その9『夜襲』
カフィー隊はディグリーズが率いるネスティアスの部隊の中で、唯一デビルバスターの称号を持つ人間が一人しかいない部隊である。
その一人とはもちろん隊長のカフィー=マーシャルであり、彼の部下にデビルバスターがいない理由は副隊長の人選にあるといわれていた。
カフィー隊の副隊長はエルマー=マーシャルという二十二歳の男である。
ディグリーズをサポートする副隊長たちというのは、基本的に皆デビルバスターの称号を持つ優秀な隊員たちなのだが、例外であるこのエルマーという男は、恵まれた非常に大きな体をしていながらも戦闘の才能は並以下であり、デビルバスターになるどころか試験さえも一度も受けさせてもらったことがないという実に平凡な人物であった。
そのエルマーにとって幸いだったのは、ファミリーネームからもわかるとおり彼がカフィーの血縁――従兄であり、カフィーとの関係が常に良好であったこと、さらには気分屋のカフィーと違って人当たりの良い気さくな性格であったことから、同僚や後輩たちからかなり慕われていたということだろう。
カフィーはディグリーズの一員となって自分の部隊を持つようになると、この同い年の従兄を副隊長に指名したのである。
もちろんエルマーを副隊長に選んだのは、彼が自分の血縁だからというだけが理由ではない。実力以上に人望のある彼をそのポストに据えることで、どちらかといえば人気のない自分と部下の間の緩衝材とし、部隊の統率力を高めるという明確な目的があった。
とはいえ、実績も実力も劣っているエルマーを副隊長にする以上、その下にデビルバスターを配置するわけにはいかないし、カフィーとしてもその必要性をあまり感じていなかったのである。
これが、カフィー隊にカフィー以外のデビルバスターが所属していない理由だった。
嵐が明けて三日目の夕方。
行軍を約一日分早めて作戦地点に到達したカフィー隊は、当初の予定通り部隊を二つに分け、標的である<魔>の集落からの出口とされる二地点にそれぞれを配置して夜営の準備を行った。
東側のA地点にはカフィーを指揮官とする二十一名、西側のB地点にはエルマーを指揮官とする二十八名である。
この二地点は険しいヴァルキュリス山脈内ということもあって、地点間の移動にかなりの時間を要する位置関係にある。そのため、翌日の作戦開始に向けては事前に綿密な打ち合わせが行われ、作戦開始後は基本的に両者間の連絡が必要ないように入念に準備されていた。
そして、その夜。
「お前らー、見張りのシフトはちゃんと確認したかー?」
西側にあるB地点の夜営地に響いた野太い声。
これが副隊長のエルマーである。ドスが効いているというよりは大柄な草食動物を連想させる温厚な声色だった。
「この二、三日は強行軍だったからな。今夜は充分に休んでおけよー」
エルマーは二人の部下を引き連れ、テントの一つ一つを覗き込みながら隊員たちに声をかけていった。予定を早めての強行軍だったこともあり、隊員たちの顔には疲労も浮かんでいたが、そこはエリート部隊のネスティアスである。翌日の作戦にはほぼ支障のない状態と思われた。
そうして一通りテントを見回った後、自らのテントに足を向けたエルマーに、付き添っていた部下の一人が問いかけた。
「それにしても、なあ、エルマー。隊長はなんで急に行軍を早めるなんてことを言い出したんだ?」
「ん? ああ」
やや丸っこい顔を斜め後ろに向け、エルマーは蚊に刺されて少し赤くなった頬を人差し指で擦りながら答えた。
「俺も直前まで聞かされなかったんだが、カフィーはどうやら最初からそのつもりだったらしいぞ。ほら、今回は後ろがルーベン隊だからな」
質問した隊員は、ああ、と納得顔をして、
「手柄を取られる心配をしたのか。確かにルーベンさんはとぼけた顔してて抜け目ないからなあ」
「だな。しかも今回は公女様同伴だ。なにか企んでるんじゃないかって疑うのも当然の話さ」
そこへもう一人の部下が口を挟む。
「だったら最初から私たちだけで来ればよかったんじゃ? どうせルーベン隊の力を借りるつもりなんてなかったんでしょ?」
エルマーは首を半回転させ、その女性隊員のほうを見ると、
「そうもいかない。今回の相手は一応ヴァンスの隠れ家ってことになってるだろ? そのレベルが相手となるとウチ単独での作戦じゃ許可が出ないんだ。それに今回のきっかけはリゼット隊が捕まえた<人魔>だったからな。その件には公女様も絡んでたから、何もかもこっちの思い通りってわけにはいかなかったんだよ」
「とかいって、本当に相手はヴァンスの隠れ家だったりして」
