193話 ぽこと婚前旅行
中距離程度の旅装を整えて、ぽこと二人で赤壁山をまずは下っている最中だ。
ことの発端は、昨日の朝に起きた。
相変わらず化け術の調子が上がらないまま、ドン・ドラドと話してから数日が経ち、朝食後の中座敷に呼ばれた。
ドラド一門が揃って朝食を取る時間は、なかなかに見応えがある。
それは、朝食後に出される命令によるところが大きい。
今日の俺のように、名を呼ばれるところから始まる。
「オズワルド殿、ぽこ、こちらへ」
最近は婿殿と呼ばれることの方が多いが、今日は名前で呼ばれて、身が引き締まる。
何か公的なことを伝えるつもりなのだろう。
のんびり食べていた一部の奴らが、何かが起こることに気づいて手早く朝食を掻き込む。その前を、ぽこと一緒に通過する。
今朝は人間姿に化けることができた。尻尾も出ていない。いい具合だ。
「ぽこ様との結婚話じゃろうか?」
誰かのひそひそ話が聞こえてくるくらい中座敷は静まっている。
「この手紙を酉の丘にいる弟に届けて欲しい」
厚手の葉に、足音が一つ押されただけの手紙が畳に置かれた。
「長らく互いに挨拶できていないから、結婚の挨拶がてら行ってきてくれ。婚前旅行だぞ。どうだ?」
一体何の罠だ?
酉の丘と言えば、赤壁山を挟んで向こう側にある。麓近くまで下山してから登り直す。のんびり行けば往復三泊程度の旅行になるのは確かだ。
「酒が有名な村だ。きっとおっさんも気に入るぜ」
「土産は樽酒がいい!」
「新酒の時期だな!」
「まだ早いんじゃないか?」
「そんなことないだろう?」
背後からジョアンの声がかかると、緊張が緩んだ他のたぬきも口々に酒の話をし始めた。
騒いでいる皆を暖かい目で見まわしながら、ドン・ドラドが俺に身体を傾ける。
「外の空気を吸って気分転換してくるといい。ここだと何をしても目立つから気疲れしているだろう」
囁いた上に、片目を瞑って合図をされる。気味も気色も両方悪い。
ドン・ドラドの企みは分からないが、ぽこと二人だし、知らぬ場所でもなく、仕事と割り切ることにする。
「お役目ありがたく仰せつかります」
木の葉の手紙をポーチに入れて、話を続ける。
「帰り道にインマーグに寄って、元の家を処分してきます」
「おぉ、そうか。わかった。急がずゆっくりしてくるといい」
頭を下げて中座敷から下がった。
そんなわけで、今朝たぬきの里を出発した。
今朝は化け術の調子が悪く、耳も尻尾も出たままだったが、冬山を歩くためにどちらも厚手の防寒具で隠れて見えない。
見送りに出てくれたジョアンやぽこの兄弟と別れ、結界から出てからは気楽なものだ。
気が付くと、意識しているわけでもないのに、尻尾も耳も消えていた。
化け術も上手くいき、気分がいい。足取りも軽く、自然と歩がよく進んだ。
予定を昼すぎに踏破して、インマーグの家の傍を通る川の上流で魚釣りもしたし、ぽこが釣った魚で腹も満たされている。
ぽこが葉っぱ集めをし始めて、俺も久しぶりに武器を研ぎ、ついでに素振りをする。
切れた息が落ち着いてから、ぽこを目で探す。
午後のひだまりの中、たぬき姿でうたた寝をしていた。
殆ど横たわっているのに、上半身だけ起こして無駄な抵抗をしている。
実家では、のんびりすることのないぽこだから、こういう姿を見るのは久しぶりだ。
悪戯を思いついて、たぬき姿になる。これも上手くいった。
ゆっくり近づくと、丸みを帯びた耳だけが、こちらを向いた。俺に気づいているが、まだ覚醒はしていない。
背後から勢いよくのしかかる。俺を無意識に抱きとめて、勢いを殺せずにそのままコテンと横になった。
たぬきの耳の後ろ側から首元へと鼻先を埋めて甘噛みする。人間のときよりも強烈にぽこの匂いと毛の味を堪能できる。
たぬきなら、体格差があっても押しつぶすほどではないっていうのも気楽だ。
調子にのって仰向けにひっくり返し、胸元のモフモフに鼻を突っ込んだら、さすがに目が覚めたらしい。
「あン。旦那様、まだお昼ですよ」
前脚で抱えられ、耳に噛みつかれた。それが痛かった。
ばつが悪く、身体を離して身体を起こす。
きゅ~っ ぽん!
ぽこが人間姿に化けてしまうのは、人間姿の俺の方が理性を保ちやすいと知っているからだろう。
仕方なく、分別ある人間のおっさんに俺も化ける。
婚前旅行なのなら、こういうのがあってもいいのではないか?
ぽこは押しが強いくせに、どうやら押されるのには滅法弱い。照れて、避けられる。
そういう初心な反応が可愛いような、もどかしいような、今のはちょっと傷ついた。
「旦那様、どうぞ」
ぽこが、俺を呼んだ。振り返ると、短いスカートの裾を気にして、手ぬぐいを太ももの上に広げ、俺に頭を乗せるように促す。
ぽこはぽこで、俺との新しい距離感について試行錯誤しているらしい。
腹で蝶々が羽ばたく。
ぽこの太ももに頭を乗せた。
上半身は痩せぎすかだが、ぽこの太腿は弾力があり、いい気持ちだ。
極上の柔らかさを堪能しながら、日向ぼっこをする。
柄にもなく鼻歌が出てしまう。
見上げると、ふわふわした金の髪から陽光が透けて見えた。神々しい一束の髪へ、思わず手を伸ばす。
気づいたぽこが触りやすいように頭を下げてくれた。
髪を手で梳いて、後頭部を撫でる。ぽこが気持ちよさそうに目を細めた。
腹で蝶が羽ばたいたからか、身体が軽くなった気がする。
ドン・ドラドが指摘したように、どうも気が張っていたらしい。罠が張られていないか警戒続けるのは疲れるし、立派だとか英雄だとか言われるのにもうんざりだ。
俺はどこまでもただのオズワルドでいたい。
ベテランさんでも、赤派でも、婿殿でもない。
何もなくともこの幸せがあればいい。





