その1『“出逢い”は王道にて』
ティーサイト=アマルナは18歳の健康的な男性である。
そりゃ少々痩せ形だったり若干猫背だったりというところはあるが、内面的にはなんの問題もない。
一部ではマゾヒストだとかホモセクシャルだとかいう風評も流れていたが(その原因はどちらもひとりの女性の存在に起因するものである)、少なくとも本人にはそういう性的嗜好は一切なく、どちらかといえば大多数の人々とそれほど変わらない感性の持ち主である。
ちなみに、それはいわゆる女性の好みに関しても同じことだ。
将来、結婚するなら優しくて面倒見のいい女性がいいなとか、できれば歳が近くて気の合う人がいいな、とか。まあ、彼の理想というのは総じてごく普通のものなのだ。
そしてもちろん健康的な男性であるから、綺麗な女性や可愛い女の子を見るのは嫌いじゃなかったし、女性に囲まれることだって嫌なはずはない。
――そのはず、なのだが。
学園都市ネービスの大貴族、ミューティレイク家。
大陸でも第2の実力を持つとされるこのネービス領においてナンバー2の実力者であるこの家は、大陸全土で見ても有数の力を持つ名家だ。
ネービスの街の中央から少し西に存在するその屋敷は、一辺がキロ単位であろうかという広大な敷地を誇る。
使用人の数はこの敷地内で働く者だけでも3桁、書庫の蔵書は7桁。その他、その力を示す数字は枚挙にいとまがない。
そしてそんなミューティレイク家であるから、もちろん屋敷内には主治医もいた。
「ほほう。なるほどねぇ……」
マイルズ=カンバースというのが彼の名前だ。
年齢は現在25歳。14歳でここネービスの学園に入学し、17歳で正式な医師としての資格を取った後、紆余曲折あってここミューティレイクに籍を置くことになった。
いつも白衣をまとっており、黒縁眼鏡を中指でくいっとやるのがクセだ。180センチ程度の長身。屋敷で彼と親しい人々からは『根の良い悪乗りマッドサイエンティスト』という、なんとも本質のわかりにくい呼び名を得ている。
そして――8月も下旬を迎えようとしていたこの日、マイルズは彼の自室ともいうべき医務室にひとりの奇妙な患者を迎えていたのだった。
「これはおもしろそうな被験体だ」
「全然おもしろくないですよ……」
その患者は言わずとしれたティーサイト=アマルナ――ティースである。
彼がミューティレイクの抱えるデビルバスター部隊『ディバーナ・ロウ』に所属するようになって約2ヶ月半。
その第一隊『ディバーナ・ファントム』に新たに配属されて1週間が経とうとしていた。
これまで医務室とはほとんど縁のなかったティースが、この1週間でここに運び込まれることになったのはこれで3度目のこと。
そのいずれもマイルズの診断は貧血。だが、その原因が違うところにあるのは明らかだった。
というのも、このティースという人物、実に不思議な特異体質――『女性アレルギー』の持ち主なのである。
「しかし、それならそうと前のときに言えば良かったじゃないか」
そう言いながらも、マイルズの声はひどく弾んでいる。どうやら彼はこの奇病(?)について興味津々らしかった。
そんな医者の様子に、ベッドに横たわったティースはどことなく不安になりながら、
「できれば秘密にしときたかったんです。だって、なんだか情けないでしょ」
「とはいえ、ファントムにいたんじゃそういうわけにもいかない、か」
「……」
そうなのだ。
彼の女性アレルギーというのはあくまで『触れられること』が発作の原因となっている。だから彼自身が気を付けていれば良かったし、実際、今までは病気について打ち明ける必要もなくうまくやってきていたのだ。
だが、問題は彼が新たに所属することになったディバーナ・ファントムという部隊である。
(よりにもよって、俺以外が全員女性だなんて……)
と、いうことなのだ。
