その2『穏やかな風に波立つ海』
数日後。
ティースが自信喪失したとかやる気を出したとか、そういったこととは一切関係なく、鍛錬と勉強の日々は淡々と続いていた。
再びカノンの面々と何度か打ち合ったティースは、初日ほどひどい内容ではなかったものの、ヴィヴィアンとの対戦成績は結局のところ10回やって2回勝てるかどうかというところ。
しかもそれだけの差をつけられながらヴィヴィアンはもともとが剣使いではないらしく、それがまたティースの自信を喪失させることになったわけだが――それはともかく。
「本日のテーマですが」
デビルバスターには実力だけでなく、魔に関するあらゆる知識も必要とされる。
というわけでこの日の午前中、ティースは別館の執務室でアオイの講習を受けることになっていた。
「そろそろ話しておいた方がいいですね」
「?」
いつもは玄関ホールの丸テーブルで向かい合って学習していたが、今日は執務室。いくら鈍いティースでも、いつもと違う雰囲気を察したのは当然のことである。
アオイは話を始めた。
「ティースさん。我々人間が基本的に魔に対抗するのが難しいと言われているのは、なぜだかわかりますか?」
縁なし眼鏡の奥から向けられたアオイの視線と口調は、まるで本物の教師のようだ。
それを少しだけおかしく思いながらも、ティースは真面目に答える。
「そりゃ、普通の武器じゃ魔を傷つけることが難しいから、かな?」
アオイは満足そうにうなずいて、
「そうです。すべての魔は『魔力』を持ち、その魔力は普通の人間の物理攻撃ならばなんの苦もなくはね除けてしまうのです」
そこまではティースも、おそらくは一般人でも大抵の人間が知っていることだった。
「そこで我々が魔に対抗する手段として活用するのが、そういった魔力を打ち破るための『破魔具』と呼ばれるアイテムです。……では、ティースさん。あなたはこの破魔具と呼ばれるアイテムの本来の効能をご存じですか?」
ティースは怪訝そうに眉をひそめて、
「本来の効能って、魔力を打ち破る効果じゃないの?」
「もちろんその通りですが、それは結果的にそうなるだけのことで、破魔具そのものが魔力を打ち破る力を持っているわけではないのです」
「?」
不思議そうなティースにアオイは微笑んでみせて、
「実際に魔力を打ち破るのは破魔具ではなく、人が先天的に持つ『聖力』と呼ばれる力です。破魔具は身につけることによって、その聖力を高める効果があるのです」
「聖力?」
ティースには初耳だった。いや、どこかで耳にしたことはあったかもしれないが、少なくとも詳しい説明を聞くのは初めてのことだ。
「え? じゃあたとえば、破魔具は別に武器じゃなくてもいいってこと?」
「その通りです。……実は」
アオイはうなずいて、胸元のバッジをティースに示してみせた。それはミューティレイク家の紋章の入ったバッジで、レイやアクア、それにディバーナ・カノンの面々も似たようなバッジを身につけている。
「これも破魔具なのです」
「そのバッジが?」
「ええ。ただし破魔の力を宿すのに適した素材というのは、少なくとも人の技術で作れる範囲ではだいたい決まってましてね。破魔の力がほぼその『質量』に左右されることもあって、結局武器などに宿すのがもっとも効率的なのです」
ティースは納得した。
「ああ、つまり、武器の他に重たい金属を背負うよりは、武器そのものを破魔具にした方がいいってことか」
「ええ。ですからこのバッジも、有事の際にもしも破魔具が手元になかったときのための保険でしかありません。……とはいえ、実はこのバッジ、かなり貴重な素材で作られてまして、大きさの割にかなりの力があるのですよ。もちろん武器型の破魔具に比べればせいぜい半分程度ですが……」
「へえ。でも確かに、大きさから考えるとすごいなぁ」
ティースが素直に感心すると、アオイはまるで自分が誉められたかのように嬉しそうな顔をして、
「そうでしょう? これを創るためだけに、姫は各地にある先祖代々受け継いできた避暑地や別荘を13も手放して資金を作られたのですよ」
「じゅ、13の別荘って……」
ティースは正直、ファナの心遣いよりもその途方もない資産の方に目を丸くしてしまった。
(きっと、それでもほんの一部なんだろうなあ……)
アオイはティースの驚き顔に満足そうな笑みを浮かべて、
「で……まあ、破魔具と聖力、魔力との関係については後日改めて。今回は破魔具について、もう少し深いところまでご説明しようと思います。これを見て下さい」
そう言ってアオイは近くに立てかけてある剣を手に取り、鞘から抜き放った。
「これが私の持つ破魔具、光の力が込められた剣『閃』です」
「へぇ……」
初めて間近で見たその剣に、ティースは感嘆の声をもらした。
光の力が込められた、とアオイは言ったが、それが充分に納得できるものだ。わずかに反った珍しい形の片刃の剣。太陽の光が直接当たっていないにも関わらず、それは自ら輝きを放っているかのように見えた。
