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梅雨明けの頃  作者:
4/8

入梅

 不意に携帯が鳴った。


 ディスプレーには見慣れない11桁の文字が羅列されている。とは言っても


不精な浩二の事、余程頻繁にやり取りする相手や、仕事関係以外は登録してい


ないので、このような事は決して珍しくない。


 用心深い浩二の妻などは、非通知は言うに及ばず、登録をしていない番号で


の着信は出ないようにしている。「重要な用事があれば、留守電に録音するで


しょ」というのが彼女の言い分なのだが、浩二の場合は半数以上が登録されて


いない相手からの着信なので、そんな事をしていた日には、たちまちお客さん


や業者からの苦情が殺到するのは火を見るより明らかなのである。今は仕事を


終えて部屋の中でくつろいでいる時間ではあったが、これとて日頃のスタンス


の例外ではない。


「もしもし」


「もしもし」恐ろしく慎重な相手の声。「私、高校の時にお世話になりました


南田といいます。覚えてますか」


 後から冷静に考えると、余りにも滑稽な話だが、この時まず頭に浮かんだの


は、選挙前には恒例になった某政党候補者への投票依頼ではないかということ。


確かに今年の夏には参議院選挙が予定されているが、まだ公示日の前である事


を考えると、少々というより、相当なフライングであることは否めない。しか


しとにもかくにも、相手の第一声を聞いて、瞬時に浩二の頭の中を駆け巡った


のは以上のような事だった。


「あの・・・二組で一緒だった・・・」


 『二組』という具体的な名前が出てきた事で、『選挙関連』という第一印象


をようやく追いだした浩二の頭が、少しずつ具体的な像を結び始める。


 ―― ああ、同窓会か ――


 長い時を超え、同窓会の案内と久しぶりの電話。その二つが密接に関連する


であろう事は容易に想像がつく。


 母から実家に届いた案内状を転勤先に郵送してもらったのが10日ほど前。


出欠を返送する期限までにはまだ間があったので、ハガキは机の上に置きっ


放しになっている。


「久しぶり」と、これは浩二。


「久しぶり。元気にしてた?」お互い恐る恐る。


「まぁおかげ様で」


「阪下の家に電話して、お母さんに携帯の番号教えてもらったよ。実家の番号


しか分らんかったから」


 クラスが同じだった以上に、高校在学中に彼と会話をした回数は極めて多い。


しかしその時の、男性としては少し高めの、そしてなにより物おじしない勢い


のある声は、今の携帯電話を通じては、少しも感じられなかった。


 人は離れている時間でも、成熟したり年老いたりする。そんな当たり前の事


が、頭では分かっていても、浩二の中にある南田の声は、卒業式の日の別れ際


に交わした時のまま生き続けているのである。


「所在地がころころ変わる仕事をしてるんで、転居の通知は出してないから」


 確かに結婚を機に実家を離れた際には、仕事がら夫婦揃って短期間での転居


を繰り返す生活を覚悟していたものの、実際には1年を超える長いスパンでの


転勤はなかなかなく、結局その度に浩二は単身赴任での不自由な生活を強いら


れている。


「で、今はどこいんの?」


「久留米」


「久留米って、九州の?」


 福岡県に本拠地を置く会社に勤務する浩二にとって久留米は、日頃から聞き


慣れた街であるのだが、関西人にしてみれば、かつて大物アイドルがとれた九


州の地方都市くらいのイメージなのだろう。


「そう、福岡。佐賀との県境やけど」


「それは大変やな。こっち帰ってくる予定はあるんか」


 『帰ってくる予定』・・・今の仕事が終わって、出身地である関西に帰る事


を言っているのか、それとも同窓会に合わせて一時帰阪する事を言っているの


か。


「まだ先の事は分らんなぁ」


 コンマ何秒かの逡巡の後、結局浩二は至極無難な、そしてどちらともとれる


言葉を返した。


「じゃあ連絡は行ってると思うけど、同窓会はどうする。参加できそうか。実


