第一章:幼い日々
ヴァルト大陸。
ソレイユ家の家には、夕暮れになると決まって柔らかな灯りがともった。
まだ幼い少女――レイン・ソレイユは、
母の膝に頭を預けながら、暖炉の火をじっと見つめていた。
レイン「ねえ、お母さん」
ルナ「なあに?」
レイン「お母さんとお父さんって、昔すごい冒険者だったんでしょ?」
その問いに、ルナは一瞬だけ目を細める。
懐かしむように、少しだけ遠い場所を見る視線だった。
ルナ「……ええ、そうね」
ルナはレインの白い髪をそっと撫でる。
ルナ「昔、私たちは《オロチ》っていう勇者パーティーにいたの」
レイン「オロチ……?」
ルナ「うん。五人組のパーティーだったわ」
◇
ルナ「まずね、私」
ルナ「私は弓使い。後ろから味方を守りながら戦ってたの」
レイン「お母さん、弓なんだ!」
ルナ「ええ。遠くを見るのは得意だったから」
ルナは少し照れたように笑う。
ルナ「それから――」
ルナ「リーダーは、レルネン。あなたのお父さん」
部屋の奥で剣の手入れをしていたレルネンが、苦笑しながら振り向く。
レルネン「やめろよ、恥ずかしいだろ」
レイン「お父さんがリーダーだったの?」
レルネン「ああ。前に立って、みんなを引っ張る役だった」
ルナ「剣士としても、一番頼りになったわ」
◇
ルナ「それからね、ヒーラーのウィル」
レイン「ひーらー?」
ルナ「回復役よ。誰かが傷つくたびに、文句を言いながら治してくれたわ」
レイン「やさしい人?」
ルナ「口は悪かったけど、誰よりも仲間思いだった」
◇
ルナ「タンクは、ザンク」
レイン「たんく?」
ルナ「一番前で敵の攻撃を受け止める役」
ルナ「大きな盾を持っててね、絶対に下がらなかった」
レイン「すごい……」
ルナ「ええ。本当に、頼れる人だったわ」
◇
ルナ「最後が、魔法使いのヴィネット」
レイン「まほうつかい……!」
ルナ「色んな魔法を使えたの。強くて、頭も良くて……」
ルナ「……ちょっと変わり者だったけど」
レイン「へへ……」
◇
レイン「……ねえ、お母さん」
ルナ「なあに?」
レイン「オロチって、こわい冒険ばっかりだった?」
ルナは少し考えてから、ゆっくりと答えた。
ルナ「……危険なことも、あったわ」
ルナ「でもね」
ルナはレインの頭をそっと撫でる。
ルナ「五人で一緒だったから、乗り越えられたの」
レイン「……うん」
暖炉の火が、静かに揺れていた。 ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ ある日の昼下がり。
ソレイユ家の居間では、暖炉にくべられた火が静かに燃えていた。
レインはその前に座り込み、
揺れる炎をじっと見つめていた。
レイン「……ねえ、お母さん」
ルナ「どうしたの?」
レイン「どうして, 火ってあったかいの?」
ルナは暖炉の火を見つめながら、ゆっくりと口を開く。
ルナ「火はね、自分の中にある力を外に出してるの」
レイン「中にある力……?」
ルナ「ええ。燃えている間、ずっと外に流し続けてる」
ルナは手を暖炉にかざす。
ルナ「その力が外に出て、周りを温めてるの」
レイン「……だから、あったかいんだ」
ルナは小さく頷いた。
ルナ「魔法も、同じよ」
レイン「……まほう?」
レイン「魔法って、なに?」
ルナは少し驚いたように瞬きをしてから、微笑んだ。
ルナ「魔法はね」
ルナは、レインの胸のあたりにそっと手を伸ばす。
ルナ「自分の中にある魔力を、外に出して使うこと」
ルナ「生きているものすべてに宿っている力よ」レイン「……まりょく?」
ルナは小さく頷いた。
レイン「じゃあ……みんな、使えるの?」
ルナ「使い方さえ分かれば、誰でも使えるわ」
ルナ「でもね、その“使い方”には段階があるの」
レイン「だんかい?」
ルナ「ええ」
ルナは、暖炉の火を指さした。
ルナ「小さな火をつけるくらいなら、少ない力でもできる」
ルナ「でも、大きな火を長く燃やそうとすると、たくさんの力が必要でしょう?」
レイン「……うん」
ルナ「魔法も同じよ」
ルナ「簡単な魔法を、私たちは初級魔法って呼ぶの」
レイン「しょきゅう……」
ルナ「それより難しいものが中級」
ルナ「さらに上が、上級魔法」
レインは、指を折りながら考えている。
レイン「じゃあ……」
レイン「むずかしくなるほど、つかう力もふえる?」
ルナ「その通り」
ルナは、少し嬉しそうに微笑んだ。
ルナ「多くの人はね、初級魔法を二回か三回使うのが限界なの」
レイン「そんなに……」