「では、ティースさん」
魅入られたように見つめるティースに、アオイは微笑みながらその柄の部分を差し出した。
「持ってみてください」
「え? あ、ああ」
少しドキドキしながら受け取ったティース。
だが、
「……あれ?」
直後、その口から疑問の声がもれた。
「わかりますか?」
「輝きが……消えた?」
そう。ティースがそれをつかんだ瞬間、いや、正確にはアオイがそれを手放した瞬間、刀身は突然にその輝きを失い、まるで普通の武器のようになってしまったのだ。
「これが破魔具の中でもさらに特殊な『神具』と呼ばれる武具です」
アオイの手に戻ると、それは再びかすかな輝きを放ち始めた。
「破魔具と違い、神具はこの世でただひとりの持ち主にのみ、その力を貸し与えます。つまり、少なくとも現時点においては、この『閃』を扱えるのは私だけということです。私が死ぬか、特殊な儀式によってそれを誰かに譲るまで」
「へぇ……なるほど」
ティースは破魔具の存在こそ知ってはいたが、その特殊な破魔具――神具の話は初耳だった。
「制約がある分、破魔具よりも神具の方が強い力を持っており、さらに多くの神具は聖力を高める以上の効能をもたらす場合が多いのです。神具以外にも特殊な破魔具は存在しますが、滅多に見られるものではないので説明は後日に回しましょう。ちなみに――」
さらにアオイはあらかじめ用意し、机に置いてあったいくつもの武具をティースに示してみせて、
「みなさんからお借りしてきました。この半楕円型の二刀がレイさんの神具『夜叉』で、こちらの手甲がアクアさんの神具『氷雨』。これがドロシーさん愛用の破魔具で……これがヴィヴィアンさんの――……」
「はあ、はあ……」
あまりにも数が多い上、聞いたこともない人物の名前まで登場して、ティースにはまるで覚えきることができなかったが、その種類はナイフだとか鞭だとかトンファーだとか、とにかく様々だった。
が、
「えっとこれが確か……誰が使ってましたっけ……」
長引きそうだと思ったティースは、途中でそれを止めて尋ねる。
「アオイさん。その、神具ってのはレイさんとアクアさんだけなのか?」
「あ、そうですね」
自らも途中で飽きていたのか、ティースの言葉にアオイはすぐさま説明を放棄してうなずくと、
「今日はお借りしていませんが、神具はレアスさんも第四隊のアルファさんも持っています。つまりウチのデビルバスターは全員が持っていることになりますね」
「え? ってことはもしかして、デビルバスターになったらもらえたりとか……?」
「いえ」
アオイは首を横に振った。
「もともと神具というのは数も少なく特殊なもので、おそらく大陸にいるデビルバスターでも、普通に破魔具を使っている方が多いと思います」
「じゃあ、みんなはどうして……?」
アオイは少しだけ考えて、
「たまたま、としか言い様がありませんね。私に関していえば、この剣は家に代々伝わっていたものです」
「ふぅん」
「ですが」
アオイは微笑んでティースを見た。
「その言い方を見ると、ティースさんはやはり気付いていないようですね」
「え? なにが?」
「覚えていますか?」
そう言ってアオイはゆっくりとティースに歩み寄った。
「2ヶ月前、あなたに助けていただいたあの日、姫があなたに武器を見せてくれとおっしゃられたこと。そして私があなたの武器を実際に見せていただいたこと」
「あ、ああ、そういや……」
それほど遠い昔の話ではないし、ティースももちろん覚えていた。
「私たちがなぜ、あんなことを言ったかわかりませんか?」
「え……?」
戸惑うティースの脇をすり抜け、アオイはその背後にあったティース愛用の、中型サイズの剣を鞘ごと手に取った。
そして、
「――細波」
「?」
つぶやいたアオイにティースが振り返ると、
「神剣、というよりは、神石というべきでしょうか」
そう言って、アオイは柄の先の部分、そこにはめ込まれた少々大きめのエメラルドブルーの宝石をティースに指し示した。
「この宝石の中をのぞいてみたことはありますか?」
「え? ああ」
ティースはうなずいて、
「中に変な模様みたいのが浮かんでいるんだろ? 最初は傷かと思ったんだけど――」
「ええ、もちろん傷などではありません。これは古代語で『穏やかな風に波立つ海』という意味の言葉が書かれています」
「穏やかな風に、波立つ海……?」
「わかりやすく言えば『細波』というような意味でしょうね」
言いながら、アオイはその剣を鞘から抜き放った。
そこから現れたなんの変哲もない剣身……それを見て、アオイは納得したようにうなずく。
「なにか変だとは思いませんか?」
「え? なにかって……」
眼前に出されたその剣身をマジマジと見つめるティース。
「……?」
だが、別に刃が欠けているということもないし、ティースにはアオイの言いたいことがまるで理解できなかった。
仕方なく冗談っぽく笑いながら、
「そうだなぁ……汚れてきてるからちゃんと手入れしなきゃならない、ってこと?」
