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デビルバスター日記  作者: 黒雨みつき
第12話『彼女に宿る光と闇』
110/132

その11『顛末』

「――敬語は禁止。もちろん『お嬢様』も禁止よ」

 それが故郷のジェニス領を離れ、ネービスの街で始まった新生活で彼女が最初に作ったルールだった。


 ティースは今、夢を見ている。

 夢というのは願望が顕れるとものだとよくいうが、彼は欲が弱いせいか突拍子もない夢を見ることはほとんどない。たまに見る夢といえば過去の記憶ばかりで、このとき見ていたのもどこかで実際に体験した映像だ。

(ああ、そうか……)

 そしてティースは、その時点ですでに認識がズレていたのだとようやく気付いた。

 ティースにとっての主家であり、シーラにとっての実家であるジェニス領の貴族レビナス家は、家出したシーラの行方を必死になって捜すだろうと、ティースは最初当然のようにそう考えていて、ネービスに来たばかりの頃はまるで脱走犯のようにビクビクしながら過ごしていた。

 だからシーラが敬語を禁止したり呼び方を変えたりしたのは、周りに不審がられることで発見されるリスクを少しでも減らすため――と、真っ先にそういう発想に至ってしまったのだ。

 結果、ティースは言葉遣いを変えただけで実態としては何一つ変わろうとはせず、それが結果的に長い長いすれ違いを生むことになった。

 もちろんそれはティースばかりに非があるわけではなく、彼がまだ知らないシーラの事情も複雑に絡み合ってはいたのだが、いずれにしても。

 二人が目指していた到達点に明確な認識のズレが生じていたことは確かだ。

 ――役に立ちたかった。

 ――必要とされたかった。

 主従関係を解消し対等な立場にあることを望んだシーラにとって、一方的に与えられ続ける生活はストレスだったのだろう。彼女を大切にしたいというティースの強い思いが結果的に裏目に出てしまったのだ。

(……ずっと一緒にいても気付かないなんて、ホント馬鹿だな、俺)

 そんな自分の鈍感さに嫌気が差しつつも。ネービスに戻ったら話し合おう。彼女が故郷に帰るまでそれほど時間はないかもしれないが、少しでもやり直そう、と。

 そこまで考えて、ティースはふと思い出した。

 夢を見る直前の出来事。

 現実での出来事。

 メイナード。

 シアボルド。

 それに立ち向かおうとする、悲壮な彼女の背中――

 ああ、そうだ――と、思い出して。

 どくん、と、心臓が嫌な鼓動を打つ。

 そして。


「……シーラ! 無茶だ、やめろ――ッ!」

 ティースはそんな自らの叫び声で目を覚ましたのだった。




「……うぐッ!?」

 シーラの名を叫びながら身を起こそうとした途端、ティースの全身に激痛が走った。一気に意識が覚醒し、あまりの痛みに全身から汗が吹き出してくる。

「う、うぅ……!」

 うめき声を漏らしながら薄っすらと目を開けると、まずティースの目に入ったのは綺麗な木目の天井だった。起こしたつもりの体はベッドに仰向けになったまま、痛みで全身が動かない。いや、どうやら体の何箇所かは動かないようにベッドに固定されている。

