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デビルバスター日記  作者: 黒雨みつき
第13話『ティースの憂鬱な日々』
118/132

幕間その1『エリートたちの憂鬱~前編~』

 ネービスが誇る公的デビルバスター部隊ネスティアス。

 その要となるのは言うまでもなく、それぞれが大陸でもトップクラスの実力を持ったディグリーズと呼ばれる十人のデビルバスターたちである。

 ただ、ネスティアス内外からの尊敬と憧憬を惜しみなく浴び続け、その能力に見合った高待遇で迎えられている彼らではあるが、実際の生活はそれほどに優雅なものでない。ネービス領に害を為す危険な<魔>と戦い続け、もちろん命を落とすこともある。ここ二年ほどは死者が出ていないが、何年か前には一つの任務で複数名のディグリーズが死亡するということもあった。

 そしてもう一つ、彼らが決して安穏としていられない理由が、年に一度の『異動』である。

 年の初めに前の一年間の働きが評価され、ディグリーズとしての階級が変動するのだ。働きが少なかったものは降級し、活躍をしたものは昇級する。組織としては当然の動きであるが、毎年のこの結果に一喜一憂しなければならない立場の者は少なくはない。

 ディグリーズの中でも階級が下位の者にとっては、自らの地位を左右する深刻な問題なのである。




 カレル=ストレンジはここのところずっと不機嫌だった。

 彼はもともと自分が愛想のよくない人間であることを自覚しており、周りから見ればいつでも不機嫌なように見えるタイプではあったが、朝起きて夜寝るまで不機嫌な状態が一週間も続いたのは、もしかすると初めてのことだったかもしれない。

 その不機嫌の原因はわかりきっている。

 ネービスの公女であるサイアの存在だ。

 とある任務でカレルが彼女の護衛を務めたのがちょうど一年ほど前のこと。それからというもの、サイアは事あるごとにカレルに対して無理難題を押し付けるようになった。カレル自身もそれを素直に聞き入れるような性格ではなかったため、彼女に呼ばれるたびに口論となってしまうのである。

 さらにカレルにとって我慢ならなかったのは――

「なんだ、カレル。またサイア様に言い負かされちゃったの?」

「……」

 むすっとして机に肘をつき、睨むようにあらぬ方向を眺めていたカレルに対し、ディグリーズの証である漆黒の制服に身を包んだ女性が笑いながら手にしたリンゴに歯を立てた。

「どうせ勝てないんだからやめとけばいいのに。キミの負け犬みたいな顔、僕はあまり見たくないなあ」

「リゼット、てめえ。誰が負け犬だと?」

 カレルが苛立たしげに鋭い視線をリゼットに向ける。リゼットは軽く流して、

「ま、ディバーナ・ロウとパイプを作っておくって公女様の考えは別に間違ってないと思うよ」

 カレルに背中を向けて机に軽く腰を預けると、シャク、と、再びリンゴに歯を立てた。

「クインシーの昇格で僕らの意見はますます通りにくくなったものね。最近じゃサイア様がこっち寄りってのも公然となりつつあるし、いまさらディバーナ・ロウに近づいたところで向こうもそんなに騒がないでしょ」

