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デビルバスター日記  作者: 黒雨みつき
第13話『ティースの憂鬱な日々』
121/132

その7『八十七』

「……ヴァンスの隠れ家だって!? とんでもない!」

 エルバートは開口一番、ティースに向かってそう言い放った。

 嵐の中、ネスティアスの追っ手から逃れてティースたちが一息ついたのは、ジラートの街から数キロ離れた林の茂みの中だった。風と雨はほとんど防ぐことができなかったが、真夏で気温が高い分、雨による体力の消耗は比較的少ない。

 そしてリィナとエルレーンの二人がうまくやったのか、ネスティアスの追っ手たちはまったく見当違いの方向へ向かったようだった。

 ただ、ティースの話を聞いたエルバートの顔色は、自分が追っ手に追われているときよりも遥かに青ざめていて、

「……ちくしょう! ネスティアスの部隊がこっち方面に向かってるって聞いて嫌な予感はしてたんだ。偵察に来て正解だったけど、まさか場所まで知られているなんて……」

「なあ、エル……あ、いや。エルバート」

 と、周囲に気を配りながら、ティースは改めてそんなエルバートを見る。

 一年半前、エルレーンと人違いして一緒に行動したときと比べると、若干ではあるが背が伸びているようだった。同世代の男と比べるとまだまだ小柄ではあるが、これは<風魔>の特徴でもあるので仕方がないだろう。

「お前のほうはなんでこんなところにいたんだ? 今回の件、キュンメルが絡んでるのか?」

 少し興奮しているエルバートを落ち着かせるために、ティースはあえてゆっくりとそう問いかけた。

 エルバートはそれを察したのか、ティースの顔を見て一つ深呼吸すると、

「……ティース。お前、ディバーナ・ロウのデビルバスターになったんだったよな? だったら俺たちキュンメルがどんな活動してるかも知ってるだろ?」

「知ってるよ。デビルバスターになってから直接関わったことはないけど、人間にひどい扱いを受けている<人魔>たちを助けて回っているんだろ? リガビュールでもそうだった」

 ああ、そうだ――と、エルバートは小さくうなずいた。

「ただ、助けるといったって俺たちの活動は基本的に荒っぽいものだ。俺を含めたメンバーはほとんど<下位魔>だけど、一応はそれなりの技術やノウハウを学んでいる。……そんなだからさ。助け出した連中をずっと一緒に連れ回しているわけにはいかない。危険だし、足手まといにもなる。そうすると、もちろんそういう連中を預ける場所が必要になるだろ?」

 ティースはすぐに理解した。

「じゃあまさか、今回俺たちが向かっているヴァンスの隠れ家ってのは……」

 エルバートは顔をしかめて、再びうなずいた。

「俺たちキュンメルが助けた<人魔>たちを預けている集落だ。……確かに百人近く暮らしている大きな集落だけど、ほとんどが戦闘能力のない女子供に年寄りばかりだ。ネスティアスの部隊なんかがやってきたら、抵抗もできずに皆殺しだよ」

 皆殺し、という表現にティースの背筋は寒くなった。

 もちろんティースとて、今回のネスティアスの作戦の目的が相手の殲滅であることはわかっていたし、相手を殺す行為そのものにいまさら躊躇するわけではない。

 だが、しかし。

 エルバートの話が本当であれば、今回の相手は――半ば予想していた通り――ヴァンスの隠れ家などではなく、しかもどうやらこの前のような賊の類でもない。悪意を持っているどころか逆に人間たちから過酷な扱いを受け、運よく助け出されて山奥にひっそりと隠れ住んでいる人たちだ。

 そんな<人魔>たちの集落に対して、圧倒的な戦力を持つネスティアスが攻撃を加えるとなれば、それはもはや戦闘ではない。

 虐殺である。

(……そんなことをさせるわけにはいかない)

 ティースが相手にするのは、あくまで人間に害意を持つ<魔>だけだ。

(だけど、どうする? カフィーさんが相手じゃそんなことを言ってもおそらく通じない。……いや、最初からわかっていた可能性だってある)