 自由に動くのはどうやら首だけのようだ。

 ティースはその首を動かしてベッドの脇を見る。

 すると、

「……」

 そこに驚いた顔の女性がいた。

「リィナ、か……?」

 微妙に逆光になっていてまだ光に慣れていない目にははっきりと見えなかったが、その長身のシルエットはそうそう見間違えるものではない。

 そしてリィナが口を開いた。

「ティース様。よかった……」

 驚きに固まっていた表情が一気に和らいでいく。

「……ここは」

 ティースはそんなリィナからいったん視線を外して反対側に首を動かした。目の前には壁。どうやらここはあの戦場ではなく、どこかの建物の中のようだ。

 大きく息を吸い、ゆっくりと吐きながら再びリィナのほうに視線を向ける。

「リィナ、ここはどこだ? シーラは? エルはどうした? カルヴィナは――」

 一刻も早く。安否を知りたかった。そして無理やりにでも体を起こそうとするティースを見て、リィナは両手でそれを押さえる仕草をしながら、

「落ち着いてください、ティース様。絶対安静です。順番にお話ししますからそのまま動かずに聞いてください」

「……」

 ティースの心が逸る。彼が無事だということは、あの場に助けが来たことは間違いない。ただ、その事実は他の全員の無事を保証するものではなかった。

 が、しかし。

 リィナが説明を始める前に、部屋の外から軽快な足音が聞こえてきてドアが開いた。

「リィナ? 今、ティースの声が聞こえ――」

 ピタリと言葉が止まって、ティースの視線と絡み合う。

「あ……」

 おそらくは彼の人生の中でもっとも多く耳にしてきたその声。人形のように整った目鼻と顔立ち。そして珍しく下ろしたままの、細長い金糸のような美しい髪。

「シーラ……!」

 その姿を見た瞬間、ティースは今の状況も先ほどのリィナの忠告もすべて頭の中から吹っ飛んでしまい、ベッドから身を乗り出そうとした。

 が、しかし。

 ボロボロになっていたティースの体が、そんな無茶な命令を聞いてくれるはずもなく――

「ッ――!?」

 途端に脳天を突き抜けた想像を絶する激痛。

 そして、

「ティース様! 動いてはいけません!」

 とっさに伸ばしたリィナの両手が体に触れた瞬間。

「う……うぅ……」

 女性アレルギーが発動し、彼の意識は再び闇の中へと落ちてしまったのだった。


 ……そんな彼が再び目を覚ましたのは、頂点付近にあったはずの太陽が西のほうに沈みかけている時間になってからのこと。


「お目覚め?」

 その声にゆっくりと首を傾ける。

 先ほどリィナが座っていた場所にシーラが座っていた。逆光だった太陽はいつの間にか壁の向こう側に移動していて、今度ははっきりとその顔を認識することができる。

 夢ではない。

 そこにいたのは間違いなくシーラだった。

「……無事、だったんだな」

 昼間の“予行演習”のおかげか、ティースも今度は冷静に反応することができた。

 ただ。

「……」

 黙ってティースを見つめるシーラの顔はどこか不満そうだ。

「シーラ?」

 ティースが怪訝そうに声をかけると、彼女の口がようやく開く。

「馬鹿」

「え?」

 シーラは微かに口を尖らせて言った。

「せっかく意識が戻ったのに、あんな無茶して。これで二度と目を覚まさなかったら私のせいになるじゃない」

「あ、ああ……」

 どうやら先ほどの話のようだ。

「ごめん。お前の無事な姿を見たらつい、なにがなんだかわからなくなって」

「……」

「あ、いや。だって俺、本当にこうして無事に帰れるなんて思ってなかったから……あれ。あの後って結局なにが――」

「同じよ」

「え?」

 シーラが左手をゆっくりとティースの顔に伸ばした。何事かと思ったが、どうやらどこかから飛んできた大きな埃の固まりがティースの頬の上に乗っていたらしい。

(……そういや右肩、怪我したんだったな)

 そこでティースは初めて、シーラの右腕ががっちりと固定されていることに気付いた。左の頬には大きなガーゼが当たっていて、その出で立ちはティースと同じ怪我人の装いである。

