その4『遺志を継ぐ者』
単に『ネービス』といった場合、その言葉には2つの意味がある。
ひとつには高い外壁に囲まれたネービスの街そのものを指す場合。そしてもうひとつはそれを含む全体――つまり国家としての『ネービス領』全土を指す場合だ。
ティースを含めたディバーナ・カノンの面々は、ネービスの街を馬車で出発して2日目の夜、目的地であるネービス領内の外れにある小さな村へと到着すると、その夜は村人たちの歓迎を受けそのまま体を休めていた。
そして、次の日の朝。
空は快晴だった。
「んぅ――っ」
布団から上半身を起こし、大きく伸びをするティースを出迎えたのは、ネービスの街よりも活発な小鳥のさえずり。麗らかな日射しと食欲をそそる朝食の匂い。
そして、
「よっ、目が覚めたか」
昨晩、布団を並べて寝ることになったサイラスの声。
どうやら彼の方はティースよりだいぶ先に目覚めていたようだ。
ティースは軽く首を鳴らしながら言葉を返す。
「おはよう。ずいぶんといい天気だなぁ」
「だな。最近はだいぶ暑くなってきたし、少しは太陽さんにも遠慮してもらいたいもんだよ」
そんな愚痴をこぼすサイラスに、ティースは苦笑して身支度を整え始めた。
レアス、ヴィヴィアン、フローラの3人は別の家に宿を借りており、この家にいるのはティースとサイラス、それに家主の初老夫婦だけだった。
「今日はこれからどうするんだっけ?」
肌着に手を通しながら問いかけたティースに、サイラスはうなずいて、
「朝飯が終わったら村長さんに話を聞きに行く。で、色々調べ物をして対策を立て、実際討伐に行くのは明日以降だろうな」
「そっか」
その話を聞いて、ティースは少しだけホッとした。
そんな表情を見て取ったサイラスは笑う。
「ま、お前は初めてだし、今回はどんなもんか体験するだけだよ。隊長も言ってたけど、お前に剣を抜かせるようなことはない」
「けど、なにがあるかわからないし……」
ティースは着替え終えると、枕元に置いた荷物を手にして何度目になるかわからない点検をする。
(いざというときの水筒、非常食……剣はぴかぴかに磨いてあるし、それに――)
「ん? ……ティース。その袋はなんだ?」
「え? ああ」
サイラスが指さしたのは、ティースの腰にぶら下がる大きめの巾着袋だった。
「これは出発前、ファナさんにもらったんだ」
「ファナさんに? 中身は?」
「それが――」
ティースは困惑した顔で、袋を開ける。
「なんだ、これ?」
のぞいたサイラスも怪訝な顔をした。
中に入っていたのはさらに小さな袋が5つ。そのそれぞれになにか書いてある。
「なんだ、薬袋じゃないか。――鎮痛薬、止血薬、解毒薬、あとの二つはなんだ? 痺れ薬に……煙玉?」
「一応説明書きもついてるんだけど……痺れ薬は無味無臭だから食べ物に混ぜろとか、煙玉は水を染み込ませて5秒後に派手な音と煙が出るとか」
サイラスは苦笑しながら巾着の口を閉じた。
「あの人の考えることはたまにわからなくなるな。しかも解毒薬って、なんの毒かわからないじゃないか」
「なんにでも効くとかじゃないのか?」
「まさか。古代の超薬学でもあるまいし」
「そ、そういうもんなのか」
ティースはそういった方面に関しては、現時点ではまったく無知なのである。もちろん、デビルバスターになるためにはいずれ覚えなければならないことでもあった。
「でも……これってやっぱ、みんなはもらってないのか?」
「ああ。俺も昔、お守りみたいなものをもらったことはあるけどな。……ん? でも出発の日って確か、ファナさんは不在だったんじゃないか?」
「あ、いや。持ってきてくれたのはフィリスさんだったんだけどさ。それがなんかちょっと変な話で――」
そしてティースは出発の日のことを思い出していた。
