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デビルバスター日記  作者: 黒雨みつき
第12話『彼女に宿る光と闇』
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その2『放たれた刺客』


 落ち着かない。


「クローゼルの花ですか? ごめんなさい。うちも含めてこの辺りの店で扱ってるのは見たことがないです。……ただ、中央広場近辺ではたまに扱ってる店があるって聞いたことがありますので、そちらに行ってみるといいかもしれません」

 そう答えたのはまだ若い、ティースよりも少し年下ぐらいの売り子の少年だった。やや強めのクセ毛で垂れ目がち。いかにもおとなしそうでこういった商売の売り子にしては珍しい内向的なタイプに思えたが、その少年は最後に当たり前のように付け足して、

「ところでそちらの男性はボーイフレンドですか? もし違うのなら今晩でも僕と――」

「いいえ」

 そんな少年の問いかけに対し、シーラは間髪入れずティースに密着するように腕を絡め、それを見せ付けるようにして、

「ご覧のとおりのボーイフレンドよ。教えてくれてありがとう。中央広場まで行ってみるわ」

 淀みのない口調でそう答えたのだった。


 クリーヴランド領アグノエルの町に到着した翌日。

 シーラとともに朝早くから出かけた町の先々で、ティースはこのように“クリーヴランド領の人々は男女問わず恋愛に積極的である”という話を前日に引き続き実体験することとなっていた。

 今朝、シーラから同行を求められたときは、ただの買い物なのに珍しいこともあるもんだと不思議に思っていたティースであったが、ここにいたってようやく彼女の思惑を理解したのである。

(にしても、堂々としたもんだなぁ……)

 ちらり、と、ティースは隣を見る。

 その視線の先を歩くシーラは先ほどの店で絡めた腕を離そうとはせず、ピッタリとティースと寄り添うようにして歩いている。もちろんそれは“男性避け”のためのカモフラージュであり、そんなことはティース自身、百も承知ではあるが、女性とこうして歩く機会が極端に乏しい――というかほぼ皆無である彼にとって、この状況はやはり少々落ち着かないものであった。

 そんな彼に対し一方のシーラはといえば、ティースの手を取って歩く所作も非常に慣れたもので、時折やりにくそうな顔をする彼を“もっと堂々としなさい”と叱咤しつつ、声をかけてくる男たちをさらりとやり過ごし続けていたのである。

 その態度にティースは少々感心しつつ、

「……なんだか、本当にジェニス領を思い出すなぁ」

 沈黙が続くと余計に気まずく思えたので、思いついた話題をひとまず彼女に振ってみた。

 するとシーラは正面を向いたまますぐに答えて、

「そうね。男性に関していえばジェニスと同じぐらい積極的かもしれないわね」

「ああ、いやそうじゃなくてさ」

 ティースが首を横に振ると、シーラは不思議そうな顔をして彼を見た。

 二十センチ近い身長差があるため、これだけ接近していると彼女は自然と上目遣いのような形になる。

 ティースは言った。

「ジェニスにいた頃も、よくこうやって“男性避け”のために連れ出されたなぁって」

「ああ……」

 彼らの故郷であるジェニス領カザロスの町は農作物のよく取れる地域だったので決して貧しくはなかったのだが、ジェニス領の中ではどちらかというと田舎に分類される町だった。そのため、衣料品や装飾品を買うときはカザロスよりも発展している隣町まで馬車で出向くことが多く、当時彼女の家に仕えていたティースはやはり“男性避け”と称して隣町をよく歩いたのである。

「歳の近い従者ってあまりいなかったからさ。いっつも俺がこんな風に付き合わされたんだよな」

 ティースは当時のことを懐かしみながら、軽口のつもりでそう言った。

 が、

「そう、だったかしらね」

「シーラ?」

 彼女の反応はどこか他人ごとのようだった。

(……そういや、昔のことってあまり話したがらないんだっけか)

 ティースは彼女に以前そんな風に言われたことを思い出し、今回もそれで機嫌を悪くしてしまったのだろうかと思った。

 しかし、

「ねえ、ティース」

 しばらくの沈黙の後で口を開いたシーラの機嫌は、それほど悪いようには見えなかった。

 彼女は再びティースの顔を上目遣いに見て、

「そのときの私、どんな顔してたか覚えてる?」

「え?」

 不可思議な問いかけにティースの思考は一瞬固まった。

「楽しそうだった?」

 そう問いかけるシーラの表情は不機嫌でもなければ冗談を言っている様子でもなく、

「ど……どうだったかな。その頃は行くたびに緊張してたから覚えてないよ」

 ティースが困惑しながらそう答えると、彼女はふぅん、と小さく頷いて、

「どうしてそんなに緊張してたのよ?」

「そりゃまぁ……お前に何かあったら大変だと思ってたし。それに一度町に行くと結構遅くなるまであちこち回ってたじゃないか。……ああ、思い出した。町に行くといつもかなりはしゃいでた気がするよ。買い物行くの好きだったもんな、そういえば」

