザがティースの視界に入ってくる。

(なんだろ、水滴みたいな模様……)

「ところでティースさん」

 顔を上げたザヴィアは急に話題を変えた。

「お聞きになりましたか? 昨日も魔が現れたという話を」

「……昨日『も』?」

 慎重に受け答えたティースに、ザヴィアは特に不審を感じた様子もなくうなずいて、

「知りませんでしたか? 私がノエルさんを助けたとき、それと昨日……それ以外にも、最近この町では魔が頻出しているのです」

「それは初耳だなぁ」

 そんなティースに、ザヴィアは少し怪訝な顔をして、

「意外に冷静ですね。もっと驚くかと思いましたけど」

「え? あ、いや……」

 ティースはしまった、と思ったが、そこへ思い出したように続けたザヴィアの言葉によって、幸いなことに傷口は広がらずに済んだ。

「ああ、そういえば昨日、団長さんが話してましたよね。移動中に魔に遭遇したことが何度かあるんでしたか? 中には人型の魔もいたとか」

「あ……うん、そうなんだ。だから慣れてるってわけじゃないけど……」

 ホッと胸を撫で下ろしたティース。

 もちろん昨晩アクアが話したのは完全な作り話であったが、それが思わぬところで功を奏したらしい。

「……」

 そんな彼を、ザヴィアは急に無言になってじっと見つめた。

「……え?」

(な……なんだろ。またなんか失敗したかな……)

 ティースの背中を冷や汗が流れた。

 こういうやり取りはやはり心底苦手なのである。

 だがその後、ザヴィアから彼に向けられた問いは、彼の心配とはまるで無縁の、まるで想像だにしないものだった。

「ではティースさん。……人型の魔は、人と同じように話したり、人と同じように泣いたり笑ったりするということを、ご存じですか?」

「……え?」

 意表を突かれた顔のティースに、ザヴィアは続ける。

「魔が、人と同じような感情を持ち、時には他人を愛し、時には自分を犠牲にしてでも愛する人を守ることがある……などと言ったら、ティースさんは笑いますか?」

「……」

 あまりに唐突な問いかけに、ティースは言葉を失っていた。

 冗談だと片づけるにしては、ザヴィアの視線は彼をまっすぐに見つめたまま。少なくとも彼には、それが冗談から出た言葉とは思えなかった。

 だからティースは答えた。

 彼が思うままの言葉を、ほんのわずかに控えめにして。

「笑わない……かな。あり得ることだと思う」

「……」

 ザヴィアは一瞬驚いた顔をした後、ふっ……と表情を緩めてかすかに笑みを浮かべた。

「変わった人ですね、ティースさんは」

「それは……よく言われるかも」

 頭を掻くティースを横目に見て、ザヴィアはゆっくりとソファを立った。

「今日は良い天気ですね。昨晩、悪いことがあったなんて嘘のようです」

 フルートのような楽器を手に窓際に歩み寄ると、

「窓、開けてもいいですか?」

「あ、うん。それはもちろん」

 緩やかな風が流れ込む。カーテンが踊り、花のような香りが室内に漂った。

 ザヴィアは窓の縁に腰掛け、枠に背中を預けると、ティースを振り返って、

「ティースさんはなにか楽器を演奏しますか?」

「え? あ、いや、僕はそういう方面は全然……」

「そうですか。私もあまり取り柄の少ない男ですが、これは少し自信があるんです」

 言って、ザヴィアはその楽器にそっと口づけた。

 そこから流れ出したのは不思議な音色。曲は――ティースにも聞き覚えのあるものだった。

(これって有名な曲だったな……なんだっけ……)

 それはネービスの街角でもよく耳にするメロディだったが、こういう方面は全然、なだけあって、ティースの頭にその曲名が思い浮かぶことはなく。

(不思議な音色の楽器だけど……うん。演奏はたぶんかなりうまい……)

