180話 旦那様とドン・ドラドの計略②
ジョアンに連れられて旦那様が奥座敷に入ってきた。
手で招かれて、パパの向かい側に座った。パパが上座からずれてわざわざ旦那様の右に直角に座り直す。
旦那様の眉が僅かに動いた。
「今年も化け合戦はたぬきの勝利だ。よくやってくれた」
届けられていたお膳を勧められて、箸に慣れていない旦那様が苦労して箸を持った。
「赤壁山の主の件も礼を言う。流石、婿殿だな」
「婿殿……ですか」
「そうだろう? お主は試練を先に乗り超えたのだから、婿殿だ」
旦那様は表情を崩さず、箸で里芋を刺して頬張った。
「それで、俺を呼んだ理由は何ですかね?」
旦那様の言葉に、パパが徳利を手向けた。旦那様がお猪口で受ける。
「ぽこを儂に返してはくれまいか?」
計画とは違う言葉に驚いて、茶釜姿のまま動いてしまった。
茶釜の蓋が飛んで、畳の上に転がる。
「それはできません」
旦那様が、立ち上がって蓋を拾ってくれる。
「なぜだ? お主にとってのぽこと同じように、儂にとってもたった一人の娘だ」
「ぽこが選んだのが俺ですから」
旦那様が私の頭に茶釜の蓋を乗せてくれた。小さな金属音がして蓋がかみ合う。
じっと私を見つめて、ゆっくり席に戻り、また慣れない箸を持った。
旦那様にとって、たぬきの里の文化は知らないことばかりのはずだ。
頼めばフォークとナイフだって使えるのに、それでも旦那様は箸を使う。
「返せと仰るが、何もぽこはドン・ドラドを捨てたわけじゃない。ぽこや俺と疎遠でいたいのか、仲良くしたいのかはドン・ドラド、あなた次第だ」
旦那様が、魚の身を箸で外せずに、手で掴んで頭から齧った。
どんどんお膳の料理を平らげて行くのを、パパは見ているだけだ。
旦那様がお吸い物の椀をお膳に戻した音で、パパの指が動いた。
「娘が幸せになる証拠が欲しい」
きた!
一瞬の沈黙の後、旦那様が「何をご所望ですかね」と返事して、お猪口に口をつける。
「前にも話したが、ぽこがちゃんと雌の役割が果たせるか心配でならんのだ」
旦那様が口に含んだお酒を吐き出した。
「子孫繁栄は我らの勤めだ。この里では、初夜を見物する文化があってね」
気管にお酒が入ったのか、旦那様がむせる。
そんな文化があるのか、私も知らない。
「わかってくれ。娘のことになると過保護になってしまうものだろう。いわば最後の試練だ」
「そりゃ、悪趣味ですよ」
やっと旦那様が言い返した。私だってそう思う。
「じゃあ、何だね。結婚した後、できなかったら出戻りにさせるつもりかね?」
「いいえ、子供ができぬとも、ぽこと添い遂げられれば幸せです」
「孫を見られる夢を儂から奪うのかね」
言い返したら、即打ち返される返事に、旦那様が黙った。
お猪口を握りしめ、顔は赤い。
聞いているだけの私だって赤くなっていると思う。ううん、青いのかもしれない。
「子孫繁栄を願うたぬきの文化なのだよ。婿殿」
ため息が出てしまう。
これまで何度も奥座敷で見て来た。
一見さんは前座敷、ドラド一家は中座敷迄。では、奥座敷は?
