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デビルバスター日記  作者: 黒雨みつき
第3話『北の街の“ラブ・ストーリー”』
17/132

その2『“再会”は突然に訪れ』


 その3日後。

 ファントムの詰め所の奥にある広めの部屋で、ティースの特訓は続いていた。


「わっ……わっわっ……!」

 ガシャーン!!

「あちゃぁ……」

「ティースくん、不器用ねぇ」

 一輪車とともに床に転がったティースを見て、アクアが笑いながら顔を覆う。

 それに追い打ちをかけるように、

「そいつのは不器用の次元を越えてる気がすっけどな」

「猿でももうちょっとうまくやる……」

「あたた……」

 ダリアとドロシーの容赦のない酷評を受けながら、ティースは腰を押さえて立ち上がりつつ、

「俺には君たちが超人に思えて仕方ないよ、ホント」

 そう言った。

 その視線の先では、ダリアが相変わらずロープ上を片足でピクリとも動かずにバランスを保っていたし、ドロシーはティースの方によそ見しながらも、数メートル先の小さな目標に次々と投げナイフを突き立てている。

「だ、大丈夫ですよ、ティース様!」

 そんな彼をフォローしたのはフィリスだ。手にしているのは俗にアコーディオンと呼ばれるものに似た楽器である。

「私だってティース様と同じぐらい不器用ですから!」

「つまり、あんたはフィリスと同レベルってわけだ」

「……」

 意地の悪いダリアの発言に、ティースは肯定も否定もできず反応に困ってしまった。

 アクアはおかしそうに笑いながら、

「そうねぇ。私が触れてもいいのなら、もっと手取り足取り教えてあげられるんだけど」

「あぁ、ダメダメ。アクア姉が触れると、別のことを教えちまいそうだ」

「ちょっと、ダリア。あなたねぇ、あたしのことをいったいなんだと――」

「恋人募集中の24歳だろ?」

「わざわざ年齢を付けないでってば!」

「……あの」

 女性アレルギーということを別にしても、ティースは女性が苦手――いや、アレルギーだからこそ接する機会が少なくて苦手になったのかもしれないが、そんな彼が彼女らのノリについていくことはなかなかに大変だった。

「とにかく俺、練習続けますので……」

「あ。そうそう、ティースくん」

「はい?」

 背中を向けたところへアクアが近付いてくる。

 思わず反射的に身構えてしまうティースだったが、アクアはすぐに立ち止まると、眼前でピッと人差し指を立てた。

「大事なのは『集中』よ、ティースくん」

「え? 集中?」

「ティースくん、なんでこんなことさせられてるのか……なんてこと、ずっと考えてるんでしょ?」

「……はい」

 まったくの図星だったので、ティースは正直に答えた。

 正直なのがよかったのかアクアは満足そうにうなずいて、

「やっぱりね。でも」

 そして妙に艶っぽい笑みを浮かべると、人差し指をティースの口元に近付けた。

 2つの意味でドキッとしたティースだったが、幸い彼女の指はその目前で止まると、

「それじゃダ・メ・よ。キミは一輪車に乗ることにとにかく集中しなきゃ。色々なことを同時に考えるのも大切だけど、ここぞというときには『一点集中』。それが大事よ」

「はぁ」

 確かに。彼女の言いたいことはティースにもわからないでもなかった。

 が、

(一輪車に集中しろって言われてもなぁ……)

 ガシャーン!!

「あたた……」

「……こりゃ相当時間かかるな」

 呆れたようなダリアの言葉には、ティース自身も思いっきり賛同したい気分だった。






 クレイドウルの街の昼下がりには、今日も強い日差しとそれを緩和する心地よい風が吹いている。

「……」

 ザヴィア=レスターはその時間、安宿から外を眺めていた。

 室内にあっても彼はターバンを深く頭に巻いたまま、その手には細長い管楽器――フルートのようなものが握られている。ときおり、その楽器を口にしてなんらかのメロディを奏で、そしてすぐに思い直したようにそれを口元から下ろす。

 そんなことを繰り返していた。

 と、そこへ、

「うん?」

 ザヴィアは下が妙に騒がしいことに気付いた。

 窓から軽く身を乗り出し、宿の入り口の方に視線を向けると、そこには1台の馬車が止まっている。しかも普通の馬車ではない。装飾も豪華なそれは、見るからに資産家が所有するような馬車だった。