――3日前、出発の朝。
「頑張って来いよ」
「気を付けてね」
「ムリしないようにな」
屋敷の門の前には1台の馬車が留まっている。そしてそこには20人以上もの人間が集まっていた。
ディバーナ・カノンの面々。そしてそれを見送りに来た屋敷の使用人や、それぞれの関係者たちである。
「……」
ティースは馬車のそばでそれを眺めている。
門から少し離れたところでは、隊長のレアスがやや年上ぐらいの少女に声をかけられている。
屋敷では見たことのない顔だから、おそらくは彼の個人的な関係者だろう。家族か恋人か、後者だとしたらずいぶんとマセているが――いや、すでにデビルバスターの称号を持つ少年にそんなことを言うのもナンセンスだろうか。
門の前ではフローラが、白衣を着た黒縁眼鏡の長身男性と話し込んでいる。その男性はティースも屋敷で何度か見掛けたことがあり、あるいは彼がフローラの旦那なのかもしれない。そういや黒縁眼鏡も密かにお揃いだ。
サイラスは屋敷の使用人――特に年齢に関わらず女性に多く声を掛けられている。あの甘いマスクに気取らない爽やかな性格だ。おそらく屋敷内でも普通に人気者なのだろう。肩を叩いて励ます年輩の女性もいるし、不安そうにしながらお守りのようなものを手渡したお下げの少女もいる。
そしてヴィヴィアン。意外といえばいいのか当然といえばいいのか、彼の元には最も多くの人間が集まっていた。老若男女、屋敷の関係者からそれ以外まで。いまいち統一性のない面々が見送りに来ている。
さて、それを眺めているティースであるが。
「ふぅ……」
所在なさげなこのため息を聞けばだいたいわかるだろうが、彼を見送る者は今のところひとりもいなかった。
それは別に予想外の出来事ではない。なにしろ彼は屋敷にやってきて日も浅い、修行やらなんやらで忙しく屋敷の人間と交流を持つことも少ない、加えて、彼はそれほど積極的に交流の場を求めるタイプの人間でもなく。
まだ屋敷内に知人友人という呼べる相手はほとんどいなかったのである。
(でも、実際にこういう光景を見ると淋しいもんだなぁ)
ティースにとっては間の悪いことに、屋敷でも数少ない知り合い――と言っていいかどうかはわからないが、ファナとアオイは早朝から用事で不在。他、見送りに来そうな知り合いに心当たりもなく。
……いや。
「ティース? 連れはどうした? 来てないのか?」
やってきたのはサイラスだ。ティースがひとりでいるのを見て怪訝そうな顔をしている。
「……」
ティースは黙って首を振った。
シーラが見送りに来るか来ないか、実を言うとティースの中では半々だった。最近の様子からすると望み薄だとは思っていたが、それでもこうして危険な場所に赴くのだから、来てくれるかもしれないとも考えた。
だが、現実はそういうものでもないようで。
「今日は休日だし、まだ早いから寝てるんじゃないかな」
「寝てるって……そんな馬鹿な」
サイラスは眉をひそめた。
「これから、魔と戦いに行くんだぞ? ヘタすりゃそれこそ今生の別れになるかもしれないんだ。誰かに言って、起こしてきてもらった方がいい」
「いや、いいよ。あいつの機嫌が悪くなるから」
「機嫌が悪くなるって……」
どうやらティースたちの関係を勘違いしているサイラスには、それが理解できなかったらしい。
気にしていないことを示すように笑いながら、ティースは説明した。
「前も言っただろ? 俺たちはそういうんじゃないんだって……あれ?」
「?」
途中で言葉を止めたティースに、サイラスは怪訝な顔でその視線を追う。
その先には、
「……ごめんなさい。ちょっと通してもらうわ」
門の前に出来た人垣から顔を出した、ポニーテールの少女の姿があった。
(シーラ……?)
