エッセイ 死との境界線が離れるということは何も良いことだけではない
これは個人的な話であり
なんらかの正当性や論理性を求めていません。
ただ日々堕落的な生活を送る中で
個人的に思い考えたことを言葉にしたものになります
私が今から書くことは自殺に関連しております。
前書きに書いておけと思う方もいらっしゃるかもしれませんが まぁ、こんな文をたらたらと書ける脳みそにはそれが出てこないのです。
自殺とは主に4種類に分けられるととある方が仰っていました。そのとある方というのは
「自殺論」という狂気的に目を引くタイトルの本を出したデゥルケームという人物です。
彼は自殺を多角的な観点から考え本にしました。
その本では先程言ったように自殺が4種類に分けられています。アノミー的自殺 宿命的自殺
集団本意的自殺 自己本位的自殺です。
今回私が喋るのは
集団本意的自殺と自己本位的自殺です。
アノミー的自殺と宿命的自殺は自分の理解が追いついてないこともあり 今回は省かさせていただきます。
さて皆さん 第二次世界大戦中 日本で起こった悲劇的な出来事といえば何を思い浮かべますか?
まぁ個人で変わるでしょうが 多くの人は特攻をあげるでしょう。お国のために 自らの命を使い敵を倒す。つまり自分の命とお国(社会集団)を天秤にかけた場合自分の命が持ち上げられてしまうのです。
そう これこそが集団本意的自殺です。
まぁ私の解釈です。
もしかすると今 特攻を自殺と言った私に
憤りを感じたり何かしら違和感を感じた人がいるかもしれません。
しかしこれは紛れもない自殺です。
自らの行動で死ぬという意志を持って死ぬのです。
それがただ 自分のためか、お国のためかの違いなのです。まぁ違和感を感じた人はおそらく自己本位的自殺のイメージが頭の中で強いのでしょう。
自己本位的自殺とは
社会との関わりが薄くなって問題が個人で解決ができなくなった結果 自殺したことを言います。
まぁ私の解釈ですが。
さぁ現代人(日本)はどちらで自殺するのが多いでしょうか。 まぁご察しの通り自己本位的自殺です。
というか自殺=自己本位的自殺と考えてる人がいると私が予想した時点で分かりきっているかもしれませんが。
私は自殺がいいこととも悪いこととも思っていません。ですが社会を発展させるという観点において自殺というのは労働力が減ると言うことになります。
それでは私が新しい技術に喜ぶ頻度が下がってしまいますので、私が考えた自殺防止方法を皆さんにタラタラと喋ろうと思うわけです。
自殺を無くす方法はずばり目標を立てることです。
これは何も個人的な目標ということでなく
社会的な目標ということです。
皆さん今国民全員のスローガンと言われて
何か思い浮かぶ言葉はありますか?
おそらくすぐ出てこないと思います。
これこそが人類が自殺に向かうひとつの原因です。
スローガンがないと自殺に向かってしまうと私が考えた理由は2つあります。
1つ目は 目標がないと日々の微かなことにストレスを貯めることになってしまうからです。
皆さんTheMOUNTAINmanという海外の番組は見たことがあるでしょうか。これはアメリカの山で自然と戦いながらくらす人々のドキュメンタリー番組です。その番組では人々が常に生と死の狭間を歩き
ただがむしゃらに生を追求します。
何が言いたいかと言うと彼らには
イキル という目標があるのです。
生きるためならなんでも彼らはします。
15キロの雪山を歩きます。
真夜中までグリズリーに怯えながら狩りをします。
病んでいたら死ぬのです。
悩んでいたら死ぬのです。
つまり彼らは生と死の狭間を歩く代わりに
現代人と違い病まず悩まずなのです。
私は別に生と死の狭間を歩けとは言いません。
ですがイキルに匹敵するぐらいの強い目標が必要になります。強い目標は人々を馬車馬のように動かします。その目標のために人類は協力しがむしゃらにもがくのです。そうなると病むことができなくなります。現実逃避と言われるかもしれませんが
目標が達成できたらそれが正でできなかったら悪なのです。
しかし現代人は憲法という盾があります。
悪になっても死にはしません。
だから イキルという目標のように
死ぬ恐怖はありません。
これはいいことでもあるし悪いことでもあります。
まぁ死ぬ以外の恐怖もあるので何とかなると思います。
目標
これは人類にとって餌のような存在です。
人々は目標に近ずくほど喜びます。
恐怖
これは人類にとって鞭のような存在です。
人々はこれが迫ると走り出します。
私が言いたかったのは
目標と恐怖をもつ、または使うことで
人は動きます。
人は病む時間もなくなります。
今より地獄かもしれませんが
自殺する人は減ります。
水に浮かんで漂わなくなります。
ニヒルに生きようとする暇もなくなります。
ぐちゃぐちゃですね。
しかしこれがエッセイですね。
やはり腹をすかした時間につらつら書いたこともあって最後はめちゃくちゃになってしまいました。
これを世に見せるというのは少し恥ずかしく幼稚と言われてしまうかもしれません。
ですがこれは私のエッセイですから
何を書いてもいいんだという 暴論で世に放つこととしました。賛否両論どころか否定論が世間の大半をしめそうな素晴らしくぐちゃぐちゃで出来の悪いエッセイですが私は平山まさきです。
ショウキではないのです。




