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デビルバスター日記  作者: 黒雨みつき
第13話『ティースの憂鬱な日々』
128/132

その14『追及』

「この恩は忘れない。ティース。今度会うときは俺がお前の力になる。絶対だ!」

 エルバートにとって、幼少時代の一時期を過ごした集落とそこの人々はやはり特別な存在だったらしい。母親代わりのイライザと抱き合って再会を喜び、ティースとの別れ際には何度も何度も感謝の言葉を口にしていた。

 そんなエルバートの感極まった表情と、強く握り締めてきた手の平の感触を思い出し、ティースは改めて彼らの力になれたことの喜びを噛み締めていたのである。


 ――ただし、それはそれ。


(さて、どうするかな……)

 現在ティースの目の前に横たわっている問題は、その喜びを半減、いや、全滅させてしまいかねないほどに困難なものであった。

 あの戦いの後、エルレーンはすぐにカフィー隊に戻ったが、ティースとリィナの二人はキュンメルの部隊に一日ほど同行した後、カフィー隊とはあえて合流せずにネービスに向かって引き返すことにした。

 表向きの筋書きとしてはこうである。

 ジラートで不審者を追いかけ近くのラグレオ山に入ったティースとリィナは、一日余り捜索したものの結局逃げられてしまい諦めてカフィー隊を追う。しかし作戦地点の近くに来たところで作戦の失敗と、カフィー隊が入れ違いですでに退却したことを知り、自分たちも引き上げた――と。

 カフィー隊とあえて合流しなかったのは、自分たちのネービスへの到着をなるべく遅らせるためである。これはティースの左手に押された魔印が時間の経過によって消えることに期待したものであるが、魔印の効果は最低で一週間、長ければ数ヶ月といわれており、ネービスまでの道のりはせいぜい一週間余りだ。それが非現実的な望みであることはティースにもわかっていた。

 さらには。

「二人ともお疲れ様。怪我はない?」

 ティースのそんな淡い希望も、すぐに完膚なきまでに打ち砕かれることとなった。

 引き上げを開始して三日目の夕方。この日の宿を取るためにジラートの街へ入ったティースとリィナの二人は、そこで予想外の出迎えを受けることとなったのである。

「……え?」

 “この先ジラート”と書かれた古びた案内板の前を通り過ぎ、緩い傾斜の下り坂の途中。西日を背に受けながら地面に伸びる影をなんとなしに眺めながら歩いていたティースは、聞き覚えのある声に顔を上げそして驚きの声を口にした。

「な、なんでお前、ここに?」

 ティースの視線の先には、ルーベン隊と行動をともにし、とっくにネービスに引き返しているはずのシーラが立っていたのである。

 約二週間ぶりの再会だった。

 シーラは西日が眩しいのか額に軽く手をかざしながら、

「なんでって? お前とリィナが近くまで来てるって聞いて、わざわざ迎えに来てあげたんじゃない」

「い、いや、そういうことじゃなくて……」

 ティースの戸惑いは当然であった。彼とリィナは今、引き上げたカフィー隊を追いかけるように動いていたのだ。もともとカフィー隊の後方を進んでいたルーベン隊はそのさらに先にいるはずで、すでにネービスまで引き上げていてもおかしくない頃合なのである。

 あるいはシーラだけがここに残り、わざわざ自分たちの帰りを待っていたのだろうか――と。しかしそんなティースの想像は、シーラのすぐ後ろに立っていたネスティアスの隊員らしき少女の存在によって否定された。

「ナタリーです。はじめまして」

「あ、よろしく……」

 ティースには見覚えのない顔だったが、その少女がルーベン隊の隊員であろうことは容易に想像できた。それはつまり、ルーベン隊がこのジラートにまだ滞在しているということを示している。

「二人ともすごい格好よ。まずは宿に行きましょう」

 シーラはそう言って、戸惑うティースたちを先導するように歩き出した。

 ティースはリィナと顔を見合わせ、とりあえずその後を付いていくことにする。

 案内された先――ジラートでもおそらく一番大きいであろうその宿の周りには、やはりネスティアスの隊服に身を包んだ者が複数名いた。

 さらには、シーラと一緒にいるナタリーという隊員が、ここ数日間、常にシーラと行動を共にしていたということも判明する。

 その時点でかなり嫌な予感がティースの胸を過ぎっていた。知らぬうちに外堀をすべて埋められていたのではないかという、そんな予感である。

「おかえり、ティース。リィナもおつかれさま」

 シーラに案内されて入った宿の一室にはエルレーンの姿もあった。話を聞くと、カフィー隊とともに入ったこのジラートでやはりシーラに迎えられ、そのままこちらに合流したとのことだった。