 カフィーが手柄を求めているのであれば、相手がヴァンスの隠れ家であろうがなかろうがおそらくは関係ない。いや、たとえ他のディグリーズだとしても説得が通用するかどうかは微妙だろう。事情がどうあれ<人魔>が集団を作っているとなれば、ネスティアスの立場では誰であっても危険視する可能性が高い。

(……となると、俺がどうにかするしかない)

 状況はミューティレイクに報告するとしても、指示や救援を待つ余裕はないだろう。

 難しい顔で考え込むティースに、エルバートはポツリと言った。

「……お前たちに捕まった子供。一年ぐらい前までその集落にいた子なんだ」

「知ってるのか?」

 ティースがいったん思考を中断してそう問いかけると、エルバートは神妙な顔でうなずいて、

「以前、俺が関わった作戦で助け出した子なんだよ。同じ<風魔>だったし、昔の自分を思い出すようでさ。うまく溶け込めないみたいだったからいろいろと相談にも乗ったよ。……どこの集落でもたまにあるんだ。イヤになって逃げ出しちまうケースがさ。自由なんてないし、裕福でもない生活だから逃げ出したくなる気持ちはわからなくもない。けど――」

 悔しそうに唇を噛み、エルバートはやり場のない怒りを込めるように水分をたっぷり含んだ土の上に拳を振り下ろした。

「……よりにもよって盗賊の一味に加わって! しかも自分の命欲しさに集落のみんなを売っちまうなんてっ!」

「……」

 まだ子供だから――とはいえ、エルバートの立場からすればそれはやりきれない出来事だろう。

 それに今回の事態は、子供だからで済ませられるほど小さなものではない。

 エルバートはしばらくそのまま体を震わせていたが、やがて拳を地面から離すと、

「……いや、あいつのことはもういい。どうなろうと自業自得だ。それより――」

「どうにかしないとな……」

 事情を聞かされた以上、ティースとしても黙っているわけにはいかない。

「エルバート。その集落の人たちを逃がす方法は?」

 問いかけると、エルバートはすぐに答えた。

「時間がかかる。人数が人数だし、子供や老人が多いから支援なしじゃまず動けない。それに俺は今キュンメルの本隊を離れて単独行動中なんだ。集落に戻って移動の準備をさせて、それから本隊に救援を仰いで……いくらなんでも時間がなさすぎる。……なあ、ティース。どうにかしてそっちの行動を遅らせることはできないのか?」

 ティースは一瞬考えたが、

「……たぶん無理だ。今回の俺たちは付録みたいなものなんだ。発言権はほとんどない」

 と、答えた。

 仮に進軍を遅らせるもっともらしい理由を創作したとしても、相手がカフィーではおそらく話し合いにすらならないだろう。

 それ以外で作戦が遅れるとすれば、今回みたいな嵐か大きな事件でも起きないと無理だが、そんなことが偶然に起きるはずもないし、まさか自分たちで事件を起こすわけにもいかないだろう。仮にやって成功したとしても、それがティースたちの仕業だと知れれば大変なことになる。ディバーナ・ロウの存続にも関わるような大事だ。

「せめてこの嵐があと二、三日続いてくれればな……」

 エルバートは祈るように上空を見上げたが、肌に感じる雨風は明らかにその威力を弱めている。

 どう考えても明日には止んでしまうだろう。

 ――しばしの沈黙。

 やがてティースは言った。

「エルバート。とにかくやれるだけのことをやってみよう。キュンメルの仲間はこの近くにいるのか?」

「あ、ああ。近くってほどじゃないが、今はリガビュールとジラートの中間辺りで次の作戦に備えて待機してる。俺一人なら、急げば一日かからずに合流できる場所だ」

「よし、じゃあ手分けしよう。お前は急いでキュンメルの部隊と合流して救援を仰いでくれ。集落への連絡は俺たちが引き受ける。集落の人たちにすぐ信用してもらえるような方法はないか?」

 エルバートは驚いた顔をして、

「そりゃ頼めればありがたいけど、大丈夫なのか? お前らの立場とか……詳しいことはよくわかんないけど」

「大丈夫……だと思う」

 断言できるほどの自信はなかったが、ティースには一応考えがあった。

 宿の一件からもわかるように、カフィーはティースたちをほとんどいないものとして扱っている。最初に作戦の概要に関する会議があった以外は部隊のミーティングにも呼ばれていないし、そもそもティースはそれ以降一度もカフィーと直接顔を合わせていない。

