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デビルバスター日記  作者: 黒雨みつき
第2話『意志を継ぐ者』
13/132

その5『憧憬と共感と』


 夕日はまだ山間からかろうじて顔をのぞかせており、ちょうど本日の最後の仕事をまっとうしようとしているところだった。

 淋しげな鳥の鳴き声と地面に長く落ちた家々の影が、1日の終わりを告げ始めている。

「というわけだ、村長」

 薄暗い家の中、レアスの言葉がことさらに冷たく響き渡った。

 青ざめた村長夫妻、レアスたちが家を借りている村長の兄夫婦、そして村長たちの母親らしき老婆は、絶望の色を隠そうとしていない。

「かわいそうだが、その娘のことは諦めてくれ」

「ちょっ……ちょっと待ってくれよ、隊長!」

 そんなレアスの宣言に真っ先に異論を唱えたのは、村長夫妻でもその関係者でもない。

 ティースだった。

「……なんだ?」

 向けられた鋭い視線に、ティースは食ってかかった。

「なんでだよ! あの子が森に入ったのは2時間ぐらい前だろ!? 魔に襲われたとは限らないし、今ならまだ助けられるかもしれないじゃないか!」

 だが、そんなティースに、レアスは鋭い視線と冷たい言葉で返した。

「ティース。てめえは人の話を聞いてなかったのか?」

「そりゃ聞いてたけど……暗くなって危険だってのもわかるけど……でも、敵だってそんなに手ごわい相手じゃないんだろ! 隊長やサイラスぐらいの実力があればどうにか出来るんじゃないのか!?」

「……」

 レアスは無言でティースを見ていた。……いや、見ていたというよりは、にらみつけていたという方が正しい。

 それは相変わらずの子供らしからぬ威圧感。

 だが、ティースはひるまずに言葉を続けた。その脳裏には、いつかのシーラのこと――今回と似た状況だった――が頭に浮かんでいたのだ。

「そんな簡単に諦めろとか言うなよ! 助かる可能性があるなら、そのために精一杯のことをするべきじゃ――!」

「……黙れよ、てめえ」

「!」

 ほとばしった怒気に、ティースは思わず口をつぐんだ。

「勝手な憶測で適当なことばかりしゃべってんじゃねえ。なにもわかってねえんなら黙ってろ」

「なっ……!」

 ティースはカッとなって反論した。

「そ、そりゃ俺は入ったばかりだしなにもわからないけど、でも間違ったことは言ってない!」

「間違ったことは言ってない? じゃあなにか? てめえは、どうにかなるかもしれないとか、そんなあいまいなことのために、ここにいる全員の命を差し出せって言うのか?」

「なっ……そんなことは言って――!」

「言ってると同じなんだよ。なにを根拠にどうにかなると思ってんのか知らねえが、てめえは魔を甘く見てるんじゃねえのか?」

「……!」

「ティースくん」

 そこへ口を挟んだのはヴィヴィアンだ。

 ティースは助け船を少し期待したが、彼の口から出たのは想像とは違う言葉だった。

「ここは隊長の言うことが正しい。気持ちはわかるが、そのぐらいにしておきたまえ」

「ヴィヴィアン――」

「残念ですけど。私もその通りだと思いますわ……」

「フローラさんまで……」

 ティースには返す言葉がなかった。

 だが、もちろん納得したわけじゃない。

(だって……こういうときに助けてやれるのがディバーナ・ロウじゃないのかよ……)

 実際、シーラのときもそうだったのだ。常識的には危険だと言われて、それでも助けにいったからこそ救うことができた。

(あの子だって今ごろ……森の中で怖い思いをしているに違いないんだ)

 それを想像すると、ティースの胸は締め付けられるように痛んだ。それと同時に、レアスやヴィヴィアン、フローラたちに対する不満が胸に広がってくる。

(これがレイさんやアクアさんなら、きっと助けてくれるのに……)

「……それはそうと」

 そこへ、それまで無言だったサイラスが少し話題を逸らした。

「どうしてあの子は今日に限って森に入って行ったんです? 今までは言いつけを守っていたんじゃないんですか?」

「それが……」

 村長は落胆を隠し切れない顔で答えた。

「途中まで一緒だった子の話ですと、硝子花を採りに行くと言っていたらしくて……」

「硝子花というと、例の特産品の?」

「ええ……」

「それはもしかすると――」

 サイラスは言いかけて、途中で止めた。

 村長もなにも答えない。その場にいる誰もが無言になった。

(……そうか)