 そんな説明を簡単に聞きながら、ティースは部屋の中を見回す。

 室内にはベッドが三つあり、置いてある荷物もどうやら三人分だった。シーラとエルレーン、そしておそらくはナタリーのものだろう。

 そして、部屋の入り口で立ち止まっていたナタリーが言った。

「ティーサイト様。お疲れだと思いますが、戻ったら部屋にお呼びするようにとサイア様から言い付かっています。荷物を置いたらご同行を願えますか?」

 ティースはナタリーを振り返って、

「わかりました。えっと……俺だけですか?」

「はい。ティーサイト様お一人をお連れするようにとのことです」

「わかりました。じゃあ……」

 やはり来たか――と、ティースは神妙にうなずいて、荷物を部屋の隅に置いた。

 今回カフィー隊と行動をともにしたとはいえ、ティースたちの依頼主はサイアである。その彼女が作戦行動の報告を求めてくるのは当然のことだ――が、しかし。ここまでの状況を振り返ると、単なる報告をさせるために呼びつけたものとは考えにくかった。

 何が目的なのかはわからない。ただ、サイアは間違いなく、ティースが<人魔>たちに協力したことを追及してくる腹づもりだろう。

(さて、どうするかな……)

 リィナやエルレーンとの口裏合わせは済んでいるし、一応は筋の通った表向きのシナリオもある。ただ、それを証明するものはもちろんないし、サイア側はおそらく魔印章を持ち出してくるだろう。ネービスまでの時間稼ぎもできなかったし、ティースの左手の魔印が消えている可能性は限りなくゼロに近い。

 どう考えても、言い訳のできない状況だった。

(……いずれにしろ、腹をくくるしかないか)

 もちろんルーベンとの契約を交わした時点でティースの覚悟はできていた。

 一応、証拠がないとはいえルーベンもカフィーと剣を交えたことは公にできないはずだから、もしかしたらその辺りに突破口が見つかるかもしれない。

 そしてティースはいざとなれば、ディバーナ・ロウに害が及ばぬよう、すべて自分の独断行動だと言い張るつもりでいた。

 と。

「ねえ、ナタリー?」

 そんな風に覚悟を決めていたティースの横で声が上がる。

「部屋に呼べといっても、一服するぐらいの時間はあるんでしょう?」

 と、シーラがサイドテーブルのティーポットにお湯を注ぎながら尋ねた。

「え? ……あ、ええ。もちろん五分や十分なら大丈夫だと思いますけど」

「じゃあ少し時間もらえる?」

「いいですよ。じゃあ準備できたら呼んでください」

 ナタリーはあっさりと了承し、部屋の外に出て静かにドアを閉めた。

 ありがと――と、シーラは小さくつぶやいて、

「エル。お茶の時間見ててね」

「うん。任せて」

 うなずいたエルレーンに小さく微笑みかけ、シーラはティースの目の前まで来ると、

「ほら、脱いで」

「……え? なにを?」

「上着に決まってるでしょ。お前そんな汚い格好でサイア様の前に出るつもり?」

「あ、ああ……」

 なるほど――と思いながら、ティースはのろのろと上着を脱いでいく。

 しかしすぐに、

「ほら。時間ないんだからモタモタしない」

「うわっ!」

 シーラはティースの上着を強引に剥ぎ取ると、部屋の入り口にあったカゴにそれを放り込んだ。

 さらにティースのシャツの襟元に顔を近づけて小さく鼻を鳴らす。

「お、おい、シーラ……」

 突然の接近にティースは大いに動揺したが、シーラのほうは気にした様子もなく、

「あら、途中の宿でちゃんと洗ったみたいね。リィナがついていたおかげかしら」

 そう言って襟元から手を離した。

 どうやら身ぐるみをすべて剥がされる危機は回避できたようだ。

 しかし安堵する間もなく、

「ほら、少し屈んで。無駄に背高いんだから」

 と、シーラは桶の水に浸してあった手ぬぐいを絞り、手早く、やや強引にティースの顔を拭っていく。

「無駄ってお前……うぷっ」

 反論は手ぬぐいで物理的に封じられてしまった。

 一通り顔を拭き終わると、今度は櫛でティースの髪を二、三度梳いて、

「はい、終わり。じゃあ座って。リィナもね」

「あ、はい」

 そうしてティースはリィナと揃って部屋の隅にあった二人用のテーブルに座らされた。

 そこへエルレーンが、トレイに載せたティーポットとカップを二つ運んでくる。

(なんなんだ、一体……)

