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デビルバスター日記  作者: 黒雨みつき
第2話『意志を継ぐ者』
15/132

その7『そして、更なる試練』


 ネービスの街は8月に入って猛暑が続いていた。大陸でも比較的涼しいネービスですらこの状態なのだから、南方ではおそらく記録的な暑さになっているに違いない。

 通りを行く人々も薄手の服が目立ち、外で仕事をする者たちの中には上半身裸で働く者たちも少なくはない。

 その暑さはミューティレイク邸の食堂の中も、もちろん例外ではなく――

「……ごちそうさま」

 カタンとティースの隣で席を立った少女は、早くも首筋にうっすらと汗を浮かばせ、頭のてっぺん近くで縛った長い髪を邪魔くさそうに揺らせていた。

「シーラ? もういいのか?」

「食欲なんてないわよ……」

 手を振って食堂から立ち去っていくシーラ。

 そんな彼女の気持ちはティースにも充分に理解できた。

(この暑さだしなぁ……)

 彼自身、体力を維持するために無理やり食事を詰め込んではいたものの、食が進む状態とはとても言えない。

「シーラさん、相当まいっておられるようですね」

「みたいだね」

 食堂の長テーブル、その短い辺のところに座っているのは屋敷の主人ファナ=ミューティレイクだ。今日は珍しくアオイの姿はなく、彼女の隣は空席となっている。

 屋敷に来てから約2ヶ月。

 ティースは相変わらず屋敷の人間とはあまり交流がなかったが、1ヶ月前、シーラとの約束に従って毎朝の食事をここで摂るようになってから、同じようにここで食事を摂る面々とは知り合うことができていた。

(でも考えてみりゃ、最初からこうしていればシーラとだってもっと話ができたんだよなぁ)

 主を無くした隣の席を眺めながら、ティースはそんな風に考えていた。

 実際のところは、彼のその認識には根本的な間違いがあるのだが、とにかく、こうすることによってシーラとの関係も以前より良くなっているように思えたし、彼にとっては良いことずくめだったのである。

 さて、シーラが立ち去ったその場には、ファナ以外にもうひとり、ティースが新たに知り合った――毎日、毎朝、この食堂で食事を摂っている人物がいた。

「でも確かにこの暑さは殺人級です……はぁ、食欲もなくなりますし、干物になってしまいそうです」

 そんな言葉に、ティースはちょっと眉をひそめて、

「セシル……君、言ってることとやってることが違わなくないか……?」

「?」

 不思議そうな少女――セシルに、ティースはその手元を指さして、

「いや、俺の目にはとてつもなく食欲旺盛なように見えるんだけど……」

「20点」

「え?」

「ティースさん、赤点です」

「いや、だからなにが……」

 フォークとスプーンを置いたセシルが顔を上げると、綺麗な栗色のセミロングが揺れた。

 顔立ちはまだ幼いが、かなりの見目麗しい少女である。とはいえシーラとは少し方向性が違って、美しいよりも可愛らしいと言った方が正確だろうか。

 そんな彼女は人差し指を立て、まるで生徒に言い聞かせる教師のような口調で言った。

「女の子に対して、食欲旺盛とか食べ過ぎとか太ってきたとか言ってはいけないのです。特に年ごろの女の子はそういうことを非常に気にするものなのですよ――……くすん」

 最後はなんの前触れもなく急にテンションが下がって、セシルはガックリとうなだれた。

「いやいや」

 そんな彼女の言葉にティースは手を振って、

「太ってきたなんて言ってないってば。それどころか、君の場合はもう少し食べ――いや食べてはいるけど、もっと肉を付けた方が……」

「そ、そうですよねぇ……」

 その言葉にセシルは顔をちょっとだけ赤くして、自分の胸を見下ろす仕草をした。

「やっぱりティースさんもそう思いますよね……」

 一瞬、彼女が顔を赤くした理由に気付かなかったティースだったが、

(……って、そういう意味かっ!?)

