その4『呼び出し』
ディバーナ・クロスがネスティアスの討伐作戦に協力してから三日後。
ネスティアスからの依頼期間である一ヶ月間、ティースたちは実際の作戦がない日であっても毎日リゼットの部隊を訪れ、ネスティアスの訓練生に戦いの指南をしたり、ネービス領内の<魔>の動きについて情報交換をしたりと交流を深めていたのだが、この日は休日として設定され、ティースたちも久々にミューティレイクの屋敷でそれぞれに体を休めることとしていた。
いや、そのはずだったのだが――
(……なにかあったのかな)
リゼットから『午後にネスティアスの本部に来てくれ』という呼び出しがあったのは、その日の早朝のことであった。
ティースが少々身構えてしまったのも仕方のないことだろう。黙っていても明日にはまたネスティアスの本部に顔を出す予定だったのだ。それをわざわざこの休日、しかも早朝に人をよこしたということは、何か大事な話があるに違いない――と。
(次の作戦の話か、それとも……)
その内容について思考を巡らせつつ、ティースは朝食後すぐにエルレーンの姿を探していた。ネスティアスへの付き添いを頼むためである。
自室を出て大階段を下り、朝の喧騒が収まりきっていない一階ホールへ。
今日はディバーナ・クロスのメンバーにとっても休日、つまり自由行動が可能な日であるが、エルレーンにしろリィナにしろ休日に外を出歩くということはほとんどなく、だいたいは以前と同じように屋敷の仕事を手伝っている。エルレーンの場合、この時間は朝食の後片付けのために厨房付近にいるはずだった。
ティースは一階ホールから屋敷の奥へ向かう通路へと足を向け、そのまま厨房へと向かう。
途中、菓子作りを担当している若い料理人と鉢合わせたのでエルレーンの居場所を知らないか尋ねてみると、ちょうど彼の仕事場で菓子作りの手伝いをしているとのことだった。
事情を説明すると若い料理人はすぐに厨房へと引き返していき、それほど待つことなくエプロン姿のエルレーンがやってきた。
「どうしたの? ……え、付き添い? ネスティアスに?」
「ああ。休みの日に悪いんだけど、お願いできないか? 呼び出されたのは俺だけなんだけど、大事な話だったら一応複数で行ったほうが安心できるからさ」
今回に限らず、依頼人からの重要な話がありそうなときは、ティースは可能な限りエルレーンに付き合ってもらうことにしていた。一人だとどうしても大事な話を聞き違えたり、確認すべきことを聞き漏らしたりという心配があるためである。
基本的に頭がよくない(と自分では思っている)ティースとしては、至極当然のトラブル予防策であった。
もちろん連れていくのはリィナでも構わないのだが、意外にとぼけたところのあるリィナ――原因の大半は彼女の性格ではなく育ちの違いによるものだが――よりは、幼い外見に反し、大人びたコミュニケーション能力と高い記憶力を持つエルレーンがより適任だったのである。
「うん。ボクは別に構わないよ」
エルレーンは嫌な顔ひとつせず、すぐに首を縦に振ってくれた。が、安堵したティースが詳細な時間を告げようとすると、
「あ、でもちょっと待って」
と、ティースの言葉を途中で遮った。
「それ、ボクよりもシーラを連れてったほうがいいんじゃない? シーラのほうが頭いいし、ボクじゃ気づかないようなことも気づいてくれると思うけど」
「え? あ、でもあいつ今日休みだからそんなこと頼むのもなあ。……あ、いや、別にお前ならいいってわけじゃなくて」
発言が不適切だとすぐに気づいて訂正したティースに、エルレーンは苦笑しながら、
「わかってるよ。でも、前も言ったけど、そういう気の遣われ方、シーラは嬉しくないと思うよ?」
「……そうかな」
いや、間違いなくそうだろう――と、ティースも内心ではわかっていた。少なくともディバーナ・クロスに加入してからのシーラは何かと積極的に仕事を引き受けたがったし、休日も大抵は自室か書庫にいて外出しないことがほとんどだ。本人は口に出さないが、今回のような場合に備えて待機しているらしいことは明らかである。
唯一の非戦闘員である彼女の立場からすれば、そういうところで役に立とうと考えるのは当然のことだろう。
