(4)
新入生歓迎の行事も落ち着き、大学の構内にも当り前の日常が流れつつある。
翔と蓮が通うこの大学は全国的にもそれなりに有名な所で、都内の住宅街にありながらも変に広大な敷地面積を誇り、学部、学年が違うといくら知り合いとはいえ偶然に顔を合わすのは至難の業である。
故に、翔が、在籍する工学部のそばにある食堂で日名子と顔を合わせたのは、彼女からの呼び出しであったに他ならない。
「ストーカー?」
「そこまで、いってない。でも、まじ、ヤバい」
翔ちゃん、なんとかして~~
珍しくも泣きごとが入った日名子の声はふざけているようで真剣だ。
なんとかって言われても… いきなり、これではどうしようもない。
「とりあえず、状況説明。それからだろうが、話は」
翔の言葉ももっともである。
思い出したくない。
はっきり言って思い返したくもないが…
一つ息を吸い込んで、日名子は昨日の事を翔に話し始めた。
「―――― ああ居た居た。中森さん。こっちこっち!」
――――げっ!
講義を受ける為、教室へ入った途端、日名子は思わず心の中でまわれ右をしたくなった。
にっこり。
はたから見たらこれ以上ないと言う笑顔で自分の席の隣を指さすその男子生徒を無視する形で、日名子は遠く離れた隅の席に腰を下ろす。
「ああ、中森さんはこっちの方がいいのか。じゃ、俺も…」
―――― 来るな~~~!!
来るんじゃない!との叫びはこいつには全く届かないのか。
ひょこひょこと荷物を持って移動してくる、茶髪の男。
確か…
「田代君…」
「あ、まだ、名前覚えてくれないんだ。田端だってば」
覚える気なんてあるかっての!
かわいらしく小柄な外見に反して日名子は結構気が強い。
ついでに本当に身近な人間にしか見せないが、その中身は辛辣ですらある。
「そんな顔も可愛いね~ ねえ、こんな授業さぼってさぁ、俺とカラオケでも行かない?」
何しに大学へ来てるんだ、あんたは。
一応名の通った大学の経済学部。ここへ入る為には人生を掛ける人間だって居るって話なのに。
入試に通ってきた以上、決して馬鹿では無い筈なのに。
入った途端、コンパだ、サークルだイベントだ、と羽目を外したかの様に遊びまくる。それも全て親の金でだ。
もう、二か月も経とうかと言うのに、この必須の講義でこいつを見たのは二回目だ。その他の全てを代返で乗り切っているらしい。
こうゆう輩が日名子は心の底から大嫌いである。
なのに、田神だか田中だか知らないがこのちゃらちゃらとした男は、新歓のコンパで隣り合わせて以来、こうやって日名子に付きまとって来る。
『ねぇ、君、名前は? この後付き合わない?』
ノーサンキュー。
『用事が有りますから…』
さりげなく断ってやってるのに、それが悪かったのかどうなのか。こうして事あるごとに日名子の行く先々に顔を出す。
『あたし、好きな人がいますから』
業を煮やして、そう宣言してやったのに、
『今、付き合ってないんでしょ? なら良いじゃん』
俺の方が、絶対いい男だって。
何処から来るんだ、その自信!
ありえない! こんな奴と由樹を比べる事すら日名子にとったら、もう本当に有り得ない事態なのに。
どんだけ顔に自信が有るのか知らないが、翔の顔を見慣れている日名子にとったら、充分以下の並みレベル。
―――― 性格入れたら、それ以下よ!
あたしは、こうゆう変な自信ばっかり強い、お茶らけた奴が大嫌いなんだ~~!―――― と、本当は面と向かって行ってやりたい。
しかし、しかしだ。
変に女の子に人気が有るらしく、今だってちくちくちくちく周囲の視線が痛い。
自分が声かけられたいくせに、他の人間がシカトするのは許せないってか?
どんだけ、アイドル気取りなんだこいつは。
ああ、ケンカ売りたい売ってしまいたい… しかし、あの女の集団を敵に回すのもまだ、避けたい。
あんたさえ…あんたさえ、あたしにちょっかい掛けないでくれればいいだけなの!
「あたしはこれから、この授業を受けるんです」
あちらに、お誘いに乗りそうな方々が一杯居らっしゃるから、そちらへどうぞ。
「じゃ、俺も受けよ~と」
真面目だね~ 中森さん。
―――― あんたがふまじめなだけだろうが!
