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デビルバスター日記  作者: 黒雨みつき
第13話『ティースの憂鬱な日々』
125/132

その11『炎龍胆(ヒートボディ)』

 止まれ、止まれ――

 ティースは呪文のようにその言葉を心の中で繰り返した。

 途切れ途切れに聞こえる悲鳴と怒号。背後ではパチパチという火煙が空を焦がし、橙色の光が薄暗い森をゆらゆらと照らしている。

 カフィーの<魔導器>から生まれた二匹の龍の炎弾は背後の森の広範囲を焼いていた。自然の炎とは違って燃え広がっていくようなことはないはずだが、着弾地点に立っていた者はもちろん無事では済まないだろう。

 そしてその付近にはリィナや<人魔>の集落の人々がいたはずだ。先ほど引き返していったエルレーンも合流している頃合だろう。

 本来であればすぐにでも踵を返して状況を確認するべきだった。

 しかし。

(落ち着け。早まるんじゃない……)

 ティースはそんな逸る気持ちを必死に押し殺していた。

 ギリッと奥歯を噛み締めながら睨んだ視線の先には、余裕の表情のカフィーが立っている。

 ティースがここで背を向けたときにカフィーが次にどういう行動に出るのか。それを想像すると、ここで軽率な行動を取ることはできないという考えが生まれた。

(……冷静になれ。冷静に考えるんだ)

 一つ、大きく息を吐く。

 攻撃直前の発言から察するに、カフィーはリィナたちの居場所を正確に把握していたわけではないようだ。つまり先の攻撃はただの当てずっぽうに過ぎない。実際、ティースが彼らと別れた場所、経過した時間、移動速度などから推測する限り、少なくとも二発の炎弾は彼らに完全に直撃したというわけではないようだった。

 とはいえ、一部に被害が出た可能性はもちろんあるし、そうでなくとも次の攻撃への恐怖からパニックになっていることは間違いない。

 だが、それでも――。

 ティースは視線だけをちらっと上空へ向けた。

 地上を見下ろす二匹の炎龍。彼らは消えることなく今もそこに鎮座している。即座に次の攻撃に移る気配はないが、数十秒か、あるいは数分後か、準備が整い次第、再びあの顎から炎弾が放たれることになるだろう。

 視線を下ろして再び正面を見据える。

(……だったら今やるべきは、次の攻撃をなんとしても防ぐことだ)

 それが結論。

 ティースが引き返したところで、どのみち上空から降り注ぐ炎弾を完全に防ぐ手立てはない。リィナの力を借りた<聖女の結界>で一度や二度は防げるかもしれないがそれでは焼け石に水だ。

 ならば、その大元であるカフィーを止めるしかない。

 ティースはそう判断したのだった。

 鞘に収めたままの愛剣<細波>をゆっくりと眼前に持ち上げ、全体に巻きつけていた包帯をはがしていく。

 それはネスティアスの隊員たちを必要以上に傷付けないためと、剣の意匠から正体がばれるリスクを回避するための工夫だったが、次の相手は明らかにティースよりも格上の存在だ。鞘に収めた剣でハンデを負って戦える相手でない。多少のリスクは覚悟の上だった。

 一呼吸置いて、鞘から<細波>の瑞々しい剣身を抜き放つ。

 その動きを見たカフィーの眉がぴくりと動いた。

「もうやんのか? もう少し花火見物をさせてやろうと思ってたんだがな」

 そう言いながら抜き身の剣先をティースのほうへ向ける。幸い<細波>の意匠に興味を向けた様子はない。

 わずかに安堵しつつ、ティースは肺の奥から深く深く息を吐き出した。

 集中。

 高めていく。

 ネスティアス最強の十人――ディグリーズ。

 こうして対峙するのはもちろん初めてのことだが、ティースはかつてその一員であるリゼットとクインシーの手合わせを間近で見たことがあった。当時はまだデビルバスターになる前で、ティース自身はもちろんそこから大きく成長していたが、それでもまだそこに手が届いているとは思えない。

 相手が違うとはいえ同じディグリーズの一員だ。

 まともにやり合っても勝てる可能性は低いだろう。

(できるだけ時間を稼ぐんだ……)

 幸いにして敵は一人である。ティースがカフィーの気を散らして<魔導器>の操作を妨害し続けることで、その隙に状況を察したリィナやエルレーンが集落の人々を逃がしてくれるだろう。

 問題は百人近い人々を逃がすのに、どれほどの時間を稼げばいいのか、だが――

(……それでも今はやるしかない!)

