153話 ぽこと家路
鹿の獣道を辿り、朝仕掛けた罠を回収しながら回る。今のところハズレだ。
王都を出発して六日目。
持参した糧食では味気ないとたぬきたちに鹿をねだられた。
「次こそかかってるといいな!」
背後につくジョアンの声の後に、熱のこもった沈黙が続く。
妙に威圧感があるのは、血威無恨暗がいるからだ。
どうも彼らの化け術への認識はおかしい。全員が同一人物にしか化けられないから、圧が凄い。
「餌は食っていたからな、後は運頼みだ」
仕掛けた罠に撒いた餌を食べた形跡はあるから、こっちに気づかれているわけではなさそうだ。後は、罠に脚を突っ込んでくれるのを待つしかない。
運頼みに頼らず、いくつもの罠を仕掛けたわけだが、さりとて確実ではない。
「待ちきれないぜ。なぁ、ぽこ!」
「あぅあぅ。鹿は食べたいけど、でも、絶対獲れるってわけじゃないし」
ぽこが素直になれないのは、鹿を獲る羽目になったのが自分にあるからだ。
❄
当初、王都を出発して王城が見えなくなるまでは、予定通り三人で歩いた。
ここまで離れれば、周囲に人はいないから遠慮なく話せる。
「レナの結婚式まで日がない。どこかで荷馬車に乗りたいんだが、たぬきは乗せて貰えないし、人間に化ければ大金がかかる」
俺が気にしているのは、血威無恨暗だ。彼らは常にジョアンと共にいて、呼ばれるまで姿を見せない。
王都にも当然のようについてきているから、彼らのことを考慮して帰り方を考えなければならない。
「だりぃなぁ」
ジョアンは煙を上げて馬に化けた。
「ぽこは俺が乗せる。おっさんはあいつらに乗せてもらって」
ジョアンの声に、突如として栗毛の馬の群れが現れた。血威無恨暗だ。
「たぬきって凄いな」
なるほど。こういう算段があったから、今迄帰りの手段を誰も言わなかったのか、と感心してしまう。
ジョアンが得意げに白い歯を見せた。
目つきが悪い彼が笑うと、いつもの倦怠感漂う様子との差でおっさんの俺の目からも魅力的に見える。
王都からインマーグまでの道のりは、徒歩で一か月、荷馬車で二週間。
その行程の約半分を帰って来たのが五日目の昨日。
遠目に白い雪の冠を被った山々が見えた。馬上から雪ケ岳連峰を指さし、隣で馬に乗ったぽこが顔を輝かせた。
目指すインマーグは雪ケ岳連峰の向こう側だ。
ジョアンは宣言通りぽこを乗せ、俺は血威無恨暗に交代で乗せてもらった。
夜は野宿し、ぽこと俺で皆に料理を振舞う。
乗っているだけの俺でも疲れるのだから、馬といえど、この距離をたった五日で走るのはもっと疲れる。俺にできることは料理くらいだ。
草に夜露が溜まるようになり、すっかり晩秋になった。寒さも堪える。
「肉が食いたい」
目を落ちくぼませたジョアンが焚火に当たりながら呟いた。
「おっさんとこで食べた肉、あれうまかったなぁ」
「旦那様は料理上手ですからね」
ジョアンの背を揉みながら、ぽこが答える。俺より軽いとはいえ、ジョアンは本当に一人でぽこを運んでいるから、ぽこは申し訳ないらしい。
何度も自分も走ると言ったが、ジョアンが何やかやと理由をつけて却下している。
ぽこは抵抗するのを諦めたらしい。
「うまいもんが食べられていいな。なぁ、ぽこ、何の肉が一番うまい?」
「そうねぇ」
ぽこが真剣に悩み、片っ端から俺と出会って初めて食べた肉を挙げていく。
たぬきは基本的に何でも食べる。自然界では昆虫やミミズなんかも食べるようだが、肉は鳥やねずみなどに限られている。狩りには限界があるらしい。
「鹿! いいね。鹿が食いたい。なぁ、おっさん食わしておくれよ」
疲労困憊の彼らに報いてやりたくて、どうにかならんか考える。
「罠を仕掛けにゃならん。鹿が通る道を見つけて」
「よし、お前ら、鹿の痕跡を探せ」
ジョアンの命令で、死屍累々と転がっていた血威無恨暗が四方に消えた。
そして、お目当ての鹿の痕跡が見つかったと期待顔で報告してきたのだ。
❄
いい塩梅に雌の鹿が獲れた。
えっさほっさと血威無恨暗が頭上に担ぎ上げて運び、木に吊るして俺が解体した。
期待顔のたぬきたちに囲まれて料理するのは楽しいような緊張するようなこそばゆい気持ちだ。
「ここは煮込もう」
スネや首の固いところは、ハーブをたっぷり使ったスープにする。
焼いて食べたらうまいところは、片っ端から焼いていく。何しろ食う口が多い。
骨を外すと、拍手喝さいを浴びた。
「なぁ、その骨かじっていいだろ?」
「骨ぇ? あぁ、かまわんが」
了解すれば、すぐさま血威無恨暗が取っていき、たぬきの群れが骨に残った僅かな生肉に齧りついた。
「もしかして、内臓肉とかも生でいけるか」
「いけるいける。おっさんのお勧め以外は生で寄越して」
解体した鹿肉を、ぽこと二人でせっせとある程度の肉の塊にし、皆に配った。生でも内臓でも大喜びでたぬきたちは食べ、調理した物も全て一晩で食べ終わった。
残るは毛皮と骨だけだ。
そこらじゅうに腹をぷっくり膨らませたたぬきが寝転んで腹をさすっている。
「食いたいって言うだけはあるな」
本当にたぬきの食べ物への熱意は高い。今日一日を使っただけのことはある。
「あぁ、これでまた明日も走れるな」
人間姿のジョアンが胸と腹を撫でおろす。
「リーダーってのは大変そうだな」
血威無恨暗は若い雄ばかりで構成されている。里を離れてこんな遠くまで引き連れてこられるのだから、ジョアンは大したやつだ。
「そうよ。あいつらを背負っている以上、期待に応えなきゃなのよ」
おちゃらけた口調だが、ジョアンの覚悟ってもんを感じる。
「ドン・ドラドはこんなもんじゃないぜ」
ジョアンが、ようやく肉にありつけたぽこを見て頬を緩ませる。
血威無恨暗が肉に大騒ぎしているのを見ているときとは、違った優しい眼差しだ。
ジョアンは心底ぽこに惚れている。
「レナの結婚式に本当に出るつもりか?」
「あぁ」
俺ではジョアンに敵わぬところもあるのは事実だが、それでも、ぽこを譲るつもりはない。
「ドン・ドラドは人間との結婚なんて許してくれないぜ」
「種族変更の薬を探すつもりだ」
ジョアンが舌打ちする。
「まぁ、夢見てられるのも今の内さ。里に来て、ぽこを幸せにできるのが俺だってのを見せつけてやるぜ」
若い。
それが羨ましくもある。
だが、覚悟が違う。
ジョアンが真正面から俺と視線を合わせ、宣戦布告に動揺せぬことに、口笛を吹いた。