資料⑦:
「...この世で最高のものは金を超越している。その対価は苦しみであり汗であり献身だ。そして、この世でなによりも貴重なものを得るために必要な対価とは、命そのもの ーー 完璧な価値を得るための究極の犠牲だ」
デュボア元中佐 自由の戦士
老人インタビュー
資料番号:2084-ARC-OR0715-E8
資料名:口述記録アーカイブ『家族制度末期を生きた人々』第8番証言
収録日:2084年7月15日
収録場所:神奈川県横浜市・高齢者居住支援住宅
証言者:78歳男性
資料種別:歴史口述記録
映像は、白い壁の小さな部屋から始まっていた。
窓の外には、横浜の昔ながらの高層住宅群が見える。空は薄く曇っており、遠くに自動配送機の影がいくつか動いていた。
室内には、必要最低限の家具だけが置かれている。低いテーブル。背もたれの深い椅子。壁に埋め込まれた医療モニター。床には転倒検知用の柔らかいパネルが敷かれていた。
画面の左下には、白い文字で次のように表示されている。
口述記録アーカイブ
家族制度末期を生きた人々
第8番証言
その下に、証言者の情報が出る。
78歳男性 (2006年生まれ)
神奈川県横浜市在住
元地方公務員
男性は、椅子に深く腰かけていた。
痩せているが、目つきはまだ鋭い。髪はほとんど白く、頬には細かい皺が刻まれている。右手には、医療補助用の薄い手袋をつけていた。声はやや掠れていたが、話す速度は意外なほど速かった。
聞き手の顔は横顔しか見えないが、声はよく聞こえた。
「本日は、家族制度末期に関する口述記録として、お話を伺います。まず、今回成立した次世代権利保障基本法案、および出生児社会養育移行法案について、どう受け止めていますか」
男性は、少し鼻で笑った。
「長い名前だねえ」
そう言ってから、膝の上で指を組んだ。
「まあ、あんたらが言うところの、家族禁止法だろ」
「その呼称については、政府は適切ではないと説明しています」
「そりゃそうだろうよ。誰だって、自分たちがやってることに物騒な名前はつけたくない」
男性は、窓の方を一度見た。
「でも、まあ、名前はどうでもいいんだよ。家族を禁止する法律じゃありません。子供の権利を守る法律です。親を経済的負担から解放する法律です。そう言うんだろ。分かるよ。分かる。たぶん、そっちの方が正しい」
聞き手は、少し間を置いた。
「正しい、と思われるのですか」
「正しいんじゃないの」
男性は、他の証言者と違って、あっさりと言った。
「虐待は減るんだろ。貧困も減る。教育格差も減る。親の収入で子供の将来が決まるのも減る。発達の問題も早く見つかる。飯もちゃんと出る。変な親に殴られることも少ない。なら、子供にとってはいいんじゃないの」
「では、法案には賛成ということでしょうか」
男性は、そこで少し笑った。
「そういう聞き方をするから、あんたらは駄目なんだよ」
「といいますと」
「賛成か反対かで聞けば、何か分かった気になる。でも、こういう話は、そんな簡単じゃない」
男性は、手元の水を一口飲んだ。
「俺はね、この制度が間違っているとは言わない。たぶん、正しい。少なくとも、今までより子供の扱いは良くなる。今までの家庭ってやつは、当たり外れが大きすぎた。いい親に当たればいい。悪い親に当たれば地獄だ。金があれば教育を買える。金がなければ、親がどれだけ頑張っても限界がある。そんなもん、子供からしたらたまったもんじゃない」
聞き手は、短く頷いた。
「家庭環境の格差については、問題があったと」
「あったよ」
男性は即答した。
「俺が若いころから、ずっとあった。親の年収、学歴、住んでる地域、親が病んでるかどうか、夫婦仲、宗教、酒、借金、介護。子供は何も選べない。なのに、全部背負わされる。そりゃ不公平だよ」
男性は、そこで少しだけ表情を緩めた。