「そう。じゃあやっぱり楽しそうだったのね」

「……どうしたんだ?」

 ようやくティースが質問の意図を尋ねると、シーラはいつものように素っ気なく口調に戻って、

「いえ。どんな感じだったのかなと思っただけよ」

「どんな感じだったかって……自分のことじゃないか」

 当然のようにそう突っ込むと、シーラは横目で彼を一瞥して、

「忘れたの。昔のことだもの」

 ティースはますます困惑を深めたのだった。


「この店もダメ、ね」

 先ほどの売り子の少年の言うとおり二人はその足を中央広場に向け、付近の店をいくつか当たってみたのだが、返ってきた反応は先ほどの店とまったく同じだった。三件、四件と渡り、五件目の店を空振った後、ティースはようやくシーラに尋ねる。

「その、クローなんとかって花、そんなに貴重なものなのか?」

「そんなことはないはずなんだけど」

 どうやらこの状況はシーラにとっても予想外のことだったようだ。

「むしろ逆なのよ。確かに場所は限定されるけど、もう少し高地に行けば普通に群生していると聞くし、いくらでも採れるはずなんだけど……」

「じゃあどうしてどこにも売ってないんだ?」

 当然の疑問をティースがぶつけると、シーラは少し考えて、

「そもそもの需要が少ないせいね、きっと。クローゼルの花は人が住むような環境だとすぐに枯れてしまうし、見た目にも地味で観賞用には向かないわ。商売にならないからわざわざ採ってきて売ろうとする人自体が少ないんじゃないかしら」

「なるほどな」

 そんな彼女の返答に一度は納得したティースだったが、すぐに次の疑問が浮かんだ。

「でもお前が探してるってことは薬の原料になったりするんだろ? だったら需要も少しはあるはずじゃないのか?」

「使われないのよ」

「え?」

「一般的には薬の原料にもならないの。私がやろうとしてるのはちょっと特殊なものだから」

「ふーん」

 それ以上のことを突っ込んでもきっと自分には理解できないのだろうと、ティースはそれ以上の追及をやめることにして正面を向いた。

 少し強めの風が吹く。ティースは反射的に首を竦ませたが、今日は陽射しが強いせいか、あるいはすぐ隣に彼女の体温があるせいか、思ったほどの寒さを感じなかった。

 中央広場を少し離れて再び店を巡る。いくつかの店でクローゼルの花のことを尋ねつつ、可能性のある場所を一つ一つ回って――

 太陽が頂点から西に傾きかける頃。

「……どうも今年はまったく出回ってないみたいね」

 シーラはついに諦めた様子でため息を吐いた。

 朝早くから町を歩き回ること五時間。十数件の店を回って結局収穫はゼロ。

 さすがに彼女の顔には疲れが見え始めているし、これ以上闇雲に歩いても無駄であろうことはティースも同感だった。

「どうするんだ? 諦めるのか?」

「まさか。せっかくここまで来たのよ」

 シーラはそんなティースの問いかけを一蹴して、

「出回っていないといってもわざわざ採ってきて売る人がいないというだけのことよ。買えないのなら直接採りに行くまでだわ。クローゼルの群生地辺りは普通に観光客が立ち入ってる場所のはずだし……ただ、ちょっと準備が必要になるわね」

 今日のところは諦めましょうか、と、言った。

 ティースもそんな彼女の考えに異論はなく、

「そっか。じゃあ今日はもう宿に戻るか」

「そうね……」

 思案するように、シーラは辺りを見回した。

 ――寒空の下にもかかわらず、中央広場の近辺は多くの店や人で賑わっている。商人、家族連れ、観光客、見回りをする警邏隊。それはまさにネービスの中央大通りを思わせる喧騒だった。