ティースは目を見開き、それから2度、3度とまばたきする。その人物はどこからどう見ても、彼女に間違いない。消えることも別の人物に姿を変えることももちろんなかった。
「へぇ、これは、また……」
サイラスは察したらしく、少し口元に笑みを浮かべた。
「うわさには聞いてたけど、なるほど。お前が手離せない気持ちもわからないでもないな」
そう言って、ポンッとティースの背中を押す。
「いや、だからそういうんじゃ……」
誤解をさらに深めることになったようだったが、ティースはそれ以上は反論せずにシーラの元へと向かった。
もちろん、期待していなかったこの思わぬ出来事に少しだけ胸を弾ませながら。
「シーラ」
「ああ、そこにいたのね」
声をかけるとシーラは不機嫌そうにティースを見た。
不機嫌? ……いや、違う。
ティースはすぐにその原因に気付いた。
「シーラ? お前……どうしたんだ、その顔」
「……顔?」
一瞬わからない表情のシーラだったが、直後、見る見るうちにその目が険しさを帯びていく。
ティースは慌てて、
「いや! 変とかじゃなくて、ほら! 顔色が良くないっていうか、眠たそうっていうか!」
「ああ、そういう意味」
まるで風船がしぼむようにシーラの怒りゲージが収まっていく。そして少しだけまぶしそうに目を細めながら、
「眠いのよ。わかってるなら聞かないでちょうだい」
「なんで?」
「なによ」
「いや、なんで眠いのかなって……」
一瞬、ティースの頭に2日前の夜の光景――屋敷の敷地を誰かと歩いていた彼女の姿が過ぎった。
なんだかんだと言って古くからの付き合い、しかもティースにとっての彼女はかなり特別な存在である。やはり気にするなという方が無理な話だった。
だが、そんな彼の問いにシーラは眉をひそめ、
「お前にそれを説明しなきゃならない義務でもあるの?」
「……」
黙ったティース。
いつもならそのまま引き下がるところだったが、この日のティースは珍しくさらに一歩踏み込んだ。
「いや、ほら……一昨日の夜さ。お前が外を歩いているのを見たから」
「……それで?」
一瞬の空白は、彼女が少し動揺したことの証だったようにティースには思えた。
(……まさか)
そう思ってティースは少し不安になる。
もちろんあれが誰かとの逢引かなにかだったとしてもそれは本人の自由だ。咎める理由は基本的にはない。
ただティースが心配するのは、あんな夜更けにわざわざ館を出てコソコソと会うような相手が、一体どんなものかというところなのである。
そんな心配が――止めておけばいいものを――ティースの口からさらに踏み込んだ言葉を吐き出させる。
「なんかさ。まるで男と逢い引きでもしてるみたいに見えたから――」
「……だから?」
瞬間、ティースは自分の言葉を後悔した。
シーラの目が明らかな不快感をまとい、口調はまるで刃物のような険を帯びたのだ。
(しまった……)
だが、時すでに遅し。続くシーラの言葉は苛烈にティースを責め立てた。
「だとしたらなに? お前になんの関係があるの?」
「いや……ダメとかそういうことじゃなくて、ただちょっと心配だっただけで――」
「心配? お前が? なにを心配する必要があるの? お前に操を立てた記憶などないけれど?」
「そ、そういう意味じゃなくて」
疑問系を必要以上に含んだシーラの言葉は、ティースの焦りを増幅させ、後悔を募らせた。慌てて言い訳しても、出てくるのは気の利かない言葉ばかりだ。
「ただ、なんとなく気になっただけで……」
そんなティースはシーラはそっぽを向いて、
「お前には関係ないことでしょう」
「あ……」
引き留める間もなく、彼女は機嫌を損ねた様子でその場から去っていってしまった。
そんな後ろ姿を呆然と眺めながら、ティースは自らの頭を軽く叩き、大きなため息をつく。
(……馬鹿だ、俺。せっかく来てくれたってのに、怒らせちまうなんて……)
その様子を見ていたサイラスは首をかしげながら近付いてくると、
「どうしたんだ? 怒って帰ったみたいに見えたけど」
「怒って帰ったんだよ」
肩を落とすティースにはそれ以外に答えようもなかった。
サイラスはいまいち状況を理解できないようだったが、やがて仕方なさそうに首を振ると、
「よくわからんけど、あれだけの美人なら大事にしてやんないとそのうち逃げられちまうぞ?」