ルナ「ええ。だから、魔法を使わない人も多いわ」
ルナ「使えたとしても、すぐ疲れてしまうから」
レイン「……」
レイン「じゃあ、いっぱい使える人は?」
ルナは、少しだけ間を置いてから答えた。
ルナ「魔力が多い人ね」
ルナ「そういう人は、中級や上級まで扱える」
ルナ「しかも、使える回数も、ずっと多くなる」
レイン「すごい……」
ルナ「でも、とても珍しいの」
ルナ「二十万人に一人、いるかどうか……それくらい」
レインは、自分の手をじっと見つめた。
レイン「……わたしにも、あるのかな」
ルナ「もちろん」 ルナは少し間を置いて、やわらかく微笑んだ。
ルナ「……やってみる?」
レイン「え……」
レイン「まほう、つかうの?」
ルナ「いいえ」
ルナ「今日は、感じるだけ」
ルナは暖炉の前に座り直し、レインにも向かいに座るよう促す。
ルナ「目を閉じて」
レインは言われた通り、ゆっくりと目を閉じた。
ルナ「深く息を吸って……吐いて」
ルナ「体の中に、何かが流れているって思ってみて」
レイン「……ながれてる?」
ルナ「ええ」
ルナ「温かいところでも、冷たいところでもいい」
ルナ「いつもと違う感覚を、探すだけ」
しばらくの間、言葉はなかった。
暖炉の火が、ぱちりと小さく音を立てる。
レイン「……」
レイン「なんか……」
レインは、眉をひそめる。
レイン「むねのへんが……」
レイン「ちょっと、あったかい気がする」
ルナは、驚きを悟られないように微笑んだ。
ルナ「そう、そんな感じでいいのよ」
ルナ「無理に探さなくていいわ」
そう言いながら、ルナはそっと息を整えた。
――胸のあたり。
魔力を感じ始めたばかりの子が、そこを意識することは少ない。
多くは手や指先、あるいは何も分からずに終わる。
それなのに。
ルナは、母親としての穏やかな表情を崩さないまま、
内側で静かに思考を巡らせていた。
才能の兆しかもしれない。
けれど、ただの偶然かもしれない。
この世界には、そういうこともある。
今ここで結論を出す必要はない。
焦る理由も、急ぐ理由も。
ルナは、そう自分に言い聞かせるように、
そっとレインの頭に手を置いた。
ルナ「今日はここまでね」
レイン「……もう、おわり?」
ルナ「ええ」
ルナ「初めてにしては、十分よ」
レインは少し名残惜しそうにしながらも、小さく頷いた。
その様子を見て、ルナは静かに思う。
――もし、これが偶然なら。
それでいい。
――もし、そうでないなら。
その時に、向き合えばいい。┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ その夜、レインは布団の中で静かに目を閉じていた。
昼間の出来事が、まだ胸の奥に残っている。
あの、少しだけ温かかった感覚。
それが何なのか、まだうまく言葉にはできなかった。
考えようとすると、眠気が先にやってくる。
レイン「……」
小さく寝返りを打ち、
レインはそのまま、深い眠りへと落ちていった。
家の中は静まり返り、
聞こえるのは、かすかな風の音だけ。
まだ誰も知らない。
この穏やかな夜と同じ時刻――
世界の別の場所で、運命が動き始めていたことを。
――王都。
ヴァルト大陸の中央に位置するその都では、
白い石で築かれた神殿が、夜の闇の中に静かに佇んでいた。
神々に祈りを捧げ、
神託と予言を記録する場所。
その最奥、外界から隔てられた静寂の間で、
一人の男が膝をついている。
神殿所属の予言者、イーゼン・カイロス。
閉じられた瞼の奥で、
彼は“視て”いた。
イーゼン「……来る」
低く落ち着いた声が、石の床に響く。
イーゼン「千年に一度の厄災が……再び、目を覚ます」
控えていた神官たちの空気が、わずかに張り詰める。
イーゼン「そして――」
イーゼンは、ゆっくりと言葉を続けた。
イーゼン「厄災に抗う力を宿す器が、すでに現れている」
イーゼン「一つは、ヴァルト大陸の外れ」
イーゼン「名も知られぬ集落に生まれた、幼い光」
それは、今まさに眠る少女を指していた。
イーゼン「もう一つは、王都の近く」
イーゼン「鋭く、強く、未だ形を持たぬ光」
イーゼン「刃のような心を抱えた、金色の兆し」
名は告げられない。
だが、確かに二つの存在が示されていた。
イーゼン「二つの光はいずれ交わる」
イーゼン「その時、世界は選択を迫られる」
神殿の奥で、低く鐘の音が鳴り響く。
眠る少女は、まだ知らない。
これは、
勇者と呼ばれる以前の少女たちの物語の始まりである。




