161話 旦那様と離れて兄たちと
中座敷に旦那様を残して中座し、レナと向かった先は花鳥庵だった。
花鳥庵は、風月廬と並んだ対の茶室で、わびさびを理解する客人を御泊めすることもある。豪華絢爛な金毛邸には多くのドラド一門が出入りして騒がしいけれど、離れの茶室は静かだ。
「うまいこと言って、風月廬におじさんを案内してあげる」
「ありがとう」
二つの茶室は、飛び石で結ばれている。さすがに実家で同じ部屋で一つのベッドで寝るってわけにいかない。
最悪の場合、引き裂かれることも考えられたから、近くにいるだけでも嬉しい。
金毛邸は掃除され、手入れもされていた。それと同じように、離れへ続く飛び石周りにも雑草や枯葉は落ちていない。
手入れさえていることに違和感を覚えながら、にじり口から花鳥庵に入る。荷物を部屋の隅に置いて、レナと二人で脚を崩して座り、ようやく一息ついた。
「お式の準備は順調?」
久しぶりに会うレナは、益々美しくなって羨ましいくらいだ。
「それが問題の連続なのよ」
「私で力になれることはある?」
「あるある! 大有りよ。まず、三三九度に使う杯のセットが見つからないの」
「う~ん。結婚式に使うものは蔵にしまってあるはずだよ」
「それがないのよ」
「明日にでも探すね」
他の問題を聞きながら、問題解決リストを頭の中で組み立てる。
「ぽこ、兄ちゃんだ。入るぞ」
「アルベルト兄ぃ!」
小さな入り口からアルベルト兄が顔を覗かせるのを待ちきれず、にじり寄る。
「ほらこれ、好きだろ?」
「栗の渋皮煮!」
煮崩れた欠片を頬張って、秋の味覚を堪能する。
アルベルト兄は、頭を掻いた。中座敷で会ったときは、ドン・ドラドの長男として厳めしい顔をしていたけれど、実はマイペースだ。
「ミゲルが作ったんだけど、ほとんど煮崩れてさ。上手くいかなかったみたいだ」
「優しく触らないと、水が当たるだけでも崩れちゃうの」
去年は家出したばかり、今年は王都にいたから栗の渋皮煮を食べるのは二年ぶり。
家にいるときは、秋の恒例行事でママの料理手帳で私が作っていた。
懐かしい味に食べる手が止まらない。
「ミゲルが来たらコツを教えてやってよ」
「なんで、ミゲル兄が作ってるの?」
「そりゃあ、ぽこがいなくなって困った仕事を俺たちが肩代わりしてやってるからだ。一人じゃ間に合わなくて、役割分担するくらいさ。一番楽してるのはホセだな。ほら、元々酒担当だったから、ホセだけ仕事量が変わらないんだ」
アルベルト兄の言葉に、最後の一粒を食べる手が止まった。
「肩代わりしてやってる?」
アルベルト兄が気づいて私の顔を見た後、レナを見た。
「アルベルト兄、ぽこは誤解してるのよ」
「誤解じゃない。事実だよ。アルベルト兄は『してやってる』って思ってるんだから」
「おいおい。何を怒ってる?」
「ママは、その仕事を弱った身体で一人でしてたんだよ」
栗の渋皮煮がまだ乗っている半月の菓子皿をアルベルト兄に突き返す。アルベルト兄は、残りを食べ、汚れた指を舐めた。
見合う私たちの間に緊迫した空気が流れる。
「ぽこの負担が多かったから怒ってるんだろ? 悪かったと思ってるさ。ママが亡くなったとき、俺たちもまだ遊びたい盛りの子たぬきだったから、家事を誰かがしてくれてるってところまで頭が回らなかった」
私の苦労をわかってくれたんだ。
家出するほど知って欲しかったから、わかってくれて嬉しかった。
でも、それ以上の怒りが湧いて来る。
私がいなくなって、苦労すればいいと思ったのに、兄たちは兄弟仲良く乗り切った。ママと私は一人だったのに。たった一言の謝罪だけで済むと思っているの?
「まだ怒ってるのかよ」
「アルベルト、そんな言い方しなくったって」
「レナ、ぽこは自分のしたことを知るべきだ。ドン・ドラドも仰ってただろう。里じゅうに迷惑をかけた。おまけにいきなり結婚だなんて」
いつだってアルベルト兄はこうだ。パパの後継者候補らしく振る舞うのが自分の役目だと思っている。
「あのおっさん、すげぇ飲むのな」
突然割り込んできたのは次男のルイス兄だ。
端正な顔立ちを見たら、ほっとした。
ミニパパを気取るアルベルト兄はお小言担当だけど、ルイス兄はもっとたぬきらしく生きている。
「中座敷はおっさんに飲みつぶされたたぬきで大洪水だよ。ありゃあ、皆お泊りだな」
「ルーチスの叔父様と、チソンさんは今夜中にお送りしないと、奥様が怖いよ」
「あぁ! だから最近うちへの風当たりが強いのか!」
アルベルト兄が手を叩いて納得するのを、ルイス兄が苦笑する。
「ほらね。兄さん。ぽこがいないとわからないことだらけだろ? ちゃんとぽこに謝った?」
ルイス兄が大変だったねと私に声をかけてくれた。
聞きたかった言葉に、涙腺が緩む。
「家出するくらい辛かったなら、口で言えば良かったのさ」
「それができないくらい大変だったんだろ」
「ルイスがそうやってぽこを甘やかすからだ。ママもぽこには甘かった」
我慢できずにアルベルト兄を睨む。
言えというなら言おう。家族を傷つけたくなくてずっと我慢してきたことだ。
ぽこには旦那様がいる。
もう怖くない。
「ママが大変だったって分かって欲しいの。ぽこはママを手伝うことしかできなかった。外に一人で自由に出られずに、ぽこもママみたいに殺されると思ってるから家出したの」
我慢できずに頬を涙がつたう。
アルベルト兄とルイス兄、レナが固まった。
「殺されるって……。そんな言い方しなくったっていいだろ」
「じゃあなんで、誰もママを助けてくれなかったの?」
アルベルト兄とルイス兄が顔を合わせて頷き合った。
「それがパパとママの約束だったからだよ」
普段、兄たちはパパのことをドン・ドラドと呼ぶ。パパが私たち家族にとって本当の意味での父親であることは殆どないから。
里の長に自分の家族のための時間はないのだとママが私に何度も教えてくれた。
パパはドン・ドラドとして偉大な仕事をしているのだと――。
だから、私だけは意地を張ってずっとパパと呼んでいる。
末っ子で紅一点だから、甘ったれていると言われているけれど、甘えて呼んでいるわけじゃない。
「ぽこはあのおっさんと結婚するんだろ。絶対いいママになる。だから、パパとママの気持ちを知って欲しい」
「どういうこと?」
丸い障子窓から月光が差し込む。
ルイス兄が口を開いた瞬間、里中に響くような狼の遠吠えが聞こえた。