 短く息を吐いて、ティースは地面を蹴る。それを見たカフィーがその場で剣を構えた。

 一気に距離が詰まっていく。

 カフィー隊が夜営していたこの一角は、自然のものか人の手によるものか、ほとんど障害物がなく足下もわずかな傾斜がある程度だ。夜の闇に包まれているはずの森は上空の炎龍に明るく照らされており、視界もそれほど気にする必要はない。

 全力を出せる環境だった。

「穏やかに凪ぐ風よ――」

 距離を詰めながら、ティースは<細波>の力を解放する。<風の刃>だ。剣の周囲で一瞬渦を巻いた風が、鋭利なナイフのようになってカフィーを目掛け飛んでいく。

「子供だましを」

 カフィーはまったく動じることなくそれらを打ち落とした。もちろんそれはティースにとっても想定内。速度を緩めることなくさらに距離を詰めていく。

 カフィーは少し意外そうな顔をした。

「<人魔>の分際で、生意気にも剣士の真似事か?」

「……」

 ティースは無言のまま初撃を振り下ろす。

 甲高く、不快な金属音。

 二人の剣が交差し、互いに弾かれる。

「っ……」

 手の平に伝わる重い感触。

 しかしティースはそこに若干の手ごたえを感じていた。

(パワーの差はない。いや、少し有利か……)

 勢いをつけて斬りかかっていったティースと、受ける形になったカフィーの体勢の差も多少は影響しているだろう。ただ、それを考慮しても、筋力及び<心力>によるパワーの総合値は僅かながらティースが上回っているようだった。

 もちろん、小柄なカフィーに対して二十センチ近く身長に勝るティースがパワー面でアドバンテージを持つのは当然だし、それだけで戦いの優劣をひっくり返せるほどの差でもない。ただ、デビルバスター試験以来ちょっとした“パワーコンプレックス”に陥っているティースには多少なりとも勇気づけられる事実であった。

 すぐに少し間合いを広げ、呼吸を整える。カフィー側からの攻勢にも備えたが、向こうからしかけてくることはなかった。

 どうやら強気な性格とは裏腹に戦いに関しては慎重なスタイルのようだ。

 もちろん時間を稼ぎたいティースにとっては好都合。

 一呼吸置いて再び前へ。

 今度は二合打ち合い、再び間合いを開いた。

 ヒット、アンド、アウェイ。

 ティースはそれを繰り返していく。相手の必殺の間合いには決して踏み込まない。カフィーに攻撃するというより、<魔導器>に集中できないよう周囲に剣戟の雑音をまき散らしていった。

 とにかく長期戦に持ち込むことだ。

 ティースにはパーシヴァルほど無尽蔵なスタミナがあるわけではないが、様子見程度の打ち合いなら一時間でも二時間でも続けられる自信がある。

 とはいえ。

 そうそうティースの思惑通りに事が運ぶはずもなく――

「……いつまで剣士ごっこを続けるつもりだ?」

 本気で打ち込んでこないティースに、カフィーはやがて苛々し始めた。

 ヒュッ――と、鋭い突きがティースの胸に伸びる。

「!」

 とっさに剣のつば付近で受け、軌道を変えるとともに体を横に捌く。

 胸先数センチを白刃がかすめていった。

「っ……」

 大きく飛びのいて間合いを取る。追撃に備えて剣を構えたが、カフィーは追ってこない。

 一拍置いて、冷や汗が背中を流れた。

(……危なかった)

 油断していたわけではないが、相手が相手だ。些細なミスが命取りに繋がる。

(でも――)

 呼吸を整えるべく少し長めの間を取った。

「<人魔>の使う剣にしちゃ悪くねぇが……」

 カフィーはそんなティースに対し、片手で持った剣の切っ先を向けて挑発するようにゆらゆらと小さく揺らした。

「いい加減本性を見せやがれ。舐めた真似してると本気出す前に真っ二つにしちまうぞ」

「……」

 ティースはそんなカフィーを無言で睨み返しながら、

(……まず、ここまでは思い通り)

