155話 ぽこの実家①
屋根のついた門をくぐると、すぐ一匹のたぬきが駆け寄って来た。
「ぽこ様、おかえりなさいまし!」
「ただいま。大切なお客様を連れて来たとパパに伝えてください」
「かしこまりました」
たぬきが俺を一瞥して屋敷の奥へと姿を消した。
ぽことジョアンに並んで屋敷に入った。
草のような爽やかな香りがする。
「旦那様、ブーツを脱いでください。金毛邸は土足厳禁です」
ぽことジョアンが、玄関入ってすぐの台で履物を脱ぎ始めた。
すぐに人間姿の使用人が水桶を持ってやって来た。
慣れた様子でぽこが脚を洗い、薄い布で拭う。
真似をするが、こんな立派な屋敷の玄関先で裸足になるのも、脚だけ水風呂に入れるのも、まるで丸裸になったようで違和感がある。
板張りの廊下が奥へと続いているが、手前の部屋に通された。
横開きの扉が開けられる音が軽い。
中に入れば、床に隙間なく敷かれた絨毯のような物は厚みがあって素足に気持ちがいい。
クッションが三つ低い机の周りに置かれており、そこに座った。
それで絨毯が草で編まれた物だと気が付いた。
どうやら、部屋に漂う匂いはこれが原因らしい。
「こちらでお待ちください」
鮮やかな若葉色のお茶が出され、飲むと香りまでいい。
使用人が消えると、静寂が広がった。庭の池で何かの魚が飛び跳ねる音がここまで聞こえてくる。
「ここがぽこの実家か」
「堅苦しいよな」
堅苦しいというか、俺の想像していたたぬきの里とは全く違う。
想像の中では、沢山の巣穴から人語を理解するたぬきが出てきて、食べ物を強請るのだと思っていた。
「ここは接客の間ですから特にそう感じるのかもしれません。ぽこが暮らしていた奥座敷は家具もあってもう少し家庭的ですよ」
「家具ね」
この部屋には低い机の他には何もない。四面の壁の内、三面が横開きの扉なのが不思議でならない。入ってきた扉と向かい合わせの扉は、四枚で一セットになっていて、絵が描かれている。紙でも貼っているのだろうか。
堅苦しさでいえば、クローデン星の会と同程度で、こんな環境で暮らすなど想像したくもない。
「たぶん呼ばれるのは中座敷です。そこは仲間内で集まったり、ドラド一門が住んでいます」
「ドラド一門?」
「血縁関係じゃなくても家族のような付き合いをしているたぬきのことですよ」
「ジョアンは違うのかい?」
「馬鹿言うなよ。俺もドラド一門だよ」
ジョアンが珍しく焦った。
「裏切りは許されない。滅多なこと言わないでくれよ」
「お土産で若手狩りなんてしてると釘を刺されると思うけど?」
ぽこにとって飲みごろになったのだろう。ようやくお茶に手を伸ばした。
「用意が整いました。こちらへどうぞ」
絵の描いていない真っ白で光を通す横開きの扉が開いた。左手に広い池を見ながら長い廊下を進む。
絵の描かれた横開きの扉の前で、案内係とぽこ、ジョアンが廊下に直接座った。
そういうものなのだろうと思って、真似して座る。
ぽこが小さな身体を伸ばし、居ずまいを正した。
「ぽこ様とお客様がいらっしゃいました」
案内係の声かけに、中から低くて大きな声が響いた。
「入れ」
座ったまま扉が開かれた。
目の前が開け、広がった光景に驚く。
奥行のある部屋の左右に、人間に化けたたぬきたちが並び、一番奥に身体の大きな初老の男が座っていた。あれがぽこの親父さんだろう。手前のたぬきたちはドラド一門ってことだろうか? 想像よりも数が多い。誰もが声も漏らさずにぽこと俺を見ている。
ぽこの親父さんの前に、クッションが二つ並べてある。
ぽこが立ち上がるのに遅れて立ち上がり、真似をして中を進んだ。
ジョアンが左の群れに混ざる。
周りからの視線が突き刺さる。まるで針の筵のようだ。
クッションまで来たら、初老の男が座るように視線で促してきた。
俺の人相もいい方じゃないが、ぽこの親父さんもたいがいだ。
顔に大きな傷があり、表情が読めない。リラックスしたように背を丸め、片手を背中に回したまま、でっぷりした下腹を撫でた。
ジョアンが怖がるのも無理のない、底の知れぬ恐ろしさを秘めている。
ぽこの親父さんが、たぬきのお面を見た。
そうだ。ぽこはお面をつけてくれたときに震えていた。
実家に帰ったと言っても、捉えられるのではないかと怯えているのだ。
勝手がわからないからと言って、黙っていては、ここに来た甲斐がない。
息を短く吸い込んだ。
「俺から挨拶させてください」
場が一層静まり返った。ぽこの親父さんの状態がクンっと下がる。
「挨拶の機会を頂き、ありがとうございます。俺の名はオズワルドといいます。赤壁山を西に回り込んだ国境の村で生まれ育ちました。この十年ちょっとはインマーグで冒険者をして暮らしています。ぽこさんとの結婚に許しを頂きたく挨拶に参りました」
一礼してから顔を上げ、睨み合う。
手ごわい魔獣のようだと思った。
だが、魔獣から目を逸らす俺ではない。
「なるほど。仁義を切るたぁ、いい雄だなぁ、ぽこよ」
俺の隣でぽこが揺れた。
ぽこの親父さんが、視線を外しながら、背中に回した片手を戻した。手には短刀が握られていて、それを俺との間に置いた。
「まぁ、まずはこれは使わなくてよさそうだ」
やはり、リラックスしたように見せかけた姿勢は抜刀の構えだったのだ。