 気付いて、思いっきり首を横に振る。

「い、いやいやいや! そんな話はしてな――」

「で、でも、年齢的にまだまだ成長の余地はあるんじゃないかと思ったりしてるのですけど……アクアさんとまでは言わなくても、シーラさんぐらいには」

「だからしてないって、そんな話!」

 そんな2人の会話に、ファナがクスクスと笑い始める。

 と同時に、セシルもティースの慌てぶりを見て少しおかしそうにしながら、

「あはは、本気にしないでください。途中から冗談です」

「あ、あのなあ……ったく、大人をからかうもんじゃないぞ」

 ちょっと憮然とした顔をしながら、それでもホッと安堵の息をもらしたティース。

 幸か不幸か、どうやら彼は『途中までは冗談じゃなかった』という事実には気付かなかったらしい。

 セシルはニッコリと可愛らしい笑顔を浮かべて、

「ごめんなさい。ティースさんってとても話しやすいので、つい」

 セシル――本名セシリア=レイルーンは、この屋敷に住む12歳……1ヵ月後の誕生日を迎えて13歳になる少女で、ここの住人曰く『屋敷のアイドル』だ。

 先ほども言ったように、いかにも女の子という感じの可愛らしい作りの顔に、パッチリとした大きく穏やかな目。栗色でセミロングの髪はシーラほどの美しさはないが、触れてもまるで抵抗感を感じないほどにサラサラだった。

 性格はたった今見てもらったように基本的には明るい。が、普通の人と比べると少々ベクトルのズレた反応を返してくることがあり、ティースも会話をしていて戸惑うことばかりであった。

(この不思議な感じはファナさんともいい勝負だよな……)

 さて。

 彼がそんな彼女とこうして仲良くなった理由は、実はここで毎日朝食を摂っているという以外にもうひとつある。

「セシル。そろそろ行くわ」

「あ、はい。……ごちそうさまです」

 どうやら学園に行く準備を整えてきたらしいシーラが食堂に顔を出すと、食事を終えたセシルが空の食器に向かって手を合わせた。そして彼女はすでに用意してあった鞄を片手にシーラの元へ駆けていく。

 ……そう。実はこのセシルという少女、シーラと同じサンタニア学園に通う学徒であり、しかも同じ薬草学科の一回生、シーラにとっては直接の後輩なのである。

 つまり、シーラとのつながりが非常に深い少女なのだ。

(なんだか、ああいうシーラを見るのは新鮮だよな……)

 見ようによっては姉妹のようにも思える2人をそのまま見送ろうとしたティース。

 だが、ふと思いついて、

「ああ、そうだ。せっかくだから途中まで見送るよ。……ごちそうさま」

「なに?」

 怪訝そうなシーラの声。だが、特に嫌がっている素振りはない。

 決してティースの妄想ではなく、彼女との関係は徐々に改善されつつあるように思えた。今では、廊下で話しかけても無視されることはなかったし、向こうから声をかけてくることも珍しくはない。

 彼はこうして一緒に食事を摂るようになったおかげだと信じていたが、実際のところ彼女の中でどういう心境の変化があったのかは謎のままである。

「俺もどうせ外に出るんだ。せっかくだから途中まで……いいかな?」

「私は別に構わないけれど」

 シーラがチラッとセシルを見ると、セシルはなぜか手を合わせてティースの方を拝んでいた。

「感謝感激雨あられです」

「そ、そこまでされると逆に気が引けるなぁ」

「ううん、お見送りはとても嬉しいことです。今日1日の元気の源です」

「そんな大げさな……」

 ティースは照れの入り交じった表情を浮かべ、シーラはそれを見てため息をつく。

「ただのついでなのだから、そいつに感謝する必要などないわ、セシル」

 そんな冷たい物言いはあくまで元来のもので、これはもちろん以前と変わらない。

 さて、そんなこんなでティースたち3人が外へ出ると、そこには、ほぼ毎朝繰り広げられる不思議な光景がある。

「おはよう、マルスっ」

 外に出るなりセシルはピタリと足を止め、それからニッコリと微笑んだ。

 端から見てる者は一瞬不思議に思うだろう。なぜなら、彼女の周囲には人の姿などなく、もちろん彼女に挨拶を返す人物もいなかったからだ。

 ただその代わり、そこ――その足下にいたのは、無言で彼女を見上げる2つの瞳と、銀色の体毛に包まれた体。

 一瞬、犬かとも思うのだが、違う。鋭い牙の存在を否応なしに想像させる、大きくせり出した口――それは犬ではなく、紛れもなく狼だ。

 ティースは敷地内で飼われている、この『マルス』という名の狼に最初はビックリしたものだが、どうやら彼は――オスらしい――このセシルによくなついているらしく、彼女の周りで見かけることが多かった。

