その17『もう一つの結末』
その男がネービス領の南東の町ベルンからさらに国境近くへと進んだ先の小さな宿場を訪れたのは、八月の終わりの頃だった。
虫の合唱が鳴り響く喧噪の中、人目を忍ぶように深くフードを被った小柄な男は、尾行を警戒するかのようにしばらく宿場内を歩き回った後、夕日を背にしながら景色に溶け込むようにひっそりと一軒の建物の中へ入っていく。
窓一つない木造の建物は家というよりは蔵であり、中は木と木の隙間からかろうじて差し込む光だけで薄暗く、カビとホコリの入り混じった不快な匂いが漂っていた。
男は入り口付近で一度立ち止まった後、だだっ広い空間の右奥へと進み、そこの床板に手をかける。
ガタン、と、小さな音を立てて床板が外れた。その向こうには地下へ続くハシゴがあり、さらに奥には微かに明かりの揺らめきが見える。
躊躇なく、男ははしごを降りていった。
降りた先は石造りの通路だ。空気は湿っている。
足音を殺して進むと、男はやがて小部屋にたどり着いた。
「どなたです?」
部屋の中央には小さなテーブルがあり、そこに一人の女性が座っている。
――白尽くめの女性だった。
無骨な部屋に似合わない純白の法衣姿は、男に一瞬だけネービス公女の姿を連想させたが、髪の色はまったく対照的な銀髪だ。
歳の頃は二十歳前後だろうか。美しいながらもどこか儚げな雰囲気を漂わせている。
男は名乗った。
「カフィー=マーシャルだ。こっちの用件は聞いているだろう?」
カフィーはそう言ってフードを脱ぐ。
白い女性はそんなカフィーの顔を一瞥して、
「その火傷……<双龍棍>が破壊されたというのは本当だったのですね」
まるで書物を音読しているような抑揚のない口調だった。テーブルの中央には小型のカンテラが置かれていて、時おり大きく揺れながら女性の無表情を照らしている。
「……」
カフィーは彼女が持つ独特の雰囲気に一瞬飲まれそうになりながらも、正面に用意された椅子に腰を下ろして、
「その話は胸クソ悪くなるからやめろ。それより用意してくれたんだろうな? 今度はあんなモロい魔導器じゃ困るぜ」
「……<双龍棍>は強力な魔導器でした。あなたの使い方に問題があったと思います」
ダン! と、木のテーブルが大きな音を立てた。
「……るっせぇよ。説教なんざ聞きたくねえ。てめえらは俺に借りがあんだろーが。“アイツ”がディグリーズにまでなれたのは俺の口ぞえがあったからだろ」
「……」
女性は細い眉を一瞬だけひそめたが、やがて脇に置いてあった一本の錫杖を手に取った。
一目見て、カフィーはそれが強力な魔導器であることを悟る。
「そいつか。……確かに<双龍棍>とは比べ物にならねえ力を感じる」
そして小さく喉を鳴らした。
「けど心配ねえよ。俺は特別なんだ。どんな強力な魔導器だろうと使いこなしてみせる」
「――<氷と雷の宝杖>」
「イス……なに?」
カフィーは錫杖に伸ばしかけた手を止めた。
「五つの鍵の所在をご存知ではないですか?」
女性は顔をあげ、感情のない目でカフィーを見つめていた。
「<光と闇の魔導書>、<炎と水の聖剣>、<地と風の首飾>、<空と幻の指輪>、そして<氷と雷の宝杖>。このうち宝杖はここに、聖剣はネービス公家にある。そして今、なんの偶然か他の三つもネービス領内に集まっているようです。ただ、肝心の場所がわかりません」
「……なんの、話だ? いや、エブリースの首飾りってのは確か――!?」
言葉の途中でカフィーの顔が強張った。
女性の手の中で錫杖が魔力を放ち始めたのだ。見開いた彼女の目の色がゆっくりと変化し、氷と雷を意味する二色の魔力がその全身を覆っていく。
「……なんのつもりだ、てめぇ!」
「お答えください、カフィー様。五つの鍵の所在をご存知では?」
「っ……五つの鍵って、そういや、そんなもんを集めてる連中がいるってのは――」
「……ご存知ないようですね」
残念です、と、女性は言った。
ガタンと椅子を鳴らしてカフィーが立ち上がる。
「……てめぇらまさか! あのベルリオーズの……!」
女性が小さく鼻を鳴らした。
「フレアと申します、カフィー様。もちろんこの<氷と雷の宝杖>はあなた様に差し上げるわけには参りません」
「っ……なんでベルリオーズが、俺に魔導器なんかを……いや、まさか“アイツ”もてめえらの――」
動揺し取り乱したカフィーの問いかけにフレアが答えることはなかった。
「お別れです、カフィー様」
<氷と雷の宝杖>が脈動し、フレアの背中に二色の翼が生まれる。
あふれ出した魔力は小さな部屋を包み込むように大きく広がって――
――ディグリーズの一人、カフィー=マーシャルの死体が近くの街道で発見されたのは、それから二日後のことであった。
-了-