「ねえ、ティース。この前みたいに戦場に連れて行きたくないって考えるのはボクも無理ないと思うけど、その分今回みたいのは積極的にお願いしたほうがいいよ。シーラが可哀想っていうより、宝の持ち腐れになっちゃう。部隊の隊長としては一番やっちゃいけないことなんじゃない?」
「……」
確かにエルレーンの言うとおりだ。それに今回の場合は何ら危険があるわけでもなく、ティースが躊躇しているのは“彼女に仕事を言いつけることに気が引ける”という、彼の体に染み付いてしまった行き過ぎた使用人根性、ただそれだけなのである。
そこを一歩踏み越えるだけだ。
しばし悩んだ後、ティースはようやくうなずいた。
「わかった。今回はシーラに頼むことにするよ」
「うん。偉い偉い」
エルレーンは満足そうにうなずいて頭を撫でるような仕草をしたが、残念ながら目一杯に伸ばしても彼女の手がティースの頭頂部に届くことはなかった。
「もしシーラの都合が悪かったらボクが行くから、そのときはまた来て。午前中はずっと厨房でお菓子手伝ってると思うから」
「わかった。……いつも色々ありがとな、エル」
「お礼言われるほどのことじゃないよ」
エルレーンは小さく笑いながら軽快に身をひるがえし、足取り軽く厨房のほうへと戻っていった。
そんな彼女を見送ってティースも踵を返し、一つ深呼吸。ぐっと拳に力を入れる。
「……よし」
気合を入れ、ティースはその足をシーラの部屋へと向けたのであった。
が、しかし――
「無理よ。悪いけど」
ティースが部屋を訪れたとき、シーラは鏡台に向かってすでに外出の支度をしていた。
返ってきたのはなんとも素っ気ない返事である。
「あ、そっか……」
ティースとしても断られることをまったく想定していなかったわけではない。が、彼としてはエルレーンに諭され、そこそこの高さのハードルを越えてここまでやってきただけに、いきなり出鼻を挫かれてしまった気分だった。
とはいえ、どうやら用事があるらしい彼女を無理やり連れていくこともできない。
落胆を隠しつつ、ティースは誤魔化すように笑って、
「いや、お前だって色々忙しいもんな。休日なのに無理言って悪かった」
と、そそくさと部屋を出ていこうとする。
「あ、ちょっと……」
そんなティースを半身になって振り返ったシーラがすぐに呼び止めた。
「待ちなさい、ティース。そんなに慌てて逃げることないじゃない。……理由を説明する時間ももらえないのかしら?」
「え、理由? ……聞いていいのか?」
ティースがとてつもなく意外そうな顔で振り返ると、シーラは仕方なさそうに苦笑した。彼がそういう反応をするようになった原因が自分にもあるとわかっているのだろう。
小さく笑いながら、シーラは口を開いた。
「どっちにしてもお前には話しておくつもりだったわ。実は今日、サイア様から昼食会に呼ばれているの」
「え……サイア様に? なんでお前が?」
「わからないわ。この前の作戦のときも本陣での世間話に呼ばれたし、単に気に入られたのかもしれないけど……」
シーラは思案しながらいったん言葉を切り、小さく首を横に振った。
「ま、どっちにしろ断るわけにはいかないでしょ? もちろん、お前がそっちを優先しろと言ってくれるなら断っても構わないけど」
「あ、いや、それはまずいよ」
ティースは慌てて手を振りながら、それにしてもなぜ――と、考える。
サイアがディバーナ・ロウに興味を持っていて、それが今回の依頼に繋がったことはティースもわかっているが、単にディバーナ・ロウについて話を聞きたいというだけなら、加入して一番日の浅いシーラを呼び出すのは不自然だ。となると、個人的に気に入られたという線が濃厚にも思えるが、どうやらシーラの頭には別の可能性も浮かんでいるようだった。
ただ、
(……ま、いいか)
いずれにしても危険があるという話ではないし、もちろん理由なく誘いを断れる相手ではない。何か考えるべきことがあるとしても、それはシーラが戻ってきてからでいいはずだ――と、ティースはそこで思考を中断した。
「そういえばティース。私も一つ、お前に確認しておきたいことがあったの」
「……ん?」
考え事をしていたティースが顔を上げると、シーラは鏡台から立ち上がってクローゼットのほうに歩いていく。ティースが黙ってその動きを追っていると、シーラはクローゼットの扉を開け放ちながら言った。
「前回の作戦、どうして私だけ留守番だったの?」
「え?」