「汚れ……ですか」
その言葉にアオイは笑って、
「当たらずとも遠からずです」
「え?」
「どうぞ」
意外な言葉で驚いたティースに、アオイは先ほどの『閃』と同じようにその柄を差し出してきた。
「気にしなければ気付かないほどですが、これはあまりに素晴らしいものです」
「……!?」
その『変化』はティースにもすぐに理解できた。
「これは……!」
ティースが手にした瞬間そこに現れたのは、吸い込まれそうなほどに美しい剣身――
汚れていると言った彼の感覚は確かに、当たらずとも遠からずだったのだ。
「汚れていたわけではありません。あなたがこの美しい姿に見慣れてしまっていたからこそ、普通の状態が汚れているかのように思えてしまったのです」
「じゃあ、これって……」
今までその剣をティース以外が握ったことはない。だから彼が今まで気付かなかったのも無理はなかった。
アオイはうなずいて、
「それは紛れもない破魔具……いえ、あなたにしか反応しない力を秘めた神具です」
「で、でもこの剣はごく普通の店で――」
「先ほども言ったように、剣ではありません。『穏やかな風に波立つ海』――つまり『細波』と刻印されたその宝石。それが剣に特殊な力を与え、なおかつあなた自身の聖力を大きく高めています。……しかも」
アオイはそこで言葉を止め、唾を呑み込む。
「……?」
そこでティースは初めて気付いた。
冷静なように見えて、彼が少し緊張しているらしいことに。
「それは普通では考えられないものです。その宝石には2つの力が同時に込められています」
「2つの力……?」
「穏やかな風と波立つ海――つまり『風』と『水』の2種類の力がその宝石には込められているのです。そのためその力は、私の『閃』をも完全に上回っている……」
「……」
改めてティースは『細波』の刀身を見つめる。
確かに彼もおかしく思わないでもなかった。普通の鋼で出来ているにしてはあまりに軽すぎる重量、そしていくら使おうとも決して美しさを失わず、まったく刃こぼれすることのない刀身。
「それって……」
アオイの態度を見ればそれがどれだけすごいことなのか想像はつくが、それでもティースは尋ねずにはいられなかった。
「それって……そんなにすごいことなのか?」
「……少なくとも」
空になった鞘をティースに手渡し、アオイは再びその脇を抜けて元の位置に戻っていった。
そしていつもの直立でまっすぐにティースを振り返る。
「実物はおろか、誰かが実際にそれを持っているという話も聞いたことがありません。そういうものが存在するということは歴史や文献などで目にしますが……」
「……歴史や文献」
ティースは唖然とした。それは彼の想像以上だった。
つまり、アオイが知っている限りでは、それは歴史書にしか存在していない代物ということなのだから。
「ティースさん。もう少しお話させていただきますが」
アオイは自らを落ち着かせるように天井を見上げ、小さく息を吐いた。
「破魔具というのは人の手で作ることが可能です。それは人が、魔と戦ってきた歴史において、その知識を総動員して作り上げた武具。実際、現存する破魔具の大半は人が作ったものです。……でもそれじゃあ」
アオイは壁に立てかけてあった『閃』を探り、そしてそれを軽く握り締める。
「このような神具は、誰が作ったものかわかりますか?」
「……」
もちろんティースは知らなかった。
だが、想像することは容易だった。しかも断言に近いレベルで。
「魔が……作ったもの」
「ええ。その通りです」
アオイもまるでティースがそう答えることを確信していたかのような態度だった。
「これらの神具は過去、人が魔と戦い奪い取った成果。あるいは」
眼鏡の奥の瞳が、ほんのわずかに真剣味を増す。
「歴史上でも数少ない、人と魔の友好の証……です」
「……」
「人を選ぶほどの力を込めた神具は、やはりそれなりの力を持つ魔によって作られたものです。私の『閃』はもちろん、あなたの『細波』も。だからこそ、人の作った破魔具とは違って質量と性能が必ずしも比例しないし、破魔具ではありえない性能も持っている」
「……」
「しかもあなたの『細波』は風と水、その両方の力を持っています。魔というのは基本的に種族間の対立が強い生物。つまりそれが、複数の力を持つ神具の存在を希少なものにしているのです。……ティースさん」
「……なに?」
顔を上げたティースに、アオイはゆっくりと大きく息を吐く。
そして改めてその目を見つめ、言った。
「あなたは以前私に言いましたね。その宝石は『知り合い』に『お守り』としてもらったものだと」
「……ああ」
アオイがなにを言わんとしているのか、ティースにもようやく理解できていた。
彼自身があのとき、どれだけギリギリなことを口走ってしまったのかということも。
「それがどうやってあなたの手に渡ったのか、事実がどうであるかは確認しません」
