195話 ぽこのいないインマーグ
「ベテランさんじゃないか!」
半年ぶりのインマーグの市場で、八百屋の親父が俺を見つけて大声を出した。
「どうした? ぽこちゃんは一緒じゃないのかな?」
八百屋の娘も心配そうに周りを見てぽこを探す。
「実は俺たち結婚することにしてね。それで、ぽこは実家にいるのさ」
「おぉ! そりゃあおめでとう!」
「ありがとう。顔を出せればよかったんだがね」
八百屋の親父が、腹が出た動作をする。おめでたなのかと聞きたいらしい。
全く、どうして結婚と聞くと、すぐに赤ん坊の話になるのかね。
「いいや、そういうわけじゃない」
「それで、戻ってくるのかな?」
「いや、俺の家を処分して、ぽこの里で暮らすことにしたよ」
「それは、寂しくなるね」
一度は王都に行く際に別れを告げているが、やはり家まで処分するとなると本格的な別れの感がある。
これからの生活に必要なものを買いながら、挨拶をし、市場の端まで来たら、ウシュエにも挨拶に行く。
緑屋敷は、以前と変わらず物で溢れている。
「王都の図書館は凄かったよ」
「王都の? あら、もう戻ってきたの?」
「半年ぶりだぞ」
「そう?」
ウシュエにとっては、半年なんてものは久しぶりの再会の内には入らないらしい。
「ウシュエから教わった薬草の知恵のおかげで、ぽこがキュマ先生と話せたよ」
「キュマ先生はお忙しいから、話せるなんて幸運だったわね」
ウシュエが実験の手をふと止めた。
「それで、種族変更の薬は見つかったの?」
「いいや。そんなものはなかった」
肩をすくめてみせる俺に、ウシュエが鼻をしかめた。
「そう。ところで、オズワルド。あなた、なんだか匂うわ」
ドキっとした。
人間だったときはわからなかったが、たぬきになった今は、個体を匂いで判別できる。清潔にしていても、匂うのだ。
日付の感覚もないくせに、ウシュエはこういうところが鋭い。
「実験相手がいなくなるのは困るけれど、仕方のないことね」
「時々遊びにくるよ」
「邪魔はいらない」
手でしっしと追い払われるようにして、緑屋敷を後にした。
街で最後に訪れたのは、クエスト屋だ。
毎日のようにここに通い、住んだことさえある。
感慨深いものを感じながら、扉を開けるとクエスト屋所長が受付に座っていた。
あぁ、もう受付はいないのか。
一人納得した瞬間、クエスト屋所長が俺を胸に抱きしめた。
暑苦しいおっさんに抱かれて、乱暴に揺さぶられる。
「おかえり! エミリアは?」
帰ってくるわけのない受付が俺と一緒にいると誤解しているクエスト屋所長の態度に、何もかも悟ってしまった。
受付は、親に何も話していない。
これは、順を追って話さねばならないだろう。
男親が知りたくない事実もある。
「手紙で聞いていませんか?」
「手紙なんざ来たことはねぇ。試験はどうだった? 落ちて面目立たなくて入ってこれないのかな?」
玄関から出て娘を探すクエスト屋所長の背中に哀愁を感じる。
言い難いことを、俺に押し付けた受付が恨めしい。
「お嬢さんは、試験を受けていません」
「なんだって⁉」
「王都の服飾店に勤める男と仲良くなって」
「それ以上言うな!」
クエスト屋所長の顔が真っ赤になり、次に青ざめた。ふらつくのを支えて、長椅子に座らせる。母屋に繋がる階段を開けて、二階にいるはずの所長の奥さんを呼ぶ。
それで、ようやく娘の選んだ道を説明できた。
二人は、娘が試験を受けなかったことを怒り、そして、男に騙されているのではないかと心配した。ぽこから聞いたうる覚えの話を一つか二つばかりすることしか俺にはできない。
ドン・ドラドが俺と初めて会ったときよりも、二人はショックが大きいようで、今にも目を回しそうだ。
きっとこれが率直な態度なのだろう。
俺のせいではないはずなのに、自分が悪いような気がして冷や汗をかきながら話した。
世界中の娘の親は、皆同じはずだ。だから、俺はドン・ドラドに酷い目にあう。
早くたぬきの里に戻りたい。
放心してしまったクエスト屋所長たち相手に、インマーグの家を売却する話がその場でできず、売却には三日もかかった。





