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デビルバスター日記  作者: 黒雨みつき
第12話『彼女に宿る光と闇』
105/132

その6『予期せぬ襲撃』

 アグノエルの町から目的であるクローゼルの花の群生地付近までは、ところどころに波はあるものの全体的に見れば緩やかな登り坂となっている。

 周囲には木々も少なく、あったとしても背の低い樹木ばかりで見晴らしが良い。後ろを振り返れば徐々に小さくなっていくアグノエルの町と、そのさらに麓にある町の並びまでうっすらと確認することができるほどであった。

 なお、この辺りは賊による被害の発生率が極端に低いことでも知られている。クリーヴランド領の重要な産業である観光を守るため警邏隊などが監視の目を光らせているということもあるが、それに加えて、大勢の人間が身を隠すのに適した場所がほとんどなく、気候的にも常に低気温で食料にできる植物があまり自生していないことから、長い期間の潜伏には向かないとされているためである。

 だからティースたちの乗った三台の観光馬車の護衛は、それぞれの馬車に傭兵が一人ずつ乗り合わせただけであり、その傭兵たちも同席した客と時折談笑するなど、警戒ムードは最初からそれほど強くなかった。


 さて。


 二頭立ての馬車は御者を除いてすべて六人乗りとなっており、全三台のうち、シーラ、エルレーン、リィナの三人は一番後方の馬車、ティースだけが真ん中の馬車に乗ることとなった。これは六人乗りの馬車にティースたち四人が一緒に乗ろうとすると、護衛の他にあと一人しか乗れなくなってしまい、今回の観光客はすべてが二人以上のグループだったことから、ティースが気を遣って譲歩したものである。

 ちなみにティースが乗り合わせた真ん中の馬車のメンバーはというと、四十歳近いベテランの傭兵の他は裕福な家庭の子女らしき若い女性が四人であり、なんとも居心地の悪い空間であったのはいかにも運の悪い彼らしいと言わざるを得ないだろう。


「……え?」

 そんなこんなで、周りの乗客たちと挨拶以外の会話を交わすこともなく、ただボーっと外を眺めていたティースは、すぐ耳元で聞こえた、すみませんでした、という声に急遽現実世界へと引き戻された。

 アグノエルの町を出てからおよそ二時間。太陽は八分ぐらいまで頂点に近付き、目的地までの道程はちょうど中間地点に差し掛かっていた頃である。

 なお、馬車の座席は進行方向に向かって横向きに、三人ずつが向かい合わせになるように配置されている。ティースが座っていたのは進行方向からは一番遠い席で、向かいに護衛の傭兵が座っていた。

 そして声の主はどうやら、ティースのすぐ隣に座っていた女性だ。

「俺、ですか?」

 横を見ると、おそらくは若干年下であろう女性が、長身であるティースの目線に合わせるように顎を上げて彼の顔を見ていた。

「ええ。私たちのせいでお連れの方と別々になってしまわれたのでしょう? 私たちも二人ずつ別に乗ろうかという話もしていたのですが、つい、ご厚意に甘える形になってしまって」

 と、女性は育ちの良さを思わせる丁寧な口調でそう言った。

 ああ、そのことか、と思い、ティースは小さく手を振るジェスチャーをしてみせる。

「気にしないでください。あっちはあっちで、どちらにしろ男一人で邪魔者扱いされてますから」

 でも――、と、さらに何か言おうとした女性に、ティースはもう一度、気にしないでくださいと言った。邪魔者扱いされているというのは気を遣わせないための嘘だったが、気にする必要がないというのは本音なのである。

(まだちょっと……気まずいもんな)

 再び視線を馬車の外、後方へと向ける。シーラたちが乗る最後方の馬車とは少し距離が出来ているようだった。どうせ目的地が同じだからとそれほど速度を合わせるつもりはないらしく、先頭の馬車もだいぶ先のほうまで行ってしまっている。

 今頃、彼女たちはどんな話をしているのだろうか――と、そう考えてティースは思わずため息を漏らしてしまった。

 つまり、そう。ティースはまだ、アグノエルの町で起きたシーラとの一連のやり取りについて、頭の中を整理しきれていなかったのである。だから彼女と別々の馬車に乗ることになったのは、彼にとってはむしろありがたいことでもあったのだ。

