邂逅 ~翔
五歳の秋、俺は両親を亡くした。
事故だった。車で俺を保育所に迎えに行こうとして、いきなり飛び出してきた自転車を避けようとして電柱にぶつかった。
二人とも即死だった――――らしい、としか言えないのは、その時の記憶が俺にある訳じゃないからだ。
当時五歳。まだ保育園児の子供に状況説明なんてしてくれる大人がいる訳も無く。
ただ、覚えている一番古い記憶は、薄暗い電灯。
煌々と点いていた筈なのに何時もよりも薄暗く灰色がかったその色。
それまで当り前の様に有った手が無くなった。
抱き上げてくれた大きな腕を失った。
無い―――― と言う、感覚だけが全身を包みこんで、俺はその時何も出来ずにただ座っていた。
『泣きもしないのよ…』
『可愛げのない…』
『あんな綺麗な顔して…』
肉親の縁の薄かった両親には、親しく付き合っていた親兄弟は一人も居らず、いきなり訳も解らないまま大人の集団に呑み込まれるようにして行った葬式など、当然のことながら俺は何一つ覚えておらず、気が付けば、住み慣れたアパートの和室―――― 親子三人、いつもなら枕を並べ、川の字になって眠っていたその部屋で、小さなテーブルに並べられた二つの白い箱を見ていた。
『他に誰も巻き込まれていないのが、不幸中の…』
『ヘタに、他人とぶつかると責任の所在で揉める元だし…』
余りに子供過ぎた俺には、周囲の言葉は理解の出来ない雑音でしかなかったけれど、その言葉に含まれる毒に、気付けないほどには無知では無かった。
きこえない。
しらない。
ぼくはなにもきいてない。
今まで自分を守ってくれていた腕が、大好きと認識する間もなくもうここには無いと言う事だけが、その時俺の理解出来た全てで。
だれもいない。
だれもまもってくれない。
だれもたすけてくれない。
殻に閉じこもり、周囲を遮断することで、その時俺はひたすら自分を守ろうとした。
どれほど、その時間が続いたのかわからない。
だれひとり、近付こうとしなかった俺の、俯いた視線にそっと入って来たもの。
伸ばされたのは一本の右手。
そして、声。
『こんにちは』
柔らかなその声に、思わず顔をあげて。
見あげた視線の先、点いたままの電灯を背に何故か金色に光った瞳が真っ直ぐに俺を見ていた。
『初めまして。翔君…で、良いのかな…?』
少し首をかしげた時、肩までの柔らかな髪が逆光の中で揺れた。
自分よりはるかに大人びた顔立ち。
まだ、細かったその体を包んでいたのは通っていた中学の制服だとその時は気付かなかったが。
スカートをはいている、それだけで女の人だと認識した俺をただ真っ直ぐに見るその視線が、他の大人とは違った。
たった今、無くしたとわかった筈の何か―――― その瞳は、父や母と同じ、温かい色を持っていた。
『あたし、蓮。かがみ、れんって言うの』
れん… その音が、少し高い声と共に俺の体にしみ込んで。
『あのね、翔君が嫌じゃなかったら、あたしの家、来る?』
『…』
『あたしの弟になる?』
頷いた記憶は無いのに、気付いたら蓮に抱きしめられていた。
『ありがとう』
ありがとう、来てくれるんだね。
ありがとう―――― なんで、ありがとうって言ってくれるんだろう…
『泣かないね、強いね』
つよくない…
『翔君は、強い』
つよくなんか、ないよ、ぼくは…
『…でもね、泣いてもいいよ。今は泣いてもいい』
なく…? どうしてなくの…?
『泣いた方が強くなれる』
今、泣いてしまった方が、強くなれる。
『つよくなる…?』
『うん』
『なくのは、よわいこだよ…?』
おかあさんが、いってた。
しょうは、えらいねって。
なかないねって。
『今はいいの』
今は、思いっきり、泣いていいんだよ。
『今は泣いても、翔君は強くなる』
もっともっと、つよくなれる。だから…
不意にお腹のあたりがもの凄く熱くなったのを覚えている。
じわじわとせり上がってくる熱いモノ。
言葉が、勝手に俺の口から飛び出して。
『…おかあ、さん…いない…』
『…うん…』
『おとうさんも…いない…』
どこにもいない。
温かい…けれど、両親とは違う腕に抱き締められて。
初めて俺は、もう、どうしたって父も母もいないのだと、帰ってなど来ないのだと理解した。
その事実に、俺は打ちのめされて。
叫ぶような大声で、蓮にしがみついたまま泣き出した俺の身体を、蓮はその時ずっとずっと、痛いくらいに抱き締めていてくれていた。
『一緒にいこ?』
あたしといっしょに。
『一緒に強くなろう?』
くりかえしくりかえし… 囁いてくれる言葉は、その腕の温かさ一緒に、その時俺の中にしみ込んで溶け込んで……
『強くなる』
『君はもっともっと強くなれる』
『だから…』
だから、一緒に。
―――― それが、俺の一生の誓いになった。
少しだけ過去のお話。
最初の部分、言葉足らずを書きたしました。