 それを怪訝に思ったティースだったが、やがてその理由に気付く。

 『硝子花』というのはその名の通り、ガラスのように半分透き通った美しい花で、ネービスの街では贈り物などによく用いられる。そしてその生産地では、客を迎えるときにその花を贈ったり客室に飾ったりすることが多いと聞いたことがあった。

 ただ、ティースたちはこの村でまだその硝子花を直接見てはいない。なぜなら硝子花は非常にデリケートで人の多く住む場所では育たず、生産地では、集落から離れた森の中などで自然栽培している場合がほとんどなのだ。

(あの子、きっと俺たちのために採りに行ったんだ……)

 ティースの胸の締め付けはさらに強くなった。

 なんとかしたい、なんとかできないものか――、と。

 ……だが、

「とにかく」

 その場の沈んだ空気を裂くように、レアスはもう一度断言した。

「話はここまでだ。明日、日が昇ったらすぐに行動に移る。全員、今日はゆっくり体を休めておけ」

 すでにそれ以上、ティースが口を挟む余地はなかったのである。




 レアス、ヴィヴィアン、フローラの3人が滞在する村長の兄夫婦の家では、夕日がその姿を半分以上隠し始めたころ、ようやく夕食の準備をする音が聞こえ始めていた。

 もちろんリズという名の少女は彼ら夫婦にとっても姪であり、彼らが村長夫妻と同様にショックを受けているのは当然のことだろう。

「ちっ、ティースのやつ……」

 そんな中、小さな舌打ちが部屋に響き渡った。

 その主……ディバーナ・カノンの隊長、レアス=ヴォルクスとて人の子である。彼らの気持ちが理解できないわけではなかったし、本来の激しい彼の気性から言えば、むしろ自分を抑えることに苦労しているぐらいであった。

 ただ、だからこそ自分勝手に気持ちをぶつけてきたティースの態度は、彼にとって非常に腹立たしく、同時にうらやましいことでもあったのだ。

 ――その手に握られている長剣。刃渡りは150センチ近くもあるだろうか。柄を入れれば彼の身長より長く、ひどくミスマッチだ。剣身は細く、わずかに赤銅色の光沢を放っている。

 それを念入りに手入れしながら、レアスの愚痴は続いた。

「あの野郎。なにもわかってねえくせに、余計な口を挟みやがっ――」

「あぁ、かの夫婦の胸は今、張り裂けんばかりに悲鳴をあげている。しかし非力な我々にはこの定めをどうすることもできないのだ。あぁ、この世のなんと無情なことよ……」

「……」

「せめて私がこの悲しみを詩にしてみせようではないか。それが彼らにとってせめてもの慰めとな――」

「あああっ! うるせえぞ、ビビ!! てめえは少しだぁってろ!!」

「ビではないっ! ヴィだと言っているではないかぁっ!」

「んなことはどーでもいいんだよ、このタコが! てめえも猿芝居してるヒマがあったら武器の手入れでもしてろっ!」

「猿芝居? ふっ……これだから凡人は」

「あぁっ!?」

 レアスの鋭い視線が突き刺さっても、ヴィヴィアンは平然と手を広げるだけだった。

「私に言わせれば、そうやって気を紛らわせるためだけに何度も武器の手入れをすることこそ時間の無駄というもの。それならば余った時間を自らの修練に費やした方が何倍も有益ではないか」