「だとしたらカフィーのほうはともかく、こっちは大ピンチだな」
と、エルマーは笑った。もちろん冗談である。今回の敵がヴァンスの隠れ家などではなく一般の<人魔>の集落であることはエルマーたちも知っていた。戦闘慣れしていない<下位魔>の集団なら、デビルバスターのいないこの陣容でも充分に対応できる。
……と。
「なにか騒がしいな?」
そこでエルマーは、夜営地の一角が少し騒がしいことに気づいた。連れていた二人の部下と視線をかわしてその方角へと足を向けると、一人の若い隊員が少し困惑した様子で駆けてくる。
「副隊長。山のほうから怪しい一団が」
「怪しい一団? ……わかった。おい」
エルマーはすぐに後ろの二人に目配せする。うなずいた二人は分かれて各テントに緊急事態を知らせにいった。
一方、
「……なんだ?」
異常を知らせた若い隊員とともに現場へ駆けつけたエルマーは、そこですでに抜剣している五名の見張り隊員と、夜営の乏しい明かりに照らされた山道の入口に立つ異様な風体の一団を見た。
「……貴様ら、何者だ?」
エルマーは開口一番そう問いただす。
その一団というのが彼らの標的である<人魔>たちだとすれば、そんな問いかけはもちろん無意味だろう。ただ戦うのみである。
が、しかし。
報告に来た若い隊員が”怪しい一団”と曖昧に表現したことからもわかるように、エルマーもまた、一目で彼らの素性を見抜くことはできなかった。
その一団は全部で六人。いずれも薄汚れた服装に身を包んでいたが、異様だったのはその全員が顔中に包帯のようなものを巻きつけ、まるでミイラ男のような格好をしていたことである。耳の辺りも隠されているため、人間なのか<人魔>なのかすら判断できないのだ。
ただ、こんな夜更けにこのような場所をうろついている時点で、それがごく普通の一般人である可能性はまずない。敵である可能性が高いだろう。
「もう一度聞く。何者だ? 回答がなければ敵とみなす」
エルマーはそう問いかけながら自らも抜剣し、相手の回答を待つ間にさらに観察を続けた。
肌がほとんど見えていないことから年齢もわからない。ただ、薄暗闇の中かろうじて見える体つきなどから、おそらく一人が女性であるらしいことはわかった。また、集団の中で一番背の高い男はやはり包帯のようなものを巻きつけた剣を腰に下げている。他の五人は武器を所持していないようだったが、この状況においては相手に敵意がないということよりも、武器がなくても戦える――つまり<人魔>ではないかという推測が先に立った。
「我々は――」
そこでようやく、集団の真ん中にいたリーダーらしき中肉中背の男が口を開く。非常に落ち着きのある声で、それなりの年齢であることが窺えた。
「我々は“ヴァンスの隠れ家”だ」
「……なに?」
エルマーは目を見開いた。周りの隊員たちにもわずかに動揺が走ったようだ。
男が続ける。
「身の程知らずの人間ども。我らの力を思い知れ!」
直後、集団の一人――女性と思われる人物がエルマーたちに両手を向けた。魔力が集まり、そこから水のつぶてのようなものが発射される。
「っ……やはり<人魔>か! 応戦しろッ!」
エルマーの指示に、すでに臨戦態勢にあった隊員たちが即座に動いた。一人が敵の攻撃に怯んで遅れた以外は、それぞれに対応して<人魔>らしき集団に斬りかかっていく。
それに対し、敵はリーダーらしき男が数歩後ろに下がると、唯一帯剣していた長身の男が無言のままで集団の前に出た。
手にしていたのは包帯をぐるぐるに巻いた剣。どうやら鞘に納めたままのようだ。
一対四。
当然エルマーは隊員たちが容易に敵を制圧する光景を思い描いていた。しかし次の瞬間、彼はこれがとてつもない非常事態であることを思い知らされる。
「なっ……!?」
エルマーの視界で展開されたのは、斬りかかっていった隊員たちが長身の男に次々に叩きのめされる光景だった。男は鞘に納めたままの剣を振るい、あっという間に四人の隊員を地面に叩き伏せてしまったのである。
あまりにも予想外の結果だった。
デビルバスターではない一般の隊員たちとはいえ、彼らはデビルバスターを目指して鍛錬し、それなりの実戦経験を積んできた者たちである。中には将来デビルバスターになることを有望視される若者もいた。
にもかかわらず。その長身の男はたった一人で、魔力を行使することもなく、鞘のままの剣で一息か二息の間に彼らを打ち伏せてしまったのだ。
エルマーはうろたえた。
そして脳裏に先ほどの相手の言葉が蘇る。
(……ヴァンスの隠れ家? まさか本当に?)