 ティースの脳裏に、彼女の右肩を貫いた矢じりの映像が蘇る。

 そう。ティースほどではないにしろ、彼女も大怪我をしているはずだった。

「同じって、どういうことだ?」

 頬のガーゼ――その下に隠れているであろう顔の傷の深さを気にしながらティースがそう尋ねると、埃の固まりを指先で取り除いたシーラは少し目を細めた。

「私だって同じ。お前が目を覚ましたのを見てすぐに飛びつきたかったけど、リィナの手前、我慢したんだから」

「ああ、そういう――え?」

 きょとん、とするティース。

「だから、ほら。お前は動かなくていいわ」

 再びシーラの左手がティースの顔に伸びる。

 今度は頬ではなく頭のてっぺんを押さえるように。

「お、おい……?」

 さらに身を乗り出して顔を近付けてきたシーラの行動にティースは大いに慌てた。いつだったか彼女と唇を重ねたときの記憶が蘇って頭の中が瞬時に沸騰する。

 ただ、今回触れたのは唇ではなかった。

 シーラはティースの頭を左腕だけで抱えるようにして、頬と頬を重ねるようにそっと抱きしめたのだ。

 それでも。

「――」

 鼻腔をくすぐる甘い香りに頭がクラクラし、体はまるで呪文にかかったかのように硬直した。

 そんな状況ではないとわかっていながらも、鼓動が高まる。

 その体勢のまま、シーラはそっと呟くように言った。

「無事で本当によかった。お互いに、ね」

「……」

 重なった頬の辺りからティースの全身に熱が広がっていく。と同時に、目の奥にも熱いものが生まれていた。

 そして頬に雫が流れる。

 それはティースが流したものではなかった。


 ――そうして、どのぐらいの時間が経ったのだろう。


 いつしか窓から射し込む夕陽はその力を弱め、夜の到来を知らせようとしていた。外から聞こえてくる囀りは夜鳥のものに変わっている。

 十分、二十分。いや、三十分はそうしていたのだろうか。

 その間、シーラは時折ティースに頬をすり寄せる動きをするだけで一言も言葉を発することはなく。ティースもまたそんな彼女にされるがまま、半ば放心したように天井を眺めていた。じっとしているには長すぎる時間のはずだったが、不思議とそれほどの長さは感じなかった。

 さらに十分。

 その間、身じろぎすらしなくなったシーラに気付き、もしかするとそのまま寝てしまったのだろうかと、ティースがようやくその可能性を疑って彼女に声をかけようとしたのは、そこからさらに十分ほどが経った頃。

 ただ、結局その状態を破ったのはティースの言葉ではなかった。

「シーラ様!」

 部屋の外から響いてきた足音。昼間とはキャストが入れ替わり、ドアを開けて入ってきたのはリィナだった。

「……あら、リィナ」

 シーラはどうやら眠っていたわけではなかったらしく、足音が聞こえた時点で素早くティースから身を離していた。そして部屋に入ってきたリィナを見て少し残念そうな顔をする。

「もう帰ってきちゃったのね。お疲れ様」

 そんなシーラの言葉に、リィナは珍しく本気で怒った顔だった。

「何度言わせるつもりです!? シーラ様もまだ安静だって言っているじゃないですか!」

「それ、さっきも聞いたわね。ごめんなさい」

「その言葉、私もさっき聞きました!」

 そんなリィナの返しにシーラは苦笑しつつ、もう一度、ごめんなさい、と言った。

「今度こそもうしないわ。このとおりティースも無事だってわかったしね」

「……」

 リィナは険しい表情でシーラを見ていたが、やがて糸が切れたように突然表情を崩すと、

「本当にお願いします……。ティース様もシーラ様も、一時は本当に危ないかもしれないって言われて、私、もう心配で心配で――」

「ごめんごめん。リィナ、ほら、泣かないで。私もティースも大丈夫だから」

 そう言いながらシーラは椅子から立ち上がってリィナに歩み寄り、左手をリィナの背中に回して肩をポンポンと叩く。シーラも特別小柄なわけではないが、それでも長身のリィナと並ぶと二十センチ近い身長差があり、一見子供が大人を宥めているような奇妙な光景にも見えた。

「あ、そうだわ」

 シーラはそのまま部屋を出て行こうとして、ふと思い出したようにベッド上のティースを振り返ると、

「エルもカルヴィナさんも無事よ。二人とも軽傷とはいえないけど」

「シーラ様。詳しいことは私からお話ししますから。早く戻って休んでください」

「少しぐらいいいじゃない。頑固ね」

 と、笑ってシーラは今度こそ部屋を出て行った。リィナはそんな彼女を見送って、もう……と、ため息を吐きながらベッドの上へと視線を動かす。

「さて、ティース様。今、お話ししても大丈夫ですか?」

 先ほどまでシーラが腰掛けていた椅子に座ってリィナは気を取り直した様子だった。

 ただ。

「ティース様?」

「え? あ、ああ、ごめん」

 ティースの耳にはどうやらリィナの声が届いていなかったようだ。

 半ば放心状態だったのである。

「どうしました? なにか考え事でも?」

「あ、いや……」

 その原因はもちろん先ほどのシーラの行動である。ただ、そのことをリィナに話すと、先ほどの長い抱擁のことまで話さなくてはならず、気恥ずかしくてティースは結局そのことを口にしなかった。