「……」

 窓から離れ、ザヴィアはフルートを古ぼけたリュックの中にしまい込んだ。

 宿の階段を上がってくる複数の足音が聞こえてくる。

 コン、コン。

 ドアは穏やかにノックされた。

「はい」

 ターバンを深くかぶりなおし、少し身なりを整えてザヴィアは答えた。

「失礼します」

 うやうやしく部屋に入ってきたのは、身なりからして表の馬車に乗っていたに違いないであろう正装の男。

 歳はザヴィアより少し上、20代後半だろうか。その他にもあと2人いて、こちらはそれよりさらに年上の、おそらくは30歳過ぎだろう。

「ザヴィア=レスターさん?」

「ええ、そうですよ」

 男たちはザヴィアにとって顔見知りではない。名を知っているのはおそらく、宿の主人から聞いたからだろう。

「やはり……」

「ん?」

 男たちの後ろから聞こえたつぶやきは女性のものだった。

 一番若い男が振り返って、

「間違いありませんか?」

「ええ、コン。この方です。……ザヴィア様、覚えていらっしゃいますか?」

 道を開いた男たちの間から出てきたのは、やはり高貴な出で立ちの少女だ。

「君は、確か……」

 それはもちろんザヴィアにも見覚えがあった。

「3日前は危ないところを助けていただきました。見るからに旅の方でしたから、もう街におられないかと思いましたけど、良かったです」

「……」

 ザヴィアはどう反応すべきか迷っていたが、それを見た少女が名乗る。

「私、ノエル=オルファネールと申します。ザヴィア様、どうしても先日のお礼がしたいので、どうか屋敷の方へお越しいただけないでしょうか?」

「……」

「お願いします。どうか」

 懇願するノエルを見て、ザヴィアは少し視線を伏せると、

「私は見ての通り薄汚い格好の男だけれど、それでも?」

「それはもう! 格好などなにも関係ありません!」

 まるで考える様子もなく言い切ったノエルの言葉に、座ヴィアはようやく笑顔を見せた。

「そうですか。私も事情あってしばらくはこの街に逗留するつもりでした。ですから、もし迷惑でなければ――」

 こうして、ザヴィア=レスターとノエル=オルファネールは2度目の出逢いを果たしたのである――






 シーラ=スノーフォールは前章で述べたように、ティーサイト=アマルナのあらぬ風評の原因となった人物であり、彼の女性アレルギーの原因考察について、唯一その名が挙がった少女である。

 さて。

 伝統あるネービスのサンタニア学園で薬草学を学ぶ彼女は、その本分である学園での授業を終え、毎日の日課ともいえる恋人とのデートも終えて、ようやくミューティレイク邸別館に帰ってきたところだった。

 そして、

「あら……?」

 部屋に戻ろうしたシーラは、同じ廊下に立ちつくす使用人の姿を目にして足を止めた。

 彼女の部屋は別館の2階にあり、ティースの部屋とは隣同士だ。階段の方から見てティースの部屋が手前にあるため、シーラが自室に戻るときは当然その部屋の前を通ることになる。

 使用人の少女が立っていたのは、そのティースの部屋の前だった。扉に掛けられたネームプレートをじっと見つめており、シーラの存在に気付いた様子はない。

(……なにかしら?)

 お下げを2つぶら下げたその少女は、シーラも顔を見たことはあったが名前までは知らなかった。

 ひとまず声をかける。

「ティースになにか用?」

「!」

 驚いたように少女が振り返った。

「あいつならまだ戻ってこないはずだけど?」

「……いえ……失礼します」

 蚊の鳴くような声で少女はボソッと何事か答え、そして慌てて走り去っていってしまった。

「?」

 その背中を見つめながらシーラは首をかしげたが、結局それほど気にすることもなく自室へ――そして、ドアノブに手をかけたところで呼び止められる。

「シーラさん」

「あら、リディア」

 使用人の少女と入れ替わりにやってきたのは、リディア=シュナイダーだった。

 ディバーナ・ロウの第二隊『ディバーナ・ナイト』隊長レインハルト=シュナイダーの実妹であり、当主であるファナのサポート役としての職も持つ彼女は、数日後に誕生日を控えた弱冠11歳の女の子だ。

