その3『討伐作戦』
『一ヶ月の間、ネスティアスの作戦に全面的に協力すること』
晩餐会の夜、ネービス公女サイアからティースたちディバーナ・クロスに告げられたのはそんな曖昧な依頼だった。
むろん、本来であればこのような曖昧な依頼をディバーナ・ロウが受けたりすることはない。ただし、今回は相手が相手であるということに加え、ネスティアスとの人脈を作っておくことが後々プラスに働くだろうという判断(ティース自身というよりはディバーナ・ロウとしての判断である)により、ディバーナ・クロスは一ヶ月の間ネスティアスと行動を共にすることになったのだった。
その合流先はネスティアスの第玖隊。隊長のリゼット=ガントレットはディグリーズの中では唯一の女性デビルバスターである。
ティース個人としては、またもや女性アレルギーという特異体質と相談しながら付き合わなければならない厄介な相手であるが、彼女にはディバーナ・ロウに対してかなり友好的な人物の一人であるという側面もあり、そういう点ではむしろベストマッチだったともいえるだろう。
そしてティースたちがネスティアス第玖隊へと合流した、その翌日。
部隊の構成員たちと知り合うチャンスもほとんどないままに訪れた最初の任務は、ネービス領西方で活動する<人魔>ばかりで構成された盗賊たちの討伐作戦であった。
大陸では自ら発光する魔界植物を利用した照明器具がすでに開発されており、各家庭において利用されるようになってからもそれなりの年月が経っているが、未だに高価なものであることから日常的に使用しているのは一握りの特別な家のみである。
通常裕福とされる家庭でさえ必要に応じての使用に留まり、一般家庭では緊急時の備えとして用意しているか否かという程度の普及率だ。
だからネービスの西方にあるその貧しい村では、そのような照明器具を使用している家庭は皆無であり、村人たちは例外なく太陽の浮き沈みに合わせた生活をしている。
当然、太陽が沈んで二時間ほど経ったこの時間は、村中がひっそりと静まり返っていた。
そしてその村から少し離れた小さな山の中。
そこにティースの姿があった。
「まだ始まってないみたいだ」
せっかくの満月も今日は厚い雲の向こう側。ティースは完全に近い暗闇に包まれた茂みを静かに掻き分け、エルレーンとリィナが待つ待機地点へと戻ってきた。
「おかえり、ティース。もうしばらくじっとしてなきゃダメみたいだね」
そこに敷かれた簡素な敷物の上で少しリラックスした様子のエルレーンが声をかけると、ティースは背後を振り返りながら答えた。
「これだけ暗いと逆に戦いの明かりは見えやすいし、ずっと気を張り続けてる必要はなさそうだよ。……そういやリィナ。さっき転んだときの足は大丈夫かい?」
「はい。軽くひねっただけですから。影響はないです」
そう言って、ここに来る途中、木の根っこに引っ掛けてしまった右足を軽く回してみせるリィナ。見る限り、やせ我慢しているような様子はない。
それでもティースは念のため無理はしないようにとリィナに告げ、敷物の上に腰を下ろすと、今回の討伐作戦についての確認作業を行うことにした。
ネスティアスの第玖隊は盗賊たちが今夜村を襲撃するらしいという事前情報に基づき、すでにその近辺に部隊を展開させている。
盗賊たちの戦力は十数名、その大半あるいはすべてが<下位魔>であると見られており、対するネスティアス第玖隊は後方支援を除いた実戦部隊の人数だけで五十名以上だ。デビルバスターはティースを含めても三名のみだが、実戦部隊を構成するのはそれに準ずる、<下位魔>なら一対一でも充分に戦える実力を持ったネスティアスの訓練生たちである。
単純に考えておよそ三倍の戦力に加え、奇襲する側という利もあった。
つまり今回の戦いはどのように勝つかではなく、どれだけ敵を逃がさないようにするかが問われる作戦である。
そしてそんな中、ティースたちに与えられた役割はというと――
「敵の退路を塞ぐ私たちの役目は重要になりますね」
と、リィナが言った。
