第五章 同時に刻まれたもの
石の床は、ひどく冷たかった。
神殿の回廊を進みながら、
レインはその感触を靴越しに感じていた。
磨かれすぎた白い石は、足音をやけに大きく反響させる。
(……静かすぎる)
王都エリオス。
人で溢れているはずの都の中心にある神殿は、
外の喧騒を切り離した別世界のようだった。
案内役の神殿の者は、振り返らない。
ただ、決められた道を淡々と進んでいく。
やがて、広い扉の前で足が止まった。
「ここで待っていてください」
短く告げられ、扉は閉じられる。
一人になった空間。
高い天井と、淡い灯り。
息を吸うたび、胸の奥がひりつく。
レインは、無意識に右手の甲を見た。
消えない紋章。
それが、自分をここへ連れてきた。
(……同じ“器”が、いる)
神殿で交わされた言葉が、頭をよぎる。
確証はない。
名前も、姿も知らない。
それでも、
なぜか確信めいたものがあった。
——自分だけじゃない。
そのとき。
反対側の扉が、静かに開いた。
足音が、ひとつ。
レインは顔を上げる。
そこに立っていたのは、
同じくらいの年頃の少女だった。
長い髪。
少しだけ強張った表情。
けれど、その目には、はっきりとした意志が宿っている。
一瞬、
時間が止まったように感じた。
視線が交わる。
言葉はない。
なのに、不思議と分かった。
(……この人だ)
少女もまた、レインを見つめていた。
胸の奥が、同時にざわめく。
理由の分からない共鳴。
神殿の静寂の中で、
二人はただ、向かい合っていた。
まだ名も知らないまま。
けれど確かに、
同じ運命の線上に立っていることだけは、
疑いようもなかった。
それでも、
一人じゃないという事実が、
確かにそこにあった。
沈黙を破ったのは、
天井の奥で鳴った、低い鐘の音だった。
重く、ゆっくりと。
神殿の奥へと染み渡るような響き。
それを合図に、
二人の間に、足音が重なる。
白い装束の神殿の者が現れ、
淡々と、しかし逃げ道のない声で告げた。
「確認は取れました」
「あなた方は、“同時刻”に反応を示した存在です」
同時刻——。
その言葉に、レインの眉がわずかに動く。
少女も、同じように息を詰めたのが分かった。
「別々の場所で」
「別々の人生を歩みながら」
「それでも、同じ瞬間に“刻まれた”」
神殿の者は、二人を交互に見つめる。
「アルトマギヤは、本来ひとつ」
「しかし今回は、例外が起きた」
例外。
その言葉が、静かに胸に沈む。
「二つに分かれたのではありません」
「“重なった”のです」
理解しきれない理屈。
だが、不思議と否定する気にはならなかった。
胸の奥で感じている、この違和感。
それこそが、答えなのだと示されている気がした。
少女が、そっと口を開く。
「……あなたも」
「分からないまま、ここに来たんですか」
その声は、少し震えていた。
だが、逃げる響きではない。
レインは、短く頷く。
「同じだ」
「理由は聞かされてない」
一拍の間。
それから、少女は小さく息を吸い、
名乗った。
「私は、アイル」
「アイル・ルナリア。よろしく」
その名を聞いた瞬間、
レインの胸の奥で、何かが静かに噛み合う。
「レイン・ソレイル、よろしくね」
それだけで、十分だった。
神殿の者は、二人のやり取りを遮らず、
少しだけ距離を取る。
「これから、長い時間を共にします」
「力はすぐには応えない」
「理解も、制御も、段階が必要です」
そして、最後にこう告げた。
「この力が向けられる先は、ひとつ」
遠い昔に、神の座から落とされた存在。
世界に魔を残し、世界を襲う災厄。
——反逆の神。
その名は、まだ詳しく語られなかった。
だが、二人の胸に刻まれるには十分だった。
レインとアイルは、
もう一度、互いを見る。
不安もある。
恐怖もある。
それでも。
交差した運命は、
もう、ほどけない。
アルトマギヤは、
彼らの意思を待つように、
静かに眠っていた。┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
それから、数日が過ぎた。
神殿での生活は、奇妙なほど整っていた。
部屋は清潔で、食事は栄養を計算されたもの。
だが、自由はない。
行動はすべて管理され、
移動のたびに、必ず誰かの視線がある。