(ジェニスに戻ることが、本当にあいつのためになるのか……か)

 エルレーンから投げかけられた問いかけが、一昨日からずっと頭の中を回っていた。

 もちろんティースはそれが彼女のためになる、と、そう考えていた。だからこそ反対しなかったし、反対すべきではないと思ったのだ。

 しかし――

 一昨日の夜のことを思い出すと、原因不明の喪失感のようなものに襲われ、息が苦しくなる。 

 彼女があの寒空の下で待ち続けた理由。待たせてしまった理由。その理由をティースは未だに見つけられてはいない。

 ただ、一つだけ。あの日の彼女の言動からなんとなく理解したことがあった。

 それはあの日のシーラが、ティースに対して何らかの期待を持っていたらしいということ。そしてティースは見事なまでに、そんな彼女の期待を裏切ってしまったらしいということ、である。

 はあ、と、もう一度ため息が漏れた。

 考えても考えても、答えが出ない。

 程度の差こそあれ、ティースはここ数年ずっと、シーラから邪魔者のような扱いを受けてきた。彼女がジェニスに戻ると言い出したときは、とにかく自分から離れたがってそんなことを言い出したんじゃないか――、などと邪推してしまったほどである。

 そんな彼女がいまさら、何を求めているのか。

 何をしてやればいいのか。

 ……しかしいくら考えても、思考は堂々巡りだった。

 ティースは答えを出すのをいったん諦め、視線を正面へと戻す。正面に座っている傭兵の男は腕を組んで目を閉じていた。さすがに寝ているということはないだろうが、かなり緊張が緩んでいるようだ。

 と、そのときである。

「ん……?」

 がたん、がたんと一定のリズムを刻んでいた車輪の音が少し鈍重になった。

 どうやら速度を落としたらしい。

 目的地まではまだだいぶあるはずだが――と、どうやら他の乗客もティースと同じことを思ったようで、皆一様に怪訝そうな顔をしている。

 正面の傭兵が目を開き、どうした、と、厚手の帳の向こうにいる御者へ声をかけた。

「あ、いえ。先行してた馬車になんかトラブルがあったみたいで」

「トラブル?」

 傭兵の男が剣に手をかける。

「なんだろ、ありゃ……車輪が外れたのか――」

 言いかけた御者の声が不自然に途切れ、べちゃ、という、粘質の奇妙な音が車内に響いた。


 ――直後。

 ティースの背筋を駆け上がる悪寒。


「おい、どうし――」

「後ろ、危ない! 避けろッ!!」

 さらに問いかけようとした傭兵の声に、ティースの叫びが重なった。

「なに……?」

 剣の柄を握ったまま振り返ろうとした傭兵の後ろに人影が走る。まずい、と、ティースは即座に抜剣したが、そのときにはすでに遅かった。


 噴きあがる血しぶき。

 ごろん、と、男の首が車内に転がった。

 え……、という、呆けたような呟きがどこかから上がって。

 甲高い悲鳴と、馬のいななきがそれに続いた。


 ――あまりにも鮮やかな襲撃。


(賊か……まさか!)

 脊髄を駆け上がる緊張。

 愛剣“細波”を握りしめ、ティースは馬車の後方に視線を送った。

(あいつか――ッ!)

 後方に、血のついた剣を携えてたたずむ影が一つ。馬に乗っている様子はなく、どうやら徒歩のまま馬車とすれ違いざまに剣を振るい、一撃のもとに男の首を刎ね飛ばしたようだった。

「誰か、馬の手綱を引いてッ! いや――」

 乗り合わせた他の四人が馬を御したことなどなさそうな若い女性ばかりだったことを思い出し、ティースは自ら御者席へ向かった。

 厚手の帳を開くと、そこではやはり首のなくなった御者の体が座ったままの体勢で絶妙なバランスを保ちながらぐらぐらと揺れていた。帳にはべっとりと赤い血が飛んでいる。

 濃厚な血の臭気に顔をしかめながら、ティースは半ば暴走しかけている馬の手綱を絞った。四人の女性客のことを考えてこのまま逃げることも一瞬考えたが、この先に賊の仲間が待ち伏せている可能性と、シーラたちが乗る後続の馬車が襲われるであろうことを考えると、その選択肢は考えられなかった。