「じゃあそろそろファントムの面々も気付いたんじゃないのかい? どうやら君が気絶するのは、誰かが君に触れたときらしいって」
「いい加減気付いたでしょうね。……まあ、誰かと言ったところで、俺が触れられるのはいつも同じ人ですけど……」
ティースはそう答えて、憂鬱な気分とため息を一緒に吐き出した。
「あぁ、なるほど」
マイルズは得心がいったという顔で笑う。
「アクアくんのアレも病気みたいなもんだからなぁ」
ディバーナ・ファントムの隊長、アクア=ルビナート。
外面は大人の女性としての魅力にあふれ、そのくせ内面は多分に子供っぽいという彼女は、現在恋人熱烈募集中の24歳だ。
頭には2つのお団子を結い、肌の露出が多い服を好むが決して露骨なほどではなく、むしろ彼女の性格と相まって逆に健康的な感じさえするタイプだった。
そして彼女はファントム――幻影――の隊長だけあって、いつもまるで気配を感じさせない人物である。
それはいい。
それはいいのだが――
(あの人のスキンシップ好きはホントになんとかして欲しいよ……)
そうなのだ。
このアクアという人物、相手が男だろうと女だろうと、子供だろうと大人だろうと関係なく、とにかく体に触れたがる性格なのだ。それが肩を叩いたり頭に触れたりする程度ならともかく、ひどいときにはなんの前触れもなく抱きついたりするのである。
もちろんそれが同性だったり子供だったりするならそれほどの問題はない。だが、それなりの年齢に達した男性だった場合はそうもいかないだろう。
なにしろ彼女は先ほども言ったように、外面は非常に女性的な魅力にあふれた人物だ。それを役得と感じられる人物ならいいのだろうが、ティースはそういうタイプでは決してなく、ましてこういう病気持ちとなればなおさらである。
(一瞬触れるぐらいなら大丈夫なこともあるけど、抱きつかれたら100パーセントアウトだもんなぁ……)
しかも気配もなく忍び寄ってくるのだから、ティースとしては対処のしようもなく。
3度目の『奇襲』を受けたこの日、ついに耐えきれずに病気のことを話す決意をしたというわけだった。
「それで……原因はわかりそうですか?」
ティースはマイルズにそう問いかけたが、そこに期待の色はあまりこもっていない。
彼は今まで何度もこの病気について診察を受けたことがあったが、そのことごとくが原因不明、結論としては精神的なものだろうという、どうにも対処しようのない結果ばかりだったからである。
「ふむ」
そしてコーヒーをすすったマイルズの口から出たのも、やはり同じ言葉だった。
「ま、精神的なものじゃないかな、と」
「……そうですか」
うなだれかけたティースに、マイルズの言葉は続く。
「――そう思うのが普通だろうけどねぇ」
「え?」
驚きに顔を上げたティースに、マイルズは口元に小さな笑みを浮かべながら、
「そんな結論は聞き飽きたって顔してるなぁ。そりゃま、そんな結論は医者じゃなくたって出せる。君が聞きたいのはそんなことじゃないんだろう?」
「え……ええ」
「可能性としては考えられるものもある。これは医者の領分からは少し遠ざかるけどね」
くいっと黒縁眼鏡を中指で持ち上げ、そしてマイルズはコーヒーカップを机の上に置いた。
一転、期待に染まったティースの視線を受けて続ける。
「ティースくん。君は過去、女性にとてつもなくひどいことをした記憶はないかい?」
「え? ひどいこと?」
「たとえば貢ぐだけ貢がせといて何股もかけた挙げ句に手酷く振ったとか」
「ま、まさか!」
ティースはブンブンと首と振って、
「俺がまさかそんなこと……だ、だいたい俺は二股どころか女の子とキスしたことだって――」
「いや、そこまで暴露しろとは言ってないよ」
「……!」
真っ赤になったティースに、マイルズは苦笑して、
「まあまあ、それは仕方ないよ。そんな病気を抱えていたんじゃ、ねぇ。ちなみに、その病気が発症した――それに気付いたのはいつのことだい?」