「そんなとこも、新鮮でいーなー。どう、俺と付き合わない?」
「前から申し上げていますように、あたしには好きな人がいますから」
「そんなこと言って~ 遠慮しなくていいんだよ~」
俺が、付き合いたいって言ってるんだから。大丈夫。誰にも文句は言わせないから。
「―――― それって、思いっきり会話、噛み合ってないんじゃないのか?」
そこまで黙って聞き続けてきた、これが翔の第一声。
「そうなのよ! あいつの辞書に断られるって言葉は無いんじゃないかしら!」
なまじちょっとばかり顔が良くて、それなりにモテるって解ってるとこタチが悪い。
これまで、狙って落ちなかった女は居ないと豪語していると居ないとか…
「しかも、あたしにそうやって声かけながら、しっかり他の女の子と付き合ってるらしいのよ、これが!」
「…そんな男が、本当にいたのか…」
翔はそっちの方であっけにとられる。
どんだけ自信家か知らないが、そんな男はテレビのドラマでしかお目にかかれないものだと思ってた。
「いわゆるプレイボーイ―――― 日本流に言うなら漁色家か?」
「…翔ちゃん、言語能力江戸時代…」
「ほっとけ、全部死んだ爺さんの影響だ。 …これがセオリー通りなら、振り向かない女を面白半分に口説いて行くうちに本気になって、そのうち、『この恋は本物だ!』とか『君の為なら死ねる!』とか叫んで、ほだされた女と一緒に手に手をとって逃避行って寸法が?」
「冗談でも止めてよね。気持ち悪い」
あたしだって、ホントに居ると思わなかったわよ、あんな、馬鹿。
「しかし、えらく詳しいわね、翔ちゃんてば。まさか、そっちの趣味?」
「それこそ冗談じゃねぇぞ。俺の本意じゃぜってーねぇからな」
それと言うのも、世に言う、トレンディドラマとか、恋愛てんこ盛りの夜ドラとか、変にそんなのが大好きな蓮とじい様の付き合いで、小学生の時からどれだけ一緒に見させられたことか。
ありえねぇだろ。まじ、何考えてんだよ!―――― なんて展開は、もうお手の物。三角関係から、どろどろの愛憎劇まで。
「俺は、刑事ものとか歴史系が好きなんだ。なにが嬉しくてあんな…」
顔に似合っているのか、似合わずなのか。
蓮はべたな恋愛ものの大ファンだ。
「―――― で、その、とんでもなく方向性を間違った(少なくとも、こいつを口説くには一番やっちゃいけない方法だ)勘違い男と俺への呼び出しがどう関係あるんだ」
「協力して」
「は?」
「追い払うのに協力して!」
「なんで、俺が!?」
「その、翔ちゃんの無駄に綺麗な顔が必要なの!」
顔に自信があるっていったでしょ?
「そんじょそこらの顔じゃ納得しそうにないんだもん」
折角身近にこ~んなとんでもない顔が有るのよ! 利用しない手は無いじゃない!
「利用ってお前…」
「付き合って!」
「は?」
「あたしの恋人になってって言ってるの!」
「いやだ!」
「だから、ふりだけだってば!」
「ぜってーやだ!」
何が悲しくて、初めての異性とのお付き合いをこんな形でやらなければならないのか。
「第一お前、好きな男いるだろうが!そっち口説いて本当に恋人になっちまえ!」
「それが出来たら苦労しないわよ!!」
こっちにだって予定ってものが有るんだから!!
あ~~鈍い!
とにかく鈍い!
あんたの好きな人はあたしにバレバレなのに、何であんたはあたしが誰が好きかって気が付かないの!?
―――― いやだからって、気が付いて欲しい訳じゃないんだけど。
日名子にだって、予定ってものが有るのだ。
やっと十八。まだ十八。
相手は今バリバリの男ざかり。何時見ても、惚れぼれするくらいに大人の男の魅力満載の三十歳。当然、しっかりモテテいる。
だからこれから大学で、もっともっと女を磨いてがんばって―――― もっともっと素敵な蓮さんみたいな人になれたなら。
そうなったら言おうと思ってたってのに。
『貴方が好きです』
自分に少しでも自信が付いたら、そうしたら真面目に誤魔化さずに言えるって思ってたのに―――― そう、由兄に。
まだよ。まだまだ!
まだ、言える訳ないじゃない!
今、由兄に「好きです」なんて言ったら、「俺も大好きだよ、ひな」―――― 妹としてね。って笑顔で返されるに決まってる。
それでなくても小さい頃から、日名子は由樹に「大好き」を連発し続けている。
ずっとずっと言い続けてきた「大好き」が本当に本気の本気だって、由兄はきっとわかってない!
「第一、本気の人に『フリでいいから恋人になってください』なんて言えるか! そのまま、フリのままで終わっちゃったらどうするの! 翔ちゃんが責任とってくれるって!?」
「責任ってなんだ?責任って! 誰が本気とフリしろって言った!? 打ち明けて本当の恋人ってやつになっちまえって言ってるんだ!」
「だから、それが出来たら苦労しない!!」
自分だって、打ち明けたりなんて出来ない癖に――――!!
「――――― バラすわよ…」
「…え?」
「協力しないってんなら、何もかも、翔ちゃんの隠してる事全部ばらしてやる」
「は!?」
「開き直った女、怒らすと怖いんだからね! あ~んなことも、こ~んなことも、ぜ~んぶまとめてバラしてやる!!」
「だ、だれに!? てか、なにを!?」
と、言うよりも、
「なんでそうなる!? 俺は無関係だろうが!!」
「あたしが相談した時点で、既に翔ちゃんに無関係という言葉は存在しない!」
きっぱり。
いや、いっそ潔いぐらいに日名子は宣言してのける。
「……」
「協力、する?」
「…させていただきます…」
そうして、翔には、もはや逃れる術など無かった。
少し、話が動きます。主人公たちから離れて行ってるな~