 数秒ほど馬を御するための行動を試みたティースだったが、すぐ落ち着かせるのは難しいと判断し、馬車を止めるために車輪のブレーキを利かせると、車体と馬をつなぐベルトを切断することにした。

 動力を失った車体は上り坂でそれほどスピードが出ていなかったこともあり、すぐにその場に停止する。

「四人とも、そこから動かないで!」

 乗客の女性たちは呆然とし、泣き喚き、中には堪えきれずに嘔吐している者もいたが、そのフォローに費やす余裕はなく。せめて、と、ティースは首のなくなった傭兵の亡骸を馬車の外に出して地面に横たえておくことにした。頭部は今の騒ぎでどこかに転げ落ちてしまったようだ。

 そのまま後ろの女性客たちが巻き添えにならないよう、少し距離を取る。

 すると。

「……どうやらハズレを引いてしまったか。斬ったのはもう一人の男のほうだったな」

「!」

 十五メートルほどの距離に賊の男が立っていた。

 いや。

 その姿形を確認して、ティースはそれがただの賊ではなかったことを悟る。

 やや長めの前髪から覗く微かに赤味がかった瞳。大きく尖った耳は、その男が人間ではないことの証だった。

(空魔。しかもこいつ、まさか……)

 ティースが即座に思い至った一つの可能性。その疑惑は、男自身の言葉によって肯定されることとなる。

「せっかく話をする機会を得たのだし、魔界の流儀に従って名乗っておこうかな。俺は空の将、ルヴィア族のメイナード。メイナード=ルヴィア=ストーリー」

 まるで日常会話の中の自己紹介のように、メイナードは表情に微かな笑みすら漂わせながらそう言った。

「メイナード。お前が……」

 その容姿についての特徴はティースもある程度聞いてはいたが、シュナークなどと違って大きな特徴があるわけではない。赤い瞳と大きく尖った耳以外は、そこら辺りの街角にいる二十台の男とそう変わりはなかった。

 しかし。

 ごくり、と喉が鳴る。

 ……その魔は、十数年に渡って悪名を馳せ、何人ものデビルバスターをその手にかけてきた凶悪な男なのだ。近い未来に戦うことを予期していた相手とはいえ、ここでの遭遇はティースにとってあまりにも予想外の出来事だった。

 何故、この観光馬車が襲われたのか――、一瞬そんなことに考えを巡らせたティースだったが、それよりも、と、まずは今の状況を整理することにした。

 ティースのすぐ後ろには停止した馬車の車体のみが残っている。中には四人の女性客。御者と護衛の傭兵は確認するまでもなく死亡している。

 緩やかな登りの進行方向には、御者が死の間際に口走ったように、車輪のへし曲がった馬車が止まっていた。特徴からそれが先行していた一台目の観光馬車であることは間違いない。まだ少し距離があるため、どのような状況なのか詳細までは確認できないが、どうやらその周囲で人やモノの動く気配はないようだ。

 全滅、という言葉がティースの頭をよぎる。

 ティースの記憶が確かならば、一台目の馬車の乗客は商人風の中年の男が三人と、二十歳前後の学生らしき青年が二人、御者が一人と護衛が一人だった。全員が馬車の中で息を潜めているということは考えにくく、一人残らず犠牲になったと考えるのが自然だろう。

 ふつふつと湧き上がる怒りを唇を噛み締めることで堪えながら、ティースは続けて周囲の気配を探った。

 辺りにメイナード以外の気配はない。隠れる場所もそれほどないことを考えると、一台目、二台目ともにメイナード一人による襲撃と考えていいだろう。

 さらにティースの思考は、後から続いているはずの三台目の馬車の行方へと及んだ。

 メイナードの動きに警戒しながら下りの方角へ視線を向けるも、運の悪いことにティースの立っている場所は下りの道が見えない角度にあった。ただ、若干離れて進んでいたとはいえ、まともならそろそろこの辺に辿り着いてもいい頃である。

 向こうにも何かあったのか、あるいはこちらに何かあったことを察して引き返したのか。後者であることをティースは期待したが、メイナードに優秀な部下が二人いるらしいことを考えると、最悪の状況を想定する必要がありそうだった。

 つまり一台目は全滅、三台目はメイナードの二人の部下に襲撃されている最中、という状況である。

 そうだとすると、この状況を切り抜ける道は――

(倒すしか、ない……!)