そう。ティースたちの役目は想定される賊の逃走ルートの一つで待ち伏せを行い、逃げてきた彼らを殲滅あるいは捕縛するというものである。
しかしながら――
ティースは言った。
「本来はね。でも今回はそうでもないんじゃないかな、きっと」
「え? どういうことですか?」
「いや、リゼットさんもまだ俺たちの力を正確には測りきれていないだろうし、今回は無難なポジションで様子見ってのが正直なところなんじゃないかなと思って。賊がここに逃げてくる可能性はほとんどないと思うしね」
そんなティースの推測にエルレーンが横から口を挟んだ。
「そうかなぁ? こういう山って隠れるところが多そうだし逃げ込むなら逆にいいんじゃない? 潜伏することになってもこの時期なら食べ物はどうにかできそうだし……」
ティースは小さく頷いて、
「そう考えるだろ? きっとみんな同じなんだ」
「……あ。そういうこと?」
エルレーンはすぐにピンと来たようだったが、リィナがまだ首をかしげていたので、ティースはそのまま話を続けることにした。
「部隊の配置図を直前に見せてもらったんだけど、リゼットさんも明らかにそれを意識してこちら側を厚くしてるんだ。賊はネスティアスの部隊が待ち伏せしてるなんて考えていないはずだから必ず混乱する。そんな中で一番敵が多い方向に逃げるなんてことはそうそうないよ」
「あ、なるほど。確かにそうですね」
と、リィナが感心したように頷いた。
「おまけにこの山道は昼間でも入り口がわかりにくいんだ。よほどこの辺りの地理に通じていないとこっちに逃げてくることはないんじゃないかな」
油断してもいいと考えているわけではないが、少なくともギリギリの判断を強いられるような任務ではなさそう、というのがティースの率直な考えだった。
だから、というわけでもないが――
作戦の内容を再確認した後、彼らの話題はすぐに別のものへと移る。
「それはそうと――例のルーベンさんのこと、ファナさんから色々聞くことができたんだ」
ティースがそう言うと、エルレーンとリィナは揃って表情を硬くした。
……晩餐会の夜にルーベンが彼女たちに発した意味深な言葉。単なる戯れの発言だと見過ごすことはさすがに難しく、ティースはあの晩すぐにファナたちにそのことを相談したのである。
そこで聞かされたのは、ティースとしても少々驚きの事実だった。
「実はあの人、昔はディバーナ・ロウにいたらしい」
と、ティースが言うと、案の定二人は意外そうな顔をした。
「え? じゃあもともとはディバーナ・ロウのデビルバスターだったってこと?」
「いや、ディバーナ・ロウにいたときはまだデビルバスター候補生で、デビルバスター試験に受かると同時にネスティアスに引き抜かれたらしい。……ちょっと話は変わるけど、二人とも覚えてるか? 俺がデビルバスターになったとき、ファナさんに”とある話”を打ち明けられたこと」
エルレーンとリィナは一瞬だけ顔を見合わせて、結局リィナがそれに答えた。
「ディバーナ・ロウが一部の<魔>の組織と協力関係にあるという話ですか?」
「そう。そもそもディバーナ・ロウってのは<魔>を退治するだけじゃなくて、不当に虐げられる<魔>を陰ながら支えるという側面も持った組織だ。それでもディバーナ・ロウのデビルバスターとして働けるか、っていうのがファナさんからの問いかけだった」
「私とエルさんもその場にいたのでよく覚えています。ティース様は即答してましたよね」
「まあ、俺にとってはむしろ助かる話だったからね。……で、それが明かされるのは基本的にデビルバスター試験に受かった直後のことだ。<魔>と積極的に関わっているのが知れ渡るのはミューティレイク家としてもいいことじゃないから、スカウトして育てる段階で“そういう考え”に適合する人間かどうかを観察して、大丈夫だろうと判断した人間だけ最後まで育てることにしているらしい」
今ごろはパーシヴァルが同じことを聞かれているかもな、と、ティースは少し笑った。もちろん彼なら問題ないだろうとティースは考えている。