「保護」と呼ぶには、
あまりにも閉じられていた。
そして、その朝。
二人は、神殿の中庭へと呼び出された。
円形に切り取られた空間。
白い石床には、古い紋様が刻まれている。
装飾ではない。
術式に近い、意味を持つ線だ。
神殿の者たちが、等間隔に立っていた。
その数は多い。
——警戒されている。
レインは、そう理解した。
一人の神官が、前へ出る。
「今日から、訓練を開始する」
淡々とした口調。
だが、その目は鋭かった。
そこへ、もう一人の男が進み出た。
体格は大きく、年齢は壮年。
神殿の装束を纏ってはいるが、
その立ち姿は、僧というより戦士に近い。
ドラン「俺はドランだ」
ドラン「今日から、お前たち二人の訓練を任されている」
短い名乗り。
だが、その一言で、
この場の空気がわずかに引き締まった。
「アルトマギヤは、
力そのものではない」
言葉を区切り、
二人を見据える。
「それは“器”だ」
「意思を宿し、増幅し、現実へと変換する媒介」
アイルは、無意識に右手を握りしめた。
「だからこそ、危険でもある」
神官は続ける。
「未熟な状態で力を引き出せば、
暴走するのは、力ではなく——使い手だ」
空気が、重く沈んだ。
「我々が確認したいのは一つだけだ」
神官は、ゆっくりと言った。
「君たちが、
力を“使う者”なのか」
「それとも——
力に“使われる者”なのか」
沈黙。
風が、中庭を抜けていく。
「本日は、力の解放は行わない」
「武器も、術式も与えない」
その言葉に、アイルが小さく瞬いた。
「行うのは、基礎だ」
呼吸。
姿勢。
意識の向け方。
「自分の内側にある“違和感”を、
正確に感じ取る訓練だ」
レインは、静かに目を閉じた。
夜に覚醒したあの感覚。
朝の訓練中に感じた、水の揺らぎ。
——確かに、そこにある。
一方、アイルは、
森で刻み込まれた熱を思い出していた。
怖さと同時に、
不思議な“馴染み”を伴った感覚。
ドラン「始め」
その合図と同時に、
中庭の空気が、わずかに震えた。
誰も動いていない。
だが確かに、
二人の周囲で“何か”が反応している。
右手の甲が、微かに熱を帯びる。
アルトマギヤは、
まだ眠っている。
けれど確かに——
意思を、測っていた。
神殿の者たちは、
その変化を、無言で記録していた。
だが、ドランだけは違った。
腕を組み、
二人の呼吸と視線の揺れを、
鋭く観察している。
ドラン「力を探すな」
ドラン「“ある”と認識した瞬間に、掴もうとするな」
低い声が、中庭に落ちる。
ドラン「今はまだ、触れるな」
ドラン「感じるだけでいい」
アイルの眉が、わずかに動いた。
(……触れない)
それは、森で刻まれたあの感覚と、
真逆の教えだった。
熱は、確かに右手の奥で脈打っている。
呼びかけるように。
引き出せ、と囁くように。
けれど。
——今は、耐える。
アイルは、歯を食いしばり、
意識を“中心”へと戻した。
一方、レインは、
自分の内側を静かに観察していた。
水面のような感覚。
揺れれば、すぐに形を変える。
力は流れだ。
掴めば、零れる。
(……止めない)
ただ、流れていることを認める。
その瞬間。
中庭の空気が、
わずかに歪んだ。
誰の力でもない。
だが、二人の“在り方”が、
周囲に影響を与えている。
神殿の者の一人が、
小さく息を呑む。
記録用の術式が、
淡く光った。
ドランは、その変化を見逃さなかった。
ドラン「……なるほどな」
小さく、だが確かな手応え。
ドラン「今日は、ここまでだ」
その言葉に、
緊張が一気に解ける。
アイルは、思わず息を吐いた。
レインも、静かに目を開く。
疲労はない。
だが、深く潜った後のような、
奇妙な重さが体に残っていた。
ドラン「覚えておけ」
二人を見下ろし、
低く告げる。
ドラン「アルトマギヤは、応えが早い」
ドラン「だが、“答え”を出すのは、お前たちだ」
それは訓示であり、
警告でもあった。
この力は、
急げば壊れる。
焦れば、呑まれる。
神殿の鐘が、遠くで鳴る。
訓練初日。
まだ何も始まっていないようでいて——
確かに、
歯車は回り始めていた。
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