 ティースは少々困惑しながら、盗み見るようにシーラの表情を観察した。

 あるいはここまで何も連絡しなかったことを怒っているのかと思ったが、少なくとも表情からそういう感情は読み取れなかった。少し澄ました、いつもどおりの彼女である。

(そういやシーラのやつ、エルから事情聞いてるのかな……)

 部屋の入り口にちらっと視線を送る。ドアは一見閉まっているようだったが、微かに隙間が空いていた。ナタリーの気配もそこに残っている。

(……あの子がずっと一緒にいたとすると、無理か)

 もちろんエルレーンもその辺はわきまえている。となると、シーラが聞いたとすれば“表向き”の行動のほうだけだろう。

(本当のこと話したらまた怒られそうだけど……)

 そんなことを考えながら、ティースはエルレーンが注いでくれたティーカップに口をつけた。

 そして、

「っ……ごほごほっ!」

 咳き込む。

「な、なんだこれ?」

 思わずカップの中を覗き込む。

 ティースはいつもどおりの紅茶だと思い込んでいたのだが、カップに入っていたのは紅色ではなく薄い緑色の液体だった。味も香ばしいというよりは苦味が強く青臭い。

 正面を見るとリィナもやや表情をゆがめていた。

 どうやらティースにだけ用意された罰ゲームというわけではなさそうだ。

「なに? ……ああ、そのお茶のことね」

 無言で疑問の視線をぶつけると、シーラは思い出したように言った。

「私の実験作。一応、滋養強壮効果を狙って調合したものなんだけど、やっぱりおいしくなかった?」

「……お茶っていうか、薬そのものって感じがするよ」

 ティースが正直にそう答えると、シーラは事も無げに、

「まあ仕方ないわね。原料を考えたらそれでも飲みやすくなってるほうなのよ」

「そ、そうか」

 何が使われているのか尋ねる勇気はティースにはなかった。

 さて、どうしたものか――と、液体をカップの中でくるくる回していると、シーラがじっと顔を見つめてくる。どうやらさっさと飲めということらしい。

(……仕方ない)

 ティースは腹を決め、少し冷めた頃合を見計らって一気に飲み干した。

「……げふっ。ごちそうさま」

「お粗末様。……リィナ。ダメなら無理しなくていいわよ」

 小さくうなりながらカップとにらめっこしているリィナを見てシーラが苦笑する。

「うぅ……すみません」

 超のつく甘党のリィナにとって、どうやらこの苦味は許容範囲を越えていたようだ。

(っていうか、なんで俺には同じこと言ってくれないんだよ……)

 と、ティースは顔をしかめて口に残った苦味と格闘しつつ、

(……あれ。でもなんか、確かに体のだるさが取れた、かな?)