 ザヴィアの演奏はティースが素直にそう思えるレベルだった。指の動きも息の入り方にもまるで淀みがない。

「これは最近、ノエルさんに教わった曲です」

 演奏を終えると、ザヴィアは微笑しながら言った。

「私の故郷は辺境で、大陸で有名な曲とかはあまり教わらなかったものですから」

「へぇ……いや、でも最近覚えたとは思えないほどうまかったよ」

「どうも。もし退屈でなければ、私の故郷の曲も聴いていただけますか?」

 途中から彼の演奏に聴き入っていたティースとしては、当然退屈だなどということはなく、

「ああ、もちろん」

 うなずいたティースにもう一度微笑んで、ザヴィアは再び楽器に口を付けた。

 目を閉じ、そして先ほどよりも集中した様子がティースにも伝わってくる。

 そして楽器が音を奏で始めた。

(……不思議なメロディだな)

 ティースの感想はそれが最初だった。耳慣れないメロディ。どんな音楽にも大抵は法則というか聞き慣れたリズムがあるはずだが、ティースの中のその常識とは少々毛色の異なる音楽だった。

 だが、

(でも……うん。この楽器の音色には不思議としっくり来るメロディだ……)

 1分ほども経つと、ティースはすぐにそのメロディに馴染んだ。まるで語りかけてくるような音が、先ほどの聞き慣れた曲よりもよほど心地よく感じる。

 長い曲だった。5分以上経っても終わらない。

 似たようなメロディを繰り返しながら、まるで物語を辿っているかのように曲調はやがて速く、急かすようなリズムに変わっていく。

(こりゃ……もしかしてちょっとうまい程度のレベルじゃないのかも……)

 結局15分もの時間をかけて曲は終わりを告げた。

「ふぅ……」

 息をついたザヴィアの額にはうっすらと汗が浮かんでいる。

「……」

 そのころには、ティースは完全に聴き入っていて、曲が終わってからもしばらくそれに気付かないほどだった。

「ティースさん」

 ザヴィアの呼びかけ。風がカーテンを揺らす音。外から聞こえる犬の吠え声。

 ようやくティースは我に返った。

「……え? あ……」

「やはり退屈でしたか?」

「あ、いや、そんなこと!」

 ティースは手を振ってそれを否定すると、

「思わず聴き入っちゃったぐらいだから! いや……ホント、お世辞抜きで素晴らしかったよ」

「そう言ってもらえると安心します」

 ザヴィアは額の汗を拭って、そしてやはり微笑んだ。

 その表情には達成感というか満足感というか、そんな類の色が見える。

「でも……ホントにすごかったよ。耳慣れない曲なのに、聴いてるうちにそれがすごく心地よくなっちゃって」

「ノエルさんにも同じことを言っていただきました。嬉しいものですね、故郷の文化を誉めてもらえるというのは」

 そしてザヴィアはゆっくりと窓を閉じ、室内へと戻ってくるとソファへ腰を下ろす。

 それを見て、ティースは思った。

(さっきからノエルさんの名前をよく出すけど……この人も……なのかなぁ)

 昨日の様子から、ノエルのザヴィアに対する気持ちは間違いないと思っていたティースだったが、その逆はいまいち半信半疑だったのである。

(じゃあ、目的がなくなったのにここに居続ける理由って、やっぱり――)

 そんなことを考えた直後のことだった。

 ――甲高い悲鳴が響き渡る。

「!」

「っ……」

 ティースとザヴィアは同時に腰を浮かせた。

「……化け物――っ!!」

 響いたのはガラスの破裂音。そして重なった複数の悲鳴。

 近い。

「この方向は……っ!」

 ザヴィアが弾かれたように部屋を飛び出していく。

「……っ!」

 もちろんティースもすぐさま、その後に――少し迷いながらも荷物の中から剣をつかみ、それから部屋を飛び出した。

「ザヴィアさん! 待ってくれ!」

 すでに遠くなっていたザヴィアの背中を懸命に追いかける。だが、その足はティースよりよほど速かった。

「ノエルさんっ!」

 そしてザヴィアの背中は迷わずに廊下を突き進み、とある部屋へと飛び込んでいく。

 ティースが数秒遅れてたどり着いたとき、部屋には4つの影があった。

(こいつらは――っ)

 部屋の奥にはノエル。一見したところ怪我はない。そして飛び散ったガラス窓――そこに、成人男性より大きめの2匹の魔がいた。

 鋭く大きな足爪、そして大きな翼。

 ティースにとって見るのは初めてだったが、頭の中にそいつらの知識はあった。

(風の五十四族!)