 しばらくその様子を眺めていたシーラは、やがて思いついた顔をして、

「やっぱりこのまま少し歩きましょう」

「え?」

 怪訝な顔をしたティースに、シーラは珍しく悪戯っ子のような微笑を浮かべると、

「せっかくこんなに遠くまで来たんだもの。なにか珍しいものがあるかもしれないわ」

 そう言って、ぐいっと彼の手を引っ張った。

「うわ……ちょっ、ちょっと! どうしたんだよ、急に!?」

「しゃんとしなさい。みっともないわ」

 戸惑いながらフラフラとついていくティースに、シーラはいつものように呆れ顔でそう言った後。

 ふと、懐かしむように目を細めて、

「こんな感じ、だったのかしらね――」

「……シーラ?」

 明らかにいつもと違う彼女の態度に、ティースはなんとも複雑な気持ちになって――

 結局、日が落ちる寸前まで彼女の買い物に付き合うことになったのだった。




 クリーヴランド領の南に接するブリュリーズ領。その国境付近にある小さな山の獣道。

 夕刻の始まり頃からそこで繰り広げられていた超人同士の戦いは、空の将魔、メイナード=ルヴィア=ストーリーに軍配が上がっていた。

「く……は……っ!」

 左手の剣の柄から伝わってくる感触はそれが致命の一撃であることをメイナードに伝えていて、悔しそうに顔を歪めた相手の口からは鮮血がこぼれ出し、瞳からは生命の輝きが急速に失せていた。

「なかなかの強者だったよ。君に敬意を表そう。名も知らぬデビルバスターさん」

 男の左胸からメイナードの剣が引き抜かれ、赤黒い血しぶきが噴き上げる。

「な……ぜ……」

 魂の抜けかかった体で男は虚ろにメイナードを睨みつける。その表情は自らが負けたことをまだ認められないでいるようにも見えた。

「確かに、今――」

 呟こうとした喉元がメイナードの剣によって切り裂かれ、完全に事切れた男の体がおびただしい流血とともに地面に崩れ落ちる。

「ユアン!」

 女の叫び声。

 メイナードが返り血に染まった顔を横に向ける。

 彼の異常に白い肌が、赤い血とのコントラストを際立たせていた。

「……貴様――ッ!」

 メイナードに激しい言葉を向けたのは、左右に長さの違う剣を携えた女性である。

 彼女もデビルバスターだ。

 しかし――

「っ……貴様! なんのつもりだッ!」

 女デビルバスターが怒りの声をあげる。メイナードはそんな彼女をまったく意に介さず、背中を向けてその場から立ち去ろうとしていた。

「っ……!」

 音もなく、女がメイナードとの距離を詰める。

 振り下ろされる右手の長剣。

 だが――剣は空を切った。

「な……ッ!?」

 女が困惑の表情をメイナードに向ける。

 メイナードが避けたわけではない。

 女が目測を誤ったわけでもない。

 にもかかわらず、“当たったはずの剣が空を切った”のである。

「馬鹿な――」

 女は、ユアンという名のデビルバスターが最後に浮かべた困惑の意味を思い知り、今度は左手の短剣をメイナードに突き出した。

「残念だけど――」

 そこで初めて、メイナードは彼女を振り返る。

「俺は女を殺せないんだ。“宗教上の理由”でね」

「くっ……」

 短剣の一撃はメイナードに軽く避けられ、左手首をつかまれた女が微かに苦痛の表情を浮かべた。……同じデビルバスターとはいえ、彼女はメイナードに敗北したユアンよりも遥かに格下だった。