「大事にしてるつもりなんだけどなぁ」
彼女が余計な詮索を嫌う人間なのはティースにもよくわかっている。
(でも、心配なんだから仕方ないじゃないか……)
大事にしようとすればするほどに嫌われるのだ。ティースにとってはどうしようもないジレンマである。
「なあ、サイラス」
ティースはシーラの後ろ姿が消えた先を眺めながらポツリとつぶやいた。
「詮索されるのが嫌いな人ってのは、他人に心配されることも嫌なのかなぁ」
「はぁ? ……いや、それは人それぞれだし、状況次第だろうけど。でも、赤の他人に詮索されるのは嫌にしても、親しいヤツが真剣に心配してくれるのは嬉しいものじゃないのか、普通?」
「そうかなあ、やっぱり」
サイラスの言葉はティースにも充分納得できた。
(ってことは、あいつにとっての俺はその程度の存在ってことなんだよなぁ)
考えれば考えるほどに、ティースの胸を寂しさが襲う。
(ま、仕方ないか……)
ただ、それも今に始まったことではないので、ティースはすぐに立ち直って考えることを放棄していた。深く落ち込むほどには、すでに彼女との関係に希望を持っていない――半分諦めている状態なのである。
そうこうしているうちに出発の時間が近付いてきた。
集まっていた人々の半数以上はすでに去り、最後まで残っていたのはメンバーと特に親しい人間たちだろう。
「じゃ、出発しますよ」
御者がそう言って馬車の向こうから顔をのぞかせた。
それを合図にディバーナ・カノンの面々はひとりずつ馬車に乗り込んでいく。
まずレアスとヴィヴィアンが乗り込み、フローラは最後まで残っていた男――おそらく旦那だと思われる人物といくつか言葉を交わしてから。そしてサイラス。
最後にティースが乗ろうとしたところで、
「あっ! ちょっと待ってくださーいっ!」
「?」
振り返ったティースの視界に入ったのは、屋敷の方から駆けてくる使用人の姿。羊を思わせるクセのある髪は、ティースにも見覚えがあった。
(えっと、確かフィリス――)
「ティース様! 忘れ物です!」
「忘れ物? ……なにそれ? 巾着?」
はぁはぁと息を切らせ、フィリスは大事そうに抱えていたものをティースに差し出した。
「あの、ファナ様からです。ティースさんに渡してくれとおっしゃっていたそうです」
「? ファナさんから?」
怪訝に思いながらひとまず受け取ってみると軽い。中をのぞいてみるといくつかの小袋が入っていた。
「これは?」
「あ、いえ、私もファナ様から直接お預かりしたわけではないので、中身に関しては全然わからないんです」
「?」
どうしてそんなものが人伝いに渡ってきたのかティースは不思議に思ったが、それでも中身を見てみると、どうやら戦いにそれなりに役立ちそうな薬類らしい。
ただ、中には変なものも混ざっていて、ティースは再び首をかしげずにいられなかったのだが――
「……ああ。あのときにフィリスが持ってきたやつか」
サイラスもどうやらその状況を目に止めてはいたらしい。
「でも確かに妙だな、あんなギリギリになって。それにファナさんから直接預かったわけじゃないって、フィリスは誰からもらったんだ? 侍女長なら今朝は館にいたと思うが」
「だろ? いや、だからどうだってわけでもないんだけどさ」
もちろんそれはティースにとって重大な問題というわけではない。フィリスだってまさか見知らぬ人間から受け取ったわけではないだろう。
「ま、なにか事情があったんだろうな」
サイラスもそれ以上はなにを言うこともなく。
「ティース様、サイラス様。朝食の準備が出来ましたよ」
2人は家主である老夫婦の声に、朝食を摂るべく部屋を出たのだった。
場所は変わって村長の家。
しかし村長といっても、ここの村長は非常に若い人物で、おそらくは40歳前後、ヘタをすれば30代前半にも見え、少し恰幅のいい人の良さそうな好人物――それがティースの第一印象だった。
「昨日はたいしたおもてなしもできませんで、失礼いたしました」
村長の家は周りの家と比べて特別大きいわけではない。いや、むしろ小さい――背の高いティースなどは入り口で何度も頭をぶつけそうになったぐらいで、なるほど、ティースたちを別の家に泊まらせた理由もよくわかる。
小さな村とはいえ、そこの長であれば多少は裕福な家庭を想像するものだが、この村に関してはそういうわけでもなさそうだった。