予期していなかった質問……というわけではないが、聞かれるとすれば作戦の前か終わった直後だと思っていただけに、三日経ってからのこのタイミングはティースにとって予想外だった。
もしかして不満に思っているのだろうか――と、シーラの様子を窺おうとしたが、クローゼットの扉の陰に隠れて彼女の表情は見えない。
ティースは少し不安になりつつ、ややしどろもどろに答えた。
「いや、この前は……ネスティアスと一緒にやるのは初めてだったし、何が起きるかわからない面もあったから。それで、念のためというかなんというか……」
「そう」
バタン、と、クローゼットの扉が閉まる。ようやくティースの視界に戻ってきたシーラの手には、鮮やかな緑色のパーティードレスがあった。
「だったらいいの。お前の判断には従うという約束だしね。ただ、今後も状況にかかわらず連れていってもらえないのかと、ちょっと心配になっただけ」
「……」
先に釘を刺された形となったティースは言葉を返すことができなかった。
その心情を知ってか知らずか。ドレスを手にしたシーラはくすっと小さく笑い、ティースに背中を向けると、
「じゃあそろそろ部屋から出てってもらえるかしら。着替えを手伝ってくれるのなら話は別だけど」
と、着ているベストの裾に手をかける。
「ばっ……!」
やや気が抜けていたティースはそんなシーラの言葉に一瞬で我に返ると、顔を真っ赤にしながら慌てて手を振った。
「す、すぐ出ていくよ! ちょっと待ってくれ!」
「……馬鹿ね。冗談に決まってるじゃない」
と、シーラは背を向けたままでおかしそうに笑う。
「着替えの手伝いはもう呼んであるわ。どっちにしてもそろそろ来るだろうから――」
コン、コン、というノックの音がシーラの言葉を途中で遮った。
「シーラ様? パメラです。ドレスの着付けのお手伝いにきました」
「ああ、パメラ。忙しいところ悪いわね。入って」
「失礼します――あ、ティース様。お疲れ様です」
「あ、ああ、パメラ、お疲れ。……じゃ、じゃあ俺はこれで」
「?」
冗談とわかってなお熱の引かない顔を隠すように慌てて部屋を飛び出していったティースを、パメラはなんとも不思議そうな視線で見送ったのだった。
場の緊張は極限にまで張り詰めていた。全身の感覚という感覚が研ぎ澄まされ、微かな空気の流れでさえ、まるで細かい刃物のようにピリピリと肌を刺激する。
これほどの圧迫感。実際の戦場でもそうそう感じることはないであろう。
ティースはその雰囲気に呑まれてしまわぬよう、自らも全身に気を張って闘志を前面に押し出していった。
相手の手の内は見えている。ただ、それは相手にとっても同じことだ。
「手加減なしでお願いしますよ、ティースさん」
ティースの正面にいたのは彼より二歳年下の、デビルバスターの称号を得たばかりの少年。いや、もう十八歳の誕生日を迎えていたから、そろそろ少年ではなく青年と呼ぶべきだろうか。
「手加減して君に勝てるとは思ってないよ、パース」
その青年――パーシヴァルの動きを凝視しながらティースはそう答えた。
とはいえ、デビルバスターとして一年先輩である以上、たとえ演習であってもそう簡単に負けるわけにはいかない。このティースという男にも一応その程度のプライドはあるのだ。
先に床を蹴ったのはティースだった。これも、幾度となく打ち合ってきた過去の手合わせと同じ形である。
木の板で作られた床がぎしっと軋み、ティースの体が瞬時に間合いを詰めていく。小細工はない。正面から踏み込み、最速の一撃を叩き込むのだ。
合わせてパーシヴァルも動いた。右手には身長と同じぐらい、左手にはその半分ぐらいの長さのトンファーがある。
それがくるっと回って攻撃と防御一体の構えとなった。
「おぉぉぉぉ――ッ!」
両者の気合の叫びが、ディバーナ・クロスの詰め所内に重なって響き渡る――。
「……うーん。少しは差が詰まったかと思ってたんですけど」
久々の実戦演習が終わり、緊張の糸が緩んだ部屋の中、その隅っこに座り込んだパーシヴァルは額の汗を拭いながら悔しそうな顔をしていた。
「さすがの見切り。久々にティースさんの得意技を堪能させられてしまったッスね」
そんなパーシヴァルの奇妙な物言いにティースは笑いながら、
「でも君も確実に強くなってるよ。今日はたまたまだ」
と、洗濯されたばかりの新しいタオルを放ってやって、ティースもその隣に腰を下ろした。