「今日も元気そうだね、マルス」

 セシルがそう言って軽く頭を撫でてやると、マルスと呼ばれた銀色の狼はゆっくりと目を閉じて体を彼女の足にこすり付ける。

 そんな彼女たちを取り巻くように、黒い体毛の犬たち――こちらは正真正銘の番犬たちが徐々に集まってきていた。

 その数、およそ十数匹。

「おはよう。みんなも元気そう――あれ? イオタは元気なさそうだね。夜ふかしでもしたのかな?」

 セシルは1匹1匹を見つめながら首をかしげたり笑いかけてみせたりしている。見るからに獰猛そうな番犬たちが、集団で彼女に尻尾を振る姿はかなり異様だった。

 そしてそれを少し離れた場所から眺めているティースとシーラ。

「今日も盛大な見送りね」

「なにしろアイドルだからなぁ……」

 感心とも呆れともつかない感想をもらしたティースの視線の先で、『屋敷の(番犬たちの)アイドル』セシリア=レイルーンはそうしていつものお見送りの儀式を済ませたのだった。




 シーラたちを見送った後で、ティースが足を向けたのはミューティレイクの敷地内の西側だった。

 相変わらずの広大な敷地では庭師が手入れをしていたり、使用人たちが花の世話をしていたり。かすかに遠くで聞こえる気合の入ったかけ声は、ディバーナ・カノンの面々がさっそく稽古を始めた音だろうか。

(そうだよな……朝食後、いつもああやって軽い稽古をやってたんだ)

 と、そんな他人顔をしているティースのことを不思議に思うかもしれない。

 実をいうと彼は、昨日をもってディバーナ・カノンを除隊となっていた。もちろん悪さをしたわけではなく、あくまで予定通りのことである。

(あれからもう1ヶ月か……)

 あの出来事のあと、ティースは2度の任務をこなした。どちらも低級な魔の退治で、それでも隊長のレアスは最後までティースに剣を抜かせなかった。

 いわく、『てめえはまだそのレベルじゃねえ』とのことである。

(……まあ、1ヶ月かそこらで認められようっていうのも確かに虫のいい話だけどさ)

 とはいえティース自身は、この1ヶ月に多少の手ごたえを感じていた。

 事実、ヴィヴィアンとの稽古では星をほぼ五分近くにまで持ってきていたし、彼が不得手な剣を使っているというハンデはあるにせよ、間違いなく確実に成長していたのである。

(でもホント、変わった部隊だったよなぁ……)

 思い返す。

 子供のくせに妙に偉そうでしかも鬼のように強い隊長のレアス。相変わらず淑女のように振る舞いながらときおり『地』が顔を出してしまうフローラ。語るまでもなくずっとあんな調子のヴィヴィアン。

 それと1ヶ月前、新たに入隊したガードナー=ロドリゲスという名の寡黙な巨漢が、実は寡黙なのではなく重度の吃音らしいと判明したのはつい先日のことだった。

 そして――

(……よし!)

 肩に力を入れ直し、ティースは目的地へと足を進めていく。

 向かった先は今日から彼がお世話になる第一隊『ディバーナ・ファントム』の詰め所だ。かの女性デビルバスター、アクア=ルビナートが統率する部隊である。

(アクアさんかぁ。レアスくんよりは色々と話しやすそうだけど……)