「え、えっと……初めて気絶したのが……だから――」
ティースは過去の記憶を辿り、指折り数えながら答えた。
「3年半ぐらい前かなぁ……ちょうど15歳の誕生日ぐらいから、そんな感じになった気がする」
「思ったより最近だね。じゃあそれ以前は大丈夫だったわけか。……ふむ」
「それで、マイルズさん。さっき言った、考えられることってのは……?」
身を乗り出しかけたティースに、マイルズは少しだけ声をひそめて言った。
「『呪い』だよ、ティースくん」
「の……呪い?」
あまりに縁起の悪い言葉にティースは頬を引きつらせた。
マイルズはうなずくと、
「古代王国にはそういった類のものが実在していたんだ。口が利けなくなる呪い、丸い物や尖ったものに恐怖を感じるようになる呪い……その中に異性に触れられなくなる呪いもあった。まあ呪いと言っても文献によると、性犯罪や姦通などの罪を犯した者への刑罰に主に用いられたそうだがね」
「だ、だって俺はそんなこと全然――」
少し青ざめたティースだったが、マイルズは笑いながら、
「だから聞いたんだよ。女性に対してとてつもなくひどいことをした記憶はないかって。……ま、あったとしたって、今の時代にその呪いを行使できる人物がいるとは到底思えないけどさ」
「じゃあその可能性ってのは……」
「無きに等しい。結局のところは精神的なものだろうというのが、常識的な結論だと思うよ。さっきとは逆になるけど、君、女性にひどい目に遭わされたことがあるんじゃないのかい? それも常習的に」
「……いえ」
「その間はかなり怪しいな」
そう言ってマイルズは笑ったが、それ以上追求しようとはしなかった。
(……ひどい目というか、こき使われたりすることは多かったけどなぁ)
ティースの頭に浮かんだのは、とある少女の顔。
シーラ=スノーフォールという名のその人物は、冒頭に書いたいくつかの誤解の主な原因となった人物であり、彼より3歳ほど年下で、透き通るようなブロンドのポニーテールと、精巧な人形のように整った冷たく美しい容姿を持つ美少女だ。
確かにもし原因となる可能性があるとすれば、彼女しかありえない。なにしろこのティースという人物、産まれてこの方、女性というものにはほとんど縁のない人生を歩んでおり、トラウマになるほどひどい目に遭わされるなんてことはあり得ないのだ。
(でも、まさかなぁ)
とはいえ彼女にだって、しょせんは理不尽な要求を突きつけられ、それを無理矢理実行させられたり、ちょっとしたミスで必要以上にこき下ろされたりする程度――それが客観的に見てどうなのかは微妙なところであろうが、少なくとも彼自身がたいしたことないと感じている以上、それが原因でアレルギーになったというのも考えにくいことではあった。
「でも、どっちにしても、すぐに治す方法は――」
「ないねぇ」
キッパリと言い切ったマイルズに、ティースは深いため息をつくのだった。
「うわ。お前、変な病気持ってやがんなぁ」
医務室から戻ったティースは結局、詰め所の奥にてファントムの面々に事情を話すことになっていた。
そして真っ先に、まるで遠慮のない反応をしたのは、ファントムの戦闘メンバー、双子の姉妹の妹、ダリア=キャロルだった。
「女性ってことはなんだ? それってあたしが触ってもダメってことか?」
少々蓮っ葉な口調から想像できる通り、まるで男の子のようなショートカット、日に焼けているのか元々なのか肌は浅黒く、目はいかにも我の強そうな光を放っている。年齢はティースよりひとつ下の17歳だ。
そして彼女の顔は、なぜかティースから見て『逆さ』の位置にあった。
「俺も基準はよくわかんないけど、君は間違いなくアウトだな。もちろんドロシーもだけど」
「オレは別に触る気もないけどな……」
答えた別の少女の手の中では、6本のナイフがくるくると回転しながらお手玉のように宙を舞っていた。