 二人の実力差は火を見るより明らかだ。

 メイナードは鼻を鳴らして、

「だから大人しく眠っててよ。どうせその程度じゃ、万が一にも俺は殺せないからさ」

 細めた瞳が赤い輝きを放つ。

 二人の間の空間が大きく歪んで――

「くは……っ!」

 女の鳩尾辺りに衝撃が広がった。ぐらりと体が揺れて全身の力が抜ける。

 メイナードは女の手首をパッと離して、

「寝坊に気をつけるんだね。デビルバスターとはいえ意識がなければただの女だ。野犬どもの標的にならないとも限らないよ」

 どしゃっ――と、女の体がぬかるんだ地面の上に崩れ落ちた。


「――メイナード様」

 メイナードが人気のない山道の入り口付近まで降りていくと、そこでは真っ白な衣装に身を包んだ幽霊のような少女が彼を待っていた。

 メイナードはその少女を一瞥して、

「やあフレアさん。サーヴァインの使いかい?」

 歩みを緩めることなくその横を素通りしていく。

 少女――フレア=ベルリオーズはそんな彼の背中をゆっくりと振り返って、

「お兄様からの伝言をお伝えします。……急ぎ、クリーヴランド領アグノエルへ向かって欲しい、とのことです」

「断る」

「……」

 フレアは一瞬言葉に詰まって眉をピクリと動かしたが、すぐに、

「これは正式な仕事の依頼です、メイナード様」

「なら、話を聞こう」

 ピタリと足を止めて身を翻し、メイナードはようやくフレアと視線を合わせた。

「君のお兄様は俺のことを使い勝手の良い小道具か何かと勘違いしているようだからね。……具体的にはどういう仕事だい?」

 軽いメイナードの口調にも、フレアは自分のペースを崩さぬまま淡々と口を開く。

「アグノエルの町に例の魔導器の一つがあるらしいとの情報がありました」

「例の魔導器?」

「はい。先に入っているベルリオーズ配下の者に協力し、その確認及び奪取をお願い致します」

 ふぅん、と、メイナードはやや不審そうな顔をして、

「そんな大事なものなら、俺なんかじゃなくてベルリオーズの本体を動かして奪いに行ったほうがいいんじゃないの?」

 フレアは両手を体の前で重ね合わせ、一つ呼吸を置くと、

「らしき、と申し上げました。出所不明の情報で信憑性に疑問があります。その程度でベルリオーズの大戦力を動かすのは難しく、そこでメイナード様にお願いしたいのだとお兄様はおっしゃっておりました」

「どちらにしても便利な小道具扱いは変わらないわけだ」

 仕事なら文句は言わないけどね――と、メイナードは軽く手を広げる。

 フレアはそんな軽口にはまったく反応せず、

「お兄様はメイナード様を高く評価しておられます。並の将魔とは次元が違う、万が一にも仕損じることはないだろうと」

 メイナードは小さく声を出して笑った。

「誉められているというか、脅しをかけられているようにしか聞こえないね。……で? 俺に空き巣をやってこいってわけじゃないんでしょ? 相手は?」

「標的のそばにはデビルバスターが一人付いているとのことです。詳細は先に入っている者に確認してください」

「不親切な依頼主だね。まあいいか。……ああ、それと」

 背を向けようとして、メイナードはふと思い出したように言った。

「君らにはあらかじめ断るまでもないと思うけど、俺は“宗教上の理由”で女を殺せない。そのデビルバスターってのは――」

「男性です。ただ、魔導器らしきものの所有者は女性とのことです」

「そのデビルバスターを殺すのが俺の仕事ってことか」

 メイナードは改めて彼女に背中を向ける。

「お引き受けくださるのですね?」

 フレアが念を押すと、メイナードは肩越しに彼女を振り返る。

 逆光となった夕日の中に、その赤い瞳だけが強烈な輝きを放っていて――

「引き受けたよ。サーヴァインには今後ともご贔屓にと伝えておいてくれ」

 先ほどの慎重な言葉とは裏腹に、メイナードの口調はすでに依頼を達成したかのような自信に満ち溢れていたのだった。




「……ん?」

 日が西の地平線に沈みかけた頃。

 シーラとともに宿の近くまで戻ってきたティースは、辺りが少々騒がしいことに気付いていったん足を止めた。

「なにかしら?」

 シーラも眉をひそめる。

 どうやら宿の周りに十人ほど人が集まっているようだ。

 なんだろうか――と、ティースは無言のままでシーラと視線を交わし、少し早足になってその方向へ向かうと、

「あっ、ティース! シーラ!」

 人垣の間から小柄な少女が姿を現した。

「エル? なんだ、こりゃ? いったいなにがあったんだ?」

 エルレーンはティースたちに駆け寄ってくると、チラッと後ろの宿を振り返りながら、

「泥棒だよ」

「泥棒?」

 エルレーンは頷いて、

「一時間ぐらい前に泥棒が入ったみたいなの。二階のボクらの部屋は大丈夫だったんだけど、一階の部屋は全部荒らされてるみたいで……」

「なんだって?」

 一階といえばティースとシーラの泊まっている部屋がある。

 ティースは再びシーラと視線を交わし、集まっていた人の間をすり抜けて宿に入っていった。

「ああ、お客さん!」

 宿の中には困り顔の主人と、アグノエルの警邏隊らしき格好の男が三人いて、ティースたちの顔を見るなり彼らに部屋の中を確認するよう求めてきた。

 言われるままティースが部屋に戻ると、

(……さむっ)

 最初に冷たい風を感じる。

 部屋の中は窓が開けっ放しになっていて、木張りの床には微かに泥の足跡が残り、荷物や机の引き出しなどを漁った後が残っていた。

(侵入は窓か……?)