 1ヶ月半前、カノンの詰め所を訪れたときと同じような期待と不安をその胸に同居させながら、ティースはミューティレイクの敷地を横切っていく。

 その先に、とんでもない光景が待ち受けているとも知らずに――




「ティースさん、今日からファントムだってね」

 別館の執務室には朝食を終えたファナとリディアの姿があった。

 相変わらずの分厚い本を手にしたリディアは専用の席に腰を下ろし、持っていた本を机の端に置くと、さっそく目の前に積まれた紙の山をひとつずつ手に取っていく。

 そうしながら、彼女の言葉は休まることもなかった。

「ファントムの面々と並んでるとこ想像すると、なんか笑えるなぁ」

「なぜですの?」

 ファナの手元にもいくつかの書類が存在していたが、こちらはリディアと違って手際よくという感じではなく、彼女らしく非常にのんびりとした手付きだった。

 だが、それでも仕事の速さでいえばリディアとそれほど大きな差はなく、それは見た目にそぐわない彼女の頭の回転の速さを証明するものである。

「だってあの図体だよ。アクアさんと比べたって20センチ以上デカいんじゃない?」

「なかなかお似合いだと思いますわ」

「なにがお似合いなのかわかんないけどさ」

 さすがにリディアはこの程度の言動で戸惑ったりはしない。

「そういやファナさん聞いた? あのアベイ族とか名乗った地の上位魔、やっぱり『例のヤツら』の一味だったみたいだって」

 その言葉に、穏やかだったファナの表情がほんの一瞬だけこわばった。そしてすぐに、ゆっくりと息を吐くようにして、

「やはりそうでしたか……」

「本格的に動いた気配はないけど、少し警戒した方がいいかもね。この前のアレだって、今考えてみたらウチを挑発するのが目的だったのかもしんないし。ここも少し警戒を強めた方がいいかも」

 ファナは手の動きを止めてゆっくりとうなずいた。

「わかりましたわ。ネスティアスの方々にも警戒を強化するようにお願いしておくことにします」

「あとできれば2部隊以上はここに残すようにした方がいいんじゃないかな。いつ襲撃があるかわかったものじゃないから。いつかみたいに――あ」

 リディアは珍しくちょっと慌てたような顔をして、それから視線を落とした。

「……ゴメン、ファナさん」

 だが、ファナは小さく首を振って、

「構いませんわ。それは忘れてはいけないことですもの。同じことを繰り返さないために、みなさん頑張ってくださってますわ」

 まるで陰を感じさせない笑顔と口調に、リディアは少しだけ横に視線を逸らしたが、すぐに表情を変え明るい声を出す。

「ファナさん、見かけによらず強いなあ」

 そんなリディアの言葉にファナはおかしそうに笑って、それから視線をゆっくりと自らの机に移動させると、

「そんなことありませんわ。私はただ、お父様の意志を継いだだけですもの――」




 アクア=ルビナートという人物に対し、ティースが抱いていた印象というのはかなり両極端な2つのイメージだった。

 まるで無邪気な子供のようなイメージと。

 そして他人を包み込む母親のようなイメージ。

 ただ、そのどちらにしても彼の抱くそれは間違いなく『好印象』だった。シーラを助けてもらったということを別にしても。

 ……だからこそ。

「え?」

 その扉を開いたとき、目の前に広がった光景を見たティースは、心臓が止まるほどの衝撃を受けたのだ。

 ディバーナ・ファントムの詰め所は、鍛錬場のようだったカノンのものとは根本から違っており、まるでひとつの一軒家のような作りだった。

 玄関の扉をノックしても反応はなく――呼び鈴があったのだがティースは気付かなかった――中に入ると正面と右手に廊下が続いている。

 内装はおそらくアクアの趣味なのだろう、少々女性っぽい雰囲気に包まれていた。

 そしてティースが向かったのは、正面の廊下、その先にあった扉。構造からしても、おそらくその先がこの建物の中心、普通の家で言うところの居間だろうと考えたからだ。

 そして扉を開けたティースが目にしたものは――

「な――っ!?」

 やはり一軒家の居間を彷彿とさせるその空間。簡素なソファらしきものがひとつ、テーブルがあって中央には絨毯が敷かれている。

 そして、絨毯が敷かれていない部屋の隅。

 そこに人が倒れていた。

 ――倒れていた?

 いや、それだけではない。

 床に撒き散らされた赤い液体。

 うつ伏せになったその人物の背中に生えた、普通では絶対にあり得ないもの。

 剣の、柄。

 しかも、倒れているその人物は――

「アクア、さん……?」

 ティースの言葉はかすれて声になっていなかった。

(なんだ……これ――)

 あまりのことに、脳が考えることを拒否する。だがそこに倒れていたのは紛れもなく、ディバーナ・ファントムの隊長、アクア=ルビナートだった。

(そんな、馬鹿な……)