右目の下のかすかな傷跡と肌の色が若干薄い以外はダリアとまるで同じ、双子の姉、ドロシー=キャロルは妹と比べて口数も少なくおとなしい。
ただ、実際のところ口調は妹よりも……少なくともティースに対してはさらに汚かった。
「へぇ。ってことは、あんたの中じゃあたしやドロシーみたいのでも女のウチに入るのか。――よっと」
かけ声とともに、逆さになっていたダリアが『地上』に降り立った。彼女がいたのは地上から2メートルぐらいの高さに張られたロープの上だったのだ。
とはいえ、彼女はそこにぶら下がっていたわけではない。
ロープ上に倒立していたのだ。
「いや……っていうか君たちは普通に女の子だろ?」
「そうかぁ?」
めくれ上がったシャツの裾を直しながら自分の格好を見下ろすダリアは、確かに仕草こそは少々乱雑だが、ティースにしてみれば男だと思いこむのが難しい程度には女性だった。
まして――
「じゃあ、アクア姉みたいに無駄にフェロモン撒き散らしてるようなのは、当然問題外ってことだな」
「……まあ」
ティースが答えにくそうに苦笑すると、ダリアはニッと笑って、
「無駄に、の辺りがポイントな」
「なんで無駄なのよ!」
口を尖らせて反論するのは、このファントムの隊長アクア=ルビナートである。
髪は相変わらず子供っぽいお団子頭だったが、着ているのはまるでステージ衣装のような派手な服で、両方の裾には横にかなり大きなスリットがあり太股が半分露出している。
中は下着の上に1枚穿いているようだったが、大半の男性はそこに思わず視線を集めてしまうことだろう。
「みんないつもあたしの魅力にメロメロになるんだから!」
だが、ダリアはうるさそうに手を振って、
「大事なのは経過じゃなくて結果だろ?」
「うっ……」
確かに、先ほども書いたようにこのアクアは24歳にして恋人募集中の身であった。
客観的に見るならば、男など選り取りみどりとも思える外見の彼女だったが、それが現実であったから反論のしようもない。
「それはいいんだけど……アクアさん?」
アクアはガックリと肩を落として、
「はぁぁ……いい加減、無理やりにでもなんとかするしかないかなぁ……」
「……」
とてつもなく不穏なひとりごとだったが、ティースはとりあえず聞かなかったことにして、
「あの、アクアさん?」
「なにぃ? あたし今、ものすっごくテンション下がってるんだけどなぁ……」
やる気なさそうに振り返ったアクアは、まるで機嫌を損ねた子供のようだ。
だが、ティースはそれにも構わず――というより、構っていたらキリがないので、数日前から抱えていた疑問について質問することにした。
「あの……俺、なんで毎日一輪車なんかに乗らされてるんでしょうか……?」
「勉強、勉強」
「はぁ」
そう。この5日間、彼に課された任務はただひとつだった。
一輪車に乗れるようになること、だ。
カノンのときのような特訓を想像していた彼としては拍子抜けというか、物足りないというか、首をひねるしかない状況である。
とはいえ。
(うーむ)
辺りを見ると、違和感はない。
ダリアは先ほどのようにロープ上で曲芸のようなことをやっているし、ドロシーは手にしたナイフでまるでダーツのようなことを延々と繰り返している。アクアにしてもリングやバトンなどを使って、まるでひとりアクロバットのようなことをやっているのだ。
(これって、なんか大道芸の一団みたいだよな……)
「遅くなりましたっ!」
そこへやってきたのはこのファントムの最後のメンバー、医事担当フィリス=ディクターである。
「あぁ、フィリスちゃん! 待ってたわっ!」
「きゃっ!? ア、アクア様! 苦しいです……!!」
どこか子羊を連想させる容貌のフィリスは、メンバー中もっとも若い15歳だ。医事担当といっても実は正式な資格を持ってたりするわけではなく、そっちの道に造詣があるという程度である。
彼女はアクアの『お気に入り』だった。