 じんわりと手の平に汗が浮かんだ。

 三台目の馬車にはエルレーンとリィナが乗り合わせている。闇の上位魔で、かなりの実力者だというメイナードの二人の部下は、今のエルレーンとリィナには荷が重い相手だと考えられるが、まったく歯が立たないこともないだろう。

 彼女たちが粘っている間にティースがメイナードを撃退し、そのまま助けに向かう。

 それがティースの思い描いた突破口だった。


 そして――戦いの火蓋は合図もなく切って落とされる。


(……来たッ!)

 何の工夫もなく地面を蹴り、正面から襲い掛かってきたメイナードの剣に、ティースは自らの剣を合わせた。

 一合。

 二合――いや。

 メイナードの瞳が赤く輝きを放つ。

(いきなり衝撃派か……ッ!)

 空間を歪める力を持つ空魔の基本攻撃、衝撃波。人間の拳から頭部ぐらいの大きさのそれは、まともに受けると、いかに鍛えぬいたデビルバスターといえど全身の骨を一瞬にして砕かれてしまうほどの威力を秘めた攻撃である。

 が、しかし。

「え……っ」

 メイナードの放ったそれはティースの体を狙ったものではなく。足元、つまりは地面に向けられたものだった。

「……ッ!?」

 飛び散る土と石礫。

 ティースの視界が一瞬ゼロになる。

(……まずいッ!)

 反射的に後ろに飛ぼうとする。が、そんなティースの脳裏に、薄い笑みを浮かべるメイナードの顔がフラッシュバックした。

 飛んでも、おそらくは間に合わない。

 右、下段から。

 受けろ――!

 思考と行動、どちらが早かったかさえわからなくなるほどの一瞬。ほぼゼロとなった視界に一瞬だけ煌いた凶刃の輝きに向かって、ティースは細波の剣身を合わせた。

 衝撃。両腕に痺れが走る。

(防いだ……けどッ!)

 やや無理な体勢から受けたため、ティースの体は大きく右に崩れてしまう。

(すぐに、次……!)

 その一撃が防がれることは予想外だったらしく、メイナードは微かな驚きを表情に浮かべていたが、それでも動きが鈍るようなことはなく。一瞬の躊躇もなく、体勢を崩したティースに畳み掛けるように襲い掛かった。

「静かに波立つ海よ……!」

 ティースの口がとっさに呪文を刻んだのは、そのまま次の一撃を受け切ることが不可能だと瞬時に悟ったからである。

「悪意を弾く盾と成れッ!」

 細波の柄にはめ込まれた宝石が青く輝く。と同時に、水の膜がティースの全身を包み込むように広がった。

 もちろんリィナの力を借りない“水の盾”には、メイナードの剣の一撃を防ぐほどの硬度はない。仮にメイナードが“水の盾”の存在を気にせずに攻撃していれば、その切っ先は間違いなくティースの体を捉えていただろう。

 ただ。

「……」

 水の膜が広がり始めた瞬間、メイナードはその動きを止め、すぐさま飛び退ってティースから距離を取った。

 ティースの目論見どおり、正体不明の力を警戒したのだ。

(一か八かだったけど、上手くいったか……)

 その間にティースは体勢を立て直し、再び剣を構える。ほんの十数秒の戦いだったが、全身はびっしょりと汗を掻き、駆け巡る血は燃えるような熱を帯びていた。

 メイナードは苦笑して、

「ハッタリだったか。少し慎重になりすぎた。……しかしあの一瞬でよく。君の機転に敬意を表そう。ネービスのデビルバスター、ティーサイト=アマルナ」

「……!」

 メイナードの口から自分の名前が出たことにティースは驚き、そして何故この観光馬車が襲われたのかという疑問に一つの答えが浮かんだ。

「俺のことを、知っているのか……?」

「そりゃそうさ。仕事だから」

 仕事。

 その言葉はつまり、メイナードのターゲットがティース自身、あるいはティースの身近な人間であることを示したものだ。そうでなければ、メイナードが事前にティースのことを調べておく理由がない。