 となれば、誤魔化すのはそう難しいことではないように思えた。

 それに――と、ティースは迷わず答える。

「なんにしても、罪のない百人もの命がかかってる。なんでもってわけにはいかないけど、多少のリスクだったら背負って当然だ」

「……悪い。リガビュールのときの一件といい、お前には迷惑かけっぱなしだな」

 エルバートは心の底から申し訳なさそうな顔をした。ティースはそんなエルバートの肩を叩いてゆっくり立ち上がると、

「気にするな。とにかく今は急ごう。集落の場所はネスティアスの作戦会議でも聞いてるけど、念のため正確な位置を教えてくれ」

「わかった。……頼む」

 そう言ってエルバートは深々と頭を下げた。


 こうして、ティースたちの『ヴァンスの隠れ家殲滅作戦』は『集落救出作戦』へと百八十度姿を変えることとなったのである。

 そして、もちろんティースはこの時点では気づいていなかった。

 カフィーよりも警戒すべき相手が、遥か後方、ホルヴァートの街で彼らの行動を窺っているということに。




 その翌日の朝、ネービス全土を覆っていた厚い雲はすっかりと消え、ルーベン隊が滞在しているホルヴァートの街は朝日の光に包まれていた。

 そして、その太陽が顔を出した直後の時間。

 ある一人の隊員が隊長であるルーベンの部屋を訪れ、約五分後に退室すると、そのすぐ後でルーベンも部屋を出た。

 その足が向かったのは宿の一階奥にある特別な客室。

「サイア様。ルーベンです」

 ドアをノックすると、すぐに返事があった。

「入れ」

「失礼します」

 部屋に入ってすぐ、ルーベンは足を止めた。

 正面の椅子にサイアの姿がなかったからだ。

「どこを見ておる。こっちだ」

 声と同時に聞こえた水音に視線を動かすと、部屋の隅に立てられた仕切りのカーテンの向こうにサイアの頭のてっぺんだけが覗いていた。

 左右には双子の侍女がいて、その周囲には微かに白い湯気が見える。

「湯浴み中でしたか、失礼しました。出直しますか?」

「いや構わぬ。そなたが覗き込もうとしない限りはな」

「まさか。そんなこと、私にはリスクが高すぎて割に合いません」

「馬鹿にされているようにしか聞こえんぞ、ルーベン」

 サイアはそう言って睨んだようだったが、その視線はカーテンに阻まれてルーベンまでは届かなかった。

「まあよい。それで、なにかあったのか?」

「ええ。昨晩、どうやらカフィー隊が滞在する宿に不審人物が侵入したらしいです」

「ほぅ。ずいぶん無謀な盗人がいたものだ」

 ガラガラと侍女が大きな風呂桶を移動させ、もう一人の侍女が真新しいタオルを手にカーテンの向こうへと消えていく。

「それで? そやつは一体何者だ?」

「わかりません。結局逃げられてしまったみたいで」

「逃げられた? お粗末な話だな」

 と、サイアは鼻を鳴らす。

「嵐の影響もあったんでしょう。まあそれはどうでもいいんですが」

 興味なさそうにそう言ってから、ルーベンは続けて、

「それで、どうもディバーナ・ロウがカフィー隊と別行動を取ることになったそうです」

「……? どういう意味だ?」

 カーテンの向こうでサイアの動きが止まる。ルーベンはそのサイアの影に向かって答えた。

「その不審者を最後まで追っていったのがディバーナ・ロウだったそうです。で、彼らから引き続き不審者を追わせてほしいとの申し出があったそうで、カフィーは許可したみたいです」

「ほう。……ララ、仕切りを片付けてくれ」

 と、片方の侍女に言いつけて仕切りを退かす。その陰から姿を見せたサイアは、真紅の髪を頭のてっぺんあたりで束ねており、体には大きなタオルを一枚巻いただけだった。

 ルーベンは少しだけ視線を横にそらしたが、サイアは気にした様子もなくいつも腰掛けていた椅子へと向かっていく。

「その不審者とやらは<人魔>か?」

「おそらく」

「ディバーナ・ロウにつけていたそなたの部下はどうしている?」

「ディバーナ・ロウはエルレーンさんだけをカフィー隊に残したそうで、今はそちらに張り付いています。というか、他の二人は昨晩の騒ぎの中でそのまま不審者を追っていったので、ひとまずそうするしかなかったみたいですね」