奥座敷は家族同様に信を置かれた者と、血肉を分けた家族だけ。
そこに招かれたたぬきは、皆、自分こそがドン・ドラドに認められたと思うのだ。
そして、とっておきの提案がされる。
ここぞの話しだけは、奥座敷が使われるのは、こういう理由だ。
パパはドン・ドラドなのだから。
❄
パパの提案を受け入れた旦那様が、お風呂に案内されて風月廬に戻るまでの間に、先に部屋に入った。
床の間には九つのたぬきの置物が並んでいる。言わずもがな、パパと兄たち、そして私だ。
やっぱり見たくないと言い出した私を捕獲したパパは、兄たちに手足を掴ませて逃げられないようにここに連れて来た。
「こんなことして、ぽこに嫌われないかなぁ」
「大嫌いです!」
「ドン・ドラドは趣味が悪い」
「よりによって相手が人間だもんな」
「しっ! 来たぞ!」
風月廬の大きな入り口が開き、行灯の火が揺れた。
旦那様が一人で入ってきて、ほんのり照らし出された室内を見て立ち止まった。
ぴったりくっついた二組の布団。手前に私の姿に化けたジョアンがいる。
浴衣を着て、髪を緩く結い上げ、悔しいくらい色っぽい。
「旦那様――」
正座したまま私に化けたジョアンが旦那様を見上げる。
「どうぞ優しくお願い致します」
三つ指ついて深くお辞儀した。
やりすぎじゃない⁉
いくら私が旦那様に丁寧に話しているとは言っても、そこまでではない。
旦那様は、無言のままで上着を脱いだ。下履きだけになって、私に化けたジョアンの前に片膝つく。ジョアンの手を握って、顔を上げさせた。
「納得してるのか?」
胸が痛くなった。旦那様は、こんなときだって私の気持ちを聞いてくれる。
私に化けたジョアンが、恥ずかしそうに視線を逸らして、小さく頷く。
旦那様が頭を垂れた私に化けたジョアンを背中から抱きしめて、首に顔を埋めた。
ジョアンの切なそうな吐息が漏れる。
旦那様の手が背後から前にまわり、ゆっくり浴衣の帯を解く。
衣擦れの音が響き、浴衣の合わせがはだける。
あぁ! 旦那様気づいて‼
気が付いたら、涙がとめどなく溢れている。
嫌だ! 絶対に見たくない!
パパの提案なんか知らない!
のぞき見に夢中になり、私を羽交い絞めする兄の手が緩み始めた。
「ぽこ」
旦那様のとろけそうに甘い声に、私に化けたジョアンが顔を上げた。
その頬を旦那様が包む。
?
旦那様の動きが止まった。
「違う」
「え?」
ジョアンが聞き返す。
「お前、ぽこじゃないな?」
声が聞こえてすぐに、旦那様が手に抜き身の剣を取った。
「わわわわー! 待てまて!」
ジョアンも兄弟たちも、皆が一斉に化け術を使って、風月廬が爆風で揺れた。
「俺だ! 俺だよぉ!」
はだけた浴衣姿のジョアンが涙目で旦那様に訴える。
「あっぱれあっぱれ! お見事!」
「旦那様!」
旦那様の首目掛けて飛びつく。ぎゅうぎゅうしがみついた。
頭を何度も撫でられる合間に、頬に口付けを受けた。
「流石オズワルドさん!」
「化け術を見破るとは御慧眼!」
「ぽこが見込んだ男だけはあるぞ!」
兄弟たちが口々に褒めたたえ、危うく未遂に終わった事件の詳細を話し始めた。
「全く、ジョアンは俺からぽこを奪うためには何だってやるな」
旦那様が、ジョアンの頭を乱暴に撫でた。全てパパの企てだってわかってるんだ。
「ちょっとは欲情したか?」
ジョアンがふざけて浴衣から生足を抜き出し、旦那様に投げキッスする。
「安心しろ。そんなことにはならん」
旦那様が、私を首にぶら下げたまま、パパの前に立った。
文句を言うのかと思ったけれど、改まった様子で、ピンときた。
こんな状況だからこそ、旦那様は攻めるんだ!
慌てて畳に降りて、旦那様の隣に並ぶ。
「改めてお願いします。ぽこさんとの結婚を認めてください」
「お願いします!」
二人で深く頭を下げる。
皆が見守る中、腕組みしていたパパが、頭を下げた。
「こちらこそ、娘を頼むよ」
「パパ! ありがとう!」
今度はパパに抱きついた。
パパは優しく抱き返してくれた。
「いい男を選んだな。ぽこ」