「だから、子供を社会で育てるって言われたら、理屈は分かる。むしろ、遅すぎたくらいかもしれない」
「では、何に違和感をお持ちなのでしょうか」
男性は、少し沈黙した。それから、ゆっくりと口を開いた。
「俺たちは、何でも国に流し込みすぎたんだよ」
聞き手は、すぐには反応しなかった。男性は続けた。
「貧乏になったら国。病気になったら国。年を取ったら国。働けなかったら国。孤独になったら国。親の介護ができなければ国。子供を預けられなければ国。教育についていけなければ国。飯が食えなければ国。家がなければ国」
彼は、指を一本ずつ折るようにして並べた。
「最初は、救済だった。そりゃそうだ。困ってる人間を助けるのは悪いことじゃない。俺だって助けられた側だよ」
「助けられた側、ですか」
「そうだよ」
男性は、少し不機嫌そうに言った。
「俺は年金をもらってる。医療も使ってる。この部屋だって高齢者居住支援だ。膝が悪くなってからは、介護補助も使ってる。薬代も相当補助されてる。俺みたいな爺さんが、国の世話になってないなんて言ったら嘘になる」
彼は、椅子の肘掛けを軽く叩いた。
「だから、俺は偉そうに言えない。俺も流した側だ。面倒なものを、国に流してきた側だよ」
聞き手が尋ねる。
「流した、というのは?」
男性は、少し口元を歪めた。
「だから、便器だよ」
沈黙が落ちた。聞き手の声が、少し慎重になった。
「便器、ですか」
「そう。国は便器になったんだ」
男性は、はっきりと言った。
「個人が処理できなくなったものを、全部受け止める便器だ。貧困、病気、老い、孤独、介護、失業、教育、子育て。みんな、自分の家では抱えきれない。自分の人生には入れたくない。臭いし、重いし、汚いし、時間を食う。だから、国に流す」
聞き手は黙っていた。
「もちろん、流さなきゃ死ぬ人もいた。流した方がいいものも沢山あった。貧困なんて個人で抱えるものじゃない。病気もそうだ。介護も、家族だけでやったら潰れる。子育ても、もう家庭だけでは無理だった」
男性は、そこで少し声を低くした。
「でもな。何でも流し込んでいるうちに、俺たちは、自分で何かを抱える力を失ったんだよ」
「抱える力、ですか」
「そう」
男性は頷いた。
「面倒な事を抱える力だ。貧困に立ち向かう力。年寄りの同じ話を聞く力。子供の泣き声に付き合う力。失敗した家族を見捨てない力。そういう、面倒で、効率が悪くて、何の評価にもならない力だよ」
彼は、少し笑った。
「今は、全部制度がやってくれる。制度の方が上手い。制度の方が安全。制度の方が公平。制度の方が優しい。そうだろう。たぶん、本当にそうなんだ」
窓の外を、小さな配送機が横切った。
「でも、制度が全部上手くやるなら、人間は何を抱えるんだろうな?」
聞き手は、すぐには質問しなかった。男性は、その沈黙を待たずに続けた。
「俺が若いころ、家族なんて面倒なもんだったよ。きれいなもんじゃない。親の介護で兄弟が揉める。金で揉める。結婚しろと言われる。子供はまだかと言われる。親戚づきあいは面倒だ。盆と正月は疲れる。親は子供に期待する。子供は親を恨む。夫婦はすれ違う。家の中で怒鳴り声がする。そんなの、いくらでもあった」
彼は、少し息を吐いた。
「だから、家族を美化する気はない。俺は、あんなものが全部素晴らしかったなんて言わない。嘘になるからな」
「それでも、失われるものがあるとお考えですか」
「あるだろうな」
男性は、短く答えた。
「ただ、それを説明する言葉がもう弱いんだよ」
「弱い?」
「弱い。だって、データで負けるから」
男性は、少し笑った。
「虐待率が下がります。貧困率が下がります。学力が上がります。精神疾患の早期発見率が上がります。親のキャリア断絶が減ります。出生率も戻りました。民間の高い養育サービスを買える家との格差を解消します。そう言われたら、反対する側は一体何を言えるってんだ?」
