(8)
「とりあえず、かんぱ~い!」
「乾杯って何にだよ」
思わず翔は突っ込んでしまう。
「無事にあの二人がくっついたことによ!」
かんぱ~い!!
もう一度大きく生ビールのジョッキを振り上げて、蓮が声を上げる。
二人してやってきたのは、もう、行きつけと言ってしまうのもおこがましいご近所さんでもある居酒屋「よしのや」。
何処かの牛丼屋と似たような名前だが、ただ単に店主の名前が「芳野」だっただけのシンプルな命名である。
「今日はごきげんだね~蓮ちゃん」
何かいい事でもあったかな~
カウンターの向こうから、にこにこと突き出しを出してくれるこの店の大将とは、蓮も翔も、もう十年来のお知り合い。
もともと酒屋の跡取りであったのに、料理好きが高じて自分の店を持ってしまったと言うここの大将は、昔を遡れば、蓮や翔、今は亡きじい様の惨状を見かねて差し入れを下さったご近所さんの一人でもあり、また、翔をここまでの料理人にした師匠でもある。
「大将、これ、新作?」
突き出しの牛蒡のきんぴらは具が少しいつもと違う。
「お、さすが、翔だね。牛肉と白滝、シイタケも入れてみたんだけど、どう?」
「うん。俺は好きだな。でも、これだと、突き出しって言うより、そのままおかずになりそうだね」
「それもそうか。結構、ボリュームが有るからな」
「なんで、そこで、料理の話で盛りあがんの~~!!」
男二人、女をほっておいて料理の話で盛り上がるのも変な話だが。
「わかった、わかった。蓮ちゃんの話しって奴を聞けばいいんだろ。で、なにがあったんだい?」
珍しいじゃないか、二人して来るなんて。
「そうなのよ。大将、聞いて~」
あのね~あのね~
グイッ!とビールを一息に煽って。
「由樹が、日名子ちゃんと付き合う様になったの!」
「ちょっと待て! まだ、付き合っちゃいないだろうが!」
「なによ、あの状況で由樹が手放す筈がないじゃない。そっこー付き合って、今年中に結婚式って事だってあり得なく無くないわ!」
「け、けっこんしき!?」
な、なんだ、その飛躍の仕方は!
「へぇ、由の奴がね~。ついに年貢を納めたって奴か」
「大将、知ってたんですか?」
「う~ん、まあね。―――― 見てれば、わかるから」
「―――― それって、もしかして、俺への当て付けですか?」
「ははは… 翔ってば、本当に気が付いてなかったんだ」
気が付くとかって言うよりも、
「本当に、由さんと中森ってお互いの事好きなのか?」
「…あんたって、まったく…」
その鈍さって、天然記念物ものよね。
はあ…
いかにもって感じでわざとらしく蓮が溜息を吐く。
「まあ、由樹ってばアノ性格だから、結構頑張って隠してたみたいだけど。日名子ちゃんはもうバレバレでしょ?ねぇ、大将?」
「そうだねぇ。もう小さい時から、あの子は由の事しか見てなかったからね」
にこにこにこ…
「子供のはしかかな?って心配なとこもあったけど、此処まで来たら、心変わりもないだろうしねぇ」
「ええ、そんなこと、ある筈がないでしょ」
大将と蓮。二人揃っての確信に満ちたお言葉に、改めて翔は心から納得する。
「そうだったんだ…」
確かに、日名子が由樹を慕っているのは翔にだって判ってはいたが。
「中森ってそんなに本気だったんだ」
「本気も本気、一回も目移りすらもしてないし。見てればわかるわよ。あの子ってば一途だもん。
日名子ちゃんてば、あの通り何処をとってもかわいらしいって外見でしょ? 結構、誘惑は有ったみたいなのに、ぜ~んぶ袖にして」
「…由さんの方はどうなんだ…?」
「由樹ねぇ…」
そーねー…
「由樹の場合は、一途って訳にはいかないかもしれないけどね」
くいっ…
何時の間にかビールのジョッキはその姿を消し、蓮の前にはガラスに入れた冷酒が氷の中に入って置かれている。
元酒屋だけあって、「よしのや」のお薦めはなんといってもその豊富で質の良い日本酒の種類に有る。それに目をやって、翔も大将お薦めの冷酒を一つ頼んでみる。
ぼつぼつと、他の客も入りだし、大将も翔たちばかりに構って居られなくなってから、蓮はポツリポツリとその口を開いていく。
「由樹って、あの通り、顔だって頭だって、かなりの上玉でしょ? 翔ほどじゃないにしろ、昔から、もててたわね、あいつは」
「そこで、俺を引き合いに出すな」
もてて嬉しかった事なんぞ、俺にはこれっぽっちもなかったぞ。
「翔ってば、そんなとこ堅物だもんね~」
彼女なんて紹介された事無いし。
「あんなにもててんのになんで? ―――― もしかして、おっそろしく理想が高いとか。言っとくけど、顔であんたに勝つのって、女でも難しいんだからね」
それ、自覚してる?