 相変わらず、この年ごろの少女としては珍しいパンツルックで、一見少年のようにも見える。

「ダメだよ、シーラさん。いたいけなメイドの子を怯えさせたりしちゃあ」

「見てたのね」

 真顔で言ったリディアに、シーラは答えて、

「なにもしてないわ。ただ声をかけただけよ」

「またまたぁ。ティースさんの部屋を熱い視線で見つめてたから、軽く宣戦布告しちゃったんでしょ?」

 シーラは苦笑して、

「それはおもしろい冗談ね。思い付きもしなかったわ」

「うわ。歯牙にも掛けない発言。最近はティースさんと仲直りしたんじゃなかったの?」

 探るようなリディアの言葉。

 彼女は相変わらず、ティースとシーラの奇妙な関係について興味津々のようだったが、いい加減慣れていたシーラはそれに平然と返して、

「変なこと言うわね。最初から仲違いなんてしてないのに」

「そっか。じゃあ言い方を変えるよ。ティースさんと接することには抵抗なくなったの?」

 そこで初めて、シーラの視線が少しだけ横に逸れた。

「なくなったわけじゃないわ。今も、あいつの顔を見るとイライラするもの」

 リディアは首をかしげて、

「うーん。それが、いまいちわかんないんだけどなぁ。優柔不断だからとか、はっきりしない人だからとか、そういうこと?」

「いいえ。前にも言ったけど、そもそもあいつが悪いわけじゃないのよ」

 少し言葉をためらってから、仕方なさそうに答える。

「とにかく。それとは別に、あいつのやっていることを考えたら、私自身のイライラなんて些細なことなのかもしれないって、そう思ったの。我慢することにした。ただ、それだけのことよ」