カノンの面々は勧められたソファに腰掛けており、そして村長の言葉に答えたのは、相変わらず上品そうに微笑んだフローラだった。
「いえいえ、私は充分楽しませていただきましたわぁ」
「それで? 早速だけど、話を聞かせてくれよ」
「え、ええ」
フローラに続いたレアスの言葉に、村長は少しだけ困惑の色を浮かべていた。彼がこのチームの隊長だということは昨晩のうちに伝えてあったが、それでも村長の戸惑いは消えていないらしい。
もちろん、その気持ちはティースにも理解できた。
(そりゃ、なぁ)
レアスは常人離れした闘気と目つきの悪さを別にすると、外見はまったく普通のヤンチャ坊主だった。そんな彼が隊長で、デビルバスターで、しかも態度が尊大だと来たら戸惑わない方がおかしい。
「その前にお茶をどうぞ」
お茶を運んできたのは、やはり30代ぐらいの線の細い綺麗な女性だった。村長とはタイプがまったく逆だが、おそらく彼の妻なのだろう。
「む、申し訳ない」
ヴィヴィアン、レアス、フローラの順でお茶を置き、奥さんは一度キッチンの方へと下がっていった。
そして、
「どうぞぉ」
「え?」
ティースとサイラスへお茶を持ってきたのは、別の人物だった。
ソファに座るティースたちと目線の高さが同じぐらいの身長。左右についた2つの赤いリボンが印象的な少女だった。
年齢はおそらく10歳にも満たないぐらいだろう。
「ありがとう」
言葉を探っていたティースの横から、サイラスがにこやかに少女に挨拶をする。
「君はここの家の子かい? 名前は?」
「え、あ……」
少女は少し困った様子だったが、それでも人見知りしない子なのかすぐに答えた。
「リズだよ」
「リズか。賢そうで良い名前だ」
「……えへへ」
照れたのか、リズははにかむようにしてサイラスに笑いかけた。
「お兄ちゃんたちはよその人でしょ? どうして来たの? 旅の人?」
どうやらリズは事情を知らないらしい。いや、年齢を考えれば当たり前だろうか。
もちろんサイラスもそれを察していて、
「ああ、そうだよ。お兄ちゃんたちは大陸の色々なところを旅しているんだ」
「じゃあじゃあ、なにかおもしろい話とかできる?」
どうやら彼女はその活発そうな外見の通り、好奇心の旺盛な性格らしい。
サイラスはうなずいて、
「そうだな。もしゆっくりお話できる時間があったら、色々と話してあげるよ」
その言葉にリズは目を輝かせた。
「ホント!?」
「ああ、約束だ」
優しい笑顔で、サイラスは少女と小指を交わした。
それを見てティースは妙に暖かい気分になる。今のサイラスには、いつか彼の言った『復讐』だなんて言葉が不釣り合いのように思えて仕方なかった。
そこへ、村長がリズへ声をかける。
「リズ。お前はそろそろ外へ行って遊んできなさい。パパはこのお客さん方と大事なお話があるからね」
「はーい」
リズは元気良く答え、それからねだるようにして、
「できるだけ早く終わらせてね。私、お兄ちゃんにいっぱいお話してもらうんだからっ」
「ああ、わかったわかった。森へ行っちゃダメだぞ」
「はーい」
手を振って、リズはアッという間に外へ飛び出していってしまった。
村長は彼女を送り出してから、サイラスに向かって頭を下げる。
「どうもすみません。わがままを」
「元気で素直そうなお子さんですね」
見送ったサイラスの言葉に、村長は頭の後ろを掻きながら照れたように答える。
「いえいえ。見ての通りおてんばな子でして……」
「いいえ、元気なのはいいことですよ。僕がもう少し若かったら、お嫁さんに欲しいぐらいです」
「……」
村長は目をぱちくりさせていたが、その後ろに控えていた奥さんがクスクスと笑い出す。
ようやく冗談だと気付いた村長も笑い出した。
「ははは、もし10年後もお独りでしたら、ぜひともご検討ください」
そこへヴィヴィアンが、腕を組んでなにやら納得顔をする。
「そうか、サイラスくん。君がなかなか女性に興味を示さないのは、成熟した赤い果実よりも未熟な青い果実を好むからなのだね?」
サイラスは苦笑して、
「ご両親の前じゃ問題発言になりかねないな、それは。と、まあ、冗談はこのぐらいでしょうかね、隊長」
「……」
レアスは相変わらずのツンとした表情のまま、サイラスの言葉にゆっくりとうなずいて、
「じゃ、事情を詳しく説明してもらおうか」
