あの頃(1)
絢爛たる桜の花が咲き誇る中を、更にそれよりも誇らしげに、そして少し恥
ずかしげに高校の正門をくぐってくる新入生とその保護者達。毎年この時期に
繰り返される入学式の風景が、数ある高校生活のどのシーンよりも僕は好きだ
った。そしてこの時ほど、入学式と自分の住む地方の桜の開花時期が重なって
いる現実に感謝する事はなかった。
しかし自分を省みると、どうしても自身の入学式の記憶がない。恐らくはう
ららかな春の陽に迎えられながら、式場である体育館への道のりを、少し緊張
気味の自分が歩を進めていた事は想像に難くないのだが。
人生をジグソーパズルに例えるなら、儚いまでの瑞々しさと、今にも折れそ
うな頼りなさの中で過ごす三年間が如何に重要なピースになるかを、悲しいか
なその時を一心に過ごしていた自分たちには爪の先ほども理解していなかった。
そして今、人生も半ばを過ぎようとする頃、ほとんど埋まってしまったパズル
の中に、「あの頃」間違ってはめ込んでしまったピースを見つけて苦笑いをし
ている自分がいる。しかしその頃の澄みきった双眸は、きっと純粋に未来を見
つめていたに違いない。例えそれが蟷螂の斧よろしく、大いなる無謀であって
も、世間知らずであっても。
もしかしたらその視線が決して正鵠を射るはずがないという、厳然たる事実
を少しずつ知ることが、そしてそれまでの夢想と決別し、自分の歩むべき道程
をきっちりと見据える事こそが、本当の少年からの旅立ちかもしれない。
夢を見ていた季節は遙かに流れ去り、大人の社会という化け物に苦もなく籠
絡されていく自分を強く自覚する今となっても、「あの頃」の残像はやはり強
烈で、痛いくらいの切なさや懐かしさは、もう二度と戻る事が許されない人生
の道標として、今も心の決して少ないくない部分を占めている。