デビルバスター試験に合格したパーシヴァルが屋敷に戻ってから約二週間。パーシヴァルは当初からティースとの手合わせを希望していたのだが、ネスティアスでの仕事が思いのほか忙しかったこともあって、ティースが休日のこの日――といっても午後には用事が入ってしまったが――ようやくそれが実現したのだった。
「でも、三回やって三回とも負けるなんて、以前より差が広がってる気がします。やっぱ一年の経験差は大きいってことッスかね」
完敗にパーシヴァルは気落ちしているようだったが、ティースから見れば決して圧倒したという内容ではなかった。昨年ティースが合格した試験のときと同様、パーシヴァルとの実力は現在でもほぼ拮抗していると考えていいだろう。三戦して三勝したのは、本当にたまたまのことだったのだ。
ただ、ティースはあえて必要以上の慰めを口にしなかった。
パーシヴァルは基本的に悔しさを糧に成長するタイプの人間だ。去年と実力差がほぼ変わっていないということは、言い方を変えればデビルバスターとして一年間戦ってきたティースと同じ量の成長を遂げたということでもある。
その原動力となったのは、やはり昨年の再試験でティースに手も足も出せずに敗れたことへの反発心だろう。だからこそパーシヴァルは今回、戻ってすぐに誰よりもティースとの手合わせを希望したのだ。
もちろんそんなパーシヴァルとの関係は、ティースにとってもよい刺激となっている。
「ところでパース、試験自体はどうだった? トーナメントで決勝まで残ったことは聞いてるけど」
と、話題を変えながらティースは窓の外に視線を移した。
夏の太陽はまだ頂点に向かっている最中で、ネスティアスからの呼び出しの時間までは、移動を考慮しても一時間以上の余裕がありそうだった。
パーシヴァルは大きく息を吐きながら天井を見上げつつ、
「サバイバルは去年と違って平穏そのものでしたね。合格者も今年はかなり多かったみたいッス」
「去年はいろいろあったからなあ」
ティースが合格した昨年のデビルバスター試験は<魔>と繋がっていた人物が内部に紛れ込み、受験生が試験中に大量に殺害されるという事件があった。
「今年のトーナメント進出者は六十人で、去年のちょうど五倍ッスね。最終的な合格者は二十一人だったらしいッス」
「六十人も? それで決勝まで残ったって、すごいじゃないか」
ティースが素直にそう誉めると、パーシヴァルはちょっと照れくさそうに頭を掻いた。
「みんなそう言ってくれるんスけど、運が良かったのも確かです。有力者が別のブロックに揃ってたし、人数は多くてもトップクラスのレベルは去年より下だった気が。……あ、そうそう。トーナメントにあの人来てましたよ。あの……ほら、ティースさんと一緒に合格した女性の方です。なんて名前でしたっけ?」
「ステルシア?」
「ああ、そうそう。その人ッス」
パーシヴァルがポンと手を打つ。
ステルシア=ブライトンは、去年のデビルバスター試験において女性で唯一合格となった人物である。
「元気だったか? 確かヴィスカインに戻ってすぐ対魔騎士隊に配属されたみたいだけど」
「あれ? どうして知ってるんです?」
と、不思議そうな顔でティースを見るパーシヴァル。
「ああ、実は去年の冬に彼女から一度手紙が送られてきてね。近況報告と、近いうちにまた会おうって約束なんかしてたんだ。……で、元気してた?」
「ええ、元気でしたけど、印象はだいぶ変わってたッスね。前はきりっとしててお堅いイメージでしたけど、今回は髪も全部下ろして、なんか女性っぽい格好をしていたというか……」
おそらく悪気はないのであろうパーシヴァルの失礼な発言に、ティースは苦笑しながら、
「彼女はそっちが本来らしいよ。もともと貴族の令嬢だからね。戦いのときだけ髪を結い上げたりするんだって」
「んー、確かにファナ様とちょっと似た雰囲気だったかも。俺の記憶よりずっと美人に見えましたし。髪と服だけでこんなにも印象が変わるんだから、女性ってやっぱり怖いッスね」
「別に怖がることないじゃないか」
そう言ってティースは笑ったが、女性アレルギーの彼が言ってもまるで説得力がない。
パーシヴァルは気づいていないのか、あるいは気を遣ったのか、それについて特に突っ込むことはなく、