「なるほど。つまりティースとリィナが不審者を追ってカフィー隊から離れたということか」

「風邪、ひきますよ」

 ルーベンがタオル姿のままのサイアにそう忠告すると、

「湯上がりですぐに服を着ると汗をかくのでな。それに今日は暑くなりそうだ、心配いらぬ。……で、そなたはどう思う?」

「圧倒的に色気が足りないと思います」

 サイアは眉間に皺を寄せた。

「誰が私の体を批評しろと言った。昨晩のディバーナ・ロウの動きについてだ」

「冗談です」

 ルーベンは真顔でそう返答すると、

「サイア様の望む何らかの事件が起きている可能性はありますね。許可をいただけるのなら、ディバーナ・ロウへの監視人数を増やし、消えた二人の行方も探らせたいと思いますが」

 任せる――と、サイアは満足そうにうなずいて、

「ただしカフィーには絶対に気取られるなよ。何度も言うが、私はディバーナ・ロウを潰したいわけではない。その辺の認識はそなたの部下にも共有させておいてくれ」

「はい。……では、我々も間もなく出立しますので準備をお願いします」

「わかった」

 そう言って腰を上げたサイアだったが、ふと思い出したように、

「そうだ。シーラはあれからどうしておる?」

「昨日のあの時点から女性隊員の一人と同じ部屋に移動してもらいました。行動は制限していませんが、一人にはしないように言いつけてあります。とりあえず仲良くやってるみたいですよ。……それとも、拘束でもしといたほうがいいですか?」

「いや、そこまでは必要ない。むしろ心配でな。我々の考えをどこまで読めておるのかわからんが、変に深読みして無茶な行動をしないか、とな」

「優しいですね」

「有能な人材は何人でも欲しい。それだけのことだ」

 そう言い残し、サイアは着替えのために部屋の奥へと消えていったのだった。




 カフィー隊を離れ、寝る間を惜しんで移動したティースとリィナが、ヴァルキュリス山脈の難所にあるその集落に到着したのは、嵐が明けた朝から数えて三日目の昼すぎのことである。

 エルバートの説明によると、その集落はもう二百年以上も前から行き場のない<人魔>たちを受け入れてきた場所とのことだったが、実際にそこを訪れたティースはなるほどと納得させられていた。

 深い山間の一角にあるその土地はもちろん平坦ではなく、家は生い茂った木々の間にどうにかこうにか配置されているだけのように見えたが、実際に中を歩いてみると細いながらもしっかりとした道が作られていて、極端な坂道や傾斜が少なくなるように計算されている。

 ところどころには狭いながらもいくつもの畑が耕されており、まもなく収穫可能と思しき野菜類がしっかりと育っていた。

「ただ、見ての通り暮らしているのは子供や老人が大半です」

 と、ティースたちに集落の案内をしていたのは、代表者を名乗るイライザという四十歳前後の痩せた女性だった。着ているものは一切の飾りもなく染色もされていない麻の服で、ティースの感覚で言えば百年以上前の村人というような格好だ。

 そして、大きく尖った耳は彼女が<人魔>であることを示していた。

「でもまさか人間の、それもデビルバスターの方が我々のために動いてくださるとは……本当にビックリしました」

「いえ。こちらもすんなり信用してもらえて助かりました」

 一通り集落の状況を見て回り、ティースはイライザの住む家へと戻ってきた。狭い家の中にはベッドが一つだけ置いてあり、そこではリィナが静かな寝息を立てている。

 ティースも丸二日ほど寝ていないので頭が少しフラフラしてしたが、そこは気力でカバーしつつ、丸太を切り出しただけの椅子に腰を下ろした。

 イライザはそんなティースに微かに湯気の立つ飲み物を差し出して、

「見せていただいたそのお守り、エルバートがここを出て行くときに私が作って渡したものなんです。それを持っているということは、あの子が心を許した相手だということですから」