アオイは『閃』を再び壁に立てかけ、それから少し疲れたような顔で近くの椅子に腰を下ろした。
「ただ、今後は決して、知り合いにもらったなどと軽々しく口走らないよう気を付けてください。家に伝わっている、どこかから見つけた、あるいは魔から奪い取ったということにした方が無難です」
「でも、これは――」
ティースの反論をさえぎって、アオイはきっぱりと言い切った。
「でなければ、あなたが魔に通じていると勘ぐる人も出てくるでしょう」
「……」
ティースは二の句が継げなかった。
(……魔に通じている、か)
アオイの言うことはこの世界の常識から言えばおおむね正しい。世の人々は大半が『魔=化け物』と認識しているし、人と同じような知能を持った魔の存在を知ってはいても、彼らと友好関係が築けるなんて思っている者は少ない。
だが。
「アオイさんも、やっぱりそう思うのか?」
ティースは知っていた。――彼の過去には、決してそうではないと思わせる出来事があったから。
もっと具体的に言うなら、彼は過去、魔の者と出会い、話し、そして友人としての契りを結んだことがあったから。
(でもやっぱり、普通の人は信じないんだろうな……)
だが、アオイはあっさりと答えた。
「いいえ、思いません」
「え?」
驚いて顔を上げたティースに、アオイは少しおかしそうに微笑んでみせて、
「言ったじゃないですか。『他の方に』口走らないように気を付けてください、と。こんな部隊を抱えている我々が言うのもなんですが、私も姫も、魔との友好には可能性を感じているのです」
「じゃあ……」
少し明るい気持ちになって問いかけたティースに、アオイは含みのある口調で続けた。
「それにこのディバーナ・ロウには、大きな声で言えない秘密も色々ありまして」
「……?」
「さ、それではその話はこの辺にして。……勉強の続きを頑張りましょうか、ティースさん?」
結局それについては曖昧なまま、アオイの授業は続いたのだった。
ミューティレイク邸の本館には巨大な書庫がある。
もちろん歴史も財力もある家系のこと、そのこと自体は決して驚くべきことでもないのだが、ただ、大小様々なものを合わせて7桁を超える蔵書量は、個人としてはあまりに度を超しているといってもいいだろう。
もちろん書庫自体も簡単に迷子になってしまうほどの膨大な広さで、中に入るときはよほど慣れた人間でない限り、常駐している2人の司書のひとりが必ず付き添うことになっていた。
さて。
大部分が薄暗くなっているその書庫の中、入り口付近にだけは読書ができるように採光され、椅子やテーブルの設置されている場所がある。
「あれれ?」
「?」
そこで本を読んでいたシーラは、背後で聞こえたすっとんきょうな声に顔を上げた。
「シーラさん、だよね?」
「あなたは……?」
開いていた本とノートを閉じ、椅子を引いて振り返ったシーラ。
その視線の先にいたのは、分厚い本がトレードマークの少女。あまりにも若すぎるミューティレイク家の執事、リディア=シュナイダーだった。
「リディアだよ。こうして直接話すのは初めてだったよね。そこ、座っても?」
「ええ。構わないわよ」
シーラにはリディアとの面識がない。ただ、リディアの方はシーラという人物のことを知識として知っていた。
「よいしょっと」
シーラの向かいに腰を下ろしたリディアは、たったいま書庫の奥から持ってきたばかりの2冊の本をテーブルに置く。
「……」
それを見てシーラは再び怪訝な顔をした。
ドスッという重そうな音から、その本がどれだけの厚さを持っているかがうかがえる。だが、それ以上に、どうやらこのリディアという少女、司書の付き添いなしで書庫に入っていたようなのだ。
リディアはシーラが読書を再開しないのを見て取ると、チラッとその手元に目をやって、
「珍しい本読んでるね。それにしても意外だなぁ、こんなところで会うなんて」
「なに?」
「あたしが聞いたところじゃ、シーラさんって人はとっても美人で、とっても気が強くて――」
「ええ」
「とんでもない遊び人で、とんでもない尻軽女だって。話だけ聞くと、少なくともこんなところで黙々と勉強するような人とは思えなかったんだよなあ」
「……」
あまりにストレートなリディアの物言いに、シーラは一瞬だけ呆気にとられたように目を見開き、それからすぐに口元に笑みを浮かべた。
「そうね。私はそのうわさ通りの人間よ」
「うっそだぁ」
ケラケラと笑うリディアを、シーラは興味深げに見つめて、
「どうして嘘だと思うの?」
「んー、そうだね。そうやって笑う顔が、ものすごく優しいから、かな」
「……」
もう一度、シーラは呆気に取られた顔をして、
「ぷっ……あはは」
「なんで笑うかなぁ。ホントのことなのに」
口を膨らませたリディアだが、それはもちろん演技だ。
「だって……それじゃまるでナンパされてるみたいだわ」
「それはきっと血の持つ業というやつだね。ウチの兄がそれ系だから」
「お兄さん?」
「そう。シーラさんも知ってるでしょ?」