はあまりに久々なもんで、欠席が多いというより、居所が掴めずに返信される


案内状がすごく多いらしい。んでな、少しでも連絡先が分かる奴には、一本釣


りで参加を呼びかけようという事になって、俺んとこにも幹事から協力依頼が


来たんよ」


 電話がかかってきた直後の堅苦しい言葉遣いはそこにはなく、打ち解けた地


元の言葉で話す南田の声が耳に心地よかった。


「悪いけど欠席やなぁ。今遠方やし、その日は休みが取れるかどうか分らん」


 後ろめたさはあった。


 久留米からなら、在来線と飛行機を乗り継げば、4時間で十分帰阪できる。


仕事についても、この年齢になれば、誰にはばかる事なく、休みを取る事は十


分に可能だ。しかし長い時間を経た今となっても、「あの」出来事は、浩二の


心の中に、深く重く澱の如く棲み続けていた。


「ならさぁ、取りあえず出席で葉書出して、ダメって確定した時点で幹事まで


連絡したらええよ」


「そんなことしたら、段取りしてる連中に迷惑かかるやろ」


「ええよええよ。今分らんから返信せえへんかったり、欠席で出したりしたら、


土壇場で仕事の都合がついても出て来られへんやろ」


「まぁそうやけど、ホンマそれでええんか」


「幹事連中もその方が喜ぶと思うで。その代りどうしてもダメって分った時点


で必ず連絡してやってくれ」


「分った。それで高島と校倉はどうなってる」


 浩二は高校三年の一年間、南田祐樹に加えて、高島裕、校倉諒と四六時中つ


るんでいた記憶がある。運動部と文化部、そして帰宅部と何の繋がりもない四


人が何故そうなったのかは思い出せない。しかし、定期試験の時など、直前ま


で何の準備もしていなかった浩二に、放課後の誰もいなくなった教室で、残り


の三人が付焼刃のレクチャーをしてくれたものだ。


 そういえば学校から一番近いターミナル駅の地下にあった成人映画に初めて


入ったのもこの四人だった。この有様を誰かがふと漏らし、それが風に乗って


クラスの女子にまで知れ渡ってしまうという顛末まで付いた。今にしても、彼


ら三人と過ごした日々は、自分の高校生活の縮図であると同時に、非常に濃密


な時間であった。


「その二人は今んとこ所在不明やな」


「そうか、考えたらもう27年も経ってるもんな。同じとこに住んでる方が珍


しいかも知れんよなぁ」


「まぁあいつらも、同窓生の誰とも音信不通って訳やないやろから、こんな風


に連絡がつく可能性はあるけどな」


 その後浩二は、南田祐樹と取りとめない思い出話をひとしきりした後に電話


を切った。もし今回の同窓会に出席しなければ、また再び十数年も、いやもし


かしたらもう二度と、旧友達とは言葉を交える事はないかも知れないというあ


る種の寂寥感とともに。


 実は浩二が就職をして間もない頃、高島裕に連絡を取ろうとした事があった。


しかし高校の時の名簿に電話をしても繋がらず、連絡を取りたい旨のハガキを


も、転居先不明で返送されてきた。あれだけの時間を共にした自分に何一つ告


げず、連絡が途絶えてしまった一件を、かつて同じ大学に通っていた友達に話


してみると、思いがけない答えが返ってきた。


 ―― お前にとってはそいつと過ごした時間が、今でも人生の中で貴重な思


い出かも知らんけど、相手にとってはそうでなかったかもな。若しくはもっと


大事なものが出来たんかも知れん ――


 人それぞれに時間は経過してゆく。しかし時間の経過を感じる事が出来るの


は、自分自身以外にない。そして「あの頃」の思い出は、その時間を共有した


全員の心に永遠に輝き続けるものだと信じて疑わなかった浩二にとって、その


言葉は深く心に響いた。


 いや、信じていたのではない。そう信じていたかっただけなのかも知れない。


そうしていつまでも「あの頃」を後生大事に自分の心に忍ばせて、これからも


生きていこうとしていただけかも知れない。



 気が付くと微かに雨だれの音がしている。


 例年よりも少し遅れた梅雨の到来だ。


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