 と、言った。

 出された飲み物に口を付けると、どうやらそれは何かの蜜をお湯で割ったもののようだった。その甘みで霞みがかったティースの頭が少しだけ蘇ってくる。

 ホッと息を吐いて、ティースは問いかけた。

「エルバートはここで育ったんですか?」

「ええ。ここに来たのはもう十年以上前かしら。まだ小さかったこともあるけど、なかなか周りに馴染めなくてね。それでも十歳ぐらいになったころには、自分も役に立つんだって言ってキュンメルの方々についていくことになって。今は立派に務めを果たしているようだけど」

 そんな風にエルバートについて語るイライザは、まるで母親のような顔をしていた。

 どうやらここは、思った以上にエルバートと縁の深い場所のようだ。

(……なんとかして救ってあげたい。けど……)

 会話が途切れてティースが何気なく家の中を見回すと、そんな彼の思いを察したのか、イライザが声のトーンを少し下げて言った。

「みんなには急いで脱出の準備をさせています。ただ、先ほど見ていただいたとおり、集落の中には一人で歩けないような者もおりますので……正直言って、一日二日ではどうにもならないかもしれません」

「……俺たちも手伝います。諦めないでください」

 ティースは力強くそう答えたが……しかし。一通り集落を見て回った段階で、イライザの言うとおりかなり厳しい状況であることを思い知らされていた。

 この集落の人口は全部で八十七人。そのうち半数は十五歳以下の子供で、十歳に満たない者が二十人近くいる。残りの半分は大人であるが、その多くが初老から老人と思われる年齢だった。

 それ以外の成人といえば全体の五分の一にも満たず、しかもその大半がイライザと同じ女性で、いわゆる男手は片手で数えられるほどしかいない。

 <人魔>とはいえ、老いたり病気になれば当然体力は衰える。自力でほとんど歩けない者もいた。

(山を下りるには人手が足りなすぎる……)

 今の少人数でそれをカバーしながら下山するとなれば移動速度は格段に落ちるだろう。なにか不測の事態でも起こればまったく動けなくなってしまう危険さえある。

 それを考えると、キュンメルの救援隊を待ってから移動を開始したいところだ。

 が、しかし。

(……時間が限られてる。カフィー隊が下山ルートを封鎖してしまったら、全員を無事に逃がすのはもう不可能だ)

 寝る間を惜しんで駆けつけたことで、現在のティースたちはカフィー隊の予定よりも二日ほど先んじていると考えられるが、それでも明後日の正午までには下山ルートの入り口に部隊が展開されることになるだろう。

 集落への侵攻がその日のうちか、次の日の夜明けを待ってからになるかはわからないが、いずれにせよ部隊が配置された時点で全員の脱出は困難だ。

「イライザさん。ここから下山するルートは二つだと聞きましたが、それ以外にはないんですか? 隠し道のような……」

「……残念ながら。ティースさんがご存知の二つ以外は、私たちが通れるような道はありません」

「そうですか……」

 その二箇所についてはもちろんカフィー隊も捕らえた少年からの情報で把握している。つまり、封鎖予定ルートを回避して逃げることはできないということだ。

 イライザは消沈したように視線を落とした。

「本当なら私たちもこういう事態に備えておくべきだったのでしょうが、ここは二百年以上も危険にさらされたことがなかったもので……」

「……」

 ティースは無言のまま外の景色に目を移した。

 太陽は頂点からわずかに西の方角へ傾きかけている。

(時間とリスク、か……どっちを取る?)

 集落の人々を全員連れて下山するには、どんなにスムーズに運んでも丸一日以上はかかる。そしてキュンメルの救援隊がここに到着するのは、エルバートがどんなに急いだところでティースたちより一日以上遅い、おそらくは明日の正午過ぎになるだろう。

 その時点で丸二日以上かかってしまう。つまり、すべて順調に運んでも時間が足りない計算だ。

 ……考えた末、ティースは決断した。

「イライザさん。……準備が済んだらすぐに出発しましょう」

「え? エルバートが戻るのを待たないで、ですか?」

 イライザはびっくりした様子だった。

 ティースはうなずいて、

「はい。キュンメルの助けを待っていたら確実に間に合いません。……使用する下山ルートはエルバートと打ち合わせ済みですから、ひとまず俺たちだけで可能な限り進んでおいて、途中でキュンメルの救援隊と合流するんです。全員を無事に脱出させるにはそれしかないと思います」