「なんでもないんだ。それより話してくれ。あの後のこと」

「? はい」

 リィナは少し不思議そうだったが、彼女らしくそれ以上追及してくるようなことはなく。

「まず、ここはアグノエルの街の病院です。ティース様が戦いで意識を失ってから三日経ってます」

「三日か。結構長いな……」

 ティースは思わずそう呟いていたが、生死の境をさまよったにしてはむしろ短いというべきだろう。

 リィナは続けた。

「ティース様の怪我は全身数十箇所の骨折や打撲、裂傷、一つ一つ挙げるとキリがないほどの大怪我です。一番酷いのは右足の複雑骨折で、まともに歩けるようになるのに一ヶ月近く、完治までにはそれ以上かかるそうです」

 言われて右足に神経を集中してみると、すねの辺りから先が硬いもので覆われ完全に固定された状態のようだ。骨折といってもかなり重度のものだろう。

「普通の人の治癒力なら、下手すれば二度と歩けなくなるぐらいのものだと」

「……それは怖いな」

 ティースたちデビルバスターの体は、心力によって自然治癒の力も大幅に強化されている。つまり普通の人ならというのは、心力を習得していない人間ならという意味だ。

「ティース様が戦った人魔の遺体はクリーヴランドの治安部隊によって回収されています。それについては後日、治安部隊の方がティース様と何かお話ししたいと言っていました」

「シアボルドは?」

「死亡しています。その経緯についても。これはシーラ様から聞いた話になりますが」

「うん。話してくれ」

 そうしてリィナが語った事の顛末は、ティースにとって驚くべき情報をいくつも含むものだった――




「――無茶はやめておきなさい、シーラ=スノーフォール。その体では力を行使する前に限界が来てしまいますよ」

「!」

 ティースが気を失い、シーラが刺し違える覚悟を決めてシアボルドと対峙した直後。

 その人物は急にその場に現れた。

「……え? あなたは――」

 金と黒の輝きに染まった両目をシアボルドの後方に向けたシーラは、そこにいた意外な人物の姿に思わず驚きの声をあげる。

 ほんの少しだけ育ちの良さそうな洋服。それ以外に特徴らしい特徴はなく、あえて言えば少し気丈そうな顔立ちが印象に残る程度の女性。

 それはティースと同じ馬車に乗り合わせ、シーラとともに逃げてリィナたちの一団に預けたはずの、あの四人組の女性のうちの一人だった。

「あなた……なぜ」

「……なんだ、こいつ」

 シアボルドも自分の背後、十メートルほどの距離にいつの間にか近付いていたその人物の存在に眉をひそめる。

「二つほど」

 と、その女性は足もとに転がっていた剣を拾い上げた。それはメイナードが使っていたもので、右腕とともにティースに斬り飛ばされたものだ。

「命令を果たしに来ました。心配はいりません。その男以外は生きてここから帰還できるでしょう」

「……」

 シアボルドは油断なく女性を見つめていた。その振る舞いから、ただ旅行中に偶然襲われただけの女性ではないことに気付いたようだ。

「あとは個人的にも、そこの男のような下衆は嫌いなのです。私も、私の主も」

 そう言って、女性は視線を微かに動かした。

 その直後。


 ――ちりん。


「!?」

 近くで鳴った鈴の音にシーラは驚いて隣を見る。

 そして目を見開いた。

「お疲れさま、クロイライナ。あなたのその能力にはいつも驚かされる。ティースさんには見抜かれてしまうのではないかと心配したのだけど」

 すぐ隣。それも腕と腕が触れ合いそうな距離にやはり一人の女性が立っていたのだ。こちらはシーラには見覚えのない人物だった。

 が、しかし。

(……なに、この人……)

 異様な気配。

 シーラはこうして戦いの場に身を置いたことはほとんどないし、そういった意味での経験はほぼ無いに等しい。にもかかわらず、その女性が“異質”であることは素人同然のシーラにもすぐにわかった。

 まるで楽器のような美しい声音。腰の下まで伸びた髪は九つに分けられてその先端付近は鈴付きの紐でそれぞれ縛られている。九つの鈴の中には一つだけ白い鈴が混じっていて、その鈴が風に揺れて綺麗な音楽を奏でていた。

