つきあかり ~蓮
秋の夜。
晩秋の夜空は深く蒼く、冴えわたる月光に星の光さえ見えない。
今年は冬が早いかも…
急に冷たくなった風が、開け放った縁側に腰を下ろした蓮の髪を揺らす。
また冬が来る。
冷たくて、寂しくて、辛い冬が。
何かを失った後の訳のわからない慟哭は、いつも冬を連れてくる。
じわじわと浸みる喪失感は、失っていく空気の温かさと比例するように深くなる。
いかないで。
ゆかないで。
どれほど呼んでも、それに応えが返ってくる事は無くて。
冷たくなって行く風に、気持ちを押さえこむ事を覚えたのはいつの頃からだったのか。
いつもいつも、
残されるものの中に自分はいて。
逝ってしまうのは何よりも大切な人たちで。
あたりまえでいい。
それさえ望めなくて。
此処にいる自分は、あたしが望んだあたしではない筈なのに。
もう、変えられない、あたしが此処にいる。
後悔は無い。
進んできた道に、生き方に、作り上げた自分に何一つ。
あたしはあたしを愛している。
そうやってしか、生きていけなかったからだとしても。
「―――― 蓮?」
「翔」
振り返った部屋の向こう、見慣れた顔が部屋の引き戸にもたれている。
「なにやってんだ? こんなとこで」
「ん~…別に…」
別に―――― そんな言葉を聞きたいんじゃないね…
「月がね~」
「月?」
「うん。」
月が、きれい。
その言葉に、近づいてくる背の高い影を見詰める。
明かりを点けていない部屋の中、それでも開け放ったままの縁に煌々と注ぎ込む月明かりが、翔のその端正な顔を蓮の眼に映すのを拒まない。
「…すごいな…」
満月か…
影を色濃く残しながら、夜の闇を纏う様に。
すごいのは月じゃない。降り注ぐ、その蒼光に負けないほど。
冴え凍る光の君。
その呼称を、今日の月じゃなく、今、地上に居る君に贈りたい。
日に日に、しなやかさと強靭さを増しながら、なお一層冴えわたる美貌。
そんな男が本当に存在て動いて、あたしの横に居るなんて。
小さかった。
幼かった。
泣くのを、ただひたすら我慢してうつむいていた男の子。
その姿は間違いなくあたしと同じで。
あたしはその時、一目でこの子を理解した。
差し伸べた手に、あたしはあたしの想いを乗せた。
いつか、離れて行くと知っていても。
いつか、此処では無い何処かへ行ってしまうとわかっていて、あたしはあたしの全てでこの子を包む事を決意した。名前を呼んでもらう事を欲した。
『れん…?』
「蓮」
もう低くなってしまったその声は、けれど、まだ同じ響きであたしを呼ぶ。
「蓮?」
微かな、わからない程の怯えをその奥に秘めて。
同じ。
あたしたちは同じだ。
失う事を恐れてる。
遠ざかる事に怯えてる。
その時がもう近い事を知っているから。
「翔…」
―――― しょう…
信じてる。
君の気持ちを信じてる。
けれど、それは何時までも共に有れる感情では無くて。
君の思慕はいつかきっと君自身を縛る。
その時をあたしは見たくない。
あたしは君を見送る。
きっと笑って手を振れる。
無くせない。
失くしたくない。
けれど、それはあたしのわがままでしかないのだから。
「―――― 蓮! お前、またこんな薄着で!!」
ふと、蓮の腕に触れた翔の声が跳ね上がる。
「馬鹿! 体、冷え切っちまってるじゃねぇか! 風が冷たくなってきてるってのに、こんなとこにこんな格好でいるんじゃねぇ!」
ばさっ!と着ていた上着が肩から掛けられる。
大きくすっぽりと体を包むそれは微かに慣れた翔の匂いがして。
「…大きくなったね…」
「あん?」
本当に、大きくなった。
こんなにも、大きく―――― いい男になった。
どれくらい。
あとどれくらい、一緒に過ごせるだろう。
一緒に笑えるだろう。
何かを何時も失ったのは晩秋。
あたしが翔を失うのは、またいつかの秋の一日なのか。
「どうした?」
どうした、蓮――――
「翔…」
こうして名前を呼びあって、何時まで此処に居れるのだろう。
「翔」
「…ん?」
「翔…」
「どうした? 酔ってんのか?」
「…うん」
そのまま、大きくなったその胸に少しだけ額を押し当てる。
ぽんぽんと、宥めるようなその掌に今だけそっと甘えてみる。
「蓮…」
あたしを呼ぶ、その声だけで耐えられる。
望めるなら、この時を止めて。
何時までも名前を呼んで。
翔。
あたしの大事な翔。
気付きたくない。
気付いちゃいけない。
こんな気持ちなんて、あたしはきっと知らないから。
翔。
名前を呼んで。
名前を呼ばせて。
月明かりの下、君の眼があたしを見る。
それだけでいい。
それだけでいいから。
あたしの名前を呼んで。
君の名を呼ばせて。
未来を、あたしは望んだりはしないから。
蓮の視点で。
今まで、翔の視点ばっかりでしたが、今後、蓮の気持ちが大きく展開に関わってきます。
少しだけ、蓮の想いを形にしてみました。
この後の更新は多分ゆっくりめで…
過去話を二、三話先に更新するかも知れません。