「でもいいッスね。同期の合格者同士、そういう風に交流が続いてるって」
そう言ったところで、室内に射し込んでくる光が少し弱くなる。どうやら太陽が雲の陰に隠れたようだったが、夏特有のじめじめした暑さはまったく変わらなかった。
いったん引いたはずの運動の汗が、今度は暑さでじんわりと肌ににじんでくる。
ネスティアスへ行く前にいったん汗を流さないといけないな――と、ティースは残り時間を計算し直しつつ、
「今年はそういうのはなかったのか?」
「なかったッスね。……あ、でも」
いったん否定してから、思い出したようにパーシヴァルは言った。
「合格者同士ってわけじゃないッスけど、ネスティアスの訓練生とは顔見知りにはなりました。その子は残念ながら第三試験で不合格になっちゃいましたけど。……あ、そうそう」
さらに思い出した様子で続ける。
「ティースさんって今、ネスティアスと仕事してるんスよね? じゃあディグリーズのカフィー=マーシャルって人のこと知ってます?」
「カフィー? ああ、名前は知ってるけど……でも名前ぐらいかな。話したこともないよ」
カフィー=マーシャルはディグリーズの中では比較的若手のデビルバスターだ。ディグリーズのランキングでは十人の下から二番目、つまりリゼットの一つ上に位置している人物である。
「じゃあ今回の仕事でも絡んでない? ……それはよかったッス」
「よかった? どういう意味だ?」
ティースが怪訝に思ってそう尋ねると、パーシヴァルはなぜか左右をキョロキョロと見回し、少し声を潜めながら答えた。
「実はッスね。今回仲良くなった訓練生の子が、そのカフィーって人のことをとんでもない悪党だと言ってまして」
「悪党って……ネスティアスはネービス公直属の部隊だぞ?」
眉をひそめながらティースもつられて声を潜めると、パーシヴァルは笑いながら、
「あ、もちろん犯罪者とかそういう意味じゃないッス。ただ、なんていうか、いわゆる“イヤなヤツ”らしくて。将来有望な訓練生を執拗にいびったり、ディグリーズになった途端、世話になった先輩に手の平返しをしたり……まあその子の話だけなんで、どこまで本当かはわからないッスけど」
「ふぅん」
カフィーのこともその訓練生のことも知らないティースとしては、なんともコメントしづらい話であった。
ただ、とりあえず頭の隅には記憶しておくことにする。
「ちなみにその訓練生の子って、どこの部隊に所属してるんだ?」
「え? えっと確か……玖隊と言ってた気がします」
「玖隊? じゃあリゼットさんのところか……」
となると、もしかしたら今後顔を合わせる機会があるかもしれない。
ティースは一応その訓練生の名前をパーシヴァルから聞き出した後、時間を確認した。
「そろそろかな。……じゃあパース。遅くなったけど改めて」
ゆっくりと腰を上げて右手を差し出す。
「合格おめでとう。これからもよろしくな」
こちらこそ――と、パーシヴァルも力強く手を握り返してくる。
「油断しないでくださいね。今は先を越されてますけど、また抜き返しちゃったりするかもしれないッスから」
「望むところだ」
ティースは笑いながらパーシヴァルの背中を軽く叩くと、その後も試験中に起きたトラブルの話などをしながら、二人でディバーナ・クロスの詰め所を後にしたのだった。
「あら、いらっしゃい。お待ちしてました」
ティースがエルレーンをともなってネスティアス本部にやってきたのは、約束の時間の約三十分ほど前のことである。
そこの受付嬢であるアレッタ=サプレスとはすでに何度も顔を合わせていることもあり、建物内に入るとすぐに向こうから声をかけられ、そのままリゼットの待つネスティアス第玖隊の隊長室へと案内されることになった。
「外、天気悪くなってきたでしょ? 帰る頃には雨になってるかもよ? 大丈夫?」
気さくな性格のアレッタは気軽に世間話を振ってきたが、ティースはこれからのリゼットの話に気を取られて上の空であり、主にエルレーンが彼女に相づちを打っていた。
遠くから聞こえる稽古の打撃音、そして掛け声。心なしか女性のものが多い。
それについて質問したエルレーンに対し、アレッタは答えた。
「ああ、玖隊の訓練生は女の子が圧倒的に多いからね。まあそれでも一、二割だけど。ほら、リゼットってば、ああ見えて生物学上は一応女だから。女の身でディグリーズを五年もやってると、まあそれなりに憧れたり目標にされたりするみたいよ。……ま、彼女は彼女で結構大変な思いをしてるみたいだけど」