「はっ。てめえの狂った独り言のどこか修練だってんだ!」

「あぁ、なんて教養のない言葉。真の天才はやはりいつの世も孤独なのだな」

「てめえが天才? 笑わせるんじゃ――!」

「……隊長!」

 そこへ、それまで黙っていたフローラが、やはりイライラした様子で口を挟んだ。

「ビビさんも、こんなときにそんなくだらないことで口論しなくてもいいでしょう!?」

「っ……」

「……私は別に、口論する気はなかったのだがね」

 口をつぐんだレアスに、ヴィヴィアンも少し肩を落とした。

 フローラは眉間に皺を寄せ、少しズリ落ちていた眼鏡を直し、それから自らを落ち着かせるようにコホンと咳払いすると、

「とにかく。おふたりがイライラするのはわかりますけど、ここは落ち着いて対処するべきですわ」

 そう言った彼女自身もそれほど冷静だとは思えなかったが、その言葉は至極もっともだった。

「隊長が責任ある立場としてああいった判断を下したのは、間違ってないと思いますし……」

「……んなことは当たり前だ」

 そっぽを向いてそう答えたレアスに、フローラはチラッと夫妻がいる居間の方を見る。

 どうやら客が来たらしく、それを出迎える夫妻の声が聞こえていた。

 フローラも少々胸につかえるものがあるようで、言葉には切れがなかったが、

「今晩は夕飯をいただいたら早めに休みましょう。いくら相手がザコとはいえ、体調が万全でなければ万が一ということもありますわ」

「ザコ、か」

 夕日を反射した赤銅色の刀身が、細めたレアスの瞳を赤く染めた。そこには思案げな色が灯っている。

「もし本当にザコばかりなら、多少無茶しても構わねえんだろうが……」

 そんなレアスの態度に、ヴィヴィアンは少しまじめな声で、

「やはりなにか気になることでもあるのかね、隊長?」

「……」

 レアスはヴィヴィアンの方を見ようともせず、ただ刀身を見つめるだけだった。

 と、そこへ、

「あの――」

「……あ、はい。なにかございましたかぁ?」

 いつもの調子を取りつくろって返答したフローラに、部屋に入ってきた家主――村長の兄である男性が、少し怪訝そうに言った。

「他のおふたりは、なにか用を足してらっしゃるのでしょうか?」

「……どういうことだ?」

 パチン、と甲高い音を立てて、赤銅色の刀身が鞘に納まる。

 見上げたレアスの目は厳しさをまとっていた。

「い、いえ、それが……」

 子供とはいえ圧倒的な威圧感を秘めるその瞳に、主人はほんのわずかにたじろぎながら答える。

「他のおふたりが戻ってこないと、家の者がやってきましたので……」

「……!」

 瞬間、その場にいたカノンのメンバーたちに同様の緊張が走った。

「まさか……隊長」

 フローラの言葉に、まったく同じことを考えていたレアスは唇を噛んだ。

「ちっ……だが、サイラスの野郎に見張りを命じたはずだぞ? あいつはバカじゃねえ。たとえティースの奴が俺の命令を無視してそそのかしたとしても、それに安易に協力するなんてこと絶対にねえはずだ」

 だが、そこへヴィヴィアンが、他の2人に比べれば冷静な様子で口を挟む。

「……あるいはサイラスくんが率先して救出に向かったのかもしれんな」

「なんだと?」

 その言葉にレアスはいらだちを隠しきれない様子で、ヴィヴィアンに食ってかかった。

「けど、あいつ、さっきはなにも言ってなかったじゃねえか!」

「彼はティースくんと違って隊長の立場を理解していた。だから反対されるのがわかっていて、あえて口にしなかったのかもしれんよ」

「じゃあ……2人は、森に――?」

 不安げなフローラの言葉に、一同は沈黙する。

 それは、彼女の不安がおそらく事実であると、全員が認識していることの証明でもあった。




 太陽の残光がほぼ見えなくなりかけていたころ、村の近くにしげる広大な森、その村にごく近い辺り――おそらく村からは歩いて15分ほどの場所だろうか。

 その場所には今、おびただしい血の臭いが充満していた。

「キィィィィィッ!!」

 まるで猿のような雄叫びをあげて、そして猿とは思えない、成人男性ほどの体格を持つ獣が太い木の枝から飛んだ。

 めがけた先は、血にまみれた剣を構えるひとりの男。

 スタイリッシュな服装に身を包んだ男は、しかし返り血にその姿を汚し、髪にも顔にも殺戮を繰り返した跡がこびりついていた。

 足下、そして周囲に伏すのは数匹――いや、10匹以上もの獣たちの死骸。

 それは『地の七十三族』……知識のある者たちからはその名で呼ばれる、最下級の魔に分類されるものたちの大量の死骸だった。

 飛びかかった魔に、男の鋭い視線が走った。

 同時にきらめいたのは、まるで一陣の風のように研ぎ澄まされた太刀筋。

 獣の爪もまた男の体を狙って振り下ろされた。

 人の世界に住む獣たちとはまるで異質の頑丈で鋭い爪は、人の体などやすやすと引き裂いてしまう威力を秘めている。

 だが――

「キィィッ!!?」

 おそらく驚きの意志を込めたのであろう鳴き声が、森に木霊する。

 一瞬の間も持たずに、鮮血が飛び散って森を汚した。衣服に、地面に、同族たちの遺骸に、汚れた血が染み込んでいく。

(すっ……すごい……)