「あ、じゃあもしかして……」
そこでエルレーンが察する。
「ルーベンって人は、その話を聞いてディバーナ・ロウを抜けたってこと?」
「そうらしいね。アオイさんやリディアはもちろん、あのファナさんですらそのときは驚きを隠せなかったそうだ。つまりルーベンさんはその瞬間まで“そういう考え”の持ち主だと思われていた。これはファナさんたちだけじゃなく、当時彼が所属していたディバーナ・ファントムの隊長――つまりアクアさんも含めてね」
うぅん、とエルレーンが眉間に皺を寄せて腕を組んだ。幼い外見の彼女には似合わない――まるで親の物真似をする子供のような仕草だと思ったが、もちろんティースは口に出さなかった。
そして考え込んだ末、エルレーンが口を開く。
「それってファナたちが見誤ってことなのかな? それとも見抜かれないように隠してたってこと?」
「さあ、どうかな。直前で心変わりしたって可能性もあるだろうし……ただ、彼が<魔>に関して何か特別な考えを持っている人間であることはたぶん間違いない」
「いずれにしても要注意ってことだね……」
と、再び難しい顔をしてエルレーンが考え込む。
「意識しすぎるのはよくないけど、まだわからないことが多い。しばらくは注意したほうがいいな」
そう。今回のルーベンの行動はわからないことだらけなのだ。
そもそも“朧”と呼ばれる特殊なアイテムを使って人に姿を変える手法は、基本的にどのような手段を用いても正体が見破られることはないと言われている。エルレーンとリィナは自らが本来持つ魔力の大半と引き換えに、ほぼ絶対的な偽装を保証されているのだ。
その効果は本人あるいは身請け人と呼ばれる存在――彼女たちの場合はティースとシーラ――が命を落とすときまで継続する。
完璧な擬装。
にもかかわらず、なぜルーベンは彼女たちの正体を疑うことになったのか。
ティースにはそれが不思議で仕方がなかったのである。
「もしかしたら……ですけど」
と、考え込む二人に、少し困ったような表情でリィナが言い出した。
「あのルーベンさんという人、以前から屋敷に来てて何度か顔を合わせたことがあるんです。……もしかしたら、そのときに私の態度を見て不自然だと感じたのではないでしょうか? 私もそのときの会話をはっきりとは覚えていませんが、特に屋敷に来たばかりの頃はおかしな受け答えをしていたかもしれません」
「うーん。でも、それだけで人間じゃないかもしれないなんてことを疑うかな……?」
否定的な言葉を口にしたティースに、エルレーンが付け加える。
「あるいは色々な要素が複合して、って可能性はあるかもね。リィナぐらい背の高い女の子は人間だと珍しいと思うし、ボクらが使う力も魔導器の恩恵ってことで誤魔化してるけど、魔導器を使う人間自体やっぱり珍しいでしょ? そういう目で見てる人にとっては疑わしいと思うんじゃないかな」
「……ああ。そういう可能性はあるかもしれないな」
確かに、と、ティースは思った。
水の<人魔>に多いとされる大柄な女性で、水の魔力が込められた魔導器を使う。……偶然といえば偶然で片付けられる範囲のことではあるが、最初から疑いの目で見ていたとしたら、何かあるんじゃないかと考えてもなんらおかしくはない。
それに加え、ルーベンはディバーナ・ロウの秘密――<魔>の組織と少なからず関わりがあるということを知っているのだ。
エルレーンが少し心配そうな顔をする。
「ねえ、ティース。もしかして今回の依頼ってそのこととも関係あるのかな? ボクらの正体を明かしてやろう、なんて……」
「……断言はできないけど、それはたぶん違うんじゃないかな」
ティースは少し考えてからそう答えた。
これまでの経緯を見る限り、今回の依頼はおそらく公女であるサイアが主導したものだろう。その目的もまだはっきりしないが、彼女に関してはエルレーンやリィナよりも、むしろティースやシーラのほうに興味が向いているように思える。