「ふーん。ってことは、やっぱりシーラさんも少しはティースさんに感謝してるんだ?」

「……してないことはないわ」

 そんな反応にリディアはおかしそうに笑って、

「あはは。シーラさんって、クールなイメージの割にはものすごく意地っ張りだよね」

「……」

 シーラはなんとも言えない表情で、そして仕方なさそうに首を振る。

「そういうあなたは、第一印象そのままに意地が悪いわ」

「うわ。こんないたいけな少女を捕まえてなんてことを」

「よく言うわよ。――あら」

「あ」

 シーラとリディアが向けた視線の先。そこに、大階段を上ってきたひょろっとした背の高い青年がいた。

「あ、シーラ」

 たった今、話題に上っていたティースである。

 半袖からのぞく肘にはいくつかのすり傷があり、少し疲れた表情を見せていたが、シーラの姿を見るなり表情を明るくして、

「いま帰ったのか? あ、この時間ってことは、今日もデートだったのか?」

「え、デート?」

 その言葉に怪訝そうな顔をしたのはリディアだ。

「え、シーラさんって彼氏いるの? でもシーラさん、時間あるときは最近ずっと書庫に――」

「そんなことより」

 疑問の声をさえぎってシーラは言った。

「ティース。ここの使用人でお下げを2つ下げた、私と同い年ぐらいの女の子を知っているかしら?」

「お下げ? ……ああ」

 当然、ティースには心当たりがあった。

「それってパメラのことかな?」

「パメラ?」

 確認するように、シーラはリディアを振り返った。

「あ、うん。パメラさんだよ、あの人」

「そう。ティース、お前はどうしてその子を知っているの?」

「どうしてって、あの子、俺の部屋の掃除をしてくれる子だから、毎日顔を合わせているよ」

「そう」

 考えながらつぶやいたシーラに、リディアがそっと小声で、

「気になるの?」

「ええ。気になるわね」

「?」

 あっさりとした返答に、リディアは怪訝な顔をする。

 だが、そんな彼女にその理由を答えることはなく、シーラは自分の部屋のドアノブをつかむと、

「夕食までまだ時間があるようだし、少し休むわ」

 そのまま部屋の中へ入ってしまった。

 その場にはティースとリディアの2人が取り残される。

「……ねえ、ティースさん」

「ん?」

 リディアは『シーラ=スノーフォール』と書かれた部屋のプレートを見上げながら、ティースに疑問の声を向けた。

「シーラさんに恋人がいるって、本当?」

「え? ああ、結構前からね。もしかして君もそういうのに興味のある年ごろかい?」

 相手がかなり年下だからか、ティースは珍しくからかうような言葉を口にしたが、リディアは平然と子供らしくもない言葉で答える。

「恋愛って他人のを眺めてるのは楽しいけど、自分でするのはゴメンだよ。色々とややこしいみたいだから」

「そ、それまた達観した意見だなぁ……」

 ティースは思わずたじろいだが、すぐに思いついたように、

「あ、でも俺はどっちかというと君とは逆かな」

「逆?」

「他人のを眺めるのはあまり好きじゃないよ。だって、そういうのってついつい応援したくなっちゃうし、もしうまく行かなかったらこっちまでガックリしちゃうだろ?」

「それ、人が良すぎるよ、ティースさん」

 馬鹿にしたような、あるいは感心したような、どっちとも取れる口調でそう言って、リディアはゆっくりと部屋の前から離れた。

 そして頭の後ろで手を組むと、

「でもあたし、ティースさんみたいな人なら応援してあげてもいいかもなぁ」

「はは、そりゃどうも。けど、今のところはその必要もないようだよ」

 リディアはそんなティースをのぞき込むように見て、

「ふーん。やっぱり見当違いだったか」

「?」

「あ、気にしないで、こっちの話。……ちなみにティースさんの好きな女性のタイプって?」

「え? ……いや、急にそんなこと言われてもなぁ」

 戸惑った顔のティースに、リディアは手をヒラヒラと振って、

「考えなくてもいいよ。パッと思いついたことを言ってくれれば」

「そ、そうだなぁ。えっと、まず優しくて――」

「可愛くてよく気の付くいい奥さんタイプ?」

「……そ、そうかな」

 リディアはおかしそうに笑った。

「ティースさんってホントわかりやすいなぁ。でもそれだと、シーラさんはこれっぽっちも当てはまってないね。あの人、とんでもなく綺麗だけど、可愛いってのとは違うし」

「君もなかなか言うなあ」

 ティースは苦笑しつつ、

「まあ、あくまで俺の好みだから。あいつはあいつでいいところたくさんあるよ」

「でも結局、シーラさんはティースさんの好みじゃないってことだよね」

「うーん……あいつの場合は好みとか好みじゃないとか、そういう問題じゃないしなあ」

 リディアは難しい顔で首をかしげて、

「よくわかんないけど」

「ほら。たとえば君だって、お兄さんのレイさんのことを好みとか好みじゃないとか考えたりしないだろ? それと同じような――」

「いや、あの人はあたしの好みじゃないよ。彼氏としては最低最悪じゃないかな、きっと」

 リディアはきっぱりと答えた。

「そ、そうか」

 どうやらティースと彼女の間では、感性にかなりの違いがあるらしい。

 それでもなんとか言葉を続けて、

「で、でもほら。たとえそうだとしても、別に嫌ったり仲が悪かったりしないだろ?」

「そりゃ兄だし、最初からそういう対象じゃな――……あ、そういうことか」

 自分で言って、リディアはようやく納得顔をした。

「でも変なの、別に兄妹じゃないのに。そんなようなものだから?」

「ん……それともちょっと違うんだけど。兄妹だなんて言うと、あいつが嫌がるし」

 別に自嘲的でもなく笑いながら、