「……ええ」
サイラスが演出した場の和やかな空気は、すぐに緊張感あふれるものへと変わった。
そして、この家の中にいる残りのひとり。
村長の隣に、男が座っている。
「彼が、魔に襲われて命からがら逃げてきた村の者です」
全員の視線がその男に集まった。
顔の半分に巻かれた包帯が生々しい。年齢は20代後半ぐらいだろうか。骨折しているのか腕を吊っており、その他にも爪で引っかかれたような細かい無数の傷が痛々しかった。
「なるほど」
さっそくレアスが男へと問いかける。
「まず、その魔の特徴を出来る限り詳しく話してくれ」
「ええ」
男はそのときのことを思い出しているのか、かすかに顔を歪めながら答えた。
「最初は猿かなにかだと思ったんです。でも、私が知っているものとは耳の形とか目の色とかが違っていて、なにより普通の猿に比べてふた回りは大きかったんです。私たち大人の人間より少し小さいぐらいでしょうか……それが3匹、狩りをしていた私と私の知人4人に襲いかかってきたんです」
「体毛の色は?」
「全体的には茶色で、でも、ところどころに黒い斑点がありました」
「知能は高そうだったか? 言葉は?」
「少なくとも意味のありそうな言葉はしゃべってませんでした、変な鳴き声みたいなものは上げてましたけど……」
「そうか」
うなずいて、レアスは村長の方を見ると、
「それで生き残ったのはこいつだけか?」
「……はい」
村長は沈痛な表情で答える。
隣の男も顔を歪めてうつむき、唇を震わせていた。
村長が言葉を続ける。
「実は……昔からこの辺には同じ種類の魔が出没していたんです。ただ被害は決まった時期、年にせいぜい1、2回。それで今まではその時期に注意を呼びかける程度で済んでいたんですが、ここ最近は急に活動が頻繁になって、今まで安全だった村に近い場所でも被害がでるようになって。彼も村に近い森の入口付近で襲われたのです」
「それで俺たちに頼ったってわけだな」
レアスは腕を組んでうなずいた。
ただ、ここまでの話は彼らもすでに知っている情報だ。
ディバーナ・ロウには『影裏』と呼ばれる情報収集部隊があって、ネービス領の各地に散らばっている。大抵の場合、彼らが依頼について様々な情報を事前に集め、実際に部隊が派遣されてくるのはその後だ。
だから彼らディバーナ・カノンのメンバーは、あらかじめその辺の事情は承知済みなのである。
村長と男に尋ねたのは、あくまで確認のためだ。
「今は森を立入禁止にしてはいるのですが、森にはこの地の特産物が群生してまして、それがなければ私たちの生活もままなりません。それに、奴らがいつこの村にまで押し入ってくるか心配で心配で……」
村長はまるで祈るように手を組み、そして深々と頭を下げた。
「お願いします。私たちの村を救ってください」
「言われるまでもない」
そんな村長に対し、レアスは相変わらず尊大な態度ながら、きっぱりと答えた。
「俺たちはそのために来たんだからな。任せておけ」
「――地の七十三族だな」
ディバーナ・カノンが借りている家のうち、レアス、フローラ、ヴィヴィアンが泊まっている家。そこはこの村でも裕福な家らしく、ざっと見たところ村では一番大きい。家主は村長の兄夫婦のようだ。
村長から状況説明をうけたメンバー5人は、大きな部屋の床に村周辺の地図を広げ、先ほど運ばれてきた昼食のサンドイッチを食べながら、その対策を練るべくこうして集まっていた。
とはいえ――
「地の七十三族か。なら、多少群れてても大丈夫でしょうかね、隊長」
「どうだかな。確かに話を聞く限りじゃ、数もそれほど多くなさそうだったけどよ」
「なにか心配でも?」
「ちょっとな。最近になって急に被害が増えたってのが」
(……うーん)
レアスとサイラスの会話は多少専門的でもあり、ティースには理解できないことも多かった。今後の勉強だと思って真剣に聞いてはいたが、フローラとヴィヴィアンなどは最初から会話に参加する気もなさそうである。
(地の七十三族ってなんだろう? 種族名っぽいけど……)
ただ、2人の会話の内容から、さほど手ごわい相手ではないらしいことはティースにも理解できる。
「とりあえず地図だけじゃわからねえこともあるからな。明るいうちに少し歩いてみて――」
「村の人たちのことを考えると、できれば明日には――」
(……ん?)