 いや、しかし。

 今はそんなことよりも大きな問題があった。

「それにしても君はいい“目”を持っているな。どんな優れた戦士も光を両断することはできないが、君の目は、あるいはその光の粒を捉え、断ち切ることを可能にするかもしれないね」

 そうやって相手を持ち上げるようなことを言うのは、メイナードのクセらしい。

 もちろんそんなことを言われてもティースは少しも嬉しくない。嬉しくないどころか、先ほどの一連の打ち合いだけで自分の一番の強みを言い当てられてしまったことに戦慄さえ覚えていた。

(こいつは……)

 右手の汗を拭う。拭いても拭いても汗は引かない。

「ただ、残念ながら動きは並みだ。たとえ君が時間をコンマ数秒単位で刻み、時を止めた状態で観測できる目を持っているのだとしても――」

 メイナードが動いたのを見て、ティースの心臓が慄いた。

 脳裏に自問の言葉が浮かぶ。

 

 ――こいつを倒して、助けに向かう?


 再度襲い掛かった一撃を切り払う。

 今度は小細工なしに打ち合う形となった。

 薙、袈裟、切上。踏み込み、引き、捌いて、あらゆる方向から襲い掛かってくる斬撃を防ぎ、防ぎ、防ぎ、防ぐ――

「その性能では俺には到底及ばないよ。残念ながらね」

 下がる。下がって受け、受け損ねた分が体に傷を作っていく。

 手が出ない。

 傍から見れば、まるでティースが受けの練習をしているかのように見えただろう。それは打ち合いなどではなく一方的な打ち込みだった。

 そしてティースは、思い描いた突破口が袋小路であったことを悟る。

(こいつは……俺の手に負える相手じゃない……ッ!)

 明確な実力差が、そこにはあった。


 人と魔の間には明らかな身体能力の差がある。デビルバスターとして必須とされる、体の基礎能力を高める精神の力――“心力”の力を借りてもなお、人が魔に対して基本的に劣勢に立たされているというのは周知の事実だ。

 その差を埋めるものが“技術”である。

 戦いにおける無駄な動きを極力排除し、十の距離をしっかり十歩で埋める。仮に身体能力が一割劣っていたとしても、相手が十の距離に十二歩を費やせば勝てる計算になるのだ。

 ほとんどの魔は人に対し、その力を過信しすぎて技術を疎かにする。

 つまり、デビルバスターが魔を打ち倒すことができるのは――他のあらゆる要素を排除した大雑把な言い方になるが――技術による優位性を保っているからこそ、なのである。


 しかし、メイナードは違っていた。

 彼は幼い頃より戦うことを生業とし、己の強さを磨くことに心血を注いだ本物の戦士である。その技術レベルは魔としての力とその身体能力を排してもなお、デビルバスターに値するほど。

 つまり彼は十の距離を、ティースと同じ十歩で確実に埋めることのできる魔なのである。

 ティースが彼を上回るにはその距離を九、あるいは八歩で埋めなければならないが、新米デビルバスターであるティースはまだその領域には到達していなかった。

 

 ――どうする。


 心が逸る。防戦一方ながらティースがどうにか致命的な一撃を回避できているのは、メイナードが誉め称えた、時を刻むその目のおかげだった。予知に限りなく近いレベルで攻撃の軌道を捉え、先回りする。それが二人の間に大きく開いた力の差を僅かながらに埋め、かろうじて均衡を保っているのだ。