「……」

 カレルは無言だった。

「ま、キミの気持ちもわかる。ある意味じゃ僕らの力不足を当て付けられたようなものだしね」

「別にそんなんじゃねえよ。ディバーナ・ロウとかもどうでもいい。ただ、やり方が気に食わないだけだ」

「やり方?」

 リゼットが肩越しに視線だけを向けて不思議そうな顔をしたが、カレルは答えずに話題を変えた。

「ところでお前、今回の件はずいぶん簡単に引き下がったらしいな」

「カフィーのことかい? まあ、今に始まったことじゃないし。泥仕合は僕の流儀に反するからね」

「あの公女の入れ知恵じゃなかったのか?」

「まさか。そこまで口を出されたら僕だって反論の一つや二つするよ。自分から手柄を譲ってあげられるほど余裕ある立場でもないしね。……あ、これ半分食べる?」

 と、リゼットが食べかけのリンゴを差し出す。いらねえよ、と、カレルが嫌そうな顔で手を振ると、リゼットはそっか、と、少し残念そうにつぶやいて、

「今日の仕事はもう終わりでしょ? 久々に、どう?」

 と、今度はコップを傾けるような仕草をする。

 そんなリゼットの申し出に、カレルは眉間に皺を寄せて、

「先週行ったばかりじゃねえか。ラドフォードの野郎がまた悪酔いして大騒ぎになっただろ」

 するとリゼットはカレルのほうに身を乗り出しながら、

「鈍いなぁ。二人きりで、ってことに決まってるじゃないか」

「おい、机に乗るな。しなだれかかるな、気持ち悪い」

 カレルがますます眉間の皺を深くすると、むぅ、と、リゼットは不満げな顔をする。

「女性に迫られて第一声が気持ち悪いとか……普通の子だったら泣いちゃうよ?」

「心配ねえよ。こう見えても相手を選んでる」

「またまた。どうせ僕以外に迫られることなんてないくせに。で、どう?」

 机から下りたリゼットが改めてそう尋ねると、カレルはゆっくりと椅子から立ち上がって答えた。

「今日はこの後訓練場だ」

「訓練場? 誰かの特訓かい?」

「ああ。自分のな」

「……つれないなあ」

 不満げなリゼットを半ば無視して、カレルは壁にかけてあった上着と愛剣を手に取る。

「お前も最近なまってるんじゃないか? 現状に満足したらそこで終わりだぞ」

「大きなお世話。僕は僕なりにやってるよ」

「ならいいがな。ほら、さっさと出ていけ」

「わ、待ってよ。もう、せっかちだなぁ」

 追い立てられるようにリゼットが部屋を出る。

 すぐ後に続いたカレルはドアに施錠すると、じゃあな、と、一言だけつぶやいてさっさと訓練場のほうに足を向けたのであった。




「……あーあ。なんか最近フラれてばっかだなあ」

 太陽がほとんど沈んで薄暗くなったネスティアス本部の廊下を歩きながら、リゼットは愚痴交じりのつぶやきとともに天井を見上げた。

「たまには付き合ってくれてもいいのにさ。相談したいこともあったのに」

 とはいえ、リゼットはカレルがそこまで他人の心情を汲めるような人間でないことはわかっていた。二人は同門の出であり、それ以上に同じ家で育った姉弟のような間柄である。彼の性格は誰よりも知っているつもりだった。

 にも関わらず。

 リゼットは予想通りの展開に少々本気で落胆してもいたのである。わかってはいるけど、もしかしたら――の、後者のほうに少しだけ期待していたからだ。

「はあ。しょうがない。一人寂しく悶々としてようかな」

 ピタ、と、足を止め、なんとなしに外の景色を眺める。

 ちょうど遠くの山の陰に太陽が沈もうとしていた。

 しばらく目を細めてその景色を眺めていたリゼットだったが、ふと、小さなため息とともに口から無意識のつぶやきが漏れる。

「遠いなあ……」

「……リゼット? どうした?」

「!」

 突然背後から聞こえた声に驚いてリゼットが振り返ると、そこにはよく見知った顔があった。

「なんだ。クインシーか」

「棘のある反応だな」

 リゼットやカレルと同じ漆黒の制服に身を包んだ男、クインシーはそう言いながらリゼットに近づいてくると、彼女から少し離れた窓際に立って同じく外の景色に目を向けた。

 リゼットはクインシーの横顔にチラッと視線を向けて、

「なんの用? 僕らとしゃべってたらオリヴィオさんに叱られるんじゃないの?」

「ふっ……あの人はそんなに器の小さい人じゃない。私たちが同門の出だというのはわかっていることだしな」

「ふぅん。でも僕はあまりキミとおしゃべりしたい気分じゃないな」

「……嫌われたものだ。旧友が悩んでそうな姿を見て思わず声をかけただけなのだがな」

「キミが今のキミじゃなければ、喜んで聞いてもらってたよ」

 リゼットが再び外に視線を戻す。

 今度はクインシーがそんな彼女を横目で見て、

「それと、貴様には一つ謝っておこうと思っていた。カフィーのことでな」

「カフィーのこと? あれ、キミらのグループで画策したわけじゃなかったんだ」

「見損なうな。そこまではしない。……リゼット。悩みがあるなら本当に聞くぞ? 確かに私たちは主張を異にする敵同士かもしれないが、個人としてはまた別だ。少なくとも私はそう考えている」

