154話 ぽこの里
王都から出発するとき、ぽこは、インマーグの山奥にあるたぬきの里に到着する日をしきりに気にした。
「レナの結婚式よりできるだけ早く帰りたいんです」
たぬきの里に帰るとなれば、やはり里心でもついたのだろうか。
ぽこが家出をして二年になろうとしている。
「ぽこが帰ればどうしたって騒ぎになります。レナの結婚式にはレナに主役でいてもらいたいんです」
なるほど、ぽこらしい気遣いだと思った。
家出した娘が男を連れて帰ってくる。しかも、相手が人間となれば大騒ぎになること間違いなしだ。
前もって里に帰り、しっかり祝いたいという意向はすぐに納得できた。
ぽこの願いは、ジョアンたちによって叶えられそうだ。
たった一週間で丸湖様まで着いた。
花見をした近くで、同じようにたぬきのお面を頭に被された。
望み通り早くたぬきの里に帰られそうなのに、紐を結ぶぽこの手が震えている。
「里に帰るのは嫌かい?」
「いいえ。ただ、怖くって」
足元にはぽこ好みの鮮やかな赤い葉がこんもりと積もっている。
ぽこは、それに見向きもしないほど緊張しているようだ。
恋人の父親に結婚の挨拶に行く俺の方が幾分か落ち着いている。
親無しで育ったせいか、この辺りのぽこの些細な気持ちの揺れは聞かないと分かりにくい。
親父さんに掴まるかもしれない不安があるのは聞いているが、他にも理由がありそうだ。
「もしかして、俺を連れて帰るのが怖いのかな?」
「やっぱりパパに旦那様を紹介するのは緊張しますよ」
冗談半分で質問した内容を肯定される。思い当たることは沢山あるが、一番はこれだろう。
「俺が人間だから?」
ぽこと俺の間にはさかる大問題。
たぬきと人間を指摘されても、どうしようもない。
「そりゃ驚くでしょうけど、例えたぬきであっても緊張します。ぽこの大切な旦那様にパパが何をしでかすか心配しちゃうんです」
ぽこもジョアンも、レナだってドン・ドラドを怖いと言う。
「俺なら何を言われても、されても大丈夫だ」
安心させるように頭を撫で、本来あるはずの耳に口を寄せた。
「ぽこが閉じ込められたら、俺がかっさらう」
ぽこが俺の腰にしがみついて頷いた。
震えは止まっている。
「いいか? 入るぞ」
ジョアンが先に立ち、手に紙製の見たこともないカンテラを持って林の奥へと進んだ。
薄暗い林の中、ぽこと手を繋いで歩くと、耳元でお面についた鈴が鳴る。
前回と同じように林の奥には門戸のない変わった門があった。
二人に続いて、一礼してから潜る。
❄
春、わんさか薄ピンクの花をつけていた木は落葉させていた。花見のときにはどこまで進んでも同じ景色しかなかったが、今は木立の奥にまた同じような門を見つけた。
朱色の門が色を失った山の奥へと点在する。
二つ目の門を抜けた先には、見たことのない不思議な景色が広がっていた。
山の斜面に黄金が揺れていると思った。
二人について村の奥へと進むと、その正体が分かった。
斜面に沿ってできた階段状の畑に、作物が実り、それが黄金色に輝いているのだ。
たわわに実った穂先が重みで垂れ下がっている。
どこからか一定のリズムで水車の音が響いている。きっとこの実をひいているのだろう。
棚状の畑には、多種多様なたぬきがいた。
人間姿の者は、リラックスしたときのぽこのように耳と尻尾が出た者もいれば、頭部だけたぬきのままの者もいる。服もてんでバラバラで、ズボンを無理やりカーディガンのように羽織っているのもいる。
里のたぬきは、驚いた顔で眺めている。
脇道から、小さなたぬきが六匹飛び出してきて、俺たちを囲んだ。
先頭の一匹をジョアンが抱き上げる。
「ジョアン! 王都はどうだった?」
甲高い声、まだ幼い子たぬきのようだ。
「すっげぇでかかった!」
得意顔のジョアンの顔先に、黒い手袋をした前脚を突き出す。
「お土産頂戴!」
「その前にお使いに行ってくれ」
子たぬきが小さく文句を言いそうになって、ジョアンにお土産の入った袋をちらつかされた。
「そっ、それ、お土産⁉」
釣られて生唾を飲んだ。
「ジョアンが、ぽこを連れ帰ったってドン・ドラドに伝えてくれ!」
袋から一粒のショコラを出すと、小爆発を起こして子たぬきは勝気そうな少年になった。
騒ぎ出す他の子たぬきより早くショコラを口に含んで、走り出した。
その後を、何匹からの子たぬきが追いかけ、残った子たぬきは俺を見上げる。
見知らぬ大男が怖いらしく、後退った。
「ドン・ドラドに挨拶が済んだら、お土産配ってやるから、皆を呼んどきな」
ジョアンの声に何度も頷いて姿を隠した。
それを見送ってジョアンが笑う。
「大金はたいてショコラの大袋を買ったのは、子たぬきたちを買収するためね?」
ぽこの言葉に、ジョアンが頷く。
「そ。力任せだけじゃなくて、こうやって地道に俺のファンを増やしてんの」
なるほど。あの子たぬきたちは未来の血威無恨暗候補というわけだ。
「パパに言いつけてやるから」
「ぽこが俺と結婚するなら喜ぶだろうよ」
ぽこがジョアンの言葉を無視して、俺を見上げる。
「旦那様、あれがぽこの実家です」
指さした方には、見たこともない大きな竹林に囲まれた大きな屋敷が見えた。
変わった屋根の素材、三つの風変りな建物が繋がっているようだ。
隣に池があり、カモが泳いでいる。
「金毛邸と呼ばれています」
「立派な屋敷だ」
想像以上に、たぬきの文化と俺の文化の違いを感じて、身を引き締めた。