 荷物の確認よりも先に、ティースは窓から外を見た。そこは人気の少ない路地になっていて、犯人のものかどうか定かではないが、砂に薄っすらと足跡らしきものが残っている。窓自体は簡単に出入りできないよう小さめに作られているが、小柄な人間ならばどうにか通り抜けることも可能だろう。

 続けて部屋の中を確認する。

 主に荒らされているのは部屋の隅にまとめてあった旅の荷物と、部屋に備え付けられた机の周囲だ。ただ、荷物自体はまるまる残されていて、中をざっと確認したところ無くなっているものはどうやらなさそうだった。

 ティースはひとまずそのことを警邏隊の男に報告し、その足でシーラの部屋へと向かう。

「シーラ。どうだった?」

 訪ねると、振り返った彼女はやや不機嫌そうな顔をしていた。

「なにか無くなってたのか?」

「……というより」

 と、シーラは片手を腰に当て、ため息を吐きながら机の周囲を示す。

「ずいぶん素人くさい空き巣だったようね。物色している最中にこの辺のビンを引っ掛けたらしくて、この有様よ」

「……うわ」

 彼女の示した先には、おそらく机の上に整理して置いてあったのであろうビンの中身――植物やら粉末やらが散乱し、僅かながらカビのような匂いが部屋の中に漂っていた。

 ティースは思わず出そうになったくしゃみをどうにかこらえながら、

「ひどいなこりゃ……」

「まったくよ。どうせやるならもっとスマートに金目のものだけ盗っていってもらいたいものだわ」

「いや、それも困るよ……」

 そんな彼女の物言いにティースは苦笑しつつ、

「それで? 盗られたものはなかったのか?」

 そんな問いかけに、シーラは初めて気付いたといわんばかりに自分の荷物の確認を始め、机の中を確認して、

「……なくなってる」

 と、言った。

 ティースはちょっと心配になって、

「大事なものか?」

「でもないけど――」

 シーラはベッド脇のサイドテーブルを指す。

「その上に置いてあったスカーフがなくなってるわ。その辺に落ちてる様子もないし……」

 すると部屋の入り口にいた警邏隊の男がメモを取りながら、

「スカーフですか。それは高価なものですか?」

「いえ。それほどでも」

「他に無くなったものは?」

「今のところはなさそうです」

 シーラの回答に警邏隊の若い男はいちいちメモを取りながら、

「わかりました。ところで観光の方ですか? こちらにはあとどのぐらい滞在される予定です?」

 最後にそう言った。

(……まさか)

 そんな男の言葉に、まさかこんなところでもナンパか――と、ティースは思わず身構えてしまったのだが、

「滞在中に盗まれたものが見つかったらご連絡します。ただ、あまり御期待はされないほうが良いと思います」

 と、男はあくまで誠実な態度で付け加えた。

 どうやら思い過ごしだったようである。

(……今日一日でだいぶ毒されちゃったみたいだ)

 ティースはそんな彼を疑ってしまったことを心の中で密かに反省しつつ、

「一週間ぐらいは滞在していると思います。よろしくお願いします」

 と、頭を下げた。

 警邏隊はその後も宿の泊り客や主人にいくつか質問し、しばらくはこの辺りを見回りますからと言い残して帰っていった。


 そして夜。


 宿の主人から再三の謝罪を受けながら夕食を済ませた後、ティースたちは部屋の片付けがてら一階のシーラの部屋に集まっていた。

 ティースはそこで彼女たちに宿を替えようかという提案をしたのだが、宿の主人の誠実な対応と、あとは警邏隊が見回るこの宿は逆にしばらく安全だろうというシーラの意見で、結局この先もここに滞在することとなり――

