東京instrumental
幼い頃の私は「東京」と聞くだけで鼓動が速くなっていた。
テレビの旅番組で放映されていた東京の街を録画して何度リピートしたことだろうか。スカイツリーには宇宙まで続くエレベーターが設置されると勘違いしていたくらい、東京の街は私にとって夢と理想を詰め込んだ宝石箱だった。
その憧れは高校生になって変わらなかった。大人になった私が東京の街で活躍する妄想をして一日を終えたこともあった。そんな東京に憧れている田舎娘が私、津島柚子である。
東京へ行けば田舎娘の私でも輝けるんじゃないか。憧れの向こう側にはハイヒールを高鳴らしながらビジネスウーマンとして働く私の姿が見えた。もう憧れだけではなく手を伸ばせば届くところまでいる。その理想とする津島柚子の背中を見つめながら上京した二十歳の冬。都内の小さな印刷会社に就職が決まって、田舎とのギャップに苦労しながらも東京色に染まりつつあった。
当時、憧れの地「東京」で働いていることに私は悦に浸っていた。田舎娘が東京に上京し、見知らぬ地で成功と挫折を経験しながら成長し、いつしかハッピーエンドをむかえられる。そんなヒューマンドラマの主役になった気分で、毎日が輝かしくみえた。
だけど所詮は夢物語だった。私は映画の主役になんてなれない。そう気付かされたのは二十一歳のときだった。溜まっていくのは疲労とお金と寂しさだけ。東京の暮らしに慣れても孤独には慣れなかった。
寂しさを埋めたくて、でもどうやって埋めたらいいか分からなくて、休日はスマホの動画ばかり見て時間を浪費していた。趣味も無ければ彼氏もいない。東京には友達もいない。右隣には新婚夫婦の仲睦まじい声が聴こえてくる。
憧れていた東京は冷たかった。歩きスマホをして他人と目を合わせない都会人はロボットのように感じた。
「そういう自分も仕事だけしているロボットみたい」
田舎が恋しくないと言えば嘘になる。だから休日には東京の郊外にある田畑の囲まれた田舎道を散歩するのが日課だった。そうやって足りないものを自分なりに埋めていた。その日は電車に揺られながら西武池袋線で池袋から飯能駅まで向かい、その駅で降りて、散歩をしているときだった。
「駄菓子屋かな」
住宅街から離れた畑道に古びた木造建物がポツンとあった。そこはバス停の停留所にもなっており、『駄菓子屋』と『タバコ』の文字が滲んでいる看板が掲げられている。入り口付近には昔懐かしいアイスが入った冷凍庫と青いベンチがある。まるでこの建物だけが昭和の時代に取り残されたみたいだった。
「これは空き家ってわけじゃないよね。営業しているのかな」
好奇心で駄菓子屋の扉を開けると、空き家ではなくしっかりと駄菓子が陳列していた。年季のある木棚には駄菓子がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。手書きの値札プレートが駄菓子屋の良い味を引き立てていた。このノスタルジックな店内に、地元の駄菓子屋を連想して郷愁に浸っていた。
「このぷくぷくタイってイチゴ味があるんだ。この三色チョコ三十円も値段が上がってる」
駄菓子だけではなく値段すらも私にとっては思い出深いものだ。お小遣いの小銭を数えて何を買おうか悩んでいた頃が懐かしい。端から端まで駄菓子を手に取ってその駄菓子との思い出に浸っていた。
「ほんとに懐かしいなぁ」
「あんた、そんなに駄菓子が好きなのか?」
「うわぁっ!」
時間を忘れて駄菓子を眺めていると、レジ横のパイプ椅子に若い男が座っていた。よく見ると店名入りの黄色いエプロンをしている。
「ごめん驚かせるつもりはなかったんだけど、全然気づかなかったから」
「私の方こそ変な声を上げてごめんなさい。あなたはここの店員さん? ずいぶん若そうだけど」
そう訊ねると、男は気怠そうにレジ裏にある襖を指さした。
「ばあちゃんの手伝い。腰わるくしているからこうやって大学の合間に手伝ってるわけ」
「偉いね」
「偉いねって褒めてもらえる年齢じゃないけれど、あんたこそ俺と歳が近そうだけどいくつ?」
「見た目からして君とは歳が近いかもね。だけど女性に年齢を聞くなんてデリカシーが――」
「あ、そういうのいいから。いくつ?」
「……21ですけど」
「あ、俺も!」
上京してから同じ年代の人に会ったのは初めてだった。人見知りの私だったが、年齢が近くて親近感がわいたからか、それとも心の寂しさを埋めたかったからなのか、腰を据えて彼と話をしていた。
「どこの大学通ってるの?」
「一応、社会人だよ」
「一応って何さ」
「何だろうね。東京に上京してきて社会人として働いている自分に自信が無いのかもしれない」
不満や愚痴、自慢話などお互いに聞いてもらいたい話を喋った。名も知らない初対面の相手だからこそ赤裸々に話すことができた。
「君はこの街を、東京をどう思う?」
私はパイプ椅子に座り、彼は地べたにあぐらを組んで座っている。
練り飴を割り箸に巻きつけてクルクル伸ばしている彼に、私はそんな話題を振った。
「なんだよその質問。東京に不満でもあるのか?」