 手にしていたのは細長い棒のようなもの。

「目覚めよ――“雪姫”」

 しゃん、と、九つの鈴が一斉に鳴る。その音色に応えるかのように棒の先端が急速に凍り付き、やがてそれは大鎌の形を成した。

 シーラはハッとして女性から距離を取る。……ついつい見とれてしまっていたが、彼女が敵か味方かはまだはっきりしていなかった。

 女性はそんな動きを気にした様子もなく、ただチラッと横目でシーラを見ると、

「ファナは元気?」

「……え?」

 一瞬の空白。

「仲良くしてもらっているみたい、だね。その反応でわかる」

「……!」

 女性の姿が視界から消えたことをシーラが認識するよりも早く。

 声が背後から聞こえてきた。

 それだけではない。

「この本はもらっていくよ。これは今のあなたには過ぎた力。こんなものがなくてもあなたは彼の力になれる」

「!?」

 シーラの左手にあったはずの魔導書が女性の手の中にあった。シーラの体を包んでいた魔力が急速に萎み、瞳の色が元に戻る。

 途端、体の力も抜けてシーラはその場に両膝をついた。

「そのまま休んでて。あなたはよく頑張った」

「……てめぇら、なにもんだ? その本のことを知ってやがるってことは」

 じり、じり、と、シアボルドが後ろに下がっていく。もちろんその方向には旅行者の女性――いや、旅行者を装っていたクロイライナがいる。それでもシアボルドは全員の動きを牽制しながらさらに後ろへ下がっていった。

 おそらくは彼もシーラのそばにいる女性の“異質”を感じ、それならクロイライナのほうが組しやすいと判断したのだろう。

 やがてシアボルドがシーラたちに完全に背を向けて走り出す。

 立ちふさがるクロイライナが剣を構えた。

 シアボルドの雄たけび。

 待ち構えるクロイライナ。

 そして。


 ――しゃん。


「歌い、舞い、踊れ」

 鈴の音とともにシアボルドの頭部が宙に飛んで地面に転げ落ち、首から噴水のように血飛沫が噴き上がった。

「雪姫よ……永久に、儚く――」


 ――しゃん。


 女性の姿はいつの間にかシーラの背後からも消え、鈴の音だけが鳴っていた。

 どこにもいない。にもかかわらず。


 ――しゃん。

 

 残っていたシアボルドの体が、破裂したように無数の肉片に変わる。

「……!」

 シーラは思わず目を背けた。

 ……体が震える。シアボルドとの相打ちを覚悟した瞬間でさえ揺らぐことのなかった心が、恐怖に揺さぶられた。

 同時にいくつもの疑問が頭を渦巻く。

 なぜ彼女の口からファナの名前が出たのか。

 なぜあの本を必要としているのか。

 彼女たちは、いったい何者なのか――

「肩の傷」

「!」

 再び、女性はシーラの隣に姿を現した。ただ先ほどまでと違い、手にした氷の大鎌にはべっとりと赤黒い血がこびりついている。

 その直後、

「っ!」

 シーラの右肩に一瞬だけ鋭い痛みが走る。が、その痛みは波のように急速に消えていった。

「倒れてる人たちみんな処置しておいたけど、なるべく早く手当したほうがいいね。特にティースさんともう一人のデビルバスターの女の子」

 そっと左手で右肩の傷口に触れるとひんやりと冷たかった。出血の量も少なくなっている。

 それが女性の仕業だと気付き、シーラは疑問の声を上げた。

「……あなた、いったい」

 震える声で。それでも気丈に隣の女性を見上げて問いかける。

「誰なの? どうしてティースやファナのことを……知ってるの?」

 女性はなんのためらいもなく、まるで世間話をするかのように答えた。

「知り合いだから。ティースさんはちょっと前。ファナはずっと昔。……じゃあ」

「!」

 そして再び消える。

 煙、いや、まるで稲光のように一瞬で。


 ――ちりん。


 視線を動かすと、女性の背中はいつの間にかクロイライナの隣にあって。

 二人はそのまま、シーラの前から立ち去っていったのだった。




「……九つの鈴の女性?」

 リィナから語られたその顛末を聞き終えた後、ティースが真っ先に口にしたのはその女性に関することだった。

 もちろんティースには心当たりがあったのだ。

 長い髪を九つに分け、九つの鈴でそれぞれをまとめ、氷の大鎌を手にした女性。

「まさか、マリアさん……?」

 マリアヴェル=ソーヴレー。それはティースがデビルバスターになるよりも前、キラーアントと呼ばれるデビルバスター・ハンターズを相手に一緒に戦った女性デビルバスターの名前だった。