 どうにかティースの脳が思考能力を取り戻す。

 争ったような痕跡は見当たらない。辺りには誰も見当たらない。

 ――彼が考えたのはそこまでだった。

「アクアさんっ!!」

 床を蹴る。

 おびただしい血にまみれ、ピクリとも動かないアクアの元へ向かって――

「待ちな」

「!?」

 だが、ティースはすんでのところで何者かに引き留められる。

 その人物はいつの間に近付いていたのか、ティースの背後に立ち、険しい表情でアクアの遺体を見つめていた。

「君は――」

 ティースがそれほど焦らなかったのは、その人物――その女性を、これまでにも屋敷で何度か見かけたことがあったからだ。

 まるで男の子のような短い髪に、我の強そうな吊り気味の目。おそらく10代後半だろうが、背は小さくリディアと同じぐらいしかなかった。肌はネービスの人間にしては珍しく浅黒い。

「あんた、アレだろ? 今日からここの部隊に入ることになってる奴だよな?」

「ああ……けど、今はそれどころじゃ!」

「待てって言ってんだろ」

 それでも女性はティースを引き留める。

「どうして――」

 そしてその後の展開に、ティースはさらに驚いて言葉を止めた。

「……え?」

 その後ろからもうひとり、女性が姿を現したのだ。

 いや、それだけなら大して驚くべきことではない。

 問題は――

(目の……錯覚?)

 新たに現れた女性が、ティースを引き留めていた女性とまったく同じ顔をしていた、ということである。

 ティースが一瞬、夢でも見ているのかと思ったのは無理もない。

「……」

 新たに現れた女性は無言のまま、無造作にアクアの遺体へと近付いていく。

 そして――

(な……?)

 突然、そばにあったスリッパを手に取ると、それを振りかぶった。

「なにを――!」

 ティースが驚くヒマもなく。

 パコォォォォォンッ!!!

「……いったぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~っ!!!」

「へ?」

 それが後頭部に振り下ろされるなり、アクアの遺体は痛みに苦しみながら床を転がっ――いや、もう言い換えた方がいいだろう。

 遺体の『フリ』をしていたアクアは、スリッパの一撃を喰らって悶え苦しんでいた。

 ポツリとつぶやきが聞こえる。

「ったく。相変わらずガキみてぇだな、アクア姉は……」

「??」

 ティースにはいまいち状況が飲み込めていなかった。




「ってなわけで、あたしはダリア。ダリア=キャロルだ。で、そっちのが――」

「ドロシー=キャロル……」

 もうひとりがボソリと答える。

「見りゃわかると思うけど、双子だ。一応そっちが姉貴であたしが……って、なんだよ。そんなに珍しいのか?」

「いや、っていうか……」

 ティースはそんな2人の顔を交互に見て――よく見ると姉のドロシーと名乗った方は右目の下に小さな傷跡があり、なんとか見分けることは出来そうだった。

「その、つまり、君たちはこのファントムの……?」

「ああ。あたしもドロシーもファントムの一員さ。戦闘要員ってやつ」

「な、なるほど……」

 ティースが以前屋敷の中で会ったときとは違い、ドロシーもダリアも使用人の服ではなく薄手で袖のないシャツにホットパンツ姿だった。

 この暑さだから……とはいえ、ネービスではここまで肌を露出させる女性は多くない。ティースが少々目のやり場に困ったのも仕方のないところだった。

(でもまさか、女の人がアクアさんだけじゃないとは……)

「で、あたしが隊長の――」

「自己紹介はいいから、あんたは黙って掃除してろよ」

「……なーんか損した気分。せっかくみんなを驚かそうと思ったのに、全然驚かないんだもの」

 ごしごしと床に付いた血ノリを拭きながら、アクアは口を尖らせている。

 そんな彼女もまた、背中に血ノリがついたままのシャツの袖を肩口までまくり上げ、下はやはり他の2人と同じホットパンツだ。

(……いや、俺はかなり驚いたけどね)

 なんとなしに視線を上の方に逸らしながら、ティースは彼女らの会話を聞いていた。

「あんたの悪戯はワンパターンすぎんだよ。ったく、いい歳こいてなに考えてんだか」

「あ、ちょっと聞き捨てならないなぁ、それ。あたしはまだ若――」

「つい先日、24歳になったんだっけ?」

「……なってない! なってないってば!!」

 現実逃避をするアクアに、ドロシーがボソッとつぶやいた。

「最近、肌がカサカサしてきた……」

「いやぁぁぁぁぁぁっ! 言わないでぇぇぇぇぇっ!!」

 まるで断末魔の叫びのようだ。

(……やっぱり不安になってきたぞ)