もちろん信用していなかった。今回の敵がヴァンスの隠れ家だというのは表向きのこと。有り体に言えば、隊としての手柄を水増しするための虚構でしかない。エルマーはそのことをあらかじめカフィーから聞かされているのだ。
しかし、その男の実力を目の当たりにして、エルマーの心には疑心が生まれていた。
もし相手がヴァンスの隠れ家だったとしたら、これほどの実力者がいても不思議ではないのではないか、と。
(いや、しかし、それにしては……)
それでもエルマーは冷静に思考を巡らせる。
(……ハッタリだ)
そしてすぐにそう結論付けた。
その根拠は、戦う姿勢を見せているのが長身の男一人だけだったということである。最初の牽制らしき水つぶての攻撃を除き、他の五人は離れて戦いを見守るような構えだ。
つまり、すば抜けた力を持っているのはその男ただ一人。
エルマーはそう考えたのである。
それに、相手がヴァンスの隠れ家のような凶悪な<人魔>の組織であれば、少人数でこのような挑発行為を行う理由がない。戦力があるなら全力で叩いてくるはずである。
つまりハッタリ。足りない戦力を小細工を用いて補おうとしているのだ。
(だとすれば……)
エルマーの背後からは多数の足音が聞こえてくる。見張り以外の二十数名の隊員たちだ。
この人数差。
勝てないはずがない。
「気を抜くな――」
それでもエルマーは慎重に号令を下した。
「倒せない相手ではない。油断せず戦えッ!」
それは確信だった。
駆けつけた隊員たちが抜剣し、戦闘態勢を整えて対峙する。
山のどこかで獣らしき遠吠えが響いた。
生温い風が湿った空気を運んでくる。
一瞬の間。
「……」
エルマーたちの対決姿勢を見て、長身の男は無言のまま、背後に控える五人に目配せをした。
うなずいて五人が少し後ずさる。
「逃がすな!」
エルマーがそれを撤退の合図だと考えたのは当然だろう。
しかし。
「そろそろ――」
そんなエルマーの号令にかぶせるように、後ろに控えていた敵のリーダーらしき男が口を開いた。
「本気で相手をしてやるとしようか。身の程知らずの人間どもめ、思い知れ」
言葉とともに前にいた長身の男が後ろに下がり、逆に控えていた五人が男の背後に駆け寄っていった。
そんな彼らに、一気呵成に攻めかかっていく隊員たち。
「……!」
その光景に、エルマーの背筋には悪寒が走った。
「……いや、待て! いったん――」
しかし制止の声はわずかに遅い。
後ろの<人魔>たちが長身の男に駆け寄った直後、そこからまばゆい光があふれ出した。
「な――!?」
そしてエルマーは先ほどの嫌な予感が杞憂でなかったことを悟る。
それは地鳴りを伴うほどに強烈な魔力の奔流だった。
(光……いや!?)
違う。
(水、か――!?)
