185話 ジョアンと
「あれ。こんなに小さかった?」
藪のトンネル入り口で、思い出の中の大きさとの違いに驚いた。
「だ~から言っただろ。この姿じゃ入れねぇって」
後ろから追いついたジョアンが呆れた声を出した。
この先には、幼いころに近所の子だぬきたちが集まって遊んだ場所がある。
爆発音がして、ジョアンがたぬき姿に戻ったのに続く。今度はジョアンが先立って藪のトンネルに入っていった。
今にも雪を降らせそうな灰色の雲のせいで、藪の中は暗い。
ちょっと進んだら、ぽっかり開けた空間に出た。
「人間姿になっても平気かなぁ?」
「大丈夫じゃね? ぽこは小せぇから」
「もぉ~」
きゅう~っ ぽん!
「心配したけど大丈夫だった」
ジョアンは座ったままの姿で変身した。それでも頭が藪の天井に擦れちゃいそう。
「小さいときは、すごく広く感じたのに。なんか不思議だね」
「それだけ俺たちがでかくなったってことだな」
今日は私がジョアンを誘って二人で出かけている。
「で、俺に何の用? やっぱり俺と結婚する気になった?」
首を振って否定すると、ジョアンの鋭い目つきがより細くなった。
「じゃあ、何だよ」
「きちんとお礼を言いたくて」
「止めてくれよ。俺に同情したってわけ? 俺が聞きたい言葉は礼じゃねーぞ」
ジョアンは声を荒げてみせたけど、それが本気で怒っているのかどうか私には分かる。
怖がらない私を見て、ジョアンが肩をすくめた。
「ここ、懐かしいな」
「本当にね。ここは、私が覚えているジョアンとの一番古い場所だよ」
お稽古事に明け暮れた幼少期、どういうわけだか里の子だぬきたちとの思い出もある。そこには必ずジョアンがいた。
この秘密基地はおままごとの家でもあり、ジョアンが主犯となってくすねてきたお菓子を皆で食べる場所でもあり、大人に内緒の計画を立てる場所でもあった。
「ぽこが初めて雪玉を食ったとこだぞ」
「そうなの?」
雪玉は、麓のインマーグ名産の揚げ菓子だ。私の好物の一つ。
ジョアンが頷く。
「じゃあ、ジョアンがくれたんだね」
「そう。誰かさんが「お兄ぃが雪玉をくれない」って泣きべそかいてたから」
兄たちが人間の里から盗って来た直後なら、警戒されて盗むのは大変だったはずだ。そう、いつだってジョアンは優しい。
「俺は、小させぇ頃から乱暴者だったからな。怖がらなかったのはぽこだけでさ。最初は、何だこいつって思ったよ。生意気だってね」
私の覚えていない、ジョアンと私との出会いを初めて聞く。
「たぶん、だけど。怖いのはパパや一門の皆で慣れちゃってたんだろうね」
「あぁ、なるほどな。最初は怖がらせてやろうと思って金毛邸から外に連れ出したけど、ぽこは怖がるどころか大はしゃぎでさ、気が付いたら泥まみれで一緒に遊んでたよ」
「ぽこにとって、ジョアンは最初にできた大切な友達。パパを怖がらずに仲良くしてくれたもん」
「怖かったさ」
「本当?」
「あぁ、ドン・ドラドやぽこのおふくろさんに見つからないようにぽこを誘い出すっていうスリルがたまんねぇんだよ」
「わかる!」
顔を見合わせて笑い合う。
「俺たち、仲のいい友達だったよな」
「そうだね」
やんちゃ坊主のジョアンは、度々里の問題になったから、ママはジョアンと遊んではいけないと私に言ったくらいだ。
ジョアンの額に残っている傷は、度胸試しに滝つぼに飛び込んでできたものだ。
他にも残っている小さな傷の多くを知っている。破天荒で、年上の子だぬきからも一目置かれているジョアンといると、いつだって楽しかった。
「いつからだろうな。ぽこが俺にとって女になったのは」
本題が来た。
ジョアンから切り出してくれるとは思っていなくて、驚いた。
さっきは止めてくれと言われたのに。
「友情が恋になってからは、苦しかったかもしんねぇ」
男の子は男の子同士、女の子は女の子同士に分かれて遊ぶようになり、いつの間にか、この秘密基地に女の子は寄り付かなくなった。
ちょうどその頃から、ママの体調が崩れる日が多くなり、私はますます外に出られなくなっていった。
ジョアンと微妙な距離を感じ始めたころ、ジョアンには悪い噂が立つようになった。
「ぽこが全く相手してくんねーんだもん」
「女遊びが酷くなければね」
たぬきは基本的に一夫一妻制だ。だけどたまに浮気性なのもいる。
ジョアンは、その問題行動を私を口説くための練習だと言ったけれど、実際、パパがジョアンとの結婚を言い出さなかったのは、その行為が問題視されたからだ。
里に帰ってから、、掌を返したようにジョアンを婿候補にと言い出したのは、旦那様が人間だったっていうのもあるだろうけれど、ジョアンの働きによるものが多いとレナから聞いている。
以前のジョアンなら、里のみんなにショコラを持って帰るなんて大盤振る舞いはしなかっただろう。
それも、私のためだった。
「いつだってぽこのためにありがとう。なのに、たくさん傷つけたよね。ごめん」
ようやく言えた。たった一言でも、感謝の気持ちを伝えたかった。誰にも気兼ねせずに、ジョアンと二人きりで話したかった。
「本当だぜ。だいたい俺に、おっさんと同じベッドで寝るのを見せつけたりするか?」
「あれは、ぽこも驚いた」
「あのおっさん、絶対嫉妬深いぜ」
緩やかな束縛は、かえって私には嬉しいことだけれど、これはジョアンに言う必要はないことだ。
「俺と二人っきりで出かけたりして大丈夫かよ」
「うん。ちゃんと話したら、わかったって。旦那様もジョアンを信頼してるんだよ」
「いらねぇー」
軽口を言って二人で笑う。
本音と冗談の見分けが付くジョアンといるのは楽しい。
楽しいけれど、線を引いてお別れせねばならない。
鼻の奥が痛くなった。
泣くなんて勝手すぎて、堪える。
寂しいだなんて、そんな勝手なことは言えない。
「もう帰ろう」
私の気持ちを察したのか、ジョアンが、振り返りもせずにさっさとたぬき姿になって藪から出て行く。
ここには、もう二度とこないだろう。
沢山の楽しい思い出が詰まった秘密基地。
子供時代からおさらばすることになる。
「あーぁ。おっさんの嫁になっちまうのかぁ」
先を歩く人間姿になったジョアンが夕日に向かって背伸びした。
結局、雪は降らなかった。
逆光になったジョアンの背中を見つめる。
小さいころはジョアンも私と同じくらい小さかったのに、身長差が開くのと疎遠になるのは同時期だったな。
「なぁ、ぽこ」
ジョアンが私を振り返る。顔に夕日の光が差して眩しい。
「俺たち友達に戻ろうぜ。俺、いい友達になれるように努力する」
我慢していた涙が溢れた。
私は、ジョアンの好意を当たり前にするのではなく、ちゃんと答えよう。友達として。
これから益々頭角を現すジョアンの本音を話せる友人になろう。
「ありがとう。頼りにしてる」
ジョアンが差し出した手を握った。子供の頃から幾度も握った手は、大きくて頼もしかった。