「はぁー。すべすべー。気持ちイイー」
「あっ……あははははっ! アクア様っ! くっ、くすぐったいですってばっ!!」
「……」
フィリスと頬をこすり合わせて陶酔しているアクアの様子は、傍目に見ているとかなりアレだ。
(この人、結局なんでもいいんじゃ……)
そしてその後、なぜか楽器の練習を始めたフィリスを見て、ティースは別の意味でもますます不安になるのだった。
クレイドウルの街は、ネービスの街から馬車で北へ約1日強の場所にある。大陸北方のネービス領の中でもさらに北の端に近い位置にあって、その背後には大陸でも有数の山脈『ヴァルキュリス』が横たわり、冬には大量の雪が降ることで有名な街だった。
一部が山にかかっているため街全体は比較的起伏の激しい構造となっており、昔の都市国家時代にはネービスの最後の砦とされていた場所でもある。
その名残は今も高くそびえ立つ外壁に残っていたが、その門は昔ほど堅く閉ざされることはなく、簡単な身分証明だけで中に入ることが可能だった。
今年の猛暑の中でも、この街は山から吹き下ろす風が比較的涼しく、体感温度はそれほどでもない。
そんな昼下がりの陽光の中、ザヴィア=レスターという名の男がそのクレイドウルの街を歩いていた。
見た目、年齢は20代前半だろうか。背に負った剣、砂埃に薄汚れた衣服、そして頭に深く巻いたターバンのようなものは、彼がどうやら旅の者らしいことを物語っていたが、それにしては眼光は比較的穏やか、街行く人々を見つめる視線もどこか楽しそうである。
しかし、辺りが平穏だったのはその瞬間までだった。
――悲鳴が周辺の空気を切り裂く。
「!」
明らかに女性の、それもこんな昼下がりの陽気な街にはまるで似合わない、絶望と恐怖に満ちた叫び声だった。
「ばっ……化け物だぁっ!!」
今度は野太い男の声。
その声が聞こえるか聞こえないかといううちに、ザヴィアは地面を蹴っていた。
向かった先は悲鳴が聞こえた方向。恐怖に怯える人々が逃げまどう流れに逆らい、ゆるい傾斜の坂を駆け上がって、そしてたどり着いたその場所。
「ぁ……あぁ……」
そこにいたのは翼の生えた3匹の魔だった。
成人男性と同じかそれよりもひと回り大きいぐらいで、カギ爪のついた2本の脚で地面に立ち、くちばしはまるで刃物のように研ぎ澄まされ、人間で言えば手の部分に生えた翼にはやはり鋭く大きな爪がついていた。
そばに倒れていたのは黒い服を着た2人の男。抵抗したのか、近くには無惨に折れた剣が転がっている。ひとりは肩の辺りから体が千切れかけていて即死、もうひとりは背中を真っ赤に染めて虫の息だった。
そして、誰もが逃げ出したその場で、まだ息をしている人間がいる。
「あ、あぁ……」
もはや言うことを聞かない体で地面に尻餅をつき、恐怖に見開かれた瞳で3匹の魔を見つめ、手を組んで必死に祈りをささげているひとりの女性。
間一髪と言っていいだろう。ザヴィアが駆けつけたのはちょうどそのときだった。
「……お前たち、その子から離れるんだ!」
鞘擦りの音を立てて、背中の剣がきらめきを放つ。
「ケェェェェッ!!」
奇妙な鳴き声を上げた魔がザヴィアの存在に気付き、その視線を移動させた。
その鳴き声からは、せっかくの食事を邪魔されたことで機嫌を損ねた様子が容易に見て取れる。
だが、その直後、
「おとなしく離れないと、痛い目を見るぞ……」
ザヴィアの体から放たれたのは、強烈な威圧感。
先ほどまで穏やかだった瞳が突然冷たい光を帯び、突き刺すような視線が3匹の魔を射抜いた。
その切っ先が向けられる。
「離れろ。そして帰るんだ」
一歩、ザヴィアが足を踏み出すと、魔は見るからに怯えた様子を見せ始めた。だが、動物としての本能ゆえか、なかなか目の前の食事を諦めようとはしない。
「帰れと言っているのが、聞こえないのか……?」
ザヴィアの声はあくまで穏やかだった。いや、大声を出す必要はなかったのだ。