聞き手は言わなかった。
「『でも、家族が大事です』か。『親子の絆が大切です』か。『家には温かさがあります』か」
男性は、鼻で笑った。
「そんなもん、勝てるわけがない」
彼は、少しだけ声を荒げた。
「勝てるわけがないんだよ。だって、制度の方が正しいんだから」
その言葉は、怒りにも諦めにも聞こえた。
「正しいものには、なかなか勝てない。間違ったものなら、まだ戦いやすい。悪い独裁者とか、腐った役人とか、金儲けしか考えてない企業とか、そういうのなら分かりやすい。でも、最近は違う。子供を守ります。親を助けます。格差をなくします。制度を透明にします。監査します。本人の権利を守ります。そう言われたら、反対する方が悪人みたいになる」
男性は、手袋をつけた右手を見た。
「でも、その正しさで消えるものもある」
聞き手が、静かに尋ねた。
「それは、何でしょうか?」
男性は、しばらく答えなかった。壁の医療モニターが、小さく点滅していた。
「分からん」
彼は、ようやくそう言った。
「分からないんだよ。そこが厄介なんだ」
「分からない?」
「分からん。名前がない。いや、昔は名前があったのかもしれない。でも、今の言葉にすると、だいたい負ける」
男性は、指で空中に何かを書くような仕草をした。
「家庭と言えば、格差発生装置と言われる。母と言えば、旧時代的な情緒依存と言われる。父と言えば、家父長的支配と言われる。帰る場所と言えば、閉鎖的私的空間と言われる。親子の絆と言えば、親密支配と言われる」
彼は、そこで苦笑した。
「どれも、まあ、間違ってはいないんだよ」
聞き手は黙っていた。
「間違っていないから、困るんだ」
男性は、そう言った。
「家庭が格差を生んだのは本当だ。母親が子供を縛ったこともある。父親が支配したこともある。帰る場所が逃げられない檻だった人間もいる。親密さが暴力になったこともある。だから、そう言われると反論できない」
彼は、顔を少し上げた。
「でもな、それだけだったのかと言われると、違う気もする」
「違うんですか?」
「違う『気』がするだけだ」
男性は訂正した。
「確信はない。俺も年を取った。昔を良く見ているだけかもしれない。懐かしんでるだけ。自分が失っていくものに、勝手に意味をつけているだけかもしれない」
彼は、少しだけ笑った。
「でも、制度が全部正しくなった社会で、人間が昔より立派になるかというと、それも分からん」
聞き手が他の証言者に対しても聞いていた定番の質問を尋ねた。
「法案が成立した今、社会はどこへ向かうと思われますか」
男性は、窓の外を見た。
「うまくいくんじゃないの」
「うまくいく?」
「うまくいくよ。たぶん」
男性は、他の証言者と異なり、淡々と言った。
「ゆりかごセンターはちゃんとしてる。子供はきれいな部屋で寝る。栄養のあるご飯を食う。専門家が見る。AIが記録する。変な親に殴られない。貧乏で進学を諦めることも減る。女性が子供で仕事を辞めることも減る。男も、家族を養うために壊れることが減る。恋愛は自由になる。結婚に縛られなくなる。出生率も維持される。たぶん、今よりずっと合理的な社会になる」
「それは、よい社会ではありませんか?」
「良い社会だよ」
男性は即答した。
「だから、嫌なんだ」
聞き手は、困惑し、少し言葉に詰まった。男性は続けた。
「悪い社会なら、怒ればいい。間違った社会なら、直せばいい。でも、よい社会なんだよ。ちゃんと人を助ける。ちゃんと苦しみを減らす。ちゃんと子供を守る。ちゃんと数字も良くなる」
彼は、そこで声を落とした。
「そして、よい社会だからこそ、誰も止められない」
部屋の中に、空調の低い音だけが残った。
「では、あなたは、この制度を止めるべきだとは考えていないのですか?」
