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(11)

季節は師走―――― もう、クリスマスも近い。

大学の講義も終了に近くなり、冬休みの予定を話し合う声があちらこちらでかしましい。


あの日。

蓮を、引き留められなかったあの夜。

約束通り、蓮は終電を待たずに帰ってきた。


『ただいま』

『…お帰り』


交わしたのはそれだけ。

眠れずに待っていた翔に少しだけ微笑んで、蓮はそのまま何も言わなかった。

その微笑みで翔の言葉を封じこんで。


『あいつ、だれ?』


聞きたいのに、聞いてしまったらそれで終わってしまいそうで、翔には聞けない。

もう、何も知らなかった子供じゃない。だから、聞けない。


七年前、顔さえ合わさないわずかな邂逅かいこうで、その存在を翔に焼き付けて行った男。

今の翔よりもまだ高い背丈、落ち着いた物腰、低い声。

翔がなりたいと思い、ずっとなろうとしている姿そのままで蓮の前に立つ男。

精悍な面構えも、大人の男としての自信も、悔しいくらいに揃っていて。

その事がなお一層、翔の心を疼かせる。


初めて。

初めて蓮を、女として見たあの雨の夜。

蓮をそうさせた男は、あの時以上の存在感で、今再び蓮のそばにいる。


―――― そばに、いる。

わかる。

わかりたくないのに、翔にはわかってしまう。

蓮が、揺らぐ。

蓮が翔では無いもので揺れる。

問いたくて、問い詰めたくて、なのにそれが出来ない――――


「やめ!」


ピタッと全ての動きが止まる。

ハッと我に返った翔の眼前に由樹の顔。


「ぐっ!!」


いきなりみぞおちへ突きこまれた拳に一瞬、全ての呼吸が止まる。


「…何を考えている」

「…し…はん、だい…」

「神聖な道場で、気を散らすなど、言語道断だ!」


言われて気が付く。

大学の空手部の道場。乱稽古の最中に他に意識を取られていた。

あり得ない。舌打ちも出来ない体たらく。


「少し、頭を冷やせ! 罰としてランニング二十周!」

「…はい!」


―――― 情けない… 


冷たい風の中、道着一枚で走りながら、翔は自分の情けなさに唇を噛む。

聞けない自分も、言ってくれない蓮にも、その事にこんなにも動揺してしまっている気持ちも。

何もかもが情けなくて悔しくて。


走って見ても、気持ちが離れない。

こんなにも、俺は囚われている――――― 


ハッハッハッ…


走り終えて、息が切れる。


「…ペース配分も出来てないか…」


うつむいて息を整える翔の目線にスニーカーの足先が入ってくる。


「…由さん…」

「…重症だな…」


―――― 言われなくても…


最初から、きっと、イカレてる。

今更、言われるまでも無い。


  ――――― オレは、あいつ無しに、存在られない―――――


わかっていたのに、こうしてその場に立って、どうしていいか解らずにただうろたえる。


もうダメだ。

もう無理だ。

自分の気持ちに嘘は吐けない。今更、失くしたりなんか出来ない。絶対に。


なのに、どうしていいか解らない。

前よりも強くなったのに。

ずっとずっと強くなった筈なのに。

蓮を、失うと思っただけでこんなに揺らぐ自分が居る。

集中が出来ない。

技が、決まらない。


「…殺気がひどい。今のお前の相手は誰にもさせられないぞ」


衝動が消せない。

誰かを倒すまで止められない。


収まらない息を整える事もせず、ただ瞳を光らせている翔に、由樹は溜息を心の中に押し込める。


――――― 手負いの獣か…


普段は見せない翔の本質。

本人が無意識に隠そうとしている激情が、溢れだそうとしている。

冷静な面立ちの翔が垣間見せる感情は、翔のその若さと性状を改めて思い出させるようで、由樹や周囲の者にとっては、微笑ましく、好ましいものであるはずなのに。


翔自身がそれを制御出来ない。出来ていない事にいら立っている。

まるで身食いをしそうな危うさは、由樹ですら見たことが無い。


落ち着かせることが出来るか?―――― このままでは翔自身が傷つく。

そうなる前に。


「…前に、言ったろ?」

「…」

「戦いは、まず、情報から。来い」

「え?」

「いいから、今日は俺の家に来い」


このままでは帰せない。

俺が動く事が吉と出るか凶と出るか。


けれど、このまま、見過ごすわけにはいかないだろう…?


―――― 蓮…


―――― どうする? 蓮。


お前は、翔をどうしたい…?



一番に、翔の事を尋ねたい相手が、今は遠過ぎる。









「案外、簡単だった」


思ったよりも有名人だったからな。

由樹の自室に備え付けられたデスクトップのPC画面。あの男の写真が大写しで映る


「インターネットの検索に引っかかってきた。個人事務所のホームページもあったから、それほど苦じゃなかったな」


由樹がマウスを動かすと、その画面にざっと年表の様なものが現れる。


「仙崎仁、三十三歳」


間違いないな?――――― 間違えたりしない…

ゆったりと、背もたれの有る椅子に腰かけて微笑むのは確かにあの日見た顔。


「職業は空間プロデューサー…」

「空間プロデューサー?」

「まあ、要するに、建物の中を整える仕事だ」

「…インテリアコーディネーター…ですか?」

「もっと、大がかりなものが多いな。…むしろ、演出家とでも言った方がいいんじゃないか?」


店とか、イベントとか、クライアントの要望に従ってその趣旨にあった環境を整える。


「その世界では、結構な有名人らしい」


仙崎、仁―――――


『じん』


間違いない。

あの雨の夜、蓮の唇が紡いだ名前。


「七年ほど前に、招聘されてニューヨークの事務所に移籍してる。今は独立して、個人事務所みたいだが」


画面の経歴に眼を通す。

箇条書きで書かれたそれは、段々とステップアップしていく自信あふれた一人の男の軌跡そのままで。


「由さん、これ」

「ん?」


書き記された西暦は七年前、たった一行記された会社名。


「…蓮の所…」

「ああ、間違いないな…」


この時だ。全て、この時に始まっている。


「蓮は、二十歳…いや、二十一か…この頃…」


この男は二十五、六… ―――― そして、俺は、中学生でしかなかった。

わかっていた接点をこうして付きつけられる。知っていた筈の知識が、心を掻き毟る。


半年―――― たった半年。


違う! たったなんかじゃない。

半年もあった。

半年もの間、蓮は――――


「翔…」


由樹の声がする。


「どうする?」


お前は、どうしたい?


何処か遠くから、そう問いかける声がする。

どうしたい?――――― 答えなんか、とっくに決まっている筈なのに。


どうする?

何が、出来る?


今、俺に、何が出来る。


ふと、見下ろした手のひら。

あの時に比べて確かに大きくなった腕。

零れ落ちる何かを引き止める様に、翔は自分の手をただ握り締めていた。





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