 一つ息を吐いた。

 どうやらティースを<人魔>の一味だと信じ込んでいるカフィーは、目の前の敵が“本気”――つまり<魔>としての力を温存して戦っていると思っている。剣を武器として使う<人魔>は珍しくはないが、それだけで戦う者はほとんどいないからだ。

 そしておそらく、今のカフィーはティースのことを“思ったより手ごわい相手”と感じていることだろう。曲がりなりにもデビルバスターであるティースの実力に、ありもしない<人魔>としての力を上乗せしてイメージしているのだから当然だ。

 向こうからしかけてこないのは余裕を見せているわけでも遊んでいるわけでもない。隠している(と思い込んでいる)ティースの力を測りかね、それを警戒しているのだ。

 もちろんティースはそんな力を隠してなどいないし、カフィーを殺すつもりがないということ以外はすでに全力である。

 ただ、カフィーの勘違いによって戦闘時間が延びてくれるのはティースにとって願ってもないことだった。

 最初の攻撃にあえて<風の刃>を使ったのも、<魔>の力をカフィーに印象付けるため。

 いわゆるハッタリである。

「……ちっ」

 再びしかけていくと、カフィーは舌打ちしながら後ろに下がった。

 そろそろ痺れを切らすかと思っていたが、どうやらカフィーはティースが思っていた以上に慎重な性格のようだ。

(それにしても――)

 それと、もう一つ。

 ティースにとって“予想以上”のことがあった。

(……あのディグリーズ相手に、思ったよりも戦えてないか、俺)

 彼がこういうことを感じるのは非常に珍しい。このティースという男はもともと自己評価が常に低めに設定されている人間であり、相手を過大評価する傾向も強い。互角の相手なら間違いなく自分が劣っていると感じてしまうし、相手が上ならやっぱり強いなあと感心してしまうような性格だった。

 しかし今回は相手がディグリーズということで最初からハードルを上げきっていたし、そしてなにより――

「っ……<人魔>ごときが……!」

 意外にもカフィーがティースの攻撃を捌くのに手こずっているのだ。

 もちろん一杯一杯というわけではないし、<魔>の力を警戒しすぎて思い通りに戦えていないというのもあるだろう。

 ただ、それにしても――である。

 同じディグリーズでもリゼットやクインシーならとっくにティースの力に見切りをつけ、むしろ力を使わせないうちにと一気に決着をつけようとするだろう。彼らのような実力者は単純に強いことはもちろんだが、相手の力量を見抜く能力にも長けていることが多いからだ。

 にもかかわらずカフィーが攻勢に出ないのは慎重すぎる性格なのか、あるいは――

(これなら、もしかして……)

 意を決し、ティースは気持ち深めに踏み込んでいった。

 剣と剣が重なり、火花が宙に飛ぶ。

「く……ッ!」

 ティースの圧力に押されたカフィーが再び後退する。その表情にティースを見下す余裕はなくなっていた。とても演技とは思えない。

 打ち合い自体は控えめに見てもほぼ互角。

 そこでティースは確信するに至った。

(倒せる、か……!)

 力の差は思った以上に小さい。

 踏み込む足に、振るう剣撃に、熱がこもった。

 相手は本来仲間であるはずのネスティアスだ。もちろん殺すまで戦うつもりはない。

 ただ、ここまで来た以上、怪我を負わせることにためらいはなかった。

 もし倒せるのなら倒してしまったほうがいい。そうなればもはや時間を気にする必要はなくなるのだから。

 さらに距離が詰まる。

 牽制の間合いから、真剣の間合いへ――。

(ここだ……! よく、視ろ――ッ!)

 集中――。

 視野が狭まると同時に、カフィーの肉体の陰影が濃くなるような感覚。関節、筋肉の動き、視線。そこからカフィーの次の動きを予測する。

(いける……!)

 手ごたえを感じ、ティースは渾身の力を込めて<細波>を振るった。

「っ……こいつ……ッ!」

 急に勢いを増したティースの攻撃に、カフィーの顔色が変わる。

 間違いなく――理由はわからなかったが――ティースは格上であるはずのカフィーを圧倒しようとしていた。

 弾いた剣の勢いに負け、カフィーの体勢が崩れる。

 さらに距離を詰めるティース。

 必殺の間合い。

(これで――ッ!)

