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約束は11時。翔が通う大学の裏門にて。
現在10時40分。
なんとか時間厳守の法則を守れそうな事に、翔はほっとして助手席に座って髪を整えている蓮に声を掛ける。
「もうすぐ着くから先に降りてろ。車、置いて来る。待ち合わせは降りたところ」
「日名子ちゃんと?」
「ああ」
「あたしが先に会っちゃっていいの~? 大事な大事な後輩様じゃない。やっぱり部長自らのお出迎えって奴をするべきでしょうが」
「言っとくが、今回お客はお前の方だ。中森は迎える側だぞ。もう部員なんだから」
「お客? あたしってお客さまなの? ただ日名子ちゃんに頼まれて型見せるだけでしょ?」
「…そーゆー風に、ボランティアで動いてくれたら立派なお客だ」
「ボランティアなんてしないわよ~ ちゃ~んと翔からのおごり一回飲み会付き」
「聞いてないぞ俺は!」
―――― 中森の奴、わざと言わなかったな、あのやろう。
先ほどから話題に上る名前の主、今年、翔と同じ大学に合格した中森 日名子とは、二人とも同じ道場に通う同門の先輩後輩顔見知りの間柄。現在、翔とは大学の同じ空手部の先輩後輩にもあたる。
本日、翔と蓮、二人が連れ立って出かけてきたのはこの日名子嬢に懇願されたからである。
「しっかし、ホントにあたしでいいの~?現役、遠ざかってもう長いわよ~」
「…女子部の勧誘だからな。型を見せる演武ならお前との方が一番やりやすいらしい」
実は、それだけでは決してない。
『い~い、翔ちゃん! 世の中、やっぱり見栄えよ見栄え! むくつけき男どもがやーっとーって戦っちゃうより、綺麗な女の子が華麗な技見せる方が絶対受けるんだから!』
157センチと小柄な体で、思いっきり力説して見せた日名子の姿がよみがえる。翔を、ちゃん付きで呼ぶ数少ない人間の一人である日名子には、翔は蓮とは別な意味で余り勝てた試しが無い。
―――― だからって、こいつを引っ張り出すな、こいつを…
蓮と学校―――と言う取り合わせは、翔にとって、余りにも嫌な思い出が有り過ぎる。
小学の時は言うに及ばず、中学の時から高校に至るまで、『保護者』との名目で蓮から被ってきた騒動は数知れず…
それを今更、さらけ出すつもりはこれっぽっちもないのだが。
そうこうしている内に、待ち合わせの裏門が見えて来る。
11時10分前。
日名子の姿はまだ見えていない。
「降りちゃってていいの?」
「ああ。あいつの事だから、多分時間通りに来るだろうから…」
と、既にドアに手を掛けて半身を車から出しかけていた蓮に一言告げる。
「いいか、動くなよ。頼むから、俺が戻ってくるまで二人とも此処、動くな」
「や―ね―翔。子供じゃないんだから。迷子の心配? 日名ちゃんだってもう18だもん。あたしだって付いてるし、大丈夫よ~」
―――― いや、心配はお前の方だろうが…
とは、此処で言い争いをするつもりは無いのでぐっとこらえる。
「とにかく、動くんじゃねーぞ!」
すぐ、もどってくっから。
バタン!
大きな音を立てて閉められた助手席から前方へと視線を戻し、アクセルを踏む。
ちらっと見たバックミラーに、ひらひらと手を振る蓮の姿を確認して、思わずため息を一つ落とす事が止められない。
ちらちらちらちら、あちらこちらからの男の視線が痛いほどだ。
―――― まーた、あんな格好しやがって…
今日の蓮の服装は春らしい淡い色合いのカットソーにタイトスカート。軽くジャケットを合わせた別段おかしな格好では無いのだが。
いかんせん、スカートが。
「…短過ぎるだろう! どう考えても!」
毎度毎度、なんだってああも体の線を露出する様な服を選ぶのか。
『あたしの、この素敵な足、隠すのって世界の損失だと思わない~?』
かつて、口を酸っぱくして意見(あくまで、意見だ!)した翔に、蓮はにっこりして言ってのけてくれた。
『服はね~ 会社から安く買えるし~ 皆、似合うって言ってくれるしね~』
似合ってる…たしかに、とんでもなく似合ってはいるが!
認める。お前がどんなにスタイルが良いかは、思いっきり腹は立つが認めてやる。
168センチ。女にしては長身のその体躯はきゅっと引き締まり、その癖、恐ろしいまでに女であることを強調する。凹凸のくっきりとしたそのプロポーションは人眼を引かずには居られない。
だからと言って、
―――― いちいち、それを強調しまくってどーする!
やっぱり、家を出る前に止めるべきだった。返す返すも時間の無さが恨めしい。
その時間だって、あいつが寝坊さえしなかったらこんなに余裕が無いないてこと無かったんだ。
ああ、本当に。
もっともっと、遠慮なく叩き起こしてやればよかった。
まったくなんだって、俺はこんなにあいつの心配ばっかりしてなきゃなんないんだ。
あいつがもっとしっかりして、ほやほやしてなくて、危なっかしくなくて―――― 綺麗じゃなかったら。
そしたら、俺はもっと落ち着いてあいつの傍に居られただろうか。
俺の事を、『弟』としか見ていないあいつの傍に。
蓮の存在感は昔から変わらない。
栗毛色の髪、大きめの少しだけ目じりが下がった何処か潤んで見える眼。その顔だちすらも、自らが女であることを、ここぞとばかりに主張する。
そのくせ、きびきびとしたその動きの律動感が思う以上に爽やかな印象を周囲に与え、なまめかしいとかいやらしいとか言われる事は実の処ほとんどない。
その上、キップがよくて豪快で、明るくて酒好きでお人よしで…
男も、そして女でさえも惹きつけられて、魅せられる。
その蓮の隣で十五年… もう、十五年だぞ。
しっかり認識してからでも、もう八年。
ずっとそばで、ずっと横で。
見続けてきた俺は一体何なのか。
考えなおそうと何度も何度ももがいても、その度にもっと強く引き戻されて。
その度にどんだけ俺が悩んだか。
知らないだろう、この能天気!
理不尽だ。どう考えても、割が合わない。
―――― それでも、今更、変えられねぇんだから、しょーがねぇだろーが!!
開き直った挙句、何度繰り返したかわからない愚痴を心の中で誰かにぶつける。
誰に?
このどうしようも無い状況を、俺に用意した誰かにだ!
今更ながら、思う。
何であの時。
何で、あの時、うつむいた俺に手を真っ先に差し伸べたのが蓮だったのか。
『よかったら、あたしの家、来る?』
そう言って、セーラー服を着た蓮が俺に手を差し出したあの時に…
『一緒に、行こ?』
あの日、あの場所でその手を握り締めたその日から、
蓮は、翔の全てになった。