彼らの間での優劣はとっくに決していた。
そしてただ、彼はその手に握った剣をひと振り。風を巻くようにして、その剣筋が唸りを上げる。
それで、完全に勝負は決した。
「ケェェェ……」
完全に戦意を喪失した3匹の魔は、翼を大きく羽ばたかせ、人間ほどもある体を宙に浮かべると、山の方へ向かって飛び去っていったのである。
「……」
それを見送ったザヴィアは背中へ剣を収めると、女性に近付いていった。
「大丈夫ですか……?」
「あ……」
「……こっちの男の人もダメか」
先ほどまで息があった男も、彼が脈を取ろうとしたときにはすでに事切れていた。
「ぁぁぁ……!」
「落ち着いて。もう大丈夫」
まだ錯乱している様子の女性は、よく見るとまだ10代半ばぐらいの少女だ。着ているものや近くに転がった日傘の装飾から見るに、高貴な家の者であるのは間違いない。とすると、死んだ2人の男は護衛だろう。
少女の震える肩に触れようとして、ザヴィアは思い直したようにふと自分の手を見つめた。
その手の甲には涙型のアザのようなものが3つ。
周りには徐々に人が集まってきている。
「……大丈夫ですね?」
それに気付いたザヴィアはすぐにその場に背を向け、
「ぁ……」
少女の声にも立ち止まることはなく。
そして彼の姿はざわめく人混みの中へと消えていったのだった。
ティースは現在、アオイ――この屋敷の執事かつ当主の護衛役である男から、デビルバスターになるための教養を教わっている。
彼の都合によって時間帯は午前だったり午後だったりするが、それはほぼ毎日のように続けられていた。
そして本日の午後も当然、別館1階ホールの丸テーブルには2人の姿がある。
「今日は魔の分類について学んでいただきます」
縁なし眼鏡の奥から向けられた瞳は穏やかで、口調もまるで優しい教師のようだ。
アオイはティースよりも3つほど年上の21歳だったが、その職業ゆえか彼に対してもいつも敬語だった。
「分類ってのは、例のなんとかの何族ってやつ?」
それはティースもこれまでの実戦で何度か耳にしたことがある話だった。
アオイはうなずいて続ける。
「魔は大きく10に分類されます。すなわち、炎族、水族、風族、地族、氷族、雷族、空族、幻族、光族、闇族です」
「えっと……?」
「対で覚えてください。炎と水、風と地、氷と雷、空と幻、光と闇というように。これらは基本的にお互いの仲が悪く、それぞれが持つ力の性質に加えて、性格や体格的にも相反するところが多いのです」
「……?」
わからない顔のティースに、アオイはまるで本物の教師がそうするようにわかりやすい例を挙げた。
「たとえば、炎族というのは基本的に気が荒く攻撃的で、小柄な男性上位の種族が多いのですが、逆に水族は穏やかで保守的、大柄で女性上位の種族が多いのです」
「あ、なるほど……」
「地族は頑固で義理堅く、大柄で男性上位。風族はおおらかで奔放、小柄で女性上位など……もちろん個体差はありますので一概にそうだとは言えませんが、そういう傾向が強いということですね」
「それってやっぱり覚えておいた方がいいのか?」
「そうですね。覚えておいて損はないと思います。ただし、先ほども言ったように、個体差が当然にあるということは忘れないでください。人がそれぞれ性格が違うように、彼らももちろん個々の性格を持っていますから」
「ああ、わかったよ」
うなずいたティースに、満足そうにアオイは先を続ける。
と、その前にひとりの使用人が紅茶を運んできた。
「どうぞ、執事様」
「あ、ご苦労様です、パメラ」
アオイにパメラと呼ばれた使用人の少女は、若干長めの髪を左右でお下げにしていた。
年齢は10代半ばぐらいだろうか。
考えてみればこの屋敷、妙にこの年代の少女が多いが、これはあるいは当主のファナ=ミューティレイクが17歳という若さであるがゆえ、かもしれない。