 その瞬間、ティースははっきりと勝機を悟っていた。




「ねぇ、ナタリー? あなたってもしかしてルーベンさんが苦手?」

 その夜。

 シーラが行動をともにするルーベン隊は、まだ作戦地点から大きく離れた小さな村に滞在していた。

 彼らはカフィー隊のバックアップという役割を担うはずだったが、無断で進軍を早めたことからもわかるようにカフィー側には最初から彼らの助けを受けるつもりはなく、ルーベン側もそれを承知した上での行動だった。

 カフィー側は手柄をすべて自分たちのものにしたかったし、ルーベン側はサイアの思惑を受けて動いている。それぞれの目的は表向きとは違うところにあったのだ。

 だから――だろうか。

 シーラの周りにいるルーベン隊の隊員たちの多くは、自分たちが戦闘に参加することがないとわかっているのか、作戦行動中にしてはどことなく緩んだ空気の中にあった。

 それはシーラの監視役である少女ナタリーも例外ではなかった。

「んぇ? ふーふぇんふぁまふぇふふぁ?」

 ……いや。

 この少女に関してはいつでもこうなのかもしれない――と、ビスケットを口いっぱいにほおばったナタリーを見てシーラはそう思い直したのである。

「んむっ……あ、すみませんすみません。いただいたお菓子があまりにもおいしかったもので」

 口元を指摘されたナタリーは慌てて紅茶を含み、それを喉に流し込んでようやくまともな言葉になった。

「このお菓子、シーラさんが焼いたんですか? 紅茶もおいしいですし、シーラさんってなんでもできるんですねー」

「お菓子は別の人に作ってもらったものよ。私は料理はあまり得意ではないわ」

「あ、ほぉーでしたか」

 懲りもせずさらにビスケットを口に放り込むナタリーに、さすがのシーラも注意する気がなくなり、ため息を吐いて軽く左右に視線を泳がせた。

 控えめな照明、まったく飾り気のない小さな部屋にベッドが二つ。

 ホルヴァートやジラートと違ってきちんとした宿泊施設ではない。それでもほとんどの隊員たちがテントで過ごしていることを考えると、やはりシーラは客として好待遇を受けていると考えていいだろう。

 改めてサイアのディバーナ・ロウに対するスタンスを確認しつつ、シーラはナタリーに視線を戻した。

「それで、どうなの?」

「なんでしたっけ? ルーベン様のことですか? 私が苦手ってどうしてですか?」

 ビスケットを飲み込んだナタリーがようやく本題について返事をする。どうやら話だけは一応聞いていたようだ。

「なんとなくよ。あなたがリゼットさんを尊敬しているのは何度も聞いたのだけど、ルーベンさんの話は一度も聞いたことがなかったから。もしかして苦手にしているのかとね」

「あー、そういうことですか。いえ、別に苦手とかじゃないですよ」

 ナタリーは再び紅茶を一口含み、ほぅ、と幸せそうに息を漏らした。どうやらこの娘は食べ物や飲み物が目の前にあると、それを一時中断して会話に集中するということができないようだ。

「ルーベン様はリゼット様とも親しいですし。デビルバスターとしても優秀な方なのでもちろん尊敬しています。あ、でも……」

「でも?」

 シーラの問いかけに、ナタリーは少し言いにくそうに答えた。

「なんていうか、ちょっと難しい人なので。話題にはしにくいってのはありますかねー」

「難しい? 気難しいってこと?」

 ルーベンの顔を思い浮かべながら意外に思ってそう聞き返すと、ナタリーは苦笑して、

「あ、いえ、そういうのはぜんぜんないです。むしろ逆で、怒鳴ったのとか不機嫌そうにしているのはまず見たことないですし。ただ……あー、なんていえばいいんでしょう? なにを考えてるのかわからないところがあるというか。あ、こういうのも気難しいっていうんですかねぇ?」

「ああ、なるほどね。それならわかるわ」

 それはシーラ自身がルーベンに対して抱いた第一印象とさほど変わらないものだった。つまり彼は相手が誰であろうと態度にさほど変化がない人間なのだろう。

「まあ、なんだかんだで部下受けは悪くない人ですけどね。実力はディグリーズでも三本の指に入るでしょうし、どっちかというと若い男の子に人気ですね。いわゆる天才肌っていうんですか? そういう感じで」