 効果がさっそく現れたのか、あるいは強い苦味が意識を覚醒させただけか。体に力が戻ってくるような感覚があった。

 そして、ふと思い出す。

「なあ、シーラ。実験作って言ってたけど、これってお前のオリジナルなのか?」

「そうよ。どうして?」

「あ、いや。……なんか同じようなものをどっかで飲んだような気がしてさ」

 うーん、と、ティースは思い出そうとして天井を見上げる。

 はっきりとした記憶ではなかった。気のせいかもしれない。

 ただ、

「ふぅん」

 シーラはそんなティースの言葉に少し興味深げな顔をする。

「だったら口にしたことがあるんじゃないの?」

「え? いや、でもこれ、お前のオリジナルなんだろ?」

 これだけの強烈な苦味だ。同じ彼女が入れたものなら覚えてないはずがない。

 しかしシーラは当たり前のような顔をして、

「私は神様じゃないわ。原料から創造したわけじゃないし、似たようなものを使えば似たような味になるでしょ」

「ああ、それもそうか」

 その言葉に納得して、ティースはティーカップをソーサーの上に戻した。

 時間を見ると、部屋に入ってからちょうど十分ほど経過している。

「……よし」

 ティースは緩んでいた緊張の糸をもう一度張りなおして立ち上がった。腰に下げていた<細波>を鞘ごと外してエルレーンに預け、シャツの襟元を軽く正す。

「じゃあ行ってくる」

 決意のこもったティースの言葉に、おそらくはサイアの呼び出しの意図を理解しているリィナとエルレーンはわずかに表情を引き締め。

 それを知らないシーラはいつもどおりの涼しい顔で、

「失礼のないようにね」

 と、まるで保護者のような態度でティースを部屋から送り出したのだった。




 ナタリーに案内されてティースが向かったのは、同じ宿の一階にある奥まった部屋。特別な客人を迎えるために用意された一室だ。途中でナタリーから二つ三つ、主にシーラの話題を振られたが、ティースの頭の中はこの先のことでいっぱいで、返したのはほとんどが生返事だった。

 そうして二人が部屋の前まで来たところで、

「しらばっくれるんじゃねえッ!!」

 部屋の中からものすごい剣幕の怒鳴り声が聞こえた。

 ティースが驚いてナタリーを見ると、彼女も困惑したような顔をしている。

 中からはさらに言い争うような声が続いていた。

「……」

 ナタリーは一瞬困った様子だったが、首をかしげながらもドアをノックする。

「あの……サイア様? ティーサイト様をお連れしました」

 すると部屋の中の声がピタリと止み、やがて、

「入れ」

 冷静なサイアの声が返ってきた。

 ナタリーがちらっとティースの顔を見て、失礼します――と、ドアを開ける。

 広い部屋の中、正面には相変わらずの白いドレスと赤い髪のコントラストが印象的なサイアが背もたれつきの高価そうな椅子にどっしりと座っていた。その左右にはいつもどおり双子の侍女が控えている。

「来たか。ナタリー、そなたは下がっておれ」

 そんなサイアの斜め前方、ティースから見ると左手のほうに、ディグリーズの黒い制服に身を包んだルーベンが立っていた。

 そして――そのさらに手前。

 部屋の入り口に立つティースの目の前には、背中を向けたディグリーズの黒い制服があった。

 肩越しに振り返ったその男の顔は――

「……」

 あっ、と、思わず声をあげそうになるのをこらえ、ティースはどうにか平静を保つ。

(……カフィーさん)

 そこにいたのは顔の半分ほどに包帯を巻き、隙間から覗いた目を真っ赤に血走らせたカフィーだった。どうやら先ほどの怒鳴り声は彼のものだったようだ。

(でもどうして? カフィー隊は先にネービスに引き上げたはずじゃ――)

「ちっ……」

 カフィーは苛立たしげにティースを睨みつけたがそれほど興味を寄せた様子はなく、再び正面のサイア――いや、ルーベンのほうに向き直った。

「とにかく答えやがれ! てめえ、作戦中は隊を離れて別行動してたらしいじゃねえか! どこでなにしてやがった! ……答えろッ!」

「……」

 苛烈なカフィーの追及に、ルーベンは表情一つ変えずにため息をついて、

「その話を聞いてわざわざここまで引き返したんですか? 酔狂ですね。……ああ、ティースさん。すみませんけど少し待っててください。すぐ終わりますから」

「……はい」

 ティースは静かに部屋の隅に移動した。

 そうしながら状況を観察する。

 カフィーはかなり興奮しているようで、今にもルーベンに挑みかかりそうな勢いだった。

 対するルーベンはいつもと変わらぬ涼しい顔。

 そしてサイアは、そんな二人を黙って見つめていた。といっても、ディグリーズ二人の喧嘩に困っているという様子ではない。それどころか笑っている――と思ったのはティースの目の錯覚だったが、余裕をもって成り行きを見守っているという雰囲気だった。

(……そうか。カフィーさんは気づいたんだ。あのとき戦ったのがルーベンさんだったんじゃないかって……)

 決して不思議ではない。ディグリーズであるカフィーと互角の実力を持つ存在というだけでかなり絞られるし、あのときの相手が<人魔>ではなく人間だったという可能性に思い至れば、その結論に辿り着くのも難しくはないだろう。

 そしてカフィーがその仮説に辿り着いたことは、ティースの置かれた状況がさらに悪化したことも意味していた。

 今のところカフィーの興味はルーベンのみに注がれているようだったが、それが証明されると、その場にいたもう一人がティースだったと気づく可能性も高い。サイアやルーベンの目的がはっきりしていない現状にあっても、カフィーにそれを知られることこそがディバーナ・ロウにとって最悪であることは、ティースにもわかっていた。