「だから思惑があるとしても、おそらくはルーベンさん個人の考えだ。……まあ、戯れにカマをかけてきただけって可能性もあるから、さっき言ったこととは逆になるけど深く考えすぎないほうがむしろいいのかもしれないな」
気にしすぎると逆に墓穴を掘ってしまう可能性もあるだろう。
それにどんなに疑われようとティースとシーラが無事である限り、彼女たちの正体が完全にばれるということはないのだから。
「……そうだね。ひとまずあまり気にしないようにする」
と、エルレーンとリィナは深く頷いたのだった。
ひっそりと静まり返る夜の村。
人々はほとんどが本日の営みを終え、明日の太陽を待ちわびて床についている。
夜になって少し緩んだ温い空気の中に微かな緊張を感じながら、シーラは真っ暗なじゃり道を足元に注意しながら静かに進んでいた。
普段であれば彼女のようにいかにも非力そうな少女がこのような闇夜を一人歩きするのは、たとえ治安の良いネービスの街であっても危険極まりない行為である。ただ、今日に限っていえばこのじゃり道はネービス領のどんな夜道よりも安全であったといえるだろう。
もちろんシーラは知っていたのだ。
床について活動を休止している村人たちの隙間を埋めるように、ネスティアスの精鋭部隊が息を潜めて賊の襲来を待ち受けているということを。
だから彼女が今夜注意すべきだったのは、じゃり道に潜む大きな石に足を取られないようにするぐらいのことであった。
「やあ、こんばんは。シーラ」
そんなシーラの目の前に暗闇の奥から一人の人物が姿を現す。
辺りに潜んでいるネスティアスの深緑色の制服とは若干違う意匠の、漆黒の制服。
シーラは答えた。
「お疲れ様です、リゼットさん。……少し、驚きました」
「え、そう? 気配を消していたつもりはなかったんだけど……」
と、右手を腰に当てて立ち止まったリゼットが不思議そうな顔をする。
「いえ、そうではなくて」
そんなリゼットに対し、シーラは小さく頭を垂れて、
「この前は失礼なことばかり言ってごめんなさい。それで、こんなに気安く声をかけてもらえるとは思ってなかったもので」
「あ。ああ、そんなこと?」
一瞬呆気に取られた後、リゼットはすぐに明るく笑った。
「別に気にしてなんかないよ。あのときキミが言ったことってほとんど図星だし、僕の冗談もあまり品のいいものじゃなかったからね。……それで、どこ行くんだい? キミのような麗しい乙女がこんな夜道を一人歩きとは感心しないなぁ」
どうやらリゼットは本当に気にしていないようだ。
シーラはゆっくりと顔を上げた後、僅かに微笑みながら答えた。
「そうですか? 今のここは昼日中のネービスよりもよほど安全でしょう?」
「ふふ、そうとも限らないよ。制服を着てたって中身は男の子だからね。ほら、雲が切れて満月が覗けば狼に変身するかもしれない」
そう言って夜空を指差すリゼット。
上空の雲は分厚く、そこから月が出てくる気配はなかった。
「最近よく聞かれるよ? 新しく入ったあの可愛い娘は何者だ、ってね。そのたびに、あれは僕の“いい人”だから手を出しちゃダメだよって釘を刺すんだけど」
冗談なのか本気なのかわからない調子でリゼットは笑った。その声は低めのトーンで艶があり、中身が女性だとわかっていても、一瞬だけ線の細い男性と話しているかのように錯覚してしまう。
(……なるほど、ね)
シーラのリゼットに対する第一印象はお世辞にも良いとは言えなかったのだが、このときの会話でシーラはその認識を改めることとなった。
リゼットをもてはやす少女たちの気持ちが、今の彼女には少しだけ理解できてしまったのである。
そしてシーラは最初の質問に答えた。
「私はこれからサイア様のテントへ向かうところです。なにかお話があるとかで」
「公女様が? 珍しいね。あの方は双子の侍女以外は美青年しか侍らせないことで有名なのにさ。……まだ十代半ばなのに、すでにマダムの貫禄だよね」
シーラは苦笑して、
「とすると、リゼットさんも美青年枠ということですか?」