ティースもその少女には見覚えがあり、声をかける。
「どうも。ありがとう、パメ――」
ラ、とティースが言い切る前に、パメラは一瞥することもなく、きびすを返してそのまま去っていってしまった。
「?」
それを不思議に思ったのだろう。アオイがその後ろ姿を追いながら、
「どうしました? パメラは確か……」
「ええ。俺の部屋の掃除をしてくれる子なんですけど」
ティースもまた、納得できない表情で去っていく少女を見ていた。
「なんだろう? 気難しい子なのかな? いつもあんな感じで。俺もあんまり気の利く人間じゃないから仕方ないかもしれないけど」
「いえ……それはおかしいですね。彼女は元から明るい子だったと記憶していますが……」
「じゃあ単に俺が嫌われてるのかなぁ。なにも嫌われるようなことをした覚えはないんだけど」
落ち込んでそうつぶやく。
パメラがティースの部屋の担当になったのはつい最近のことだった。だが、顔を合わせる回数は比較的多いのに、未だまともに言葉を交わしたことがない。
そして言葉を交わしたこともないのだから、ティースに嫌われる心当たりがあるはずもなく。
(部屋には変なもの置いたりしてないし、そんなに散らかしてもいないんだけどなぁ)
アオイもまたしばらく首をひねっていたが、やがて気を取り直したように、
「では、授業を続けましょうか。……えっと、どこまでお話ししましたっけ?」
ティースもすぐに気持ちを切り替えた。
「魔が大きく10種類に分かれるってところかな」
「そうでしたね。さて、魔にはさらに大きく2種類のタイプがあります」
そう言ってアオイは指を2本立てて見せた。
「それはすなわち、獣型と人型。これは見た目がどうこうではなく、知能的に人間レベルか否かで判断されます。ですから人に似ていても知能が低いものは獣型に分類されます。ちなみにその逆はありません。知能が高いタイプの魔はほぼ人型をしていますので」
その言葉に、ティースは疑問の表情を浮かべて、
「あれ? でも俺、獣型で人より高い知能を持つタイプがいるって聞いたことあるけど」
アオイはうなずいて、
「それは『契約者』と呼ばれる特殊な魔のことで、別名『獣人型』とも言われる者たちですね。それについてはまた別の機会にお話しします。……さて」
納得したティースに、アオイは一呼吸置いた。
その手元、テーブルの上に置いた紙には2つのピラミッドが描かれていた。そのピラミッドの上にはそれぞれ『人魔』、『獣魔』とある。
そのうちの獣魔の方のピラミッド内部に、アオイは7つの横線を引いた。
「獣魔はその強さに応じて8段階に分けられ、数字で表されます。たとえば、ティースさんがここに来て初めての任務で戦った獣魔は『地の七十三族』」
そう言って、ピラミッドの一番下を指し示す。ティースの視線も自然とそこに注がれた。
「彼らはこの最下層。獣魔の七十番台はもっとも与し易いとされるタイプです」
「なるほど……」
確かに、ティースが以前戦った『地の七十三族』は未熟な彼でも充分に対応できる程度だったし、本職のデビルバスターなら造作もない相手だろう。
「そして通常、デビルバスター……いえ、人が相手できるのは十番台、つまりこの上から2層目までと言われています」
「その上は?」
「一番から九番までは完全に別格です。神話に出てくる空飛ぶ竜や、全身が炎に包まれた巨大な鳥を思い浮かべてください。実際、番号が割り当てられているだけで、存在すらも怪しい者たちです」
そう言って、アオイはチラッと視線を横に向けた。
その先――ホールの壁の一角にはこの大陸の地図が掛けられている。
「この大陸の外海に名付けられた『シルベスク』も、デビルバスター的に言えば『水の二族』。北方の山脈に名付けられた『ヴァルキュリス』も『地の四族』という言い方ができる……そういう存在です」
「じゃあ、そいつらと戦うなんてことは……」