 それほど深くはない木々の隙間から、太陽に代わって月の光が顔をのぞかせ始めている。

 そして鬼気迫るその姿を、ティースは荒い息を吐きながら見つめていた。

 彼の足下にも、先ほど苦労して倒した2匹目の地の七十三族が横たわっている。その剣はかすかに血に汚れていたが、水のようなきらめきを放つ剣身はまるでそれを拒否するかのように自ら血を弾き、すぐさま元の美しい姿を取り戻し始めていた。

「キィィィィィ――ッ!!」

 わずかに残っていた獣たちは、決して敵わない相手だということを悟ったのか、ついに蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 だが、そのうちの大半は、すでにサイラスの足下に動かぬ骸となって横たわっていた。

 ――圧倒的だ。

「サイラス――……」

 目を細め、獣たちの死骸を見つめるサイラス。

 鬼気迫る。

 怒りに燃える。

 いや……そのどちらも正しくはないかもしれない。

 ――冷酷に。そう冷酷に、サイラスの瞳は獣たちの死骸を射抜いていた。

 ピッ……と、新たな血が森に飛び散る。

 サイラスが剣の血を払い、それを地面に突き刺したためだ。

 その瞳は徐々にいつもの彼の姿を取り戻し始めてはいたが、まだ声を掛けるのがためらわれる雰囲気だった。

 そして――サイラスは足を向ける。

 傍らで意識をなくしている少女の元へ。

 ……いや。

「かわいそうに……」

 少女は動かない。

 いや……動くはずもない。

 泥に汚れた洋服。サイラスの腕の中で安らかに目を閉じた姿。

 それだけなら、まるで遊び疲れた子供のようにも見える。

 背中に――その背中に、骨が見えるほどに引き裂かれた無惨な傷さえなければ。

 必死に逃げたのだろう。赤い靴は片方が脱げ、ひざやすねは擦りむけていた。

 そばに散っているのは、おそらく彼女が摘んできたのであろう、血に汚れた一輪の美しい硝子花――

「っ……」

 胸に熱いものがこみ上げ、ティースは思わず目を背けそうになる。

 だが、そんな自分を叱咤し、サイラスの一挙一動を、そして無惨な姿で見つかった少女を見つめ続けた。

 見つめ続ける必要があると、そう思った。

「ごめんな、リズ」

 そっと、サイラスは泥に汚れたリズの額に口づける。肩を優しく抱き寄せ、まるで愛おしい者を気遣うかのように、その髪を撫でた。

「いつか、もっともっと強くなって、きっと君たちを守れるようになってみせる。……だから今は、君を助けてあげられなかった俺を、どうか許してやってくれ……」

「……」

 ティースはそんなサイラスの姿に、涙をこらえきれなくなった。

 怒り? 悲しみ? 哀れみ?

(……違う)

 そのどれとも違っている。

(俺も――)

 それは『共感』とも『憧憬』とも取れる感情。

 彼のようになりたい。いや、彼の目指す道を同じように目指したい。

 ティースの胸にあふれていたのはそんな想いだ。

 ……サイラス自身は『復讐』とか『罪滅ぼし』とか言ったが、たとえきっかけがそうであったとしても今の彼は違う。

 今の彼は確かに、魔に襲われる人々を助けるために、そんな人々のために戦う存在だった。

 そんな彼の姿にティースは共感し、触発されたのだ。

「俺も――」

 剣を握る手に力を込め、ティースは口を開いた。

 サイラスがゆっくりと彼を振り返る。

 それに向かって、ティースは思いの丈を口にした。

「俺も、いつか――」

 そのときだ。

 ティースを振り返ったサイラスの表情が険しさに染まったのは。

「え……?」

 同じように背後に向けたティースの視界にも、サイラスの目がとらえていたものが映る。

 数メートル先にいつの間にか姿を見せていたのは、ひと振りの剣を携えたひとりの男。

 ひとりの男?