 イライザは困った顔をした。

「……私はともかく、子供や年寄りの方々はキュンメルがいないと不安になると思います。もしかすると途中でパニックになってしまうかもしれません」

 そんな彼女の心配はもっともだった。サポート人員がまったく足りない状況で、しかも準備だって万全に整えられているわけではない。

 ただ、明日を待っては確実に間に合わない。ここは割り切る必要がある――と、ティースは語調を強めた。

「皆さんの不安や危険は承知の上です。ただ、そうしないと助かる見込みがほぼゼロになるんです。……イライザさん。集落の人たちを説得してもらえませんか?」

「……」

「お願いします。俺を信用してください」

 そう言ってティースは頭を下げた。

 イライザが慌てて、

「や、やめてください! 私たちのほうがお世話になるのに、そんな――」

「……イライザさん。私からもお願いします」

 そこへ第三者の声。

 見ると、リィナがいつの間にかベッドから身を起こしていた。

「リィナ。起きていたのか?」

「ティース様、すみません。私だけお休みをいただいてしまって……」

「いや、気にしないでくれ。……今の話、聞こえてたのかい?」

「はい」

 小さくうなずいて、リィナは改めてイライザと真っ直ぐ向き合った。

「イライザさん。どうか私たちを信用してください。……ティース様は本当に皆さんを助けたいと思っています。私も皆さんと同じ<魔>ですけど、昔、ティース様に命を救われました。だから、ティース様ならきっと皆さんを助けられるはずです。だからお願いします」

 そう言ってリィナはティースと同じように深く頭を下げた。

「……リィナさん」

 イライザはそんなリィナを驚いたような顔で見つめていた。

 外では集落の人たちが慌しく動く音が聞こえている。イライザはいったん外へ目を移すと、さらに悩むように視線を泳がせた。

 が、やがて思い切るようにギュッと目を瞑ると、

「……わかりました。すぐ出発することにしましょう。私がみんなを説得します」

 大きく息を吐きながら、静かにそう言った。

「……ありがとうございます。イライザさん」

 ティースがホッとして改めて頭を下げると、イライザは苦笑して、

「ですから、それはやめてくださいって。……こういう状況になってしまっては私たちは無力です。ティースさん。リィナさん。お二人に皆の命を預けたいと思います」

 そう言ってゆっくりと立ち上がった。

「そうと決まればすぐにでも。ティースさん。手伝っていただけますか?」

「もちろんです。……リィナ。動けるか?」

「はい。ティース様のほうこそ、ずっと寝ていないのに大丈夫ですか?」

「俺は大丈夫だよ」

 本心ではティースの疲れもピークに達していたが、そんな悠長なことを言っていられる状況ではなかった。

「じゃあ急ぎましょう、イライザさん。日が沈むまでそんなに時間がありません」

 そうしてティースたちは即座に動き出す。

 集落の人々を説得し、最低限の食糧などを準備して。八十七名の<人魔>たちが動き出したのは、太陽の光がほんのわずかに赤味を帯び始めた頃。

 そんな彼らの命運はティースの両肩へと託されたのであった。




 ……が、しかし――

 その夜、早くも異変は起きた。


 集落を離れたティースたちが数時間移動し、野宿する場所を定めて歩みを止めたころ。

 下山ルートの下方から一つの気配が急に近づいてきたのである。

「……誰だっ!?」

 ティースの警告に返ってきた声は、聞き覚えのあるものだった。

「いた! ……ティース! 大変だよっ!」

「エル!? お前……なんでこんなところに!」

 やってきたのはカフィー隊に一人残してきたはずのエルレーンだった。

 そして彼女は、月明かりの下でもわかるほどに青ざめた顔で、出迎えたティースにこう告げたのである。

「大変なの! ネスティアスの部隊が山の下辺りまで来てるんだ! 下山ルートはもうどっちも封鎖されちゃってるんだよっ!」

「な……なんだって――ッ!?」


 静かなヴァルキュリス山脈の夏の夜。

 八十七名もの命を背負ったティースに、あまりにも絶望的な状況が知らされたのであった。

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