「……」
シーラは美しい形の眉を怪訝そうに動かし、リディアの顔を見つめる。
そして、
「もしかして、レインハルト=シュナイダー……」
閃いた。
似ているというほどのものではないが、確かに目元には少々面影があるし、髪の色がまったく同じだということにもすぐに気付く。
「あれ。すぐわかんなかったってことは、まだあのお調子者に口説かれてない? 珍しいなぁ」
「……」
無邪気にそう言ったリディアに対し、シーラは少し考えるような表情をする。
「どしたの? あ、もしかしてあの人、なんかとんでもなく失礼なことした?」
「いえ。でも――確かに兄妹っぽいわ、あなたたち」
そう答えたシーラの表情には、特に嫌悪感らしきものは浮かんでいない。実際、先日程度のやり取りでレイに悪印象を持つほど彼女は単純ではなかった。
「うーん。あたしとしては、あの人に似てるって言われて良いことなんかなにもないんだけどなぁ」
「そんなこと言ったら、彼が悲しむのじゃないかしら?」
「あはは、まさか。そんな可愛い性格してないって。……そういや」
なにげない態度でリディアが話題を変える。
「シーラさんって、ティースさんと一緒にここに来たんだったよね?」
「ええ、そうよ」
「あたしね。これでもファナさんのサポート役をやってるんだ」
「……あなたが?」
シーラは驚いた顔をしたが、その視線をリディアが持ってきた分厚い本に移動させて、
「ああ。あなたもただの子供ってわけじゃないのね。……それで?」
尋ねたシーラに、リディアは真顔で質問する。
「色々と参考までに聞いておきたいんだけど、ぶっちゃけ、ティースさんってシーラさんのなんなの?」
遠回しなのかストレートなのか微妙な問いかけだった。
「なに、って、どういうこと?」
「家族? 恋人? それとも下僕?」
あっけらかんとした物言いに、シーラは再び笑う。
「ふふっ、そうね。その中で強いて言うなら下僕かしら?」
「うわ。今、ものすごく本気っぽい感じだったんだけど」
リディアの言葉に、シーラはテーブルの上で自らの手を重ね合わせる。
「実際そうでしょう? 彼は自分の収入のほとんどを私のために使ってるし、私は彼になんの見返りも与えていないわ」
「へぇ……健気なんだね、ティースさんって」
「健気? あれはただ単に馬鹿なだけよ」
少しだけ眉をひそめてシーラはそう言った。
「……」
そんな言葉に、リディアはちょっとだけ考えるように視線を泳がせて、
「でも、その馬鹿のおかげでシーラさんは学園に通えてるんでしょ?」
「ええ、まあそうね」
「あはは」
リディアは笑いながら頭の後ろで手を組んだ。
「じゃあ馬鹿で良かったじゃない。……やっぱしアレ? 尽くしていれば振り向いてくれるかもしれないとか、そういう幻想抱いちゃってるのかな? 男ってホントに馬鹿だよね」
「……ずいぶんとスレたようなこと言うのね」
シーラは目を細めたが、リディアはそれに気付かない様子で言葉を続けた。
「そんなことないけどね。でもほら、ティースさんって見た目も特別ハンサムじゃないしさ。あれでシーラさんと釣り合うと思ってるならやっぱ笑えるもん」
「別に……私は顔がどうとか言うつもりはないわ」
「あ、そっか」
リディアはポンと手を叩いた。
「じゃあ性格かな? 確かにああいう一見誠実そうな人って、裏でなに考えてるかわかんないもんね。きっと女の人とすれ違うたびに頭の中で裸にして――」
瞬間、その場の空気が冷える。
「……やめなさい」
鋭く、シーラの一言が場に響き渡った。
それは決して大きいわけでもドスの利いた声でもなかったが、年下の少女を一言で黙らせる程度の重みはあった。
「……」
黙り込んでまっすぐに見つめ返してくるリディアを、シーラは細めた目で射抜くように見据えた。
「あなた、どういうつもりか知らないけど、単なる想像で他人の悪口を言うもんじゃないわ」
「なんで?」
だがそんな視線に、リディアは驚いた様子も怯んだ様子もなく言い返す。
「だってシーラさんだってティースさんの悪口言ってたじゃない。いきなり否定するなんて変だよ」
「悪口? 違うわ」
シーラは相変わらずの冷たい表情――だが、その中には確実な怒りが潜んでいる。
「私は想像で言ってるわけじゃない。彼が馬鹿だと思うのは長く彼を見てきた経験。下僕だと言ったのは彼が私に無償で尽くしているという事実。あなたみたいに無根の中傷をしているわけじゃないわ」
「へぇ……それって重要なこと?」
「少なくとも私が見てきた彼は、馬鹿だけどあなたの言うような男じゃない」
「……」
にらみ合う形で沈黙が下りた。いや、リディアの方はあくまで普通だったから、睨み合うと言ったら語弊があるだろうか。
ただでさえ静かな場所が、これ以上ないほどに静まり返る。
そして、10秒ほど。
「取り消しなさい、リディア」
シーラは凛と透き通る声に、まるで氷の刃のような鋭さを乗せて言い放った。
あふれる緊張感。
――だが。