 なぜか既視感のようなものを感じつつ、それでも一応ティースは社交辞令替わりにフォローすることにした。

「あの。俺はアクアさんってすごく美人だと思うし、別にそんなに歳なんて気にしなくてもいいと思いますけど……」

 そう言った途端、視界の隅にいたダリアが天井を見上げるのが見えた。

 その意味を考える間もなく、

「そう思う? ティースくん、ホントにそう思う!?」

「うわぁっ!」

 いきなりドアップで迫ってきたアクアに、ティースはのけぞった。

 その距離わずか数センチ。彼の頭の中で警報が鳴り響いていたが、ソファに座っていたのがアダとなり、そこから身動きが取れない。

 仕方なくティースは目一杯逃げ腰になりながら、

「そ、そう思います。思いますから……その、少し離れてくださ――」

 だが、アクアはその距離を保ったまま――いや、さらにティースに迫ってくると、まるで祈るように両手を組み、目をキラキラ輝かせながら言った。

「なら、結婚して!!」

「な、なんでいきなりそういう話になるんですかっ!」

 あまりにも唐突すぎた。

「年上は嫌!? でもあたし、これでもかなりお肌の手入れには気を遣ってるし、心はまだまだ純真無垢な少女のつもりだし!」

 後者はある意味――純真無垢かどうかはともかく、その通りかなと、ティースは密かにそう思いつつ、

「と、とにかく! いきなりそういう無茶な話はヤメてくださいって!」

「うう……わかったわよ」

 渋々、といった様子でアクアがやっと引き下がり、ティースはホッと胸をなで下ろした。

 と、そこへ、ひとり掛けの椅子で脚を組んだダリアが呆れ顔で口を挟む。

「なんだ、アクア姉。こないだのなんとかっつー優男にはもうフラれたのかよ?」

 ティースから離れたアクアは、ペタリと床に腰を下ろした体勢で振り返ると、

「……だってあの人、あたしがデビルバスターだってわかったら、急に態度がよそよそしくなるんだもの」

「引かれるに決まってんだろ、女だてらにデビルバスターだなんて。娼婦だって告白する方がまだなんぼかマシだ」

「実際そうなんだから、しょうがないじゃない」

「だからそういうことはもっと仲良くなってから告白すりゃいいんだよ。付き合うか付き合わないかのうちに言や、そりゃうまくいくわけねぇじゃんか」

 そんなダリアの言葉に反論できず、アクアはちょっとすねたような顔をして、

「いいの。そのうちきっと、私のことを本当に理解してくれる王子様が現れるんだから」

「……俺の方を見て言わないでください」

 ティースが反射的に突っ込んだのは言うまでもない。

(しかし……なぁ)

 そして心の中で思わず首をかしげる。

 このアクアという人物、ティースが見てもかなり女性としての魅力にあふれている。デビルバスターとはいっても背は女性の平均を少し上回る程度でデカすぎないし、ルックスだって普通に美人の部類に入るだろう。スタイルだってかなりいい。

 見た目だけならイイ男を何人も従えて歩いててもおかしくないレベルだった。

 そんな彼女が、どうやら彼氏ができなくて困っているというのだから、世の中というのはわからないものである。

(性格だって悪くないと思うんだけど……なんか俺の知らない欠点でもあるのかなぁ)

 そんなことを考えつつ、ひとまず話題を変えることにした。

「そういやドロシーさんとダリアさんの他には――」

「いぃ!?」

「え?」

 ティースの発言に、ダリアはいきなり肩をすくめて両腕を押さえる仕草をした。

「おいおい、やめてくれってのォ。明らかに年下ならともかく、あんたみたいな男にさん付けで呼ばれちゃ寒気がして仕方ねぇよ」

「あ、な、なるほど……」

 そういう人がいてもおかしくないか、と考え、ティースは言い直すことにした。

「じゃあ、ドロシーさんにダリア?」

「つーか、なんであたしだけ呼び捨てにすんだよ」

「いや、だってドロシーさんはなにも言ってないし……」

 それにティースが見たところ、このちょっと蓮っ葉な感じのダリアと違って、姉のドロシーは少々おとなしいような印象があって――

「オレも呼び捨てにしていい……」

「……」

(……オレ?)