「だから、ほら。やっぱり、召使いとお姫様でいいんじゃないかな。屋敷のみんなも、いつもそんな風に言ってるんだろ?」

「それはあまり理由にならないと思うけど。そういう関係だって、絶対に恋愛に発展しないわけじゃないし」

「でも、それは上の立場の人にその気がなければ絶対に成立しないよ」

 リディアは少し視線を泳がせて、

「あー、確かにシーラさん。見た目にはまるでなさそうだもんね。見た目には」

 その言葉には明らかに含みがあったが、ティースは特になにも気づかなかったようで、

「召使いの方も同じさ。実際、よほどのことがない限り、そういうことは考えもしないよ」

「ふーん」

 納得したのかしないのか、よくわからない表情でリディアは少し考えていたが、やがてポツリとつぶやく。

「召使いかぁ。でも考えてみたら、シーラさんの態度って確かにそのものだなぁ」

「だろ?」

 自分の言葉が通じたことにティースは満足そうな顔をしたが、リディアはそれでも何事か考えていた。

「?」

 首をかしげるティースに、リディアはやがて口元に当てていた手を下ろして、

「ま、いいや。あ、ところでティースさん。シーラさんって、古い歴史について興味あるのかな?」

「え? いや、どうだろ。聞いたことないけど。どうして?」

「ふーん。別になんでもないんだけど、よくそういう本を読んでいるから、ちょっと気になってね」

「……?」

「じゃ、ティースさん。ゴメンね、引き留めちゃって」

「あ、いや、別にいいけど」

「でも、そっかぁ。シーラさん、他に恋人がいるのかぁ。なるほどねえ」

 リディアはそんなことをつぶやきながら去っていった。

 それを見送ったティースはひとりで首をかしげながら、

「やっぱそういうことに興味のある年ごろなのかなぁ。でも、俺とシーラなんか見ててもなんの参考にもならな――」

 そんなひとりごとをつぶやいたところで、突然シーラの部屋のドアが勢い良く開いた。

 もちろん避ける間もなく。

 ガンッ!

「いてっ!!」

「……うるさいわよ、ティース」

 ティースが見事に尻もちをついたところで、その向こうからシーラが顔を出した。

 いつものポニーテールをほどいて髪を下ろしており、その眉根には不機嫌そうに皺が寄っている。

「お前、さっき私が休むって言ったのが聞こえてなかったの? そんなにくだらないおしゃべりがしたいのなら、よそで思う存分やればいいでしょう?」

「い……いてて……」

 したたかに打ち付けた腰を押さえながら、ティースは顔をしかめて立ち上がる。

「あ、あのなぁ、だからって急にドア開けなくたって……」

 途端、シーラはさらに不機嫌そうになって、

「口ごたえするつもり? 人の部屋の前にずっと突っ立ってるお前が悪いんでしょ」

「……ゴメン」

 きつい口調にすごすごと引き下がるティースの様は、確かに立場の弱い召使いのようであった。

(やっぱ聞こえてたのかなぁ……)

 やはり不機嫌そうに閉じたドアを見てそんなことを思いつつ、ティースは痛みに顔をしかめ、腰を何度も何度もさすりながら自室へと戻っていったのだった。




 夕食を終え、再び自室に戻った後も、ティースにはやることがたくさんある。

「炎の五十六族――体長は50センチから1メートル程度、4本の脚で地面を這うように動く『は虫類』系の姿で、体長とほぼ同じ長さの炎の尾を鞭のように使って攻撃する……と」

 明かりを灯し、机の上にアオイから借りた膨大な資料とメモ用紙を置いて、懸命に勉強する彼の姿がそこにはあった。

 時刻は午後の11時を回っている。

 この時間、屋敷は人が圧倒的に少なくなり、外部から通っている使用人はもちろん大半が自宅へと戻っているし、ここに住み込んでいる者もほとんどが寮の自室へ。

 あとは幾人かの気の向いたものたちがホールなどに出て静かに歓談したり酒を楽しんだりしている程度である。

「風の五十四族――体長は2メートル前後。鋭いくちばしを持ち、鋭い爪のついた大きな翼で空を飛び、大きな足爪で人を抱えてやすやすと飛び去っていくほどの力を持つ……ふぅ」

 気が付けば、夕食を終えてから5時間近くもひたすら机に向かっていた。

「のどが乾いたな……」

 残念なことに、彼が頑張っているからといって気を利かせて飲み物を持ってきてくれるような人物はおらず。

 ティースは大きく伸びをして、そして席を立った。

「ふぅっ……」

 腰を叩きながらドアへと向かうと、彼が手を掛けようとしたところでノックの音がした。

「?」

 こんな時間に部屋を訪れる人物の心当たりはなく、ティースは一瞬返事をためらってしまったが、

「どうぞ?」

 カチャ……

 そっと、ドアが向こうから開く。

 そこから顔を出したのは――

「え? アクアさん?」

「しっ」

 アクアは口元に人差し指を立て、それから廊下の左右を確認してから部屋の中に滑り込むように入ってきた。

 パタン、とドアが後ろ手に閉じられる。

 一歩下がってその様子を見ていたティースは少々あっけに取られて、

「な……なにやってるんですか?」

「え? ああ、気にしない気にしない」

 ニッコリ笑顔を浮かべたアクアはすでにワンピース風の寝巻――ネグリジェ姿で、頭のお団子はまだそのままだったが、どう見てもこれから寝ようとしている者の格好だった。

 そしてその両手に握られていたのは、

「さて。じゃあ飲もうか、ティースくん」

 再びニッコリと。

「え?」

 いまだ状況を理解できていないティースをしり目に、アクアはずんずんと部屋の中央に進んでいって、サイドテーブルの上にワインのビンと手にしてきた2つのグラスを置き、そして自らはベッドの上に腰掛けた。