「うん。じゃあ、取り消すよ」
返ってきたリディアの言葉はその場にそぐわない、あまりにもあっけらかんとしたものだった。
「……?」
シーラは怪訝そうに眉をひそめ、あふれていた緊張をわずかに緩める。
すると、
「ごめんね、シーラさん。実を言うとあたし、ティースさんの第一印象はものすごく良かったんだ」
「……なに?」
その言葉はさっきまで言っていたこととアベコベで、シーラにはすぐに理解できないものだった。
リディアはさらに続ける。
「でね。それなのにシーラって人がひどいヤツだって聞いたから、ホントにそうだったらちょっとからかってやろうと思ってたの。でも、なんか違ったみたい。ホントごめん」
「……」
しおらしく謝罪するリディアを見て、ようやくシーラは自分が試されていたのだと悟った。
「怒った?」
「……」
普通なら怒って当然のところである。シーラにしてみれば相手はいくつか年下の少女であり、初対面でもある。いきなり性格を試すようなことをされて、気持ち良いはずもない。
だが意外なことに、彼女の胸に込み上げてきたのは、怒りではなく――
「ふふっ……あなたって、本当にお兄さんと似てるわ」
「あれ。怒ってない?」
笑いながらそう言ったシーラを、リディアは意外そうな顔で見た。
「っていうかホントは怒ってる? 似てるっていうのは実は嫌味?」
「さあ、どうかしら」
真顔のリディアに再び笑いながら、シーラは目を細める。
今度は突き刺すような視線ではなく、逆にそこに穏やかな色をたたえて。
「……」
そんな彼女を見て、リディアは一瞬言葉を失っていた。
どこか世間を斜めに見ているこの少女をして、素直に綺麗だと思わせるほど――シーラの微笑みは、男であろうと女であろうと関係なく虜にしてしまう魔性の美しさを秘めている、と、リディアはそう思った。
「……やっぱティースさんって変人かも」
「? なに?」
怪訝な顔をしたシーラに、リディアはあっけらかんとした口調で答える。
「だってシーラさんみたいな人と一緒に暮らしてたのに、ぜんぜん手を出さずにいられるなんて絶対おかしいって。物理的にあり得ないよ」
「……物理的?」
シーラはさすがに苦笑するしかなかったが、リディアは真顔のまま眉間に皺を寄せ、まるでオバケでも見たかのような表情を作り、ことさらに声をひそめた。
「ティースさんってもしかして……男の人じゃないとダメだったりするんじゃ」
「……」
一瞬、微妙な沈黙。
「ぷっ……あははははっ」
「あ、今のは無根の中傷じゃないよ。シーラさんに手を出さなかったっていう信じ難い事実に基づいた推測だかんね」
「ふふっ……いえ、確かにそうだわ。私みたいな美人と一緒に暮らしてて――」
「うわ。自分で言っちゃったよ」
「あら。本当のことよ?」
「遠慮のない人だなぁ」
だが、そう言ったリディアの言葉にはひどく好意的な響きが含まれていた。
「でも、想像してたよりずっと話しやすいよ、シーラさんって。なのに、なんでティースさんには冷たいのかな?」
「……」
シーラは返す言葉をためらった。
ただ、リディアの質問のタイミングが巧妙だったのか、あるいはそれが年下の少女だったからか。
レイのときのようにそれをはねつけるようなことはなく、
「別に冷たくしてるつもりはないのよ。ただ……そうね」
あるいは、否応なしに広がる勝手な想像や風評をこの辺りで止めたかったのかもしれない。
「あいつとはできるだけ口を利きたくない。だから自然と冷たくなるのかもしれない」
リディアは唖然としてシーラを見つめた。
「……口を利きたくない? ティースさん、あんなにシーラさんのために頑張ってるのに?」
シーラはうなずいて、そして――少なくともリディアには本心としか思えない、淡々とした口調で言い切った。
「別にあいつが悪いわけじゃないわ。でも、あいつを見ているとイライラして仕方ないの。……それでも夢を捨てられずに今まで一緒にいたけれど」
「それって照れ隠し……とかじゃないよね。うん、違う」
シーラの顔を見て、リディアは自らの疑問をすぐに撤回する。
首をひねって、
「……わっかんないなぁ。ホント、わかんない。なんでそんな関係が成り立ってるんだろ」
「わからなくてもいいことよ」
トン、とテーブルに置いた本とノートを揃え、シーラはゆっくりと立ち上がった。
だが、リディアは食い下がって、
「だって、デビルバスターになるための決意って、言うほど簡単じゃないんだよ。ほとんどは戦闘狂だとか欲に目がくらんだ人だとかそんなのばっか。人々のためって言う人たちだって、大抵は過去にひどい目に遭わされたことへの復讐だったりするんだもん」
まっすぐにシーラを見つめる。
「それが、ただシーラさんのためだって言うなら、ティースさんは馬鹿みたいなお人好しだよ」
「だから馬鹿だって言ってるじゃないの」
シーラは苦笑した。
「でも私はここに来て良かったと思っているわ。ティースとは滅多に顔を合わせなくて済むし、それにほら。図書館に行かなくても調べ物ができる環境が整ってる」