「三本? ルーベンさんってディグリーズじゃ六番目ぐらいじゃなかった?」

「席次のことですか? そうですけど、あれは実力以外の要素も絡みますからねー。……っていうか、そうじゃなきゃリゼット様がカフィーより下なんてありえませんし」

 そう言って口を尖らせるナタリー。

(……カフィー、ね)

 ナタリーがリゼットの大ファンであり、リゼットと犬猿の仲らしいカフィーを嫌っているのは知っている。ただ、年齢的にも立場的にも上のカフィーを呼び捨てにするのは、ナタリーの性格から考えると少し違和感があった。

 そこに興味をひかれ、突っ込んでみる。

「ディグリーズの席次って確かカフィーさんが九番目、リゼットさんが十番目だったわよね? 内部事情はよく知らないけど、そういう順番になっているってことは、少なくともカフィーさんのほうが優れた部分があるんじゃないの?」

 あえて否定的な言い方をすると、案の定ナタリーはむっとした様子で、

「そんなのないですってば。デビルバスターとしても、頭のよさも、人間性も、全部リゼット様のほうが圧倒的に上ですから。カフィーはなんというか、ただ運がよかっただけで……」

「運がよかった? どういうこと?」

「……」

 シーラがさらに突っ込むと、ナタリーは一瞬はっとした顔をして、それから困ったように口を閉ざした。

 色々しゃべりすぎたと思ったのかもしれない。

 そこでシーラは少し引いてみることにした。

「問題あるなら無理に話さなくていいわよ。ただの雑談なんだもの」

「あ、いえ。別にそういうわけじゃないです。ただ、一応身内なんで陰口みたいなことを言い過ぎるのはアレかなあと思って……」

 なんとも今さら感のただよう反省の弁だった。しかも表情を見る限り、ナタリーは話したがっているようにも見える。リゼットの大ファンである彼女としては、おそらくリゼットが上である理由を主張したいのだろう。

 シーラはそんなナタリーに微笑んでみせる。

「事実なんでしょ? だったら別に陰口でもないわ。それに私に話したところで告げ口なんかしないから安心なさい」

「……まあ、それもそうですよね」

 ナタリーはあっさりと陥落した。

「シーラさんは<魔導器>というのを知ってますか?」

「ええ。もちろん」

 シーラは即座にうなずく。

 <神具>と呼ばれる魔力を秘めた特殊な道具のうち、武具としての使用を前提とせず、秘めた魔力の行使を主な目的とするもの――それが<魔導器>である。

 <魔>に関わる人間としては普通に知っていておかしくない知識であるが、それ以上にシーラには“光と闇の魔導書(アズラエル)”という強大な力の<魔導器>を所持していたという過去があった。<魔導器>がどういうものであるかは、身をもって知らされているといってもいいだろう。

 だからこそシーラは、ナタリーがその単語を口にした時点で、そこに続く話の内容をほぼ正確に推測できてしまっていた。

「つまりカフィーさんは、その<魔導器>の力でディグリーズにまで登ったということ?」

「そうなんです! そりゃデビルバスターになるぐらいですから実力だってあるにはあるんですけど、他のディグリーズの方々と比べたらぜんぜんなんです! ……なのにカフィーはリゼット様に対してえらそーにしたりして! 昔は散々リゼット様のお世話になったくせに……!」

「落ち着いて、ナタリー」

 と、シーラはやや乗り出し気味の彼女を制止しつつ、

「でも、その<魔導器>だけでそこまでやれるものかしら? 人間の体って強い魔力を長時間行使できるようにはなってないはずよ」

「そこが運よく、ってとこなんです」

 どすん、と、腰を落とし、ナタリーは眉間に皺を寄せながらテーブルの上のビスケットに手を伸ばした。こうして話している最中も彼女の食べるペースはまったく衰えておらず、そこそこの量を持ってきたはずのビスケットもどうやら今晩中に底を尽きてしまいそうだ。

 むぐむぐと口を動かしながらナタリーは続ける。

「私も詳しくは知らないんですけど、<魔導器>を使う力って<聖力>と同じで、個人個人でものすごく差があるらしいんです。ほとんどの人はシーラさんの言ったようにちょこっと使える程度なんですけど、カフィーはどうやらその力が生まれつき異常に強いらしくて」

「その強力な<魔導器>を、際限なく使えるってこと?」

「無限に、じゃないですけど、ちょっと重たい剣を振るぐらいの気安さだそうですよ。だからもう、戦いに関してはデビルバスターじゃなくて、ほとんど<人魔>みたいなものなんです、あの人」