「……」

 ただ呆然と、それを眺めていたティースだったが、

「ちょっ……ちょっと待ってくださいよ、アクアさん!」

「しぃーっ」

 アクアは眉をひそめ、再び人差し指を口元に当てて、

「静かに。この時間にそんな大声を出したら隣の部屋から苦情が来るでしょ」

 隣はもちろんシーラの部屋である。

「そ、それは確かに怖――じゃなくて! 一体どういうつもりですか!?」

 それでもしっかり声を潜めている辺り、彼の立場の弱さが存分にうかがえた。

 だが、アクアは平然とした様子で、

「どういうつもりもなにも、ただ単にティースくんとお酒を飲もうと思っただけよ? ほら、やっぱり隊長としては隊員との交流も大切にしなきゃ」

「だったらなにも部屋で飲まなくても、玄関ホールかどこかで――」

「ダメダメ。あそこは色々と邪魔が入るから」

「邪魔って……」

 その言葉に不穏なものを感じてティースの顔色が少し悪くなったが、それに気付いたアクアは、すねたように口を尖らせた。

「ちょっと……もう。そんなお化けを見るような目をしなくてもいいじゃない。もしかしてなにか変なことされるとでも思ってる?」

「い、いえ……」

 とはいえ、この格好でいきなり部屋に来られたのでは、彼が警戒してしまうのも無理からぬことである。

 そんなはっきりとしないティースの返答に、アクアはますます機嫌を損ねた様子で、

「もう、あの2人が変なことばっかり言うから。あのね、ティースくん。そりゃ確かにあたしはもう24よ。どーせ行き遅れで焦ってるし、恋人だっていないし、ティースくんから見れば立派なオバサンよ」

「いや、そこまでは……」

 いきなり卑屈なアクアに、ティースは困り顔で一応フォローを試みる。

 そもそもティースにしてみれば、決してオバサンだなどと思ってないからこそ、触れられたら気絶するし、今もこうして困っているわけなのであるが。

 アクアは続けた。

「でもね、あたしだって別に誰でもいいとか思ってるわけじゃないんだから。そりゃ、もうそんなに高望みはしてないけど、やっぱりちゃんとあたしを愛してくれる人じゃなきゃダメなわけじゃない?」

「それは……そうですね」

「でしょ? あたしだって、その気がない人を無理矢理、なんてことはこれっぽっちも考えてないんだから。冗談では口にするけどさ」

「あ、はい。そうですよね」

 至極まともな意見に、ティースは少しだけホッとする。

(そうだよな……考えてみたら、アクアさんってたまに暴走するけど、それ以外は結構まともな人だもんな)

