プロローグ
――大陸。
ここに住む者は、自分たちのいるこの大地に固有の名前をつけることなく、ただ『大陸』と呼ぶ。
では、他の大陸とどうやって区別をつけるのか。
その心配は、ここに住む者たちにとっては意味のないものである。
なぜなら、彼らにとっての大陸とは、自分たちが住む場所以外に存在しない――いや、存在していたとしても、それを彼らが目にすることはないからだ。
絶対領海『シルベスク』
大陸人は、大陸の外側を囲む海のことをそう呼ぶ。
シルベスクとは大陸に伝わる神話上の生き物で、自分の領域に進入した船を片っ端から呑み込んでいく海の怪物だ。
その名を冠した海は常に大嵐にさらされていて、まるで神話上の怪物さながらに、大陸から離れようとする船を呑み込んでしまうのである。
この大嵐の領域を抜けた者は――正確に言えば抜けて戻ってきた者は――未だどこにも存在していなかった。
そのため大陸人にとっては、この大陸の中が世界のすべてである。だから当然、『大陸』といえば、彼らの住むこの大地のことのみを指すわけだ。
さて、現在この大陸には約25個の大小様々な国が存在している。過去には数百という数の勢力が存在していたことがあり、そのころの大陸は争いの絶えない場所であった。
しかし約300年ほど前、国家間の争いを禁じた『ヴォルテスト条約』に大陸の約8割ほどの国が批准してからというもの、この大陸における人と人との争いは大幅にその数を減らすこととなった。
国家間の往来は身分の証明さえ出来れば基本的に自由であり、一般的な法律は統一され、その中で生じる国家間の問題に対しては、大陸の盟主であるヴォルテスト領が間に入って調停を行う。
最初のうちは小さなイザコザが絶えなかったものの、それでもここ150年ほどの間、少なくとも条約を批准した国家間での大きな問題はほぼ発生していなかった。
さて。
大陸のほぼ中央に位置するヴォルテスト領からしばらく北のほうへ移動すると、このヴォルテスト領に負けずとも劣らない大きな国がある。
大陸でも有数の古い歴史を誇り、かつては『北の雄』とまで呼ばれたネービス領である。
このネービス領の首都であるネービスの街は『学園都市』とも呼ばれ、学問の聖地として名の知れた場所だ。他国の重鎮の中にもこのネービスの学園の卒業生という者は非常に多く、まさに大陸における学問の中心地。また、街の治安も大陸随一といっても過言ではなく、知識人から旅の商人までもが集まる交易都市でもあった。
そして物語はここ、ネービスの街から始まる――
「ウガァァァァァァァァッ!!!」
「ひぃっ!!」
夕日に染まるネービスの街。その入り口から約1キロほど離れた街道に1台の馬車が止まっていた。
いや、止まっていたという言い方はおかしいだろうか。
「たっ、助けて……っ」
その馬車を引いていたはずの馬はすでに動かぬ骸となって地面に横たわっており、その手綱を握っていた男は、地面に尻もちをついて上空を見上げている。
上空?
いいや、違う。
彼が見上げているのは上空ではなかった。
彼が見上げていたのは――
「ばっ、化け物……!!」
そう。
化け物だ。
体長約4メートル。体重はパッと見た感じでおそらく1トン近くはあるだろうか。
それほどの巨漢が、まさに男に襲いかからんとしていたのである。
それは、日常茶飯事。
彼が言うところの化け物――『魔』と呼ばれる異世界の生き物たちに脅かされ、そして日に何人もの人間が命を落としている。ここはそんな世界だ。
そしてそんな化け物たちに抗うための手段は非常に限られている。なぜなら彼らは、普通の武器ではかすり傷をつけることすら難しいからだ。
ある化け物は体に触れる前に刃を溶かし。
ある化け物は外皮でそれを破壊してしまう。
そしてまた、ある化け物はあまりにも素早く、普通の人間では姿を追うことさえ難しい。
ほとんどの人々は無抵抗のまま彼らに殺されていった。あたかも、それが自然界の摂理であるかのように。
……だがもちろん、人間たちもただやられっぱなしだったわけではない。
特殊な資質を身に備え。
特殊な武器を手に携え。
特殊な知識を駆使して彼らを撃滅する者たちがいた。
「化け物――か」
「!」
突然、風に乗って届いた声は、この場にはそぐわない、あまりにも緊迫感のないものだった。
と同時に、自然では考えられないような、異質な力によって空気が歪む。
化け物の動きが止まった。
「正確には違うな。こいつは」
毛皮に包まれた胸の辺りがモゾモゾと動く。
……いや。
「ひぃっ!!!」
まるで破裂するように、化け物の胴体が弾け飛ぶ。
内臓とともにどす黒い血しぶきが辺りに飛び散って、尻もちをついていた男の体を汚した。
「こいつは地の四十八族。人に似た姿を取ってるわりにオツムの弱い、体だけ異様に丈夫な、いわゆる筋肉バカってヤツさ」
オレンジ色の夕日を反射したのは2本の剣。半楕円型という奇妙な形、刀身に奇妙な文様の描かれた2つの刃。
生々しい音を伴って、化け物の体が真っ二つに裂ける。
「っ……っ……!!」
尻もちをついた男は驚きに声が出ず、ただ黙って化け物の大量の血を浴びるだけだった。
「……ふん」
2つに分かれた化け物の体が地面に崩れ落ちる。いくら化け物とはいえ、その状態ではもはや動くはずもなく。
「被害が出る前でよかった、ってところか」
血に汚れた半楕円型の剣を拭いながら、化け物の陰から姿を現したのは、額に灰色の布を巻き付けた眼光鋭いひとりの青年。
そしてその背後には、さらに3人の人物が立っていた。
「ええ。間一髪でしたねぇ」
黒縁眼鏡の中心に中指を添えた、目の細い学者風の男性。
「ふん……」
面白くもなさそうにただ鼻を鳴らすだけの、ずんぐりした体躯で無愛想な30歳過ぎの男。
「ちぇっ、隊長。今回は俺に任せてくれるって言ったじゃないっすかぁ」
そしておそらくは10代半ば、まだあどけない色を残した不満顔の少年。
「あ、あ……」
そこまで来て、尻もちをついていた男はようやく悟ることができた。
自分が助かったこと。
そして――
「あんたたちは……」
自分を助けてくれた、化け物をいともたやすく葬ったこの青年が何者であるかを。
「デビル、バスター」
男がそう呟くのと、青年が薄い笑みを浮かべて背を向けるのはほぼ同時だった。
魔を狩る者――デビルバスター。
これは、その称号を受けた者たちによる、熾烈な戦いの記録である――