 しかし防戦一方の戦いには自ずと限界が来る。

 体力、精神力、そのいずれも消耗が激しい。


 ――どうする。


 このままでは負ける。だが、退くことも叶わない。

 ティースはいつの間にか、メイナードを倒してエルレーンたちを助けに行くどころか、彼女たちが加勢に来ることを祈るしかない状況となっていた。


 いや、助けに来たところで――


「!」

 剣を合わせたままの体勢から、メイナードの瞳が再び赤く輝いた。思わず意識が地面に向かう。が、メイナードの瞳は近距離からティースを見つめたままだった。

「くっ……!」

 剣を押し払い、その反動で後ろに下がりながら身を屈める。

 衝撃が髪を掠めていくのがわかった。


 そして――首筋にまとわり付く、死神の気配。


「ッ……!」

 剣で受けるか。――間に合わない。

 なら、剣の力を解放。――二度は通用しない。

 カッと頭が熱くなった。

 黙っていれば首を落とされる。それを防ぐには右手に持った剣で受けるには遅い。メイナードの攻撃の軌道にもっとも近い距離にある左腕で受けるしかなかった。

 左腕を落とされて、首を守りきれれば御の字――

 それほどに、絶望的な体勢だった。

 しかし迷っている暇はない。汗ばんだ左拳を握り締め、メイナードの剣の軌道にそれを捧げる。

 風を斬る斬撃。

 そして。

「……?」

 急にメイナードの気配が薄くなった。

 といっても、低い体勢になったティースの目にはメイナードの足が変わらぬ位置に見えている。それでも気配が薄くなったと感じたのは、どうやらティースに向けられていたメイナードの意識が僅かに逸れたからのようだった。

 宙に放物線を描いた黒い塊。

 メイナードの意識をそらしたのは、どこかから投げ込まれた拳大の麻袋だった。……おそらくは性分なのだろう。メイナードは先ほどと同じようにティースへの攻撃を中止し、ティースの反撃を目で牽制しながら後ろへと飛び退った。

 その直後。

「ッ!?」

 投げ込まれた麻袋が急激に膨張し、破裂した。

 ちっ、というメイナードの舌打ちがティースの耳に届く。破裂して中から広がったのは毒々しい色をした紫色の煙だった。

(毒煙……!?)

 ティースの脳裏に過ぎったのはその可能性だった。おそらくはメイナードも同じことを考えたのだろう。気配がティースから離れていく。

 もちろんティースもぼーっとしてはいなかった。口を押さえ、煙を吸い込まないようにしながら煙の発生場所から距離を取る。紫煙は視界を遮るように大きく広がり、やがて半径二十メートルほどの空間が視界ゼロとなった。

(なんだ、これ……)

 急いでその範囲の外に出たティースは、煙の向こうにいるであろうメイナードの気配に警戒しながら、四人の女性客たちが息を潜める馬車のそばへ下がっていく。これ以上煙が広がるようなら彼女たちに避難を促さなければならないとも思ったが、どうやら煙はその範囲にとどまり、それ以上広がることはなさそうだった。

(いったい誰がこんなこと……)

 不安の声を上げる女性客の一人に、大丈夫だと声をかける。

 もしこれが本当に毒の煙だったとしたら、視認できる煙の範囲外にいるからといって絶対に安全だとは言い切れない。が、しかし。それが投げ込まれたタイミング――それによってティースが左腕を失わずに済んだということを考えると、それはむしろ、ティースを助けるために投げ込まれたものである可能性が高く、であれば、その場にいる全員を死に至らしめようとする毒煙であるとは考えにくかった。

 問題は、それを投げ込んだのが誰なのかということだったが――

「ティース――」

 そんなティースの推測を裏付けるように。足音を潜めるようにして煙の中から現れたのは味方。

 ただし、それはティースにとって完全に予想外の人物だった。

「あれはただの煙幕よ。体に害はないわ」

「……シーラ!? お前……どうして!?」

 軽く咳き込みながら小走りに駆け寄ってきたシーラの姿に、ティースは一瞬だけ状況を忘れて驚愕の声を上げてしまった。ティースにとっての彼女はそれほどに、このような戦いの場に相応しい存在ではなかったのである。