 ティースはそう思ったが、その認識には付け足すべき言葉がある。

「なるほどー……お前たちがうわさに聞くディバーナ・ロウってやつか」

 男の声にはどこか楽しそうな響きがある。

 頬が痩けてあごが尖った輪郭。目は細く少しくぼんだ感じで全体的に病的な印象を受ける。

 そして、どこかが違う。

 目、鼻、口……いや、耳だ。

「どうやら黒幕がいたらしいな」

 リズをゆっくりと地面に横たえ、サイラスは立ち上がった。

「人型の魔が関わっていたか。しかもどうやら上位族だな。なるほど、隊長はこれを懸念していたわけだ」

(耳の形が……違う)

 そう。ティースも知っていた。

 その奇妙に先の尖った耳こそが、魔であることの証だと。

「ティース、下がってろ。人型はまだお前には荷が重すぎる」

「サイラス――」

「はっきり言うと、邪魔だ」

「っ……」

 そう言われてティースは引き下がるしかなかった。

 サイラスの実力はこれまでに何度も目にして承知していたし、2人がかりというのは有利そうに思えてその実、仲間に切りつける危険があるため、よほど息が合っていないと難しい。

 ティースとサイラスの実力差を考えるなら、サイラスひとりの方がやりやすいに違いないのだ。

「……」

 無言で前に出たサイラスの瞳に、先ほどの冷酷の炎が再び灯っていたのをティースは見た。

 いや、もしかしたら先ほどよりも強いかもしれない。

 ……人の想いを踏みにじる魔に対する、冷たい怒りの炎。

 親友を見捨てた自分を責め、魔に踏みにじられた人々を見つめ続け、そして辿り着いた彼の生きる道。

 ティースの胸に言い知れぬ熱いものがこみ上げてきた。

 ――この人のようになりたい。

 サイラスの背中を見つめるティースの中は、そんな思いで一杯だった。

「ほっほう」

 現れた魔は、相変わらず楽しそうにおどけている。

「ディバーナ・ロウってのは自信過剰な奴らが集まっているのかなぁ。キミがボクに勝てるとでも? ムリだね。ムリムリ」

「そう思うのなら、やってみるといい」

 サイラスは剣を抜き放ち、稽古でなんども見せた構えを取る。

 ティースをまるで寄せ付けず、隊長のレアスですらも何度か退けた剣技。それが決して自信過剰などではないことをティースは知っていた。

 そしておそらく、彼が勝つであろうことも。

(こいつが……こんな人が……あんな卑劣な魔に負けるはずがない……)

「償わせてやる。この子の痛みを、思い知れ――」

 全身から静かな闘気をほとばしらせ、サイラスは地面を蹴った。




「……どうするもこうするもねえだろ。ほっとけよ」

「隊長……本気ですか」

 レアスの発言に、フローラは眉をひそめた。

 微かに残光の残る部屋の中を、重苦しい空気が支配している。レアスは先ほどよりイライラした様子を隠しきれないまま、吐き捨てる口調で言った。

「ティースの野郎だけならともかく、サイラスが一緒ならザコ程度どうにかしやがるだろ。たとえなにかあったって、そんなもん奴らの自業自得だ」

「さっきも言ってたが、隊長。その『なにか』ってのに心当たりがあるのかね?」

「……」

 ヴィヴィアンの問いかけに、レアスは腕を組んだまま壁に身を預け、それからかすかに眉間にしわを寄せると、

「……今までおとなしかった奴らの動きが急に活発になったってのがな。偶然ってことも考えられるが、奴らを統率する知能を持った魔――人型の魔が出てきたって可能性がある」

 その言葉にヴィヴィアンは納得顔をした。

「人型の……なるほど。隊長が慎重だったのはそのためなのだな」

「それが下位族ならまだいいけどよ。上位族や、まして将族だったりすれば、こっちも万全の体勢で挑まないとなんねえ」

 ヴィヴィアンは少し考え、それからチラッと窓の外へと視線を伸ばして、

「もし隊長のその心配が現実だったとするならば、サイラスくんたちの命運はどうなると思うね?」

「……下位族ならサイラスは問題ねえ。上位族なら相手次第。将族なら――」

「今のサイラスくんでは歯が立たない、と?」

「剣技は申し分ねえけど、あいつは――」

「……そうか。彼は今年もそれで合格に一歩届かなかったのであったな」

 そんな2人のやり取りに、フローラはますます不安の色を濃くした。

「本当に2人を追いかけないつもりなのですか、隊長……」

「知るかよ。それに将族が姿を見せることなんてそうそうあるもんじゃねえ」

「ま、本当に人型の魔が関わってるかどうかも定かではないのだしね」

「……」

 再び、重苦しい空気が部屋の中に充満する。

 太陽はその姿を完全に山間へと隠そうとしていた――




 一閃。

 刃の輝きが月の光を反射し、宙に踊る。

 戦いはティースの予想通り、サイラスが圧倒的だった。彼の冷徹に研ぎ澄まされた剣技の前に、魔は防戦一方でしかない。

「なるほど、キミは人間にしてはいい動きをする……」

 魔は肩で大きく息をしながら、そうつぶやく。

「……けど、それではダメだなぁ」

 その瞬間。

 薄暗い森の中に、血が飛び散った。

(な――!?)