「そういうわけじゃないけど、東京生まれで東京育ちのあなたに純粋に聞いてみただけ」
「そんな質問してくるってことは、おおかた憧れていた東京がイメージと違っていたとか?」
「……まあ」
彼は練り終えた飴をぱくりと頬張る。もごもごと舌を動かして味わっている。私の話なんて右から左に流して聞いちゃいないと思ったが、目線はちゃんと私に向いていた。私の言葉を待っているようだった。
「そうだね。恋をしていたみたいにずっと憧れていた東京は思ったよりも静かだった。なんだかinstrumentalを聴いてるみたい」
「いんすとるめんたる?」
「歌がなくて楽器の演奏のみで構成された音楽のこと。東京に行けば毎日が人気のJ-POP音楽で満たされているものだと思っていた。ミュージカルみたいに歌と音楽が満ちていて、踊りだしたくなるような毎日だと思ってた。でも違った。そこに歌なんて流れていなかった」
背もたれに体重をかけて木目調の天井を見上げる。自宅の白色の天井よりも落ち着くのは実家に近いものを感じるからだろうか。最近、地元や実家のことばかりを考えるようになっていた。どうして考えてしまうのか、答え合わせをしてしまえば今の自分を支えている芯を折れてしまいそうな気がした。
「いまいち何を言ってるのか理解らないが、歌が流れていないのなら歌えばいいじゃないか」
彼は練り飴をもう一袋開封し、割り箸にくっつけて練りはじめる。真剣に悩んでアドバイスをくれたわけじゃないだろうが彼の一言は私の核心に触れた。
「あんたの言うとおり田舎と比べたら東京は優しくないだろうな。でも東京にはたくさんのロマンが広がっている。そこら中に宝石の原石がちりばめられているわけだ。それを自分で探して磨いていくんだ。ただの石ころだろうが何度も拾い上げて宝石の原石を探すんだよ」
「社会に出たことのない若造が簡単に言ってくれる」
「でも待っているだけじゃ何も手に入らないでしょ。東京はそういう街だよ」
彼の言うことも一理あった。だから私は何も言い返すことはできなかった。
「そうかもしれない、そうかもしれないね。でも私には見つけられないよ」
「一個見つけたじゃん」
私は「?」と首をかしげた。すると彼は真剣な眼差しでキメ顔をしながらこう告げた。
「この駄菓子屋っていう宝石をな」
悪気があったわけじゃないが、彼の凛々しい顔と言動につい可笑しくなって笑ってしまった。久しぶりに大笑いをした気がした。
「あははっ、たしかに宝石だね。というより宝箱かな。店の中はこんなにも宝石であふれている」
「馬鹿にするなよ」
「してないよ。するもんか」
私はイスから立ち上がって体を伸ばした。時計を見るとすでに18時を過ぎていた。
「なんだか元気出てきたなー! 君のお陰だね、ありがとう」
「そりゃあよかった。そんじゃあそろそろ店じまいするかな。こんな時間まで付き合わせて悪かったな。お礼と言っちゃアレだが好きなもの買ってやるよ」
「駄菓子で?」
「当たり前だろ、大学生はいつだって金欠なんだよ。もういいや適当に選んでやるかな。ほらこれでも持ってけ」
「おととっ」
投げ渡されたのは五円玉のカタチをしたチョコだった。安価で美味しくいただける五円チョコ。もちろん値段も五円だ。
「これも何かの縁だ。そういう意味も込めて五円チョコだ」
「良いこと言ったつもりだろうけど、この中でもっとも安いもので済ませただけでしょ。なんとなく君の性格が分かってきた気がする」
「偏見だ」
ありがたく五円チョコをポケットにしまい店を出た。すでに陽は落ちていたが茜色の空は変わらず美しかった。
「暗いし途中まで送っていこうか?」
「ううん大丈夫。私、合気道は習得済みだから」
「そういう問題じゃないが、まあ分かった。気を付けてな」
小さく手を上げる彼に、私もさよならと手をあげた。東京女子なら「また来ていい?」と可愛く言えるのだろうが私にはその一言を口に出すことができなかった。ちょっぴり後悔を残しながら駄菓子屋に背を向ける。
すると彼は突然、「そういえば、ばあちゃんが言ってたんだ」と話し始めた。
「駄菓子屋はただお菓子を売ってるだけじゃなくて、その人の居場所を作ってあげているって。友達と遊ぶための口実だったり、嫁の目を盗んでタバコを嗜む場だったり。こんな場所でもあんたの心の拠り所になるならいつでも遊びに来な」
「君、モテるでしょ」
「はあ? 生まれてこの方、彼女なんてできたことないわ!」
「あははっ、また来るよ。だからその時もお相手よろしくね」
手をひらひらさせて暗闇に進んでいく。ずっと憧れていた東京は冷たかった。高層ビルが氷柱のようで私の心も凍ってしまっていた。だけどこの駄菓子屋と出会って、彼と出会って、その氷が溶け始めたような気がした。
「待っているだけじゃ手に入らない。自分で掴みに行く、か」
東京に暮らして満足していた頃の自分はもういない。
「いっちょ頑張ってみようかな、転職活動」
背中を押してくれた名も知らない駄菓子屋の店員さん。そんな彼に惹かれ、恋心を抱くようになったのはまだ少し先のお話。