「少なくとも、正確な記録が残っている歴史から推察するに、ほぼあり得ないことです。ですから覚えるべきなのは十番台以降ですね」
「ふぅん……ちなみにその十番台ってのはどんなもんなんだ?」
「デビルバスターでも単体で相手できるのはほんのひと握り、というところですかね」
そう言って、アオイは上から2番目と3番目の2つの線……つまり十番台と二十番台、二十番台と三十番台の境に太い線を引いた。
「ここにも少々力の開きがあります。もちろん出現率にも大きな開きがあって、三十番台は私たちもそこそこ相手にしますが、二十番台となると滅多になく、あったとしても絶対に2つ以上の隊で向かってもらうことにしています。十番台となれば私たちよりむしろネービス公の抱える『ネスティアス』の出番かもしれませんね」
アオイのその言い方からは、十番台や二十番台の出現率の低さ、それに比例する手強さが充分にうかがえた。
「……気になったんだけど」
ティースは注視していた紙から顔を上げて問いかける。
「たとえば七十番台とかって言うけど、七十から七十九まで10種類ピッタリいるのか?」
「ああ、いえ。正確には炎や水などでも分類されますので、七十番台は百種類いることになりますね。……ただ、実際にはわかりやすくするためにこういう分類をしているだけで、欠番もたくさんありますし、逆に例えば『○○族の亜種』というのも無数に存在します」
その答えにティースはちょっとため息を吐いて、
「全部の特徴を覚えるの、大変そうだなぁ……」
アオイは苦笑してうなずきながらも、
「ですが、これはデビルバスターとしては非常に大切な知識ですよ」
「わかってはいるけどさ。それに加えて人型もあるんだろ?」
「そうですね。ですが、こちらは比較的楽です」
そう言って、アオイは隣のピラミッドに4つの線を引いていく。
「人魔も強さで5段階に分類されます。こちらは番号ではなく、上から『神族』、『王族』、『将族』、『上位族』、『下位族』と呼びます。こちらもさらに細かい種族の分類はありますが、これらは覚える必要がほとんどありません」
「どうして?」
不思議そうなティースに、アオイは笑って答えた。
「人間だって住む場所が違っていても2本の足で歩き、両手で道具を使うでしょう? 人魔に関しては、細かい種族の違いとはつまりその程度のことなのです。なので、強さによる5つの分類だけ覚えてしまえば、あとは特に学習の必要はありません」
「あ、そっか……人型の種族名って、つまり部族みたいなものか」
「そうですね。それにこちらも『神族』に関してはその名の通り神のごとき存在で、姿を見せるなんてことはまずありません。王族というのもほぼ……ですから実際、私たちが相手をするのは将族以下ということになりますね」
「でも人型は下位族でも手強いはずだったよなぁ……」
アオイはうなずいて、
「人魔は獣魔よりもさらに個体差が激しいので一概には言えませんが、少なくともこの世界にやってくるような魔は戦いに優れた者が多く、下位族といえども並の人間では太刀打ちできません」
その言葉はティースも実感として備わっている。
以前、彼が第三隊『ディバーナ・カノン』にいたころ、戦うことになった上位族の魔は、彼にはまるで太刀打ちできない存在だった。
そのときは隊長のレアス=ヴォルクスが助けに来てくれたが、もしそうでなければ彼は今ごろこの世にはいなかっただろう。
そこから考えてもおそらく今の彼は、下位族が相手でようやくどうにかなるかならないか、という程度のレベルに違いなかった。
「さて、それではさっそく、この世界によく現れるタイプの獣魔について、細かく学習していきましょうか」
そう言ってアオイがにこやかに取り出したのは、とんでもなく分厚い資料の束。
「うへぇ……」
それは元来、学業というものにあまり縁のない人生を送ってきたティースには、あまりにも酷な量であった。