 しかし一方のシーラは、どうしてもなにも、と、いつもの素っ気ない、平然とした様子でそう呟きながら答えた。

「お前を助けに来たのよ。バートラムさんから教わった投擲の腕、まだ衰えてないようで良かったわ」

 さらっとそう言って、すぐに馬車の中にいた四人の女性たちに視線を向ける。

「生存者がいるのね。あなたたち、馬車から降りて。逃げるわよ」

「……そう、だな」

 そんなシーラの行動に、ティースはすぐに冷静さを取り戻す。……彼女が何故一人で助けに来たのか、そんなことを問いただすより先にやるべきことがあった。

「シーラ、お前、彼女たちを逃がせるか?」

「逃がすために来たのよ」

 即座にシーラが答える。

「よし」

 ティースは頷いた。

 煙幕の向こうでメイナードの動く気配がする。どうやらティースのいる位置を探りつつ、この場所に近付いてきているようだった。

「じゃあ彼女たちを頼む。俺はどうにかあいつをここに足止めする」

 足止めして――どうするのか。勝ち目はない。ただ、他に選択肢がないのだ。一般人の女性四人を連れて全員で逃げ切れるような相手ではなかった。

 とりあえず彼女たちを逃がして、自分のことはそれから――と。

 そんなことを考えていたティースに、シーラは呆れたような顔をして言ったのである。

「なに言ってるの。お前も逃げるのよ。……いえ」

「全員、この場を離れてください」

 シーラの声に、ファーストテノールの声が重なった。

「え……」

 驚いて顔を上げるティース。

「メイナードの相手は僕が。あなたは向こうでメイナードの部下の相手をしてください。カルヴィナとあなたの連れがすでに戦っています」

「……シュナークさん!」

 シーラの背後から現れたのは、左手に中サイズの剣を携えたシュナークだった。穏やかな口調ながらもその視線はすでにティースたちから離れ、煙幕の外周をなぞるように近付いてくるメイナードの姿を鋭く捉えている。

「標的があなたたちだったことは予想外ですが、ここからは予定通り行きましょう」

 そう言ってシュナークは、メイナードの行く手を遮るようにティースに背中を見せて立ちはだかった。

 そんなシュナークに、ティースは思わず声をかける。

「シュナークさん、あの魔は――」

「わかっています」

 メイナードの強さを少しでも伝えようとしたティースに対し、シュナークは穏やかに、しかし有無を言わさぬ口調で答えた。

「さあ、早く。あちらも決して優勢とはいえません。あなたの力が必要です」

「……すみません!」

 ティースは己の余計な発言を恥じ、すぐに行動に移った。

 視界を遮っていた紫の煙は徐々に空中に溶け始めている。

 シュナークは背中を向けたまま、満足そうに頷いた。

「カルヴィナを頼みます。武運を」

「武運を! ……シーラ! 行くぞ!」

 馬車に駆け寄ると、シーラはちょうど最後の一人、泣きじゃくって歩けない様子の女性客を馬車から無理やり降ろしたところだった。

 手伝おうとしたティースの手を制止し、シーラは彼を見上げる。

「ティース、お前は一人で先に行って。私はこの子たちを連れて後を追うわ」

「……」

 一瞬のためらい。

 だが、ティースはすぐに決断した。

「わかった。……気をつけろよ」

「お前も。さっきみたいなヘマはしないようにね」

「……わかってる」

 ヘマというよりは純粋な力負けだったのだが、もちろん口には出さなかった。

 そんなティースの強がりが伝わったのだろうか。

 シーラは一瞬だけ表情を緩め、ポツリと呟いた。

「頼りに、してるから」

「……シーラ」

 そこに僅かによぎった不安の影。……いくら強気な性格とはいえ、これほどの修羅場に居合わせた経験はほとんどないはずだった。それでも気丈に振る舞おうとするのは、弱気が周囲に伝染しないようにと考えてのことだろうか。

「任せてくれ」

 そんな彼女の思いを感じて、ティースの心はさらに奮い立った。

「お前が来るまでには決着つけておく。だから安心して降りてこい」

 そう言い残して、その場を離れる。


 実力以上のことなんてできるはずもないけれど。

 自分に出来る限りのことはやりとげてみせる。


 そして何よりも、彼女たちを無事に守り抜いてみせる――と。


 強い決意を新たに、ティースはその道を駆け降りていった。

 エレオノーラとグラハム。

 メイナードの二人の部下が待ち受ける、その戦場へ向かって。


 ――戦いは、始まったばかりだった。

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