「それも本気なんだ、やっぱ。……つかみ所ないなぁ」
「そうね。あなたも大人になればわかるかもしれないわ」
「うっそだぁ、そんなの。……ね、シーラさん」
微笑みながら背中を見せたシーラに、リディアは椅子から腰を浮かせてもう一度だけ言葉を投げ掛ける。
「なにがあるかわからないんだからね? 縁起でもないって怒るかもしんないけど、ここは実際に何人もの人が死んでる場所だよ。もしなにか理由があるんだったら、今のうちになんとかした方がいいよ」
「……見掛けに寄らずおせっかいなのね」
「そんなんじゃないよ」
リディアは真顔で答えた。
「単なる好奇心。納得いかないから」
「そう。……だったら」
シーラはチラッと肩越しに振り返って、それから皮肉な笑みをそこに浮かべた。
「私とティースは本当はお互いに好き合ってるけど、つまらない意地を張り合ってなかなか素直になれないだけの関係よ。それなら辻褄が合うかしら?」
リディアは口を尖らせて、
「合うかもしんないけど、絶対事実じゃないし。少なくとも、シーラさんがティースさんを避けてるのはホントっぽいもん」
「ならやっぱりティースが単なる馬鹿で、私がそれをたぶらかして利用してる、っていうのでいいんじゃない?」
「……あーあ」
リディアはストンと椅子に腰を下ろし、背もたれに身を預け頭の後ろで腕を組む。
「ふりだしに戻っちゃったよ。そういうのもシーラさんの性格を考えるとなさそうなんだけどなぁ」
「人のことなんて見掛けじゃわからないものよ」
書庫の扉を開けて、立ち去り際にシーラは言った。
「あなたが私のことを過大評価してるだけだわ。たぶん私は、あなたが思っているより自分勝手で悪い女よ」
「……」
扉が閉まる。
それを見送ったリディアはやはり納得できない様子でため息を吐き、
「本当に悪い人って、自分が悪いって自覚もないものなんだけどなぁ……」
そうしてしばらく考えた末、ひとり言をつぶやいたのだった。
「……ま、いっか。これ以上考えてもお金にはならないし、ね」
夕日がその姿を山間に隠そうとしていたころ、ディバーナ・カノンの詰め所では、本日一番長引いた試合がようやく佳境を迎えていた。
「――やぁっ!!」
「まだまだ! 甘いよ、ティースくん!」
ティースの打ち込みを払ったヴィヴィアンの長い木刀。それを持つリーチの長い腕がまるで鞭のようにしなって、横からティースに迫る。
「くっ!」
色白で細身なヴィヴィアンの体からは考えにくいことだが、それの持つ威力は相当だ。まともに受けては体勢を崩されかねない。
(……どうする!?)
一瞬の思考停止。
結論が出るより先に、体が動く。
「!」
ヴィヴィアンの顔が驚きに染まった。
――突進。
いつか見たレアスの動きがティースの頭に残っていたのだ。だが、もちろん彼のような超人的な動きができるわけではない。
木刀の重なる音が高らかに響いた。
「うぉぉぉぉっ!!」
横から迫った木刀を自らの木刀で受け、その威力に体勢を崩しながらもティースは床を蹴ってヴィヴィアンに肩から突撃する。
「おおおっ!?」
まったくの不意打ちにヴィヴィアンが驚きの声を上げよろめく。……いや、支えきれずに腰から床に倒れ込んだ。
木刀が双方の手から離れる。
体勢はマウントポジションを取ったティースの方に有利だった。
……だが。
「――」
「隙アリっ!」
「ぐぇっ!!」
一瞬固まったティースの脇腹にヴィヴィアンの膝蹴りが決まって、ティースは横に転がった。
怒声が飛ぶ。
「ティース! てめぇ、なにボサッとしてやがるっ!」
その声の主はもちろんこのディバーナ・カノンの隊長、弱冠12歳の赤毛少年レアスだった。
「その体勢になったなら関節を極めるなりなんなりして動きを封じ込めろよ! この阿呆がっ!」
「っ……」
「ふぅっ……まあまあ、隊長。そう目くじらを立てることもないではないか」
ゆっくり体を起こしたヴィヴィアンがそれをなだめる。
その額にはわずかながらに汗が光っていた。
「今まで剣を合わせる訓練しかしてなかったのだから。どこまでやればいいのか、彼もわからなかったのであろう」
「ふん……実戦形式の意味がそいつにはわかってねぇようだな」
「すみません……」
ゆっくり立ち上がってティースは素直に謝った。
ヴィヴィアンの言った通り、あの瞬間どうすればいいのかわからなかったのは事実だ。ただ、実戦形式ということを考慮したなら、レアスの言うようにまずヴィヴィアンの動きを封じるべきだったろう。
気を抜いたことを咎められたのは当然だった。
「でも、なかなか良い奇襲でしたわぁ」
レアスの隣のフローラがニッコリと笑顔でティースに笑いかける。
「ね、隊長もそう思いますわよねぇ?」
「……悪くはねぇが、そう何度も通用するもんじゃねぇぞ」
「え?」
その言葉は、またボロボロにこき下ろされると思っていたティースには意外だった。
だが、レアスはすぐに視線を移動させて、