 スローモーションのように訪れたその光景を、ティースは信じられない想いで見つめていた。

「くっ――」

 サイラスの膝が折れる。

 左肩から流れる血があっという間に服を汚し、さらに獣の血に汚れた地面へと吸い込まれていった。

「サイラスっ!?」

 ティースには信じられなかった。

 戦いは、間違いなくサイラスが優勢に進めていたのだ。動きも、剣技も、そしておそらくは戦いに込めた意志も、そのすべてがサイラスの勝利を示していた。

 実際、魔は彼の攻撃に為す術もなく、防戦一方だったのだ。

 それが――崩れたのは一瞬。

 それは甲高い音とともに訪れた。

 サイラスの手にしていた剣が折れ、その剣先が地面へと突き刺さって。

 魔は口元に嫌らしい笑みを浮かべ、そして言ったのだ。

「人間は学習能力が低いねぇ。剣技だけではボクたちに勝てないと、過去に何度も学んでいるはずじゃ――」

 その瞬間、サイラスの懐から一陣の煌めきが放たれる。

「っ!?」

 それがバックステップを踏んだ魔の頬をかすめ、そこから一筋の血が流れ落ちる。

 サイラスは左腕をだらりと垂らしたまま、素早く踏み込んで右手のナイフを繰り出していった。

 だが、魔が驚愕の表情を浮かべていたのは一瞬のこと。

「頭が悪いな、キミは」

 魔の瞳が輝いたように見えた。

 その瞬間、その体に伸びていたナイフの刃先が甲高い音を立てて砕け散る。

「その程度の破魔具とキミ程度の聖力じゃ、ボクの魔力の壁を突き破ることはできないよ」

 同時に、サイラスの太股から新たな血が飛び散った。

「……ぁぁぁっ!!!」

 ついにその口から悲鳴が漏れる。

「サイラスっ!!」

 ――信じたくはなかった。

 だが、ティースの眼前に広がったのは紛れもない現実。

 サイラスの敗北は、誰の目にも明らかだった。

 技術の差でもなく。気持ちの差でもなく。ごくごく単純な、力の差によって。

 それは絶望的な、現実だった。

「貴様ぁぁぁぁぁっ!!」

 ティースが弾かれるように地面を蹴った。抜き身の剣を両手で強く握りしめる。

 水のように美しく、風のように鋭い剣身を持つ『細波』。

 彼自身も自覚していない、彼の持つ秘めた強い聖力によって、それは圧倒的な力を秘め、圧倒的な破壊力を込めて、一直線に魔の体へと向かっていった。

 だが――

「キミの方は、それ以前の技術が足りてないな」

 魔の姿はティースの眼前で消えた。

「!?」

 感じた悪寒に、反射的に地面を蹴って後ろに飛ぶ。

 直後、ティースの胸の辺りに熱い感触が走った。

「っ!!」

 かがんだ体勢から伸び上がるように滑った魔の剣先が、ティースの胸を薄く切り裂いたのだ。

「ティース……!!」

 血まみれの左肩を押さえ、サイラスがなんとか立ち上がろうともがいていた。

 だが、その出血はかなりの量だ。下手をすれば――いや、そのまま長時間放っておけば、間違いなく死に至る出血だった。

「サイラス! ……くそぉぉぉっ!!」

 ティースは再び剣を握りしめ、魔の動きに集中する。

(見える……はずだっ!!)