 どうやらそうでもないようだった。

「はぁ、やっと終わったわ。……で、ティースくん? なにか質問があったみたいね?」

 ようやく掃除を終えて腰をトントンと叩きながら体を起こしたアクアが――その仕草を年寄り臭いと思ったことは絶対に秘密だが――ティースの言葉を促す。

「ええ。あの、このファントムにはフローラさんみたいな人はいないのかなって」

 ディバーナ・カノンには医事担当のフローラがいた。だが、このメンツを見回したところ、どうやらそういった役割の人物はいないように思えたのである。

 だが、

「まさか。ちゃんといるわよ。ただ、今日は仕事の関係でちょっと遅れて来るの。……ああ、その子、ティースくんも良く知ってる子よ」

「え?」

「ま、それについてはあとのお・た・の・し・み。まずは改めて自己紹介しましょっか。……まずそっちの2人は聞いたと思うけど戦闘メンバーの2人で、ドロシーとダリア。カノンで言うところのヴィヴィアンくんとサ――ガードナーくんね。歳はティースくんよりちょうどひとつ下かな?」

「あ、年下だったのか」

 ティースよりひとつ下ということは17歳だ。

(やっぱ2人ともヴィヴィアンぐらい強いのかなぁ……)

 そんな彼女らにこてんぱんにされる自分の姿が脳裏に浮かび、ティースの心は少々複雑だった。

「で、あたしが隊長のアクア=ルビナート。通称、男の心を盗む『怪盗デビルバスター』よ」

「はぁ」

 なんとも言いがたい表情のティース。

 ダリアとドロシーの突っ込みが入る。

「アクア姉のそれは通称じゃなくて自称だろ」

「しかも恥ずかしい……」

「なんで!? 恥ずかしくないってば!」

「……」

 ティースも恥ずかしいと思ったが、それは一応口にしないことにした。

 アクアも気を取り直した様子で咳払いすると、

「で、うちのチームについてはアオイくんからある程度聞いてると思うんだけど」

「ええ。なんだかちょっと特殊な任務に就くことが多いとかなんとか……」

 アクアはうなずく。

「そ。まあ特殊と言っても、本当に専門的なことはやらないんだけどね。あたしたちがデビルバスターだと知られない方がいい、そんな状況での任務がたまにあるの」

「つまり、隠密っぽい感じですか?」

「そう、そんな感じ。ティースくん。先入観を捨ててあたしたちをよく見てみて?」

「?」

「魔を追いかけているように見える?」

「……」

 ティースは改めて3人を見つめた。

 腰に手を当てて妖艶な微笑みのアクア、興味のなさそうな顔でそっぽを向いているドロシー、そしていかにも我の強そうなダリア――正直、女性としては少々『手強そう』なイメージはあるものの、確かに武器を手にして戦うというような雰囲気ではない。

 穿った見方をしたところでせいぜい、素行の悪い不良少女3人組という程度だ。

 ……まあ、それはどっちかというとアクアではなく、ダリアに対してティースが最初に感じたイメージなのだが。

(ミューティレイクのメイド服を着てるときは、それなりに見えたんだけどなぁ)

 イメージの力はやはり偉大だ、なんてことを考えつつ、

「見えないですね、確かに」

「でしょ? どう見ても可憐な乙女のトリオにしか見えないでしょ?」

「それは無理が――いや」

 思わず本音が出そうになった自らの口を塞ぎ、ティースは言い直す。

「見える……かも」

「無理しなくていいんだぜ、ティース」

 やれやれと手を振ってダリアが言った。

「あたしだって恥ずかしいっつーの。あたしたちのどこが『可憐』で『乙女』だってんだ。対極じゃねーか」

 ボソッとドロシーが付け足す。

「オレたちは外見的に無理。姐さんは年齢的に無理……」

「ちょっとドロシー! 諦めたら人生そこで終わりなんだから! なんか……ほら。強く念じれば大きな岩もぶっ壊せるみたいなこと、よく言うじゃない!」

「岩どころか分厚い鉄板だと思う……」

「……」

 ドロシーの突っ込みはいちいち厳しかった。

「と、とにかく。大事なのはあたしたちがとてもデビルバスター部隊なんかには見えないってことなの。そうよね、ティースくん?」

「はぁ……」

 しかしそれは確かにその通りで、

(それで『ファントム』か……)