「……」

 リゼットは無言のまま視線を上に向けた。天空の中心に近い部分から夜の帳が下り、雲の隙間からは無数の星が顔を覗かせている。夏の夜空は冬に比べると青みが強く、どことなく温もりがあって海の色に近いような気がした。

「……なんか、さ。あのときを思い出すよね」

「なんだ?」

 リゼットがクインシーのほうに顔を向けて、初めて視線が交わった。

「僕らがネービスに出てくるよりずっと前。十年ぐらい前かな。道場で稽古してる最中に、僕が突然具合悪くなって倒れたときのこと」

「……あまり覚えてないな。なにかあったか?」

 と、クインシーが視線をそらした。明らかに覚えている様子だったが、リゼットは特に突っ込むことなく続けた。

「あのときもキミが真っ先に悩みを聞いてくれたんだよね。……懐かしいなあ」

「……」

 その言葉にクインシーはなんとも言えない微妙な表情になったのだった。




 ――リゼット=ガントレットはネービス領の西にあるジラートという小さな街の剣術道場に生まれた。道場主である祖父はデビルバスターの称号こそ持っていなかったが、若い頃は<魔>と戦うことで名を挙げた高名な剣士であり、師としてもリゼットが生まれる前にすでにデビルバスターを一人輩出していたことから道場自体もかなり有名だった。弟子の数も多く、中には子供もたくさんいて、リゼットはそんな男ばかりの世界で育ったのである。

 そんなリゼットが道場に通う少年たちに混じって剣を手にするようになったのは当然の流れだった。


 ……いや。

 正確に言えば、リゼットはその中にいた一人の少年に影響されて剣を始めたのである。


 その赤ん坊はリゼットが生まれた約一ヵ月後に道場の前で発見された。赤ん坊には名札が残されており、そこにはカレル=ストレンジと記されていた。

 当初はストレンジというファミリーネームを頼りに親を探したものの、ジラートの街にその名を持つ家は一つも存在せず、やがて『リゼットが双子だったと思やいい』という祖父の言葉によって、カレルはガントレット家で育てられることとなった。

 カレルには物心がついた時点ですぐに捨て子だったことが告げられていた。そしてまだ幼い彼が自立するための道として選んだのが剣術であり、その道をともに歩んだのがガントレット家の一人娘であるリゼットと、後に道場に通うようになったクインシー=フォーチュンだったのである。


 クインシーはジラートの街でも一、二を争う大地主の三男として生まれた。歳の離れた二人の兄の他に、生まれた時点ですでに他家に嫁いでいた姉がいて、家族は皆シビアでリアリストな価値観の持ち主だった。

 そんなクインシーがリゼットやカレルのいる道場に通うことになったのは、彼が三男であり、跡取りとして期待されていなかったことから、剣術ぐらい身につけても損はないだろうと判断されたためである。

