プロローグ
なんとも座り心地が悪いのだ。
「お出かけ? 付き合いましょうか?」
押し付けがましいわけでも恩着せがましいわけでもない。少女の申し出はごく自然で当たり前のものであり、そこに邪心や下心はいっさいなく、それが純粋な好意によるものだというのは誰の目にも明らかだった。
しかしながら。
ティーサイト=アマルナにとっては、それがとてつもなく座りが悪い状態だったのである。
「ああ、いや。今日はエルに付き合ってもらうことになってるんだ。だからお前はゆっくりしててくれよ」
「そうなの?」
水飴のように艶のある綺麗な金髪をポニーテイルにした美少女、シーラ=スノーフォールはそんなティースの言葉に小さく首をかしげていた。
「だったら気をつけて行ってらっしゃい。……それと、力仕事ならあまり役に立たないかもしれないけど、それ以外ならなんでもやるから。遠慮なく言ってくれていいのよ?」
「わかってるよ。遠慮してるとかじゃなくて、たまたまエルに先に話をしてたってだけだから」
「そう……?」
シーラはそんなティースの顔を窺うように見つめ、一瞬だけ納得できないような複雑な表情をしたものの、結局それ以上は何も言わなかった。
もちろんティースの言葉は建前である。
「シーラ、気にしてるみたいだよ」
真夏の陽射しに照らされながら歩く、ネービスの中央大通り。隣を歩く妖精のように小柄な少女エルレーンがティースの顔を見上げながら、逆光に少し目を細めてそう言った。
「なんか言ってたのか?」
容赦のない暑さに額の汗を何度も拭いながら、ティースはエルレーンにそう尋ねる。
「ボクらにも直接は言わないけどね。不満に思ってるわけでもなさそうだけど。ただちょっと気にしてる感じは伝わってきてる」
「……そっか」
ティースはそう呟いて、考え込むように視線を地面に落とした。
彼らが目指している先はネービスの最北端。領主であるネービス公の屋敷のすぐ近くにある、ネービス公直属のデビルバスター部隊『ネスティアス』の詰め所である。
この日の目的は情報交換だった。
エルレーンが言う。
「こういう仕事ってむしろボクらよりもシーラ向きだと思うんだけどね。今回はシーラが持ってた本のことも話題に出そうなのに、どうして連れて行かないの?」
「ん、いや、まあ……」
「遠慮してるんだ?」
直球なエルレーンの言葉に、ティースは少し苦笑いした。
「……違う、とは言えないかな。そっか。やっぱり気付かれてるよな」
と、頭を掻く。
シーラはもともと頭が良く勘も鋭い少女である。絶対に気付かれていないとは、さすがのティースも考えていなかった。
ティースの悩みは至極単純なものである。
彼が隊長を務める《ディバーナ・クロス》。シーラがその隊員となったのはつい一週間前のこと。
つまり彼らは仕事上、上司と部下という関係になったわけである。
そこにティースの悩みがあった。
ティースにとってのシーラという少女は、何に代えても守るべき宝物のような存在だ。その意識の根底には、かつて従者とその主の娘――いわゆる主従関係にあったときの名残がその形を強くとどめている。
敬語をやめ、見た目は対等な関係になってからもなお。彼女を守り、学費を工面し、無償の奉仕を提供することによって、ティースは従者としての自分を密かに保ってきていたのだ。
しかし、今はそれがなくなった。シーラは学園を卒業し、ティースの庇護下から離れ、そして自ら望んで彼の部下となった。
名実ともに、二人の間の主従関係は完全に消滅したのだ。
それがシーラの望みであったことはわかっている。
その望みに応えたいとも思っている。
しかしながら。
そこに腰が引けた自分が存在していることをティースは自覚していた。
独白のように呟く。
「自分でもおかしいと思うんだけどさ。あいつにそういうことやらせるのって、なんていうか、神様に弓を引く、みたいな感じがしちゃって……」
「……重症だね」
そう。
重症だった。
シーラがティースに対して複雑な感情を抱いていたのと同じように、彼もまた、彼女に対して割り切れない思いをずっと引きずっているのだ。
しかし彼女の変化を受け入れることを決意した時点で、すでに退路は断たれている。
ティースもまた変わらざるを得ない。
そのタイムリミットが刻一刻と迫っていたのだ。
そしてしばしの間、ティーサイト=アマルナの憂鬱な日々は続く。
その結果が彼にとって吉と出るのか凶と出るのか。この時点では神のみがその答えを知っていたのだった。