「僕なんかはただの雑用だよ。ディグリーズで唯一なんでも言うことを聞いちゃう都合のいい女だからね、僕は。……おっと、あんまり足止めしちゃ公女様に怒られちゃう。またね、シーラ」
爽やかな笑顔を残し、軽く手をあげてすれ違っていくリゼット。途中、彼女の黒い制服の袖に刻まれた『玖』の文字がシーラの網膜に一瞬だけ焼きついた。
その背中を見送って、シーラは一つ息を吐く。
辺りは静寂に包まれたまま。賊の襲来まではまだ時間があるのだろう――と、そんなことを考えながらシーラは歩みを先に進めた。
村の中心辺り、もとは単なる広場だったと思しきその場所に今は大きなテントが建っている。中には明かりが灯っているはずだが、遮光性の高い布地を使用しているのかそのシルエットは完全に闇に溶け込んでいた。
入り口付近には若い男が二人。ネスティアスの深緑色の制服ではなくフォーマルスーツに身を包んでおり、腰には剣を帯びている。おそらくはサイア個人の親衛隊だろう。
名前を告げてテントの中に入ると、視界が一瞬のうちに光で満たされた。暗闇に慣れた目にはひどく眩しい。
「よく来たな、シーラ」
我の強そうな少女の声。
野戦用のテントとあって中は基本的に殺風景だったが、中央にはそれに似つかわしくない真っ白なテーブルクロスに包まれたテーブルがあり、その上座にはこれまた豪華な装飾の施された椅子が置いてある。
そこにネービス公女サイアがいた。以前パーティで見たときと変わらぬ純白のロングドレスに、胸元には赤い宝石のネックレス。そしてその宝石よりも鮮やかな真紅のロングヘア。
両側の斜め後ろには同じ顔をした侍女がピンと背筋を伸ばして立っており、さらに後方に五人、入り口にいたのと同じ装いの若い男たちがいた。
テーマの異なる二つの絵画を切り抜いて組み合わせたような、あまりにもミスマッチな光景。
そこに向かってシーラは恭しく頭を垂れた。
「遅くなってしまって申し訳ありません、サイア様。慣れない土地に加え、無月の夜ということもあって迷ってしまいました」
一瞬のうちに頭の中を駆け巡ったいくつもの感想をすべて心のうちに押し込めて、シーラはまず謝罪の言葉を口にした。といっても、実際には呼ばれてからそれほど時間が経っているわけではない。形式的な言葉である。
サイアが答えた。
「そう必要以上に畏まるな、シーラよ。そなたはなかなか聡明な人間のようだ。ならば私がどのような性格の人間かはある程度察しておるだろう?」
「身に余る評価です。サイア様は私のことを買いかぶられているのではないでしょうか」
ふん、と、サイアは小さく鼻を鳴らす。
「なんともソツのない受け答えだな。……まあ良い。そなたを呼んだのは他でもない。今宵は少々話し相手に飢えておってな」
そこでようやくシーラは顔を上げた。
「サイア様の退屈を埋めるような面白い話ができればいいのですが……」
「困ることはない。話題はこちらが提供しよう。私が聞きたいのは他でもない、そなたが属する組織についてのことだ」
「……」
一瞬言葉を止め、シーラは窺うように正面の公女を見た。
いくつかの可能性が頭の中を飛び交っていく。
「私はディバーナ・ロウに所属して間もない人間です。サイア様のご期待に応えられるとは思えませんが――」
そんなシーラの返答を遮るように、サイアは軽く左手を振る。
「構わぬ。話に価値があるかを判断するのは私だ。そなたはただ思うままに答えてくれればそれで良い」
「わかりました。私が知っている限りのことであれば」
今度は迷うことなくそう答え、シーラは椅子の上で居住まいを正し、真っ直ぐにサイアと向き合った。
サイアが左側に軽く視線を送る。そこに控えていた侍女がティーセットを載せたワゴンを押してシーラのそばまでやってきた。
そしてサイアは話を始める。
「本題に入る前にまず一つ聞いておきたい。シーラ。そなたはサンタニア学園の薬草学科を主席で卒業した優秀な人材と聞いているが、今の境遇には不満はないか?」
「不満、ですか? 今のところはありません。まだ不満を覚えるほどの貢献もしておりませんから」