 しかしクインシーは周りの予想を遥かに超えて成長した。その原動力としてリゼットやカレルの存在があったことは言うまでもない。


 そして三人は同門の徒となった。

 厳格だったリゼットの祖父をして『五十年に一人の逸材』と評されたカレルの背中を追うように、リゼットとクインシーの二人も目覚しい成長を遂げていったのである。




「――あの頃はさ、二人でどっちがカレルに追いつくかって競争してたんだよね」

 と、リゼットは遠い目で沈み行く太陽を眺めながら言った。

 クインシーもその視線を追いながら、

「どうだったか。私はカレルの後塵を拝したことは一度もないと思っているがな」

 そう言うと、リゼットは声を抑えながら笑った。

「またまた。道場に通い始めたばかりの頃だったかな。同年代の子よりちょっと強かったからって調子に乗ってカレルに挑んだら、こてんぱんにやられちゃったじゃない」

「……勝負は時の運だ。そういうこともある」

「顔真っ赤にして泣きそうだったのに?」

 からかうようなリゼットの言葉を、クインシーは真顔で否定する。

「それは貴様の記憶違いだ、リゼット。確かに初戦では敗退したが、その後で何度かやり返したはず」

「はは、じゃあ、そういうことにしておこうか。それでさ――」

 と。

 リゼットがそう言ったところで、二人のもとに一つの足音が近づいてきた。

「……お前ら、なにしてやがんだ?」

 と、不審そうな顔でやってきたのは、まさに今二人が話題にしていた人物である。

「あれ、カレル。訓練場に向かったんじゃなかったの?」

「……んなことどうでもいいだろ。それより――」

 と、カレルがクインシーに鋭い視線を向ける。

「久しぶりじゃねえか、クインシー。今度はこいつを引き抜こうとでも考えてるのか?」

 クインシーは窓から少し離れ、真っ直ぐにカレルと対峙した。

「そんなつもりはない。ただ少し昔話をしていただけだ」

「ふん。ま、どーでもいいけどな」

 カレルが鼻で笑うと、クインシーは明らかに不愉快そうな顔をした。

 そこへリゼットが仲介に入る。

「ああ、ほらほら。二人ともやめてよ。僕のために争ったりしないで」

「どさくさ紛れになに言ってんだ、てめえ!」

 カレルの真顔の突っ込みに、リゼットはおかしそうに笑いながら、

「クインシーの言うとおり、僕らは昔話をしてただけだよ。……カレルも覚えてるよね? 昔、僕が道場でいきなり倒れたときのこと」

「……なんだそりゃ。んな昔のこと覚えてるわけねえよ」

「ホントに? 二人とも友達がいがないなあ」

 そう言いながらリゼットはカレルの袖を引き、半ば無理やりに窓際に立たせた。リゼットを中心に三人が並ぶ形になる。

 そしてリゼットは言った。

「僕にとっては重大な出来事だったんだから。ちゃんと思い出してくれないとさ――」




 ――リゼットが稽古の途中でいきなり倒れたのは、三人が十二歳のときである。

 その頃になると、それぞれ同世代ではお互いの他に敵はなく、大人たちに混じっても物足りなく感じるほどになっていた。そのため、稽古は自然と三人で行うようになり、相手に負けまいとする気持ちはますます強くなっていったのである。

 そしてその三人の中にあっても、カレルは頭一つ抜き出た存在であり、リゼットとクインシーの二人はどうにかして追いつこうと、ほとんどの時間を剣の稽古に注いでいたのだった。

 だから最初にリゼットが体調不良を訴えて稽古を休んだときは、カレルもクインシーも特別なことは感じていなかった。疲れが溜まっただけのことで、何日かすればいつもどおりになるだろうと思っていたのだ。