話を聞くだけの状況に少し疲れ、ティースがなにげなく窓の外に目を向けると、そこにちょうど見覚えのある人影が見えた。
(リズって言ったっけ、あの子)
日射しのあふれる中、同い年ぐらいの子供数人を引き連れて歩く少女。
(村長がおてんばって言ってたけど、本当みたいだな)
引きつれている中には男の子も混じっているようで、その先頭を歩いているのだからよほどのものだ。
……そしてふと、リズの後ろを従者のようについていく男の子に自分の姿がダブってしまい、ティースは密かに苦笑する。
(シーラはあんな子供じゃなかったけどなぁ)
ただ、どうにも逆らえそうにないという部分に関してはやはり一緒かもしれない、と、ティースはそんな風に思ったのだった。
――さて。
結局、それから1時間弱の時間をかけておおよその方針が決まった。
今日は周辺の地形を含めた下見に徹し、翌日、日の高いうちに掃討作戦を実行するということである。
そしてその決定通り、まずは昼から夕方までの3時間ほど、ディバーナ・カノンのメンバーは全員が固まって森の入口付近を調べ、被害者の男に同行してもらって彼が襲われた場所も調べることにした。
そこは村長が村に近い場所と言ったのもうなずける、森の入口から5分ほど入った程度の場所だった。話によれば、昔は子供たちですらその辺りにまで入り込んで遊ぶことがあったという。
彼と一緒に襲われた村人たちの遺体は、どうやら村の者が総出で回収し弔ったらしくその場にはなかったが、その痕跡はまだ残っていた。
どす黒い血と泥に汚れ引き裂かれた洋服の破片、そしておそらく必死の抵抗をしたのであろう、切り傷のようなものが周囲の樹木に残っていたのだ。
そうしてその周辺をさらに少し探り――といってもティースはほとんどやることもなかったが――今日の作業をすべて終えてそれぞれの宿へと戻ったころ、太陽は西に向かってゆっくりと沈み始めていた。
「はぁ……」
そして今、ティースは沈みかけた太陽と同じような気分で、部屋の片隅に座り込んでいる。
「緊張してるのか、ティース?」
逆側の壁に背を預け、念入りに武器――ティースと似たタイプの中剣を手入れしていたサイラスは、午前中と変わらない落ち着いた様子だった。
「緊張っていうか……まあ、ね。俺が役に立つのかなっていうのもあるし」
サイラスは笑って答える。
「朝にも言っただろ。今回のお前は研修みたいなもんだから、深く考えることはない。それに隊長は色々と言ってたけど、今回の相手は地の七十三族ってやつで、こいつは魔の中でも取るに足らない部類だ」
「それでも魔は魔だろ?」
「ピンキリさ。凶暴で大型の猿だと思えばいい。それより今回は思ったより早く帰れそうだから、戻ったら出掛けにケンカした彼女に早めに謝っておいた方がいいぞ」
サイラスは緊張している様子もないし、早くも終わった後のことを考えている。その辺は経験の差か、あるいは性格の違いか。
どちらにしろ今のティースには彼のように楽観的になることなどできそうになかった。いくらたいしたことはないと言ったところで、その魔は実際に何人もの人を殺害している存在なのだ。
(あぁ……なんか胃が痛くなってきた)
「……」
そんなティースを見つめ、サイラスは少しだけ目を細めた。
「……ん?」
それに気付いたティースが疑問の視線を返すと、
「ああ、いや……なんでもない」
再び、サイラスは武器の手入れへと戻る。
そうしてしばらく続いた沈黙。
窓から射し込む光は徐々に赤みを帯び始め、あと1時間もすればその姿を山間へ隠してしまうことだろう。
外から聞こえる声は子供たちが友達に別れを告げるものだろうか。明日の再会を約束し、家へと戻っていく。
(……また明日、か)
ティースはそんな子供たちの言葉を、少しなつかしく思いながら聞いていた。
……少年時代、ティースはここの村の子供たちのように、友達と遊んだりはしなかった。というのも彼の少年時代は彼らのように自由に遊べる環境にはなく、そして同年代の友達というのもほとんどいなかったからだ。
ただ、そんなティースにも唯一、同年代の――正確には少々年下だったが、周りから比べればずっと歳が近い友達が出来たことがあった。
いや、正確には『唯一』ではなく、複数であったが。
(今ごろどうしてるんだろうな……)
また明日。
確かにティースも毎日そんな約束をしていた。おそらくはあの日――突然の別れが訪れた日の前もそうだっただろう。
それは彼がまだ子供だったころの、なつかしい思い出――
「また明日、か」
ふと、そうつぶやいたのはティースではなかった。
「いい言葉だな」
「……サイラス?」
いつしか剣を磨くサイラスの手は止まり、その視線は窓から外へと向けられていた。
2つの瞳が赤みを帯びた光を受け寂色に染まる。