 不満顔でそう言いながら、ナタリーは最後のビスケットを手に取った。

「……ほとんど<人魔>、ね」

 そんなナタリーの手の動きをなんとなく視線で追いながら、なるほど、そういうことか――と、密かに納得する。

 シーラはこの任務に就く前に、必要になるかもしれないと思ってカフィーの経歴を一通り調べていた。

 ネスティアスに入ってすぐに才能を見せ、三年ほどでデビルバスター試験に合格。ただ、この試験では特に優秀な成績を収めたわけではなく、どちらかといえばギリギリでの通過だったようだ。

 しかし、カフィーはそれから一年も経たないうちにネスティアスで目覚しい実績を積み上げ、ディグリーズの一員になっている。

 試験でギリギリ合格だった者がその後に成長して優秀なデビルバスターになるのは決して珍しいことではないが、カフィーの場合はその期間があまりにも短く、シーラは不思議に思っていたのだ。

 その答えが今の話なのだろう。

 つまりカフィーは試験に合格した後、ディグリーズの一員となるまでの間にその<魔導器>を入手したのだ。彼は<人魔>の集落を攻め落とす作戦に多く参加していたというから、そのときにでも偶然に手に入れたのだろうか。

 ……と。

「ふあーぁ……。お腹いっぱいになったらなんだか眠くなってきちゃいました」

 考え事をしているシーラの目の前でナタリーが大あくびをした。

「疲れてるのかなぁ。急に……すみませんけど先に休みますね」

「……ちょっとナタリー。あなた、私の監視役じゃなかったの?」

 シーラが苦笑しながら指摘すると、ナタリーは小さく手を振って、

「大丈夫、大丈夫ですって。これでもプロですから。シーラさんが怪しい動きをしたらすぐ目覚めます。ホント、そういうとこは敏感なんですよ、私。だからこの任務にも最適だったってゆーかー……」

 そう言っている間にも、寝ぼけ眼のまぶたが今にもくっつきそうだ。

 なんとも疑わしい。

「嘘くさいかもしれないですけど本当ですって。……それにまあ、正直言うとシーラさんのことは信用してます。おいしいお菓子や紅茶も振る舞ってくれますし」

「言っておくけどお菓子は今ので最後よ。もう持ち合わせてないわ」

「あはは、催促したわけじゃないです。んじゃ、おやすみなさーい」

「……はいはい。おやすみ」

 シーラの返事を背にふらふらとベッドに潜り込んだナタリーは、それから一分もしないうちに寝息を立て始めた。

「まるで子供ね……」

 ネスティアスにも色々な人間がいるものだと、そんなことを思いながらシーラはテーブルの上を片付けることにした。

 彼女自身も翌朝の移動に備えてそろそろ寝なければならない時間になっていたのだ。

 サイアに貸してもらったティーセットをトレイに載せ、ふと窓を見る。

 西向きの窓の外は薄っすらとした月明かりに包まれていた。

「……」

 シーラは手にしたトレイをいったんテーブルに戻し、静かに窓際へと歩いていく。

 遠くに微かに見えるヴァルキュリス山脈の影。先行するカフィー隊はもうその山肌へ到達していることだろう。

 そしておそらくあの三人も――と、シーラは窓際にそっと手を添えた。

「……また、無茶してなきゃいいけど」

 と、そこで起きているであろう厄介事を半ば確信しながら、シーラは悩ましげなため息をこぼすのだった。




「えっ……?」

 事態が急変したのは、優位に立ったティースがその勢いのままカフィーに剣を振り下ろそうとしたそのときだった。

 まるで落雷でもあったかのように視界が一瞬白くなり、直後。

 背後で耳をつんざくような爆音が轟いた。

「な……ッ!?」

 突然の出来事にティースは攻撃を中断し、とっさにカフィーとの間合いを広げて振り返る。

 すると――

(そんな! まさか……ッ!)

 その視界に映ったのは、新たに立ち上った炎柱と黒い煙。そして叫喚。

 炎龍の第二撃が再び背後の森を襲っていたのだ。

 ティースは混乱する。

(どうして……そんな余裕はカフィーさんには――!?)