 完全にティースに照準を絞った魔は、畳みかけるように攻撃を仕掛けてくる。

 刃の長さはほぼ互角。だが、決して洗練されたとは言い難い剣筋は、それでも常人の枠から逸した鋭さでティースに迫った。

「――く……ぁっ!!」

 まるで風を相手にしているかのようだった。

 ただ空気を切り裂く音を頼りに、ほぼ無意識に反応する体の動きだけで受け、払い、そして避ける。

 避けきれなかった攻撃が、彼の体に無数の傷を植え付けていった。

 徐々に動かなくなってくる体。

 全身を襲う痛み……そして、

(これじゃ……どうしようもない――)

 精神的な疲労。

 ティースにはもはや為す術がなかった。

 魔に対する怒りも。

 サイラスを助けたいと願う気持ちも。

 そのすべてが、この力量差の前では完全に無力だった。

(どうすれば――)

 そして一瞬の気のゆるみ。

「!?」

 ピッ、と顔に血が飛んだ。

 同時に焼け付くような痛みが右肩を襲う。

「っ……ぁぁぁぁっ!!」

 まるで焼けた石を肩にあてられたかのよう。そこが切られたのだと認識するまでには、またもう少しの時間が必要だった。

 そのまま、地面を埋め尽くした獣の死体に足を取られ、もつれて後ろに倒れ込む。

「っ……!」

 背中に当たった冷たい幹の感触に、ほんの一瞬だけ息が詰まった。ティースの腰にぶら下げていた水筒のフタが外れ、肩から流れた血と混ざって地面に吸い込まれていく。

 剣は転んだ際に手から離れていた。

「ふふ、もう終わりかぁ」

 勝利を確信したのか、嵐のような攻撃は止んでいた。そのまま、魔はゆっくりとティースに近付いてくる。

「くっ……」

「では、身のほどを思い知りながら死ぬんだね……」

 魔が剣を振り上げた。

「っ!!」

 ティースは咄嗟の判断で、腰にぶら下げていた小袋を水に浸し、投げつけた。

「……?」

 魔がそれに気を取られた一瞬。

「なっ、これは――!?」

 その袋から突然煙と派手な破裂音が飛び出す。

 それはティースが出発間際、ファナから受け取った煙玉だった。

(今だっ!!)

 ティースは下半身に力を込めて立ち上がると、そばにあった剣を拾い上げ、真っ白に染まった視界の中、サイラスのいた場所まで駆けていく。

「ティース……」

「しっかりしろ、サイラスっ!!」

 自ら止血しようとしたのか、左の肩口と両太股は布のようなもので縛ってあったが、それでも血が止まっている気配はない。近くで見ると、傷口はかなり深かった。

 意識も、もうろうとしてきているようだ。

(ああ……)

 それを見て、ティースは激しく後悔した。

 ……あのとき、どうしてレアスの言葉にもっと耳を傾けなかったのか。自分が冷静になっていたなら、自分がもっとその言葉の意味を深く考えていたなら、あるいは命令を無視して森に向かおうとしたサイラスを引き留めることができたのかもしれないのに、と。

 だが、それは今さら考えても意味のないことだった。

「ティース……俺はいいから――」

 その言葉には耳を貸さず、ティースは剣を腰の鞘に収め、左腕だけでサイラスの体を背負う。

(悔しい……悔しいけど、でも今は逃げるしか――)

 だが、

「くっ……」

 背中の重みにティースの膝が折れる。ズキズキと右肩が痛み、そこから新たな血があふれ出した。

「くそっ……こんなことで――!」

「ティース! その怪我じゃ無理だ……だから……」

「……っ!」

 ティースは耳を貸さない。

 もちろん、彼を見捨てて自分だけが逃げるなんてこと、できるはずもなかった。

(絶対に、死なせない……っ!!)

 震える両足に力を込め、そして地面を蹴る。崩しそうになるバランスを必死に制御し、デコボコの土に足を取られそうになりながらも、ティースは懸命に走った。

「ティー……ス……」

 背中のサイラスは半分意識をなくしているようだった。が、彼はそれでも、まるでうわごとのように繰り返す。

 その目から、悔し涙を流しながら。

「くそっ……もっと……もっと強くならなきゃ……!」

「……」

 ――もっと強く。

(そうだ……もっと強くならなきゃ……)

 その言葉は深くティースの胸にも刻まれていた。

(強くならなきゃ――)

「――逃がさないよぉ」

「!?」

 背後から聞こえたのは、絶望の声。

 振り返って剣を抜くヒマもない。

(――殺される……)

 ティースは感覚でそれを悟っていた。

 すぐ背後に、凶刃が迫っている。

 一瞬の間に、さまざまな光景が走馬燈のように脳裏に走った。

(俺は……死ぬわけには――!!)