 ザヴィアは部屋の入り口で、彼らの動きを牽制するようににらみ付けている。丸腰だが、その威圧感はティースにも伝わるほどに強烈だった。魔もそれを感じてか、割れたガラス窓の位置から先に進もうとはしない。

「性懲りもなく……」

 ザヴィアの声色に、先ほどまでの穏やかな雰囲気は微塵もない。まるで突き刺さるような迫力があった。

「帰れ。ここはお前たちの来る場所じゃない」

 2匹の魔はザヴィアの眼光に見据えられたまま動かない。

「ザヴィアさん、丸腰じゃ――!」

「ティースさん。あなたは危険だから下がって」

 振り返らずにザヴィアは鋭く答え、そして一歩、部屋の中へ踏み出した。

「ザヴィア様……」

 部屋の隅で、ノエルが弱々しい声を発する。だが、その表情に絶望の色はまったく見えない。それだけ彼を信頼しているということなのだろう。

「ノエルさん。動かないでください」

 そしてもう一歩、魔を見据えたままでザヴィアが部屋の中に踏み込んでいく。

「ケェェェ……」

 魔が不思議な鳴き声を発した。

 ザヴィアがさらに一歩進んでいく。

(無茶だ……)

 ティースは剣を携えたまま、どうすべきか迷っていた。

 ……ザヴィアの発する威圧感は、どう考えてもただ者ではない。おそらく2匹の魔もそれを感じて襲いかかるのをためらっているのだろう。

 だが、いくら彼がただ者でなくとも、丸腰ではどうしようもない。魔力の壁を打ち破るための破魔具も身に付けているようには見えなかった。

(俺じゃ力不足かもしれないけど、ここはやるしか――)

 そう言って鞘から剣を抜こうとする。

 ――だが、その前に状況が動いた。

「ザヴィアさん!!」

 片方の魔がノエルに向かって飛びかかったのだ。と同時に、ザヴィアも床を蹴っていた。

 もちろんティースも同時に。

「ケェェェェェッ!!」

「っ――!!」

 魔の鳴き声と、ノエルの声にならない叫びが重なる。

 その瞬間、ザヴィアは人とは思えない瞬発力でその間に割って入っていた。だが、彼は丸腰だ。襲いかかる魔の鋭い爪を防ぐ手段はない。

「ザヴィアさんっ!!」

 ティースの叫びとともに、ザヴィアの体が魔と向かい合う。鋭い爪が襲いかかる。

(……間に合わないっ!!)

 数歩遅れたティースにはそれを助ける手段がなかった。

 そして彼の目の前で、ザヴィアの体は無惨にも引き裂かれ――ようとした、そのとき。

(……えっ!?)

 ざわっ……と。

 まるで衝撃波のように、部屋の中になんとも言えない感覚が広がった。それは決して物理的なものではない。圧迫感というか、威圧感というか、そういった類のものだろう。

(なんだ、これ……!?)

 だがティースは確かに感じた。全身を襲う、思わず総毛立ってしまいそうな力のほとばしりを。

 ……それが彼の気のせいなどでなかったことは、その後の展開を見れば明らかだろう。

「ケェェェェェッ……」

 2匹の魔は情けない鳴き声を上げ、ザヴィアの眼前まで迫っていた爪を収めると、ゆっくりと後ずさっていったのだ。

(まさか……魔が怯えてる!?)

「帰れ」

 ザヴィアの声は、まるでそこになんらかの力を帯びているかのような、奇妙な重圧感がある。

「帰らなければ――」

 言い終わるまで待つ必要はなかった。

「ケェェェェェ……」

 2匹の魔は再び情けない鳴き声を上げると、そのまま、まるで慌てたように窓から飛び去ってしまったのである。


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