 確かに、ダリアやドロシーの言葉で惑わされていた部分もあったのかもしれない、と、ティースはちょっとだけ反省したのだった。

「わかってくれた?」

 言いながら、アクアはサイドテーブルのグラスにワインを注ぎ始める。

「ええ。いえ、すみません。確かにちょっと誤解してたかも」

 アクアは満足そうに微笑んで、

「わかってもらえれば万事オッケーよ。じゃ、飲みましょうか」

「ええ、そうですね」

 意を決したティースは机から椅子を持ってきて、ベッドのアクアとサイドテーブルを挟んで向かい合う。

「じゃ、乾杯」

「乾杯」

 チン、とグラスが音を立てた。

 ガーネット色の液体を口元に運ぶと、芳醇な香りが漂う。口当たりはマイルドで比較的飲みやすいし、それでいて味わい豊か。相当高価なワインなのかもしれない。

「あ、おいしいですね、これ」

 2口、3口と運んでいくティース。こう見えて彼は、アルコールに関してだけは常人並の強さだった。

「そう?」

 アクアの方はといえばちょこっと口をつけただけで、あとはティースの飲みっぷりを眺めている。そのグラスが空になったのを見ると、すぐにワインの瓶を手に取って、

「はい、ティースくん」

「あ、すみません。って、あれ? アクアさんは飲まないんですか?」

 怪訝そうなティースの問いに、アクアはちょっと苦笑して、

「あー、あのね。誘っといてなんだけど、あたしって実はそんなに強くないの。あまり飛ばすとすぐ寝ちゃうから、ゆっくりね。ああ、ティースくんは気にせず飲んで飲んで」

「あ、はい。じゃあ遠慮なく」

 産まれて初めて飲んだといってもいい素晴らしいワインの味に引かれて、遠慮なく2杯目に口をつけるティース。

 アクアも自身の言葉通り、少しずつ飲みながら、

「どう、ティースくん? 屋敷にはだいぶなじんだ?」

「そうですね……ええ、まだ顔見知りもそんなに多くはないですけれど、あまり不自由はないです」

「そっか。結構おもしろい人多いし、色々と勉強になるから、もっと積極的に話しかけてみたらいいと思うけどね」

「うーん、あまりきっかけがないんで。仕事と関係ないところで知り合ったのって、まだセシルぐらいです。あ、もちろん知ってますよね?」

 問うと、アクアは口元に笑みを浮かべて、

「あったりまえでしょ。あれだけ可愛い子、このあたしが知らないわけないじゃない」

「あはは」

 乾いた笑いで返したティース。

 確かに。セシル――セシリア=レイルーンは『屋敷のアイドル』と呼ばれるほど見目麗しい少女だ。

 ……いや、アイドルといっても実は『屋敷の(番犬たちの)アイドル』なので、容姿は全然関係なかったりもするのだが、可愛らしい少女であることは間違いない。

「セシルちゃんはいいわよぉ。ちょ~っと変わったところもあるけど」

 ティースは笑って、

「あー、わかります、わかります。普通に話していたら、いきなり『20点!』とか言われるんですよね」

「あたしってば、まだあの子から最高でも72点しかもらってないのよねー。なにが悪いのかなぁ」

「それって、いきなり頬ずりしたりするからじゃ……」

 その光景が容易に想像できてしまう。とはいえ、あの少女の場合はそれほど嫌がらないのかもしれない。

「と言いつつ、俺はまだ赤点しかもらったことないんですけど……」

「あ。あたしの研究によるとそれは逆にいいのよ、ティースくん。日常の平均点が高いからこそ、たまの失敗を指摘されるんだから」

「なるほど。研究ですか」

 確かにティース自身、セシルに嫌われているとはさすがに思っていなかった。

 そうやって話を弾ませているうちに酒もすすみ、ティースの頭にも少し酔いが回ってきた。

 アクアの方も手にしているグラスの中身で3杯目。自らが言ったようにどうやら相当弱いらしく、顔はすでに赤く上気していたし、目も少し眠そうな感じになってきている。

 そろそろ潮時だと感じ、ティースは提案した。

「あの、アクアさん。そろそろ……」

「……うん?」

「時間も遅くなってきましたし、お開きにしませんか?」

「あー、そうねぇ。そろそろ寝ないと明日に響くし」

 幸いまだまともな判断力は残っているようで、時間を見たアクアは納得してうなずいた。

「じゃ、お開きにして寝よっか」

「ええ」

 ティースはうなずいてグラスの中身を飲み干し、中身のほとんどなくなった瓶とともにサイドテーブルに置く。

 アクアもティース以上におぼつかない感じだったが、それでも少し残ったグラスをサイドテーブルに置いて寝る準備を始めていた。

(……あれ?)

 そしてティースは気付く。

「……ちょっ、ちょっとアクアさん! なに、当たり前みたいに布団の中に潜り込もうとしてるんですかっ!?」

「んー……部屋に戻るのめんどくさい」

「め、めんどくさいって……」

 アクアはヒラヒラと手を振って、

「大丈夫大丈夫。ここのベッド広いから、並んで寝ても全然大丈夫」

「そりゃ大丈夫ですけど……いや、そういう問題じゃなくて! 常識的というか倫理的というか……道徳的に!!」

「んー……?」

 すでに下半身までを布団の中に埋め、頭のお団子をほどいて髪を下ろしたアクアは、怪訝そうな顔をティースの方へと向けて、

「ティースくん、あたしのこと愛してたんだっけ?」

 その視線が妙に色っぽくて、ティースはとんでもなく焦った顔になる。

「ど、ど……どっからそういう話になるんですかっ!?」

「違うならいいじゃない」

「……は?」

 ティースはその意味をいまいち理解できなかったが、その後のアクアの言葉でようやく理解することができた。

「愛していないなら、一緒に寝ても間違いが起きることはないでしょ? あ、大丈夫よ。あたしの方はお酒飲むとなーんもできなくなるから」

「……」

 黙り込んだティースに、アクアは軽く投げキッスをして、

「じゃ、おやすみなさい、ティースくん」

「……」

 ティースはそれを呆然と眺めていた。

 一体どこまでが本気で、どこまでが冗談なのか――いや。

(本気だ……この人……)