「今のところ、か」
「謙遜などではなく、今はまだ右も左もわからない状態ですので」
「ふむ――」
侍女が紅茶を注ぎ終えたタイミングでサイアがいったん言葉を止めた。
その意図を察し、シーラはテーカップを手に取る。ゆっくりと香りを楽しんでから、一口。
カップを置いたタイミングを見計らってサイアは再び話し始めた。
「ちなみに今回の作戦はそなただけここでの待機を命じられたようだな。それについてはどう考えているのだ?」
「……どう、とは?」
「簡単なことだ」
一瞬言葉に詰まったシーラの反応を見逃さず、サイアは紅茶をティースプーンでかき回しながら続けた。
「医療担当メンバーとはいえ、これだけ離れた場所にいては万が一の治療もできまい? 後方支援の人間を激しい戦場の真っ只中に放り込むのはもちろん愚かなことだが、今回そなたらに与えた役割はさほど厳しいものではない。それでもそなたを安全なこの場所に残したのは、過保護というべきか、あるいは戦力として考えていないと捉えるべきか。……そんな不満を持っていたりはしないかと、ふと思ったのだ」
「……」
そのサイアの言葉はシーラの心の中を正確に見抜いた、鋭い問いかけだった。
事実、今回の作戦の概要を聞いたとき、シーラはディバーナ・クロスが脇役であることは即座に理解したし、危険の少ない役割であることもわかっていた。
だからもちろんシーラは最初から現場についていくつもりだったのだ。
それでも待機を命じられたことに不満がないといえば嘘になる。
まさにサイアが言ったとおりだろう。ティースはまだシーラのことを戦力として見ていないのだ。
そんな現在の境遇は、最低でもエルレーンやリィナたちと同じ扱いを望んでいた彼女にとって、理想にはほど遠いものだった。
それを表に出すことはなかったが――
黙ったまま考え込んだ仕草のシーラに、サイアは口の端を小さく上げて少し笑った。
「まあ、そのやり方に口を挟むつもりはもちろんない。ただ、今の場所に不満があるならいつでも私のところへ来い。我々は有能な人材をいつでも求めているぞ。そなたの言うとおり、私は今のところそなたの能力を大いに買っておるのでな」
「……お気遣い感謝します。サイア様」
ひとまずシーラはそう答えた。本気で引き抜く気があるのかどうかまでは、サイアの口調からは完全には読み取れない。
そんなシーラを相変わらずの不敵な笑みで見つめて。
では本題に入ろうか――と、サイアは少しだけ身を乗り出したのだった。
事前情報のとおりに姿を現した盗賊たちと、ネスティアス第玖隊との戦いの火蓋はそれから約一時間後に切って落とされた。
そして――約三十分。
たったそれだけの時間で、勝敗はすでに決しつつあった。
<人魔>たちはそもそもが完璧に統率された集団ではなく、待ち伏せをしていたネスティアス精鋭部隊の奇襲を受けると、あっという間に一網打尽にされ散り散りに敗走を始めたのである。
そんな中。
近くの山道付近で戦況を注視していたティースたちに予想外の出番が訪れた。
散り散りになって敗走してきたと思わしき一人の<人魔>が彼らの前に姿を現したのだ。
「リィナ、“霧”を頼む!」
斜面を駆け下りながらティースは後方に指示を出した。
その視線の先。
細い山道を必死に駆けていた<人魔>が何かに気付いたように速度を緩める。その周囲にはリィナの力によって急激に靄のようなものが立ち込めており、ただでさえ視界の悪い闇夜にさらなる目隠しを下ろそうとしていたのだ。
やがて<人魔>の視界は完全にゼロとなり、足が止まる。
そこにティースは突撃していった。
すでに留め具を外してあった<細波>を抜き放つ。
殲滅、あるいは捕縛。
相手は金品や食糧目当てに人々を襲った凶悪な<人魔>だ。ティースもそんな相手に容赦をするつもりはなかった。
が、しかし――
<人魔>が急速に近付いたティースの存在に気付く。
(……!)
ようやく輪郭のはっきりしたそのシルエットに、ティースは一瞬だけ躊躇することとなった。
(子供……!?)