 ティースはなるほどと思った。

 最初は特に意味も考えなかったこのチーム名だが、よくよく考えてみれば、戦闘力に特化した『カノン(大砲)』、隠密性に特化した『ファントム(幻影)』、そしてどうやら総合力に特化しているらしい『ナイト(騎士)』と、それぞれにちゃんとした意味があったのだ。

 しかし、ティースはふと考えた。

「でも……なんでそんなチームに俺が?」

「……」

「……」

「……」

 3人とも黙ってしまった。どうやらその疑問に答えられる人間はひとりもいないらしい。

(なんだよ、そりゃ……)

 だが、無理もない。

 童顔で見た目のイメージこそ戦える人間っぽくないとはいえ、ティースは背も高いし、そこそこ目立つ。少なくとも隠密行動に向いているとは思えなかった。

「それは……アレだわ。心優しいファナちゃんが、なぜか男に恵まれない乙女たちに愛の募金をしてくれたのよ!」

「はぁ」

 適当に取りつくろうアクアの言葉の意味はティースにはよくわからなかったが、それはつまり猛獣の檻に投げ込まれたエサと同義なのかもしれない。

 そこへダリアが口を挟む。

「つーか、恵まれてないのはアクア姉だけだろ」

 途端、アクアは目を見開いてダリアに詰め寄った。

「ちょっとあなたまさか、いつの間に!? おねーさんに報告もしないで――!」

「じゃなくて。あたしとドロシーはあんたみたいに飢えちゃいないってことだよ」

「飢えてるだなんて、人聞き悪いわねぇ」

 そんな会話が延々と繰り返されていたところへ、詰め所の玄関から来訪者を告げる足音が聞こえてきた。

 なんの断りもなしに入ってきたことからして、どうやら残るもうひとりのメンバーらしい。

「来たみたいね」

 アクアも当然気付いたようで、少し小走り気味に近付いてくる足音を振り返る。

 もちろんティースも注目した。

(でも俺の知ってる人で、医療に通じていそうな人っていうと――)

「あ、もしかしてマイルズさんじゃ?」

 思いついて、ティースはそう言ってみた。

 マイルズ=カンバースは屋敷の主治医的存在だ。そのファミリーネームからもわかるように、フローラ=カンバースの旦那である。お揃いの黒縁眼鏡がトレードマークで、後から知ったところによるとフローラの眼鏡は伊達眼鏡らしかった。

 だが、アクアは微笑んで、

「残念」

 それと同時に扉が開いた。

「すみません! 遅くなりましたっ!!」

「……え?」

 その人物を見て、ティースの口はポカンと開いたままになった。

 それは確かに彼の知っている人物だ。

「フィ……フィリスっ!?」

 そんなティースの反応に、アクアは思惑通りという顔で楽しそうだった。

「あ、ティース様。そういえば今日からでしたね」

 子羊を思わせるクセっ毛を揺らし、ニコニコしながら深々と頭を下げたフィリス。

「ディバーナ・ファントムの医事担当、フィリス=ディクターです。改めて、よろしくお願いします」

 当然のごとくティースは困惑して、

「え……でも待ってくれよ。フィリスって、確かファナさんの侍女じゃなかったの?」

「あら、知らなかったの、ティースくん?」

 それにアクアが答える。

「デビルバスターとその候補生以外はみんな、屋敷での他の仕事を持っているの。ティースくんもドロシーやダリアがメイド服着て働いてるのを見たことがあったでしょ?」

「そ……そういえば確かに……」

「あのビビくんだって普段はコックをやってるんだから」

「ヴィヴィアンがコックっ!?」

 それがティースにとっては一番衝撃的だった。

「……ていうか」

 そしてさらに彼は、改めてメンバー全員を眺め、そして重大な問題に気付く。

「もしかして俺以外はみんな……」

 うろたえるティースに、アクアはちょっとお茶目にウインクしてみせると、

「ええ、ファントムのメンバーは全員女性よ。良かったわね、ティースくん。まさにハーレム状態じゃない」

「アクア姉以外はあんま色気のないメンツだけどな」

 ダリアがそう付け加えたが、そのこと自体は彼女が言うほど問題ではなかった。

 ティースにとってもっとも重大だったのは、

(……ハーレムどころか、針のむしろじゃないか……)


 そう。忘れてはいけない。

 彼は『女性アレルギー』なのである――


-了-

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