 あまりにも個性的な外見。同じような格好をした赤の他人とは思えなかったし、ティースの名前を知っていたということが、その女性がマリアヴェル本人であることの証明のように思えた。

 ただ結局、ティースはその場での結論を避ける。

 ティースはマリアヴェルがあの戦いで死んだものだと思っていたし、意図の読めない今回の行動がティースの知っている彼女の人物像と少々離れてもいたからだ。

 だからその場での結論は、謎の二人組がシアボルドを殺し、シーラが持っていた魔導書を奪い去り、そしてなぜか彼らの命を救ってくれた。

 ひとまずはそれだけで。

 リィナが退室し、暗くなった部屋でティースは天井を見上げる。

 いくつかの疑問。

 しかし今は、それを上回る安堵がティースの心を支配していた。

 まずは怪我を癒すことに専念しよう、疑問を追求するのはその後にしよう、と。そう心に決めて、ティースはゆっくりと両目を閉じたのである。


 それから数日後。


 ティースは思いもかけず、メイナードを倒した英雄としてクリーヴランド領主の訪問を受けたり、片腕を失いつつもデビルバスターを続けるというカルヴィナを励ましたり励まされたりという出来事に遭遇しながら。

 約半月後。

 常冬の国クリーヴランド領にようやく短い春が訪れた頃、ティースたちはネービスへの帰路に着いたのだった。




「……まさかメイナードが一介のデビルバスターに敗れるとは」

 報告を受けた黒ずくめの男、サーヴァイン=ベルリオーズはその端正な顔に苦味を浮かべていた。

 メイナードの死。

 その事実は、彼に仕事を依頼した魔の組織ベルリオーズの幹部の耳にも当然入っていた。

「それにしても、またネービスか。大陸最強の呼び声の高いネスティアス、我々の邪魔をし続けるタナトス、それにディバーナ・ロウ……」

「偶然か、五つの鍵もネービス領に集まりつつあります」

 そんなサーヴァインの隣に控えていた白い服の少女が淡々と述べる。

「聖剣はネービス公家に、首飾りはネスティアスの管理下に、魔導書はタナトスの手に」

「杖は、フレア。君の手元にある。そして指輪は君の双子の妹が持ち出したまま行方知れずだ。……偶然ではない気がするな」

「つまり……?」

「ああ。彼女――シィルもきっとネービス領にいる。いや、そうでなかったとしても」

 と、サーヴァインは手の中のワイングラスをゆっくりと傾けた。

「そう遠くない未来に、我々はネービス領へ進軍することになるだろう。……そう」

 そこへノックの音がして一人の男が入ってくる。

 眼鏡をかけた丸顔の男だった。

 サーヴァインはフレアに向けた言葉をいったん止め、グラスを傾けたままでその男に問いかける。

「パウロス殿。今日こそは領主殿の結論を伺いたい」

「……」

 サーヴァインの問いかけに、パウロス=マジェットは眼鏡の奥に苦渋の表情を浮かべた。

 沈黙。

 やがてため息。

「領主様は……すべて、あなたがたにお任せするとの意向を示されました」

「賢明な判断です。これでジェニス領は今後ますますの発展を遂げることでしょう」

 満足そうに頷くサーヴァイン。まるで苦痛を堪えるかのような表情のパウロス。

 やがてパウロスが退室すると、サーヴァインはグラスをテーブルの上に置いて椅子から立ち上がり、大きな窓から夜の闇に沈む景色を眺めた。

 ジェニス領の空は相変わらずの雨模様で。

 時折響く雷鳴。

「フレア」

 黒い男の言葉に白い女が応える。

「はい。お兄様」

「これでジェニス領のすべては我らベルリオーズの手に落ちた。ネービス領へ向かう日は、すぐそこまで迫っている」

「はい」

「そのためには今から色々準備をしなければな。……まずは」

 窓から離れ、サーヴァインはテーブルに置いたグラスを再び手に取った。

「あのメイナードを倒したディバーナ・ロウ、特にティーサイト=アマルナという男について情報を集めさせてくれ」

「わかりました」

 かしこまってフレアが退室する。


 雷鳴が一際大きく轟いた。


 さらなる戦いの足音。

 それは刻一刻とティースたちの足もとにまで迫っていたのだった。

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