梅雨末期
不意に携帯電話が鳴った
外は相変わらずの雨。
今年の梅雨はどうやら陽性みたいで、既に九州南部では相当の被害が出てい
る。浩二は陰鬱な窓の外を眺めながら電話を手に取った。
「ああ、オレオレ」
天気とは正反対の、底抜けに明るい声が浩二の耳に飛び込んできた。
南田だ。
一度話してしまえば、かつての旧友の前では、長いブランクもないに等しい。
「んでどうよ、来れそうか」
「その前に、今の切り出しは十中八九オレオレ詐欺だろうよ。今どき年寄りも
振り込まんぞ」
「前にちゃんと話したんだから、着信の時俺の名前が出てるだろうが」
出ていない。
表示されたのは11桁の数字のみ。ここにまたしても浩二は、不精を露呈す
るはめになった。
「すまん。登録忘れてたわ」
「まぁええけど。んで同窓会の方は?」
「この業界、土曜と祝日は平日みたいなもんやから。でも一応お前の言う通り、
出席の返信だけはしといた。これで行かれへんかったら幹事に迷惑かけるやろ
けどな」
「まぁそん時はそん時や。俺が言うのもなんやけど、この久しぶりの同窓会を
企画した時点で、やつらも相当の苦労は覚悟してるやろ」
確かに高校生の時とは違い、恐らく同級生は千差万別の条件下で、その日の
生活を営んでいるに違いない。
浩二のように、仕事の面や会場までの距離は問題に値しないが、胸に深く沈
むわだかまりがどうしても二の足を踏ませる者。
懐かしい友人に会いたくても、仕事の立場上、どうしても時間の都合はつか
ない者。
逆に、時間の都合はつくが、遠方からの運賃と、当日の会費が切実な問題で
ある者。
そして時間も経済的な問題もないが、元々同窓会そのものに全く興味がない
者。
それを思うと、二十数年前の出来事を未だ心の闇に沈め、度重なるかつての
級友からの電話にも、うわべを取り繕ったやり取りしか出来ない自分に強い嫌
悪感を抱くとともに、それでも尚且つ、何故か晴れて出席を表明できない、掴
みどころのない苛立ちを浩二は感じていた。
「実は俺もな、阪やんが来んと一人だけ浮く可能性があるからな。せっかく卒
業以来の同窓会やのに、ポツンと一人ってのは勘弁して欲しいしな」
なんだ、こいつも俺と同じクチか。
少しだけ心が軽くなったのもつかの間、浩二はその浮揚しかけた気持ちを自
ら戒めた。
俺はもう一つの大きな惑いを抱えている。しかもそれは、長い間心の奥深く
閉じ込められていた魔物を、期せずしてたった一枚のハガキが、ものの見事に
パンドラの箱を開けてしまったようなもので、今の自分には鎮める手だては全
く思いつかない。
「この次はないかも知れんから、出来るんなら少々無理をしても出てこいや」
浩二の掴みどころのない思いとは裏腹に、南田は明るく告げると電話を切っ
た。
雨は降り続いていた。
不思議なもので、自分の鬱々とした心を、余すことなく表現したようなこの
雨空は、不思議と浩二を落ち着かせた。一定のリズムを刻む雨だれも、近くを
通るダンプカーがはね上げる水しぶきの音も、何故か浩二には心地よかった。
自分の気持ちを嘲笑するかのような、抜けるような青空はまっぴらだ。
出来る事ならこの雨が、自分の行き場のない苛立ちや陰鬱な気持ちを、全て
洗い流してくれないだろうかと、浩二は心の底で願っていた。