 確かに。外見や言動とその中身がずいぶんアンバランスな人だとはティースも以前から感じていたが、どうやら実態はそれ以上だったようである。

 少なくとも、こういう方面に関しては。

「どういう子供時代を過ごしてたんだろ、この人……」

 これだけ大人っぽくて魅力的な彼女にどうしてまったく恋人ができないのか、ティースにもなんとなく理解できたような気がした。

 確かに、彼女は自分でそう言ったように『純真無垢な少女』なのだ。変なところだけが。

(これじゃあ、なぁ……)

 ただそれは決して、ティースにとって彼女の印象を悪くするものではない。それどころかすでに寝息を立て始めた彼女に、どことなく今まで以上の親しみすら感じていた。

 とはいえ――

「……さて」

 息を吐いて、ティースは自分の寝床をひとり掛けソファの上に定めた。

 ベッドは確かに広い。が、彼とて健康的な成人男性だ。こんなに魅力的な女性とベッドを共にすれば、間違って――気絶してしまうかもしれない。

 いや、どうせこれから寝るんだろと言ってしまえばそれまでだと思うが、寝るのと気絶するのとではやはり彼にとっても全然違うわけだ。

 ひとり掛けソファだと少々体勢がきついし、朝には体が痛くなるだろうが、それも止むを得なかった。

(この人、悪い男にだまされたりしなきゃいいけど……)

 ティースは思わずそんなことを考えてしまったが――

(……ってか、寝相悪いなあ。もう)

 微妙にはだけた彼女の布団を直しにいったとき、先の心配がまったく無用なものであったことを、ティースは嫌というほど思い知らされることになったのだった。




 翌日。

「……昨日はずいぶんと遅くまでお楽しみだったみたいね」

 部屋を出てばったりと出くわしたシーラは、心なしか少々寝不足の様子で、そしてそれ以上に不機嫌な顔をしていた。

 ティースの目前に指を突きつけて、

「ただ言っておくわ、ティース。別にここでなにをしようとお前の勝手だけれど、私の眠りを妨げるようなことは――」

 そう言いかけた彼女の表情が、ティースの顔を見た途端、怒りから困惑へと変わる。

「……なに? お前、どうしたの、そのアザ」

「あ……はは……」

 押さえた左手の隙間からのぞくティースの頬には、くっきりと紫色のアザがあった。

「いや……寝ぼけてベッドから落ちたんだよ」

 だが、シーラはさすがにその嘘を見抜いたらしく、

「殴られた跡にしか見えないけど」

「……」

「昨日、お前の部屋から聞こえたのってアクアさんの声だったわ」

「……もしうるさくて寝付けなかったのなら、謝るよ」

 だが、どうやらシーラの興味はすでに彼のアザの正体の方に移っていたらしく、少し眉をひそめてじっとそれを見つめながら、

「なにかイヤらしいことでもしようとして――ってのは、お前のことだからあり得ないと思うのだけれど」

「それ以上は、追求しないでくれ……」

「……」

 ガックリと肩を落としたティースに、シーラは相変わらず怪訝そうな顔をしていたが、やがてなにか納得できるものでもあったのか、ため息を吐きながらうなずいて、

「……来なさい。手当するわ」

 そう言って自室のドアを開いた。

「え?」

 その意外な言葉にティースは困惑して、

「あ、でもそんなにたいしたもんじゃ――」

「来なさいと言っているのよ」

 シーラは肩越しに彼を振り返り、有無を言わせぬ調子で部屋に入っていった。

「……あ、ああ」

 相変わらずの口調だったが、どうやら彼女の機嫌は直っているようだ。それなら、ティースとしてもせっかくの申し出を無理に断る理由はない。


 ちなみにこの日、頬にガーゼを当てて詰め所に行ったティースを、アクアは当然のように不思議そうな顔で出迎えたのだった。


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