 殺気。

 ティースはすぐさま正面に向き直ると、ほぼ本能のままに地面を蹴って後ろに大きく飛んだ。

 その眼前を白刃が切り裂いていく。

「よそ見なんてずいぶんと余裕じゃねぇか」

「っ……!」

 ティースは改めて剣を構えたが、胸中の動揺は抑え切れなかった。

 背後に木霊する人々の悲鳴が心を乱す。

 どうして――という疑問が頭を満たしていた。

 先ほどまでティースの攻撃を受けていたカフィーの姿に余裕はなかった。その一挙手一投足に集中していたのだ。そこを見誤ったとは考えられない。

 にもかかわらず。

 炎龍の第二撃は最初の一撃と違って、ほぼ正確にリィナたちが進もうとしているルート上に落ちていた。今度はおそらく――考えたくはないことだったが――大きな被害が出ていることだろう。

 当てずっぽうならともかく、少なくとも攻撃位置を調整するような余裕はカフィーにはなかったはずだ。

 と。

 混乱するティースに対し、カフィーはああ――とつぶやいた。

「そうか。ずいぶんもったいぶっていると思ったらそういうことか」

 そしてティースの動揺を見透かしたように、にやりとした。

「時間稼ぎのつもりだったんならご愁傷様だな。<双龍棍>は俺の意思と力を勝手に汲み上げて勝手に攻撃する自律型の<魔導器>だ。俺はただ、“やれ”と”やめろ”を命令するだけさ」

「なっ……!?」

「その表情を見ると、今度はいいところに落ちたみたいだな」

 くくく、と、喉の奥で笑う。

「く……」

 いくつもの思考が千切れ千切れにティースの頭を飛び交っていった。

 今の第二撃が背後の<人魔>たちにどれだけの被害を及ぼしたかはわからない。ただ、攻撃の精度が上がっていることを考えると、次の攻撃は間違いなく彼らに全滅級の被害をもたらすだろう。

(……倒すしかない。もう一刻の猶予もない!)

 ティースがその結論に達するまでそれほど時間はかからなかった。

 いくら自律型とはいえ、力の供給が断たれれば攻撃を継続することはできないだろう。

 ゆっくりと足を開き、軽く膝を曲げ、正眼に構える。

 カフィーを完全に倒すのだ。そうしなければ、背後にいる八十七人の<人魔>たちの未来はない。

 それは大きなリスクと高いハードルを越える必要はあるものの、現状を考えれば決して不可能ではないはずだった。

「……本気になったか。そうだ。攻撃を止めるには俺を倒すしかねえ」

 ティースの目に宿る本気を悟ったのか、カフィーもそう言いながら右手の剣を構えると、

「ただ、残念だな。そのチャンスもどうやら時間切れだ」

 と、空いている左手を上空に向けた。

「そっちの考えがただの時間稼ぎとわかった以上はな。本当ならてめえごときに見せたかねえんだが」

「……?」

 その行動に眉をひそめたティースに、カフィーは小さく鼻を鳴らして言った。

「<双龍棍>のもう一つの力、見せてやる」

「!」

 咆哮が頭上に轟く。

 上空を見上げると、空に浮かんでいた炎龍のうちの一匹がティースを見下ろしていた。……いや、見ていたのはティースではない。カフィーのほうだ。

「炎は熱。熱は活力だ。<双龍棍>は俺の活力を熱に変えて増幅し炎として具現化する。だったら――」

 戸惑うティースの様子を楽しそうに見ながらカフィーは口の端を上げた。

「その増幅された活力を再び体に戻したら、どうなると思う?」

「!?」

 炎龍の一匹が頭を上げ、勢いよく降下してきた。

 吹き荒れる熱風。

 ティースは思わず目を細め、顔面をガードする。

「っ……」

 炎龍の向かった先はカフィーの頭上だった。大きく顎を開き、そのままカフィーの全身を呑み込んで――いや。

(……まさか)

 呑まれたのは炎龍のほうだった。

 “取り込まれた”といったほうが正確だろうか。

「これが<双龍棍>のもう一つの力――」

 熱波が渦を巻く。

 足下には年輪のような熱波が何重にもうなり。

 全身からは陽炎のごときオーラ。

「<炎龍胆ヒートボディ>だ――」

 髪は真っ赤に。

 完全に様変わりしたカフィーのその姿はまさに<魔>そのものとなっていたのである。

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