そして、まぶしそうに目を細めた。
「俺も昔は信じていたよ。また明日、ってな。そう伝えれば、明日には必ず会えるものだと、なんの疑いもなくそう信じていた」
パチン、と剣が鞘に収まった。それを脇に置いてサイラスは軽くため息をつき、ゆっくりと天井を見上げる。
その指先は、無意識の動きで胸元のロケットをもてあそんでいた。
(あ……そうか。サイラスは――)
その視線に気付いたのか、サイラスは少しためらってから口を開いた。
「こいつとは親同士が仲良しだったんだ。……ああ、ウチは街から街へ頻繁に移動する商人の家でな。安全のために他の家族と一緒に集団で移動することが多くて、こいつの家族とも事ある毎に一緒に旅してたんだよ」
「……」
ティースは黙って耳を傾けた。
どうしてサイラスが急にそんなことを話す気になったのかはわからない。ただ、おそらくそれは彼がデビルバスターを目指すことになるきっかけの話だ。
おそらく、金のためでも名誉のためでもない。そんな彼がデビルバスターを目指すことになったきっかけ。
ティースはそれを聞いてみたかった。
「俺が確か12歳だったから……7年ぐらい前か。いつものように街から街に移動する途中、急に魔に襲われてな。一応、護衛みたいのも何人かいたんだが、敵わないと知るとほとんどが逃げていった。俺たちも必死でさ。取るものも取りあえずに逃げ出したよ。両親ともはぐれて、一緒にいたのはこいつと、どこかの家族の見知らぬ女の子がひとりだった」
もてあそんでいたロケットのフタが開く。
現れたのは以前ティースも目にした、細身で人の良さそうな青年の肖像画。
「いかにもお人好しっぽいだろ?」
ティースの心を読んだわけでもないだろうが、サイラスは笑いながら、
「10歳にも満たないような女の子を連れて逃げるなんてムリだったんだよ。案の定、俺たちは1匹の魔に追いつかれた。こいつは見ての通りお人好し……っていうか、馬鹿みたいなヤツでな。ほとんど顔も知らないその女の子を助けるために、勝てるはずもない魔に立ち向かっていったんだよ」
「……」
サイラスのその笑みが、途中から自嘲的な色を帯びていたことにティースは気付いていた。
「でも俺は逃げた。だってそうだろ? 勝てるはずなんてないさ。俺は子供だったし、だいたいが丸腰だ。死ぬのは怖かったし、顔も知らない子を命がけで助ける――いや、そんなことで犬死にするなんてまっぴらゴメンだったからな」
「それは……正しいと思う」
ティースがごく正直にそう言うと、
「だろうな」
サイラスはのどの奥で笑った。
「けど、俺は納得できなかったんだ。そのときは目の前の恐怖から一目散に逃げ出したけど、後になって何度も何度も頭を過ぎった。……あのとき、俺にもなにか出来たんじゃないかって。結局あいつも女の子も殺されちまったけど、あのとき俺が背を向けなければ、もしかしたら2人を助けられたんじゃないかって」
「……」
「過去には戻れないからな。その答えは出ないが……」
パチン、とロケットのフタが閉じる。
寂色に染まっていたサイラスの瞳は、まっすぐティースに向けられていた。
まるで、そこになにかを重ね合わせるかのように。
「あいつは無念だったと思うんだ。女の子を助けることができなくてさ。だから、俺がもしデビルバスターになってたくさんの人を助けられたら、そしたらあいつの無念も少しは晴れるんじゃないかって」
「……そっか」
サイラスの気持ちは、ティースにもなんとなくわかるような気がした。
親友が果たせなかったことを代わりに果たしてやりたい。厳密にいえば意味は異なるだろうが、それは無念を晴らすというより遺志を継いだと言った方が正しいのかもしれない。
「ま、もちろん、単純に俺から家族や親友を奪った魔が憎いってのもある。むしろそっちのがデカいかもな」
最後にサイラスは明るく笑った。
今度は自嘲的ではなく、自虐的でもなかった。
「ああ……こんな話、ビビや隊長たちには内緒だぞ?」
「……どうして俺に?」
素朴な疑問を口にしたティースに、サイラスは自分でもその理由を探すかのように視線を泳がせて、そして答えた。
「さぁ、なんでだろうな」
あいまいだった。
本人も理解していないのか。あるいはその理由を口にすることがためらわれたのか。
「悪い。なんかしんみりしちまったな」
「いや……聞けて良かったよ」
それはティースの偽らざる気持ちだった。
「そうか」
サイラスはうなずいて、少しだけ嬉しそうだ。
そして――異変が訪れたのはそれから数分後。
「みなさん!」
「?」
「村長?」
真っ青な顔で突然家に飛び込んできた村長は、自らの動揺を隠そうともせずに言ったのである。
「私たちの娘が……リズが森に向かったまま帰ってこないんです――!」