 しかしそんなティースの心配をよそに、ルーベンはカフィーの問いかけに淡々と答える。

「カフィーさん。あなたがなにを疑っているのかはわかりませんけど、私はただ何人かの部下と先行しただけです。あなたの隊が予定を早めて移動することを見越して念のため。まあ、結局あなたが予想以上の速さで進軍したので意味ありませんでしたけど」

「ふざけんなよ……てめえ。俺の評価を落とすために、わざわざ変装して俺の作戦の邪魔をしやがったんだろうが!」

「意味不明ですし、言いがかりもはなはだしいです。作戦の失敗が悔しいのはわかりますが、幸い隊員の中に死者はいないようですし、また挽回すればいいじゃないですか」

「っ……てめえ!」

 そんなルーベンの言葉はティースにはごく普通に聞こえたが、ディグリーズの内部事情を知る者が聞けばこれ以上ないほどの嫌味だとわかっただろう。<双龍棍>の力で現在の地位まで登り詰めたカフィーが、その魔導器を失って名誉を挽回することなどほぼ不可能なのだから。

 そしてカフィーの怒りは頂点に達したようだ。

「調子に乗りやがって! いい気になるんじゃねえぞ、ルーベン! てめえがやったのは反逆行為だ! ただで済むと思うな!」

「だから言いがかりですって、カフィーさん」

「だったら――」

 と、カフィーは拳を震わせながら言った。

「その右袖をまくってみせろ! 肘から肩にかけて、俺が負わせた傷が残っているはずだッ!!」

「!」

 ティースはハッとした。

 カフィーの言い分は、事実がどうであれ証拠がない限りはただの言いがかりにすぎない。しかし、ここでカフィーの言うとおりの傷跡が出れば話は別だ。

 そしてティースは、ルーベンの右腕にその傷があることを知っていた。

 あれだけの深い傷にあの出血量。たったの三日で治るようなものではない。ルーベンは別件の傷だと言い張るかもしれないが、かすり傷とはとてもいえない切創だ。どこでどのようについたのかと追及されれば苦しくなる。

 いったいどうするつもりなのか――と。

 しかし、

「いいですよ。どうぞ」

 ルーベンは特に動揺した様子もなく、あっさりと右腕の袖をまくった。

 すると――

(……え!?)

 ティースは驚く。

「傷ってのはどれのことです? 私の記憶にはないですけど」

 言葉通り、袖口から覗いたルーベンの腕には傷どころか染み一つ見当たらなかった。

「な……!?」

 驚愕したのはカフィーも同じだ。

 目を大きく見開き、ルーベンの腕と顔の間で何度も視線を往復させる。

 ルーベンは右腕をカフィーのほうに向けて軽く揺らしながら、

「信じられないならどうぞ、触って確かめてください。別に白粉で隠したりもしてませんし。あ、生白いのはもともとです。肌が弱いのであまり日光に晒せないんですよ」

「……!」

 カフィーの歯軋りの音が聞こえた。

 近づいて確認するまでもない。あのときルーベンが負ったはずの傷は白粉なんかで隠せるようなものではなかった。それはティースだけでなくカフィーもわかっている。

(……どういうことなんだ? あのとき確かに……)

 ティースは二人のやり取りを傍観しながらも、必死に記憶の糸を辿っていた。

 だらりと垂れ下がった右腕、袖をどす黒く染めた血は地面にも滴るほどの量だった。もちろん血ノリなどではなかったし、あの場面で怪我を装う必要はないだろう。戦っていたカフィーがそれで大怪我を負わせたと勘違いするとも考えにくかった。

(じゃあ……?)

 どう考えてもあの怪我を三日で完治させる方法などあるはずもなく――そうしてティースの頭の中で導き出されたのは一つの仮説。

(あの人は、本当にルーベンさんじゃなかった……?)

 にわかには信じがたい。が、改めて考えてみると、確かにティースも彼の正体がルーベンだという明確な証拠はもっていなかった。状況やその実力から該当するのが彼しかおらず、そうに違いないと信じ込んでいただけである。

 限りなく確信に近い、しかし確実ではない推定。

 ……それが間違っていたということだろうか。

(けど、もしそうだとすると、あの魔印章は……?)