「思わない」
男性は、すぐに言った。
「止められないし、止めるべきとも言えない。俺には言えない。子供の貧困率が十何パーセントから一パーセントになると言われて、それでも家庭を守れなんて、俺は言えない。虐待が減ると言われて、それでも親子を一緒にいさせろなんて、俺は言えない」
「では、何を残したいのでしょうか」
男性は、少し困ったように笑った。
「そういう聞き方をされると、困るんだよ」
「なぜですか」
「残せるなら、制度がもう残してるだろ」
彼は言った。
「短期接触支援とか、記録閲覧とか、出生提供者相談とか、面会制度とか、そういう形でな。制度は賢いから、残せるものは残すんだよ。害が少ない形に加工して、記録して、管理して、必要な分だけ提供する」
彼は、少しだけ目を細めた。
「でも、残せないものもある。制度に入れた瞬間に、別物になるものがある」
「...たとえば?」
「さあな」
男性は、首を横に振った。
「それを言葉にできるなら、まだ負けてなかったかもしれない」
聞き手は、少し沈黙した。それから、別の質問をした。
「ご自身に、お子さんはいらっしゃいますか」
男性は、少し表情を変えた。
「いたよ」
「いた、ですか?」
「いる、かな」
男性は、言い直した。
「まあ、いる。二人」
「現在は?」
「一人は関西にいる。もう一人は海外だ。もう何年も会ってない」
「連絡は取られていますか」
「たまにな」
男性は、淡々と言った。
「別に仲が悪いわけじゃない。向こうは向こうで忙しい。こっちはこっちで、こうして施設に入っている。行政の見守りもあるし、医療もあるし、困ってない。子供が世話をする必要なんてない」
彼は少し笑った。
「いい時代だよ。本当に」
「寂しさはありますか」
男性は、少しだけ黙った。
「ある」
短い答えだった。
「でも、寂しいから子供に世話をしろとは言えない。そんなのは違う。子供には子供の人生がある。そう考えれば、今の制度は正しい」
彼は、また窓の外を見た。
「正しいことばっかりだ」
その言葉には、疲れが滲んでいた。聞き手が尋ねた。
「最後に、これからの社会に伝えたいことはありますか」
男性は、しばらく黙っていた。やがて、ゆっくりと話し始めた。
「国に面倒なことを流すな、とは言わない。流さないと死ぬものがある。流した方がいい苦しみもある。貧困、病気、虐待、介護、孤独。そういうものを個人や家族に押し返すのは、ただの残酷だ」
聞き手は頷いた。
「でも、流したものが消えたと思わない方がいい」
男性の声が、少し低く、暗くなった。
「便器に流したものは、どこかで処理されてる。誰かが管理してる。どこかの施設が、どこかの制度が、どこかの予算が、どこかの人間が、それを受け止めてる。見えなくなっただけだ。消えたわけじゃない」
彼は、膝の上で拳を握った。
「そして、あまりにも多くのものを流し続けると、最後には、自分たちが何を抱えられる人間だったのかも分からなくなる」
聞き手は、何も言わなかった。そして、男性は、こう言った。
「子供まで便器に流したんだ。これで、本当に楽になるだろうよ」
彼は笑った。その笑いは、皮肉にも、悲しみにも見えた。
「楽になったあと、自分たちが何者なのかだけ、忘れなきゃいいけどな」
最後に、男性は外を眺めながら小さく呟いた。
「...まあ、無理か」
その言葉のあと、記録は終了していた。
※本作は架空の未来社会を描いたフィクションです。作中の制度・思想・差別的表現・価値判断は、現実の特定の団体、人物、思想、政策を支持・批判するものではありません。
家族禁止法 #終?
読んだ感想を頂けると幸いです。それから誤字脱字も発見した場合、報告を頂けると幸いです。
感想や反響があれば、お蔵入りになった第三部がでます(多分)。