早口ながらも滑舌よくアレッタがそこまで言ったところで、一行は隊長室の前へと到着した。
アレッタのノックに対しすぐに返答があり、ティースとエルレーンだけが通されて、アレッタはその場で引き返していく。
扉の向こうでは、相変わらずどこか艶のある微笑みを浮かべたリゼットが待っていた。
「ようこそ二人とも。せっかくの休日に申し訳なかったね。デートの約束はなかったかい?」
と、椅子から立ち上がったリゼットが中性的なハスキーボイスでティースたちを出迎える。
「いえ、平気です。特に予定はありませんでしたし」
型どおりにそう答え、ティースたちは勧められるまま部屋の中央のソファに腰を下ろした。
「そっか。それはいけないなぁ」
「え?」
ティースが中腰の状態で止まって疑問の目を正面のリゼットに向けると、
「キミらのように若い子は何をおいても恋愛にかまけるぐらいでないとね。恋の熱情は何物にも勝るエネルギーだ。ま、僕なんかはそれで結構失敗もしてきたよ。いやあ、あの頃は若かったね」
「はあ。……あの、それで今日は?」
少し身構えていたティースはそんなリゼットの軽口に若干拍子抜けしたのだが、呼び出しの真意について尋ねた瞬間、リゼットの態度は一変した。
「ん、そのことなんだけどね――」
軽妙な口調が消えて、どこか物憂げな声になる。
そこへノックの音がして、アレッタとは別の事務員らしき女性が飲み物を運んできた。リゼットはその女性が部屋を出て行くまで待って、再び口を開く。
「前回の作戦でキミらが捕まえた<人魔>のこと、もちろん覚えているよね?」
「ええ。まだ十歳ぐらいの少年だったと思いますが……」
もちろん忘れているはずはない。その<人魔>の少年はリゼットのもとで色々と取り調べられているはずで、ティースとしても相手がまだ幼いということもあって気になり、何かあれば教えて欲しいと頼んであったのだ。
どうやら今回の呼び出しはその<人魔>に関することのようだった。
「あの子になにかあったんですか?」
嫌な予感がしつつティースが尋ねると、リゼットは小さくため息を吐いて、
「そうだね。あったといえばあったんだけど、問題はその<人魔>自身じゃなくてね。……ティースくんは“ヴァンスの隠れ家”と呼ばれる<魔>の組織を知ってるかい?」
「……いえ。知りません」
まったく聞き覚えのない名前だった。
リゼットは腕を組んで小さくうなずく。
「まあ一般のデビルバスターにはあまり縁がないかもしれないね。“ヴァンスの隠れ家”はその名のとおり、<魔>にとっての隠れ家的存在とされている組織でね。こっちの世界に来たばかりの<魔>に色々と知恵をつける場所だといわれているんだ」
「知恵?」
「もちろん悪い意味の知恵だよ。主に力の弱い<下位魔>や<上位魔>相手に、たとえば、いかにして僕らデビルバスターと遭遇せずに人間から金品や食糧を奪うか、っていうようなね」
「……タチの悪い組織ですね」
と、ティースは眉をひそめた。
確かにこちらの世界にやってきたばかりであれば、そもそも人間社会の仕組みすら知らない<魔>も多いだろう。それだけに、そういった情報は悪意ある<人魔>たちにとって非常に有益なものといえる。
リゼットはうなずきながらティースたちに飲み物を勧め、自らもティーカップを手にとって一口飲むと、
「そうなんだ。しかも彼らは大陸各地に散らばっていて、集落のようなものを作っているケースが多いんだけど、大半は人が絶対に入り込まないような難所ばかりでね。ヴァルキュリス山脈内にも何箇所か拠点があるみたいなんだけど、あの広大な山脈を闇雲に探しても到底見つけられるものじゃない。僕らとしてもなかなか手が出せないっていうのが正直なところなんだ」
「でも、その話を今したってことは、もしかして……?」
なんとなくティースにも今回の呼び出しの趣旨が見えてきた。
「うん」
リゼットもそれを肯定する。だが、その表情はなぜか曇ったまま。
「というようなことを昨日、突然自白したらしくてね。……だから、次の作戦は“ヴァンスの隠れ家”殲滅作戦ということになる」
「……“らしい”?」
その言い回しに、ティースは当然のように不自然なものを覚えたのであった。