「もう満足したか? カフィーよ」

 冷淡な声が室内に響いてティースは顔を上げた。

 声の主はサイアだった。

「ならばそなたは早々に退室せよ。私はティーサイトからの報告を聞かねばならんのでな」

 ほぼ無表情だったが、やはりティースには彼女が薄い笑みを浮かべているように見えた。

 それはまるで――勝者の笑み。

「くっ……」

 怒りに身を震わせていたカフィーだったが、右腕の傷という切り札を失って仮説を証明する手段を失ったのだろう。唇を噛み締めながら踵を返すと、横に控えていたティースを一瞥もせずに部屋を出て行った。

 バタン、と、勢いよく閉じたドアを見つめながら、ティースはごくりと唾を飲み込む。

 もちろんカフィーに対する同情などはなかった。ネスティアスの一員とはいえ、彼は<双龍棍>の力を使って力の弱い<人魔>たちを好んで討伐していたという。中には人間に危害を加える<人魔>たちもいただろうが、今回のように罪のない者たちも数多く含まれていたはずだ。そんなカフィーが力を失ったことはむしろ歓迎すべきことだろう。

 しかし――

「さて、ティーサイト。報告を」

「……」

 カフィーに向けられたものと同じく冷たい追及の手が、これから自分に対しても向けられるのかと思うと、もちろんティースの心は平静ではいられなかったのである。

「はい。サイア様――」

 それでもティースはどうにか動揺を隠し、サイアの正面に歩み出て畏まると、予定通り表向きの報告を淡々と述べていった。

 そうしながら、心の内では疑問の解消に努める。

 動かぬ証拠であるはずの右腕の傷がルーベンになかった以上、あのときの男とルーベンは別人だったと考えるべきなのだろう。それ自体は大きな問題ではない。むしろ絶対的な証拠である魔印章が相手の手の内になく、そもそもサイアやルーベンが何かを目論んでいるということさえ勘違いだったという結果さえ考えられるだろう。

 しかし、いくらティースといえども、いきなりそこまで楽観的になれるはずもなかった。

 そもそも、この状況に至ってもなお、ティースはあのときの男とルーベンが別人だったなどとは信じられなかったのである。

 そしてもちろん――その懸念は現実のものとなった。

「ところでティーサイトよ」

 表向きの報告を黙って聞き終えたサイアが、ひじ掛けに手をかけて軽く身を乗り出す。

「実は非常に気になる情報が入っていてな。先ほどのカフィーではないが、そなたがこのジラートでカフィーの隊を離れた後、密かにヴァンスの隠れ家とされた集落に先回りして、彼らの逃亡の手助けをしたのではないか、という密告だ」

 やはり――と、ティースは動揺を押し込めて答えた。

「なんの話ですか? 私たちディバーナ・クロスの行動は申し上げたとおりです。作戦地点には――到達すらしていません」

 魔印の存在が脳裏を掠めて一瞬ためらったが、ティースは結局そのまま言葉を続けた。もしも魔印章があちらの手の中にあれば、言い訳はそもそも無意味だ。ならば、そうではない可能性に賭けて貫き通すべきという判断だった。

 そうして一度ルーベンのほうを見たが、特に大きな動きはない。

 そしてサイアは予想通りという顔をして、わずかに乗り出していた体を戻し椅子に深く腰を下ろした。

「ふむ。……では少し世間話をしようか、ティーサイト。<魔>という存在について」

「……世間話、ですか?」

 ティースが困惑して顔を上げると、サイアは笑みを浮かべていた。

 今度は錯覚ではない、正真正銘の微笑だ。

「そなたの部下のシーラとも似たような話をしたのだがな。私は<魔>のすべてが駆逐すべき存在だとは考えていない。特に<人魔>たちには人間と同じような感情があるし、善人もいれば悪人もいる。力があるということを除けば、彼らは隣国の住人となんら変わりがないのだ。……この点にそなたは賛同できるな?」

「……」

 ティースは一瞬躊躇した後で黙ってうなずいた。

 サイアは淀みなく続ける。

「この思想は確かにマイノリティだが、かといって極端に少ないわけでもない。かくいう私もその中の一人だし、先代のミューティレイク公もそうだった。<魔>についての知識を多く持つインテリほどにこの傾向は強いのだ。……ではなぜ、インテリが大半を占める為政者の多くが<魔>を絶対悪と設定し、彼らを区別なく駆逐しようとするかわかるか?」