 それもまたとっさの判断だった。

 腰にぶら下げていた残りの袋をすべて、振り向かずに放り投げる。

「ちっ、また――!?」

 背後の気配が動きを止めた。

 距離が離れる。

 ……もちろんティースが投げたのは煙玉などではなく、ただの薬草が詰まった袋だ。おそらくはそれもほんのわずかな時間稼ぎにしかならないだろう。

(どうすれば……どうすれば――!!)

 ズキズキと右肩が痛む。足が地面につくたびに膝が折れそうになる。右肩は真っ赤に染まり、左肩はサイラスから伝った血でやはり真っ赤だ。それが手の方にまで伝ってきて、支える左手が何度も滑りそうになった。

(どうすれば……)

「こざかしい真似を……!」

 再び背後に迫る凶刃。

(どうすれば――)

 ――どうしようもない。

 今度こそ、逃れる術はなかった。

(ああ……)

 足がもつれる。

 ティースの体力もまた、すでに限界だった。

 闇色に染まった木々。

 体を包み込む生ぬるい風。

 見上げた空に、不気味な姿を浮かべる月。

 そして――迫り来る風切り音。

 ……ヒュッ!!

 それは絶望の音を立ててティースに迫り、そして――

「……?」

 その『風』はティースの前方――森の暗闇の奥から迫ってくると、その脇をすり抜け、地面に甲高い音を立てて着弾した。

「ちっ……」

 背後で、魔が足を止めた気配がする。

(え……?)

 魔の足を止めた鞭のようなものは、再びティースの脇をすり抜けて持ち主の元へと戻っていった。

「……ティースくん! しっかりしたまえっ!!」

 もうろうとする意識と、眼前に迫り来る地面。

 その中で、ティースは確かに仲間たちの声を聞いていた。

「2人ともひどい怪我だわ……隊長!」

「フローラ! ビビ! てめえらは2人を連れて村へ戻れ。――急げ!!」

(ああ……)

 幻覚か、現実か。

 それすらも今のティースには判断できなかった。

「仲間が来たかぁ……ほほう。今度のはちびっこいが、少しは骨がありそうだ」

「隊長……」

 ティース自身、それが言葉になっているかどうかわからなかった。

「気を付けて……そいつはサイラスも歯が立たなくて――」

「行け!!」

 燃えるような赤髪。背負った身長よりも長い剣に手をかける後ろ姿。

 そこからほとばしる、目に見えるほどの闘気。

(レアス、隊長……)

 その光景を最後に、ティースの意識は闇へと落ちてしまった――




 静まり返った森の中で、2人は対峙している。

「ふふっ……さっきの2人はキミの部下かい? ダメだねぇ、あの程度の実力でボクたちにケンカを売らせたりしちゃ」

「……」

 剣の柄に手をかけたまま、レアスはその鋭い瞳で魔をにらみ付けていた。

「おぉ、こわ」

 そんなレアスに、魔はおどけてみせた。

「ま、それぐらいじゃないとボクも張り合いがない。ようやく本気も出せそうだ」

 にやりと口元に笑みを浮かべ、血に濡れた刃をぺろりと舐める。

 ジリッ……と、レアスの足指に力がこもった。

「てめえは……地の上位族だな」

「ほぅ、よくわかったねぇ。ボクは地の上位、アベイ族のグリフィル=アベイ=ウッドワードだ。キミの名前も聞いておこうか?」

「レアス=ヴォルクス」

 レアスは答え、すぐに付け足した。

「名の由来は、『てめえを地獄に叩き落とす者』の意だ」

「ほう? それは一体どこの言葉――」

 魔――いや、グリフィルの言葉は最後まで続かなかった。

 代わりにその口からあふれたのは、

「かっ――!」

「灰になって、土に還れ。てめえには――」

 まるで世界を縮めたかのように、レアスの体はグリフィルの足下にまで移動していた。そして、その手に握られた赤銅色の刃が、グリフィルの胸を貫いている。

 ――常識を越えた、瞬発力。特訓で見せていたそれをも、はるかに凌駕するほどの――

「てめえには、地獄の炎がふさわしい……!」

 赤銅色の刃が一際赤く輝いた。

 『終末の炎』と刻まれた神剣『終炎』が、その力を解放する。

「――」

 そしてそれはほんの一瞬。まるで稲光が輝くほどの一瞬の間。

 断末魔の悲鳴が聞こえることさえもなく……グリフィルの体はレアスの言葉通り消し炭となって、跡形もなくその姿を消していたのだった。


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