――――― お前が言うな、お前が…
一人しか見ない。一人しか見えてない。中森を一途と呼ぶのなら、この俺の気持ちも少しぐらい認めてくれ。
そう言ってしまえれば、どんなに楽かしれないが。
「ま、ともかく、由樹の話よね…」
くいっ…
酒を煽るその仕草さえ、艶めかしい…
俺ってば本当に腐ってる… どうして、こんな女に十何年…
「知ってるわよね、由樹は今年三十。もう、誤魔化しようがないくらい大人の部類よ。対して、日名子ちゃんは、まだ、十八。大学に入ったとはいえ、それこそまだ酒も飲めない未成年。由樹とは一回りも年が違う」
「でも、」
でも、好きなんだろ?
好きになったんだろ?
由さんが日名子の事を本当に好きになったんなら。
日名子の気持ちはわかる。
どうしたって、追いつけない。
八つ違いの俺ですら追い付けなくてこんなにこんなにもがくのに。
ましてや中森は十二―――― 一回りも年が違う。追い付けなくて、もがいてたんだろ、お前も。
「俺だったら、言うけどな」
蓮が年下だったら、俺は言ってる。
もっと早く、もっと簡単に。
「好きだって。由さん程の男なら、自信を持って言えるじゃないか」
その自信がなくて、俺はこんなにももがいているのに…
「…馬鹿ね…」
「…何が…」
「年上だから、言えないってこともあんのよ」
男でも、女でも。
視線を廻して見た蓮の顔は、何故か何処か辛そうで。
「蓮?」
「年齢ってね、あんたたちが思う以上に、あたしたちの方が気にしてんのよ」
「え?」
「…翔には、まだわかんないかな…」
わかんなくて、良いかもね。
うん、わかんなくて良いよ。
「翔、今、いくつだっけ?」
「二十になった…」
もう、大人だ。
「まだまだよ」
まだまだ。
「あたしから見たら、まだまだひよっこね~」
そう言ってやると、途端にむっとした顔になる翔に、蓮は思わず苦笑する。
「…もう、冒険は出来ないわ」
したくても、出来ない。
「蓮?」
「大人にはね、大人の責任が有るの」
「責任?」
「そう、責任―――― まあ、年上のプライドってのも有るわね~」
「プライド?」
「そう! 大体、考えても見なさいよ。由樹が、あの日名子ちゃんに玉砕する図って想像できる?」
「……」
「あの、由樹が、そんな事我慢できると思う?」
「……思わない」
「でしょう!」
だから、こうなっちゃった訳!
「今回だって、日名子ちゃんの、あのぶっちぎりの告白を聞いてなかったら、あんなにはっきり動いてなかったわね。まったく、だらしないったら…」
くいっ!
グラスの中の冷酒がまた蓮の唇に消えて行く。
それを見届けて、翔も、自分のグラスを傾けた。
喉を一瞬だけ焼いて通り過ぎる液体。
二十歳になって、やっと、覚える事を許されたその感覚は、まだ翔を心地よく酔わせてくれる事はない。
その横で、翔がまだ慣れない感覚を、心から楽しむ様に蓮はグラスを重ねて行く。
まただ…
こうして少しだけでも近付いた筈なのに、近付けば近付くほど、いつもいつも蓮との差を歴然と思い知らされる。
こうして翔がもがく様に、日名子が由樹の為にもがいたのなら。
そんな日名子を見ながら、由樹が一人悩んだなら…
―――― なに、思ってる?
何を考えてる。
そんな都合のいい話、早々転がってるわけ無いぞ。
「とりあえず、ヘタレを克服して、目出度くカップルになった、二人にかんぱ~い!」
蓮のグラスが翔に向かって掲げられる。
「…ヘタレって言うな! ヘタレって!」
カチン!
合わされたグラスは、それでも確かな時間が翔に、そして蓮にも、流れてきている証の様だった。
来て頂ける方が増えて、大変嬉しく思っています。
ここで、一度インターバル。次回の更新は少し視点が変わります。
(9)の更新はその後で。いよいよ本当に翔と蓮のお話になります。