 そうでないことに気づいたのは、それから少し経ってからのこと。

「……女だからな。仕方ないだろう」

 そう言ったクインシーの言葉の意味はカレルにも理解できた。子を生むために少女の体がどのように変化するかということを、カレルは一応知っている。

 少しずつ、少しずつ、二人と一人の間には差ができていた。努力の差でも才能の差でもない。ただ、戦うことに適した体かそうでないか。

 小さい頃から同じだけ努力してきた三人の決定的な差は、彼らの思いとはまったく無関係のところに存在していたのである。

「リゼット! 無茶はやめなさい!」

 ふらふらしながら道場に姿を現したリゼットを、母親が連れ戻しにくる。とても稽古できるような状態ではない。それでもリゼットは竹刀を手に取ろうとした。

「イヤだ。僕も練習しないと……」

「そんな体じゃ無理よ! もうしばらく休んでからになさい!」

「だってそうしないと……また僕だけ置いていかれちゃう。また僕だけ二人に置いて、いかれる――」

「リゼット!」

 泣きそうな顔で母親にすがるリゼットを見て、クインシーはやりきれない表情で目をそらした。

「……」

 そしてカレルは稽古用の竹刀を携えたまま、じっと宙を見つめていたのである。


「……カレル。貴様はどう考えている?」

 クインシーが真剣な表情でそう尋ねてきたのは、その翌日のことだった。

「はあ? なんのことだ? リゼットか?」

「もちろんだ。……私はあいつに、剣をやめるよう説得するつもりでいる」

「……」

 横目だけ向けたカレルに、クインシーは淡々と続けた。

「あいつは女だ。もちろんあいつの意思は尊重するつもりだが、あいつが私や貴様と根本的に違うのは紛れもない事実だ。どうしようもない」

「……で?」

「あいつが私たちに追いつくことはもう難しい。そうなれば、たぶんあいつが剣を続ける理由はなくなるだろう」

 クインシーの言葉にカレルは難しい顔をした。いつも無愛想なカレルには珍しい表情だった。

 そうして考えた末に言った。

「剣を捨てたら、あいつに何が残るんだ?」

「いくらでも残るさ。もっと普通の女として生きればいい」

「普通の女、か」

 カレルは宙を見つめた。それで正しいような気もしたし、どこか違うようにも思えた。

 関心がなかったわけではない。

 ただ、どうしても、それについて深く考えることができなかったのだ。


「リゼット」

「……クインシー。どうしたの?」

 ベッドの上に腰を下ろしてクインシーを迎えたリゼットはまるで病人のようだった。

 クインシーはいったん黙って、青白いリゼットの顔から視線を少し移動させる。

 肩、二の腕、腰。

 どんどん筋肉質になっていくカレルやクインシーに比べ、彼女の体は明らかに丸みを帯びつつあった。同じことをやっているはずなのに、彼女だけは違う成長をしていたのだ。

「もう三日目だね。イヤになっちゃうな」

 ベッドの上でリゼットは笑った。無理しているのが一目でわかる笑い方だった。

「こんなのでも女の子なんだってさ。何よりも剣が好きで、おしとやかさのカケラもなくて、男の子を好きになったりしなくても、それでも女の子なんだって」

「ああ、そうだな。お前は女だ」

 クインシーがはっきりとそう告げると、リゼットは一瞬びっくりしたように目を見開いて、それからゆっくりとうつむいた。

 数秒間の沈黙。

 やがて――

「……なんで?」

 布団の上に一粒の涙が落ちる。その姿にクインシーの心臓は一瞬だけ跳ね上がり、そして思わず視線をそらした。

 正視できなかったのだ。

「僕は……キミたちとずっと競っていたかった。どっちが先にカレルに追いつくかって、競い合っていたかった。なのに……」

「リゼット……」

「もう……無理なのかな? 僕、どうして女の子なんかに生まれちゃったんだろう。どうして――」

 リゼットから目をそらしたまま、かろうじてクインシーは口を開いた。

「そんなこと言うな。おそらく悪いことばかりじゃないはずだ」

「……なにが?」

 そんなクインシーにリゼットは涙に濡れた顔を向け、もう一度引きつった笑みを浮かべた。

「なにが悪いことじゃないの? 男の子を好きになって、結婚して、子供を産んで。それが僕にとっての幸せだってこと?」

 突き動かされたようにまくし立てるリゼットの言葉に、クインシーはかろうじて平静を保ったまま答えた。

「一緒にあいつの背中を追った仲だ。貴様の気持ちは私にもわかる。……だが、わかるだろう? 貴様はしょせん女だ。私たちに比べればどうやったって戦うことに向いていない」

「……」

 リゼットは悔しそうに唇を噛んでいた。

 そんな彼女の気持ち。

 先ほどの言葉通り、クインシーには充分に理解できていた。

 ともにカレル=ストレンジという天才の背中を追いかけた。届きかけて、また離されて。そのたびに悔しい思いもした。その悔しさを糧に成長してきた。それは、努力し続けていればいつか届くはずだと信じていたからだ。

 が、しかし。もしもその背中には永遠に手が届かないのだとわかったとしたら。もしその宣告を理不尽に突きつけられたのだとしたら。

 悔しい。悔しくて悔しくて言葉にもならないだろう。それはかつて経験した数え切れない敗北の悔しさなど及びもつかない。

 ただ、それでも。

「諦めたほうがいい、リゼット」

 それが変えようのない事実なのであれば。

 受け容れるしかない現実なのであれば。

「諦めて、他の何かを探すことだ。それが貴様のためなんだ、リゼット」

 これ以上苦しみ続けるよりは、諦めてしまうべきだ――と、クインシーは思った。

 念を押すように、繰り返す。

「そうしたほうが、貴様のためになるんだ……リゼット」

「……」

 リゼットはうつむいたまま唇を噛み締め、ぽろぽろと涙を零し続けていた――

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