ティースに脅えた視線を向けてきたのは、まだ十代前半と思しき少年の<人魔>だった。自分のものかあるいは味方のものか、頬の辺りには血の跡が見える。
「っ……!」
そしてコンマ数秒の思考の後、ティースは再び後ろから続く二人に指示を出した。
「生け捕りにする! 援護を!」
返事の代わりにティースの足元をエルレーンの放った風の渦が吹き抜けていく。それはあっという間に<人魔>の元に到達すると、まるで生き物のようにうねってその両足を掬った。
「うっ……!」
<人魔>がバランスを崩してうつ伏せに倒れ込む。ティースはその<人魔>の手をねじり上げ、上から体重を乗せるようにして素早く行動の自由を奪った。
「うう……ッ!」
<人魔>の口から苦痛の声が漏れ、抵抗するとともにその全身から魔力が滲み出す。
即座にティースは叫んだ。
「抵抗は無駄だ! 死にたくなければ大人しくしろ!」
脅すように強い力で地面に押し付けると、<人魔>は再びうめき声を漏らして大人しくなった。抵抗する力も弱い。おそらくはここまで逃げてきた段階でほとんどの力を使い果たしていたのだろう。
後からエルレーンとリィナが追いついてきた。
「ティース様! ……子供、ですか?」
ティースに組み伏せられた<人魔>を見て、リィナが驚く。
「らしいな……」
魔力を抑制する拘束用の縄をエルレーンから受け取り、両腕を縛り上げながらティースは改めてその<人魔>を見た。
顔つきや体つきはまるで成長しきっておらず、こうして至近距離で見ると小柄なエルレーンよりさらに小さい。十代前半どころか、正確には十歳前後というべきだろう。
(……こんな子が盗賊、か)
若くして悪事に手を染める<人魔>はそれほど珍しいものでもないが、さすがにこの年齢を相手にするのはティースにとって初めてのことだった。
<人魔>の少年は意識を失ってしまったのか、縛り上げられても何の反応も見せない。
「……この子、流されてきたのかな」
エルレーンがポツリとそう呟いた。
その言葉には同情したようなニュアンスがある。……かつて似たような年齢の頃、自らの意志ではなく事故によってこちらの世界に流されてきた彼女としては、同じ境遇かもしれない少年に何か思うところがあったのかもしれない。
そんなエルレーンの心情を察しつつも、ティースは少年を拘束したままゆっくりと身を起こして指示を出した。
「後続があるかもしれない。リィナは一足先に警戒に戻ってくれ。もし敵が現れても一人で無理はしないでくれよ」
「はい」
と、リィナはすぐに背中を向けた。
それを見送って、ティースは気を失った少年の状態を確認する。
大きな外傷はなく、脈や呼吸にも異常はない。
そこまで確認すると、ティースは<細波>を鞘に収め、縛ったままの少年を抱え上げた。
「ティース。その子、どうするの?」
「もちろん連れて行くよ。子供とはいえ、やったことの重大さを思えば見逃すわけにはいかない」
「……だよね」
納得したように頷いたものの、エルレーンの表情は複雑そうだった。
彼女の懸念はティースにも理解できる。
このまま連れて行けば、もちろんネスティアスに身柄を引き渡すことになるだろう。そのとき、ネスティアスがこの少年を“適切に”扱うかどうか。
エルレーンはそれを心配しているのだ。
もちろん子供だろうと罪を犯せば償わなければならないし、その重さによっては相応の罰を受けなければならないとティースは考えているが、同時に<人魔>だからという理由によって不当に扱われてはならないとも思っている。
まして幼い子供であれば、望まず悪事に加担させられてしまうこともあるのだから。
複雑そうな顔のエルレーンに、ティースは言った。
「リゼットさんには俺のほうからそれとなく話をしてみるよ。積極的に盗賊行為に加担していたとすれば死罪は免れないと思うけど……」
「……ありがと、ティース」
そんな彼の気遣いを感じたのか、エルレーンはそう言って少し明るく笑った。
――結局この日山道に逃げてきた賊は少年一人だけであり、討伐作戦は戦闘開始から僅か一時間余りで決着することとなった。
ティースは捕まえた盗賊の少年を予定どおりネスティアスに引き渡し、そのまま無事ネービスの街へ帰還することとなるのだが――
この日の出来事は、後々彼らの身に降りかかる大きな事件のきっかけとなるのであった。