170話 ぽこの親父攻略
レナの結婚式の翌朝、飯の時間に中座敷に入るなり、ドン・ドラドが眉間の皺を深めたのが離れたところからでもわかった。
ドラド家と一門は、毎朝揃って朝食を取る。和やかな雰囲気だった中座敷は、ドン・ドラドの機嫌を察して、一瞬で張り詰めた。
運んできた大鍋を配膳台に設置し、ぽこと示し合わせてドン・ドラドの前に座る。
「おはようございます」
「ぽこを諦めて帰れと言ったはずだが、伝わっていなかったかな?」
ドン・ドラドが、汁椀の蓋を取った。これは朝食開始の合図だ。俺とぽこの背後で食事が始まるが、空気はさらに緊迫している。
ぽこが膝の上で固く手を握っている。
「いいえ、覚えていますが、命令に従うつもりはありません」
「ほぉ?」
ドン・ドラドが、大きな傷のある方の目を見開く。
「俺は俺のやり方でぽこを幸せにします」
「このドン・ドラドからさらっていくつもりか?」
ドン・ドラドが汁物を音を立ててすすり、静かに椀を戻した。食事をしているように見えるが、汁椀の蓋を取ったときに、ドン・ドラドは前傾に体重移動した。
いつでも動ける姿勢だ。
「最初はそのつもりでしたが、レナさんの結婚式を見て考えが変わりました」
背後がざわついた。後頭部に射るような視線を感じるのは、ジョアンだろう。
だが、今集中すべきはドン・ドラドだ。
言葉を間違えれば、一刀両断される可能性がある。実際、ドン・ドラドの脇には今日も短刀がある。一方、俺は丸腰だ。
ドン・ドラド相手だからこそ、話を聞いてもらうためには敵意はないと示したい。
「俺はあなたにぽこと俺の結婚を祝福して頂きたい」
ドン・ドラドが俺を見た。正面と背後からの視線が刺さって貫通しそうだ。
必ずぽこを幸せにする決意を込めて、ドン・ドラドを見返す。
ドン・ドラドは俺から視線を外して、ぽこを見た。
ぽこは、たぬきの里に帰ってきたときにはドン・ドラドを怖がっていたが、今はどうにか負けずにドン・ドラドを見返せている。
「朝一番に皆の前で言うだけの覚悟があるんだろうな」
ドン・ドラドはそう言うと、脇息にもたれかかった。
体重の中心がずれるから、行動が一瞬遅れることになる。寛いでいるように見せかけているが、それも騙しの一つかもしれない。
「皆、気にせずに食え」
手を振る仕草に、背後の食事の速度が上がった。
「オズワルドさん、あんたはいい大人だと思ってたのだが、まだ若いようだな」
野菜の塩漬けをドン・ドラドがかみ砕く音が響く。
「惚れたはれただのは、誰もが一度はかかる病気みたいなもんだ。おぬしたちは乗り越える壁が高い分盛り上がっているだけだ。そのために人生を棒に振るのはばからしいと考えられないのかね」
「俺は生涯をぽこに捧げます。いいことも悪いことも全部引っくるめて」
ドン・ドラドの手が止まり、今度はぽこを見た。
「あんたには結婚の約束をした人間の女がいたらしいな? その女にもそう言ったのではないかね。そして、今度はぽこを惑わしている」
なるほど。ドン・ドラドは俺が引き下がらなかった場合を考えて、ジョアンから情報を淹れているらしい。
ぽこの方がより攻めやすいと判断したのだ。
以前のぽこなら、ノエルの話題が出されると不安になっていたかもしれないが、今は俺を信じてくれているはずだ。
「結婚前に死んじまった女のことを引き合いに出されても困りますね」
「おぉ、そうだったか? 悪いがたぬきは一夫一妻制でね。生涯たった一匹しか相手にせぬのだ。人間のお主にはわかるまい」
「俺が結婚するのはぽこだけですから問題ありません。古の薬を探して異種族であることも乗り越えます」
「おばぁに相談したいの」
ぽこの祖母は、隠居して山の奥に住んでいるという。
その地は、たぬきの里より強い呪いで守られているから、ドン・ドラドの許可がなければ入れないと事前にぽこから聞いていた。
「ドン・ドラド。どうしたら認めて貰えますかね?」
いつの間にか物音一つしなくなった。ドラド一家全員がドン・ドラドの返事を待っている。
「ちょっと待ったー!」
ジョアンがぽこを挟んで逆側に音を立てて座った。
「ドン・ドラド。俺にだってチャンスをくれ。ぽこを想う気持ちはおっさんに負けていない! それに俺ならたぬき同士で何も問題ないはずだ!」
唾を飛ばしながら前のめりに訴えるジョアンの姿には、俺だって心打たれる。
ドン・ドラドは、暫し思案した後、気味の悪い笑顔を浮かべた。
「二人に試練を出そうじゃないか。先に乗り越えた方に娘をやろう」
「そんな! パパ! 私の意見を聞いて!」
ぽこの訴え虚しく、ドン・ドラドは続きを話し始める。
「まず、ジョアンだが、ぽこにこの話を納得させろ」
「難しくないっすか?」
チャンスが与えられたジョアンは生き生きとしている。
「それができないなら、結婚は無理だ」
ジョアンがぽこの顔に穴が開くほど見つめるが、ぽこは顔を真っ赤にして怒っているから見向きもしない。
「さて、オズワルドさんや。お主は人間なのだし、わしらにできぬことができるのだろうな」
蛙を睨む蛇のように狙いを定めた視線が俺に絡みつく。俺が唾をのみ込む音が響いた。