「ビビ。てめえも油断しすぎだ。なんてザマだよ」
「いやいや。どうにもこの木刀というやつは美しさがなくてダメだな。やはり私には少々合わない気がするよ。……隊長。やるかい?」
レアスはチラッと夕日が沈み始めたのを見て、
「時間もねぇな。最後に俺が直々に全員稽古をつけてやる。ティース。てめえは少し休んで息を整えておけ」
「はい……」
「お疲れさん」
壁際に戻ったティースをサイラスが労いの言葉で迎える。
「日増しに動きが良くなってきてるじゃないか」
「そんなもんかなぁ」
肩で息をしながらティースは疑問を返した。彼自身はそれほど変わった気がしていなかったのだから当然だ。
だが、サイラスはあごで中央に立つレアスを示して、
「隊長も最初ほど言葉に刺がないだろ? 少しはお前の素質を認めてきてるってことさ」
「……うーん」
(棘がない、ねえ……)
それこそ疑問だった。そりゃ確かに、先ほどの言葉は意外だったものの。
「ふと思ったんだけどさ。あのフローラさんって、隊長となにか関係あるのか?」
「ん? どういうことだ?」
サイラスの怪訝な顔に、ティースはますます声を潜めて、
「なんか隊長って、あの人の言うことだと、いつもより素直だったりしないか?」
その視線の先では、フローラが手を叩きながらレアスとヴィヴィアンの双方を応援している。
あくまでこの数日を見た印象だったが、レアスもフローラに対してはほとんど厳しい言葉を使わないのだ。
もちろん医事担当ということで稽古にも参加しないし、特に叱咤される場面がないということもあるのだろうが――。
「ああ、そんなことか。それは単に隊長が――」
納得した様子でうなずいたサイラスの言葉に、甲高い木刀の音が重なった。
「サイラス! 次はてめえだ!」
「おっと。今日はやけに早いな」
こっちの会話が聞こえたはずもないが、サイラスは首をすくめて立ち上がると、
「ま、大した理由じゃない。隊長もあれで、結局はまだまだ子供だってことさ」
「?」
いまいちティースには理解できなかったが、サイラスはそのままレアスとの試合へ向かっていった。
(まだまだ子供、ねぇ……)
サイラスとレアスの試合が始まった。
どちらかといえば隊長のレアスが攻め、サイラスは相手の動きに合わせて柔軟に対処する。
身長以上の剣を無茶な動きから鋭く振り回すレアスはもちろんだったが、それを最小限の動きで受け、払いのけるサイラスもまたとてつもないセンスの持ち主だ。
ほぼ互角に見える打ち合いだったが、やはり地力の差か徐々にサイラスの動きに余裕がなくなってくる。
(……子供、ね)
攻撃性の高い自分本位の打ち込みは、確かに少しだけ幼さを連想させないでもない。
ただ――
(あそこまで強烈じゃ、可愛さの欠片もないなぁ……)
「へっ! どうした、サイラス! そんなもんかよっ!」
少しずつ下がり始めたサイラスに、薄笑いを浮かべたレアスの挑発が飛ぶ。
「……」
対するサイラスはなにも言わずにただ受けるまま。
だが、
(あっ……!)
一瞬、なにかに気を取られるかのようにサイラスの視線が右を向いた。
「どこ見てやがるっ!!」
その瞬間をレアスは逃さない。
集中の途切れたサイラスの左側、死角から唸りをあげてレアスの木刀が迫る。
だが、次の瞬間、
「なっ――!?」
驚愕の声を上げたのはレアスだった。
サイラスの肩口に迫っていたレアスの剣筋が突然に乱れ、軌道を変える。
――それもそのはず。
「油断大敵ですよ、隊長」
なんと、視線を逸らすと同時に伸ばしていたサイラスの左足が、死角からレアスの足を払っていたのだ。
どうやら『誘った』らしい。
「ちっ……!」
それでも転ぶまでには至らず、すぐに体勢を立て直したレアスだったが、
「今日は俺の勝ちですね」
「……」
サイラスの木刀を突きつけられ、レアスは一瞬呆然とした顔だったが、それはすぐに憮然としたものに変わる。
「サイラスさん、お見事ですわぁ!」
「うむ。見事!」
フローラとヴィヴィアンから喝采の声が飛んで、サイラスはそれに笑顔で応え。
そして一方のレアスはといえば――
「……くそっ」
見るからに不満そうな顔だった。が、それでも自らの油断を自覚していたのか文句を言うでもなく、自分自身に腹を立てているかのように床を叩いている。
サイラスの言葉があったからではないが、ティースにはその仕草がまるでかんしゃくを起こした子供のように映った。
(確かにサイラスの言うとおりかも……)
思わず笑みをもらしたティースの視線が、ふと振り返ったレアスのものと重なる。
(ヤバ!)
慌てて表情を取りつくろってはみたものの、時すでに遅し。
「……」
レアスは無言のまま、ふらりと立ち上がると、
「ティース。次はてめえの番だ……」
「――ひぃっ!!」
「?」
急に悲鳴を上げたティースに、他の3人は一様に不思議そうな顔をして。
結局、それから1時間以上も続いたしごきに、ティースは本日もボロボロになって帰宅(?)するハメになったのだった――