「災難だったね、シーラ」

 リィナと並んでベッドに腰掛けたエルレーンがそう言った。

 夕日の光もほとんど届かなくなり、部屋の片隅には暖房の明かりが煌々と灯っている。

「ボクもその時間はちょうどリィナと一緒に外に出てて。もしいたら捕まえられたかもしれないのに」

 エルレーンは残念そうにそう言って、

「お金とかは大丈夫だったの? 他の部屋では盗まれたところもあったみたいだけど」

 と、部屋の入り口付近に立っているティースのほうを見た。

 ティースは頷いて、

「お金は二人とも持って出かけてたからね。盗っていくものなんてほとんどなかったんじゃないかな」

 逆に泥棒に申し訳ない気分だよ、と、笑いながら答える。

 と。

「でも……ちょっと妙な感じがするわね」

 シーラがそう言った。

 何か引っかかっているようだ。

「なにがだ?」

 ティースが問いかけると、シーラはそんな彼をチラッと見て、

「スカーフよ。あんなもの、何のために盗んだのかしら」

「そりゃあ……金は置いてなかったし、代わりに持ってって換金するんじゃないのか?」

 そんな当然の意見を口にすると、シーラはまた少し考えた。

 ティースは彼女が何を考えているのかまったくわからず、黙って待っていると、やがて思いついたように、

「お前の部屋、本当に何も盗まれてなかった?」

「ああ――いや、そうだ。実はさっきは気付かなかったんだけど、俺もサイドテーブルに置いてあった手袋が無くなってたよ」

「あの、指の部分がない手袋?」

「安物だよ。売っても二束三文じゃないかな」

 その手袋はクリーヴランドが寒いと聞いて、出かける前に急遽ネービスで調達したものである。謙遜ではなく正真正銘の安物だ。

「まあ、そもそも俺の部屋に金目のものなんて一つもないけどね」

 ティースがそう言うと、シーラはますます怪訝そうな顔になった。

 リィナが疑問を口にする。

「シーラさん? なにが気になっているんですか?」

 問いかけに、シーラはやはりすっきりしない表情で、

「私のスカーフもそうだけど、金目の物を狙ってたにしてはずいぶん適当だと思わない?」

「どういうことです?」

「たとえばね――」

 と、シーラは机の引き出しを開けて、

「ここには銀細工を模した髪飾りを入れてあったの。本当は銀でもなんでもない安物だけど、犯人はこれに手をつけていかなかったわ」

 ティースが横から口を挟む。

「本物の銀製品じゃないって気付いたからじゃないか?」

 するとシーラはちょっと呆れ顔で彼を見て、

「安物の手袋やスカーフを持っていくような犯人が、これは銀じゃない、偽物だから放っておこうって置いていったというの?」

「それか――」

 と、エルレーンは口元に指を当て、天井を見上げるような仕草をしながら言った。

「そもそも寒さに困ってた人が犯人で、最初から身につける物が狙いだったとか? お金はついでで盗んだけど、貴金属は換金する手間もあるしよくわからないから手をつけなかったって可能性はない?」

「それはあるかもしれないけど、それならスカーフや手袋じゃなくてその荷物の中にある防寒着を盗んでいくんじゃないかしら」

「うーん」

 エルレーンが難しい顔で首を捻る。リィナも何か考えているようだったが言葉は出てこなかった。

 そんな二人を横目で見ながらティースは単刀直入に尋ねる。

「つまり、お前の想定だと犯人の目的は別にあったってことか?」

「ええ」

 あまり根拠はないんだけど――と、シーラは前置きして、

「犯人には何か明確な標的があったんじゃないかと思って。でもそれが見つからなくて、荒らしただけだと不自然だから手近な場所にあった手袋やスカーフをとりあえず持っていった――とか」

 と、言った。

 ティースはうぅん、と唸って、

「考えすぎじゃないか? 単にそこの引き出しを開けなかっただけかもしれないだろ?」

 可能性はあるが、かといって、そうに違いないと断言するには根拠が薄すぎると思った。

 そしてそれは、シーラ自身も同様だったようで、

「かもしれないわね」

 あっさりと頷く。

「泥棒に入られたことなんてほとんどなかったから、深読みしすぎちゃったのかもしれないわ」

 そんなシーラにティースは問いかける。

「心当たりはあるのか?」

「なんの?」

「その、狙われそうな貴重品とか」

「ないわ。お前は?」

 言われてティースは自分の体を見回すと、

「あるとしたらこの剣ぐらいかな。でもこれはいつも身につけてるし……」

 そんなものを狙って空き巣を行うとは考えにくい。

「じゃあ……やっぱり考えすぎかしらね」

 と、シーラは少し吹っ切るような口調でそう言った。

 リィナが言う。

「でもなんだか気味が悪いですし、明日からは皆さんで一緒に行動することにしませんか? 盗まれて困るものは部屋に残さないようにして」

「そうね。そうしましょう」

 それでシーラの引っかかりもひとまずは解消されたようだった。


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