「……いいえ」

 少し考えてティースは首を横に振った。まったく思い当たらなかったわけではないが、深く考えたことがなく、自信がなかったゆえの無回答だった。

「そうか」

 サイアも別にティースの回答を期待していたわけではないようで、

「簡単にいえば彼らを受け容れると政治が成り立たないからだ。生き物というのは天敵がいない環境と充分な食糧を与えれば勝手に数を増やしていくもの。これが人間であれば多少増えてもなんの問題もないが<人魔>となると話は違う。なぜなら――」

「力を持っているから……ですか?」

 ティースが思わず口を開くと、サイアは小さくうなずいた。

「そうだ。この世界の人間と<人魔>の間のパワーバランスは、圧倒的な数の差と、そこから生まれる一握りの特別な才能――そなたらデビルバスターの力によって保たれている。三百年前にヴォルテスト条約が作られて人間同士の戦争がほとんどなくなったのも、こちらの世界で数が増え始めた<人魔>たちに対抗するためだ。それ以来、為政者たちは<人魔>たちの天敵となることでこのバランスを保ってきた。善悪ではなく政治の手段としてな」

「……」

 ティースにも理解できない話ではなかった。

「もし為政者たちがそれをやめたら<人魔>たちは急激に数を増やし、近い将来この世界を牛耳ることになるだろう。……私はこう考えているのだ、ティーサイト。数十人の善良な<人魔>たちをあえて殺す必要はもちろんないが、善悪入り混じった数百人の<人魔>は数を削らなければならない。たとえその中に多くの善良な者が混じっていたとしてもな。そう、ちょうど農家が健康な苗をも間引いてしまうように」

 ああ、そうか――と、サイアのその言葉でティースはようやく悟った。

 サイアが言う数十人の善良な<人魔>は今回の標的となった集落の人々のことだろう。つまり彼女は今回の敵が悪名高いヴァンスの隠れ家ではないとわかっていた。そしておそらくは、今回の作戦が失敗しても構わないと考えていたのだ。

 討伐されれば善悪入り混じった数百人の一部であり、されなければ善良な数十人として考えればいい。そういうことだろう。

 そしてそれは、やはり彼女には作戦とは別の思惑があったという事実を示している。

「……サイア様」

 思わずティースは問いかけた。

 不用意なことを言ってはいけないのはわかっている。が、どうしても質問せずにはいられなかった。

「そのお話は、間引かれる苗に人間と同じ心があったとしても、ですか?」

「……そうだな」

 サイアはティースの問いかけを待っていたのか、微かに笑みを浮かべて満足そうな顔をした。

「私は必要以上に<魔>を駆逐しようとは考えていないし、抑えのきく範囲であれば<魔>を受け入れることについても否定しない。父上や兄上に比べればそなたらに近い考えのはずだ。……しかし私はネービス公の娘であり人間の為政者側の一員。領民を守るためにやるべきことはやらねばならぬ。そういうことだ」

「……」

 ティースは黙り込んだ。

 政治に疎いティースでもサイアの言いたいことはわかる。同じ心を持っていても、人間と<人魔>の間には埋めがたい能力差があるのだ。大局を見て物事を判断しなければならない為政者たちが人間と<人魔>を区別するのは当然のことだろう。

 ただ――そのやり方にティース個人が共感できるかどうかといえば、それはまた別の話だった。

「……少し話が長すぎたか」

 無言で考え込んだティースを見て、サイアはふと我に返った様子で小さく咳払いをした。

「今の話はな、ティーサイト。そなたが自棄を起こさぬようにと、そしてできれば私の考えに賛同し、少しでも積極的に協力してくれることを願ってのものだ。……ルーベン」

「はい」

 呼びかけにルーベンは静かにサイアの横に歩み寄ると、懐からあるものを取り出した。

 表面に呪文のようなものが浮かんだ、見覚えのある筒状のシルエット。

 そして、

「ティーサイト=アマルナ」

 黙ってそれを見つめるティースに、サイアは宣告するように言ったのだった。

「私はこれからそなたを脅迫する。素直に従えばよし。だが、従わなければそなた自身はおろか、ディバーナ・ロウにも連座の罪が及ぶであろう。ネスティアスの作戦を阻害し<魔>に組した反逆者として、な――」

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