敵の集団を中心に広がっていく、透き通るほどに薄い水の膜。
しかし――
「なんだ、この力……ッ!?」
斬りかかろうとした隊員たちは、一見脆弱そうにも見えるその水壁に為すすべなく弾かれ、悶絶しながら次々に吹き飛ばされていった。それを見て攻撃を躊躇した隊員も急速に広がる壁に巻き込まれ、同じように弾き飛ばされていく。
それは強大な魔力障壁だった。
さらに広がったその壁は、あっという間に後方にいたエルマーのもとへも到達して――
「……くッ!」
逃げられないと悟ったエルマーはとっさに剣を横にして防御姿勢をとったが、その体は抵抗する間もなく宙に弾き飛ばされた。
衝撃、そして暗転。
こうしてエルマー率いるB地点のカフィー隊は、一瞬のうちに無力化されてしまったのである。
「……全滅? エルマーたちが?」
その数時間後、事件の詳細はカフィーのもとへともたらされた。
日付が変わって少し経った頃である。翌日の作戦に備えてすでに床についていたカフィーにとっては、まさに寝耳に水の出来事だった。
「……それで」
やや不機嫌そうな表情で頭を掻き、カフィーは目を細めて報告に来た若い隊員を見た。
「その連中は確かにヴァンスの隠れ家を名乗ったのか? エルマーたちはどうなった?」
「は、はい。それが、副隊長たちは無事で……それで、ヴァンスの隠れ家を名乗る連中は、隊長を――デビルバスターを連れて来いと挑発して山に戻っていったとのことです」
「……」
一瞬の沈黙の後、空気が震えた。
「舐めた真似しやがって!」
カフィーの足下にあった木箱が大きな音を立てて砕け散る。若い隊員が上目遣いに様子を窺うと、カフィーの顔は怒りで真っ赤に染まっていた。
だが、それも無理はない。
エルマーたちを襲った<人魔>の集団は、カフィーが送り出した三十人近い部下たちをたった数名で叩きのめしただけではなく、余裕を見せて彼らを見逃したというのだ。気分屋で激情家のカフィーでなかったとしても、馬鹿にされたと怒り狂うところだろう。
「……」
そしてカフィーは無言になると、イライラとかかとを踏み鳴らし、人差し指で忙しなく机を叩きながら考え込んだ。
触らぬ神にたたりなし――と、報告に来た若い隊員はカフィーの反応をじっと待っている。
テントの外にはすでに多くの明かりが焚かれ、どんな命令があってもいいようにと準備が進められていた。
やがてピタリ、と、カフィーのかかとの動きが止まる。そしてゆっくりと控えている若い隊員に視線を向けた。
「……おい。お前は敵の戦力をどう見る?」
「少なくとも<将魔>クラスの敵がいるのは間違いない……と、思います」
若い隊員は控えめにだがはっきりとそう答え、カフィーは当然のようにうなずいた。
「だろうな。エルマーのやつはともかく、あっちには二、三年後にはデビルバスターになれるかもしれない、そんな若い連中も配置したんだ。しかも数で勝ってるのに歯が立たないってのは、当然そういうことになる。……敵は何人だって? 五人だったか?」
「薄暗闇の中なので断言できないそうですが、はっきり確認できた範囲で六人とのことでした」
「六人か。……全員が<将魔>ならかなりの戦力だな」
「……」
若い隊員が眉をひそめる。本当にそうであれば、カフィー隊だけでは対処できないかもしれない――そんな考えが頭を過ぎったからだった。
「どっちにしろ」
カフィーはゆっくりと立ち上がり、背後に掛けてあった隊服の上着を手に取った。
「エルマーたちを見捨てるわけにもいかねーしな。おい。全員に移動の準備をさせろ」
「はい。……隊長? ルーベン隊への対応はどうしますか?」
「あ? 対応?」
上着を広げた手を止めてカフィーが振り返る。
「……あ、いえ。万が一のことを考えて連絡だけでも、と」
カフィーが不機嫌になっていることに気づき、若い隊員の言葉が小さくなった。当然、彼もネスティアス内にある派閥争いのことは承知している。
カフィーは目を細めて言った。
「お前は、あの連中の助けがないと戦えねーのか?」
「そ、そんなことはありませんが――」
睨まれて若い隊員はさすがにうろたえた。
「……」
十秒ほど無言でそれを見据えていたカフィーだったが、やがて小さく鼻を鳴らし、背中を向ける。
「なら余計なことは考えんな。連中の助けなんていらねえ。この俺がいる限りはな」
そう言って脇に置いてあった一組の双節棍を手に取る。彼の愛用らしきその得物は、薄明かりのテント内でも輪郭が浮かび上がって見えるような、鮮やかな真紅の装飾だった。
その存在感に、若い隊員の視線が一瞬釘付けになる。
「……おい、モタモタしてんなよ。さっさと行ってこい」
明らかに不機嫌そうなカフィーの言葉に、若い隊員は慌ててハイと答えると、テントを飛び出して行ったのだった。